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クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「大地の歌」はどこに?~東京・春・音楽祭

2011年03月31日 06時37分57秒 | 日記
31日(木)。昨夕の朝日に「チャリティー公演 続々と」という記事が載った。それによると、開催中の「東京・春・音楽祭」が、東日本大震災の被災者支援チャリティー演奏会を4月に開くことを決めた。4月2日午後6時は尾高忠明率いる読売日本交響楽団によるマーラーの交響曲第5番などを演奏するーとなっている。ちょっと待てよ! 第5番? 2日夜は同じマーラーでも「大地の歌」ではなかったか?

そもそも4月2日(土)は父親の7回忌の法要を予定していたため、コンサートの日程を入れていなかった。しかし、余震が心配、計画停電が長引きそう、ガソリン代が高騰している、などから法事を中止にした。したがって2日は日程が空いたので、前から行きたかった「東京・春・音楽祭」のマーラー「大地の歌」を聴きに行こうかな、と思っていたのだ。そこに、この記事である。演奏曲目がすり代えられている!?

同音楽祭のホームページを見て納得した。やはり海外からの音楽家が大地震の影響で来日できなくなり、公演が中止になったのだ。その代わり、指揮者を日本人に代え、曲目も歌手のいらない第5番に代えて、急きょチャリティー・コンサートとして公演することになったのだ。主催者側の姿勢には敬意を表するが、あくまでも「大地の歌」にこだわるのでこの公演には行かない。

昨年はマーラー生誕150年の「マーラー・イヤー」だったことから、多くのオーケストラがマーラーの曲を取り上げた。私は交響曲第1番から第10番(未完)と「大地の歌」のすべてを、それぞれ異なるオケによって生演奏で聴いた。しかし「大地の歌」だけは日本記者クラブ賞を受賞した毎日新聞社の梅津時比古さんの講演会(7月9日午後6時からプレスセンターホール)を聴き終わってから、池袋の東京芸術劇場に駆けつけた関係で、最後の第6曲(アルト独唱)しか聴けなかった。したがって、何とかして生演奏で全曲を通して聴きたいのだ。

明日から4月。4月から12月までの間に62回のコンサートの予定が入っているが、残念ながら「大地の歌」は入っていない。しかし、今年はマーラー没後100年の「マーラー・イヤー」だ。どこかのオーケストラが演奏してくれるのなら、プロだろうがアマチュアだろうが即断即決、どこにでも聴きにいく!!
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不足するもの~牛乳、ヨーグルト、チラシ?~東日本大地震を受けて

2011年03月30日 21時14分07秒 | 日記
30日(水)。最近、仕事帰りにスーパーに寄ると牛乳やヨーグルトがない。けさの日経によれば、牛乳は紙パックなどの資材が不足、ヨーグルトは東京の計画停電の影響で生産が追いつかないとのことだ。大手各社の関東での牛乳出荷量は東日本大震災前の4~5割にとどまっているという。正直言って、原料不足というより紙パック不測とは思っても見なかった。

また、最近は新聞に折り込まれるチラシ広告が極端に少なくなった。背景には今回の大地震で、日本製紙で主力の石巻工場(宮城県)など3工場が操業停止、三菱製紙で主力の八戸工場が浸水し紙を作る機械の稼動再開が5月中旬の見通しであるという事情があるようだ。広告会社オリコミサービスによると、新聞1部あたりのチラシは1日平均17枚だったのが、震災直後に1~2枚に急減、足元では4~5枚まで回復したが震災前の水準にはほど遠いとのことだ(日経)。

新聞は仕事がら20年以上2紙購読している。ほんの数週間前まではあっという間に新聞・チラシ回収袋がいっぱいになってしまったが、今では相当余裕がある。チラシはほとんど見ないのだが、その枚数は景況感を正直に反映しているので、いま景気がいいのか悪いのかを判断する最も身近な材料になっている。もっとも「チラシは寿司に限る」という人には無縁だろう。
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AERA~防護マスク写真を掲載

