人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ロベルト・フォレス・べセス ✕ ソン・ヨルム ✕ N響でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」、ドヴォルザーク「交響曲第7番」他を聴く~2019都民芸術フェスティバル / 新文芸坐「友の会」更新

2019年01月31日 07時22分56秒 | 日記

31日(木)。月日の流れは速いもので、今日で1月も終わり。今年も残すところあと334日になってしまいました

昨日、池袋に買い物に出たついでに新文芸坐に寄って「友の会」の更新手続きをしました ダイレクトメール会員なので更新料は1200円(年間)です。DM会員には月に1回、はがきサイズのスケジュール表が送られてくるので、いつも手帳に挟んで持ち歩いています 「友の会会員」の入場料は@1100円(一般:1350円)ですが、1回(基本:2本立て)につき1ポイントが付与され、8ポイント溜まると招待券が1枚もらえます 私は入会以来何枚もらったか数えきれません。リピーターを増やす絶妙な手法だと思います

ということで、わが家に来てから今日で1581日目を迎え、英国の欧州連合(EU)からの離脱をめぐり 英議会下院は29日、一度否決した政府の離脱協定案の一部を変更すれば支持するとの動議を賛成多数で可決し、これを受けてメイ首相は「議会の支持が得られる見通しがついた」としてEUとの再交渉に意欲を示したが、EU側は即座に否定した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     EUが「はいそうですか」と再交渉に応じたら EG(イージー)だと非難されるか

 

         

 

昨日の夕食は、勝浦市在住の友人S君が送ってくれた(最後の)アジを塩焼きにして、真鯛の刺身とタラコといっしょに食べました 最低 週に1度は魚を食べるようにしています

 

     

 

         

 

今年も都民芸術フェスティバル「オーケストラ・シリーズ」の季節がやってきました 昨夕、その第1弾として池袋の東京芸術劇場コンサートホールで開かれたNHK交響楽団のコンサートを聴きました プログラムは①チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24から「ポロネーズ」、②同「ピアノ協奏曲第1番変ロ長調作品23」、③ドヴォルザーク「交響曲第7番ニ短調作品70」です 演奏は②のピアノ独奏=ソン・ヨルム、管弦楽=NHK交響楽団、指揮はスペイン出身で 現在オーヴェルニュ室内管弦楽団音楽監督・首席指揮者のロベルト・フォレス・べセスです

 

     

 

自席は2階RBA列23番、早い話が2階右サイドのバルコニー席です 東京オペラシティコンサートホールでは絶対にバルコニー席は取りませんが、芸劇のバルコニーは1列なので好条件です。会場はほぼ満席です

オケのメンバーが配置に着きます。弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並びです コンマスは伊藤亮太郎、首席は第2ヴァイオリンが大林修子、チェロが藤森亮一、ヴィオラが佐々木亮という布陣で、オーボエには髭の茂木大輔がでんと構え、定期演奏会と同じくらい力を入れているのが感じ取れます

指揮者ロベルト・フォレス・べセスが登場し、1曲目のチャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24~から「ポロネーズ」の演奏に入ります 歌劇「エフゲニー・オネーギン」はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1878年に完成させたオペラですが、「ポロネーズ」は第3幕第1場の冒頭の舞踏会で演奏される音楽です 華麗かつ勇壮なメロディーを聴きながら、数年前にMETライブビューイングで観た「エフゲニー・オネーギン」のベチャワとネトレプコの姿を思い浮かべました

グランド・ピアノがセンターに移動し、2曲目のチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番変ロ長調作品23」に備えます この曲は当時モスクワ音楽院の教授だったチャイコフスキーが1874年11月から12月にかけて作曲した作品です モスクワ音楽院の創設者で初代校長のニコライ・ルビンシテインに献呈するために作曲し、ピアノで聴かせたのですが、期待に反しニコライは「演奏不可能」「低俗で陳腐」などと酷評したのです それでもチャイコフスキーは一切の改訂を加えず完成させました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ」、第2楽章「アンダンティーノ・センプリーチェ」、第3楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の4楽章から成ります

2009年のヴァン・クライバーン、2011年のチャイコフスキーの両コンクールで準優勝となった韓国のソン・ヨルムがオレンジ系の鮮やかな衣装で登場、ピアノに向かいます ロベルト・フォレス・べセスのタクトで第1楽章が開始されます ソン・ヨルムはオケに呼応して壮大な音楽を奏でます 特に感心したのは高音がすごく綺麗だということです とくに第2楽章でその美点が際立ちました。3楽章に入ると躍動感に満ちたスケールの大きな演奏を展開しました

カーテンコールが繰り返されますが、オケのメンバーも足で床を鳴らしてブラボーの意志を伝えます ソン・ヨルムはアンコールにチャイコフスキーのバレエ曲「白鳥の湖」から「4羽の白鳥の踊り」を超絶技巧で鮮やかに演奏、大きな拍手を浴びました


     

 

プログラム後半はドヴォルザーク「交響曲第7番ニ短調作品70」です この曲はアント二ン・ドヴォルザーク(1841‐1904)が1884年に、ロンドン・フィルハーモニー協会の名誉会員に推され、その時に協会から作曲を依頼され翌85年3月に完成した作品です 第1楽章「アレグロ・マエストーソ」、第2楽章「ポコ・アダージョ」、第3楽章「スケルツォ:ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ」の4楽章から成ります

ロベルト・フォレス・べセスは暗譜で振ります 前半の曲でもそうでしたが、彼のタクトは、下から上へ、外から内へ振られます かつてこういう指揮をした人がいましたが、名前を忘れました 楽員は演奏しにくくないのだろうか、と心配になりますが、演奏を見る限り、皆さん何の苦もなくタクトについていっていました

私がこの曲を聴いて一番ドヴォルザークらしい、と思うのは第3楽章のスケルツォです ブルックナーのスケルツォに民族色を加えたような感じ、と言えば良いでしょうか 全楽章を聴いて感じたのは、音楽の流れが良く、音楽が生き生きとしていて、ドヴォルザークが現代に息づいているということです アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」でした ロベルト・フォレス・べセス、良い印象を持ちました

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「ハッピーMOKU5アワー」コンサートを聴く~紀尾井ホール室内管弦楽団の木管五重奏団によるロッシーニ「木管四重奏曲第1番」、ビゼー「カルメン組曲」他 / 「レコード芸術」を6年分捨てる

2019年01月30日 07時21分03秒 | 日記

30日(水)。昨日、玄関の靴箱の上に置いてあった月刊誌「レコード芸術」1995年1月号から2000年12月号までの6年分と、「音楽の友」など音楽関係の雑誌・ムックなど合計110冊を分別ごみに出しました 「20年数年前はレコ芸を定期購読していたんだなあ」と感慨深いものがありましたが、ページを繰ると捨てるのが惜しくなるので一切見ず、ほとんど事務的に10冊ずつ束にしました 廊下に不要な書籍が100冊以上積んであったので、これも束にして分別ごみに出しました。管理人さんが台車を貸してくれ、手伝ってくれたお陰でスムーズに運ぶことができました これで かなりすっきりしました

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で1580日目を迎え、政府は29日公表した1月の月例経済報告で、景気の総括判断を「緩やかに回復している」と据え置き、2012年12月から始まった景気回復の期間について「戦後最長となった可能性がある」と指摘した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       好景気の実感がないけど  厚労省のように不適切統計に基づいて算出してないか?

