人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

今村昌平監督「復讐するは我にあり」「うなぎ」を観る/清水ミチコ著「主婦と演芸」を読む

2016年05月31日 07時56分48秒 | 日記

31日(火)。皆さん、5月も今日で終わりですよ 月日の流れは速いですね。ということで、何やらブツブツ言っている、わが家に来てから611日目を迎えたモコタロです

 

          

          刑事さん 部屋を散らかしたのはおれじゃねえんだ 信じてくれ!

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「もやし巻き豚肉しょうが焼き」と「野菜とワカメのサラダ」を作りました。「もやし~」は醤油、酒、味醂の味付けです。子どもたちにも好評です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、早稲田松竹で、今村昌平監督「復讐するは我にあり」と「うなぎ」の2本立てを観ました

 

          

 

「復讐するは我にあり」は1979年制作 140分の映画です この作品は1963年から64年にかけて日本を震撼させた連続殺人事件を元にした佐木隆三の長編小説を映画化したものです

九州で多額の現金が奪われ惨殺された2つの死体が発見された 容疑者として浮かんだのは榎津巌という男だった。榎津は、時には大学教授、時には弁護士に成りすまして、浜松、東京で5人を殺した上、公開捜査をあざ笑うかのように逃亡を続ける 詐欺、殺人を繰り返し、欲望に任せるままに女に明け暮れる冷血漢に明日はあるのか

榎津を演じた緒形拳の狂気の演技が見ものです 手の付けられない榎津の妻を演じた倍賞美津子は素晴らしいですね。このころが一番輝いていました また、殺人犯と知りながら榎津を庇い続ける旅館の女将を演じた小川真由美をはじめ、榎津の父親を演じた三國連太郎、母親を演じたミヤコ蝶々、旅館の女将の母親を演じた清川虹子ら、錚々たる役者たちの体当たり演技が光ります

2本の映画のあと、映画評論家・佐藤忠男氏と今村昌平氏の子息で映画監督の天願大介氏によるトークショーがありました 質疑応答の中で、佐藤氏が「なぜ榎津は何人もの人を殺してしまったのか、それは誰にも分からない。映画を観ている者はどうにでも解釈できる」と語っていましたが、私は、「一人殺すと 殺し癖が付いてしまうのではないか」と思いました また、これからこの映画を観ようとしている女性客から「連続殺人犯ということで、映画を観て気持ち悪くならないか心配している。観終わって後悔しない映画か?」という率直な質問が出され、天願氏は「当時の映画界を代表する俳優たちが真剣勝負で臨んでいる作品であり、そういう意味で観る価値のある作品だと思う」と答えていましたが、まったくその通りだと思いました。聴衆からも大きな拍手が起こりました

 

          

 

2本目の「うなぎ」は1997年公開の117分の映画です

山下は浮気した妻を殺した罪で8年の刑を終え、仮出所してからは廃屋を改造して床屋を開き、黙々と働いている 彼は他人との関わりをできるだけ避け、水槽に飼っているうなぎにしか心を開くことをしない。ある日、自殺未遂した女性・佳子を偶然救うことになり、それが縁となって佳子は床屋で働くことになる 彼女のお陰で店は繁盛するようになるが、ある日、刑務所で一緒だった男が佳子に山下の過去をばらしてしまう 一方、佳子は心を病んだ母を抱え、男(夫?)からDVまがいの被害を受けていた 彼女は妊娠していることが分かり堕胎したいと言うが、山下は自分の子どもとして生んでほしいと言う

この映画の冒頭のシーンで妻の浮気を告発する手紙が出てきますが、終盤で 刑務所で一緒だった男が「手紙なんか、最初からなかったのさ。お前の嫉妬心が妻を殺すことになったのさ」というシーンが出てきます。手紙はあったのか、あるいは山下の妄想のなせるワザだったのか、どちらが真実なのか、映画は結論を曖昧なままにしています

最後に山下が佳子に「自分の子どもとして生んでほしい」と伝えるところは、まるでデーメルの詩にシェーンベルクが曲をつけた「浄められた夜」だな、と思いました

この映画は役所広司の演技が見ものですが、佳子を演じた清水美砂が新鮮でした いつだったか、NHKの朝の連続ドラマで「青春家族」という番組があって、それに出演していたのを思い出します 佳子の母親を演じた市原悦子は、いつも凄いと思います それに刑務所で一緒だった男を演じた柄本明が不気味なほど凄みがありました

映画の後のトークショーで、「うなぎ」の脚本を書いている天願氏が「脚本を書いているうちに監督と意見が対立し、3分の2は出来上がっていた脚本を引き上げた。その後、監督から戻ってくれと請われ、何とか完成まで漕ぎ着けた」と語りました。また、「当初この映画は『闇に閃く』というタイトルで、記者発表の際にもそのタイトルで臨んだのに、監督はいきなり『タイトルは”うなぎ”になった』と表明したので 自分を含めて周囲の者は驚いた しかし、結果的にはこの方が良かったと思っている」と語りました。結果的にうまくいったから良かったものの、いくら親子とは言え身勝手な監督だと思いました

ところで、この映画には場面転換のところでガマガエルが出てくるシーンがありますが、「今村監督の映画にはヘビやカエルが出てくるシーンがありますが、好きなんでしょうか?」という質問が出され、天願氏は「ヘビやカエルは大好きでした ああいったヌルヌルした得体のしれない小動物が大好きでした」と答えていました。これで今村監督に親近感を覚えました

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

清水ミチコ著「主婦と演芸」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 清水ミチコは皆さんご存知ですね。ものまねタレントさんです ちなみに彼女は1960年岐阜県生まれです。なぜこの本を手に取ったかというと、以前、三谷幸喜との共著「むかつく二人」を読んだことがあり抱腹絶倒だったからです

この本は、雑誌『テレビブロス』に連載したコラムをまとめたもので、ミチコさんはもう20数年も連載しているそうです しかも、「あとがき」に本人が書いているように「締め切りに間に合わなかったことはありません」そうです

 

          

 

この本を読んでいると、ミチコさんは話すこと同じように書くことも好きなんだなあと思います 仕事で一緒になる歌手やタレント、テレビ関係者などとのやり取り、あるいは 芸能界で起きるちょっとした”事件”が面白可笑しく書かれています

例えば、「氷川きよし君、お願い!私のこと覚えて!」というエッセイでは、次のように書いています

「〇月×日 数年前のこと。氷川きよし君とご一緒し、お互いに『初めまして!よろしくお願いします!』という挨拶をしたことがありました。それからしばらく時間が経ってまた再開すると、『どうも初めまして!氷川きよしです』と言われました また数日後、仕事でお会いした時、『初めまして!氷川きよしです!』と、さわやかな笑顔で挨拶されました 半年が経った頃、『また同じ挨拶だったりして。まさかね。もうわかるわな』そう思った矢先、『初めまして!氷川きよしです!』と言われてました 「『ちょっとお!』激しく吹き出しながら本当にちょっとヨロケテしまいました。頼む覚えて

芸能界にはこういう”天然”の人が少なからず存在するんでしょう。お付き合いも大変だと思います 

「男と女、どっちが生きやすい?」というエッセイでは、次のようなことを書いています

「そもそも貧乏ゆすりとは、”ストレス解消のために脳から指令される行動”なんだそうです。で、男女の脳の仕組みの違いから、男性に多くなりがちなんだとか たとえば電話をしている時も、男はワリとその会話だけに集中しがちなのですが、女は会話しながらも部屋の音楽の音を小さくしたり、掃除したり、お化粧しながらネイルまで、なんてことが自然にできる つまり、何かに縛られることからの発散がうまいのだとか。そう言われてみれば男性はホント、一つに集中するという傾向が強い生き物だと思います。オタクなる才能もそうだし、ノイローゼになる傾向も強いかもかもしれませんが 私は映画を観終わった時なんかに感じます。男性と行くと、観終わっても『あの監督はさあ』など、まだ映画をひきずっているのですが、女は『面白かったね!何食べる?』と、すぐに次の快感を探し始めているのです 確かに女の方が生きやすいみたいですよね。明るいし。しなるから竹も強かろて

これは鋭い分析だと思います。新聞の社会面で”自殺”の記事を見ると、自殺するのはたいてい男性です。いじめもそうです もちろん、女同士の陰湿ないじめもあるでしょうが、新聞やテレビに出るようの社会性の大きい事件の多くは、加害者も被害者も男性です。男って、思いつめちゃうんですね

「街で拾った名言、『忘れ物に理由なんてない』」というエッセイでは、次のように書いています

「地下鉄に乗りました。電話をしながら大声でしゃべっている人がいました。『アタシ、忘れちゃったのよ。持ってくることを。うっかり忘れたの!』。オカマ系の方らしく、言葉尻は女子なのですが、だんだんキレ気味に 『だーかーら!何度も言ってるでしょ?忘れちゃったの。アタシは。なによ!忘れちゃったのに理由なんてないでしょ?あるの?』。逆ギレとはこのことか。私はおかしくなって、もっと聞きたくなり、歩調を緩めました そしてついに言い放った彼のタンカがとても心に残りました。『いい加減にしなさいよ!あんた!アタシのことどれだけ買いかぶってんのよ!』。いつか私もこういった事態には使ってみよう、と思いました

