ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

新型コロナウイルス・SARSとMERS・ワクチン開発  アイデア三題噺308

2020-03-31 17:32:03 | 日記

 2019年12月31日、中国湖北省武漢市で検出された病因不明の肺炎の事例についてWHO中国事務所に通知されました。それから3か月余りで、全世界に流行が広がり、感染者数60万人以上となり、死者は3万人になっています。中国の武漢でほんの数人の呼吸器疾患がわずか3カ月余りでパンデミックになってしまったのです。感染症は航空機を介して、数日のうちに世界各地に拡散したということです。
 21世紀になり、人類は3度のコロナウイルスに襲われています。その最初の事例が、SARS(重症急性呼吸器症候群)になります。この感染症は、2002年11月16日に中国広東省仏山市で最初の患者が発生したと報告されています。香港、北京などから感染者の移動によって、世界中へ運ばれ大きな問題となりました。その後、2003年7 月 5 日にWHO が制圧宣言を出すまで、のべ 30 の国と地域で 8,422 人の感染者と死者 916 人(死亡率 10.9%)を記録する感染症になりました。
 中国南部では、家畜や家禽のみならず、さまざまな野生動物を食材とする食文化があります。現地の人々は、野生動物から感染を受けても、軽症か不顕性感染で終わっていたようです。SARSは過去であれば、中国南部の風土病に留まっていた可能性の高い感染症でした。でも、交通機関の発達は、一地方の風土病を全世界に広めるまでになっていたのです。SARSウイルスは、イヌ、ブタ、ネコ、ウシ、ラクダ、ニワトリ、ヒトを宿主としています。ネコがこのコロナウイルスに感受性をもち、不顕性感染を起こしたことが示されています。香港のSARS集団感染では、患者の飼いネコの50%に患者のウイルスと同じ抗体が検出されています。このウイルスが、ネコの肺の中で増殖することが分かっています。その場合、発熱や肺炎は起こさないことも示されています。る2003年7月以降、SARSの患者の発生もこのコロナウイルスも検出されていません。
 次に、襲い掛かったコロナウイルスがMERS(中東呼吸器症候群)です。2012年から2019年1月31日まで、WHOに報告された検査診断患者数は、世界で合計2,298人であり、811人が関連死しています。この感染症は、現在も中東を中心に感染者や死者を出し続けています。MERSコロナウイルスは2012年重症肺炎患者のサウジアラビア人男性から分離発見されました。この症状は、発熱、咳、息切れなどのかぜ症状と、急速に悪化する重症肺炎になります。重症化しやすい患者は、多くが中高年以上であるという点と、糖尿病や慢性肺疾患、そして免疫不全などの基礎疾患のある人になります。
 オマーンのヒトコブラクダが、MERSコロナウイルスと強く反応する抗体を持っていることが分かっています。ネコがSARSコロナウイルスに感受性をもち、不顕性感染を起こしたことは先に述べました。同じようなことが、MERSコロナウイルスにもいえるわけです。中東の人々は幼小期からラクダと生活し、このコロナウイルスの感染機会を得ていたようです。小児時期に初感染を受ければ、MERSは軽症か不顕性の病気で終わっていたと考えられています。ある面で、大人になって罹ると重症化する麻疹のような病気とも言えます。中東の都市化の進んだ環境に住む住民は、ラクダと接触する機会のないまま大人になることが多くなりました。大人になって初めて感染するようになったために、重症化し、この病気が顕在化するようになったともいわれています。MERSコロナウイルスの感染力を弱めるには、消毒用のアルコールや石鹸などが効果的とされています。
 余談ですが、2015年5月韓国で、MERSが発生しました。中東から韓国に帰国した感染者が、3カ所の病院を次々と診療に訪れたのです。韓国は医療費が安いので、自分に合う医師を探して、医療機関を転々とする傾向があります。MERSの感染は、約2カ月で186人の感染者と38名の死亡者をだしました。感染者165人のうちの35%が入院患者でした。院内感染が、主な感染原因となったのです。韓国の病院では看護師が入院患者の身の回りの世話をせず、家族や家政婦に看させる傾向があります。家族や見舞客が、患者に付き添って世話をする光景が見られます。強い家族結合に基づく文化的背景が、この感染症を広めたとも言えます。でも、この教訓から、コロナウイルスの検査体制は充実したものになったわけです。
 現在襲い掛かっている新型コロナウイルスは、過去の2つとは比べ物にならないほどの感染力を持っています。これを抑えるには、ワクチンの開発が不可欠です。ワクチンは一般に、ウイルスを培養して増やしていきます。その過程で、毒性を取り除く作業も欠かせません。このようにしてできたワクチンが、臨床試験を行うことになります。その試験の結果、効果が認められれば、各国の当局の認可を受けて、正規のワクチンとして登場することになります。多くのベンチャー企業は、試験的なワクチンを製造しています。
アメリカのべンチャー企業は、新型コロナウイルスのワクチン製造において先行しています。ある起業は過去最短となるわずか42日で、ワクチンの準備を整えたと言われています。人間を対象に試験的にできるワクチンの開発は、最初のハードルは越えたともいえます。でも、ワクチンの有効性を調べる作業が残っています。規模の大きな治験を実施し、その有効性を調べなければならないのです。ワクチンの専門家たちがこのペースの速さで、開発を進めれば、今後1年から1年半で完成するかもしれないとのべています。この1年から1年半は、人類にとってつらい期間になります。ウイルスを封じ込めることもできず、ワクチンもない期間になるわけです。
 今回の新型コロナウイルスは、ある面で本当に賢いのです。高齢者にとりついたウイルスは、高齢者の症状を悪化させ、殺していきます。病気を持っている人にとりついたウイルスも、病気を持っている弱者を殺していきます。SARSを見るまでもなく、殺してしまえば、ウイルス自体も消滅してきます。高齢者を殺すことは、ウイルス自身もなくなるということです。若者にとりついたウイルスは、共存共栄の道を歩みます。お互いに長く繁栄を享受しようとしているわけです。「生かさず殺さず」、末永い繁栄の道を選択しているともいえます。ネコがSARSコロナウイルスに感受性をもち、不顕性感染を起こしていました。このウイルスが、ネコの肺の中で、静かに増殖していきます。若者や元気な方は、発熱や肺炎を起こさずに、自分の体でウイルスを増殖させていくわけです。ウイルスから見れば、若い奴に入り込んで末永く生きていくという道を選んでいるわけです。このウイルスは、人間の弱点を見透かしているところがあるようです。この人間の弱点は、「欲」というものです。
 今回のワクチン開発には、20億ドル必要だとされています。開発する製薬会社は、この開発費を回収しなければなりません。一つの薬に2000億円の費用を支出することは、会社にとって一つの決断です。まず、競争に敗れた場合、投資して得られるリターンはゼロになります。大きなリスクです。例えば、製薬会社がリターンの確実でない中で、この感染症の治療薬ワクチンの開発に成功したとします。社会的にみれば、大きな成果です。すると、次の問題が出ます。
 2009年に、新型のインフルエンザが流行しました。日本では、900万人程度がかかったとされます。でも、死者は200人程度でした。アメリカはこの時、死者が1万人をはるかに超えました。最も、今回のコロナウイルスが起きる直前に、トランプ大統領は、インフルエンザの死者が3万人に比べれば、新型コロナウイルスなどは抑えられると豪語していたほどです。この2009年の流行時には、最も豊かな国々がこのインフルエンザワクチンを買い取り独占した経緯があります。アメリカでは政治家や多くの患者の間で、この医薬品の価格の高さに不満を抱いたのです。
 今回の新型ワクチンが開発された場合、このワクチンは長期の需要が発生することが予想されます。成功した製薬会社は、この投資を長期にわたって回収できる環境になるわけです。それでも、初期において、薬価は高額になるでしょう。速く投資を回収したいと考えるのが、民間企業です。20億ドルを使ってワクチンの製造が可能になったとすれば、それを早く回収したいと考えます。消費者は、開発されたワクチンを適正価格で入手することを希望します。企業間の競争は、開発のスピードを上げます。でも開発に失敗すれば、リスクをかぶることになります。このスピードとリスクの保証を、同時に解決できる方策を政治が提示してほしいものです。できれば、世界の政治家がこの難局に対して、一致して資金的支援をしてほしいわけです。
 最終的に、世界の人々が願っていることは、ワクチンがいつでもどこでも低価格で摂取できる環境を整えてほしいということです。数億回分のワクチンの生産については、各国政府と協議しなければなりません。鶏卵でウイルスを増やす場合、が特別な環境で飼育した鳥などを確保する必要があります。ワクチンの開発経過や認可の状況を見極めながら、ワクチン生産の準備を事前に整えなければ、全世界にワクチンを供給することはできません。ワクチンの市場は、寡占状態でアメリカイギリスの大手4社で85%を占めています。でも、この会社に任せれば、円滑に世界に供給されることはないでしょう。ある面で、政治力で世界に行きわたるような仕組みを作ってほしいものです。





