日本の風物詩に、師走の大掃除があります。お寺や神社の大掃除の光景は、各家庭の大掃除とも重なるものです。一方、イギリスに在住した方に聞くと、この国では大掃除というものがなかったと言います。よく聞くと、彼らは毎日手早く掃除し、家具の手入れを繰り返しているから大掃除の必要がないと言うのです。イギリス人は与えられた時間を有効に活用し、残った時間をスポーツやティータイムとして楽しむことができるということでした。仕事と家事、そして自分の楽しみを自然に行う能力を身に付けているようです。家事においては、力を入れたり、抜たりすることを自然にやれるというわけです。一方、日本の家庭を見てみると、「洗いモノぐらい自分でできなくてどうするんだ」とか、「まったく主婦は手を抜くことばかり考えている」など、男性優位の家庭風景が見られることもあるようです。イギリスの女性から見ると、「流し台に奥さんを釘づけにして、気持ちがいいちのかしら」と、反発したくなる光景があります。流し台に奥さんを釘づけにしない解決方法は、食器洗い機を備えることです。お金が少しかかりますが、奥さんの自由時間を増やす賢い方法になります。洗いモノから解放された時間でお化粧直しでもして、笑顔で夫婦一緒に会話を楽しむようになれば、日本のジェンダーギャップの評価も高くなるかもしれません。ちなみに、日本のジェンダーギャップ指数は、156カ国中120位になります。残念なことですが、先進国の中でも最低レベルを更新中です。
今回のテーマは、家事を男女とも楽しくできれば、多くの点で幸福に近づくことができるだろうというものです。シニア世代が1日3回の食事をできるだけ自分で作って、きちんと食べて体調を整えれば、社会は健全になります。日本の3600万人シニア世代が健康であることは、社会全体の利益につながることになります。シニア世代が1日3回の食事を上手に作って、きちんと食べて体調を整えれば、社会は健全になるということです。彼らが余った食材で、その食材の長所と短所うまく組み合わせることによって、美味しい料理を作ることは、さらに多くのメリットをもたらします。臨機応変に食材を組み合わせて、上手に段取りすることは、シニア世代にとって、格好の脳のトレーニングになります。脳の活性化は、加齢を抑制します。加齢が抑制されれば、健康寿命は延びて、40兆円を超える医療費や介護費が抑制されます。
シニアといわれる年代になると、認知症にはなりたくないという気持ちになります。周りに、迷惑をかけたくないという意識が出てくるのでしょうか。認知症の診断基準は、請求書の支払いができないとか薬の服用が守れないようになることが大きな指標となるようです。認知症を予防する場合、生活習慣の中で運動は最も有効性が高いのです。予防に特に良いとされているのが、有酸素運動になります。より効果的な運動にする場合、デュアルタスクという方法があります。これは、運動をしながら計算をしたり、日本の県名を北から順にいったりするやり方です。同時に、2つのことに取り組みながら能力を高める手法になります。認知症予防には、運動の次に頭を鍛えることやバランスのよい食事があげられています。アルツハイマー型認知症は、海馬が縮小します。海馬を元気にするような生活を送ることが、健康な脳を保つ秘訣になるわけです。家の中で健康な脳を保つ仕組みを、調理や掃除の中に仕込んでおけば、ハッピーな老後を送れることになります。
家事を改善していく姿勢も体も、意外に変化に富んだ楽しみになります。「洗いモノぐらい自分でできなくてどうするんだ」などとガチガチに決め込まず、より良くするための改善ならば、素直に受け入れる姿勢が大切になります。素直に受け入れて、どんどん改善していくしなやかな姿勢も必要になります。自分らしさを自分で見つけることは、なかなか難しいことです。このようなセンスは簡単に身につくものではなく、初めは身近なファッションリーダーの真似をして少しずつ高めていきます。失敗を繰り返していくうちに、自分なりの「おしゃれ」が発見できるようです。もっとも、このおしゃれは、からだもこころも健やかな状態の上で成り立つものです。イギリス人の奥さんを見ていると、柔軟なやり方で、じぶんにあった状況を考慮して、家事を行っています。結果として、時間を有効に、そしてゆったり使いながら、優雅な生活を楽しんでいるようです。時間に追われ、あくせく動き回る日本人とは、少し違う生活をしているようです。そのことが、日本よりジェンダーギャップの評価を高くしている要因なのかもしれません。彼らは、家にいるのが楽しくなるようなアイデアを考え、工夫しているようです。
アイデアや工夫は、天から降ってくるわけではありません。アイデアや工夫を効率的に考えるには、それなりの訓練が必要になります。家事を効率化に行うためには、その実践を行わなければなりません。その実践の過程には、失敗も多くあります。そして、喜びもあるでしょう。たとえば、料理の訓練について考えてみます。課題は、余った食材から和洋中の三つのメニューを考えることになりました。あまりものでも、おいしい料理ができると、料理作りも楽しくなります。余った食材でも、美味しくできれば、素直に美味しく味わい、感謝しながら食事をすることができます。出来上がるまでの時間を上手にやりくりすることこそ、家事の醍醐味になります。さらに、課題が続きます。「2時間後にお泊まりのお客さまが見えるので、その準備をしなさい」という課題です。この課題には、準備しなければいけないことが4つあります。お客さまが泊まるベッドメーキングから始めて家中の掃除をします。アイロンがけをしたクロスをテーブルに敷きます。テーブルセッテイングをしてお茶の用意をします。ケーキを焼いているあいだに、自分でアレレンジメントした花をテーブルの上に飾ります。そのとき、注意したいところは、お花の高さを目線より必ず下にすることになります。この作業を、2時間で行うわけです。2時間の仕上がりのイメージに向けて行動すると、必要な手順と時間が計算できるようです。このような課題を随時解決しながら、家事の能力を高めていければ、イギリス人のような優雅な生活がおくれるというわけです。
小さな不満が解決されたとき、思いがけない満足感が生まれるものです。幸せになるのはすごく簡単で、ささやかな幸運がやってくるだけで感じることができます。幸せとは、ものすごく大きな塊ではなく、小さな喜びを重ねていくものです。でも、幸せだと感じる基準を高く設定すると、なかなかやってきません。自分にとって幸せだと感じる基準上げていけば、永遠に満足できない状態になります。幸せの闘値が上がることほど、不幸なことが多くなります。その逆も、真理です。幸せの閾値を低くすれば、いつでも満足感を味わえます。3度の食事の閾値をさげれば、楽しい食事を毎日体験できるわけです。幸福の小さな積み重ねが、頂上までの勾配を緩やかで、到達しやすい幸福への道のりに変えてくれるようです。