人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

松本宗利音 ✕ 成田達輝 ✕ 東京交響楽団でメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」、シューマン「交響曲第3番 ”ライン”」、ブラームス「悲劇的序曲」を聴く

2024年02月29日 00時03分50秒 | 日記

29日(木)。月末を迎えたので、2月の3つの目標の実績をご報告します ①クラシック・コンサート12回(今夜の分を含む)、②映画鑑賞=3本、③読書=9冊でした ①については腰痛のため5公演を諦め、②についても腰痛悪化を防ぐため自粛しました そのかわり③が通常の月より倍増しました これはコロナ禍真っ最中の時期以来です

ということで、わが家に来てから今日で3333日目を迎え、2022年のノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体「メモリアル」の幹部だったオレグ・オルロフ氏に対し、モスクワの裁判所は27日、ロシア軍の信用を失墜させる情報を繰り返し発信したとして、禁錮2年6か月を言い渡した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアでは 政府も議会も裁判所も すべてプーチンという名前が付いているからねぇ

 

         

 

昨日、夕食に「タラのアクアパッツア」「生野菜とアボカドのサラダ」「豚汁」を作り、鯵の刺身と一緒にいただきました 和食はいいですね

 

     

 

         

 

昨夜、東京芸術劇場コンサートホールで2024都民芸術フェスティバル参加公演「東京交響楽団」のコンサートを聴きました プログラムは①ブラームス「悲劇的序曲 作品81」、②メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」、③シューマン「交響曲第3番 変ホ長調 作品97 ”ライン”」です 演奏は②のヴァイオリン独奏=成田達輝、指揮=松本宗利音です

指揮をとる松本宗利音(まつもと  しゅーりひと)は1993年生まれ。東京藝大卒。指揮を尾高忠明、高関健らに師事。2019年4月から2022年3月まで札幌交響楽団指揮者を務めた それにしても名前が凄い ドイツの巨匠カール・シューリヒトの名前を借りて命名してしまうのですから大胆素敵です

 

     

 

自席は1階0列23番、センターブロック右から2つ目です

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東響の並び。コンマスは小林壱成です

1曲目はブラームス「悲劇的序曲 作品81」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833-1897)が1880年に避暑地バート=イシュルで作曲、同年12月26日にウィーンで初演されました 序曲と言ってもオペラの序曲ではなく、単独で演奏される「演奏会用序曲」です

松本の指揮で演奏に入りますが、溌溂とした指揮ぶりで東響の面々から推進力に満ちた演奏を引き出しました   管楽器も弦楽器も良く鳴っていました

2曲目はメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)がライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンマス、フェルディナント・ダーヴィトのために1844年に作曲、1845年にダーヴィトのヴァイオリン独奏、ニルス・ゲーゼの指揮によりライプツィヒで初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト・アパッショナート」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグレット・ノン・トロッポ ~ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成りますが、続けて演奏されます

ヴァイオリン独奏の成田達輝は2010年のロン=ティボー国際コンクールで第2位、2013年の仙台国際音楽コンクールで第2位入賞    最近では室内楽にも力を入れています

松本の指揮により第1楽章が開始され、すぐに成田のヴァイオリンが加わり、快速テンポで演奏が進みます    この楽章に限らず、成田の演奏はピリオド奏法(古楽奏法)を意識しているように思われます    ヴィブラートこそ効かせていますが、スタイルはメリハリをつけて鋭角的に演奏します カデンツァは見事でした

それにしても、と思うのは「フェスティバル」とか「音楽祭」とかお祭り的なコンサートや、海外オケの来日公演になると、どうして猫も杓子も「メンコン」になるのでしょうか 個人的にはメンデルスゾーンは大好きだし、「メンコン」は名曲中の名曲だと思いますが、あまりにも「人寄せパンダ」的に選曲されていないだろうか 例えばドヴォルザークの「ヴァイオリン協奏曲」はあまり演奏されませんが、名曲中の名曲だと思います もっと演奏されても良いのではないか 今回のプログラムについては、ブラームス、メンデルスゾーン、シューマンという結びつきの強い3人の作品を選んだという趣旨は理解していますが

公演の話に戻ります 会場いっぱいの拍手に成田は、バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006」から第3曲「ガボットとロンド」を、自由自在に、ほとんどロケンロールで演奏し再び大きな拍手を浴びました

 

     

 

プログラム後半はシューマン「交響曲第3番 変ホ長調 作品97 ”ライン”」です この曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が1850年に作曲、1851年2月6日にデュッセルドルフでシューマン自身の指揮で初演されました 第1楽章「生き生きと」、第2楽章「スケルツォ:きわめて穏やかに」、第3楽章「速くなく」、第4楽章「荘重に」、第5楽章「生き生きと」の5楽章から成ります この曲は「ライン」という愛称が付いていますが、柴辻純子さんのプログラムノートによると、「家族とともにライン地方を旅行し、ライン川の畔にそびえ立つケルンの大聖堂の壮麗さに圧倒されたことが作曲のきっかけになったと伝えられている」とのことです

松本の指揮で第1楽章がインパクトのある総奏で開始されます ライン地方の雄大な風景を表しているかのようです 上間善之率いるホルン・セクションの演奏が素晴らしい 第2楽章では東京シティ・フィルから移籍してすっかり東響に馴染んだ感のある竹山愛のフルート、産休・育休中の荒絵理子に代わり首席代行を務める最上峰行のオーボエが冴えています 第4楽章ではホルンとトロンボーンによる深みのある響きがケルン大聖堂の威容を表しているようで素晴らしい 私は仕事の一環で1991年1月に新聞社の人たちとケルン大聖堂を訪れたことがありますが、外見も内部も威厳のある姿が印象に残っています 第5楽章はオーケストラの総力を挙げての渾身の演奏で、輝くフィナーレを飾りました

満場の拍手に松本 ✕ 東響はシューベルトの劇付随音楽「ロザムンデ」から「バレエ音楽 第2番」をアンコールに演奏、再び大きな拍手に包まれコンサートを締めくくりました

松本宗利音は若さ溢れる指揮ぶりで、溌溂とした音楽づくりが素晴らしかったです これからも名前負けしないように頑張ってほしいと思います

 

     

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石崎真弥奈 ✕ 秋山紗穂 ✕ 日本フィルでグリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調」、チャイコフスキー「交響曲第6番 ”悲愴”」を聴く ~ 2024都民芸術フェスティバル参加公演

2024年02月28日 00時01分01秒 | 日記

28日(水)。わが家に来てから今日で3332日目を迎え、ハンガリー議会は26日、スウェーデンの北大西洋条約機構(NATO)加盟を賛成多数で可決し、全加盟国の批准手続きが完了したが、スウェーデンのウルフ・クリステンション首相は、約200年続けた中立・非同盟政策を放棄してNATOに加盟することについて、「平和と自由のために協力する多数の民主主義国家の中に新たな居場所を見つけた」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアがウクライナに侵攻しなければNATOの拡大はなかった  プーチンの自業自得

 

         

 

昨日は北風が冷たかったので、夕食は「味噌鍋」にしました 材料は豚バラ肉、鶏肉団子、キャベツ、ニラ、モヤシ、シメジ、人参、長ネギです 〆はラーメンにしました

 

     

     

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで2024都民芸術フェスティバル参加公演「日本フィル」のコンサートを聴きました プログラムは①グリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」、②チャイコフスキー「交響曲第6番 ロ短調 作品74”悲愴”」です 演奏は①のピアノ独奏=秋山紗穂、指揮=石崎真弥奈です

指揮の石崎真弥奈は東京音大・大学院で指揮を学ぶ。2012年「東京国際音楽コンクール(指揮)」で入選、同時に聴衆賞を受賞 2017年「ニーノ・ロータ国際指揮者コンクール」でニーノ・ロータ賞(優勝)及び聴衆賞を受賞

 

     

 

オケは10型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンマスは木野雅之です 日本フィルは定期会員ではなく、演奏を聴くのはこの「都民芸術フェスティバル」と「フェスタサマーミューザ」の時ぐらいなので、残念ながらメンバーの顔と名前がほとんど分かりません

