ファンタジアランドのアイデア

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変動する時代に食のビジネスチャンスが訪れる アイデア広場 その785

2021-01-07 17:57:40 | 日記


 2021年の初競りが、豊洲市場で開かれました。大間産のクロマグロが、1匹2084万円の最高値で競り落とされたニュースが流れました。1kgあたりの単価は10万円と、昨年の7分の1だったのです。初日の魚河岸では、その年の商売繁盛を願い、様々な魚介類が通常より高い値段で取引される慣例があります。クロマグロは近年、「億超え」の高値をつけていたものです。でも、今年は新型コロタウイルスによる低迷が続いているようです。昨年の飲食店の需要低迷が響き、フグやブリなども例年より安く取引されています。ある食通の方は、「魚の不漁は続いたが、高級魚をリーズナブルな値段で食べられた」と言っています。高級魚の買い手である高級ホテルや割烹旅館店が、お客が少ないので買い控えたというのです。この高級魚が、安値で市場に出てきたというのです。裏には裏があるものです。
 高級魚とされる、マグロの歴史をたどってみました。マグロは、江戸初期には上等な魚ではなかったようです。現在、珍重されているトロは屋台すしから発達したものなので、上品とはいえないものでした。江戸中期ごろ、定置網漁が発達し、マグロが本格的に漁獲されるようになります。現在は、青森県大間のマグロが有名です。でも、江戸時代には、関東付近の海で獲れたのです。縄文時代の気候は温暖で、江戸時代中期の気候は寒冷でした。ふつう小氷期は、1550年から1850年までの300年間とされているようです。この期間は、ロンドンの様子などを描いた絵画を見ると冬は氷っている風景が良く出てきます。江戸の後期になると、海温の影響でマグロが大量に漁獲されるようになるのです。天保の末期には、大漁にとれたマグロが売れ残ったので、捨て場に困ったほどだと言われています。この困ったマグロを、馬喰町の恵比寿ずしが、すしダネに使ったところ流行に至ったとされています。
 江戸時代の後半に、江戸の四大名物食の蕎麦きり、てんぷら、うなぎ、握りずしが生まれました。文化文政の世に、江戸の町で握りずしが広がっていくわけです。マグロが本格的に漁獲されるのと同時期に、醤油産業が発達します。さらに、ここにワサビが加わります。1600年代初頭から100年の間は、関東に醤油が普及していませんでした。刺身は、香辛料と酢を組み合わされた調理だったのです。17世紀後半から18世紀前半の頃に、「すりおろしわさび」の利用がでてきます。そして、ワサビは、「握りずし」と出会うことで定着するようになります。醤油とワサビの融合で、江戸の町で握りずしはたちまち一世を風靡することになりました。握りずしが流行すると、ワサビの大量生産が求められるようになります。それに答えた地方が、伊豆の天城山天領になります。江戸までの船での流通が確保され、江戸前の握りずしが定着することになります。
 徳川家康が江戸幕府を開くことにより、江戸の町は発展を遂げることになります。天下普請の資材の購入が多用されたこともあり、貨幣経済が急速に浸透していきます。江戸は、男性の比率が異常に高いため外食文化が発展します。江戸の初期は、食文化の中心は上方にありました。でも、江戸の発展は、上方文化はおろか地方の文化まで江戸に吸い寄せる力を発揮します。調理法や加工食品、保存食品が上方から猛烈な勢いで江戸に向かって流入してきました。文化の中心は、江戸に移ったのです。参勤交代制度の確立は、全国の富を江戸に集中するメカニズムを定着させる役割も果たしていました。
 余談ですが、マグロや刺身と切っても切れないワサビのお話になります。慶長九年(1604年)の朝鮮通信使の食材として、ワサビが提供されています。朝鮮通信使に対して、徳川幕府は朝鮮侵略で損なわれた関係を修復することを目的にしていました。この通信使に対しての処遇は非常に手厚く、その後も各地で盛大なもてなしがなされています。この時期にはすでに、比較的大規模な宴の食材として、ワサビが調達できたことを示しています。ワサビは「日本海要素植物」とよばれ、日本海側を中心に分布する植物になります。このワサビが、静岡の駿府城から近い有東木で栽培されていたことが分かるわけです。さらに、このワサビが17世紀の後半にかけて、伊豆の天城山天領で栽培されていくことになります。天城山の豊かな森と水源がこのワサビ生産を支えました。江戸にワサビの需要があったとしても、供給がともなわなければ握りずしの普及は見込めなかったわけです。
 握りずしが急速に全国に広がったのは、大正から昭和初期にかけてとされています。関東大震災(1923年)で被災した料理人が東京をはなれ、地方に移り住んだことが一つの理由です。さらに、太平洋戦争でも、東京を追われた職人による握りずしの伝播の影響は大きかったようです。ワサビは、刺身や蕎麦、そして握りずしの献立には必ずといってよいほど添えられています。それが、和食の伝統だと思われてきました。それが、変わりつつあります。現在では、回転ずしが「すし文化」の一翼を担いつつあります。今、回転すしでは、子供たちが多く利用しています。少し前までは、「さび入り」「さび抜き」が皿で区別されるなどしていました。でも、現在ではほぼ全ての店舗で、最初からはワサビを加えない「さび抜き」が基本になってきています。すしとワサビが、切り離されるようになってきているのです。食文化に、変容が起きているともいえます。
 歴史を見ると、食の変容は時代の激動期に起きています。フランス革命では、王族や貴族が没落しました。貴族のお抱え料理人たちは、パリの町でレストランを開業せざるを得なくなります。フランス革命で上流階級の独占物であった高級料理が、一般庶民に知られるようになるわけです。パリの庶民は、高級料理をまねたり改善したりしながら、世界のフランス料理を創り上げていきます。また、中国においては、1927~1950年にわたって国共内戦が行われます。この内戦で、中国の有名料理人は香港や台湾に移動したのです。現在、香港や台湾の料理は、本場の中華料理よりも高級感のある風格をもつ料理に成長しています。優れた料理人や店が集まれば、その集積効果が計り知れないほど高まります。高級料理の拡散と融合は、中国だけでなく、世界中で起きています。特に、東京ではミシュランガイドの数を見るまでもなく、料理店や料理人が集積しています。食の変容を起こす町として、東京(江戸)も記憶されることになるかもしれません。もっとも、この変化を素早く捉えられれば、ビジネスチャンスにもなるわけです。