30日(土).今まで黙ってましたけど,今日で9月も終わりです ということで,わが家に来てから今日で1095日目を迎え,新党「希望の党」代表の小池百合子・東京都知事と民進党の前原誠司代表が29日朝,東京都内のホテルで会談し,公認候補の調整と政策づくりを急ぐことを確認したが,小池氏は会談後,記者団に「全員を受け入れることはさらさらない」と述べ,民進から受け入れる候補者は選別する考えを鮮明にした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
小池ファースト 前原セカンド 長嶋サード 安倍 大陸間弾道 大ファール ってか
昨日,夕食に「マグロの漬け丼」「生野菜とタコのサラダ」「アサリの味噌汁」を作りました 「漬け丼」のたれは「醤油3:みりん2:日本酒1」の割合です
昨日,すみだトリフォニーホールで新日本フィルの第9回ルビー定期演奏会(アフタヌーン・コンサート・シリーズ)を聴きました イギリス音楽に造詣の深い尾高忠明氏らしい選曲で,①グレイス・ウィリアムズ「シースケッチ」,②エルガー「チェロ協奏曲ホ短調」,③ウォルトン「交響曲第1番変ロ長調」というプログラムです ②のチェロ独奏は山崎伸子さんです
新シーズン初めての公演,新しい座席です 1階センターブロックは以前と同じですが,左サイドから右サイドに移りました.左サイドは通路側席がなかったからです
弦楽奏者のメンバーが配置に着きます.コンマスはチェ・ムンス氏.個人的に応援している第2ヴァイオリンの松崎千鶴さんを確認 第1ヴァイオリンの奥なので自席からは見えにくいのが残念です
1曲目はグレイス・ウィリアムズ(1906-77)の「シースケッチ」です 彼女は南ウェールズのバリーという沿岸リゾート・タウンで生まれ,ロンドンの王立音楽大学で有名なレイフ・ヴォーン・ウィリアムズに師事しました この曲は,故郷のバリーの街と海への故郷愛を込めた曲で,①強風,②航海の歌,③海峡の魔女達,④砕ける波,⑤夏の穏やかな波の5曲から成ります
BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団桂冠指揮者も務める尾高忠明氏が指揮台に上がり,さっそく演奏に入ります 曲はそれぞれの標題を描写するような音楽で,まさに音による海のスケッチです 印象的だったのは第3曲「海峡の魔女達」におけるミステリアスな音楽とヴィオラ首席・篠崎友美さんのソロです また,第5曲「夏の穏やかな波」はそのまま映画音楽として使えるのではないか,と思うほど親しみやすいメロディーの曲でした
管・打楽奏者が加わりフル・オーケストラ態勢になります 2曲目はエルガー(1857-1934)の「チェロ協奏曲ホ短調」です 4つの楽章から成るこの曲は1919年8月に完成しました
尾高忠明氏からソリストの指名を受けた山崎伸子さんが指揮台脇のチェロ演奏台にスタンバイします 重厚感のある独奏チェロによって特徴的なモティーフが演奏されます
ン十年前に新宿の武蔵野館で英国の名チェリスト,ジャクリーヌ・デュプレがこの曲を演奏するドキュメンタリー映画を観た時の 彼女の姿が強烈に印象に残っています その演奏は全身全霊をかけた演奏と言っても良いほどの集中力に満ちた厳しいものでした それが私のこの曲の”基準”となってしまっているので,他の演奏者で同じ曲を聴いても,それほど感銘を受けることはないのです 正直に言うと,それは鑑賞する上での妨げになっているかも知れません
山崎さんは,アンコールに巨匠パブロ・カザルスによるカタロニア民謡「鳥の歌」をしみじみと演奏しました この曲は確か,カザルスが国連の会議場で演奏し,「鳥はピース,ピースと飛んでいく」と語っていたのを覚えています