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ麻婆茄子」を作りました 豆板醤と甜面醤の割合が絶妙で、とても美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夕、紀尾井ホールで「ハッピー MOKU 5アワー」公演を聴きました MOKU5というのは木管の木(もく)と五重奏の5のことで、紀尾井ホール室内管弦楽団の木管楽器奏者5人によるコンサートです。プログラムは①ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲、②ロッシーニ「木管四重奏曲第1番ヘ長調」、③モーツアルト:歌劇「魔笛」K.620から「私は鳥刺し」「なんという不思議な笛の音だ」「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」、④ビゼー「カルメン」組曲、⑤ルーセル「ディヴェルティスマン作品6」、⑥ミヨー「ルネ王の暖炉 作品205」、⑦ラヴェル「マ・メール・ロワ」です 演奏は、オーボエ=池田昭子(N響)、フルート=難波薫(日フィル)、クラリネット=勝山大輔(都響)、ファゴット=岩佐雅美(読響)、ホルン=日橋辰朗(読響首席)、ピアノ=鈴木慎崇です


     


自席は1階3列4番、左ブロック右から2つ目です ステージ上と会場後方にはテレビカメラがスタンバイしています。NHKで収録して後日放映するのかも知れません

人の奏者が登場し配置に着きます。女性陣は、難波さんがブルー、池田さんが上が黒で下が黒とグリーンの縦ストライプ、岩佐さんが深みのあるグリーンの衣装です。皆さんオシャレです

さっそく1曲目のヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」序曲の演奏に入ります 今回演奏するのはヨハン・シュトラウス2世(1825‐1899)が作曲したものをトム・ケネディが木管五重奏用に編曲したバージョンです コンサートの幕開けに相応しい楽しい曲のウキウキする演奏でした

2曲目はロッシーニ「木管五重奏曲第1番ヘ長調ヘ長調」です この曲はジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)が12歳の時に作曲した「弦楽のためのソナタ」をドイツのクラリネット奏者が編曲したものです 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります 演奏はオーボエの池田さんを除く4人です

第1楽章冒頭の優しく愉悦感に満ちたメロディーを聴いて、この曲がNHK・FM放送のクラシック番組のテーマとして使われていたことを思い出しました 本当にロッシーニは12歳でこの曲を作ったのか、とビックリします

次にフルートとオーボエの二重奏でモーツアルト(1756-1791)の歌劇「魔笛」K.620から パパゲーノのアリア「私は鳥刺し」、タミーノのアリア「なんという不思議な笛の音だ」、そして 夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」が演奏されます   フルートとオーボエが主役と脇役を入れ替わりながら演奏し、まるでソプラノの二重唱を聴いているような感じでした。実に楽しい演奏でした

プログラム前半の最後はジョルジュ・ビゼー(1838‐1875)の歌劇「カルメン」から6曲を選んで木管五重奏用に編曲された「カルメン組曲」です   第1曲「イントロダクション」、第2曲「ハバネラ」、第3曲「セギディーリャ」、第4曲「アルカラの竜騎兵」、第5曲「間奏曲」、第6曲「闘牛士の歌」の6曲です     ハイライトは難波さんのフルートによって演奏される「間奏曲」です。あまりの音色の美しさに 思わず聴き惚れます また、この曲に限らず、何で日橋氏のホルンはこんなに上手いんだろうと感嘆します


     


プログラム後半の1曲目はアルベール・ルーセル(1869‐1937)の「ディヴェルティスマン作品6」です この曲は木管五重奏にピアノが加わった六重奏曲です 単一楽章の小品ですが、とても楽しい曲でした

次はダリウス・ミヨー(1892‐1974)の「ルネ王の暖炉 作品205」です 「プログラム・ノート」によると、「ルネ王の暖炉」とは、「ルネ王」と呼ばれていた中世フランスの貴族ルネ・ダンジュ―が好んで散歩した並木道のことで、風が吹かず冬でも暖かいのでそのように呼ばれたそうです。「行列」「朝の歌」「ジョングルール(大道芸人)」「ラ・マウザングラード(プロヴァンス地方の地名)」「アルク川の槍試合」「ヴァラブル渓谷での狩猟」「夜のマドリガル」の7曲から成ります この曲では、曲ごとに各楽器の音色の変化を楽しむことができます 曲によってフルート奏者はピッコロを、オーボエ奏者はコーラングレを吹き、違う音色を奏でます

最後の曲はモーリス・ラヴェル(1875-1937)の「マ・メール・ロワ」を木管五重奏とピアノのために編曲した曲です 「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」のことです。「眠れる森の美女のパヴァーヌ」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」の5曲から成ります この曲も、それぞれの楽器の音色の饗宴といった趣で、色彩感溢れる音楽が展開します 「パゴダの女王レドロネット」では 中盤でドラが鳴らされますが、演奏前のトークで日橋氏が語ったところによると、「この曲だけを演奏するためにプロの打楽器奏者を呼ぶわけにもいかない」ので、ある身近の関係者に頼んだそうです すると「パゴダの女王レドロネット」の順番が来ると、舞台袖からステージマネージャーらしき髭男爵が出てきてタイミングを図ってドラを打ち鳴らしていました 感心したのはちゃんと楽譜を見ながら演奏していたことです 何だかんだ言っても、演奏家でなくてもステージを作る関係者は譜面が読めるんだな、と深く感心しました もちろんカーテンコールには髭男爵も登場し拍手を受けていましたが、遠慮がちでした

曲間のトークで、ホルンの日橋氏とピアノの鈴木氏のやり取りがあり、日橋氏が「実は昨年7月に次男が生まれましたが、1日違いで鈴木さんのお子さんも生まれました それが、同じ病院のすぐ隣の部屋だったんです。こんな縁もあるんだな、と驚きました」と奇蹟的な出来事を披露すると、鈴木氏も「世間は狭いなと思いました」と返していました

アンコールはフランセ「恋人たちの黄昏」から第3楽章でしたが、テンポの速い滅茶苦茶楽しい曲でした こういう肩の凝らないコンサートはいいですね。名手揃いのコンサート、また是非聴きたいと思います


     

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テイラー・シェルダン監督「ウインド・リバー」 ~ ネイティブアメリカンの置かれた現状を告発、アニーシュ・チャガンティ監督「サーチ」 ~ 全編パソコン画面の映像表現 の2本を観る:ギンレイホール

2019年01月29日 07時29分34秒 | 日記

29日(火)。昨日のことです。週に2、3回は通っている行きつけの喫茶店での出来事でした 私がいつも通りホットコーヒー(Mサイズ:税込270円)を注文して300円を払うと、おつりが30円戻されました。当たり前ですね ところが、その女性スタッフが「いま300円をお渡ししましたね。戻してください。30円をお返ししますから」と言うのです 私は一瞬 何を言われているのか分かりませんでした 私がおつりに受け取ったのは30円であって300円ではありません ワーグナーだったら「あんた、おいらに気があるんじゃねーの?」と言ったかも知れませんが、私は「明らかに相手が間違っている時にどう対応したらよいか、今まさに神に(もし居れば)試されている」と考えました そこで、いま受け取った30円が入った 小銭入れ を逆さにしてコインをすべてカウンターの上に出しました。500円玉1枚と10円玉5枚がすべてでした。相手にそれを見せて「どこに”お渡しした”と言う100円玉3枚がありますか?」と問いかけました さすがに相手も自分自身の勘違いだったことに気が付いたようでしたが、私はなぜ彼女がそんな勘違いをしたのか、不思議でなりませんでした 行きつけの店なので 事を荒立てることなく 地下の禁煙コーナーに向かいましたが、さて、あなただったらどういう対応をするでしょうか?  また「いま自分は試されている」と感じたことはありませんか

