人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

伊藤恵ピアノ・リサイタルを聴く~ブラームス、シューベルト、ショパン

2013年04月30日 07時07分55秒 | 日記

30日(火)。昨日で大型連休前半が終わり、今日で4月も終わりです この分だと5月の4連休もアッという間に終わってしまうのではないかと懸念しています。私は5月3日~5日の3日間は東京国際フォーラムを中心に開かれる「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」に朝から晩まで通いつめます。皆さんはどんな予定を立てていますか

 

  閑話休題  

 

昨日、紀尾井ホールで伊藤恵ピアノ・リサイタルを聴きました 伊藤恵は1983年第32回ミュンヘン国際コンクール・ピアノ部門で日本人初の優勝を飾り、現在、東京藝術大学と桐朋学園大学で後進の指導に当たっています。最近では2008年から8年連続でシューベルトを中心とするリサイタルを開いています。今回のプログラムは①ブラームス「シューマンの主題による変奏曲 作品9」、②シューベルト「4つの即興曲 D899作品90」、③ショパン「24のプレリュード 作品28」です

 

          

 

自席は1階5列22番、かなり前方の右端ですがピアニストの顔が見える位置です。会場は2階席までほぼ満席

1曲目のブラームス「シューマンの主題による変奏曲」は、シューマンの「色とりどりの作品」中の曲を主題とする16の変奏曲です ブラームス21歳の時、1854年の作品です この年の2月には恩師のシューマンが投身自殺を図り精神病院に入っています。ブラームスはこの事件に衝撃を受け、恩師に報いる気持ちでこの曲を作ったと言われています

拍手に迎えられて薄緑色のサマードレスに身を包まれた伊藤恵が登場します 会場に一礼し、ピアノに向かいます。シューマンの音楽に似て、幻想的で、時に激しく、時に冥想するような音楽が続きます

曲が始まってすぐ、カタンと何かが床に落ちる音が聞こえました。ン、と思って靴で足元を探ると自分のケータイらしき物体に当たりました。会場が少し暑かったので、上着を脱いて膝の上に置いていたのですが、ポケットからスルリと抜け落ちてしまったようです 大変申し訳ありませんでした。伊藤恵さん、会場の皆さんにお詫びいたします

2曲目のシューベルト「4つの即興曲D.899作品90」はシューベルト後期のピアノ小品です。第1曲ハ短調の冒頭の和音を伊藤はかなり長く響かせました 第2曲変ホ長調は流れるような曲想、第3曲変ト長調は夢見るような旋律、第4曲変イ長調はメランコリックな感じが混じります 一つ一つの曲がまったく別の魅力を持った小品で、それぞれがシューベルトの音楽の縮図のようです

休憩後のショパン「24のプレリュード作品28」は、24すべての調を用いた全24曲からなる「前奏曲集」で、大部分は1838年から39年にかけて、すなわち彼が28~29歳の時に作曲されました 1曲1曲がまったく異なる曲想ですが、全体を通して一つの大きな潮流を感じさせる音楽になっています

 

          

 

第1番ハ長調「アジタート」が開始されます。ちょっと重めかな、と思って聴きましたが、次の第2番イ短調「レント」も同じ感じです 前半の12曲を振り返ってみると、全体的にゆったりとしたテンポを取り、曲と曲との間を十分に空けて、それぞれが独立した曲であることを明確に表出していると思いました

後半の12曲に入ると、曲と曲との間が狭まってきたように感じました。とくに第15番変ニ長調「ソステヌート」(”雨だれ”)と次の第16番変ロ短調「プレスト・コン・フォコ」とは連続して演奏し、演奏効果をあげていました 最後の第24番ニ短調は、ドラマチックでピアノがうなり声を上げていました

私はこの演奏会を聴くに当たって、マルタ・アルゲリッチのCD(1977年録音)を聴いて予習しておいたのですが、アルゲリッチが全体的に速めのテンポで颯爽と弾き切り、いくつかの曲を連続してまるで一つの曲のように弾いているのに対して、伊藤恵の演奏は正反対の位置にあると感じました

 

          

 

会場一杯の拍手に応えて、アンコールにシューマンの「子どもの情景」から「詩人は語る」を演奏。それでも鳴り止まない拍手を制して次のように語りました。

「今日はありがとうございました。気がついたら今年は何とデビュー30周年だそうです(会場) いま大学で教えさせていただいていますが、30歳の学生は一人も居ません(会場・笑) 毎日の積み重ねがあって、そして応援して下さる皆さまがあっての30年だと思います また、天に守られてきたとも思っています。あと30年やろうとは、とても思いませんが、これからもよろしくお願いいたします 最後に、今日最初に演奏したシューマンの変奏曲の主題が「色とりどりの作品」ということもあるので、締めくくりとして「色とりどりの作品」の第1曲を演奏して今日の演奏会を閉じたいと思います

ひと言ひと言、ゆっくりと、聴く側がよく聞き取れるように話されたので、よく判りました 多くの演奏家は、普通の速さで話すので、音が反響して聞き取りにくいのです。彼女のように話すことが出来る演奏家はそうはいません。紀尾井ホールの音響特性を良く把握できている証左です。こういう点にも優れた演奏家の特性は現われるものです

 

          

 

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御厩祐司著「『知』のシャープナー~人生が変わる知的生産日記」を読む

2013年04月29日 07時08分19秒 | 日記

29日(月・祝日)。昨日はさすがに1週間の疲れが残っていてどこにも出かける気が起きませんでした1日中ベッドに寝転がって音楽を聴きながら新聞や本を読んで過ごしました