1曲目はグリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」です この曲はエドワード・グリーグ(1843-1907)が1868年に作曲、1869年にコペンハーゲンで初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト・モデラート」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート ~ クアジ・プレスト ~ アンダンテ・マエストーソ」の3楽章から成ります

ピアノ独奏の秋山紗穂は東京藝大大学院、ベルリン芸術大学大学院、名古屋芸術大学大学院で研鑽を積む。2019年「東京音楽コンクール・ピアノ部門」で第1位及び聴衆賞を受賞 これまでハンガリー・ブタペスト響、国内の主要オーケストラと共演

赤の勝負ドレスに身を包まれた秋山紗穂がピアノに向かいます 小柄な石崎の指揮で第1楽章がティンパニのロールによって開始され、ソリストのピアノが力強く入ってきます 秋山はロマン溢れる演奏を繰り広げます ホルンが素晴らしい演奏で華を添えます 終盤のカデンツァはドラマティックで聴きごたえがありました 第2楽章では独奏ピアノの詩情豊かな美しい弱音が会場に響き渡りました 第3楽章に入ると、秋山は石崎 ✕ 日本フィルの万全のサポートのもと、スケールの大きな演奏を繰り広げ、聴衆を魅了しました

満場の拍手に秋山は、グリーグ「抒情小曲集」から「アリエッタ」をロマンティックに演奏、再び大きな拍手に包まれました

 

     

 

プログラム後半はチャイコフスキー「交響曲第6番 ロ短調 作品74”悲愴”」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1893年に作曲、同年10月28日にサンクトペテルブルクでチャイコフスキー自身の指揮により初演されました 第1楽章「アダージョ ~ アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アレグロ・コン・グラツィア」、第3楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アダージョ・ラメントーソ」の4楽章から成ります

オケは12型に拡大します

石崎の指揮で第1楽章がファゴットの絶望的なまでの暗い音楽によって開始されます この楽章は動きが激しく、音楽がうねりにうねります しかし、石崎は感情に流されることなく冷静に指揮をとります きびきびした指揮ぶりは好感が持てます 第2楽章は実質的にワルツですが、音楽の流れがとてもいいと思いました 第3楽章は行進曲ですが、ここでもイケイケドンドンという姿勢ではなく、あくまでもクールに演奏を進めます この楽章は最後の末尾が大音響で終わるので、思わず拍手がくるケースも少なくないのですが、石崎はタクトを下ろさず、アタッカで第4楽章に移行することで拍手による中断を回避しました その第4楽章の「ラメントーソ」とは「嘆くように」という意味です 他の作曲家のどんな作品にもこの指示記号はないと思います。ほとんど「慟哭の音楽」です チャイコフスキーは初演日の9日後に53歳の若さで亡くなっていますが、まるで自らの死を予言したかのような「ラメントーソ」です 最後は音楽が消え入るように終わり、指揮者のタクトが静かに下ろされると、会場いっぱいの拍手がステージに押し寄せました

満場の拍手に石崎 ✕ 日本フィルは、弦楽セクションによりチャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」をソフトに演奏、大きな拍手の中 コンサートを締めくくりました

この日のコンサートは、石崎真弥奈の終始クールな指揮ぶりが印象に残りました

 

     

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森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる ~ 12の批判的考察」を読む ~ 作曲も演奏もせず批評だけする音楽評論家を酷評

2024年02月27日 00時02分24秒 | 日記

27日(火)。昨日は、早稲田松竹で黒澤明監督「乱」と北野武監督「首」の2本立てを観たかったのですが、両方で5時間もかかり、腰痛には最悪の”長時間座りっぱなし”となるし、また、今日から3日連続コンサートが控えていることもあり、諦めて読書をして過ごしました

朝、整骨院での治療のあと、池袋で買い物をしてバスで帰ってきたのですが、時刻表の時間より遅れていたのか、運転手さんは凄いスピードを出していました さすがは都バスだと思いました 都バス、飛ばす・・・おあとがよろしいようで(よろしくない!)

ということで、わが家に来てから今日で3331日目を迎え、自民党派閥による裏金問題を受け、岸田文雄首相は26日の衆院予算委員会の集中審議で、「SNSで『確定申告ボイコット』というハッシュタグが付けられた投稿が多く見られることは承知している」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ボイコットしたら延滞税取られるから 納税してからモノ申した方が方がいいと思う

 

         

 

昨日、夕食に「茄子と鶏の炒めもの」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 「茄子と~」は豆板醤がピリッと利いて美味しかったです

 

     

 

         

 

森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる~12の批判的考察」(光文社新書)を読み終わりました 森本恭正(もりもと ゆきまさ)は1953年東京都生まれ。作曲家・指揮者。東京藝大中退。桐朋学園音楽大学大学院、南カリフォルニア大学大学院、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。2007年・08年にルトスワフスキ国際作曲コンクールで審査員を務める。指揮者としてはオペラを含むバロックから現代までの作品を手がける

 

     

 

本書は次の各章から構成されています

はじめに

批判1「日本のクラシック音楽受容の躓き」

批判2「西洋音楽と日本音楽の隔たり」

批判3「邦楽のルーツ」

批判4「なぜ行進は左足から始まるのか」

批判5「西洋音楽と暴力」

批判6「バロック音楽が変えたもの」

批判7「誰もが吉田秀和を讃えている」

批判8「楽譜から見落とされる音」

批判9「歌の翼」

批判10「音楽を運ぶ」

批判11「現代日本の音楽状況」

批判12「創(キズ)を造る行為」

批判補遺ーあとがきにかえて

本書を読み終わって思うのは、標題のサブタイトル「12の批判的考察」は、必ずしもすべてが批判的に書かれているのではなく、私のような素人に音楽の基礎的な知識をレクチャーするような内容もかなりあるということです その意味では勉強になります

日本のクラシック音楽について明確に批判しているのは次のような事項です

①昔から現在に至るまで、全国の小学校では「3拍子は1拍目が強い」と教えてきたが、それは間違いで、「3拍めにアクセントがくる」のが正しい

②ヨーロッパにおける音楽の新即物主義は「楽譜に書かれた音符は正確に、忠実に再現すること」が要求されるが、日本においては、「ひたすら楽譜に忠実に、いわばメトロノームが内蔵されているかのように演奏する」ように考えられ、それが現在も受け継がれている 例えばフランスのイヴ・ナットのピアノ演奏は、正確なリズムと拍節を刻みながらもフレーズの内では微妙に何かを語るように揺れ、音楽が溢れでている

③日本におけるピアノの権威・井口基成の校訂による「世界音楽全集ピアノ篇」が1950年から1972年まで出版されたが、この間もその後も、誰も楽譜を検証してこなかった

(これについては、極めて専門的で私にはよく分かりませんでした)

④評論家・吉田秀和は滑稽な音楽批評を書いていたこともあった

これに関連して、筆者は次のように書いています

「LPやCDで膨大な数のクラシック音楽を聴き、その経験を基にあたかもクラシック音楽を深く理解しているかのような錯覚に陥り、その後評論を始めた音楽評論家は多い、というよりほとんどがその類ではないだろうか 彼らが、モーツアルトのピアノソナタは、とかベートーヴェンのカルテットは、などと言いながら作品について言及するときは大概、その手元にあるのはLPやCDで、楽譜の存在は希薄だ したがって、彼らの認識にあるのは、誰かが演奏した、つまり優秀な演奏家の解釈を通した、モーツアルトでありベートーヴェンなのだ いきおいそうした評論家の書く文章には浅薄さがつきまとう。譜面を読んでいないか、読んだとしても正確に読めていないので、独りよがりな、誤謬に満ちた『感想』が頻発するのだ 吉田秀和の全集本にも、和声進行の異なる『月光ソナタ』と『第九』の主題動機が同じだとか、『運命』と『交響曲第4番』のそれぞれ第1楽章冒頭部分の発想が同じだとか、疑問の余地が多すぎる

「譜面を作曲家の唯一の伝達手段として、音楽を読んでいるとどうなるか。まず、現在まで歴史のフィルターを潜りぬけてきた作曲家の作品に、駄作はないことに気が付く したがって、作品に対する好き嫌いがなくなる