ということで、わが家に来てから今日で1579日目を迎え、今年でデビュー20周年となるアイドルグループ「嵐」が 2020年12月31日をもって活動を休止すると発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ と詠んだのは相葉くんだったっけ

     

         

 

昨日、夕食に今年に入って初めて「ハッシュドビーフ」と「生野菜サラダ」を作りました ハッシュドビーフは美味しくて、いつも食べ過ぎてしまいます

 

     

 

         

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで「ウインド・リバー」と「サーチ」の2本立てを観ました ギンレイの年間パスポートの期限が2月早々に切れるので、入館時に10,800円を払って更新手続きをしました もう4回以上更新しているので、有効期間は向こう13か月間になります

「ウインド・リバー」はテイラー・シェルダン監督による2017年アメリカ映画(107分)です

ワイオミング州にある深い雪に閉ざされたネイティブアメリカンの保留地”ウインド・リバー”で、白人ハンターのコリー(ジェレミー・レナ―)は少女の凍死死体を発見する 死体はコリーの娘エミリーの親友ナタリーだった。エミリーも数年前、同じような目に遭って死亡していた。そこへFBIから派遣されてきたのは新米の女性捜査官ジェーンだけだった 本部からの応援が期待できないジェーンはコリーに協力を求め捜査を進めるが・・・・。ジェーンは 雪山の不安定な気候の中で 未解決事件が多発するネイティブアメリカン保留地の置かれた現状に 思いをはせるようになる

 

     

 

映画のラストで「数ある失踪者の統計にネイティブアメリカンの女性のデータは存在しない。実際の失踪者の人数は不明である」というテロップが流れますが、この映画で監督が訴えたかったのは、繁栄するアメリカの中で置き去りにされた社会的弱者の現状だったのでしょう 土地だけは広大なのに警察官は数人しかいない、犯罪が発生しても手が回らないという実態に苦言を呈しているように思います。私自身を含めて この映画を観た多くの人が、FBIから派遣されてきた新米捜査官のように、初めてそのような実態を知ったのではないかと思います

 

         

 

「サーチ」はアニーシュ・チャガンティ監督による2018年アメリカ映画(102分)です

デビッド(ジョン・チョー)は妻を亡くしてから16歳の愛娘マーゴット(ミシェル・ラー)と暮らしている。ある日、マーゴットから3件の不在着信があったきり突然連絡が取れなくなってしまう デビッドはただちに警察に通報し、女性のヴィック捜査官(デヴラ・メッシング)が担当することになるが、有力な情報を把握できないまま37時間が経過してしまう。娘の突然の失踪に思い当たる節がないことから、デビッドはマーゴットのパソコンにログインしSNSにアクセスを試みる すると、そこにはいつもは明るいはずのマーゴットとは別人のような娘の姿があった 彼女はいったいなぜ どこに失踪してしまったのか。デビッドはSNSから得られた情報を元に独自の推理を働かせ、娘の行き先を突き止める

 

     

 

この映画を観終わった感想は、「ついに映画にも こういう時代が来たか」ということでした。ほぼ100%がパソコン・モニター画面の映像です カーソルが忙しなく画面上を行き交い、インスタグラム、フェイスブック、ツイッター、YouTubeなどの情報が次々と呼び出され映像に現われます 新たな疑問が生じると デビッドが即Googleで検索し、新しい情報が画面に現れます われわれがネット社会にどっぷりと浸かっていることを否応なしに認識させられます もっと言えば、ネット上にアップされた情報は超高速で検索され、役に立つこともあれば、悪用されることもあるということを、この映画は教えてくれます

最も犯人らしくない人物が犯人であるというのは定石通りですが、まったくヨメませんでした その点でもしっかりしたプロットから成る良く出来たサスペンス映画だと思います

この映画を監督したアニーシュ・チャガンティは弱冠27歳とのことです 全面的にパソコン画面を使ったまったく新しい映像表現は”大胆素敵”としか言いようがありません 今後どんな手法の映画を撮るのか、楽しみな監督です

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新国立オペラでワーグナー「タンホイザー」を観る ~ 魅力的なアレクサンドル・ペーターザマーのヴェーヌスとリエネ・キンチャのエリーザベト / 東京春祭「N響メンバーによる室内楽」のチケットを取る

2019年01月28日 07時22分22秒 | 日記

28日(月)。わが家に来てから今日で1578日目を迎え、メキシコ国境の壁の建設をめぐる与野党の対立で1か月以上続いた米政府機関の一部閉鎖は、トランプ大統領が折れる形で一時解除された というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        政権支持率が過去最低レヴェルになって やっと自分のバカさ加減に気が付いたか

 

         

 

4月6日(土)午後2時から国立科学博物館「日本館講堂」で開かれるミュージアム・コンサート「N響メンバーによる室内楽」のチケットを取りました プログラムは①モーツアルト「オーボエ協奏曲K.370」、②同「アダージョ」、③ブリテン「幻想曲」、④ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第1番」、⑤同「弦楽四重奏曲第8番」です 演奏はヴァイオリン=大林修子、大宮臨太郎、ヴィオラ=山内俊輔、オーボエ=池田昭子です。昨年のメンバーから総入れ替えになっています

 

     

 

         

 

昨日、初台の新国立劇場・オペラパレスでワーグナー「タンホイザー」を観ました 出演は、タンホイザー=トルステン・ケール、領主ヘルマン=妻屋秀和、エリーザベト=リエネ・キンチャ、ヴェーヌス=アレクサンドラ・ペーターザマー、ヴォルフラム=ローマン・トレーケル、ヴァルター=鈴木准、ビーテロルフ=萩原潤、ハインリヒ=与儀巧、ラインマル=大塚博章、牧童=吉原圭子、合唱=新国立劇場合唱団、バレエ=新国立劇場バレエ団、管弦楽=東京交響楽団、指揮=アッシャー・フィッシュ、演出=ハンス=ペーター・レーマンです

 

     

 

このオペラはリヒャルト・ワーグナー(1813‐1883)がドレスデンの宮廷楽長に就任した直後に手掛けられ、1845年の春に完成しました 全3幕から成り、13世紀初頭のドイツ・アイゼナッハのヴァルトブルグ城を背景とする、騎士タンホイザーと、彼を愛する城主の娘エリザベートとの悲恋物語で、愛の神ヴェーヌスの誘惑から脱しきれずに悩むタンホイザーの精神的葛藤を浮き彫りにしながら愛欲と肉欲との激しい闘争を描いています 

騎士タンホイザーは愛欲の女神ヴェーヌスの虜となるが、やがてこの歓楽の日々に飽きて、彼を愛する清らかな乙女エリーザベトが待つ人間世界に戻る 温かく迎えられたものの、城で開催された歌合戦に参加した時、ヴェーヌスを讃える歌を歌ってしまう この大罪への赦しを得るためローマ法王のもとへ懺悔の旅に出るが、赦しが叶わず絶望し、再び官能の愛に陥りそうになる しかし、エリーザベトは自らの命を犠牲に彼の罪を償い、救済されたタンホイザーも息絶える

 

     

 

私が新国立オペラの「タンホイザー」を観るのは2007年10月、2013年1月に次いで今回が3度目です 演出はいずれもハンス・ペーター・レーマンです

イスラエル出身のアッシャー・フィッシュがオーケストラ・ピットの指揮台に上がり、さっそく有名な「序曲」の演奏に入ります この序曲の冒頭はホルンの静かな演奏から始まりますが、残念ながら揃いませんでした 金管楽器の中ではホルンが最も音出しが難しいと言われていますが、全曲の冒頭箇所だけに残念でした この窮地を救ったのは、序曲に続き第1幕冒頭で踊られたバレエによるバッカナール(バッコスの饗宴)」でした 新国立バレエ団によるバレエは美しく統率が取れ、やや抑制された官能的な世界を表出していました