昨日の日経朝刊「サイエンス」欄に「働かないアリにも働き~集団存続への有事に備え?」という記事が載りました 記事を要約すると、

「北海道大学の長谷川英祐准教授らは、働くアリばかり集めると必ず働かないアリが出てくる現象を実験で立証した 働かないアリがいるから、不測の事態に対応できるとみている。長谷川准教授は生き物も疲れる点に注目し『疲れて働けなくなったアリが出てきた時に、代わりに働くためではないか』という仮説を立てた 『感度がばらばらで多様性がある集団は有事にも強く、巣を長く存続させるために重要な戦略となっているのではないか』と語っている」

記事は「グローバル競争に負けじと効率性ばかりを追求する人間社会だが、アリ社会に潜む巧妙さに見習うべき点があるかもしれない」と結んでいます

とくにリーマン・ショック以降、日本の経営者は経費節減やリストラで経営規模を縮小してきました。その結果、世の中には閉塞感が漂っています。政権交代で自民党が復権、安倍首相による”アベノミクス”で景気の浮揚を図ろうとしていますが、1年後には消費税の引き上げが待ちうけています。今の日本には”アべノミクス”よりも、余裕のある”アリノミクス”が必要なのかもしれません

 

  閑話休題  

 

御厩祐司著「『知』のシャープナー~人生が変わる知的生産日記」(光文社新書)を読み終わりました著者の御厩祐司さんは1970年香川県生まれ。京都大学を卒業し、文部科学省、文化庁で要職を歴任、現在、内閣府企画官を務めています

 

          

 

この本で扱われている「知的生産日記」とは、エクセルなどの表計算ソフトを用いて、縦1列に365日を綴り、年が変われば次の列に追加していき、無限に日記をつけていくというものです

エクセルなのでセルの幅を変えることができるため、日によって書くボリュームが異なっても自由にスペースを拡大することができます また、すぐ隣の列を見れば1年前の同じ日の日記が見られるので、瞬時に振り返ることが出来ます。また、過去に遡って簡単に自分の行動を検索することができ、将来の展望を見通すことができます

著者がこの日記を「知のシャープナー」と名付けたのは、「物事を広く知り、その本質を鋭く見抜き、わかりやすく人に伝え、多様な人々とつながりながら、物事を円滑にマネジメントしていく道具として、つまり知を鋭く磨くためのシャープナーとして位置づけているからです

著者は、ただ日記をつけるのではなく、自分を冴えさせる技法(シャープナー)についても触れています。その中で、「情報」の取り方について著者は食事になぞらえて次のように分類しています

〇主食        活字   本、新聞、雑誌など

〇副食        音声   ラジオ、CD,オーディオブックなど

〇酒・デザート    映像   テレビ、インターネット、DVDなど

活字中毒の私などは、頷くところ大です。とくに「新聞」は”バランス栄養食”のようなもの、と言っています。その理由として①政治、経済、国際、生活、文化など「分野のバランス」や、年齢、性別、職業などの読者の「属性のバランス」に配慮して作られている、としています また、「レイアウトのバランス」も絶妙だとして、見出しや記事の大きさで情報の重要度を”格付け”している点を挙げています。さらに最初に結論を述べ、細かい点はあとで補足していく「逆三角形」の構成についても文章を書くうえで参考になるとしています。さすがは文部科学省、文化庁出身のエリートです

日記を書いても三日坊主で続かない、という人は1行ずつでもいいからエクセルでつけてみてはいかがでしょうか。1行が2行に・・・・と増えていき、日記をつけることが楽しみになるかも知れませんよ

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モーツアルト「セレナーデ第11番K.375」を都響メンバーで聴く

2013年04月28日 07時46分25秒 | 日記

28日(日)。昨日の朝日朝刊に、作曲家・佐村河内守「交響曲第1番”HIROSHIMA”」全国ツアーの全面広告が載りました コンサート・プロモーターのサモンプロモーションとCD発売元の日本コロンビアのタイアップ広告です 一人の作曲家のコンサートで全面広告を打つ例は極めて稀だと思いますこの広告ではこれまで発表されていた日程に加え、8月17日(土)午後2時からミューザ川崎シンフォニーホールでの公演が追加されています チケットは昨日27日から発売とのこと。私は7月21日(日)の神奈川フィルのコンサートを押さえているので、ミューザにも行くかどうか微妙です

 

          

 

昨日、東京文化会館小ホールで都響メンバーによる室内楽トークコンサートを聴きました プログラムは①フンメル「木管八重奏のためのパルティータ 変ホ長調」、②モーツアルト「セレナーデ第11番変ホ長調K.375」、③ドヴォルジャーク「管楽セレナーデ ニ短調」です

 

          

 

自席はQ列15番、左寄りの一番後ろの席です。会場は8割位の入りでしょうか 最初に首席オーボエの広田智之がマイクを持って登場し、あいさつをしました

「当初の予想では半分も埋まっていないというウワサがありましたが、連休の初日にも関わらず大勢の皆さんにお出でいただき、ありがとうございます 今回の演奏会は都響の首席のみによる演奏で、木管はオーボエ、クラリネット、ファゴットとも2人ずつ首席が出演します。実はこういう企画をすると怒られてしまうのです と言うのは、同じ首席でも第1(ソロ・コンマス)と第2とでは役割が全く異なるからです。第1は主旋律を吹くのに対して第2は副旋律を吹いたり、オーボエだったらイングリッシュホルンに持ち替えたりするのです 今日は前半と後半で役割を入れ替えて演奏するので、いつもと違ってどれだけやれるかといったところです

