懸案になっていた運動部の活動についての提言案が、スポーツ庁の有識者会議でまとめられました。そこでは、休日の公立中学校の運動部活動についての提言が注目されています。土曜日や日曜日の練習や試合において、教員の長時間労働の問題が取り上げられています。この提言案では、「保護者の過度な期待が活動の長時間化や過熱を招いている」と指摘しています。さらに、全国規模のトーナメント方式が、勝利至上主義を助長しているなども問題点として挙げられています。このままでは、教員の負担が過剰になり、教育本来の目的が達成できなくなるとの危機感が有識者にはあったようです。結論として、休日の公立中学校の運動部活動を、2025年度末までに地域の外部団体の運営とするとなりました。提言では、2023年度から段階的に外部,運営に移行し、2025年度末までにおおむね全国で移行が完了することになるようです。中学校の運動部の運営は、総合型地域スポーツクラブやスポーツ少年団、フィットネスジム、大学を想定しています。
この提言の発想の根底には、ヨーロッパ型のクラブがあるようです。ヨーロッパ型のクラブ組織は、学校の区分がないため、子どもの競技レベルで所属チームや所属リーグが決ります。ヨーロッパ型のクラブでは、資格を持つコーチが指導することになります。逆にいえば、資格がなければ、教えられないわけです。これらのコーチの指導からは、楽しみながら質の高い指導を受けることができます。彼らの仕事は、クラブ員のモチベーションを高めることが主なテーマになっています。ヨーロッパ型のクラブは、同じようなレベル同士で試合ができます。同じレベルですと、毎週のように試合が楽しみになり、練習にも力が入ります。でも、日本の練習と違うのは、多くても週に2~3回、各2時間ほどの練習なのです。この練習量ですから、学習活動やからだの成長には良い刺激になります。ヨーロッパ型のクラブは、シーズンオフには、別のスポーツを行うことが一般的です。この種目を多く経験する仕組みは、子ども達の健全な成長発達を促し、スポーツや運動の楽しみを数多く体験させることに寄与してきました。
一方、日本の部活動には大きな利点がありました。中学校で素晴らしい競技成績を上げれば、スポーツ推薦という制度が用意されています。スポーツの実力を伸ばすだけで、次の高校というステージが用意されています。好きなスポーツをしながら、高校生活を楽しむことができるわけです。強豪校といわれる部は、多くの部員が集まります。その部は、競技に強いだけでなく進路指導もしっかりしているのです。大学との繋がり、そして企業との繋がりを持っています。強豪校は、大学や企業、そして中学との広い人脈を継続的に持つことによって成立しています。厳しい練習や上下の人間関係に耐えれば、進路は保証されていたわけです。大学には先輩がいて、丁寧に指導してくれました。企業には先輩がいて、仕事に支障の出ないように指導してくれます。最近は、新入社員が、入社後すぐに辞めてしまう現象があります。部活動を熱心に行ってきた人材は、すぐにはやめることがないと評価もされてきました。
部活動をやってきた子ども達が評価される流れは、日本特有の環境の中で作られてきました。個人よりチームの勝利が、重視される傾向がありました。陸上などの個人競技でも、駅伝とかが重視される傾向があります。中学の部活動やスポーツ少年団などでは、勝利にこだわる傾向になりました。たとえば、ある野球の部活動チームでは、とりあえず、バントやゴロの指導を重視しているといいます。フライを上げることは、必要以上に悪とされる傾向もあるようです。もっとも、バントやゴロの指導からは、日本を背負うようなスケールの大きい選手は生まれません。指導者の「勝ちたい」気持ちが先走り、細かな技術習得に走る傾向があったようです。指導者の言うことを聞く子が、優遇されるチームになっていきます。子ども達は指導者の駒になりきって、ゲームを遂行する光景が見られるようになります。でも、この駒になることが、企業では必要な人材と評価していたのです。
日本の企業には、運動部で3年間もしくは6年間、一つのことをやってきた実績を評価する姿勢がありました。レギュラーになれなかった部員にも、それなりの進路が用意されていたのです。部活動を行ってきた生徒は、コミュニケーション能力があり、人柄が良いと評価されていました。運動に打ち込む姿は、日本の企業戦士を髣髴させるものでした。3年間、そして6年間の部活動を行ってきた生徒は、会社で教育すれば、ものになるという考えがあったのです。監督は部員の進学や就職を心配することなく、部員の競技能力を高めることに専念することができました。指導力があれば、競技能力を高めることに専念できる環境が、内外に整備されていたわけです。以前の部活動は、部活動の監督やコーチと企業、そして部活動を行う生徒たちの利害が一致していたともいえます。
でも、時代が変わりつつあります。社会が必要とする人材は、ネット社会で柔軟に活動できる高いスキルが求められるようになりました。以前の企業戦士では、世界のビジネスに立ち向かうことができない状況が生まれつつあるのです。言われたことや決まったことをやるだけでは、評価されない時代になってきました。企業文化の変化は、学校の部活動にも変化をもたらしてきています。最近では、会社で新入社員を初歩から教える余裕もなくなってきています。3年間部活動をしたからといって、良い企業に確実に勤められるわけでもない状況になりました。部活動を積極的にやっても、将来に役立つのだろうかという疑問がでてきたのです。
「体育会系」の世界で育ってきた子ども達は、監督やコーチのいうことを絶対視しがちです。今までは、コーチの言う通り動く子どもが、優遇されました。そして、一定の競技成績を上げることができたのです。でも、トップレベルの成績を上げるには、自分の考えと自分に適した練習方法が不可欠です。日本のコーチの中にも、この自分で考える選手の育成に取り組む人達も出てきています。この先進的コーチが、従来の指導で育った子ども達を導く難しさが露呈することがあります。コーチが選手に対し「自分で考えろ」と指導したとき、選手は何を考えたのでしょうか。選手は、「コーチが、自分に何をやってほしいのか」を熟考するといいます。選手は、「コーチの頭の中にあるはずの正解」を一生懸命探そうとするのです。「自分で考える」というのは、自分で練習方法を考え、工夫し、自分にあった練習方法を選手自身が組み立てることなのです。でも、「体育会系」の世界で育ってきた選手は、なかなか自分の頭で考えようとしない傾向があります。考える指導を受けなかった子ども達が、練習を自分自身で考え、練習を組み立てることが一つの課題になっています。そして、考えさせることを指導しなかった指導者に対して、考える指導を上手に行えるようにすることも課題になります。
最後に、有識者会議では、運動部の運営を総合型地域スポーツクラブやスポーツ少年団、フィットネスジムを想定しています。課題は、これらを運営する組織の指導能力になります。考える指導は、指導者にも、子どもにも、そして、保護者にも、これまでとは違ったスポーツ観の指導方法を取り入れることになります。それは、これからの指導者(監督やコーチ)は、選手を締め付けるのではなく、可能性を活かす指導になります。別の見方をすれば、勝利至上主義から個人の喜びを優先するスポーツへの変換ともいえるものになります。人々の意識改革は、時間がかかるものです。有識者会議の提言が、子ども達の成長発達に寄与し、新しいスポーツ観の醸成を促すことを願っています。