 

     

 

タンホイザーを歌ったトルステン・ケールはドイツ生まれですが、元々はオケで首席オーボエ奏者を務めていたという変わり種です 文字通り英雄的な力強さを持ったヘルデンテノールで、高音が良く伸びます 余談ですが、いつどこだったか忘れましたが、「ヘルデンテノール」のことを「ヘンデルテノール」と書いてあったのを見て、「どこか変デル!?」と思ったことがあります

領主ヘルマンを歌った妻屋秀和は新国立オペラの常連バス歌手で、今やなくてはならない存在になっている感があります 背丈のある堂々たる体格なので演技も映えます

ヴォルフラムを歌ったローマン・トレーケルはドイツ生まれのバリトンですが、深みのある歌唱に魅力があるほか、演技力が優れていると思いました 第3幕冒頭はヴォルフラムとエリーザベトがローマから巡礼の一行が戻ってくるのを待っている場面です。エリーザベトが「自分が犠牲になるからタンホイザーを救済してほしい」と聖母マリアに祈りを捧げるのを、ヴォルフラムは少し離れたところから見ています。その時のトレーケルの暗い表情やちょっとした仕草を見ると、「自分もエリーザベトを愛しているが、彼女は心底からタンホイザーを愛している。何ともやるせない」という気持ちがひしひしと伝わってきます そのあとで有名な「夕星の歌」を歌い上げます マリア・カラスが史上最高のソプラノと言われたのは、抜群の歌唱力に加えて、演技力(とくに歌っていない時の演技力)だったというのをどこかで読んだ記憶があります そういう意味では、トレーケルは素質があるかも知れません

女声陣で真っ先に挙げたいのは女神ヴェーヌスを歌ったアレクサンドラ・ペーターザマーです ドイツ生まれのメゾ・ソプラノですが、タンホイザーを誘惑するのに相応しい魅惑的な容姿で、まさに”歓楽の女神”を感じさせます 言うまでもなく声量もあり歌唱力は抜群です 私だったら、人間界に戻らないでずっとヴェーヌスのところにいるでしょう

エリーザベトを歌ったリエネ・キンチャはラトヴィア生まれのソプラノですが、ただ声が美しいというだけでなく、強靭な歌唱力を持ち合わせています

第2幕における歌合戦での ヴァルター役の鈴木准、ビーテロルフ役の萩原潤、ハインリヒ役の与儀巧、ラインマル役の大塚博章の歌唱も、短いながら聴きどころでした また、第1幕で牧童を歌った吉原圭子は小柄なので役がピッタリで、透明感のある美しい歌唱が魅力的でした

特筆すべきは新国立劇場合唱団のコーラスです とくに第2幕の冒頭、トランペットの華やかな演奏に導かれて歌われる歌合戦のための「入場の合唱」は背筋が寒くなるほど感動的でした これは99年からバイロイト音楽祭で合唱指導を手掛けている三澤洋史氏の指導の賜物です

ワーグナーのオペラで、女性の自己犠牲によって男性が救済されるというストーリーは「タンホイザー」に限ったことではありませんが、それにしても何か変だな?と思うのは、最後は「救済される」と言いながら、自己犠牲になったエリーザベトにしても、彼女の自己犠牲によって救済されたはずのタンホイザーにしても、結局死んでしまうのだから、だれも救済されていないのではないか、ということです まあ、身体は死んでも魂が天に召されることを救済と呼ぶのであれば話は分かりますが

「それにしても・・・」と思うのは、ワーグナーはヴェーゼンドンク夫人に手を出したり、指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)を横取りしたりと、私生活上は随分な男でした 「何が女性の自己犠牲だ」「何が愛による救済だ」と言いたくなります。しかし、ワーグナーにとっては、すべては”芸術を高めるため”の行為なのでしょう。ワーグナーは毒です

 

     

 

 

今度こそ本当に、toraブログの登録読者が2000人に達しました。登録してくださった皆さまに感謝申し上げます これからも毎日休むことなく書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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ジェフリー・ディーヴァー著「スキン・コレクター」(上巻)を読む ~ リンカーン・ライム&アメリア・サックス ✕ 毒針刺青犯人の戦い ~ 日本におけるフグの食中毒死者数の表記に疑問も

2019年01月27日 07時27分27秒 | 日記

27日(日)。昨日は熱もなく喉の痛みも引いたので 映画を観に行こうかとも思ったのですが、ここで風邪をこじらせて体調が悪化すると元も子もなくなるので、家でCDを聴きながら読書に勤しみました 今週は風邪を引いたお陰で お酒を一滴も飲まない”健康的な”生活を送ることができただけでなく、この6日間 1日1冊 本を読み切ることができました。多分これは自己新記録です 今日から「コンサート+映画鑑賞」生活に復帰します 取りあえず今日は新国立オペラ「タンホイザー」を観に行きます

ということで、わが家に来てから今日で1577日目を迎え、テニス全豪オープン女子シングルス決勝で、大坂なおみがチェコのペトラ・クビトバと対戦し 7-6、5-7、6-4で勝ち、昨年の全米オープンに続いて4大大会を制覇、世界ランキング1位となった というニュースを見て 血気盛んな大阪の若者に注意を促すモコタロです

 

     

      気持ちはよく分かりますが 興奮して道頓堀川に飛び込まないように : DJポリスより

 

         

 

昨日、娘が友だちから1か月遅れの誕生祝にと巨大なイチゴ(4✕6cm位)をもらってきました 値段を聞いてびっくり。1個1500円 奈良産で 古都華(コトカ)という名前ですが、私は別の名前を考えてみました その名は「一期一会」です。本当は説明したくないのですが、苺の絵が一つだけなので「苺一絵」で「一期一会」ですねん

 

     

 

食べるのもったいないね、とは言うものの食べないわけにはいかないようです 右のやや小ぶりの(4✕4cm位)はこちらにも回ってきそうです そうそう、誕生日ということで言うと、今日はモーツアルトの263回目の誕生日です モーツアルトは1756年1月27日にザルツブルクで生まれました

 

     

 

         

 

ジェフリー・ディーヴァー著「スキン・コレクター(上巻)」(文春文庫)を読み終わりました ジェフリー・ディーヴァーは1950年シカゴ生まれ。ミズーリ大学でジャーナリズムを専攻。雑誌記者、弁護士を経て40歳でフルタイムの小説家となる。科学捜査官の天才リンカーン・ライムのシリーズ(「ボーン・コレクター」、本書ほか)をはじめ数多くの世界的なベストセラーを生んでいる

 

     

 

洋服店の店員クロエ・ムーアが店の地下室で何者かに拉致され毒の針で刺青を刻まれ死亡していた 現場では、科学捜査の天才リンカーン・ライムが解決したボーン・コレクター事件に関する書籍の切れ端が発見された 犯人はあの事件の犯行手口とそれに対するライムの操作方法を研究した上で、ライムに挑戦状を突き付けているように見える ライムと、彼のパートナーでニューヨーク市警刑事アメリア・サックスを中心とする捜査チームは、刺青の専門家の知恵を借りながら犯人を追及するが、その日のうちに第2の犠牲者が出てしまう