この点については、私はプロの音楽評論家ではなく、単なる音楽愛好家に過ぎないので、ロクに楽譜も読めないし音楽に関する知識も表現力もないけれど、演奏を聴いた感想をブログに書くことくらいは許されるのかな、と思っています

著者は、カナダで新聞の音楽批評を書き続けてきた人物から「北米の音楽批評家の多くはジャーナリスト出身で音楽の専門家ではない つまり、ブログで毎日のようにコンサートの感想を綴っているアマチュアの人たちと、聴く専門家という意味でいえば、大差ない。ブログは無料で、こちらは有料だ だからクラシックの批評記事は減っている」という話を聞いた、というエピソードを紹介しています 日本では、音楽評論家の最大の活躍の場「レコード芸術」が廃刊になってしまったので、淘汰されているような気もしますが、まだ「音楽の友」がありましたね

⑤ウォルフガングの父レオポルト・モーツアルトが出版した「基礎的ヴァイオリン奏法」は300年近く前に書かれたにも関わらず、現代のわれわれが読んでも示唆に富んだ指摘に満ちている モーツアルトを弾こうとするなら、弦楽器奏者以外にとっても必読の書といって過言ではない 残念なことに、日本の音楽大学で「基礎的ヴァイオリン奏法」をシラバスに加えているという話は聞いたことがない 同書を理解すれば、例えばピアニストたちの装飾音に対するアプローチが間違いなく変わると思う

⑥欧米から見ると、日本の音楽大学は、東京藝術大学も 桐朋学園音楽大学も 東京音楽大学もベスト100に入っていない    最大の理由は国際交流の欠如である

イギリス THE TIMES の「世界大学ランキング」のうち音楽大学、もしくは総合大学の音楽学部の1位から100位までの主要大学ランキングのベスト10のうち主要7校は以下の通り

第1位:英国王立音楽大学

第2位:パリコンセルヴァトワール

第4位:ウィーン国立音楽演劇大学

第5位:ジュリアードスクール

第8位:カーティス音楽院

第9位:ノルウェイアカデミー

第10位:チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院

日本の音楽大学や総合大学の音楽学部が100位以内に1校も入っていない最大の理由として著者が挙げているのは、国際交流の欠如です 著者は次のように述べています

「日本の音楽大学に外国籍の教授、講師、学生が何割いるだろう? ランキングに挙がったアジアの大学でのレッスンは、すべて英仏独伊のいずれかの言語で受講できる 日本語でいくら考えてもヨーロッパの音楽はわからない ドイツにいるドイツ人が ドイツ人からドイツ語で長唄を習おうとして、長唄の神髄がわかると、本気で思いますか? ということだ

確かに だからお金に余裕のある家庭の学生は、みんな欧米諸国の音楽大学や音楽学校に留学してしまうのね 小澤征爾が若いうちに単身ヨーロッパに乗り込んで現地で音楽修行をして、最終的に世界の音楽界のトップに到達したのも同じことなのでしょう

著者は「批判補遺ーあとがきにかえて」の中で、自らが作曲もし、指揮もする立ち位置を踏まえて次のように述べています

「批評のみで、自分では作曲作品もなく、演奏もしない、つまり、自らがどの程度の音楽を持っているのかを公開していない音楽評論家との、明確な差別化を図っているつもりだ 一方、言うまでもなく、例えば、文芸評論をするのに作家である必要はまったくない。だが、少なくとも評論対象とされる言語を読んだり書いたりする能力なしに、かかる言語によって書かれた作品の評論をするのには無理がある 文芸評論をする者は、自らが書いた文章がどれほどのものか、読者はもとより、作家たちからの厳しい視線に晒されている 音楽評論において、評される対象は音楽である。前述の『言語』を『音楽』に置き換えて読み直してほしい。筆者の言わんとするところは自ずから理解していただけるだろう

著者が一番言いたかったのはこのことだったのではないか、と思います 私なりに翻訳すれば、「作曲するわけでもなく、演奏できるわけでもなく、楽譜が読めるかどうかも含めて音楽に対する知識や理解力がどれほどあるのか怪しい者が『音楽評論家』を名乗るのはおこがましいし、その資格がない」ということになるでしょう 著者が繰り返し述べているところをみると、そういう人たちに対し相当な怒りを感じていることが分かります

最後に、読んで非常に参考になったことを一つだけご紹介します それは「批判6『バロック音楽が変えたもの』」です 著者は「中世音楽」と「バロック音楽」の相違点を次のように解説しています

「ヨーロッパにおいて1600年頃に始まったバロック音楽の、何がそれまでの中世音楽と変わったのかを整理してみる

①ときにはパートごとに拍子の異なる音楽から、全パート同じ拍子で進む音楽の確立。

②8つもあった教会旋法の音楽から、長調と短調という調性の音楽への完全な移行。

③その調性の音楽から、3つ以上の音を重ねて作る『和音』が生まれ、その3つの音が同時に次の『和音』に進むという『和音進行』の確立。

④中世では、すべてのパートがある意味平等に旋律を歌っていたのが、旋律をひとつの楽器または声に委ねて、その他大勢は伴奏に回るという、言ってみれば不平等な演奏形態の確立。バロック(=「いびつな真珠」の意味)はここからきている。

⑤作曲家の書く譜面への盲従性の確立。つまり、譜面にf(フォルテ)と書いてあったら、次の指示があるまで一貫してfで弾き続けなければならない。反抗や疑問は許されない」

これを読んで、初めてバロック音楽の歴史的な位置づけがある程度分かったような気がします この点に限らず、参考になる事が多い書籍です 特にクラシック好きの方にお薦めします

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METライブビューイングでヴェルディ「ナブッコ」を観る ~ ジョージ・ギャグニッザ、リュドミラ・モナスティルスカ、マリア・バラコーワ、ディミトリ・ぺロセルスキーにブラボー!

2024年02月26日 00時39分36秒 | 日記

26日(月)。わが家に来てから今日で3330日目を迎え、ウクライナ侵攻が長期化する中、ロシアは貧困層や不法移民、外国人らを狙い、なりふり構わぬ姿勢で兵力の補充を進めているが、プーチン大統領は昨年12月の記者会見で、侵攻に参加する兵士62万人のうち動員兵が24万人だと明らかにしていた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアは 国土が広い割に人口が少ないから  金に任せて動員するし 子供も誘拐する

 

         

 

昨日、腰痛対策ベルトを着用して、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ヴェルディのオペラ「ナブッコ」を観ました METライブビューイング2023/2024は、日本では昨年12月8日から始まっており、すでに3作が上映されました しかし、3作とも現代オペラなのでパスして、第4作の「ナブッコ」から観ることにしたのです

この映画は2024年1月6日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です キャストはナブッコ=ジョージ・ギャグニッザ、アビガイッレ=リュドミラ・モナスティルスカ、フェネーナ=マリア・バラコーワ、イズマエーレ=ソクジョン・ペク、ザッカ―リア=ディミトリ・ぺロセルスキー。管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱=メトロポリタン歌劇場合唱団、指揮=ダニエル・カッレガーリ、演出=エライジャ・モシンスキーです

 

     

 

「ナブッコ」はジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が「旧約聖書」を素材としたテミストークレ・ソレーラの台本により1842年3月9日にミラノ・スカラ座で初演した4幕7場から成るオペラです 第2作「一日だけの王様」が失敗し、妻と子どもを相次いで失い絶望のどん底にあった28歳のヴェルディは、第3作「ナブッコ」の初演で大成功を収め、イタリア・オペラの権威的存在への道を歩み始めます

物語の舞台は紀元前6世紀のエルサレム。神官ザッカ―リアは、軍を率いてエルサレムに乗り込もうとするバビロニア王ナブッコを撃退しようと、彼の実娘フェネーナを人質に取る しかし、フェネーナを愛するエルサレム王の甥イズマエーレが彼女を救ったことで、エルサレムはナブッコに征服されてしまう ナブッコが勝ち誇って「我こそ神だ!」と宣言すると神の怒りを買い、雷に打たれ、もう一人の娘アビガイッレ(奴隷との子ども)に王座を奪われる アビガイッレはフェネーナを捕らえ処刑しようとする。その時、正気に戻り 改心したナブッコが兵を従えて現れ、フェネーナを救う アビガイッレは毒を呑んで自害し、ザッカ―リアはナブッコを「王の中の王」と讃える

