16日(木).最近読んだ本から.読んだ順に佐藤正午「ありのすさび」,シューバル,バール共著「笑う警官」,佐藤正午「カップルズ」,赤塚不二夫「人生これでいいのだ」,岡田暁生「西洋音楽史」の5冊.ここではもちろん「西洋音楽史」を紹介します.新書版の帯封に次のうたい文句が書かれています.
「18世紀後半から20世紀前半にいたる西洋音楽史は,芸術音楽と娯楽音楽の分裂のプロセスであった.この時期の音楽が一般に”クラシック音楽”と呼ばれている.クラシック音楽の歴史と,その前史である中世,ルネッサンス,バロックで何が用意され,クラシック後には何がどう変質したのかを大胆に位置づける.音楽史という大河を一望のもとに眺め渡す」
クラシック音楽の歴史は中世からの1000年以上続く長い西洋音楽史の中のたったの200年に過ぎないのです さらに著者は「まえがき」で次のように書いています.
西洋音楽史は,楽譜や録音といった,音楽をいつでもどこでも可能な限り正確に再生できるメディアを,高度に発展させてきた ややもすると人々は,東京で聴こうが,ウイーンで聴こうがナポリで聴こうが,ベートーベンの「エロイカ」はいつも「エロイカ」だと思いがちである だが,私自身は,たとえ西洋音楽といえども,それはあくまで深く「場」に根ざした音楽,つまり徹頭徹尾「民族音楽」であると確信している.たとえそれが「世界最強の民族音楽」であるとしても.
さらに彼は続けます.「どんな音楽にも適切な聴き方がある.どんなに素晴らしい音楽も,場違いなところで聴けば台無しだ.場違いだとどうしても音楽から得られる歓びが減じられてしまう” いつどこでどう聴いてもいい音楽”などというものは存在しないのであって,”音楽”と”音楽の聴き方”は常にセットなのだ」
私などはコンサート会場で聴いても,家で寝転がって聴いても「エロイカ」(交響曲第3番「英雄」)は「エロイカ」だと思うのですが,著者によれば後者の聴きかたは邪道ということになるのでしょうね
そうした観点から著者は西洋音楽史を紐解いていきますが,私自身にとってはあらためて音楽の歴史を大雑把に振り返る意味で,いい刺激になりました.また,まったく知らなかったことを知ることもできました.たとえば「中世において音楽は,決して”音”を”楽しむ”ことではなかった,つまり当時の人々にとって音楽とは「世界を調律している秩序だった」ということなどです
おもしろかったのは,ロマン派の音楽について触れているところです.彼は次のように書いています.
「リストやワグナーが”未来音楽”といい,マーラーが”やがて私の時代が来る”と述べた背景にあったのも,同じ歴史意識である.”作曲家にとって大事なのは,”過去”の大いなる遺産に匹敵する記念碑を”未来”に残すことであり,”現在”など取るに足らないものなのだ.そして,”あまりに偉大なものは,浅はかな同時代人には受け入れられないのだ”という考え方であった」
まさに100年前,マーラーは指揮者としては認められていましたが,作曲家としては一部の人々にしか認められていませんでした.そして100年後の今,彼の予言どおり作曲家として認められ”マーラーに時代が来た”のです
クラシック音楽に全く興味のない人には勧めませんが,少しでも興味のある人には面白いと思います.推薦します
「18世紀後半から20世紀前半にいたる西洋音楽史は,芸術音楽と娯楽音楽の分裂のプロセスであった.この時期の音楽が一般に”クラシック音楽”と呼ばれている.クラシック音楽の歴史と,その前史である中世,ルネッサンス,バロックで何が用意され,クラシック後には何がどう変質したのかを大胆に位置づける.音楽史という大河を一望のもとに眺め渡す」
クラシック音楽の歴史は中世からの1000年以上続く長い西洋音楽史の中のたったの200年に過ぎないのです さらに著者は「まえがき」で次のように書いています.
西洋音楽史は,楽譜や録音といった,音楽をいつでもどこでも可能な限り正確に再生できるメディアを,高度に発展させてきた ややもすると人々は,東京で聴こうが,ウイーンで聴こうがナポリで聴こうが,ベートーベンの「エロイカ」はいつも「エロイカ」だと思いがちである だが,私自身は,たとえ西洋音楽といえども,それはあくまで深く「場」に根ざした音楽,つまり徹頭徹尾「民族音楽」であると確信している.たとえそれが「世界最強の民族音楽」であるとしても.
さらに彼は続けます.「どんな音楽にも適切な聴き方がある.どんなに素晴らしい音楽も,場違いなところで聴けば台無しだ.場違いだとどうしても音楽から得られる歓びが減じられてしまう” いつどこでどう聴いてもいい音楽”などというものは存在しないのであって,”音楽”と”音楽の聴き方”は常にセットなのだ」
私などはコンサート会場で聴いても,家で寝転がって聴いても「エロイカ」(交響曲第3番「英雄」)は「エロイカ」だと思うのですが,著者によれば後者の聴きかたは邪道ということになるのでしょうね
そうした観点から著者は西洋音楽史を紐解いていきますが,私自身にとってはあらためて音楽の歴史を大雑把に振り返る意味で,いい刺激になりました.また,まったく知らなかったことを知ることもできました.たとえば「中世において音楽は,決して”音”を”楽しむ”ことではなかった,つまり当時の人々にとって音楽とは「世界を調律している秩序だった」ということなどです
おもしろかったのは,ロマン派の音楽について触れているところです.彼は次のように書いています.
「リストやワグナーが”未来音楽”といい,マーラーが”やがて私の時代が来る”と述べた背景にあったのも,同じ歴史意識である.”作曲家にとって大事なのは,”過去”の大いなる遺産に匹敵する記念碑を”未来”に残すことであり,”現在”など取るに足らないものなのだ.そして,”あまりに偉大なものは,浅はかな同時代人には受け入れられないのだ”という考え方であった」
まさに100年前,マーラーは指揮者としては認められていましたが,作曲家としては一部の人々にしか認められていませんでした.そして100年後の今,彼の予言どおり作曲家として認められ”マーラーに時代が来た”のです
クラシック音楽に全く興味のない人には勧めませんが,少しでも興味のある人には面白いと思います.推薦します