ミチコさんと同様、私もこういった場面に遭遇した時は、是非使ってみようと思います

「面白い番組やってましたね、徹子さん」というエッセイでは、自宅に黒柳徹子さんが訪ねて来た時のことを書いています

「ずいぶんスムーズな到着ぶりだったので、『芸能人のお宅にもよくいらっしゃったりするんですか?』と聞いたら、『ううん、あなたで4人目。沢村貞子さん、越路吹雪さん、向田邦子さん、そしてここね』。えらい並びがあったもんです 4分の3が故人。そうそう、次が私の番でね、って誰がじゃ。順番が違うだろうが!失礼しました

こういうのを「一人ツッコミ」と言います。このほかにも面白い話題が満載です この本は決して電車の中で読んではいけません。「季節の変わり目には出るのよね、ああいう人が」と指さされるのがオチですから

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宮本直美著「コンサートという文化装置」を読む/シュターツカペレ・ドレスデンのチケットを買う

2016年05月30日 07時27分28秒 | 日記

30日(月)。わが家に来てから610日目を迎え、「今日からまた1週間が始まるのか・・・」と サラリーマンのような物憂げな表情を見せるモコタロです

 

          

             おいらは無職だから関係ないけど 5月病の人 そろそろ治った?

 

  閑話休題  

 

昨日は11月下旬にサントリーホールで開かれる「ザルツブルク イースター音楽祭 in  JAPAN」の同ホール・メンバーズ・クラブ先行発売日だったので、解禁時間の午前10時にネットでアクセスしました

 

          

 

最初に11月18日(金)のワーグナーの楽劇「ラインの黄金」のB席を「座席を指定して予約する」で狙いましたが、アクセスが集中していて繋がりません 急きょ「座席を指定しないで予約する」に切り替えて、何とか2階左サイド1列目の席を確保しました 出演はフリッカ=藤村実穂子ほか、演奏はクリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンです

 

          

 

次に11月21日(月)にブルーローズで開かれる「シュターツカペレ・ドレスデン首席奏者による室内楽の夕べ」の予約に移りました こちらはS席を「座席を指定して予約する」でアクセスしましたが、やはり申し込み殺到で繋がらなかったので、「座席を指定しない」に変更し、こちらも左サイド1列目の席が確保できました なお、プログラムは①ベートーヴェン「七重奏曲」、②シューベルト「八重奏曲」です

 

          

 

実は、LP時代の昔からシュターツカペレ・ドレスデンは大好きで、80年代だったか、ヘルベルト・ブロムシュテットが振ってリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」とブラームスの交響曲を演奏するのを聴いて、大ファンになりました 「いぶし銀の響き」と言われる独特の”音”を持つオーケストラでした  その後、東西ドイツの統一をはじめ激しい環境の変化があったので、オケの音がすっかり変わってしまったのではないかと恐れ、これまで何度かあった来日公演を敬遠してきたのです 今回 その音が今でも聴くことができるのか、それを確かめるのが楽しみです

 

  も一度、閑話休題  

 

愛用の「万歩計」をどこかに落としたらしく無くなってしまったので、新しいのを買いに池袋のBカメラに行きました 東口のBカメラに行く途中で、何人かの民族衣装姿の女性が山の写真を配したカードのようなものを配っています さては新しい”夜のお店”でもオープンしたのか、と思ったのですが、カードに「ありがとう日本」と書かれていたので受け取ることにしました。それはこういうものでした

 

          

            下に「マナスル山(8163メートル)。ネパール」とあります。

 

中を開くとこういう内容になっていました

 

          

 

ネパールの大地震からもう1年が経ってしまったのですね 今年は「日本-ネパール友好60周年」ということで、今年8月6~7日に代々木公園でネパール祭りを開催すると告知しています

ちなみにカードの裏側はこうなっています 要するにネパールに観光客を誘致するためのPRカードなわけですが、こういうのはスマートで良いと思います

 

          

 

  最後の、閑話休題   

 

宮本直美著「コンサートという文化装置~交響曲とオペラのヨーロッパ近代」(岩波現代全書)を読み終わりました 著者の宮本直美さんは1969年生まれ。東京藝大大学院と東大大学院を修了した社会学博士です。現在は立命館大学文学部教授。専門は音楽社会学・文化社会学です。この本は、新聞の書籍広告で見て、さっそく買い求めたものです

 

          

 

この本は、現在のコンサートの形式がどのように形づくられてきたのかについて、交響曲とオペラという2大ジャンルの対比の中で明らかにしようとするもので、次の5つの章から成っています

序 章「交響曲はいかにしてコンサートの主役になったのか」

第1章「言葉にできない音楽」

第2章「オペラの覇権」

第3章「コンサート市場を成立させたもの」

第4章「交響曲の正当化と受容」

第5章「言葉にできない音楽の言葉による領有」

この本は250ページにわたり、現在のコンサートの姿が形作られてきた歴史が小さな文字でびっしりと書かれているので、全体について紹介するのは非常に困難です ごく大雑把に要約してみると次のようになると思います

1.かつてコンサートといえば歌(=オペラ)が中心で、イタリアが中心だった。オペラではあくまでも歌手が中心的存在で、指揮者は歌手の意向に従わざるを得ず、途中でアンコールがあるとその都度オペラは中断し、作品の理解が二の次になっていた

2.19世紀に入ってから、次第に絶対音楽の代表である「交響曲」がコンサート・プログラムの中心的な存在としてクローズアップされるようになった このころ「ロッシーニ対ベートーヴェン」という構図がある。交響曲は 最初はオペラの人気に依存しながらだったが、19世紀後半には自立したプログラムを組めるまでに至った

3.コンサートは最初の頃は交響曲の第1楽章を演奏して、次はオペラのアリア、その次に交響曲の第2楽章、次に協奏曲の第1楽章といった具合に、色々なジャンルが混じり合っていた。しかし次第に交響曲を第1楽章から第4楽章まで通して演奏、次の曲も1つの曲を通して演奏するという形になった

4.コンサート会場は社交の場であり、貴族たちは音楽を聴くより知人とおしゃべりをする場と考えていたが、「交響曲」がコンサートの中心になるにしたがって、沈黙して音楽を聴くようになった

5.作曲者自身が演奏する時代は、あくまでも”次の新しい作品”が求められたが、「交響曲」を中心に作品理解への希求が進み、作品が繰り返し演奏され聴かれるようになった

6.上記4.5を可能にした要因として、批評家の役割を挙げることができる。それと同時に楽譜出版社の役割も大きい。これは、交響曲のような大きな作品を聴く機会はあまりないので、室内楽版やピアノ演奏版を出版して作品の普及を図ったということである

以上のクラシック音楽のコンサートの歴史を振り返るうえで、著者が最も大きな存在だと指摘するのがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです 彼の生きた時代が貴族社会から市民社会へと移行する過渡期にあったこともありますが、ベートーヴェンこそクラシック音楽、引いてはクラシック・コンサートの歴史を塗り替えた作曲家だったということです 音楽史の研究家によれば、交響曲や弦楽四重奏曲の父と言われたハイドンや、真の天才と言われたモーツアルトさえも、ベートーヴェンの下に位置します

読書好きの人なら「ドッグイヤー」と言えばどういう意味かお分かりになると思います 読書の時に気になるページの角を折ることです。その形が犬が耳を垂れているのに似ていることから名付けられたようです

私は、この本を読み終わって、ドッグイヤーだらけになっていたことに気が付きました 「ここが重要だ!」「ああ、そうだったのか!」「こんなこと初めて知った!」という事柄ばかりでした 最近読んだ音楽関係の本の中で、最も読み甲斐のある作品でした 普段からコンサートに通われている方にはとても面白い本だと思います。自信を持ってお薦めします

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ウルバンスキ+ロマノフスキー+東響でプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」他を聴く

2016年05月29日 09時56分10秒 | 日記

29日(日)。昨日、マンション管理組合の理事会が開かれ、理事長として出席しました。2年任期の最後の理事会ですが、例によって出席者はお決まりの4人だけです とうとうお寒い出席率のまま最後まで来てしまいました。2年間一度も顔を出さなかった理事はどういうつもりでしょうかね。総会にも出てこないと思います いざ何かあっても助けてあげられないと思います