2011年03月29日 17時35分06秒 | 日記
29日(火)その2.けさの日経に「”AERA”連載 野田さんが終了~”放射能がくる”表紙抗議」の記事が載った。それによると、劇作家・演出家の野田秀樹氏が週刊誌「AERA」(朝日新聞出版)で執筆してきた連載「ひつまぶし」を打ち切ったとのこと。28日発売の同誌4月4日号で明らかにしたという。同誌が19日発売の3月28日号の表紙に「放射能がくる」のタイトルで防護マスクの写真を大きく掲載したことに対し、野田氏は4月4日号の連載上で「面白半分で人々を煽るような次元のこととは違う」などと抗議、「この回をもって終了させていただくことにしました」と表明したという。記事は、同誌の表紙をめぐって「恐怖心をあおっている」などの苦情が多数寄せられたため、編集部がインターネット上で謝罪していた、とも書いている。東京新聞朝刊にも同様の記事が載っていた。

問題になっているAERAの表紙を朝日新聞紙上の広告で見たが、「これを福島の人が見たら、一体どう思うだろうか?」と非常に疑問を感じた。野田氏の抗議は理解できる。朝日新聞出版は自戒したからこそネット上で謝罪したのだろう。しかし、けさの朝日新聞はこの件について一切報道していない。度量の大きい朝日ともあろうものが、どうしたことか?夕刊に勇敢な決断を!
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今こそ音楽の力を~海外の音楽界も被災者支援演奏会

2011年03月29日 07時12分49秒 | 日記
29日(火)。昨日の日経に「被災者を支援 各国で演奏会」の記事が載った。記事によると、ベルリンでは29日「救済募金コンサート」が開かれる。前半はバレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によるチャイコフスキー第6交響曲「悲愴」、後半はラトル指揮ベルリン・フィルによるブラームス「第4交響曲」が演奏される。どちらも被災者の感情に寄り添ったプログラムだ。ドレスデン国立歌劇場では4月7日に専属の合唱団が「日本の震災犠牲者のための慈善演奏会」を開く。ヘルシンキでも4月24日「被災地の音楽活動支援」を目指す演奏会が開かれる。

3月26日、仙台フィルが市内のお寺で演奏会を開いた(27日。朝日)。演奏側も聴衆側も被災者である。最後は皆で「ふるさと」を合唱した。「志を果たして いつの日に帰らん 山は青き ふるさと 水は清き ふるさと」。彼らの気持ちを想うといたたまれない。

読売日本交響楽団は19、20日に定期演奏会を開いた(28日。朝日)。プログラムの前にバッハの「G線上のアリア」を演奏し、1分間黙祷した。指揮者の下野竜也は「いまこの時期に、オーケストラがどんなメッセージを発信することができるか可能性を探りたい」と聴衆に語りかけたという。

今朝の日経には「NYで復興支援ライブ」の記事が。記事によると、東日本大震災の復興をニューヨークで支援する一連のライブ「コンサート・フォー・ジャパン」が27日夜、始まった。4月9日まで5回公演するという。オノ・ヨーコ、坂本龍一、矢野顕子らの世界的に活躍するアーティストが出演する。ライブの収益金はすべて米国最大級の日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」に寄付されるという。

こうした中、時おり新聞の案内広告に「公演中止のお知らせ」が載る。主に海外からの演奏家が来日できなくなったために中止するというケースだ。先日の東京交響楽団のようにプログラムを変え、指揮者もソリストも日本人に変えて、それでも満員の聴衆を集めるようなコンサートをやるんだ!という根性がほしい。



 
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アルビノーニか、バッハか、はたまた別の曲か?~映画「ソフィアの夜明け」を観る