 

     

 

指揮をとるダニエル・カッレガーリは1960年イタリアのミラノ生まれ。コントラバス奏者としてミラノ・スカラ座管弦楽団に12年在籍し、クラウディオ・アッバード、リッカルド・ムーティの指揮で演奏活動を行いました

カッレガーリがオーケストラ・ピットに入り序曲の演奏に入ります 映像を見るとオケは12型で、左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置をとっていることが分かります この序曲はストーリーをなぞった音楽で、ドラマティックそのものです

幕が開くと、合唱団による力強いコーラスが歌われますが、メンバーを見ると欧米人あり、アジア系あり、黒人あり、ヒスパニック系ありとバラエティーに富んでいます これはアメリカにおける「アファーマティブ・アクション」による人選であると思われます 「アファーマティブ・アクション」とは「マイノリティ(少数派)が過去に受けた教育などに関する差別をなくそうとする取り組み」を意味する言葉で、目的は「少数派が平等に暮らせる社会を作る」ことです この「人種や男女の差別をなくして採用する」取り組みはオペラ界も例外ではなく、METライブでは、あえて黒人やアジア系などの合唱団員を映し出すことによって、METも「アファーマティブ・アクション」に取り組んでいることをアピールしているのです

その合唱が素晴らしい 幕間のインタビューで指揮者のダニエル・カッレガーリが「このオペラは全体の3分の2は合唱で占めている」と語っていましたが、なるほど、第1幕冒頭から第4幕終盤まで力強い、ある時は静かな合唱が続きます 第3幕第2場の冒頭でヘブライの捕虜たちによって歌われる「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」には静かな感動を覚えます

この曲はスカラ座での初演時に熱狂的にアンコールを求められたいう伝説がありますが、最近の研究では第4幕第2場の「偉大なるエホバ」だったとのことです どちらにしても、この合唱曲はイタリアの第2の国歌と言われるほどイタリア人にとっては大事な曲になっているようです

歌手陣は総じて絶好調でした

ナブッコ役のジョージ・ギャグニッザはジョージアのトビリシ出身のバリトンです 私には過去のMETライブ「トスカ」でのスカルピア役が強く印象に残っています 豊かで力強い歌唱はバビロニア王に相応しい堂々たるもので、威厳のある演技力と相まって存在感抜群でした

アビガイッレ役のリュドミラ・モナスティルスカはウクライナのキーウ出身のソプラノです 圧倒的な声量と抜群のコントロールで権力への執着を歌い上げる姿は圧倒的でした

フェネーナ役のマリア・バラコーワは1998年ロシアのケメロヴォ生まれのメゾソプラノです 魅力的な深みのある声で聴衆を魅了しました

イズマエーレ役のソクジョン・ペクは韓国出身のテノールです 本公演がMETデビューとのことですが、安定感のある歌唱で存在感を示しました

ザッカ―リア役のディミトリ・ぺロセルスキーは1975年ウクライナのパヴロフラット生まれのバスです 魅力的な深みのある歌唱で威厳のある神官を歌い演じました

上演がこの時期(今年1月6日)だからでしょう。幕間のインタビューでソプラノ歌手エンジェル・ブルーから「ウクライナ出身の歌手として世界の聴衆に向けて何かメッセージはありますか?」と訊かれ、リュドミラ・モナスティルスカは「訊いてくれてありがとう。勝利して、ウクライナの空に平和が訪れることを祈っています」と答えていました。またジョージア出身のギャグニッザは「このオペラの主人公ナブッコは当初、暴力的な独裁者でしたが、神の怒りにふれて罰が下り、後に慢心を反省して改心しています 現在も、同じようなことが起こるかもしれません」と希望を語っていたのが印象的でした

演出のエライジャ・モシンスキーは両親がロシア系ユダヤ人で、1946年に上海で生まれ、イギリスを中心に活躍しました 最近ではMETライブ「ナクソス島のアリアドネ」の演出を手掛けましたが、新型コロナウイルスに感染し2021年に死去しました

モシンスキーの演出・舞台は極めてオーソドックスで、重厚感のある舞台(上の写真)が印象的で、表裏2面の回転舞台によりスムーズなストーリー展開を実現していました

今回の映像を観て、ナブッコは「アリアに次ぐアリア、合唱に次ぐ合唱」の魅力的なオペラであることを再認識しました

METライブビューイング「ナブッコ」の上映時間は 約10分の休憩1回と歌手へのインタビュー等を含めて2時間53分です    東京都内では新宿ピカデリーのほか東銀座「東劇」他でも上映中です    チケット代は一般‘@3,700円ですが、ムビチケカード3枚セットは9,600円で、1枚当たり500円安くなっているので 3作以上観る人にお薦めします

「ナブッコ」の上映は29日(木)まで。次回は3月8日(金)からビゼー「カルメン」です これも観逃せません

 

     

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パーソナルスペース / 小泉喜美子著「弁護側の証人」を読む ~ 敏腕弁護士と控訴審における意外な証人の登場が被告人の逆転劇の引き金を引く

2024年02月25日 00時01分01秒 | 日記

25日(日)。昨日は、映画を観たいと思ったのですが、腰痛悪化を防ぐため家で本を読んで過ごしました

昨日の日経朝刊別刷り「NIKKEI プラス1」の「くらし探検隊」コーナーで「パーソナルスペース」を取り上げていました    記事によると、パーソナルスペースは心理学で「自分の体の延長のように感じ、他者に侵入されると不快感を覚える空間」を指す、とのことです    記事では「自分の周りの目に見えない縄張り」と表現しています     コーナーの一角にある「両端から埋まる電車の座席」という記事を読むと「電車の座席は両端がまず埋まり、次に真ん中ー。実はこれもパーソナルスペースで説明がつく 端は横に壁や手すりなどがあるので、両隣から人に挟まれないためだ」と書かれていました

この記事を読んで、私がいつもコンサートや映画で「通路側席」を取るのは「パーソナルスペース」を意識しているからだな、と気がつきました 通路側席は片側に人がいないので、両隣から人に挟まれず圧迫感を感じないからです さらに付け加えると、通路から遠い奥の席だと、前の座席との狭いスペースを通っていかなければならない煩わしさがあるからです 席から外に出る時も同様です ただ、通路側席に座っていていつも思うのは、「前を失礼します」と声をかけたり、一礼して奥の席に入っていく人が極めて少ないということです たいていは黙ってズカズカと当然のように入っていきます 「日本人は礼儀正しい」ってどこの誰が言ったのか、と疑問に思う瞬間です だから、コンサートで席に着くのは開演時間の5分前と決めています。あまり早く席に着くと多くのズカズカの被害を被ることになるからです 逆に何らかの理由で奥の席しか取れなかった時は10分前位には席に着くようにしています あまり遅く席に着くと何人もの人の前を「失礼します」と言いながら自席まで辿り着かなければならないからです コンサートがこういう状況ですから、映画はなおさらです。ズカズカ人間だらけです それでも映画館の方が前の椅子とのスペースが広いので、黙って入ってこられても 比較的ストレスは感じません

ということで、わが家に来てから今日で3329日目を迎え、宮城野部屋の北青鵬(22)による弟弟子への暴力問題で23日、日本相撲協会は師匠の宮城野親方(38=元横綱白鵬)を「委員」から2階級降格の「年寄」へ、20%の報酬減額3か月の厳罰処分を下した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     現役時代も横綱らしくない勝ち方が少なくなかった  指導者としての親方にも遠いか

 

         

 

小泉喜美子著「弁護側の証人」(集英社文庫)を読み終わりました 小泉喜美子は1934年東京都生まれ。推理作家、翻訳家。都立三田高校卒。一時ジャパン・タイムズに勤務。59年「我が盲目の君」で「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」第1回短編コンテストに入選 63年「弁護側の証人」で作家デビュー。85年11月逝去