議題は来月下旬に開く定期総会の議案書の確認が中心でした。例年通りの今年度事業活動報告・決算報告、次年度予算のほか、修繕積立金改定(値上げ)、民泊禁止規定の制定、リフォーム工事細則の制定、LED照明の導入、次年度役員選任と盛りだくさんです いつもは出席者がパラパラの総会ですが、今回は修繕積立金値上げが議題にあるので、いつもよりは多く出席するでしょう 他のことはともかく、自分の財布の中味が減ることに対しては敏感な人が少なからずいますから 事業活動報告の中では長期管理費滞納者への訴訟問題も含まれています。現在、弁護士事務所から該当者に裁判を起こす旨の書面が送られていますが、早く解決しないと、弁護士報酬が出ていくばかりです 該当者には払うべきものは早く払ってほしいと思います

ということで、わが家に来てから609日目を迎え、「ぼくには未払いのお金はなかったよな?」と白ウサチャンに確かめて 無視されたモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団第640回定期演奏会を聴きました プログラムは①プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番ハ長調」、②チャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です ①のピアノ独奏はアレクサンダー・ロマノフスキー、指揮はクシシュトフ・ウルバンスキです

ウルバンスキは1982年ポーランド生まれ。東響の首席客員指揮者のほかに、インディアナポリス響の音楽監督、トロンヘイム響の首席指揮者、北ドイツ放送響の首席客員指揮者を務めています 一方、ロマノフスキーは1984年ウクライナ生まれの注目のピアニストです

 

          

 

ステージ中央にはグランド・ピアノが堂々と威容を誇っています 会場の照明が落とされステージに楽員が登場します。右サイドから真っ先に登場したのはオーボエ首席の荒木奏美です 東京藝大大学院に籍を置きながら東響で演奏をしていますが、もうすっかり慣れてきたようです。コンマスはグレヴ・二キティンです

ソリストのロマノフスキーがウルバンスキとともに登場、ピアノに向かいます。彼の大きな鉤鼻を見て、名匠ホロヴィッツを思い出しました プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」は3つの楽章から成ります。ウルバンスキのタクトで第1楽章が開始されます。冒頭エマニュエル・ヌヴーのクラリネットによる序奏に続いて、ロマノフスキーのピアノが「そこのけ そこのけ おれの出番だ」とばかりに威勢よく入ってきます かなりのテクニシャンで、自由自在に演奏します ブゾー二国際コンクール優勝という経歴もダテではありません。第2楽章は変奏曲ですが、ロマノフスキーは 力強く弾くばかりでなく しなやかさも見せました 第3楽章は福井蔵のファゴットから入りますが、ロマノフスキーのピアノが入ってくると、さながらピアノ対オケの競争曲になります ロマノフスキーは何の苦も無く弾いているように見えます。フィナーレは圧倒的でした

ロマノフスキーはアンコールにバッハ作曲シロティ編曲「プレリュード ロ短調」をしみじみと弾き、聴衆のクールダウンを図りました

 

          

 

休憩後はチャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です 4つの楽章から成りますが、第1楽章冒頭の管楽器によるファンファーレは印象的です。チャイコフスキー自らが「運命」と名付けています。運命の動機ですね ここで言う「運命」というのは、具体的には彼自身の不幸な結婚とその失敗のことです。彼は心ならずも年下の女性と結婚したものの、まったく”合わない”としてすぐに逃げ出し、おまけに川に身を投げて自殺未遂まで起こしています

ウルバンスキは中盤でテンポを極端に落とし、オケに美しいメロディーを歌わせます しかし、終盤ではアップテンポでオケのエネルギーを放出させます。こういうところはウルバンスキらしいと思います

第2楽章はオーボエの悲しげな旋律で開始されますが、荒木奏美の演奏は聴かせてくれました この楽章では木管楽器群が大活躍します。第3楽章はスケルツォです。弦楽5部によるピツィカートによって軽快な音楽が奏でられ、管楽アンサンブルとの対話が交わされます 第4楽章は冒頭、オケの大爆発から入り、祝祭的な雰囲気の音楽が続きます。この冒頭では、いつもは隣席の男性がうたたねから身体をピクッとさせて目を覚ますのですが、昨日は珍しく最初から目を覚まして聴いていました フィナーレは手に汗握る興奮状態で迎えます これは「運命」を乗り切った勝利宣言です。ベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調」の最終楽章フィナーレに通じるものがあります

全曲を通してウルバンスキの指揮ぶりを見て感じるのは、流麗な指揮、つまり流れるような指揮だということです その上、指揮台の端から端まで動き回り、各楽器に指示を出します しかし、彼の指揮はどこまでも冷静です 東響との演奏は、指揮者は冷静で、楽員が熱くなっている典型だと思います。これは演奏するオケの楽員にとっては理想的な関係だと思います

カーテンコールは5回まで拍手を送って会場を後にしましたが、まだ続いていました。ウルバンスキと東響との結び付きは理想的にマッチしていると思います

 

          

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国際映画祭で素人女優4人が最優秀女優賞 受賞の『ハッピーアワー』を観る~5時間17分の超長尺映画

2016年05月28日 07時53分07秒 | 日記

28日(土)。わが家に来てから608日目を迎え、伊勢志摩サミットが無事に終わり一安心してリラックスしているモコタロです

 

          

            これで駅のゴミ箱も使えるようになるって ご主人が喜んでいたよ 何捨てるんだ?

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食にカレーライスと生野菜サラダを作りました サラダはフレームに収まりませんでした

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「ハッピーアワー」を観ました 濱口竜介監督によるこの映画は、スイスで開かれた第68回ロカルノ国際映画祭で、出演した女優4人が国際コンペ部門の最優秀女優賞を受賞しましたが、この4人は映画やドラマの出演経験ゼロの素人だったことで大きな話題になりました

受賞したのは兵庫県の田中幸恵さん(あかり役)、菊池葉月さん(桜子)、三原麻衣子さん(芙美)、京都府の川村りらさん(純)の4人です この4人は濱口監督が2013年9月から5か月にわたって開催した「濱口竜介即興演技ワークショップ in  Kobe 」の受講生だったことがキッカケで、映画「ハッピーアワー」に出演することになったとのことです この映画はクラウドファンディング(インターネット上で作品の魅力を紹介し、その制作資金を募る方法)によって、2014年5月から12月までの約8か月にわたり 神戸市内を主なロケ地として撮影されたもので、5時間17分という超長尺映画となっています

 

          

 

ストーリーは次の通りです

「30代後半に入った、あかり、桜子、芙美、純。仲が良く どんなことでも屈託なく話し合えると考えていた彼女たちだが、純が1年にわたって離婚協議をしていたことを知る 離婚裁判に臨むものの、純は様々な理由から勝ち目がない それでも諦めようとしない彼女の姿を前にした3人は、自分たちの生き方を再考するようになる。そんな中、気晴らしになればと4人で有馬温泉に旅行する 楽しいひと時を過ごす一方、純はある決意を胸に秘めていく。一方、傍目には順調な夫婦生活を送っているようにみえた桜子や芙美にも実はジワジワと夫婦の危機が迫っていた 唯一のバツイチのあかりも いつしか疎外感に悩まされ 不安定な状況に置かれていった」

この映画は下の上映スケジュールのように3部構成になっています。第1部が1時間46分、第2部が1時間36分、第3部が1時間55分です

 

          

 

主役の4人の女優は実年齢が40歳前後で、それぞれ等身大の役柄をごく自然に演じています

4人の中で一番姉御肌で”強く”生きているのはバツイチの看護師あかりを演じた田中幸恵です よく小学校の額に入っている「明るく 正しく 強く」というメッセージが一番良く似合う女性です

姑と夫と高校生の息子がいる桜子を演じた菊池葉月は、平均的な日本の主婦というイメージなので、遂に一線を超える大胆な行動に走るのを見ると予想外に感じます

ダブルインカム・ノーキッズの芙美を演じた三原麻衣子は、いかにもキャリア・ウーマンのようなイメージで、仮面夫婦を演じています

何かを起こしそう、といった雰囲気をまとっているのが純を演じた川村りらです 実際、役柄の上では勝ち目のない裁判を起こし、子どもを身ごもったうえで失踪してしまうのです

この映画では、仲良し4人組だけれど、どこまでお互いの内面まで理解できていたのか、という問題提起をしているような気がします ”親友”と言葉では言うけれど、どこまで真剣な相談が出来る”親友”なのか、を問うているように思います 一方、コミュニケーションの大切さをさかんに説いていますが、すべてを言葉で伝えなければコミュニケーションが取れないのか、という疑問も提起されています

この映画は男性を悪者にし、女性を擁護しているようなところがあるので、女性が観たら頷くことの多い映画だと思います とくにアラフォーの女性は、彼女たち4人の誰かに等身大の自分を投影させるかも知れません

4人以外では、得体の知れない謎の人物・鵜飼を演じた柴田修平が個性的でいい味を出していました。ニヒルで、低音の魅力があります

映画を観終わって考え込んでしまったのは、この映画のタイトル「ハッピーアワー」の意味です  全3部作を観る限り、4人の主人公たちは決して”幸せな”人生を送らないまま映画が終わります すくなくとも4人とも宙ぶらりんのまま終了を迎えます。4人が仲良くやっていた頃の思い出が「ハッピーアワー」だったのか、あるいは、この映画には次の第4部、第5部があって そこに「ハッピーアワー」が待っているのか、と考えますが、どうも違うようです。辞書によると、英語圏で「レストランやバーでビールなどの酒類の割引を行う時間帯のこと」、あるいは「職場の同僚と仕事帰りにレストランやバーに集まること」を「ハッピーアワー」と言うそうです。これですね