2011年03月28日 20時13分49秒 | 日記
28日(月)その2.最近観た映画から。飯田橋ギンレイホールでブルガリア映画「ソフィアの夜明け」を観た。物語は、歴史的背景からトルコに反感が根強いブルガリアを舞台にして、孤独な青年芸術家がトルコ人少女と出会い、希望をつなごうとするが、少女の両親によって結果的には引き裂かれてしまうといったものだ。

物語の最後の方で、少女を失った青年が夜明けの大通りを歩くシーンがあるが、そこに悲しげな音楽がピアノ・ソロで流れてくる。直感で「バロック音楽」と思ったが、さて、アルビノーニのオーボエ協奏曲のようでもあるし、マルチェルロのオーボエ協奏曲のようでもあるし、でもピアノのソロだし、違うかな・・・・と映画が終わるまで分からなかった。最後にタイトルロールが流れ、配役の次に映画の中で流された音楽が紹介された。それを見て「えっ、まさか?!」と思った。そこには「Concert BWV974」とあった。BWVとはバッハ作品番号のことである。つまりバッハが作曲した協奏曲ということである。

どうしても納得できないので、家に帰ってアルビノーニ、マルチェルロ、バッハのCDを引っ張り出して聴いてみることにした。最初に思い当たる節のあるハインツ・ホリガーの演奏する「オーボエのための協奏曲集」をかけてみた。すると、マルチェルロのオーボエ協奏曲ニ短調「ベニスの愛」の第2楽章「アダージョ」と同じメロディーであることが分かった。なぜバッハの曲と紹介されたのかはCDブックレットの解説を見て納得した。「J.S.バッハはこの曲をハープシコードのためにアレンジしている(BWV974)」。バッハを演奏するのに当時はハープシコード、いまはピアノだ。これで納得した。映画はおもしろい。どんな音楽が使われているかを探求するのは楽しい。



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3年B組金八先生~ソーラン節の思い出

2011年03月28日 08時09分27秒 | 日記
28日(月)。夕べTBSで「3年B組金八先生ファイナル」が放映されたらしい。というのは見なかったから。新聞の番宣欄によると「32年にわたり教育現場の問題を浮き彫りにしてきた」ということだ。

「金八先生」といえば思い出すことがある。息子が小学校を卒業する時のことだから今から7年前になる。卒業式の後の謝恩会で保護者が2つのグループに分かれて、お世話になった先生方や子供たちのために”出しもの”を発表することになった。グループは主に専業主婦から成るグループとワーキング・マザーから成るグループに分かれ、前者はコーラスを歌い、後者はソーラン節を踊ることになった。

わが家は息子を小学校3年まで学童保育に預けて働いていた関係で、「歌なんておもしろくないから、いっしょに踊りましょう」と誘われてワーキング・マザー・グループに入った。実はその3年前の学童の卒室式の時にこの母親たちといっしょに「名探偵コナン」のテーマ音楽にのってパラパラを踊った経験がある。看護婦の衣装を着て踊ったのだが、母親たちからは「似合うね」と誉められた一方で、子供たちからはさんざんからかわれたものだ。

われわれの”出しもの”はソーラン節に決まった。ある人がテレビで「金八先生」を見ていると生徒たちがソーラン節を踊るシーンがあって、すごく感動した、ということだった。その人が録画した番組を見て参考にしながら、2月中旬から約1ヶ月、週1回程度、夜、近くの集会所に集まって練習した。メンバーは15~16人位だったと思うが、父親は私一人だった。「指をもっと伸ばすようにすると、キレイにみえるよ」「背筋を伸ばして!」「ちょっと、タイミングが遅れてるよ」などなど、いろいろ叱咤激励を受けながら何とか1ヶ月の練習に耐えた。というより、練習が楽しみだった。最後の仕上げの練習は小学校の体育館でやった。この日はオペラに行く予定だったが、練習を優先してチケット代をパーにした。当時はそれほどソーラン節に”賭けて”いた。