「ヌードダンサーのミミイ・ローイこと漣子(なみこ)は八島財閥の御曹司・杉彦と恋に落ち、玉の輿に乗った しかし幸福な生活は長くは続かなかった。義父である当主・龍之介が何者かに殺害されたのだ 真犯人は誰なのか? 弁護側が召喚した証人を巡って、生死をかけた法廷での闘いが始まる 「弁護側の証人」とはいったい誰なのか

 

     

 

「弁護側の証人」は1963年2月に文藝春秋新社から書き下ろし単行本として刊行され、1978年4月に集英社文庫として出版されました

【以下ネタバレ注意:ミステリとして十分楽しむためには以下を読まないことをお勧めします】

本書は「序章」から始まって第1章から第11章まで続き、「終章」で終わります 「序章」では刑務所の面会室で金網越しに対峙する漣子と杉彦との対話が描かれています 会話から、金網の向こう側にいる被告人が漣子で、こちら側にいる面会者が杉彦だと分かります。漣子は杉彦に「真犯人が分かった」と告げ、「もう一度ぶつかってみる。わたしの言うことを信じ、それを役に立ててくれる人をさがして、なにもかも洗いざらい話してみる。罪もない人を死刑にすることはだれにもできないのよ。わたしは決してあきらめないわ」と伝えます。それに対し杉彦は、今さらジタバタしても始まらないから諦めた方が良いという態度を取ります 漣子は「せっかく夫が得ようとしていた心の安らぎを、わたしは乱してしまった。今日になってわたしと面会したことを、彼は悔やむにちがいない」と独白します ここで、漣子は自分を犯人に仕立て上げて人生を奪おうとした人物に宣戦布告したのです

第11章では控訴審の様子が描かれますが、『弁護側の証人』の登場による新たな証言によって、杉彦と漣子の立場がまったく逆転し、「終章」を読むと、金網の向こう側とこちら側の人物が入れ替わっています

「弁護側の証人」とは、殺人事件のあった八島家の関係者から聞き取り調査をして漣子を犯人と断定した尾形警部補その人でした 尾形は無実を訴える漣子と 風采は冴えないが頭の切れる清家弁護士による強い説得によって証言台に立つことを決意します それは自分の過去の判断の誤りを認めることであり、警察への信頼も失わせる行為でした しかし、彼は一人の良心を持った人間として「犯罪者でもない者を犯罪者のまま放置しておくわけにはいかない」として過去の瑕疵を認め証人になることを決意したのでした

清家弁護士の推理と尾形警部補の証言により、この事件は杉彦が父親の龍之介を殺害し、八島家の家族や関係者と口裏合わせして漣子を犯人に仕立て上げ、相続財産を家族で分配しようと企んでいたことが暴露されます 清家弁護士の筋道立てた推理の描写が見事です

巻末の解説を作家の道尾秀介が書いていますが、小泉喜美子は最初の夫が生島治郎で2番目の夫が内藤陳だったことや、彼女が1985年に新宿の酒場で酩酊して階段から落ちて亡くなったことに触れています 内藤陳と言えば「トリオ・ザ・パンチ」時代の「おら、ハードボイルドだど!」のギャグを思い出します 彼は新宿ゴールデン街で「深夜プラスワン」というバーを経営していたので、小泉喜美子はその店から出る時に階段から落ちたのかもしれません 享年51歳とのこと。並外れたプロット構成力・執筆力を持った人だけに早世が惜しまれます

綾辻行人、法月綸太郎はじめ多くのミステリ作家に多大な影響を与えた伝説の名作です 広くお薦めします

 

     

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新国立オペラ2024/2025シーズンラインナップ発表 ~ 脇園彩のロッシーニ「セヴィリアの理髪師」ロジーナ役に期待! / 日経平均最高値更新に思う

2024年02月24日 06時41分10秒 | 日記

24日(土)。新聞・テレビ等の報道で既報の通り、昨日、日経平均株価が34年ぶりに最高値を更新し3万9098円となりました この背景には、米国の株高、円安の環境、中国向け投資の日本への転換などの外部要因をはじめ、日本企業の統治改革や収益性向上を期待する海外投資家の動向があったと言われています 「最高値更新」と聞くと、いかにも国民の生活が押しなべて向上しているように錯覚しがちですが、実際には企業利益が内部留保に振り向けられ、人件費が抑制されてきたことや、相次ぐ値上げによる物価高が背景にあることは疑いの余地がありません

 

     

 

そんな中、自民党の派閥による裏金事件を受け、疑惑の当事者が弁明する衆院政治倫理審査会が28,29日に開かれることが大筋で決まりました 国民が物価高に苦しむなか、政権与党の自民党はいったい何をやっているのか 裏金作りに励んで何に使ったのかも明らかにしない奴らから取るべき税金を取れ!と言いたくなります 先日、確定申告を済ませましたが、真面目に申告するのが馬鹿馬鹿しくなります 次の選挙の時に忘れないようにしたいスローガンは「投票率の最高値更新を目指して、裏金問題を忘れずに投票しよう」です

ということで、わが家に来てから今日で3328日目を迎え、ロシアの軍事ブロガーが先ごろ、ウクライナの戦闘によるロシア軍の損失規模を投稿で暴露した後に死亡したことが分かったが、アレクセイ・ナワリヌイ氏が16日に急死してから1週間も経たずに新たな不審死のニュースが伝えられたことに対し、プーチン大統領が再選するとみられる今年3月の大統領選を前に、政権が反プーチン派の人物に対する大々的な粛清に乗り出したとの分析が示されている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンは 粛清の代名詞スターリンの後継者として 着々と実績を積み上げている

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のガリチー煮 & スパゲティ」を作りました ガリチーとはガーリックとチーズです。もともとはガリチー煮だけだったのを、娘の提案でソースを生かすためスパゲティを一緒に絡ませたものです

 

     

 

         

 

新国立劇場から「新国立オペラ2024/2025シーズン」会員継続案内が届きました 同封のパンフレットによると全9回10公演のラインナップは以下の通りです

①ベッリーニ「夢遊病の女」10月3日~14日(5公演)※新制作

②ロッシーニ「ウィリアム・テル」11月20日~30日(5公演)※新制作

③モーツアルト「魔笛」12月10日~15日(4公演)

④ワーグナー「さまよえるオランダ人」1月19日~2月1日(5公演)

⑤ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」&プッチーニ「ジャン二・スキッキ」のダブルビル 2月2日~8日(4公演)

⑥ビゼー「カルメン」2月26日~3月8日(5公演)

⑦プッチーニ「蝶々夫人」5月14日~24日(4公演)

⑧ロッシーニ「セビリアの理髪師」5月25日~6月3日(5公演)

⑨細川俊夫「ナターシャ」8月11日~17日(4公演)※委嘱による新制作・世界初演

 

     

     

     

 

全9回10公演の中で、一番嬉しいのはロッシーニ「セヴィリアの理髪師」で脇園彩がロジーナ役で再登場することです また、ロッシーニ「ウィリアム・テル」が新国立オペラで初上演されることも素晴らしいと思います 「夢遊病の女」は新国立オペラで初のベッリーニ作品上演となるとは意外でした 指揮者のマウリツィオ・ベニーニはMETでもお馴染みのイタリア・オペラのオーソリティで、エルヴィーノ役のアントニーノ・シラグーザはベルカントオペラが十八番です プッチーニ「蝶々夫人」のタイトルロールを歌う小林厚子にも期待が高まります

現在 私はオペラ・プルミエ(初日)会員ですが、2002年に会員になって以降 毎年継続している現在の1階センター後方ブロック通路側席を来シーズンも継続することにします

なお 現在の時点で、10月3日(木)夜の「夢遊病の女」が読響名曲シリーズ、東京シティ・フィル定期と日時がダブっている(三つ巴!)ので、オペラと読響を他日公演に振り替える予定です    また、11月20日(水)夜の「ウィリアム・テル」が都響Bシリーズと日にちがダブっているので、都響を他シリーズに振り替える予定です これでN響の次シーズンの予定が入ってくると、さらに振り替えが増えることになりますが、仕方ありません。覚悟してます

 

     

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チョン・ミョンフン ✕ 東京フィルでベートーヴェン「交響曲第6番”田園”」、ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴く