話は変わりますが、この映画ではクラシック音楽が使われていました バッハの「無伴奏チェロ組曲」です。残念ながら何番かまでは分かりませんでした この曲が流れていたのは、天上の高いコーヒーショップのようなところで純を除く3人と 純の夫とが話をしているシーンです 同じ曲が別のシーンでもう一度流れました 

私はここで「無伴奏」の曲が流れた意味を考えていました 「仲の良い友人同士が集まっていても、それぞれが親友にも言えない悩みを抱えて生きている。その意味では、人はみな伴奏者のいない無伴奏の状態で生きている そのことをバッハの『無伴奏チェロ・ソナタ』に込めたのではないか」と 

監督はそこまでは考えなかったかも知れません。多分考えすぎなのでしょう

この映画は、池袋の新文芸坐で28日(土)は9:35~、15:50~の2回、29日(日)は10:00~、16:20~の2回上映されます 全席指定で一般3,400円、シニア3,200円、前売り・友の会3,000円です。私は とても良い映画だと思いました 今年観た映画の中では出色の作品でした。お薦めします

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東京藝大シンフォニーオーケストラでサン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き”」他を聴く

2016年05月27日 07時34分14秒 | 日記

27日(金)。昨日午前10時から築地にある健康保険組合で歯科検診を受けるため、地下鉄三田線に乗りました 電車が春日駅に着いた9時20分頃 車内アナウンスがあり「ただ今、三田線は白金高輪駅で信号機故障が発生したため全線運転を見合わせ、各駅に止まっております。この電車も時間調整のためしばらく停車いたします。なお、現在 運転再開のめどは立っておりません」と言っています 朝の混雑した時間帯にこういう事故があると本当に腹が立ちます しかし、こういう時にこそ危機管理能力が試されます。さっそくヤフーの乗換案内で「春日⇒築地」を検索したところ、近くの後楽園駅まで歩き、地下鉄丸の内線で銀座まで出て、日比谷線に乗り換えて築地に行くのが最短ルートであることが分かりました その結果、健保組合に着いたのは10時5分、受付時間の10時から10時15分の間に滑り込みました スマホで何が便利かと言って、乗換案内ほど便利なものはありません

検診の順番を待っている間、待合室にBGMが流れていましたが、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第2楽章、「ピアノ・ソナタK.331」の第3楽章など、すべてがモーツアルトの曲で、オルゴールによる演奏でした これで少しは電車遅延に対する怒りも収まりました 検診の結果は「虫歯なし。磨き残しがあるので歯磨きの仕方に気を付けて」ということでした

突然ですが、せっかく歯科検診に行ってきたので、ここで掛詞(かけことば)遊びを

「急に虫歯が痛くなって病院に駆け込んできた患者」とかけて何と解く?

「お金のないカップルの結婚式」と解く。

「そのココロは?」

「どちらも シカイシャ だけが頼りです

座布団1枚 桂歌丸さん、長い間「笑点」の司会お疲れ様でした

ということで、わが家に来てから607日目を迎え、下界を見下ろし 平和な世の中を確認しているモコタロです

 

          

                                   皆のもの 平和に暮らすのが何よりじゃぞ!

 

  閑話休題   

 

築地から新宿に出て、久しぶりに新宿タワーレコードに行きました 先日 読響で聴いたプロコフィエフの「交響曲第5番」がまだ印象に残っており、さらに一昨日の夜 偶然にFM放送でネーメ・ヤルヴィ指揮N響によるプロコフィエフ「交響曲第6番」の生中継を途中まで聴いて「面白い曲だな」と思って、彼の交響曲を全曲聴いてみたいと思い立ったのです 現在私が所有しているのは第1番、第3番、第5番、第7番のみで偶数番号のCDを持っていません ネットで検索したらゲルギエフが全曲録音していることが分かったので、それを買うことにしました。それが4枚組のこれです このアルバムには交響曲第4番が、1930年のオリジナル版と、1947年の改訂版の両方の演奏が収録されています

 

          

 

ついでに棚の近くにあった「ピアノ協奏曲全集」(2枚組)も買うことにしました 演奏はピアノ=ウラディミール・アシュケナージ、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団です

 

          

 

これで6枚買ったから帰ろう、と思ったら、下のCDが目に入りました 若き日のマルタ・アルゲリッチによる未発表録音CD(2枚組)です 収録曲は、①モーツアルト「ピアノ・ソナタK.576」、②ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第7番」、③プロコフィエフ「トッカータ」、④ラヴェル「夜のガスパール」、⑤プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第3番」、⑥ラヴェル「ソナチネ」、⑦プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第7番」で、①から⑥までが1960年(アルゲリッチ18歳)の録音、⑦が1967年の録音です 天才アルゲリッチは1965年にショパン国際コンクールで優勝しているので、このCDはまさに上り坂にある若き日のアルゲリッチの記念碑的な演奏であると言えるでしょう

CDについては経験から「衝動買いは良くない」と自覚しているので、視聴することにしました 2枚目の第1曲目、プロコフィエフ「トッカータ」が聴けるようになっていました これを聴いて「これぞ、若き日の躍動するアルゲリッチだ」と、即 購入の決断をしました ということで、昨日はプロコフィエフがらみのCDを8枚買いました

CDを家に持ち帰って、ハタと考えました。いったいどこに置けばよいのか???

 

          

          

 

  最後の、閑話休題  

 

昨夕、上野の東京藝大奏楽堂で「第54回東京藝大シンフォニーオーケストラ定期演奏会」を聴きました プログラムは①矢代秋雄「交響曲」、②カミーユ・サン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き”」です ②のオルガン独奏は藝大音楽学部准教授・廣江理枝、指揮は東京藝大演奏藝術センター教授・湯浅卓雄です

 

          

 

全席自由です。1階13列25番、右ブロック左通路側を押さえました 東京藝大シンフォニーオーケストラは、音楽学部の2~4年の弦・管、打楽器専攻生を中心に編成されているオケです。会場は6~7割くらい入っているでしょうか。学生オケなので、聴衆も若い人が多いようです

今年は、東京藝大作曲科教授だった矢代秋雄が46歳の若さで他界してからちょうど40年目に当たるということで、藝大シンフォニーオーケストラは彼の「交響曲」を取り上げることになったとのことです 矢代は1929年に生まれ、10歳で作曲を諸井三郎に師事、その後1951年に東京音楽学校研究科を修了していますが、この時に伊福部昭らに師事しています その年に渡仏、パリ音楽院でブーランジェやメシアンら錚々たる音楽家に師事しています

この「交響曲」は1958年、日本フィル・シリーズ第一作として作曲され、同年6月9日に日比谷公会堂で行われた第9回定期演奏会で渡邉暁雄の指揮で初演されました 4つの楽章からなる30分程度の曲です

最初から100人規模のフル・オーケストラです。全体を見渡すと、やはり弦楽器を中心に女子学生が多いのですが、男子も結構いるな、と思いました

湯浅卓雄がタクトを持たずに登場、さっそく第1楽章に入ります。管弦楽の響きが、やはり日本人の作曲家が作った曲だな、と思わせる曲想です プログラムに載っている 矢代秋雄氏に師事した藝大の西岡教授のエッセイによると、矢代氏は「僕のオーケストラの基本はチャイコフスキーなんだよ」と話していたといいますが、この交響曲を聴く限り、まったくその影響を感じません 面白いと思ったのは第2楽章「スケルツォ」です。テンポが「ヴィヴァーチェ」とあります。指示の通りかなりテンポの速い演奏で、独特のリズムを刻みます。この楽章については、作曲者本人が初演の時の「日本フィル」(プログラム)に次のように書いています

「第2楽章の特色のあるリズムは、10年ほど前、獅子文六の小説『自由学校』の中の、お神楽のタイコの音を模写した文章を読んだ時 思い付き、ずっと暖めていたものである 即ち、テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ

この楽章など、伊福部昭の影響を受けているのではないか、と思いました 第4楽章「アダージョーアレグロ エネルジーコ」の最後の畳みかけも伊福部昭を感じました 100人規模のフル・オーケストラの演奏は流石に迫力があります

      

          

 

休憩後はサン=サーンスの「交響曲第3番」です 舞台後方2階のパイプオルガン席に廣江理枝がスタンバイします。藝大奏楽堂にはかなり頻繁に通っていますが、パイプオルガンを聴くのは今回が初めてです

この曲は2楽章形式ですが、実質的にはそれぞれ第1部と第2部とに分かれており、4楽章形式のようになっています 第1楽章冒頭の弦楽器によるテーマは印象的です。このテーマが曲の随所に出てくる「循環形式」を取っています パイプオルガンは、弦楽器の伴奏者となったり、共に音楽に深みを与えたりしますが、第2楽章第2部冒頭の強奏ほど感動的な使い方はありません 廣江理枝の演奏は迫力がありました

この曲は何回聴いても感動します まさに生演奏で聴いてこそその良さが分かる曲だと思います。藝大の学生の皆さん、素晴らしい演奏をありがとうございました 

 

         

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METライブビューイング、ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」を観る~ベルカント・オペラの傑作!

