12日(日).昨夕サントリー・ホールで東京交響楽団の第590回定期コンサートを聴きました プログラムは①ルトスワフスキ「小組曲」②シマノフスキ「バイオリン協奏曲第2番」,休憩後③ショスタコービチ「交響曲第10番ホ短調」の3曲.ポーランドの作曲家による2曲とソビエトの作曲家による1曲です.指揮はポーランド出身・28歳の俊英ウルバンスキ.
開演にあたり,東響の大野楽団長が舞台に現れあいさつしました.
「東京交響楽団の本拠地ミューザ川崎は,東日本大震災の被害に会い,客席上部の天井の仕上げ材や鉄骨が落下し,会場が使用できない状況が続いている.皆様から励ましの声や支援を頂いたことにお礼を申し上げる.ミューザ川崎での演奏が可能になるまで2年かかるという専門家の診断が出ている.その間,神奈川県内の各会場で公演を続けるので,是非お出かけいただきたい」
舞台の楽器編成を見るといつもの東響と違います.通常は向かって左から「第1バイオリン,第2バイオリン,チェロ,ビオラ,その後ろにコントラバス」なのですが,今回はチェロとビオラの位置が入れ替わっています.これは指揮者の指示によるものです.
もともとオーケストラは第1バイオリンと第2バイオリンとを左右に対照的に分ける「対向配置」(世界最古のオーケストラ=ゲバントハウス管弦楽団が取っていた態勢だったため”ゲバントハウス方式”と呼ばれています)を取っていたのですが,「ファンタジア」や「オーケストラの少女」で有名なアメリカの指揮者レオポルト・ストコフスキーが,舞台に向かって左から右へ,音の高い方から低い方へバイオリン,ビオラ,チェロ,コントラバスの順に並べ替えたといわれています.これはステレオ録音の登場と密接な関係があると言われています.
1曲目のルトスワフスキ「小組曲」は名前のとおり11分程度の短い曲です.第2次世界大戦当時のポーランドは社会主義国家の一員となったことから,作曲家は「社会主義リアリズム」に従うことを強いられました.つまり,社会主義を賞賛する標題音楽や民謡に基づいた音楽を創作することが求められました.この曲はその産物と言えます.ワルシャワ近郊の村の民謡に基づいて作曲されましたが,小曲ながらなかなかおもしろい曲でした
シマノフスキの「バイオリン協奏曲第2番」のソリストは諏訪内晶子.1990年のチャイコフスキー・コンクールで最年少で優勝しましたが,翌年から日本での演奏活動を休止して渡米,名門ジュリアード音楽院とコロンビア大学で学びました.世界的なコンクールで優勝すると各方面から演奏のオファーが殺到し自分のペースが守れなくなるという懸念があったのでしょう.コンクール優勝時は確か18歳でしたから,今は・・・やめましょう.彼女も熟練しました が,この人には華があります.日本音楽財団から貸与されているバイオリン=1714年製のストラディバリウス「ドルフィン」を繰って,シマノフスキの非常に難しい曲を見事に弾き切りました 全体は単一楽章なので,メロディーに酔っているとアッと言う間に終わってしまいます.終わらない拍手に応えて演奏したのはJ.S.バッハの無伴奏バイオリン・ソナタ第3番の「アンダンテ」でした.深く静かに心に沁みました
さて,休憩後のショスタコービチの交響曲第10番です.彼も「社会主義リアリズム」の制約の下で作曲することを強いられていましたが,1953年3月にスターリンが死去します.その年に彼は第10交響曲を作曲します.彼は自分の名前を曲の中に織り込みます ドイツ語音名による音名DSCH(レーミ♭ードーシ)=ドミトリー・ショスタコービチ=をこの曲に織り込むことによって,スターリンの圧制に苦しめられ,創作活動を制限されてきた彼の自由への叫びを表現したのです.第2楽章のアレグロは威嚇的な音楽が疾走しますが,圧制者スターリンを描いたものと解釈されています.第4楽章のクライマックスにDSCHが現れ,熱狂的に全曲が閉じられます.