本番では衣装を揃えようということで、おそろいのはっぴを借りて、長い鉢巻を用意した。いよいよ本番では、最前列の真ん中で踊ったが、みな揃って踊れたと思う。残念ながら写真やビデオに撮ることができなかったが、先生方からは「カッコ良かったですよ」「感動しました」「いつ練習したんですか?」などなど賞賛の声を頂いた。

このときの母親たちとは卒業後も、親だけで”同窓会”をやったりカラオケに行ったりして、すごく楽しい時間を過ごした。子供たちが高校入試を迎えるころになると何となく余裕がなくなり、自然と集まる機会がなくなってしまったが、近所のスーパーなどで会うと「○○ちゃんはどうしてますか?」と子供の話題になる。彼女たちとは同じ時期に働きながら子供を育ててきた”戦友”だと思っている。朝夕、幼い子供を自転車に乗せて保育園に向かう母親などを見ると、「がんばれ!今が一番大変だけど、いつかは報われるよ!!」と心の中で応援している。

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オリビア・ニュートン・ジョン~LPレコードの思い出

2011年03月27日 16時03分19秒 | 日記
27日(日)その2.先日夜たまたまBSをかけたらオリビア・ニュートン・ジョンが歌っていた。デビュー当時はハイティーンだった彼女も今は60歳を超え、立派に成人した娘さんがいる。番組は彼女の生い立ちから乳がん撲滅運動を展開する現在に至るまでをインタビューを交えながら紹介し、リサイタルの様子を映し出していた。大ヒットした「愛の告白」「そよ風の誘惑」など懐かしく聴いた。

オリビア・ニュートン・ジョンといえば彼女のLPのことで忘れられない思い出がある。社会人となって3年目だったと思う。アメリカと日本の新聞協会が新聞記者を10数人ずつ交換して、お互いの国の実情を視察してコミュニケーションギャップを無くそうという「日米記者交換計画」というのがあり、当時国際部にいた私がアメリカの記者10数人を2週間(だったと思う)お世話することになった。

東京で政治、経済、文化界のゲストを招いてセッションを開き、その後、九州に飛び、広島で原爆資料館を見学、大阪に移動して司馬遼太郎さんの話を聴き、大相撲大阪場所に出場していたハワイ出身の高見山のインタビューをこなして東京に戻った。このツアーには国際交流サービス協会という外務省の外郭団体の職員も1人ついて2人で同行したのだが、最後に都内の小さな会場で「さよならパーティー」が開かれた。

サービス協会の彼は流暢な英語で「貴重な機会を与えてもらい皆さんと行動を共にすることができ、ありがたかった」というような挨拶をした(と思う)が、自分は英語でしゃべるのが苦手で、手元にメモを持って話した。すると記者団から笑いながら「ノー・ペーパー!」の野次がとんだ。というのは、セッション中、ツアー中を問わず、常に次のスケジュールを書いたメモを見ながら行動していたから、視察団から見れば、自分たちは監視されているのではないかと思ったのかもしれない。さよならパーティーぐらいカンペ無しで頼むよ!といったところだろう。

パーティーが終わるにあたって、記者団の団長が私に「お世話になったお礼に、記者団全員から気持ちを込めて」と言って、2枚のLPをプレゼントしてくれた。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったオリビア・ニュートン・ジョンの「LET ME BE THERE」とヘレン・レディの「I AM WOMAN」だった。うれしくて涙が出そうになるのを必死でこらえた。記者団のだれかに「趣味は何か」と聞かれ「音楽を聴くことだ」と答えた覚えがある。それでLPのプレゼントになったのだろう。「一所懸命にやれば努力は報われる。無心に人に尽くせば、心は通じる。そのことに国境は無い」。そういうことを学んだ新人時代だった。

先日、部屋の整理の一環でLPレコード約500枚を処分したが、この2枚には手を付けられなかった。今、手元に残されたオリビアのLPを聴いている。LPは単なる”物”ではない。


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冷たい熱帯魚を観る~なぜマーラー第1交響曲が使われたか?