「1曲目のフンメルについて説明しておきます。フンメル(1778~1837年)は現在のスロヴァキアに生まれ、幼少時にウィーンへ移り住みました。8歳の時にモーツアルトに才能を認められ、2年間も家に住みついて無償のレッスンを受けたといいますから、相当の天才だったのでしょう その後は、ピアノ演奏においてベートーヴェンと人気を二分したと言いますから、よほどピアノが上手だったようです これから演奏する木管八重奏のためのパルティータはオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2本で演奏されます。パルティータというのは大まかに言えば組曲です。変ホ長調ということで、明るい曲です

一旦、広田智之が袖に引っ込んで、あらためて8人の奏者が登場します。左からオーボエの鷹栖美恵子、広田智之、ファゴットの岡本正之、長哲也、ホルンの野見山和子、西條貴人、クラリネットの三界秀実、サトーミチヨ(何でカタカナよ?)という配置です

広田の合図で第1楽章「アレグロ・コン・スピリト」が始まります。なるほど親しみやすい明るいメロディーです。それは第2楽章のアンダンテでも、第3楽章のヴィヴァーチェでも変わりません。師匠のモーツアルトのパルティータと比べると、何の悩みもないひたすら明るい曲です 演奏は、さすが都響の最前線で活躍する首席だけによる見事なアンサンブルです とくに左右に分かれて向かい合ったオーボエの鷹栖美恵子とクラリネットのサトーミチヨの掛け合いが聴きものでした

2曲目のモーツアルト「セレナード第11番K.375」の第1項(1781年作曲)はクラリネット、ホルン、ファゴット各2人、計6人による編成でしたが、翌1782年7月に自身により改訂された版によると2本のオーボエが加わり8人編成になっています

ホルンは野見山和子に代わり和田博史が登場します。この曲は馴染み深いこともありましたが、念のためウィーン・フィルハーモニー木管グループによる演奏のCD(1954年録音)で予習しておいたので、メロディーはすべて頭に入っています

 

          

 

この曲もテンポといい、それぞれの楽器の音色といい、全体のアンサンブルといい、素晴らしい演奏でした

20分の休憩を挟んで後半のドヴォルジャーク「管楽セレナーデ」に入ります。再び広田智之がマイクを持って登場、セレナーデについて説明します

「セレナーデというのは、夜、大切な人のために語りたいことを語る時の音楽です 次に演奏するドヴォルジャークの”管楽セレナーデ”は、モーツアルトの頃のセレナーデとは意味合いが全く違っています。モーツアルトの13楽器のためのセレナーデ”グラン・パルティータ”を意識して作曲したところも見受けられます

「ここで、演奏者を迎えてインタビューしようと思います。皆さん、登場してください」と言って出場者全員を迎えます。全員が揃ったところで、

「鷹栖さん(オーボエ)は東京シティフィルの首席から昨年8月に都響の首席に移ってきたんですよね」、

「長君(ファゴット)は、東京藝大卒業後、すぐに都響のコンマスに迎えられたんですよね」、

「サトーさんは、改名されたんですよね。ごめんなさい、音楽の話じゃなくて

と、相手に話してもらうよりもインタビュアーの話の方が長いようでした。

サトーさんは「サトーミチヨとカタカナに改名した方が運勢が良くなると言われたんですよ。いえ、怪しいアレじゃなくて・・・・サトウじゃだめでサトーと伸ばさないとだめだと言われたんです

すかさず広田智之が「皆さん、プログラムのメンバー表をご覧いただくとインパクトがありますよ。最初はナニ人かと思いますが・・・・・」と突っ込みます

舞台上には前半のメンバーに、チェロの田中雅弘とコントラバスの山本修が加わります。そして、それぞれの楽器で第1と第2が入れ替わります

この曲は、第1楽章冒頭の行進曲風のメロディーが特徴的ですが、私は昔NHKで放映された連続テレビ・ドラマ、向田邦子原作の「阿修羅のごとく」のテーマ音楽が、このドヴォルジャークの「管楽セレナーデ」の冒頭だと長い間思い込んでいました 今でこそ、そのテーマはオスマン・トルコの軍楽隊音楽「ジェッディン・テデン」(祖父も父も)であることが判っていますが、メロディーがよく似ているのです

何と言ってもこの曲の大きな特徴はモーツアルトのセレナーデ第10番”グランパルティータ”(13楽器のためのセレナーデ)を意識して作曲したと思われることです 第3楽章「アンダンテ・コン・モート」を聴くと、まさにグランパルティータのアダージョ楽章の世界です。ドヴォルジャークのこの曲ではチェロとコントラバスが加わっていますが、広田智之の解説のように「これらの楽器があるとないとでは、まったく違う」大きな存在です。管楽器同士のやり取りを底辺で支える頼もしい楽器です

アンコールにはドヴォルジャークのフィナーレ部分を演奏し、会場一杯の拍手を受けていました 都響は弦楽器が定評があると言われていますが、管楽器もどうして素晴らしい演奏家が揃っていると思いました

 

          

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「県庁おもてなし課」「模倣の殺意」「マボロシの鳥」「プロムナード」を買う