2016年05月26日 07時58分12秒 | 日記

26日(木)。わが家に来てから606日目を迎え、今日から始まる伊勢志摩サミットの成功を祈っているモコタロです

 

          

           ご主人の話では 東京では街も電車も 警察官だらけだってさ

 

  閑話休題  

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ドニゼッティの歌劇「ロベルト・デヴェリュー」を観ました これは今年4月16日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

キャストは、エリザベス1世(エリザベッタ)=ソンドラ・ラドヴァノフスキー(ソプラノ)、サラ(ノッティンガム公爵夫人)=エリーナ・ガランチャ(メゾソプラノ)、ロベルト・デヴェリュー=マシュー・ポレンザーニ(テノール)、ノッティンガム公爵=マリウシュ・クヴィエチェン(バリトン)です 演出はデイヴィッド・マクヴィカー、指揮はイタリア出身のマウリツィオ・ベニーニです

 

          

 

このオペラはMETが手掛けて来たドニゼッティの”チューダー朝三部作”(アンナ・ボレーナ、マリア・ストゥアルダ、ロベルト・デヴェリュー)の最後の作品で、METオペラ初登場の演目です

舞台は16世紀の英国。老いたエリザベッタはエセックス伯爵ロベルト・デヴェリューに愛の生きがいを見い出していた。しかし、彼は密かに昔からの恋人サラに心を寄せていた サラはロベルトがアイルランドの反乱を鎮めるために戦地に赴いている間に 政略結婚によってノッティンガム公爵夫人となっていた 結局二人は愛を諦め、愛の証しとしてロベルトはエリザベッタから託された指環をサラに預け、サラは自分が刺繍したスカーフをロベルトに渡す

ロベルトは反乱軍と和睦を結んだことから国家反逆罪で弾劾されていたが、サラの夫であるノッティンガム公爵は、妻とロベルトの関係を知らず、友情からロベルトを弁護してきた しかし、スカーフが証拠となり、妻からもロベルトからも裏切られたとして復讐を誓う 一方、エリザベッタは恋人の名前を言えば罪を問うことはしない、とロベルトに迫るが彼はサラのことを想いこれを拒否する 嫉妬にかられたエリザベッタはロベルトの死刑に同意の署名をする 恩赦を願うサラがロベルトから預かった指環をエリザベッタのもとに届けに来たが、時すでに遅し。ロベルトの死刑は執行された後だった エリザベッタは希望を失い王位を譲り渡すと宣言する

 

          

 

このオペラを聴くのは今回が初めてですが、まず最初に「序曲」が素晴らしいと思いました ベルカント・オペラに相応しい音楽です。次に舞台ですが、この公演では物語が「劇中劇」として演出されています 主役級の4人の歌手がステージ中央で歌い演じるわけですが、両サイドには中世の衣装を身に付けたコーラス陣が”観客”として陣取っており、歌手がアリアを歌い終わると会場の聴衆と同じように拍手を送ります 今回の演出の大きな特徴です

この公演を観て、何に驚いたかと言えば、エリザベッタを歌ったソプラノのラドヴァノフスキー(イリノイ州出身)の存在感です もう唖然とするほど見事なベルカントです しかも、年老いた69歳の女王を見事に演じています 幕間のインタビューで、「役作りが大変なのでは?」と訊かれて「何しろ舞台にいるうち90%は怒りっぱなしなので、もう大変なのよ」と答えていましたが、彼女はMETでの出演が今回で200回目だということです。大ベテランですね

ノッティンガム公爵を歌ったマウリシュ・クヴィエチェンは、何でもこなせるポーランド出身のバリトンですが、私はMETライブと新国立劇場で演じた「ドン・ジョバンニ」のタイトル・ロールのイメージが強く残っています 今回の公爵役も歌ばかりでなく演技が素晴らしく、説得力があります 彼はインタビューで「4人の出演者は普段はどうなの?」と訊かれ、「ポレンザーニと組むオペラは多いし、いつも仲良くやっている また、ガランチャとラドヴァノフスキーを含めた4人は年齢も近いので、気が合うし仲良くやっているよ」と答えていました。

ラトヴィア出身のガランチャは、METでは「カルメン」を歌ったかと思うと、「皇帝ティートの慈愛」を歌うといった具合に、何でも歌えるメゾソプラノですが、舞台映えする顔立ちなので人気があります。歌は抜群にうまいです

タイトル・ロールのロベルト・デヴェリューを歌ったポレンザーニはラドヴァノフスキーと同じイリノイ州出身ですが、甘いリリック・テノールです METライブのビゼー「真珠とり」でクヴィエチェンとコンビを組んで歌っていたのを思い出します

初めて観るオペラでしたが、やっぱりドニゼッテイのオペラは何といっても「ベルカント・オペラ」の魅力タップリですね 美しい声によるアリアに次ぐアリア、重唱に次ぐ重唱で聴衆を惹きつけて止みません ドニゼッティ、ベッリーニ(ノルマ!)、ロッシーニ(セヴィリアの理髪師!)・・・みんな大好きです

 

          

 

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カラビッツ+読売日響でプロコフィエフ「交響曲第5番」他を聴く

2016年05月25日 07時20分56秒 | 日記

25日(水)。わが家に来てから605日目を迎え、重いテーブルを何とか動かそうと 懸命な努力を見せるモコタロです

 

          

             いくら押しても動かないな~ 押してもダメなら引いてみるかな~

 

  閑話休題  

 

昨日の夕食は、息子のリクエストで「豚ドンブリ」と「生野菜サラダ」を作りました 育ちざかりはどうしても肉系になりますね

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、サントリーホールで読売日響第558回定期演奏会を聴きました  プログラムは①プロコフィエフ「交響的絵画”夢”」、②ハチャトゥリアン「フルート協奏曲」、③プロコフィエフ「交響曲第5番変ロ長調」です ②のフルート独奏はエマニュエル・パユ、指揮はキリル・カラビッツです

 

          

 

指揮者のキリル・カラビッツは1976年 ウクライナ生まれで、2009年から英国のボーンマス交響楽団の首席指揮者を務めています 2013年から「プロコフィエフ・サイクル」と銘打ったCD録音を収録中ということなので、この日の公演は期待が高まります

オケのメンバーが配置に着きます。コンマスは小森谷巧。第2ヴァイオリンの首席の位置には いつもの瀧村依里の代わりに都響首席の双紙正哉氏がスタンバイしています。都内のオケ同士で演奏者のレンタル契約があるのでしょうか?

小柄で顔中髭だらけのカラビッツが登場します 1曲目はプロコフィエフ「交響的絵画”夢”作品6」です。この曲は若い作品番号が示すように初期の作品で、1910年(作曲者19歳)に作曲され、学生コンサートで作曲者の指揮で演奏されたとのことです。十数分の短い曲ですが、まさに夢の中の出来事を描いているような曲想だと感じました

2曲目は、フルートの名手エマニュエル・パユを迎えてハチャトゥリアンの「フルート協奏曲」が演奏されます この曲は「剣の舞」で有名なジョージア(グルジア)生まれのアルメニア人、アラム・ハチャトゥリアンが1940年に作曲したヴァイオリン協奏曲が元の曲です 20世紀を代表するフルーティスト、ジャン=ピエール・ランパルが、ハチャトゥリアンに新作を依頼したところ、ヴァイオリン協奏曲のフルート編曲を勧められ、ランパルが編曲したものです この日の演奏は、パユが、さらに原曲に近くなるよう手を加えたということです

パユは1970年ジュネーブ生まれです。1993年からベルリン・フィルで首席奏者を務め、2000年に退団、01年6月までジュネーヴ音楽院の教授として後進の指導に当たり、02年にベルリン・フィルに復帰、ソロ・フルーティストとして活躍しました

この曲は3つの楽章から成ります。第1楽章は冒頭から管弦楽のハイテンションの演奏に続いて独奏フルートが力強く入ってきます 言わずと知れた『超絶技巧』です あの超絶技巧ヴァイオリン曲をフルートで演奏しようというのですから、超超絶技巧と言ってもいいでしょう 私はその昔 曲がりなりにも1年間フルートを習ったことがあるので多少はフルートの演奏の難しさは分かるつもりですが、あれは はっきり言って演奏不可能です 息が継げません 私がフルートを辞めたのは自分の息を楽器に吹き込んで長く音を出すことが出来なくなったからです 