ジェフリー・ディーヴァーの作品は「ボーン・コレクター」「ウォッチ・メイカー」をはじめ すべて読んでいますが、久しぶりに「リンカーン・ライム」シリーズを読んで、相変わらずのストーリー・テラーだな、と思いました ただ、一つだけ気になる箇所がありました 犯行現場から採取された微細物に「テトロドトキシン」という毒が混じっていたという場面に、次のような鑑識技術者の言葉が出てきます

「毒物だよ。強力だ。フグの卵巣に含まれている。神経毒の一種で、いまのところ解毒剤はない。日本では、年間60人近くの死者が出る。わざわざフグを食してね」

これは信頼性のある数値だろうか フグの毒で年間60人もの死者が出ていれば新聞やテレビでもっと頻繁に報道されているはずです 念のためWikipediaで調べてみたら、1996年~2005年(10年間)の日本でフグの食中毒に罹ったのは315人で、そのうち死亡したのは31人と書かれていました。つまり死者数は1年に1人に過ぎません。データが少し古いかも知れませんが、その後の報道状況からして同じようなものだ思います。ジェフリー・ディーヴァー氏がどこでどういう取材をして「年間60人近くの死者が出る」と書いたのか分かりませんが、事実からほど遠いと思います こういうところから日本の食文化が誤解される恐れがあるのではないか、とも思います。こういうのって、訳者も出版社も何の疑問も持たずにスルーしてしまうのでしょうか それで良いのだろうか

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プロースト交響楽団第29回定期演奏会のチケットを取る / 神田桂一・菊池良「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」を読む / ディーン・クーンツ「これほど昏い場所に」他、本を9冊買う

2019年01月26日 07時24分57秒 | 日記

26日(土)。最近、1日1冊のペースで本を読んでいたら、読むべき本が手元に無くなってしまったので、昨日、喉の痛みが和らぎ熱も下がったのをいいことに、マスクをして池袋に本を買いに出かけました いつもは徒歩ですが、さすがに風邪が全快していないのでバスに乗りました。珍しく女性の運転手さんだったのでラッキーと思っていたら、帰りのバスも同じ運転手さんでした こういう偶然は たまにあります。女性の運転手さんが良いと思うのは、アナウンスに柔らかさがあって、車内が和やかな雰囲気になることです 聴くところによると、バス業界は運転手不足が続いているとのことです もっと女性が安心して働き続けることができるような労働環境を整備すべきではないか、と思います

ということで、わが家に来てから今日で1576日目を迎え、米国の科学者らは24日、地球滅亡までの時間を示す今年の「終末時計」を公表し、昨年と同じ「残り2分」とした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプの支離滅裂なアメリカ至上主義が突っ走ると 限りなく残り1分に近づくぞ

     

         

 

昨日の夕食は「白湯スープ鍋」にしました 最近、1週間に1回は鍋を食べています

 

     

 

         

 

6月29日(土)午後2時から文京シビックホールで開かれるプロースト交響楽団の第29回定期演奏会のチケットを取りました プログラムは①サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」から「バッカナール」「あなたの声に心は開く」、②ビゼー:歌劇「カルメン」から「前奏曲」「恋は野の鳥」他、③チャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です 演奏は①と②のメゾ・スプラの独唱=林美智子、指揮=石川星太郎です プロ―スト交響楽団は一度聴いたことがありますが、アマ・オケにしては素晴らしい演奏をしていたので、再度聴いてみようと思いました 今回はメゾ・ソプラノの林美智子さんが出演するのも魅力です

 

     

 

         

 

本を9冊買いました。1冊目はディーン・クーンツ著「これほど昏い場所に」(ハーパーブックス)です これは先日 彼の「ベストセラー小説の書き方」(朝日文庫)を読んで、是非クーンツの作品を読んでみたいと思ったから買った本です。620ページの大作です

 

     

 

2冊目と3冊目はジェフリー・ディーヴァ―著「スキン・コレクター(上・下)」(文春文庫)です。著者は当ブログの読者にはお馴染みのストーリー・テラーです

 

     

     

 

4冊目と5冊目はピエール・ルメートル著「炎の色(上・下)」(ハヤカワ文庫)です 衝撃的な「その女アレックス」の著者による最新作です

 

     

     

 

6冊目はジョー・イデ著「 I Q 」(ハヤカワ文庫)です これは新聞の書評欄を読んで興味を持ちました

 

     

 

7冊目は片山杜秀著「音楽放浪記」(ちくま文庫)です 当ブログでは、同じ著者による「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)をご紹介しました

 

     

 

8冊目は神田桂一・菊池良著「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」(宝島SUGOI文庫)です この本は新聞の書評に載っていて、面白そうだと思い 買いました

 

     

 

9冊目は丹羽宇一郎著「仕事と心の流儀」(講談社現代新書)です これは息子に読んでほしいと思って買った本です。もちろん自分で読んでから手渡すつもりです

 

     

 

         

 

さっそく神田桂一・菊池良著「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」(宝島SUGOI文庫)を読みました 神田桂一は関西学院大学法学部卒。一般企業勤務から、週刊誌「フラッシュ」の記者、ドワンゴ「ニコニコニュース」編集部などを経て現在フリーライター。菊池良はWebメディアの企画、執筆、編集などに従事しています

この本は、タイトルの通り、もし世に知れた著名人たちがカップ焼きそばの作り方を文章に書いたらどうなるか、を空想の元に書いたものです 取り上げているのは近代から現代までの国内作家、代表的な海外の作家、歌手やエッセイストなどで、合計110人です どさくさに紛れて POPEYE や週刊文春なども混じっています

共通するのは、いかにもその人らしい書き方でカップ焼きそばの作り方が書かれていることで、知っている人物の数が多いほどニヤリとする回数が多くなる本です

すべてをご紹介する訳にもいかないので、私が思わずのけ反った作品に絞ってご紹介します

 

     

 

最初は村上春樹です。タイトルは「1973年のカップ焼きそば」

きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ 勝手に液体ソースとかやくを取りだせばいいし、容器にお湯を入れて3分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聴いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、3分まてばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない ただ、一つだけ確実に言えることがある 完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

⇒ いかにも村上春樹が書きそうな文章だと思いますが、とくにそう思うのは「買ったばかりのレコードを聴いてもいい」というところです   村上春樹はジャズにもクラシックにも一家言ある小説家なので  蛇足ですが、これを「買ったばかりのCDを聴いてもいい」としないのは、タイトルが「1973年のカップ焼きそば」だからです 1973年にはCDは存在しませんでした。ところで、「完璧な絶望」ってなんだ

次は松尾芭蕉です。タイトルは「麺の細道」

  キッチンや 薬缶飛びこむ 水の音

  熱湯を 集めて流し 湯切りかな

  閑さや 部屋にしみ入る 啜る音

  から容器 大食いどもが 夢の跡

次は小林よしのりです。タイトルは「焼きそばかましてよかですか」

わしは、カップ焼きそばを作るには、まず湯を沸かせばよいと思っとる。これは単純なことだ。サルにでもわかる。湯さえあればカップ焼きそばはできる かやくを入れて麺をふやかして、ソースをかき混ぜればできあがりだ。こんな単純なことを、左翼は、左翼的偽善性をもって、湯を沸かす正当性を主張しなければ、気が済まない。右翼は右翼で、湯を沸かす大義名分が欲しい。こんなことをやっているからいつまでたっても湯がわかない。カップ焼きそばが作れない わしは現代のイデオロギーの不毛さが、このカップ焼きそば論争に集約されとると思っとる あえて、ゴーマンかますなら、いますぐ、この不毛さを理解してある種の洗脳から解放されろとわしは言いたい