2024年02月23日 00時06分16秒 | 日記

23日(金)。わが家に来てから今日で3327日目を迎え、ウクライナ侵攻への反対を訴えてロシア大統領選への立候補を目指すボリス・ナジェージュジン氏が、中央選挙管理委員会による候補者登録の却下を不服とした訴えについて、ロシア最高裁は21日に審議し、棄却すると決めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     今のロシアに三権分立は存在しないからな すべての権力はプーチンの支配下にある

 

         

 

昨日、夕食に「海老の肉巻き」「生野菜とアボカドのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 「海老の肉巻き」は柔らかく焼けて美味しかったです

 

     

 

         

 

前日に続き昨夜、腰痛対策ベルトを着用して、サントリーホールで東京フィル「第996回サントリー定期シリーズ」を聴きました プログラムは①ベートーヴェン「交響曲第6番 ヘ長調 作品68 ”田園”」、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」です 指揮は東京フィル名誉音楽監督チョン・ミョンフンです

東大在籍のK.H氏がプログラム・ノートを書いていますが、ベートーヴェンの「田園」とストラヴィンスキーの「春の祭典」の共通点について、「作曲家が生きた時代の『自然観』が見事に結晶化している点だ」と述べています その説明を読んでみましたが、頭の悪い私にはさっぱり理解できませんでした 私は、両作品の共通点は「革新性」ではないかと思います 「田園」は”5楽章形式”で第3楽章から第5楽章は続けて演奏され、”標題音楽”の先駆を為す作品である点で、「春の祭典」は強烈なリズム感の解放、管弦楽の大胆な極限的効果による”バーバリズム”によって反ロマン主義の20世紀音楽の方向性を決定的にした作品であるという点で、ともに「革新的」であると言えるのではないかと思います

 

     

 

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの東京フィルの並び。コンマスは三浦章宏、隣は近藤薫というダブルトップ態勢を敷きます

1曲目はベートーヴェン「交響曲第6番 ヘ長調 作品68 ”田園”」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1807年から08年にかけて作曲、1808年にアン・デア・ウィーン劇場で「交響曲第5番」等と共に初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ(田舎に着いた時の愉快な気分とめざめ)」、第2楽章「アンダンテ・モルト・モッソ(小川の風景)、第3楽章「アレグロ(田舎の人々との楽しい集い)」、第4楽章「アレグロ(雷雨・嵐)」、第5楽章「アレグレット(牧歌~嵐の後の喜びと感謝)」の5楽章から成ります

演奏は流れが良く、流麗な音楽が続きます オーボエ、フルート、ファゴット、クラリネットといった木管楽器がよく歌い、ホルンが素晴らしい演奏を繰り広げます 穏やかな音楽が続きますが、第4楽章「雷雨・嵐」に入るとティンパニの連打、トロンボーン、ピッコロの雄叫び、弦楽器の渾身の演奏によりクライマックスが築き上げられます そして、それが山頂であるかのように再び穏やかな音楽に変わり幸福感に満ちたフィナーレに向かいます 全体を通して、チョン・ミョンフンはかなりテンポを変えて演奏を進めましたが、フィナーレでは極端にテンポを落とし、「いつまでもこの平和が続きますように」と祈るかのように曲を閉じました

満場の拍手とブラボーがステージに押し寄せる中、カーテンコールが繰り返されました

 

     

 

プログラム後半はストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」です この曲はイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)がロシア・バレエ団の委嘱により1911年から1913年にかけて作曲、1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮、ニジンスキーの振付により初演されました

第1部「大地の礼賛」①序奏、②春の兆し(乙女たちの踊り)、③誘拐の儀式、④春のロンド、⑤敵部族の儀式、⑥長老の行進、⑦長老の大地への口づけ、⑧大地の踊り。

第2部「いけにえの儀式」①序奏、②乙女たちの神秘的な輪、③選ばれた生贄への讃美、④祖先の召喚、⑤祖先の儀式、⑥生贄の踊りから成ります

弦楽器は16型に拡大し、管楽器、打楽器も増員され、フルオーケストラ態勢となります チョン・ミョンフンの前に譜面台はありません 彼はどんな曲でも(たとえオペラでも)暗譜で指揮をします

第1部の冒頭はファゴットによって息の長い旋律が奏でられますが、これが半端なく長かった 通常の2倍は引き延ばしたのではないか 冒頭から「いつもとは違う」という印象付けを狙っているのだろうか その後は、切れ味鋭い弦楽器、研ぎ澄まされた金管・木管楽器、バーバリズムの極致を行く打楽器によって、変拍子に次ぐ変拍子の複雑な演奏が繰り広げられます しかも緩急の変化が激しいので、演奏者には極度の集中力が求められます その点、東京フィルはダテに楽団員総数が日本一ではないところを完璧な演奏で証明します

集中力に満ちたアグレッシブな演奏に満場の拍手とブラボーが飛び交い、そこかしこでスタンディングオベーションが見られました

カーテンコールが繰り返されるなか、チョン・ミョンフンが楽員の方を振り返り指揮を始めようとして、途中で止めました どうやらアンコールを演奏しようと思ったら大太鼓奏者が楽器を片付けていたようで、慌てて演奏の準備に取り掛かり、楽団員と客席の笑いを誘いました 準備が出来たところで、第1部の終曲「大地の踊り」が超高速で演奏され、再び大きな拍手とブラボーとスタンディングオベーションが巻き起こりました 凄い演奏でした

 

     

 

この日も腰痛対策ベルトが功を奏したようで、演奏中も家に帰ってからも腰に痛みは出ませんでした しかし、ここまできて油断は禁物です 今日は大事を取ってどこにも出かけず、家で本を読んで大人しく過ごそうと思います

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沼尻竜典 ✕ カミーユ・トマ ✕ NHK交響楽団でドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調」、同「スラブ舞曲第1番」、シューマン「交響曲第1番 ”春” 」を聴く

2024年02月22日 00時04分34秒 | 日記

22日(木)。わが家に来てから今日で3326日目を迎え、ウクライナ国防省情報総局の報道官は19日、昨年8月、軍のヘリコプターでウクライナに亡命したロシア軍パイロット、クジミノフ氏がスペインで死亡したと発表したが、ロシア対外情報庁のナルイシキン長官は「この裏切り者の犯罪者は道徳的な死体となった」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     堂々と暗殺を認めたな  プーチンに逆らう者は殺されるというメッセージの発信だ

 

         

 

昨日、夕食に「トンテキ」「生野菜とアボカドのサラダ」「ダイコンの味噌汁」を作りました トンテキは柔らかく焼けて美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夜、東京芸術劇場コンサートホールで2024都民芸術フェスティバル参加公演「NHK交響楽団」のコンサートを聴きました 腰痛再発のため2月10日以来コンサートを諦めて読書中心に過ごしてきましたが、整骨院の先生からお風呂に入っても良いというお許しも出たし、腰痛もだいぶ落ち着いてきたので、腰痛対策ベルト着用で12日ぶりにコンサート会場に出かけました ただし、完治したわけではないので、とりあえず1回聴いてみて様子をみてから次を考えようと思いました このままコンサートを諦めていると経済損失が膨大になる(チケット代がフイになる)ので、政府のウイズ・コロナ政策に倣い、ウイズ腰痛政策として第5類に移行しようと思ったわけです

さて、プログラムは①ドヴォルザーク「スラブ舞曲第1番 ハ長調 作品46-1」、②同「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」、③シューマン「交響曲第1番 変ロ長調 作品38 ”春” 」です 演奏は②のチェロ独奏=カミーユ・トマ 、指揮=沼尻竜典です

 

     

 

自席は1階N列4番、左ブロック左から2つ目です。会場はほぼ満席です

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつものN響の並び。コンマスは郷古廉です

1曲目はドヴォルザーク「スラブ舞曲第1番 ハ長調 作品46-1」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が1878年にピアノ連弾用に作曲した「スラブ舞曲集」第1集(全8曲)の最初の作品で、後にオーケストラ用に編曲されました