第1楽章にはクラリネットとの対話に次いでフルートのカデンツァがありますが、聴いていて唖然とします パユは譜面台の楽譜をめくりながら演奏していますが、楽譜など見ている暇はないのではないか、と思えるほど超高速演奏なのです

第2楽章のアンダンテはまだいい方です。ゆっくりだから 間を置かずに突入した第3楽章は再び超絶技巧に戻ります。「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の指示通り軽やかに走り抜けます 会場一杯の拍手で何度もカーテンコールがあり、客席から花束の贈呈もありました 彼はアンコールに武満徹の「エア」を無伴奏で演奏し日本の聴衆にアピールしました。これには会場いっぱいの拍手です

さて、拍手とブラボーの最中の出来事です。私の右隣りの中年女性がバッグからスマホを取り出して、画面を発光して何やらごそごそやっています。最初は時計代わりに時間を見ているのかな、と思いましたが、そのうち舞台に向けて撮影し出したのです 写すとすぐにバッグにしまい、大きな拍手をして、またバッグからスマホを取り出してまた撮影し、ということを繰り返しているのです やり方が巧妙です。注意される前に一旦やめてまた やるのですから 明らかにスマホのスイッチは演奏中も切っていませんでした。よほど直接注意しようと思ったのですが、バッグに包丁やナイフや猟銃許可証が入っていないとも限らないし、何をやるか分からない顔をしていたので、休憩時間になるのを待ちました

休憩時間に、ホールのアテンダントに「〇列〇番の女性が何度もスマホで舞台を写メをしていた。後半の演奏が終わった後も同じことをやるかも知れないのでマークしていてほしい」と言っておきました

 

          

 

休憩後はいよいよこの日のメイン・ディッシュ、プロコフィエフ「交響曲第5番変ロ長調」です この曲はソ連当局の標ぼうする「社会主義リアリズム」の路線に沿った「分かり易く明快で、人民に訴える音楽」として受け入れられました

前半の演奏を終えたエマニュエル・パユが私の4つ前の席に座ります。隣の女性が目ざとくそれに気づき、「あら・・・」とか言って、頭を左右に振って姿を注目しています 「あとで何かやるな、この人」と思いました

カラビッツが登場、第1楽章「アンダンテ」の演奏に入ります なるほど、これが社会主義リアリズムか、と思うような分かり易いメロディーです。プロコフィエフはどう思ったか分かりませんが、こういう曲を作ってくれるのなら、わけが分からない曲よりも社会主義リアリズムに沿った曲の方が良いんじゃないか、と思ったりしますが、私は間違っているんでしょうか

私がCDで予習していて最も印象に残っていたのが第2楽章「アレグロ・マルカート」です 要するに「スケルツォ」楽章です。この楽章が一番プロコフィエフらしい音楽だと思います。リズムが中心のアイロニカル(諧謔的)な音楽です

第3楽章「アダージョ」はクラリネット、フルート等の管楽器が美しく響きます。そして、間を置かず第4楽章「アレグロ・ジョコーソ」に突入します 終盤の熱狂的な音楽は圧倒的です。これは”勝利の音楽”です が、プロコフィエフはいったい何に勝ったというのでしょうか

カラビッツの指揮は細心にして大胆と言うか、小柄な身体のどこからあのエネルギーが出てくるのか、と思うほど精力的な指揮ぶりで、自身と生まれ故郷が同じウクライナのプロコフィフの音楽に対しては、絶対的な自信を持って演奏しているように感じました

さて、隣の問題女性ですが、やはりやってくれました 拍手としていると思ったら、バッグからスマホを取り出して写メしています さすがに、すぐ後ろの男性が「あんた、やめなさいよ」と注意しましたが、本人は会場いっぱいの拍手でまったく聞こえていません しかし、それと同時にホール・アテンダントの女性がやってきて撮影をやめるように注意するとやっとスマホをバッグにしまいました。その後、大げさに拍手をしているかと思いきや、4つ前の席にいたパユがサイン会のために退場するのを見計らって、そそくさと席を立って追いかけていきました いやですね、こういうストーカーみたいな陰湿な女

こんなサイテーな女が定期会員だったら毎月、隣の席で嫌な思いをしながら聴かなければならないから辛いものがあるな、と思ったのですが、そういえば、先月の定期演奏会の時は別の男性が座っていたな、と思い出しました ということは、良く解釈すれば、隣の席は定期会員席ではない、つまり毎回別の人が座るということになります。私はそれを信じて読響会員として生きていくしか希望がありません

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

休憩時間に、2016年度会員に対する特典CDをもらってきました 私の場合はサントリーホールでの「定期演奏会」と よみうり大手町ホールでの「読響アンサンブル・シリーズ」の2つの会員なので引換券が2枚あります。特典CDは2種類あったので1枚ずつもらうことにしました

1枚はシルヴァン・カンブルランの指揮で①ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」、②ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」から”前奏曲と愛の死”のCDです

 

          

 

もう1枚は小林研一郎の指揮でチャイコフスキー「交響曲第5番」のCDです

 

          

 

両CDとも昨年のコンサートのライブ録音です。オーケストラは会員獲得・維持のために企業努力が大変ですね

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新国立オペラでワーグナー「ローエングリン」を観る~プルミエ公演、拍手とブラボーの嵐!

2016年05月24日 07時29分53秒 | 日記

24日(火)。わが家に来てから604日目を迎え、今だにリビングに入ろうかどうしようか悩んでいるモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「ゴボウと牛肉のしぐれ煮」と「生野菜サラダ」を作りました 私はオペラに行くので食べませんでしたが

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、初台の新国立劇場でワーグナー「ローエングリン」を観ました キャストは、ハインリヒ国王=アンドレアス・バウアー、ローエングリン=クラウス・フロリアン・フォークト、エルザ・フォン・ブラバント=マヌエラ・ウール、フリードリヒ・フォン・テルラムント=ユルゲン・リン、オルトルート=ぺトラ・ラング、王の伝令=萩原潤ほか。演出はマティアス・フォン・シュテークマン、指揮は飯守泰次郎、管弦楽は東京フィル、合唱は新国立劇場合唱団です

 

          

 

ブラバント公女エルザは、テルラムント伯から弟殺害の罪で訴えられる 窮地に陥ったエルザの前に、夢に見た白鳥の騎士が現れる 騎士はデルラムントを倒し、エルザを救う。2人は結婚することになるが、騎士の出した条件は自分の名前と素性を尋ねないことだった デルラムントの妻オルトルートがエルザに、疑念の心を植え付けたことから、婚礼の夜、エルザは騎士に遂に禁じられた質問を発してしまう 騎士は聖杯王パルジファルの息子ローエングリンと名乗り、去って行くのだった

 

          

 

新国立劇場の芸術監督・飯守泰次郎がワーグナーを振るということで、プルミエ(初日)公演はほぼ満席です シュテークマンの演出で観る新国立オペラの「ローエングリン」は2012年6月1日以来2回目です。あれから4年が経ったのかと感慨深いものがあります 幸いにもタイトルロールのローエングリンを歌うのは前回と同じクラウス・フロリアン・フォークトです

客席の照明が落とされ、拍手の中、飯守泰次郎がオーケストラ・ピットに入り、東京フィルを相手に前奏曲の演奏に入ります ボードレールが「重力のくびきからの解放」と呼んだヴァイオリン群の静かな響きが会場を満たします 飯守+東京フィルの演奏によるこの前奏曲の”浮遊感”は、言葉では言い尽くせない魅力があります

第1幕ではトランペットの勇ましい響きに導かれてドイツ国王ハインリヒが登場しますが、ドイツ出身のバス、アンドレアス・バウアーの声を聴いて、この人は凄い、と思いました この印象は最後まで変わらなかったのですが、他の歌手と一番違うところは息が長いことです

次に注目すべきシーンは宙づりの白鳥(のオブジェ)に乗ってローエングリンが登場する場面です。「ああ、こうやって登場したんだったな」と4年前を思い出しました。その前にエルザが登場していたのですが、あまりピンときませんでした パリ・コレクションのような奇抜な衣装に気をとられていたせいかもしれません

ローエングリンを歌ったクラウス・フロリアン・フォークトは、英雄的な歌声という本来の意味での「ヘルデン・テノール」とはちょっと違うような気がします むしろ、優しく包容力のある甘いテノールと言ったほうが相応しいかもしれません 高い声を張り上げるだけが「ヘルデン・テノール」ではないということを、この人は教えてくれます

「ヘルデン・テノール」で思い出すのは、数年前に新聞か雑誌かで見かけた「素晴らしいヘンデル・テノール」という記述です 「これって、ヘンデルのメサイアとかを歌うテノールのことかいな?」と疑問に思ったのですが、ヘンデルの曲だけを歌うテノールなんて何か変デル、と思い、多分「ヘルデン・テノール」と間違えたんだろうと思いました

 

          

 