⇒「左翼的偽善性」「大義名分」・・いかにも小林氏が使いそうです

この本の中で唯一、クラシック音楽が出てくるケースがあります。トマス・ピンチョンというアメリカの小説家です。タイトルは「湯切りナンバー49(シンク)の叫び」

ある夏の日の午後、でなくてもいいが、タッパーウェアの宣伝の帰りにでも、お湯を沸騰させてカップ焼きそばの容器の中に入れる。そのときいささか、かやくを入れ過ぎたように思われないようにしなければいけない3分待つ間に郵便ポストを見に行くと遺産管理執行人に指名されていることもあるかもしれない。そういうときは立ち尽くすしかない。それか酔っ払っているふりをすれば気持ちも晴れるかと思われるがこれは失敗だった 湯切りをすればバルトークの「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章が流れてあなたにそこはかとない不安を抱かせるかもしれないが、ソースを入れれば急に笑いがこみあげてくるだろう。今までのことは全部今が知っている。知っているに違いない

⇒「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章は「インテルメッツォ」です 「不安を抱かせるかもしれない」と言っているのは、その冒頭部分です

次は「利用者の声」です。タイトルは「おかげで満腹になり、年収が増えました!」菊池良さん(29歳)

最初は半信半疑だったんです 「ほんとに3分で焼きそばができるのかな?」って(笑)。今では疑っていた自分に説教したい気分です。当時、私は焼きそばを食べるには祭りの屋台に行くか、麺を手打ちするかしかないと思っていました。それが知人の勧めで「カップ焼きそば」を購入してみてビックリ!お湯を入れてしばらく待つだけでこんなに焼きそばになるなんて!今では1日に1食は必ず焼きそばを食べていて、空腹にイライラすることがなくなりました それだけではないのです!お腹がいっぱいになったおかげで、心に余裕ができたのか、友人が増え、彼女ができ、年収は1億を超えました タワーマンションの最上階で、スーパーモデルの彼女と一緒に、ハウスキーパーが作ったカップ焼きそばを食べる日々です。こんな幸福を手に入れられるなんて、カップ焼きそばを買う前はあり得ませんでした。あたなにも後悔する前に買ってみることをおススメします

⇒こういうの テレビや雑誌の通販広告によくありますね。「友人が増え、彼女ができ、年収は1億を超えました」って ウソがミエミエですね   だれがこんなの信じるでしょうか

このように焼きそばが出来るまでの3分間の心象風景が110通り紹介されています。あなたが思わずニヤリとするカップ焼きそばの作り方はいくつあるでしょうか

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本多勝一著「〈新版〉日本語の作文技術」を読む ~ 「白い横線の引かれた厚手の紙」は文章として正しいか? ~ 読む側にとって分かりやすい文章を書く技術を伝授した本

2019年01月25日 07時23分02秒 | 日記

25日(金)。昨日も喉の痛みが激しく、体調が優れなかったので1日中ベッドに横たわってFM放送やCDでクラシックを聴きながら読書に勤しみました 残念ながら昨夜 サントリーホールで開かれた新日本フィルの第598回定期演奏会は聴きに行けませんでした

ということで、わが家に来てから今日で1575日目を迎え、米民主党のペロシ下院議長は23日、トランプ大統領に宛てた書簡で、29日に予定されていた下院本会議場での一般教書演説を拒否する方針を伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプの演説なんて どうせ「アメリカ・ファースト」しか言わないんだろう

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉と玉ねぎの甘辛炒め」と「舞茸とゴボウのキンピラ」を作りました 「舞茸~」はたまたまテレビ番組でやっていたのをメモしておいたので作ってみました

 

     

 

         

 

本多勝一著「〈新版〉日本語の作文技術」(朝日文庫)を読み終わりました 本多勝一は1931年、信州・伊那谷生まれ。朝日新聞編集委員を経て「週刊金曜日」編集委員。著書に「旅立ちの記」「知床半島」「ソビエト最後の日」など多数

 

     

 

本書は、著者が1974年秋に新宿の「朝日カルチャーセンター」で行った講義内容を元に、1976年に単行本「日本語の作文技術」として刊行し、1982年に加筆・訂正を加えて文庫化されたものです

私がこの本を読もうと思ったのは、ブログを書くうえで参考になると考えたからです

著者は第1章「なぜ作文の『技術』か」の中で「目的はただひとつ、読む側にとってわかりやすい文章を書くこと、これだけである」と書いています 著者はこの大命題のもと、次のような章立てにより”作文技術論”を展開します

第1章「なぜ作文の『技術』か」

第2章「修飾する側とされる側」

第3章「修飾の順序」

第4章「句読点のうちかた」

第5章「漢字とカナの心理」

第6章「助詞の使い方」

第7章「段落」

第8章「無神経な文章」

第9章「リズムと文体」

すべてをご紹介する訳にはいかないので、いつくかに絞ってご紹介します 

第3章「修飾の順序」の中で著者は次のような文章を例に取り上げ、修飾の順序を解説しています

たとえば、ここに紙が1枚あるとしよう。これを形容する修飾語をいろいろ次に並べてみる。

  白い紙

  横線の引かれた紙

  厚手の紙

上にあげた3つの修飾語をひとつにまとめて、「紙」という名詞にかかる修飾語を作るとき、順序はどうすればよいか?

①白い横線の引かれた厚手の紙(⇒横線が白いと誤解される恐れがある)

白い厚手の横線の引かれた紙(⇒「白い」が「横線」にかかると誤解される恐れがある)

③厚手の横線の引かれた白い紙(⇒横線が「厚い」と誤解される恐れがある)

④厚手の白い横線の引かれた紙(⇒「厚手の」が「横線」にかかると誤解される恐れがある)

⑤横線の引かれた白い厚手の紙

⑥横線の引かれた厚手の白い紙

誤解を受けることがない文章は⑤と⑥である。2つに共通するのは「横線が引かれた」(節)が先にあり、「白い」または「厚手の」(句)があとにあること。したがって、語順の第1の原則は「節を先にし、句をあとにする」ということである

これは動詞にかかる修飾語の場合も同様である、として次の例を出しています

  速く走る

  ライトを消して走る

  止まらずに走る

これを順番に並べるとどうなるか?

①速くライトを消して止まらずに走る(⇒ライトを消すのを速くすると誤解される恐れがある)

②ライトを消して速く止まらずに走る(⇒「速く」が「止まらずに」を修飾すると誤解される恐れがある)

③ライトを消して止まらずに速く走る

④止まらずにライトを消して速く走る(⇒「止まらずに」が「ライトを消して」を修飾すると誤解される恐れがある)

以上から、誤解を招かない文章は③である。語順の第2の原則は「長い修飾語は前に、短い修飾語はあとに」ということである

第6章「助詞の使い方」では「来週までに掃除せよーマデとマデ二」を取り上げています

①来週までに掃除せよ

②来週まで掃除せよ

上記の①は1週間の余裕を持ってその間に一度掃除すればいいが、②はなにか刑罰みたいに1週間掃除し続けることを意味するーと解説しています

第8章「無神経な文章」では、紋切り型の文章(「複雑な表情」「ガックリと肩を落とす」など)や体言止めを多用した文章への批判を展開しています

上にご紹介してきた通り、本書は著者の実務経験をもとに、具体例を交えながら「読む側にとって分かりやすい文章を書く」技術を披露しています ブログを書く人はもちろんのこと、学校や職場で文章を書く際に参考になる本です。広くお薦めします