2013年04月27日 07時00分41秒 | 日記

27日(土)。昨日は当ビル入居テナントの防火責任者を集めて会議を開きました 丸の内消防署の有楽町出張所長を招いて最近の消防関係の話を聞きましたが、また来年から消防法が変わるとのこと。毎年のように何らかの改正が加えられています これについて所長は「大きな火災が起き、死者が出るたびに法律は厳しくなっていくが、仕方ないことだ」と話していましたが、法律を守らず、非常階段に物を置いて避難できなくしたり、ろくにスプリンクラーも設置していなかったりして大火災を起こす一握りの雑居ビルや施設などのために、普段からまじめにやっているビルや事業所が迷惑を蒙っているのです 

丸の内管内の消防関係団体の2つの年次総会に出席するため、防火会議終了後すぐに日本商工会議所に向かいました 地下鉄の出口を間違えたため、地下を彷徨っているうちに1つ目の総会には間に合わず、2つ目の総会から出席しました 終了後の懇親パーティーで丸の内消防署長から挨拶がありましたが、「昨年1年間の丸の内消防署管内では36件火災が発生したが、このほとんどが電気系統に起因するものだった」との説明がありました。たこ足配線などには気を付けたいものです

今週は火曜がコンサートで、水曜から3日連続でパーティーや飲み会が入ったのでくたびれ果てました。今日午後は東京文化会館小ホールで都響メンバーによる室内楽を聴きます。今夜は早めに寝たいと思います

 

  閑話休題  

 

本を4冊買いました。1冊目は有川浩著「県庁おもてなし課」(角川文庫)です。ある県庁に生まれた新部署「おもてなし課」の若手職員の奮闘記です。かなり面白そうです

 

          

 

2冊目は中町信著「模倣の殺意」(創元推理文庫)です。初版は昭和46年という”古い”推理小説のリバイバルです。この本は朝日だったか日経だったかの書評で知りました

 

          

 

3冊目は太田光著「まぼろしの鳥」(新潮文庫)です。太田光は「爆笑問題」のあの太田です。長編小説かと思っていましたが、9つの物語から成る短編集です

 

          

 

4冊目は道尾秀介著「プロムナード」(ポプラ文庫)です。このブログでも何度かご紹介したサスペンス作家・道尾秀介の初めてのエッセイ集です

 

          

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神奈川フィルによる佐村河内守「交響曲第1番」のコンサートのチケットを買う

2013年04月26日 07時00分13秒 | 日記

26日(金)。昨夕は、仕事の懸案事項が一つ片付いたのでHCビル地下のKでいつもの4人で飲みました 宴が終わり、前日が遅かったので早く帰ろうとすると、x部長に右腕を拘束され、そのままタクシーに押し込まれて上野に向かいました。日本ではこれを”拉致”といいます 結局、借りた傘を持たないまま同じ店に2夜連続通うことになり、また日を改めて傘を返しに行かなければなりません。こうして悪循環が続きます 今夜は消防関係団体の会議と懇親会があるので、またまた飲まなければなりません。勘弁してこんな生活 おいしい生活

 

  閑話休題  

 

チケットを2枚買いました。1枚は7月30日(火)午後9時からサントリーホールで開かれるPMFオーケストラ東京公演です PMFとはパシフィック・ミュージック・フェスティバルの略です。プログラムは①ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」、②ベルリオーズ「幻想交響曲」で、指揮は準・メルクル、①のヴァイオリン独奏はワディム・レーピンです

 

          

 

2枚目は佐村河内守の「交響曲第1番”HIROSHIMA”」のコンサートです 8月のミューザ川崎での東響コンサートは即日完売 7月6日の東京芸術劇場での東京フィル公演は、新日本フィルの定期公演と重なっているのでダメ 10月26日のサントリーホールでの追加公演も古典四重奏団の公演を聴くのでダブり 残るのは7月21日(日)午後2時から横浜みなとみらいホールで開かれる神奈川フィルのコンサートのみだったのです

正直言って、相当迷った挙句に神奈川フィルのチケットを購入しました。なぜ迷ったかと言うと、以前このブログにも書いたように、このオケのコンマスが気に入らないのです そうは言うものの生で聴くからには他に選択肢がないので仕方ありません。幸い常任指揮者の金聖響は嫌いではないので、2階左サイドの、コンマスの顔が見えない席を確保しました 

 

          

          

 

なお、サンプロモーションの新聞広告によると、明日の27日(土)午後3時からNHK-Eテレで、この「交響曲第1番」全曲が放映されるとのこと 残念ながら、この日、私は都響の室内楽コンサートを聴きに行くので観ることが出来ません チケットを買えなかった人は必見です

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「おどろきの中国」(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司)を読む

2013年04月25日 07時00分24秒 | 日記

25日(木)。昨日午後、東京駅近くの日本工業倶楽部でビル関係の年次総会と懇親会があり、出席しました。ほとんど雨が降っていなかったので傘を持っていかなかったのですが、終わって外へ出ると小雨がパラついていました しかたないので都内某所で雨宿りしてから帰ることにしたのですが、11時半頃そこを出る時にもまだ降っていたのでお店で傘を借りてきました 雨宿りの意味が無かったみたいです。いつか早い時期に傘を返さないと、もうカサナイと言われそうなので行かなくてはなりません

ところで傘は英語でアンブレラですが、折り畳み傘は何と言うでしょう。多分、ハンブレラだと思います

 

  閑話休題  

 

橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司による「おどろきの中国」(講談社現代新書)を読み終わりました橋爪大三郎は1948年生まれ、東京工業大学教授。大澤真幸は1958年生まれ、京都大学教授を歴任。宮台真司は1959年生まれ、首都大学東京教授です 橋爪大三郎と大澤真幸は共著「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)で新書大賞2012を受賞しています