気を取り直して。テラルムントを歌ったドイツ出身のバリトン、ユルゲン・リンは、最初に聴いた時から「何か変だな」と思いました。歌の専門的なことは門外漢なのでよく分かりませんが、他の歌手と比べて、どこかずれているように感じました 終演後のカーテンコールでは大きな拍手を受けていましたが、私は「どうかな?」と思っていました

エルザを歌った南ドイツ出身のマヌエラ・ウールは、第1幕で観たのと、第2幕で観たのとまったく別人のような印象を受けました それは、恐らく第1幕で彼女がまとっていた奇抜な衣装のせいかも知れません。第2幕以降が本当の彼女のような気がします 美しいソプラノです

夫テラルムントをそそのかしてエルザを陥れた妻オルトルートを歌ったフランクフルト生まれのメッゾソプラノ、ぺトラ・ラングは、ヒロインを食ってしまうほどの迫力がありました

エルザとオルトルートの関係で言えば、第1幕での演出で際立つシーンがありました テラルムントがエルザを告発した時、エルザがオルトルートの傍に近寄り 疑いの目を向けると、オルトルートは顔を背けて無視する場面です あの演出は、エルザは第1幕ですでに 自分を陥れた陰の人物はオルトルートではないか、と薄々感づいていることを意図しています  二人とも無言で 演技だけのシーンですが、細心の演出として強く印象に残りました

さて、この「ローエングリン」の大きな特徴は「合唱」が際立つオペラだということです その点では「さまよえるオランダ人」に似ています。日本を代表する合唱団はどこか?と問われたならば、私は躊躇なく「新国立劇場合唱団」と答えるでしょう 男声合唱も女声合唱も、もちろん混声合唱も素晴らしいと思います

最後に、この公演の最大の貢献者を挙げるとすれば、飯守泰次郎指揮東京フィルの演奏です 「前奏曲」、「第3幕への前奏曲」はもちろんのこと、全曲を通じてオーケストラ自身が歌っていました

午後5時に始まった公演は40分の休憩を2回挟み、カーテンコールが終わったのは午後10時を過ぎていました ワーグナーはこれだから・・・・・・絶対に遅刻できません 下手をすると1時間、外で待たされます。無限旋律ですから

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

新国立劇場オペラ研修所のオペラ試演会「ジャンニ・スキッキ」のチケットを買いました これは新国立劇場オペラ研修所の第17期~第19期の研修生が出演する試演会です 7月2日(土)と3日(日)の2回開かれますが、2日は新国立オペラの「夕鶴」の日程が入っているので3日の公演にしました チケットは3席しか残っていませんでした 会場の新国立劇場「小劇場」は初めてです。「ジャンニ・スキッキ」は初めて観るオペラなので楽しみです

 

          

          

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東京藝大音楽学部ホームカミングデイ第2回コンサートを聴く~ベートーベン「第7交響曲」他

2016年05月23日 07時28分42秒 | 日記

23日(月)。わが家に来てから603日目を迎え、リビングに入ろうかやめようか 廊下で寝そべって考えているモコタロです

 

          

                さっき廊下を歩いてたら少し滑ってしまった 廊下現象かな・・・・・

 

  閑話休題  

 

昨日、上野の東京藝大奏楽堂で「東京藝大音楽学部ホームカミングデイ第2回公演」を聴きました プログラムは①杵屋正邦「尺八合奏『第四風動』」、②ワーグナー「楽劇”ニュルンベルクのマイスタージンガー”より”第1幕への前奏曲”」、③ベートーヴェン「交響曲第7番イ長調」です 指揮は小泉和裕、管弦楽は東京藝大ホームカミングデイ・オーケストラです

 

          

 

全席自由ですが、早めに会場に着いたので1階10列13番、センターブロック左通路側を押さえられました 会場は5割くらい埋まっている感じでしょうか。最初に東京藝大の澤和樹学長がマイクを持って登場、挨拶しました

「東京藝大は前史から数えて来年130周年を迎えます 他の大学では大学卒業生を迎える”ホームカミングデイ”を以前から実施していますが、東京藝大では昨年初めて実施し、今年第2回目を迎えました 公益法人改革により大学への助成金が毎年1%ずつ削減されていく中で、大学としては自主企画コンサートを実施したりして努力しています 出来るだけ多くの人に藝大を知っていただき、サポーターになっていただきたいと思っています。今日は前半が尺八合奏、後半がオーケストラによる演奏です。最後までお楽しみください

ステージには白い屏風が立てられており、その前に椅子が10脚並べられています。尺八奏者の10人が登場し配置に着きます 演奏するのは杵屋正邦作曲による尺八合奏「第四風動」という曲です 杵屋正邦(1914-1996年)は長唄三味線の演奏家として活躍した後、西洋音楽の手法を取り入れた現代邦楽と呼ばれるジャンルの作曲家として1960年代の邦楽界をリードした一人ということです この「第四風動」は1981年5月に作曲した作品です

左から第一尺八3人、第二尺八3人、第三尺八4人という並びです。それぞれに女性奏者が一人ずつ入っています 私は複数の尺八が演奏するのを聴くのは今回が初めてなので、新鮮に聴きました 音楽にはこういう世界もあるのだな、と思いました

 

          

 

休憩後はオーケストラによる演奏です オケのメンバーがスタンバイします。澤和樹学長自らがコンマスを務めます。第1ヴァイオリンには東京フィルのコンマス・依田真宣、新日本フィルの山本のり子、第5回シュポア国際コンクール優勝者・川田知子を始め16人が、第2ヴァイオリンには新日本フィル首席・吉村知子を始め14人が、ヴィオラには藝大名誉教授・菅沼準二を始め12人が、チェロには新日本フィルの森澤泰を始め10人が、コントラバスには東京フィルの副主席・小笠原芽乃を始め8人が、管楽器ではフルートに新日本フィル首席・白尾彰、クラリネットには藝大教授・山本正治といった面々がスタンバイしています 総勢92人のフル・オーケストラですが、プロのオケでは新日本フィルの6人が一番多いようです。指揮者の小泉和裕氏も新日本フィルで指揮活動をしていた時期もあるので、藝大と新日本フィルは縁が深いようです

女性奏者は上が白、下が白の夏服スタイルで統一しています 小泉和裕が登場、1曲目のワーグナー「楽劇”ニュルンベルクのマイスタージンガー”」から「第1幕への前奏曲」が開始されます 藝大の現役とOBを包括した錚々たるメンバーから成るオーケストラの迫力ある音の波が迫ってきます 一人一人の演奏力が優れているので凄いエネルギーを感じます

2曲目はベートーヴェン「交響曲第7番イ長調」です この曲はかつてテレビ界で話題になった「のだめカンタービレ」のテーマ音楽になった曲ですね 音楽の3要素は「リズム、メロディー、ハーモニー」ですが、この曲はリズムを中心とする音楽です。ワーグナーが「舞踏の権化」と呼んだと言われるノリノリの曲です

小泉和裕の指揮で第1楽章が始まりますが、私は彼の足元に注目していました というのは、彼は指揮をしている間、指揮台に根が生えたように足を固定して まったく動かないのです この曲は4つの楽章から成りますが、楽章間も動きません。今回は第2楽章が終わって、ほんの少し足を動かしましたが、すぐに固定し、第3楽章に移りました 指揮している間、曲想に応じて顔と身体を左右に向けるわけですが、足はまったく動きません。私が知る限り、こういう指揮者は他にいません まるで「音楽に対する姿勢は一貫してブレない」という思いを、足を動かさないことで表しているかのようです

彼の指揮を見ていて思うのは、ベルリン・フィルを振ったヘルベルト・フォン・カラヤンの振り方に似ているな、といういことです 違うのは、カラヤンが目を瞑って振ったのに対し、小泉氏は目を開けて振っているということです 小泉氏は1973年のカラヤン国際指揮者コンクールに優勝し、ベルリン・フィルを振ってベルリン・デビューを果たしていることと関係があるのかな、と思ったりします ただ、小泉氏はカラヤンよりも振りが大きく、スケールの大きな音楽を目指します

この第7番の交響曲でも大きく腕を振り、管弦楽からダイナミックな音を引き出します ところで、私がこの曲で”聴きどころ”の一つとして耳を傾けるのは、第4楽章「アレグロ・コン・ブリオ」の終盤です。ヴァイオリン・セクションを中心に主メロディーが流れる中、コントラバスのうねりが聴こえてきます この部分がたまらなく好きです 聴きながら「コントラバス、頑張れ」と心の中で叫んでいます

初めてこの部分の良さを教えてくれたのはフランスの指揮者・アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルによるCDです それ以来、この曲の第4楽章でコントラバスが聴こえてこない演奏は評価しないようになりました

その点、今回の小泉+藝大オケの演奏はダイナミックで、コントラバスのうねりも十分に聴こえる理想に近いパフォーマンスでした 私はこれまで、小泉和裕氏の指揮はあまり評価していなかったのですが、今回のベートーヴェンの第7交響曲の演奏に関しては高く評価します 速めのテンポも好ましく、藝大の総力をかけた演奏を頼もしく仕切りました 