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貫井徳郎著「乱反射」を読む ~ 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な負の連鎖を堂々の600ページで展開した傑作

2019年01月24日 07時20分28秒 | 日記

24日(木)。昨日は相変わらず喉の痛みが激しいので、1日中ベッドに横たわってベートーヴェンやモーツアルトのCDを聴きながら読書に勤しみました 体調が悪かったので昨日午後7時から東京文化会館小ホールで開かれた「前橋汀子カルテット『弦楽四重奏の神髄』」公演は聴きに行けませんでした 今夜も7時からサントリーホールで新日本フィルの定期演奏会があるのですが、とても行ける状態ではありません

ということで、わが家に来てから今日で1574日目を迎え、中国の映画製作会社が「ウルトラマン」のキャラクターを無許可で使い映画を製作・公開したとして円谷プロダクションから訴えられていたにもかかわらず、続編の映画を公開したことが23日までに分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      こんなことだから中国はトランプから著作権問題でやり玉に挙げられるんだよな

     

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」を作りました 熱っぽいので、マスクをして短時間で出来る料理にしました

 

     

 

         

 

貫井徳郎著「乱反射」(朝日文庫)を読み終わりました 貫井徳郎は1968年東京都生まれ。1993年に第4回鮎川哲也賞の最終選考作となった「慟哭」によりデビュー。2010年に本作「乱反射」で第63回日本推理作家協会賞を受賞しています

 

     

 

600ページの大作を読み終わって思ったのは、「まるで ことわざ の『風が吹けば桶屋が儲かる』みたいなストーリーだな」ということでした

Wikipediaによれば「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えで、ことわざの由来は、江戸時代の浮世草子「世間学者気質」に出てくるとのことです

その内容は「大風で土ぼこりが立つ ⇒ 土ぼこりが目に入って、盲人が増える ⇒ 盲人は三味線を使う ⇒ 三味線に使う猫皮が必要になり猫が殺される ⇒ 猫が減ればネズミが増える ⇒ ネズミは桶をかじる ⇒ 桶の需要が増えて桶屋が儲かる」というものです

「乱反射」では、マナーの悪い人が街路樹の根元に犬のフンを放置したことが幼児の死に繋がっていきます

大風の吹く夜、街路樹が倒れ ベビーカーの幼児を直撃した 救急車で病院に運ぶが、一番近い病院は受け入れを拒否する。その理由は当番医が外科専門でなく、夜間診療の患者が最近増えていたので対応できないというもの 道路上に車を放置したまま運転席を離れた常識外れがいたため道路が渋滞し、救急車がなかなか前に進めなかった 市の委託を受けた業者が街路樹の診断に赴いたが、街路樹伐採反対の主婦たちが接近を妨げた。やっと診断するチャンスがきたが、診断担当者が潔癖症のため、街路樹の根元のフンを見て近づくことが出来ず、結果的に診断できなかった 市民からはフンを片付けて欲しいという苦情が寄せられていたのに、担当者が放置していた・・・これらのことが複合的に絡み合って、結局幼児は死亡してしまった

幼児の父親は新聞記者で、子どもが死に至った真相を究明するため、市、病院、街路樹診断業者などの担当者に面会し取材をしますが、だれも自分の行為が子どもを死に追いやったとは思っていないことが分かり愕然とします そのことを筆者はこの小説の前文で「一見不運な事故にしか見えない幼児の死は、実は殺人だった それも大勢の人間が寄ってたかって無辜の幼児を殺したという、異常極まりない事件であった。にもかかわらず、幼児の死の異常性には誰も気づかず、現場となった地点には誰が手向けたとも知れない花だけが置かれている。犯人たちは今日も、己が死に追いやった幼児のことなど忘れ果て、平凡な日常の中を生きている」という言葉で表しています

普通の小説は1、2、3という順に番号を振って話が進められます。しかし、この小説はー44、-43という具合にマイナス番号で始まり ゼロに近づいていきます    そして、0(ゼロ)のところで、街路樹がベビーカーを直撃する場面が描かれ(360ページ)、その後は1、2、3と番号が振られて物語が展開します     つまり、前半のマイナス番号のところでは、事件が起こる前の登場人物たちの日常の出来事が淡々と綴られ、プラスの番号に入ってからは、それぞれの出来事の因果関係が幼児の父親によって解明されていきます

この本は、ちょっとしたマナー違反や自己中心的な考えが、他人を死に追いやることにつながる可能性があることを示しています

風邪のため寝ていたので、文字通り一気読みしましたが、久しぶりにボリュームのあるエンターテインメント(600ページ)を読み終わり、感慨もひとしおです

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ピーター・スワンソン著「そして ミランダを殺す」を読む ~ アンソニー・ホロヴィッツ著「カササギ殺人事件」以来の面白さ

2019年01月23日 07時17分50秒 | 日記

23日(水)。昨日も喉が痛く38度台の熱も出て来たので家でベートーヴェンの弦楽四重奏曲のCDを聴きながら読書に勤しみました 幸いインフルエンザではないので良いのですが、風邪を引くとどうも気分がすぐれません 今夜と明日夜のコンサートは行けそうにありません

ということで、わが家に来てから今日で1573日目を迎え、米紙ワシントン・ポストは21日、トランプ大統領が就任してからの2年間で、虚偽の発言や誤解を招く主張が計8158回に及んだ というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプはメキシコとの壁を作るよりも ウソの壁を築き上げる方が得意みたいだ

 

         

 

昨日、夕食に「塩だれ豚丼」と「タラと野菜のプチ鍋」を作りました 午後から熱が出て来たのですが、そうも言ってられないので無理を押して作りました

 

     

 

         

 

ピーター・スワンソン著「そして ミランダを殺す」(創元推理文庫)を読み終わりました 著者のスワンソンはアメリカ、マサチューセッツ州出身。2014年に「時計仕掛けの恋人」でデビュー。2015年に刊行された第2長編となる本書「そして ミランダを殺す」は、英国推理作家協会賞のイアン・フレミング・スチールダガー部門で最終候補に残った

 

     

 

ある日、実業家のテッド・セヴァ―ソンは空港のバーで離陸までの時間つぶしをしていたが、見知らぬ美女リリー・キントナーに声をかけられる。テッドは酔った勢いで、1週間前に妻のミランダが自宅の新築工事業者ブラッド・ダゲットと浮気をしている現場を目撃したことを話し、冗談半分で「妻を殺したい」と漏らす それを聞いたリリーは「ミランダは殺されて当然」と断定し、殺人を正当化する理論をまくしたて、テッドの妻殺害への協力を申し出る そこからミランダを葬り去るための計画が動き出すが、殺人の決行日が近づいたとき、予想外の事件が起こる。こちらが考えていたことを相手も考えていた

この小説は第1部「空港のバーのルール」、第2部「未完成の家」、第3部「死体をうまく隠す」の3部構成になっていますが、主人公と思っていた人物が第1部で早くも殺されてしまったり、殺人犯の男が殺される立場に追いやられたりと、半端ないどんでん返しが続きます そして、完全犯罪間違いなしという最後の段階で、ある手紙がこの小説の本当の主人公を恐怖のどん底に突き落とします

最近読んだ本の中では、アンソニー・ホロヴィッツ著「カササギ殺人事件(上・下)」以来の面白さでした 先日読んだディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」流に言えば、「プロットがしっかりしていて」「相次ぐ困難によって主人公が追い詰められ」「結末が面白い」ということに加え、すべてが登場人物たち(テッド、リリー、ミランダ、キンボール刑事)の一人称で語られていくところに大きな特徴があります