 

          

 

この本は次の4部から構成されています。第1部「中国とはそもそも何か」、第2部「近代中国と毛沢東の謎」、第3部「日中の歴史問題をどう考えるか」、第4部「中国のいま・日本のこれから」。

大澤氏が「まえがき」の中で次のように書いています

「3人の社会学者が中国という社会の原理について、中国の過去と現在について、今後の日中の関係について論じた鼎談です 中国という社会や文化を理解するのが難しいのは、われわれが中国との交流が足りなかったから、だけではない。われわれが、社会や文化を理解するうえでの基本となる理論や枠組みが、学問のレベルでも、また常識のレベルでも、西洋を標準としてきたことに、大きな原因がある

第1部「中国とはそもそも何か」の中で、橋爪氏は次のように語っています。

「中国らしきアイデンティティの起源は、おそらく秦の始皇帝が統一的な帝国をつくった時点の2200年前に求められるでしょう これはキリスト教よりも古い。さらに最近の考古学の調査によれば4000年前に遡ることができる こういうことを考慮すると、西洋に由来する”国家”とか”主権”とかいった概念で、中国なるもののアイデンティティを説明することは出来るはずがない

それ程長い歴史があるから、中国は「われわれは世界の中心にある」と主張するのでしょう

「どんな社会にも、大事な価値があり、それを実現するために、人間関係や組織をつくるのですが、社会ごとにその優先順位が微妙にちがっている 中国を見ていてつくづく思うのは、安全保障の優先順位がきわめて高い。政府が存在する理由は、安全保障のためと言ってもいいぐらいで、そのことを誰もが深く理解しているんじゃないか

なるほど、尖閣列島問題を一つ取り上げてみても、分かるような気がします

「中国は21世紀の覇権国になるか」、「日本は米中関係の付属物にすぎない」「日本がとるべき進路」など、興味深いテーマが目白押しです。是非、手に取ってご覧いただくようお薦めします

 

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ルノー・カプソン+ダヴィッド・カドゥシュによるヴァイオリン・リサイタルを聴く

2013年04月24日 07時00分12秒 | 日記

24日(水)。昨夕、トッパンホールでルノー・カプソンのヴァイオリン・リサイタルを聴きました プログラムは①ドビュッシー「ヴァイオリン・ソナタ」、②グリーグ「ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調」、③リヒャルト・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調」。ピアノ伴奏はダヴィッド・カドゥシュです

カプソンは1976年フランス生まれ、パリ国立音楽院で学び、97年からクラウディオ・アバド率いるグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めました 使用楽器はアイザック・スターンが所有していた1737年製グァルネリ・デル・ジェスとのこと。一方、ピアノのダヴィッド・カドゥシュは1985年フランス生まれ、ニース音楽院とパリ国立音楽院で学びました

 

          

 

会場入り口のポスターには「SOLD OUT」の文字が躍っています。自席はF列24番で、前から6列目の右端の席。会場は文字通り満席です

1曲目のドビュッシー「ヴァイオリン・ソナタ」は作曲者の死の前年に書かれた唯一のヴァイオリン・ソナタです。完成は1917年で、初演はその年の5月15日でした。この時、ドビュッシーのピアノで初演したヴァイオリニストはガストン・プーレという人で、カプソンが師事したジェラール・プーレの父親だったとのことです

曲はドビュッシーらしい移ろうような、幻想的な感じの曲想で、ヴァイオリンとともにピアノが雄弁に語っていました ロングヘアで黒のタイトスカートのよく似合う譜めくりの女性がすごい美人です。演奏には何の関係もありませんが

2曲目のグリーグ「ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調」は1885年から87年にかけて作曲されました。第1楽章は慟哭のような非常に激しい曲です。一転、第2楽章はメロディーが美しい曲で思わず聞き惚れてしまいます。第3楽章のフィナーレは民族色豊かな音楽で、圧倒的な迫力で締めくくられます

最後のリヒャルト・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調」は、作曲者が24歳の時の作品です。彼らしい歌うような旋律に満ちています この曲は今まで生演奏で2回聴いています。2回とも女性のヴァイオリニストと男性のピアニストの組み合わせだったと記憶していますが、過去2回の演奏と今回のカプソン+カドゥシュの演奏とは全く印象が違います 過去2回の演奏は、まるで恋人同士の会話のように聴こえたのですが、今回のはヒロイックで男性的な演奏でした カプソンの演奏を聴く前は、「ひたむきな詩情と艶やかな官能」というチラシの謳い文句に影響され、甘くメロディーを奏でるカンポーリのようなイメージを描いていたのですが、全く違いました 艶やかではあるけれど、芯のしっかり通った極太の演奏でした カプソンのヴァイオリンを聴いていて、ふと、ロマン派最後の作曲家とも言われたコルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」を彼が弾いたらピッタリだろうな、と思いました。彼のヴァイオリンの音色と演奏スタイルがコルンゴルトのコンチェルトに最も相応しいと思ったのです 私はこの協奏曲が大好きです

圧倒的な拍手に応えてアンコールを演奏しました。いつかどこかで聴いたような美しいメロディーですが分かりません プログラムに「昨年11月に公開された映画『チキンとプラム~あるヴァイオリン弾き、最後の夢』の中で美しいメロディーを弾いていたのがカプソンだった」と書かれていたので、その映画を観た体験から、ひょっとしたら『チキンとプラム』の中で流れていた音楽かも知れないな、と一瞬思いました

 

          

 