会場の客の入りがイマイチだったのが非常に残念です

 

          

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ダンカン・ワード+新日本フィルでモーツアルト「交響曲第38番K.504」他を聴く~クラシックへの扉

2016年05月22日 07時57分12秒 | 日記

22日(日)。わが家に来てから602日目を迎え、リビングで家族の動向を見守るモコタロです

 

          

           部屋をもう少し片づけた方がいいんじゃないっすか? 部屋がゴミ箱みたいだし

 

  閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊の「消息欄」を見て驚きました

「柳屋喜多八さん(やなぎや・きたはち=本名 林寛史(はやし・ひろふみ) 17日、がんで死去。66歳。葬儀は近親者で行った。77年に柳家小三治に入門、93年に新打ちに昇進した。けだるい出だしから、徐々に熱演に引き込む芸風で人気を博した」

今からもう10年以上前になります。自宅の近くにE軒という 知る人ぞ知るラーメン屋さんがあり、喜多八師匠はそこの常連さんでした M音大を出た後、音楽の友社で「週刊FM」の取材をやり、脱サラしてラーメン屋を始めたKマスターが大の落語好きで、そんな関係でお店に出入りするようになったのだと思います 師匠は夜遅く必ずチャリンコでお店にやってきたようです。その頃、私は某新聞関係団体に勤めていましたが、そこに大の落語好きのNさんがいて、とくに喜多八師匠の大ファンだったことから、ある日Kマスターがわれわれを師匠に引き合わせてくれることになったのです 私とNさんが師匠を挟む形でカウンターに座ってお酒を飲みながら談笑しましたが、私がプロを相手に次々とシャレを飛ばすものですから、呆れた師匠が「シャレが面白くなかったら 罰金として その都度ここに100円を積むこと」と宣言。その後も私は懲りずにシャレを連発しましたが、師匠には「馬の耳に念仏」でクスリとも笑いません 「はい、100円」と宣告するのみです。その結果、カウンターには100円玉の円柱が出来ました それは師匠の飲み代の一部に加えられましたが、私は これも何かのご円だと思って喜んで負担させていただきました

その時に師匠が墨を擦って筆で書いてくれたのが下の色紙です 私の名前は伏せてあります

 

          

 

〇〇様 

ほどゝ 

柳家喜多八

と書かれています。「ほどゝ」の意味が不明だったので 師匠に尋ねると、「ダジャレは ほどほどに」という答えが返ってきました

その後、Nさんに連れられて池袋演芸場に喜多八師匠の落語を聞きに行きました  上の記事にもあるように、師匠はやる気なさそうに ちんたら出てきて、やる気なさそうに話し始めました  落語のネタは忘れましたが、なぜか、師匠が客席の私の方を見る目が怖くて、師匠を直視できませんでした。落語を聞いて怖い思いをするとは思ってもみませんでした

師匠、私にはまだ「賽の河原で石を積む」のは早いので、これからも100円玉を積みたいと思います ただ 積んだお金を使ってくれる人がいないのは寂しい限りです お話しできたのは1度だけのご縁でしたが、楽しいひと時をありがとうございました。柳家喜多八師匠のご冥福をお祈りいたします

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、錦糸町のすみだトリフォニーホールで新日本フィル「新クラシックへの扉 正統派ドイツ・オーストリア音楽の魅力」を聴きました プログラムは①モーツアルト「交響曲第38番ニ長調”プラハ”K.504」、②バッハ「ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052」、③シューマン「交響曲第3番変ホ長調”ライン”」の3曲です ②のピアノ独奏はフランチェスコ・トリスターノ、指揮はダンカン・ワードです

 

          

 

自席は1階9列25番、センターブロック右から2つ目です。会場は6割方入っているでしょうか この公演は金曜・土曜と同一プログラムが組まれており、金曜の方が安い(500円分)料金設定になっているので、たいていの場合、金曜の公演が満席です 土曜の6割は健闘していると言っても良いのではないかと思います

オケのメンバーが入場し配置に着きます。コンマスはチェ・ムンス。弦楽器は、左から奥にコントラバス、前に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴォオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります 指揮者のダンカン・ワードが指揮棒なしで登場します。この人はイギリス出身で、ベルリン・フィル常任指揮者サイモン・ラトルの推薦により2012年からベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーのコンダクティング・スカラーとなり、現在はラトルのアシスタントとしてオペラの仕事にも取り組んでいるとのことです

1曲目のモーツアルト「交響曲第38番ニ長調K.504」は、1787年1月にプラハを訪問した時に「フィガロの結婚」とともに演奏したことから、「プラハ」の愛称で呼ばれています

この曲は交響曲としては珍しく3つの楽章から成ります。ダンカンの合図で第1楽章冒頭の序奏が力強く開始されます この部分を聴いた時、この日のコンサートはうまくいくに違いないという確信を持ちました 前から9列目という位置もあるかも知れませんが、オケが良く鳴っているのが分かります。若き指揮者による生気溢れる演奏が続きます

オケを見渡してみると、クラリネットの重松希巳江さんの姿が見えないので、おかしいな?と思ったのですが、この交響曲ではクラリネットが使用されないことに気が付きました

第2楽章では流麗な音楽が、第3楽章では再び溌剌とした音楽が展開します それにしても、ダンカンという指揮者はよくオケを歌わせます 演奏する方も気持ちよく乗っているように見えます。小気味の良いテンポで聴くモーツアルトは清々しい気持ちになります

演奏曲目が古典派音楽からバロック音楽に変わることからオケ全体の規模が縮小し弦楽奏者だけが残ります。そして舞台右袖からグランド・ピアノがセンターに運ばれます 2曲目はバッハ「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」です この曲は もともとヴァイオリン協奏曲として作曲されたものをチェンバロ用に編曲したもので、今回はピアノで演奏するものです

ピアノ・ソロを弾くフランチェスコ・トリスターノは1981年 ルクセンブルク生まれで、ルクセンブルク音楽院等を経て1998年ジュリアード音楽院に入学し修士課程を修了しています 

痩身でスラッとしたトリスターノが登場しピアノに向かいます。ピアノをよく見ると「YAMAHA」の文字が見えます。そういえば、トリスターノはヤマハのピアノを使用するという記事をどこかで見たことがあるのを思い出しました

この曲は全3楽章形式で「急・緩、急」というイタリア風様式です。ダンカンの指揮で第1楽章が開始されます かなり速いテンポでグングン進みます。トリスターノのピアノはまるでジャズを聴いているようです 時折、背中に位置するコンマスのチェの方を振り返り 間合いを取りながら演奏します ゆったりと歌う第2楽章を経て再び速いテンポの第3楽章に移ります。ピアノ独奏で演奏する部分がありますが、トリスターノの独壇場です。まるでジャズのインプロビゼーション(即興演奏)のようです

演奏後 会場の拍手に、両手を合わせて深々と頭を下げます。外見は一見 現代のやんちゃな若者風ですが、礼儀正しい青年のようです 会場いっぱいの拍手とブラボーにトリスターノはアンコールに応えました 最初はバッハの曲のようでしたが、途中からまったく異なる曲想になり、ピアノの最高音と再低音が交互に奏でられます。かと思うと、今度はミニマル・ミュージックのような定型的なリズムが繰り返し奏でられ、それがラヴェルの「ボレロ」のように次第に大きくなっていき最後に爆発します 圧倒的な爆演で会場から熱狂的な拍手を受けましたが、後でロビーの掲示で確かめたら「バッハ『メヌエット ニ短調』、トリスターノ『ラ・フランチェスカーナ』」とありました。バッハと自作を続けて演奏したわけです 「フランチェスカーナ」は自分の名前「フランチェスコ」をもじったのでしょうか

 

          

 

休憩後はシューマン「交響曲第3番変ホ長調”ライン”」です。オケの規模が拡大されフル・オーケストラ態勢となります

シューマンは1830年代はライプツィヒとドレスデンで活躍していましたが、1849年5月のドレスデン革命が引き金となって1850年5月にドイツ西部のデュッセルドルフに引っ越します この交響曲第3番は転居した年の11月から12月にかけて作曲されました 交響曲では珍しく5楽章から成ります

ダンカンは今度はタクトを持って登場します。第1楽章冒頭の雄大さはどうでしょう 明るい未来が遠くまで見通せるような希望に満ちた音楽です 明るい曲想は最後の楽章まで続きますが、ダンカンは実によくオケを鳴らします 管楽器も弦楽器も気持ちよさそうに演奏しています

まさか、と思ったのですが、アンコールがありました 聴いている時は民族的な曲であることは感じましたが、何の曲か分かりませんでした 後でロビーの掲示で確かめたところ「バルトーク『ルーマニア民族舞曲』」とありました。力強い演奏に大きな拍手が送られました ダンカンはオケからも拍手を受けていたので、客員指揮者としてオケのメンバーからも歓迎されたのでしょう まだ若いので、これからの活躍が楽しみな指揮者です

 

          

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