この小説は「このミステリーがすごい!」大賞などで第2位に入ったという宣伝文句で売り出されていますが、その宣伝文句に偽りはありません 想定外の展開の連続に あなたはついていけるか

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クラシック界 女性たちの言葉~朝日の記事から / 「新国立オペラ2019-2020シーズン」ラインアップ発表、会員継続へ / 原田マハ著「キネマの神様」を読む~映画ファンにはたまらない小説

2019年01月22日 07時29分24秒 | 日記

22日(火)。昨日は 喉が痛いので内科に行ったら 喉が赤くなっているとのことで どうやら風邪を引いたようです 薬を貰ってきたので しばらく飲み続けることになります。今年に入って、4日から20日までの17日間 ほぼほぼ毎日コンサートと映画館通いを続けていたので、体力が落ちていたこともあると思います 身体を休めるため、昨日は1日中 家でショスタコーヴィチの交響曲などを聴きながら読書に勤しみました

ということで、わが家に来てから今日で1572日目を迎え、中国国家統計局が21日発表した2018年の国内総生産は物価変動を除く実質で前年比6.6%増だったが、これは天安門事件の余波で経済が低迷した90年以来28年ぶりの低水準である というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 米中貿易戦争の影響だ  ということは相手側の米国も同じ運命を辿るのは確かだ

 

         

 

昨日、夕食に「クリームシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました 寒い冬はシチューとか鍋が温まりますね

 

     

 

         

 

昨日の朝日夕刊・文化欄に「クラシック界  女性たちの言葉」という安部美香子さん(記者?)の文章が載っていました 超訳すると

「昨年10月、51年の歴史を持つ東京国際音楽コンクール〈指揮〉で、31歳の沖澤のどかが女性初の1位になった 2、3位も日本人男性が占めた。受賞会見で、ロシアの指揮者アレクサンドル・ラザレフが『沖澤さんがもし”寿退社”して参加していなかったとしても、日本人男性の誰かがその席にいたでしょう』(通訳)と言ったのには驚かされた 日本の若手をほめる意図だったのはわかる。冗談交じりの口ぶりでもあった。でもなぜそんな仮定をするのか 優勝者に失礼なと憤ったが、後日沖澤は『腹は立てなかった。文化が違うという感じ。アメリカ人の記者は怒ってましたが そこで闘おうとは思わない』と述べた   昨年末、長くドイツで活躍し、同地の大学で教えるリート歌手の白井光子に会った時、『舞台で女を強調する必要はどこにもない。それでは何者にもなれない。音楽には男性的な部分も女性的な部分もあるんだから、いつも真ん中にいて、人間としてものを見ないと』と語っていた。音楽の表現は、演奏者の性別を突き抜けた次元にある。当たり前のことだが、深く納得した

この文章からは、ラザレフが「寿退社」という日本語を知っていて使ったのか、あるいはロシア語で結婚を機に退職することを通訳が「寿退社」と訳したのかは分かりませんが、どちらにしても、現代社会においては時代遅れの言葉・考え方であることに違いはありません 私などはとっくの昔に葬り去られた「死語」だと思っていました

今の時代、冗談半分にしても、あまりにも時代遅れの考えを公の席で発言すべきではないでしょう 1945年生まれのラザレフ、音楽は「死語」になっていないことを祈るばかりです

 

         

 

「新国立オペラ2019/2020」のラインアップが発表されました 大野和士オペラ芸術監督の第2シーズンは、オペラパレス初上演を含む4つの新制作が並ぶ意欲的な内容になっています

 

     

     

     

     

 

全10演目のうち新制作は10月のチャイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」、11月のドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」、20年4月のヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」、6月のワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」です

私は2002/2003年シーズンから新国立オペラのプルミエ(初日公演)会員=1階S席を継続していますが、次シーズンも同じ通路側席で継続する内容で申し込んでおきました

 

         

 

原田マハ著「キネマの神様」(朝日文庫)を読み終わりました 原田マハは1962年 東京生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部を卒業。商社勤務などを経て独立、フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍。2006年に「カフーを待ちわびて」で日本ラブストーリー大賞を受賞し、作家デビュー。12年に「楽園のカンヴァス」で山本周五郎賞、17年に「リーチ先生」で新田次郎文学賞を受賞

 

     

 

39歳独身女性の丸山歩は17年間勤めた国内有数の再開発企業を突然辞めてしまう ちょうどその頃、趣味は映画とギャンブルという79歳の父親が倒れ、多額の借金が発覚した。父親はマンションの管理人をやっているが、管理人日誌に映画を観た感想なども書きつけていた 内容を見た歩は興味を持ち、自分で観た「ニュー・シネマ・パラダイス」の感想をチラシに書いて日誌に挟んでおいた。それを見た父親が本人に無断で映画専門誌「映友」に投稿したところ、それがきかっけとなり歩は「映友」編集部に採用されることになる ひょんなことから「映友」が歩の父親の映画ブログをスタートさせることになる。父親はゴウというブログネームで映画の感想を書いたが、それが大きな反響を呼び アメリカの著名な評論家からもローズ・バッドというブログネームでコメントが寄せられるようになる   彼とのブログ上でのやり取りが父親の生きがいになり、いつしかギャンブル依存症から脱却していた

この本は、映画好きにはたまらない小説です 小説の舞台に「テアトル銀幕」という名画座が出てきます。小説では市ヶ谷駅から徒歩で行くと書かれていますが、私の推測では、隣の飯田橋駅から神楽坂方面に徒歩で行く「佳作座」(1988年4月21日に閉館)か、1974年に開館した「ギンレイホール」がモデルではないか、と思います 「佳作座」には学生時代に行きました。しかし、よく読むと「テアトル銀幕の友の会に入れば年会費1万円で好きなだけ観られる」という記述があるので、「ギンレイホール」がモデルなのでしょう

因みに私が普段から利用している名画座は①ギンレイホール(年間パスポート:シングルカード10,800円)、②新文芸坐(シニア・友の会:@1100円)、③早稲田松竹(大人@1300円、シニア:@900円)で、いずれも2本立ての上映です

小説の中に、アメリカのテレビ局のトークショーでローズバッド(映画評論家リチャード・キャバネル)が日本の映画界についてコメントする場面があります 著者はキャバネルに次のように言わせています

「日本にはメイガザというものがあるらしい。ロードショー映画の再上映や名作のリバイバルをする劇場で、たいがいは2本立て。館主の洒落でマッチングを決める シニアには特別料金もあるそうだ。名画をテレビやパソコンで観るんじゃなくて、劇場で観る。そういう映画人の思いを大切にする、素晴らしいシステムだ 私は、時代の先端をいくシネマコンプレックスと、メイガザのような劇場が共存して、世界の映画界が活況を呈してくれることを望んでいる。そういう意味では、日本は世界をリードしているんだよ。どうだい、すばらしいじゃないか

私が一番共感できるのは「名画をテレビやパソコンで観るんじゃなくて、劇場で観る」というところです テレビやDVDで観るのは「映画を観る」とは言いません。私は映画を観るという行為は わざわざ映画館まで出かけて行って観る非日常的な一期一会の体験だと思っているので、家でソファーに寝転んでポテチをつまみながら観るような日常的な行為を「映画を観る」とは認めていません 私が目標に掲げている年間160本の映画鑑賞は、言うまでもなく映画館で観る映画のことを指しています

普段映画を観ない人が、この本を読むことによって名画座で2本立て映画を観たくなったら嬉しいです

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