2011年03月27日 11時15分42秒 | 日記
27(日)。最近観た映画から。「本当におもしろくて刺激的な映画体験を望むなら早くこれを観ろ!大人のためのエンターテインメント!」のキャッチフレーズに誘われて園子温監督「冷たい熱帯魚」をテアトル新宿で観た。監督自身の実体験といくつかの猟奇殺人事件からインスパイアされて作ったという。

物語は小さな熱帯魚屋を営む男が、ひょんなことから巨大熱帯魚屋の男に誘われ、知らず知らずのうちに悪の道に引きずりこまれ破滅への世界へ導かれていくというもの。主人公を演じる吹越満は、地味でまじめな性格が、抗しがたい力によってだんだん捻じ曲げられていく有様を見事に演じている。それに加えて、巨大熱帯魚屋の経営者役のでんでんが強烈な存在感を示している。人が好いと思わせておいて、急に態度を変えて主人公をどん底に追い込んでいく男を見事に演じ分けている。

殺人と死体解体といったシーンが、これでもかといった具合に出てくる。R-18の指定を受けている。昨年観た韓国映画「息もできない」と同じ領域にある映画だと感じた。この映画に対しては賛否両論があるだろう。しかし、そんなことにはあまり興味はない。問題はこの映画でどんな(クラシック)音楽が使われているかだ。

使われたクラシック音楽は2つ。一つはワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」。もう一つはマーラーの「交響曲第1番の第3楽章」だ。スケーターズ・ワルツは、水族館での楽しい雰囲気のシーンで使われている。マーラーの方は、主人公が「おかしいぞ。いま引き返さないと後戻りできなくなる」と疑問に思う場面のたびに流される。

この曲は、冒頭ティンパニーにより葬送行進曲風の4度モチーフが打ち続けられ、コントラバスのソロで第1主題が始まり、カノンとして繰り返し繰り返し演奏される。主人公の不安な精神状態を端的に表すのにふさわしい音楽の選定だ。この曲は、いずれ破滅を迎える主人公への葬送行進曲なのだ。そうした意図があってマーラーのこの曲が選ばれたのではないか。監督の本当の意図は知らないが、これが私の勝手な解釈だ。
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被災地に届け~モーツアルト「レクイエム」

2011年03月26日 22時48分27秒 | 日記
26日(土)夕方、東京交響楽団第587回定期演奏会を聴きにサントリーホールに出かけた。当初スダーンの指揮でベルリオーズの「テ・デウム」他を演奏する予定だったが、指揮者とピアニストが渡航自粛により来日できなくなったため、急きょプログラムと出演者を変えて実施することになったものだ。プログラムはモーツアルトの「レクイエム(死者のためのミサ曲)」とベートーベンの第3交響曲「英雄」。指揮は小林研一郎(”炎のコバケン”)。

コンサートは今回の大震災で亡くなられた方々への黙祷から始まった。プログラム前半はモーツアルトの「レクイエム ニ短調k626」。ソリスト陣はソプラノ:森麻季、メゾ・ソプラノ:竹本節子、テノール:福井敬、バリトン:三原剛。混声合唱は東響コーラス(約230名)。スダーンのキャンセルからさほど日程的な余裕がなかったと思われるが、よくぞプログラムを変更した上、これだけ一流の歌手陣を揃えたものだ。なかなか出来ることではない。楽団に敬意を表したい。

急ごしらえのプログラムに大野順二楽団長の言葉がある。「私たち音楽家がこのたびの震災に立ち向かう手段は、やはり演奏することなのだと思います。このような状況だからこそ、音楽の持つ力を強く信じ、本日の公演を迎えました」。われわれ音楽好きは、この言葉を待っていたのだ。われわれは前を向いて歩かなければならない。

数日前に楽団から今回のプログラム変更の通知が届いたときに思ったことがある。それはモーツアルトの「レクイエム」は全曲演奏するのでなく「ラクリモサ(涙にくれる、その日)」までとし、ベートーベンの「英雄」につなげるべきだ、ということだ。その理由は、今回のコンサートが大震災で亡くなられた方々を慰霊し、残された者が前に向かって前進できるよう勇気付けることを趣旨としているからだ。演奏はその通りの方法を採った。