沼尻の指揮で演奏に入ります。ドヴォルザーク特有の民俗色豊かな舞曲が展開しますが、ホルン、トロンボーン、トランペットといった金管楽器が輝きに満ちた躍動感あふれる演奏を繰り広げていたのが印象的でした

2曲目はドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」です この曲はドヴォルザークが米ニューヨークのナショナル音楽院の院長を務めていた1894年から95年にかけて作曲、1896年にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・モデラート」の3楽章から成ります

チェロ独奏のカミーユ・トマはパリ生まれ。ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク新人賞、エコー音楽賞などを受賞

弦楽器が12型に縮小します。臙脂色のエレガントな衣装のカミーユ・トマが登場しステージ中央に向かいますが、かなり背が高いです 彼女の抱えたチェロを見て「おやっ?」と思いました。エンドピンが長いのです ほとんど読響首席・富岡廉太郎のチェロと同じくらいの長さです 見た目は彼女がチェロを抱きかかえるような形になります

沼尻の指揮で第1楽章に入りますが、オケによる演奏に続いてカミーユ・トマのチェロがゆったりとしたテンポで悠然と入ってきます 力強く情感溢れる美しいチェロで、とりわけヴィブラートの美しさが際立っています フルートの神田寛明はじめ木管楽器がソリストを引き立てます ホルンも素晴らしい 第2楽章では郷愁溢れるチェロが朗々と奏でられ、ロマンティシズムの極致を感じさせます。第3楽章に入ると、独奏チェロが躍動感あふれる演奏を繰り広げ、オケとの丁々発止のやり取りが展開します 彼女はストラディヴァリウス「フォイアマン」を完璧に鳴らし切りました 全体を通して印象的だったのは、独奏していない時の彼女の姿です 後ろの木管楽器や弦楽器の方に耳を傾けて演奏をよく聴いている姿がとても印象に残りました

満場の拍手とブラボーの嵐の中、カーテンコールが繰り返されました

なお、本番を聴くにあたり、ロストロポーヴィチ ✕ 小澤征爾 ✕ ボストン響のCD(1985年12月・ボストン録音)で予習しておきました

 

     

 

プログラム後半はシューマン「交響曲第1番 変ロ長調 作品38 ”春” 」です この曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が1841年に作曲、同年ライプツィヒで初演されました 1841年1月に、親しく交流していた詩人アドルフ・ベットガーの「谷間には春が咲き誇る」という詩に啓発され、わずか4日間でこの交響曲のスケッチしたと伝えられているところから、「春」という愛称が付けられています なお、当初シューマンは各楽章に「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」というタイトルを付けましたが、最終的には削除しました 第1楽章「アンダンテ・ウン・ポコ・ポコマエストーソ ~ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・アニマート・エ・グラツィオーソ」の4楽章から成ります

オケは14型に戻ります。沼尻の指揮で第1楽章が金管のファンファーレで開始されます この演奏がいかにも「春のはじめ」を告げているようで素晴らしかった この楽章の明るく輝く曲想は前年=1840年9月にシューマンがクララと結婚したことと無縁ではありません 第2楽章では弦楽器による美しいアンサンブルが印象的でした 第3楽章のスケルツォはいつ聴いてもワクワクするリズミカルな音楽で大好きです トリオにおける木管の演奏も素晴らしかった 第4楽章はオケの総力を挙げての渾身の演奏が展開し、まさに「春たけなわ」の溌溂としたフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーに沼尻 ✕ N響はドヴォルザーク「スラブ舞曲第2番 ホ短調 作品72-2」(第2集)をアンコールに演奏、再び大きな拍手に包まれました

 

     

 

腰痛対策ベルトをキツク締めていたことが功を奏したのか、聴いている時も、家に帰ってからも、腰の痛みはありませんでした まずは1回目がクリアできたので、「ウイズ腰痛政策」の2回目として今日、東京フィルを聴きに行くことにします

 

     

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新国立オペラ~トリスタン役交代へ / 辻村深月、伊坂幸太郎、阿川佐和子、恩田陸、柚木麻子、東野圭吾「時ひらく」を読む ~ 老舗デパート「三越」を巡るアンソロジー

2024年02月21日 00時01分05秒 | 日記

21日(水)。新国立劇場の公式サイトによると、3月14日から上演されるワーグナー『トリスタンとイゾルデ』のトリスタン役に出演を予定していたトルステン・ケールが急病により出演できなくなった。代わりにゾルターン・ニャリが出演するーとしています トルステンのトリスタンに期待していましたが、残念です 開演までまだ24日もあるのに「急病で出演できなくなった」というのは、リハーサルまでに回復の見込みがないということなんでしょうね 主役級の歌手の降板は詐欺に遭ったような気になりますね。私も長い音楽人生の中で さんざんひどい目に遭ってきました 特に2011年のアンナ・ネトレプコ(MET)とフアン・ディエゴ・フローレス(ボローニャ歌劇場)の来日公演の降板は痛かった

さて、プロフィールによると ゾルターン・ニャリはハンガリーのブダペスト生まれのテノールで、ブダペスト演劇映画大学で演劇の学位を取得し俳優として活動した後、ブダペストオペレッタ劇場でミュージカルやオペレッタに出演し、その後にハンガリー国立歌劇場専属歌手として活躍しているとのことです プロフィールからは歌唱力とともに演技力が期待できそうですが、歌手の動きの少ないワーグナー作品ですから演技面ではなかなか実力が発揮できないかもしれませんね

ということで、わが家に来てから今日で3325日目を迎え、北極圏の刑務所で死亡したロシアの反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏の遺体について、ロシア当局は「化学的検査を行うため少なくとも14日間は引き渡せない」と現地を訪れた弁護士と母リュドミラさんに伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     遺体から猛毒が消えるのに2週間かかるわけだね 分かり易いプーチン政権の言い訳

 

         

 

昨日、夕食に「鯖の塩焼き」「生野菜サラダ」「牛汁(豚汁の牛肉バージョン)」を作りました 「牛汁」は余っていたカレー用の牛肉を使いました 鯖は脂が乗って美味しかったです

 

     

 

         

 

辻村深月、伊坂幸太郎、阿川佐和子、恩田陸、柚木麻子、東野圭吾 共著「時ひらく」(文春文庫)を読み終わりました 本書は老舗デパート「三越」を巡る6人の作家によるアンソロジーで、文庫オリジナルです これらの作品は「オール読物」2023年5月号から24年1月号までに掲載されたものです 物語の舞台は伊坂氏の作品が「仙台三越」であるほかはすべて「日本橋三越」となっています なぜ銀座三越が舞台でないかと言えば、日本橋三越本店こそが創業350年を迎える旗艦店舗であり、日本における最初のデパートであるからだと思います

 

     

 

本書は次の6つの物語から構成されています

辻村深月「思い出エレベーター」=制服の採寸に訪れて感じたある予感の話。

伊坂幸太郎「Have  a  nice  day!」=ライオンに跨る必勝祈願の言い伝えを試したことからみえたものの話。

阿川佐和子「雨上がりに」=老いた継母の買い物に付き合ってはぐれてしまい館内放送を依頼した娘の話。

恩田陸「アニバーサリー」=館内の物たちが始めた会話の話。

柚木麻子「七階から愛をこめて」=友達とプレゼントを買いに訪れて繋がった時間の話。

東野圭吾「重命る(かさなる)」=亡くなった男が最後に買った土産の話。

これらの物語のうち辻村、伊坂、柚木作品は時空を超えたストーリーになっていて、それぞれの個性が表われていると思いました

辻村深月は「東京会館とわたし」(上・下巻)を出版していますが、読んでいて あのテイストを思い出しました

伊坂幸太郎の「ネコ講」には笑ってしまいました

阿川佐和子の作品では、デパートのBGMの話が参考になりました 三越では「雨が降り出すと『雨に唄えば』が流れ、雨が上がると『オーバー・ザ・レインボー』が流れる」そうです   この物語が6作品の中で一番じわりときました

柚木麻子の作品が唯一、ロシアのウクライナ侵攻をストーリーに取り込んでいて、ウクライナへの共感と連帯を表しています

なお、本書の「時ひらく」というタイトルは、三越の包装紙(本書の表紙もそうです)が「華ひらく」であることに因んでいます

私は日本橋三越の中に入ったことがないので、吹き抜けホールに巨大な天女像があったり、パイプオルガンがあったり、アンモナイトの化石が埋まっている壁があったり、お子様ランチは「三越」が発祥の地であったり(どうやら大人も注文できるらしい)・・・などの事実を、これらの作品を読んで初めて知りました 今度、行くチャンスがあったら確かめてみようと思います

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加藤浩子著「16人16曲でわかる オペラの歴史」を読む ~ 各国・各時代のオペラ作品をオペラ史の流れの中でバランスよく紹介した良書

2024年02月20日 00時01分01秒 | 日記

20日(火)。わが家に来てから今日で3324日目を迎え、アメリカのトランプ前大統領は、自身の名前を冠し「絶対降伏しない」と名付けられた金色のスニーカーを限定1000足販売すると発表したが、日本円で約6万円のスニーカーは事前申し込みで完売した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     資産の過大評価に伴う約530億円の罰金の一部に充てるとしたら”雀の涙”じゃね?