鳴り止まない拍手に、2曲目のアンコールとして静かでロマンティックな短い曲を演奏しましたが、この曲も誰のどういう曲か分かりません

演奏終了後、出口の掲示でアンコール曲を確認して、びっくりしました と言うのは、1曲目の曲がコルンゴルトの歌劇「死の都」の”マリエッタのアリア”だったのです。やっぱり、彼はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を弾くべきだと確信しました

ちなみに2曲目のアンコール曲は、レーガーの「ロマンス ト長調」でした

今回のコンサートを振り返って印象に残っているのは、カプソンの熱演とともにピアノのカドゥシュの存在です ヴァイオリンと対等に演奏する姿が目に焼き付いています。この二人のコンビは息がピッタリです。「おれたちゃ、ヤワな男じゃないぜ」と言いそうなナイス・ガイです プログラムのタイトルはすべて「ヴァイオリン・ソナタ」ですが、今回の演奏会に限って言えば「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と呼んだ方が適切だと思いました

 

          

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日本演奏連盟「第25回クラシックフェスティバル・ファイナルコンサート」を聴く

2013年04月23日 07時00分05秒 | 日記

23日(火)。21日(日)午後3時から東京文化会館大ホールで日本演奏連盟の第25回クラシックフェスティバル「ファイナルコンサート」を聴きました プログラムは①バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043」、②モーツアルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」、③ベートーヴェン「交響曲第9番”合唱付き”」です 演奏は尾高忠明指揮フェスティバル・オーケストラで、①のヴァイオリン独奏は志茂美都世、鈴木愛理、②のピアノ独奏は小山実稚恵、③の独唱はソプラノ=澤畑恵美、アルト=伊原直子、テノール=佐野成宏、バリトン=大山大輔、合唱は東京混声合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部です 伊原直子と言えば、かつてビゼーの歌劇「カルメン」のタイトルロールで一世を風靡し、その後マーラーの第2交響曲”復活”のスペシャリストと言われたアルトですが、今も現役で歌っているのが信じられないくらいです 歌手って丈夫で長持ちするのですね

 

          

 

自席は1階14列12番と、文化会館ではベストに近い良い席です 会場は7~8割方埋まっている感じです。オケは東京フィル、東響、日本フィル、新日本フィルのピックアップ・メンバーにより臨時に編成されたもので、コンマスは日本フィルのコンマス・扇谷泰朋が務めます

1曲目のバッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」を演奏するため弦楽のみ26人のメンバーが登場します 次いで尾高とともにソリストの志茂美都世が朱色の、鈴木愛理がブルーのドレスで登場します 尾高は指揮棒を持ちません。オケを見渡しましたが、見たことのあるのはコンマスの扇谷氏しかいません 4つの在京オケのピックアップ・メンバーということですが、私には馴染みの薄い日本フィルが中心なのではないかと推測します

尾高の合図でバッハのコンチェルトが軽快なテンポで始まります が、ソリストの二人はそれぞれ「私は私、あなたはあなた」という感じで自分の分担を弾いているように見えました。多分気のせいだとは思いますが・・・・・・演奏が終わっても、二人はバラバラに拍手に応えているような印象を受けました。普通、タイミングを図っていっしょにお辞儀するものですが、まったくばらばらでした この二人は主催者側の要請で初めてコラボを組んで、全くなじまないまま本番を迎えたのではないか、と察しましたが、どうでしょうか

2曲目のモーツアルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」のためにピアノがセンターに運ばれます。オケのメンバーが追加され2倍の50人ほどに拡大されます ソリストの小山実稚恵がグリーンを基調としたドレスで尾高とともに登場します 冒頭、オケだけで前奏が奏でられますが、その間、小山は身体を軽く前後に揺らして音楽の流れに身を任せます モーツアルトのピアノ協奏曲を聴くといつも、ピアノは女王だと思います。「まだか、まだか」と待たされて、やっと主役のピアノが女王のごとく登場するのです

何と言ってもこの曲の聴きどころは第2楽章のアダージョでしょう。静謐なピアノの音だけが会場に静かに響き渡ります。何と哀しい音楽なのでしょうか 大原麗子が出演した映画「男はつらいよ」の喫茶店のシーンでこの音楽が印象的に流れているのを思い出しました。また、ドイツ映画「マリア・ブラウンの結婚」では食事のシーンでこのアダージョが流れていました

一転、第3楽章はアレグロ・アッサイの指示どおり、快活にピアノが踊ります 小山は、見るからに幸せそうに演奏、モーツアルトを弾くのが嬉しくてたまらないという心情が顔に現われています。それが演奏そのものに反映します。素晴らしいモーツアルトでした

休憩中にピアノが片付けられ、この日のオケのフルメンバーと合唱団が登場します。合唱は3団体の混成で約90人がオケの後ろにスタンバイします。いよいよこの日のハイライト、ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調”合唱付”が始まります

ピアノが撤去されて視野が広がったことから、あらためてオケの配置を確認すると、おかしなことに気が付きました。それは第2ヴァイオリンとヴィオラの配置です 通常、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、後ろにコントラバスという編成か、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンという対向配置を取ります。ところが、楽器の大きさから見ると、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、また第1ヴァイオリン、チェロ、またヴィオラ、第2ヴァイオリンという配置のように見えたのです つまりヴァイオリンもヴィオラも2つに分かれて配置されているのではないか、と思ったのです。それが気になって、とうとう第3楽章終わりまでずーっと考えていました

