近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東大阪市の池島と八尾市の福万寺遺跡とは!そのⅠ

2011年06月09日 | 歴史
ここからは突然ですが、先日発見された東大阪市の池島遺跡と八尾市の福万寺遺跡から出土したコウノトリ足跡を辿ってみたいと思います。

大阪府が計画する恩智川の洪水対策のための調整・遊水池としての開発に伴って、東大阪市と八尾市に跨る池島・福万寺遺跡周辺が発掘調査されてきた。

その調査がはじまってから、2011年でちょうど30年になるが、空前の規模で調査が継続した池島・福万寺遺跡は、いまや、日本の水田の歴史を語る代表的な遺跡。

河内のムラ、池島・福万寺遺跡では、3500年前の縄文時代後期の人が使った土器にはじまり、弥生時代・古墳時代のムラや水田、奈良時代から現代につづく水田など、河内に住んだ人びとが作ったもの、使ったものがたくさんみつかっている。

この治水緑地の面積は、八尾市福万寺町と東大阪市池島にまたがる40haで、周囲を恩智川の堤防と同じ高さの堤防で囲んでいる。





写真は、東大阪市と八尾市にまたがる池島・福万寺遺跡の発掘調査現場空撮で、左側が東大阪市池島の恩智川治水緑地、右側が八尾市福万寺町運動市民広場及び福万寺遺跡の田圃跡。

治水緑地は地域内を4ブロックに分割し、大雨の時、河川からの水を一時貯留することにより、洪水被害を防止する施設。







写真は上から、平成23年6月現在の東大阪市池島治水工事現場と池島弥生橋の記念モニュメント越しの望む同工事現場及び現在の八尾市福万寺町運動公園光景。

いずれも発掘調査現場の空撮写真の恩智川を挟んだ左右の現在の姿。

該当地域は、八尾市域は「福万寺町運動市民広場」として、叉東大阪市域は「恩智川治水緑地」として整備されてきた。

本遺跡は、縄文時代晩期から江戸時代にかけての生産遺構が出土したことで知られ、弥生時代の水田遺構、近代まで連綿と継続する農耕に伴う遺構、古墳時代の住居跡などが検出されているほか、土器を中心とする各時代の遺物が見つかっている。











写真は上から、池島・福万寺遺跡現場の恩智川流域、恩智川沿いの記念モニュメント・池島弥生橋、本遺跡周辺で弥生時代を彷彿とさせる田圃光景、現在繰り広げられている田植え光景及び恩智川沿いから望む生駒山麓に広がる田圃風景。

この続きは、明後日に公開します。