 

         

 

昨日の夕食は、「今週は超多忙だからスタミナ付けるようにカレーにしてほしい」という娘のリクエストにより「ビーフカレー」を作りました 今回も牛バラ肉を使いましたが、甘みがあって美味しかったです

 

     

 

         

 

加藤浩子著「16人16曲でわかる   オペラの歴史」(平凡社新書)を読み終わりました    加藤浩子は東京生まれ。慶応義塾大学・大学院修了(音楽史専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学に留学。大学講師。音楽物書き。著書に「今夜はオペラ」「モーツアルト  愛の名曲20選」「ようこそオペラ」など多数

 

     

 

著者は「はじめに」の中で本書を出版した趣旨を概要次のように書いています

「オペラ史については多くの先行書籍があるが、新書に収まるコンパクトな『オペラ史』はほとんどない さっと読めて『オペラ』の流れがつかめ、代表的なオペラ作品や作曲家を知ることができるーそんな本を目指して執筆した 本書の大きな特徴は、16人のオペラ作曲家の代表作16作の解説をメインとしているところにある オペラハウスで上演されているオペラ作品は特定の作曲家の作品に偏っていることが多い。各国各時代の作品がもっとバランスよく上演されるべきだと思っている そこで、あえて『16人16曲』とし、メインストリームであるイタリアやドイツの作曲家ばかりでなく、フランスやロシアの作曲家も入れるように心がけた 16人の選定に異論がある方もあるだろうし、作品の選択に関しても疑問を持たれる方も多いだろう。作品の選択に当たっては、他の作品とのバランスもある程度考慮している

本書は次のように構成されています

序章「オペラ誕生」

第1章:モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」

第2章:ヘンデル「エジプトのジューリオ・チェーザレ」

第3章:モーツアルト「フィガロの結婚」

第4章:ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」

第5章:ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」

第6章:ベッリーニ「ノルマ」

第7章:ヴェルディ「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」

第8章:ウェーバー「魔弾の射手」

第9章:ワーグナー「ワルキューレ」

第10章:ヨハン・シュトラウスⅡ世「こうもり」

第11章:グノー「ファウスト」

第12章:ビゼー「カルメン」

第13章:プッチーニ「蝶々夫人」

第14章:チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」

第15章:リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」

第16章:ベルク「ヴォツェック」

補  章:團伊玖磨「夕鶴」

終  章:「オペラのその後」

推薦映像

本書を読み終わって思うのは、「オペラの歴史を語るのに、筆者がなぜこの16人の16曲を選んだかが良く理解できた」ということです 著者は各章で作曲家の人生と作品を解説するに止まらず、その作品が生まれた時代背景から、後の作曲家に及ぼした影響まで、オペラ史の大きな流れを意識しながら解説しているからだと思います

最初に著者は「序章:オペラ誕生」の中で、「ルネッサンスからバロックへ、フィレンツェからヴェネツィアへ、宮廷芸術家ら商業娯楽へ」というオペラ史の大きな流れを説明しています それから時代の流れに沿ってモンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」から順に代表的かつ先駆的なオペラ作品を紹介していきます

各章ではそれぞれの作曲家の音楽の特徴が簡潔に語られます 主だったものをご紹介すると次の通りです

「モーツアルト」オペラ史においておそらく初めて、登場人物や物語に共感できるオペラを書いた作曲家だった

「ロッシーニ」 声を転がす『アジリタ』、旋律に細かい装飾を施す『コロラトゥーラ』、即興歌唱など、高度な歌唱テクニックを磨きぬいた

「ドニゼッティ」『ランメルモールのルチア』は、オペラハウスのレパートリーの多くを占めている19世紀ロマン派オペラの第1歩というべき作品

「ヴェルディ」『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』は史上初の『泣ける』ドラマというべきオペラ

「ウェーバー」『魔弾の射手』はイタリア(語)中心のオペラ界にドイツ語によるオペラの道を切り開いた

「ワーグナー」オペラを「総合芸術」と見なし「音楽とドラマの一体化」を追求、一つの幕が切れ目なく演奏されるような音楽を創り出した

「プッチーニ」オペラ史上屈指のヒットメーカーで 美しく口ずさみやすいメロディ、分かりやすいストーリー、ドラマティックなオーケストレーションが魅力

また、作曲家の人生・生き様というテーマでは、同じ年に生まれたヴェルディ(1813-1902)とワーグナー(1813-1883)が全く違った人生を送ったことが紹介されていて興味深いものがあります

「ヴェルディは生粋の『事業家』である。家は宿屋の一族。金銭的にシビアで、自作の権利をめぐっては納得がいくまで交渉し、その結果イタリアの作曲家の著作権確立に貢献した さらに作曲で成功するとその利益を元に農場経営に乗り出して成功した 晩年には寄付や奨学金の給付から、地元の病院、音楽家のための老人ホーム『憩いの家』の建設まで手掛けた 一方、ワーグナーは贅沢好きで、『自分は特別』だという芸術家意識が高く、金遣いが荒く、借金を繰り返し 踏み倒すこともよくあった    とはいえ、絶体絶命の時に救世主(ルートヴィヒ2世等)が現われるのもワーグナーならではだった

つくづく、音楽が違えば人生も全く違うものだと思います

 

     

 

著者は「終章:オペラのその後」の中で次のように述べています

「伝統的なオペラのメインである19世紀オペラの物語は、今の私たちから見れば『古くさい』ものが少なくない 『家』や『世間』のために恋を諦めるよう迫られる『椿姫』は、その典型かもしれない その手のオペラを現代の観客に刺さる物語にする試みの一つが『演出』だ 今、オペラハウスでは、時代設定を現代などに移し替えた『読み替え演出』が一般的になりつつある

オペラの時代設定を現代などに移し替える「読み替え演出」については、私が会員になっている新国立オペラでも少なからず見られますが、問題は「説得力があるかどうか」だと思います 何でもかんでも時代を現代に置き換えれば良いというものではありません 今まで観た新国立オペラで一番”最低最悪”だったのは2013年5月25日に上演されたヴェルディ「ナブッコ」で、演出はグラハム・ヴィックでした バビロン捕囚がテーマになっているオペラで、オペラの中で歌われるヘブライの捕虜たちの合唱「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」はイタリアの第2の国歌と呼ばれています ヴィックによる舞台は現代のデパート(ショッピングセンター)に置き換えられています ブティックがあり、エスカレーターやエレベーターもあります。登場人物はツナギで登場したり、原色の派手な衣装で登場したり、ケータイで話したりしています 私は幕が上がった時点で「こりゃダメだ」と思いました 指揮者や歌手陣が良かったのが救いでしたが、ひと言でいえば「演出家のための演出」だったと思います あんな演出で観るのはもうマッピラゴメンです

本書の巻末掲載の「推薦映像」では「メトロポリタンオペラ  デマンド」「METライブビューイング」やDVDなどが紹介されていて、参考になります 私はこれまで何冊がオペラの入門書的な書籍を読んできましたが、オペラ全体の流れを把握する上で一番分かりやすかったと思います オペラの愛好者にも、これからオペラを観賞しようと思っている人にも広くお薦めします

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