高度なI T技術や知識を持った人材を、不足しています。この人材を大量に育成する仕組みが、求められているのです。デジタル人材が、世界的にに不足という現実があります。日本では2030年にIT人材が。45万人不足するとされています。ITスキルを習得していると回答する人が海外では85%に対し日本ではわずか29%なのです。謙譲が美徳の国とはいえ、少し寂しい現象です。巨大テック企業や有力メーカーは、世界的エンジニアや研究者を奪い合ってきました。でも現在は、業種を問わずあらゆる企業が加わるIT人材の争奪戦になっています。人材獲得は外部からだけの採用だけではなく、内部での育成を工夫する企業も増えています。教育や研究などの分野において、デジタル化に向けた人材育成を行う企業が注目を集めています。
店舗を作らず、レジなしにするテクノロジー重視の外販も盛んになっています。人との接触を避けながら、買い物ができるAIの導入が小売業界に取り入れられるようになりました。AIが、多くの職種に進出し、人間の仕事を奪っている現状もあります。そんな中で、AIに比較的浸食されない職種は、デザイナーや独創的な会社経営者などになります。独創的な会社経営の特徴は、高度な創造性や社会的コミュニケーションを強みにしていることです。常に、彼らは新しい発想やアイデアを出し続ける頭脳を持っています。AIを排除するのではなく、企業に力を与えるAIなどで一新できる部分がないかを点検する姿勢があります。新しい発想力や社会的コミュニケーション能力を高めた人材は、AIの利用も当然のように持ち合わせているようです。
厳しい世界的競争の中で、製造業もI Tを使わないと存続が困難になっています。IT職の人に限らず、営業や財務が仕事の人もこうしたデジタルスキルを磨いています。今後の競争力を左右するテクノロジーは、他人に任せるのではなく会社内の人材が中心部分を掌握したいという意志が働きます。一方で、幅広い産業のデータが扱える深い経験ができるという名目で、IT人材を勧誘することも行っています。いろいろな業務を経験した人が、ITスキルを身に付ける流れはこれからも続きます。デジタルミドルの層を厚くすれば、デジタルな社風を醸成することができます。一部の専門家だけの戦力ではなく、硬軟両様の分厚い戦力で、厳しい競争に立ち向かうことが望ましいわけです。ある調査によると、隠れたITタレントが日本には1万人いると報告されています。これらの人材を活用する場合、給与は能力主義とし、働き方の自由度を高めなければならないようです。内部での人材育成が、急務になっています。
内部でその人材育成をするモデルが、ドイツにあります。産業と教育を連携する大学が、ドイツにはあるのです。ドイツで力を入れている人材育成に、二元制学修課程(デュアルシステム)があります。二元制大学には、経営学や情報科学、社会福祉などのコースがあります。ここには、ダイムラーなど大企業や銀行などの金融業、そして中小企業で職業訓練を積んだ大学生が通っているのです。大学で教育を受け、企業で働き、研究する中で、人材を育てる仕組みを、二元制大学に見ることができます。給与と学位と職業資格が、同時に得られる利点がある大学になっています。日本の夜間大学は、苦学生というイメージがあります。でも、ドイツは少し楽しい学生の様子が垣間見えます。近年では、インダストリー4.0を専門とする二元制大学もできています。
人間の限界には、生理的限界と心理的限界があります。社会のルールや慣習により、生理的限界を抑える仕組みができています。「無理をしないように」とか、「それはやってはいけない」とかの制約が家や社会にはあります。でも時として、この人間の行動を抑える制約が、外れる瞬間があります。緊急事態のときに、弱い女性が自分の体重を超えるタンスを運び出してしまう光景がよく語られます。「火事場の馬鹿力」などといわれるものです。心理的限界をはるかに超える生理的限界が、具現された瞬間です。制約や社会的慣習により、画一化されて、自分の希望を抑える流れになりがちです。でも、人間には、大きな潜在力が隠されているものです。これを見つけ、活用する術を身につけたいものです。
年上の子どもの動きや学習を見ているだけで、次の日にはできている小さな子ども達がいます。この子どもたちの才能を順調に伸ばしていけば、人類の宝になる逸材です。彼らは集中する時間が延びれば延びるほど、脳の発達は急速に進んでいきます。でも、宝になる可能性のある子ども達が、成長するにつれて普通の人になっていくのです。才能を潰さない方法は、これらの子どもが打ち込んできた好きなことや関心のあることを継続させることになります。打ち込んでいる行動は、脳が集中している時間を意味します。才能のある子ども達には、世俗の制約をゆるめにすることが大切です。彼らが熱中して獲得した知識や技能を、断絶させる時期を作らなければ、子どもの才能はいずれ開花するものです。ここで大切なことは、関心の持つことを継続して探求する姿勢です。その時間は、少なくても良いのです。途絶えさせないことが、重要になります。
世界のスタンダードな教育が、求められています。海外の学校には、才能を伸ばす仕組みが発達しています。海外の大学で広く認められている入学資格「国際バカロレア」に、注目が集まっています。国際バカロレアの資格を取れば、卒業後の選択肢が世界の大学に広がるメリットがあります。世界の研究者やトップITの専門家は、自分の子供を国際バカロレアの資格保持者にしようとします。この資格があれば、世界のどの大学でも受けいれてくれるからです。このレベルの知識が、日本人が海外で飛躍するために必要になります。文科省の計らいで、国際バカロレアと日本の高校卒業資格の両方を獲得できる学校も現れてきています。バカロレアと日本の学校に沿うカリキュラムと両立し受けられる国内の高校が増えているわけです。国語や音楽、体育、ホームルームなど以外は、英語で学ぶことになります。ある面で、子ども達には負担の大きな授業になりあます。バカロレアは暗記の必要はなく、講義は演習を中心に行い、自分で考える力を養うことに重点を置いています。標準的世界の教育が、日本でも芽生え始めているようです。
外国の良さを取り入れ、世界標準を目指す一方、日本の長所を生かす仕組みを獲得できれば万全でしょう。そのヒントは、囲碁将棋にあります。小学校を中心に、囲碁や将棋を授業に取り入れる動きが出てきました。囲碁にいそしむと、集中力が付くなどの報告もされています。でも、本当の意義はコミュニケーション能力の向上にあります。囲碁や将棋は、コミュニケーション能力を高める役割を持っていることが分かってきたのです。このゲームは、相手の「手」を予測して作戦を練る力を養います。強い子どもは、相手の顔や仕草から状況を把握し、自分に有利な展開に持ち込むことができます。相手の手や形成を読んで、優位になる手を考える訓練を囲碁将棋は日常的に行っているのです。言葉を交わさなくとも、対局で心を通わせることができます。このような訓練をしておけば、多様なコミュニケーションを咀嚼し吸収していくことができるようになります。日本流のコミュニケーション能力を高め、国際標準の知識を獲得し、世界の競争社会で活躍できる人材を育成していきたいものです。