乳児は、お母さんから愛情を注がれて、すくすく育ちます。それに対して、乳児は援助を受けるだけの存在のように見えます。恐竜の時代においても、親はヒナに対して身を挺して守る行為を行っていたことが分かり始めました。でも、子どもは本当に愛情を受け取るだけの存在なのだろうかという疑問が、ふつふつと湧き出てきたのです。子どもの側から、親に与えるものがないのだろうかという疑問です。
そこで、子どもが親に与えるものについて考えてみました。多くの役者の方は、幼児と一緒に舞台に立つことを望みません。理由は、幼児が舞台の上で観客の注意と関心を、いとも簡単に役者から奪う素晴らしい才能があるからです。幼児は、ある意味でエンタテイメントを自然に発揮できる能力があります。子どもの寝顔や満面の笑みを前にすると、親は自然と愛おしさが募ってくるものです。親はその寝顔を見て、自然と笑いが出てきます。子どもは、動作であれ、言葉であれ他者の模倣によって成長するという側面をもっています。そして、最初に模倣する相手が、母親や父親ということになります。子どもは、親の笑いを見て、やはり笑いを覚えていきます。笑いは、親と子の絆を強化を促します。親と子の笑いはお互いに干渉し合って、より高い笑顔の効果を享受しているようです。
笑いが、脳の側坐核を活性化することが分かってきました。この部分が活性化すると、ドーパミンが分泌されるのです。ドーパミンの分泌は、その人に快の感情を引き起こします。親子の笑いは、両者に快の感情をもたらすことになります。笑いには、親子を結びつける絆のようなポジティブな作用があるのです。さらに、笑いは、免疫効果のあるサイトカインやナチユラルキラー細胞の活動を高めることも分かってきました。幼児の場合、健康状態が十分ではありません。また、母親は出産したときに、体力が低下しています。そんな場合、笑いが人間の体を守るという仕組みになっているのかもしれません。
親子の笑いは、コミュニケーション活動を促します。家族の連帯感が、コミユニケーションを通して形成されます。いずれ社会へ飛躍する準備を、家庭内で訓練するという意味を持っています。笑いは、きわめて社会的な現象であることになります。ドーパミンは、人間の意欲と密接に関連し、学習の強化因子として働きます。母親が、子どもを出産し、育てていく中で、学習能力を高めていくと言われています。そこに、子どもの間接的関与が大きく関係しているのかもしれません。
それはそれとして、親子の親密な連帯感は、心理的な高揚感と安心感の大きな源となります。連帯感には、笑いのようなポジテイブなものがあることは事実です。親密な連帯感が社会的孤立を乗り越える有用な資源になります。家族間の絆は、多くの笑いや快の感情の積み重ねで確固としたものになります。蛇足ですが、この絆や連帯感には、ポジティブなものだけではありません。泣くとか、悲しみ、不快といったネガティブなものもあります。快不快の二分法の趣旨からいえば、快だけの環境で育てば良いとなります。でも、そうではないようです。快も不快も経験したほうが、潜在能力の高い人材に成長するようです。そういえば、人生の中で最も泣くのは、乳幼児期でした。