結論から言えば、私の勘違いで、正しい配置は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラという編成だったのです ヴァイオリンとヴィオラは当然大きさが違いますが、見る角度によって大きく見えたり、小さく見えたりするようなのです 結果として演奏に集中できず無駄な時間を費やしてしまい、反省しきりです

尾高忠明の指揮は引き締まった音楽づくりで、ビシビシと決めていきます 広い会場ですが、ソリスト陣もよく声が通り、素晴らしい歌声を聴かせてくれました。3団体混成の合唱団も十分実力を発揮してくれました

東京文化会館大ホールでコンサートを聴くのは久しぶりですが、音響も良く、あらためて素晴らしい会場だと思いました 在京オーケストラの定期公演と言えばかつては東京文化会館でしたが、サントリーホール、東京オペラシティコンサートホール、東京芸術劇場と次々と音響の良い大ホールが出来てから、そちらに移ってしまい、今や存在感が薄れてしまいました しかし、実際に聴いてみると素晴らしい音響で、捨てがたい魅力があります また、オペラの本公演と言えば初台の新国立劇場を除けば、今でもNHKホールと並んで使用頻度の高いホールです。もっと頻繁にクラシックのコンサートが開かれることを希望します

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東響第609回定期演奏会でモーツアルト「ミサ曲ハ長調K.317」「レクイエムK.626」を聴く

2013年04月22日 07時00分01秒 | 日記

22日(月)。20日(土)は午後2時からの新日本フィル定期演奏会に次いで、午後6時からサントリーホールで東京交響楽団の第609回定期演奏会を聴きました プログラムは①モーツアルト「ミサ曲ハ長調K.317”戴冠式ミサ”」、②同「レクイエム ニ短調K.626」(バイヤー版)です。指揮はユベール・スダーン、ソプラノ=サビーナ・フォン・ヴァルター、メゾ・ソプラノ=ステファニー・イラーニ、テノール=福井敬、バス=パトリック・シンバー、合唱=東京コーラス、コンマスはグレブ・ニキティンです

新年度第1回目のコンサートにつき、プログラムの表紙が変わりました。前年度はクリムトの絵を表紙に使用していましたが、今回4月号は2004年9月から東響の音楽監督を務めているユベール・スダーンがフィーチャーされています

 

          

         

オケの面々が登場しスタンバイします。左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、コントラバス(ヴィオラがいない!)で、後ろに管楽器、その後ろに約90名の東響コーラスが陣取ります。そしてソリストが登場、オケの左サイド後方にスタンバイします

スダーンが登場しますが、指揮台はなく、いつも通りタクトを持っていません 1曲目のモーツアルト「ミサ曲ハ長調K.317”戴冠ミサ”」はマンハイム、パリ旅行を終えてザルツブルクに帰着したモーツアルトが1779年3月に完成した曲です この曲を聴くといつも思うのですが、まるでオペラのアリアのようだということです。

4人の歌手の中ではソプラノのヴァルターが良く通る美しい声で、圧倒的な存在感を示していました

2曲目の「レクイエム ニ短調K.626」はバイヤー版によって演奏されます。チューニングが始まりますが、オーボエがいません あらためて、レクイエムはオーボエなしで演奏されることを自覚します。代わりに”忘れてはならない”ファゴットでチューニングが始まりました

スダーンの合図で1曲目のイントロイトゥスが静かに始まります。園子温監督の映画「希望の国」の冒頭でこの音楽がテーマのように使われていたのを思い出します 2曲目のキリエを経て3曲目のセクエンツィアに入りますが、第1曲「ディエス・イレ」から第6曲「ラクリモーサ」までの6曲から成ります。ラクリモーサを聴くと、モーツアルトのすすり泣きが聴こえてきます 「もっと生きたい。でも生きられない」と声を振り絞って叫んでいるようで、心苦しくなります

スダーンは、歌わせるところはじっくりと歌わせ、畳み掛けるところはテンポを上げ、メリハリを付けて演奏を展開します これがスダーンの音楽づくりの特徴と言えるでしょう

数時間前に新日本フィルで聴いたブラームスやシューマンの音楽、とくに交響曲や協奏曲が、力いっぱい演奏することでその魅力が発揮されるのに対して、モーツアルトの音楽は、どんなジャンルでも、いかに力を抜いて素直に演奏するかでその魅力が発揮されるということを感じました

4人のソリストはそれぞれ十分に実力を発揮しました。東響コーラスも最大限の力を出し切りました 東響のメンバーももちろん真正面からモーツアルトに対峙しました

 

          

 

鳴り止まない拍手に、ソリストが再び登場して、アンコールにモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を穏やかに演奏しました 昨年だったか、新潟定期のプログラムにこの曲が組まれていて、せっかく練習したのに新潟公演だけで披露するのはもったいないということで、サントリーシリーズでもアンコールに歌われた曲です 5分にも満たない小曲ですが、モーツアルト最晩年の珠玉の名曲です

この曲を聴きながら「生きていて良かった」と思いました。生きていればこそ、モーツアルトの名曲が生で聴けるのです これ程幸せなことはありません

終演にあたり、スダーンはコンマスと握手、深々と頭を下げ、聴衆の声援に応えます この謙虚さが日本の聴衆に受けるのでしょう。あと1年しか彼が任期が残っていないのは実に寂しい思いがします

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新日本フィル定期でブラームス「ピアノ協奏曲第2番」、シューマン「交響曲第4番」を聴く