プログラム後半はウィリアム・ウォルトン(1902-83)の「交響曲第1番変ロ長調」です 4つの楽章から成るこの曲は1935年11月に完成しました.まだ1度も聴いたことのない約45分の交響曲を予習せずに聴かざるを得なかったのは大失態です 知っている曲なら,いわゆる”聴きどころ”がある程度分かるので,それなりにリラックスしながら聴けるのですが,初めて聴く長い曲は最初から最後まで緊張を強いられます そもそも,個人的なことを言えば,普段イギリスの音楽を聴く習慣がないので,どれほど素晴らしい曲でもとても疲れます
そうは言うものの,流れてくる音楽を何とか受け止めようと努めることになります 演奏を聴いていて,この曲のポイントの一つはオーボエの多用ではないかと思いました その点,首席・古部賢一氏の演奏は素晴らしかったです もう一つのポイントは前の3つの楽章が単調で書かれているのに対して第4楽章だけは長調で書かれている,したがって,明るいフィナーレを迎えるということです 特に終盤のティンパニの連打による激しい音楽は,「もうこれで終わりか?」と思いきや,またまた連打が続き,という具合に終結部が繰り返され,まるでベートーヴェンの第8交響曲やドヴォルザークの第8交響曲のフィナーレみたいだな,と思いました
尾高+新日本フィルはアンコールにエルガーの「エニグマ変奏曲」から第9変奏「ニムロッド」を,懐かしむように演奏し,聴衆に深い感動を与えました
新日本フィルのプログラム冊子9,10月号に,音楽監督・上岡敏之氏のインタビューが載っています その中で上岡氏は「アンコール」について次のように語っています
「演奏する側としては,アンコールを含めて,一つのコンセプトでプログラミングしています 本プロに入れたかったものをアンコールで補ったり,今オーケストラに必要と思われるものを入れてみたり,その時々でアンコールの意味合いが違いますね・・・・当初は,アンコールを続けていくつもりはなかったのですが,喜んでいただけているのでしたら嬉しいですね」
オーケストラの定期演奏会というのは,どのオケでも「アンコールは演奏しない」のが原則で,定期公演以外のコンサート(定期会員でない聴衆も多く聴きにくる)では,新規会員獲得のため,サービスでアンコールを演奏するというのが一般的だと思います その点,上岡氏の見解は明快です 「当初はサービスでアンコールをやってみたが,好評だったので続けることにした」.ただし「コンサートでアンコールを演奏する時は,アンコール曲を含めてプログラミングをする」ということです.これならアンコールに意味があります しかし,これはあくまでもオーケストラのアンコールについて言えることだと思います
たとえば,ピアニストが正規プログラムでベートーヴェンのソナタを演奏した後に,アンコールでリストの超絶技巧曲を演奏することはよくあることです.これは,そのソリストが「私の演奏技術はベートーヴェンでは物足りない.リストの超絶技巧曲だって弾けるんですよ」と聴衆にアピールする意味を持っていると思います さらに,そのソリストが近々リサイタルを開く予定がある場合は,ほとんど捨てられてしまうチラシに代わる集客手段としてアンコールを演奏することは十分考えられます
ただし,同じピアニストでも,ロシアの奇才アファナシエフが「ピアニストは語る~ヴァレリー・アファナシエフ」(講談社現代新書)で語っているように,「俺はアンコールを聴いて欲しいために演奏しているのではない 正規プログラムの演奏を忘れないで欲しい」という”正統派”のピアニストもいるでしょう
新日本フィル会員継続特典CDをいただきました 内容は①モーツアルト「ファゴット協奏曲変ロ長調K.191」,②同「交響曲第41番ハ長調”ジュピター”K.551」より第4楽章で,①のファゴット独奏は首席・河村幹子,指揮は音楽監督・上岡敏之.2017年3月18日トリフォニーシリーズ定期演奏会ライブ録音です 私もその時会場にいました どのオーケストラも会員の獲得・維持のための経営努力が大変ですね