ウルバンスキは第1楽章と第2楽章を間を置かずに演奏,第3楽章と第4楽章も間を置かずに演奏しました.意図があってのことでしょう.終演後は熱狂的なでした.全体的な彼の印象は「高速道路をスポーツカーですっ飛ばすようなスピード感溢れる爽快な演奏をする指揮者」といったところでしょうか.いつも感じるのですが,東京交響楽団は若手のいい指揮者を呼びます.今後も新しい芽を紹介してほしいと思います
開演にあたり,東響の大野楽団長が舞台に現れあいさつしました.
「東京交響楽団の本拠地ミューザ川崎は,東日本大震災の被害に会い,客席上部の天井の仕上げ材や鉄骨が落下し,会場が使用できない状況が続いている.皆様から励ましの声や支援を頂いたことにお礼を申し上げる.ミューザ川崎での演奏が可能になるまで2年かかるという専門家の診断が出ている.その間,神奈川県内の各会場で公演を続けるので,是非お出かけいただきたい」
舞台の楽器編成を見るといつもの東響と違います.通常は向かって左から「第1バイオリン,第2バイオリン,チェロ,ビオラ,その後ろにコントラバス」なのですが,今回はチェロとビオラの位置が入れ替わっています.これは指揮者の指示によるものです.
もともとオーケストラは第1バイオリンと第2バイオリンとを左右に対照的に分ける「対向配置」(世界最古のオーケストラ=ゲバントハウス管弦楽団が取っていた態勢だったため”ゲバントハウス方式”と呼ばれています)を取っていたのですが,「ファンタジア」や「オーケストラの少女」で有名なアメリカの指揮者レオポルト・ストコフスキーが,舞台に向かって左から右へ,音の高い方から低い方へバイオリン,ビオラ,チェロ,コントラバスの順に並べ替えたといわれています.これはステレオ録音の登場と密接な関係があると言われています.
1曲目のルトスワフスキ「小組曲」は名前のとおり11分程度の短い曲です.第2次世界大戦当時のポーランドは社会主義国家の一員となったことから,作曲家は「社会主義リアリズム」に従うことを強いられました.つまり,社会主義を賞賛する標題音楽や民謡に基づいた音楽を創作することが求められました.この曲はその産物と言えます.ワルシャワ近郊の村の民謡に基づいて作曲されましたが,小曲ながらなかなかおもしろい曲でした
シマノフスキの「バイオリン協奏曲第2番」のソリストは諏訪内晶子.1990年のチャイコフスキー・コンクールで最年少で優勝しましたが,翌年から日本での演奏活動を休止して渡米,名門ジュリアード音楽院とコロンビア大学で学びました.世界的なコンクールで優勝すると各方面から演奏のオファーが殺到し自分のペースが守れなくなるという懸念があったのでしょう.コンクール優勝時は確か18歳でしたから,今は・・・やめましょう.彼女も熟練しました が,この人には華があります.日本音楽財団から貸与されているバイオリン=1714年製のストラディバリウス「ドルフィン」を繰って,シマノフスキの非常に難しい曲を見事に弾き切りました 全体は単一楽章なので,メロディーに酔っているとアッと言う間に終わってしまいます.終わらない拍手に応えて演奏したのはJ.S.バッハの無伴奏バイオリン・ソナタ第3番の「アンダンテ」でした.深く静かに心に沁みました
さて,休憩後のショスタコービチの交響曲第10番です.彼も「社会主義リアリズム」の制約の下で作曲することを強いられていましたが,1953年3月にスターリンが死去します.その年に彼は第10交響曲を作曲します.彼は自分の名前を曲の中に織り込みます ドイツ語音名による音名DSCH(レーミ♭ードーシ)=ドミトリー・ショスタコービチ=をこの曲に織り込むことによって,スターリンの圧制に苦しめられ,創作活動を制限されてきた彼の自由への叫びを表現したのです.第2楽章のアレグロは威嚇的な音楽が疾走しますが,圧制者スターリンを描いたものと解釈されています.第4楽章のクライマックスにDSCHが現れ,熱狂的に全曲が閉じられます.
ウルバンスキは第1楽章と第2楽章を間を置かずに演奏,第3楽章と第4楽章も間を置かずに演奏しました.意図があってのことでしょう.終演後は熱狂的なでした.全体的な彼の印象は「高速道路をスポーツカーですっ飛ばすようなスピード感溢れる爽快な演奏をする指揮者」といったところでしょうか.いつも感じるのですが,東京交響楽団は若手のいい指揮者を呼びます.今後も新しい芽を紹介してほしいと思います