指揮者も演奏家たちもソリストもコーラスも全員黒服に身をつつんでの演奏である。黒一色もこういう時だからやむを得ないだろう。厳粛そのものだ。

「レクイエム」では、ソリストはもちろんコーラス陣が素晴らしかった。最後の「ラクリモサ」では指揮者が「みなの想いを天に昇った犠牲者の魂に届けよ!」とばかりに左人さし指を天に向けて突き立てた。演奏が終わり、指揮者が「震災で被害に会い亡くなられた方々を哀悼するためにラクリモサをもう1度演奏したい。観客席のみなさんも心の中で哀悼してほしい。演奏後は拍手は遠慮してほしい」と挨拶し、再度演奏した。最後の「アーメン」の余韻がいつまでもホールに響いて感動的だった。演奏の価値は演奏直後の余韻で決まる。

休憩時間にはソリストがロビーに立ち、義援金の箱を抱えて募金を呼びかけた。ソプラノがなかなかロビーに現れないのでメゾ・ソプラノの箱に募金した。「どうもありがとうございます」とメゾ・ソプラノでお礼を言われた。ちょっと照れてしまった。

後半のベートーベンを演奏するにあたって、指揮者が「くしくも今日はベートーベンの命日に当たる。彼はハイリゲンシュタットで遺書まで書いたが、その後生き延びて人々を勇気づける多くの曲を作った。この第3交響曲も第2楽章が「葬送行進曲」だが、第3から第4楽章では苦しみを乗り越えて歓喜に至る。これからの演奏がきっと皆さんを勇気付けると思う」と挨拶し、2つの力強い和音で曲を始めた。全曲を通して”炎のコバケン”面目躍如といった指揮ぶりだった。とくに第2楽章「葬送行進曲」は、こんなに長かっただろうか?と思うくらい葬送のメロディーが延々と続く印象があった。

結果的に言って、今日はプログラムが変更になってよかったと思う。戦後最大の大震災を受けて世の中暗くなる一方の状況下で、緊急事態により急きょプログラムを変え、演奏家も変えなければならなかったが、出演者全員が日本人によって今回のコンサートを成功に導いたのだ。東京交響楽団の底力を見せられた想いだ。









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中国からも支援が~東日本大地震へ義援金

2011年03月25日 21時42分54秒 | 日記
25日(金)その2.今朝の朝日新聞国際面の「世界から被災地へ」のコーナーに「札束、スーツケースで」の見出しが踊った。内容は「お札の詰まったスーツケースが上海の日本総領事館に何回か届けられた。送り主は中国企業60数社と中国従業員の有志とのこと。24日時点で合計443万元(約5500万円)に達したという。記事によると、義援金を呼びかけた喜天国際貿易の童中平会長は「四川大地震では日本が真っ先に支援してくれた。今度は我々の番だ」と語っている。現金をスーツケースに詰めて運んでくるところなど、いかにも中国らしいではないか。恩返ししたいという気持ちがストレートに伝わってきて、とても嬉しい気持ちになる。

正直言って国としての中国は嫌いだ。強大な軍事力を背景に領土・領海を拡張していこうとする覇権主義的な姿勢が許せない。著作権の概念がまったく無いに等しいのも許せない。しかし、民間レベルでは、一人一人の国民は今回のケースのように気持ちのいい人たちが多いに違いない。「困った時はお互い様」・・・世界共通の合言葉だ。

中国といえば4日のブログで記者クラブ試写会の内容を紹介した中国映画「唐山大地震」が、11日の東北太平洋沖大地震の影響で興行中止となっている。実際に観た上で言わせてもらえば、こういう時だからこそ観るべき映画ではないかと思う。実に感動的な映画だ。1日も早い再開を切に望む。
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