2013年04月21日 07時40分36秒 | 日記

21日(日)。昨日の朝日夕刊に「クラシック界にハルキノミクス 新作中の曲 品切れ続出、廃盤復刻も決定」という記事が載りました 記事を要約すると、

「発売1週間で発行100万部に達した村上春樹の新刊小説『色彩を持たない多碕つくると、彼の巡礼の年』の作中に登場するクラシック曲のCDの品切れが相次いでいる この著作ではロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンの演奏するリストの『巡礼の年』が、印象的に記される。発売後店頭では輸入盤の品切れが続出 有料ダウンロードも急増し、一部の音楽配信サイトでは一時ランキング1位にもなった 国内版CDは廃盤になっていたが、ユニバーサルミュージックは急きょ、5月15日に再発売することを決めた。『1984』の時も、作中に登場したヤナーチェクの『シンフォニエッタ』のCDがヒットした。小説がクラシック界に”特需”をもたらす異例の事態となっている

『巡礼の年』のCDは持っていますが、ラザール・ベルマンのではありません 実はベルマンには苦手意識があるのです。LP時代にリストの「超絶技巧練習曲集」の演奏を聴いて、あまりの完璧さに返って嫌気がさしてしまい、彼の演奏するほかのLPも避けるようになったのです。当時はカラヤンと入れたチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」もベストセラーになっていましたが、これにも手を出しませんでした。したがって彼のCDは1枚も持っていないのです。

さて、村上春樹が取り上げるベルマンの『巡礼の年』とはどんな演奏なのか、興味はあります

 

  閑話休題  

 

昨日はコンサートを2つハシゴしました。午後2時からすみだトりフォニーホールで新日本フィルの第507回定期演奏会を、次いで6時からサントリーホールで東京交響楽団の第609回定期演奏会を聴きました今日は新日本フィルの定期演奏会の模様を書きます

プログラムは①ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」(ピアノ独奏:清水和音)、②シューマン「交響曲第4番」で、指揮は2003年から新日本フィル芸術監督のクリスチャン・アルミンクです

開演前の午後1時半からクリスチャン・アルミンクによる「プレトーク」がありました この日演奏されるシューマンの交響曲第4番は、作曲した順で言えば2番目の曲で、その後、作曲者自身により改訂版が出されたため第4番になったとのこと 初演はあまり評判が良くなかったようですが、アルミンクの解釈では、4つの楽章が連続して演奏されるため、保守的な聴衆は、いつ終わるか分からない第1楽章にしびれを切らし、やっと第1楽章が終わったと思ったら全曲が終わっていたので、面喰ったのではないか、というものです。分かるような気がします 彼の解説で面白いと思ったのは、初稿版の楽譜にはギターの表示があるけれど、音符が書かれていないという話です

 

         

 

オケがスタンバイしてチューニングの入ります。コンマスはソロ・コンマスの崔文殊(チェ・ムンス)です。いつものように、後ろの奏者のみならず、すべての演奏者が彼の動きが見られるように椅子の高さを一段と高く設定し、ほとんど中腰に近い姿勢でスタンバイします

メンバーを見渡すと、18日の室内楽シリーズに出演したオーボエの古部賢一、チェロの武澤秀平は出演していますが、第2ヴァイオリンの篠原英和さん、ヴィオラの木村恵子さん、チェロの多田麗王さんは降り番のようです 今ごろはワインがぶ飲みでしょうか

ソリストの清水和音と指揮者アルミンクが登場し、1曲目のブラームス「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調」がホルンの独奏で開始されます 清水のピアノは力強く安定感があります。パワー全開といったところですが、彼の特徴は弱音もオケに消されないことです 第3楽章の上村祥平のチェロと清水のピアノの対話には思わず聴き入ってしまいました 全曲を通して感じたのは、管打楽器はもちろんのこと、弦楽器が相当の根性で演奏しないとブラームスは音楽にならないということです もちろん新日本フィルのメンバーはピアニストに負けずパワー全開で乗り切ります

休憩時間にロビーに出てチラシをチェックしていると、入口に近い方から男の怒鳴り声が聞こえてきました 遠くなので何を言っているのか聞き取れないのですが、だれかを怒鳴りつけているようです クラシックのコンサート会場では滅多にない出来事ですが、時々こういう怒りの発火点の低い人がいます。ちょっと気に入らないことがあるとすぐに大声で怒鳴り散らすのです

数年前、東京シティフィルの定期会員だったときにも居ました。前の席の人の頭が邪魔だと言って休憩時間に怒鳴りつけていました あの時は5月でした。どうも春爛漫の4月とか5月にこういう現象が起きるようです コンサート会場でこういう人を見ると非常に違和感を感じます。存在自体が場違いです。明らかに来るところを間違えています こういう人は、プロ野球でも観に行って「どーしてピッチャー代えないんだ、このドアホ 監督なんか辞めちまえ」とか野次を飛ばしている方が似合っています誤解のないように言っておきますが、私は生粋のタイガース・ファンですが、家でも球場でも、そういうひどいヤジは飛ばしません

さて、休憩後のシューマン「交響曲第4番ニ短調」は、彼の4つの交響曲の中でも好きな曲です 演奏では、とくに第2楽章の崔コンマスのヴァイオリン独奏が実に美しく響きました そして一番好きな第3楽章「スケルツォ」は理想的なテンポで音楽が推進し、第4楽章のフィナーレを迎えます

オーストリア・ウィーン出身のアルミンク得意のドイツ・オーストリア系のプログラムでしたが、彼の任期も8月定期公演のマーラー「交響曲第3番」まで。マーラーに期待しましょう

 

 

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