貴重な情報を提供する小笠原諸のカタマイマイ  アイデア広場 その533

2020-03-28 22:14:54 | 日記


 150年前のガラパゴス諸島は、ダーウィンが提唱した進化とそのプロセスを実証した島でもあります。干ばつで、ガラパゴスフィンチの餌となる種子が減りました。残った固い大きな種子を割って食べることができる鳥が、生き残ります。嘴のより大きな鳥がより多く生き延び、その遺伝的な形質を受け継いだ子が増えていきます。ガラパゴス諸島で、自然選択と呼ばれる進化のプロセスが確認されたわけです。でも、それだけではなかったのです。1982年からの異常気象で長雨が続くと、小さな種子が大きな種子より豊富になりました。すると、島に棲むガラパゴスフィンチの嘴のサイズは小さくなったのです。餌の種子が小さくなれば、嘴も小さくなったほうが餌を食べる効率が良くなったわけです。
 嘴のように重要な形質の進化は、非常にゆっくり進むとされていました。重要な形質の進化は、地質学的証拠となる化石記録でなければ観察できないと考えられていたわけです。この地方の長雨は、エルニーニョによってもたらされていました。エルニーニョに伴う気候変化の度に、フィンチ類の嘴の大きさと形が変化することが観察されたわけです。ダーウィンが着想した進化の考えを、40年ごとに起こるエルニーニョという短い観察時間の中で実証されたのです。生き残るうえでより有利な形質を持つガラパゴスフィンチが、より多くの子孫を残します。そして、この鳥の持つ性質の有利や不利は、環境が変われば逆転するという進化論が実証されたわけです。
 有利とか不利とかは、環境や条件が変われば、逆転するものです。オーストラリアでは、森林火災が拡大し、多くの森林が消失しています。人工林は、人類の財産になります。木の間隔が開いていれば、火の通り道はなくなります。つまり、火災が起きにくい条件を持つ森林になります。森林火災の面から考えると、火災の渋滞は歓迎すべき現象です。でも、間隔を開けすぎると、林業としての生産効率は悪くなります。経済と健康の観点から面白い事例があります。日本の大手企業が共同出資し、中国の山東省に大規模な農地を借りました。最初の5年間は、その土地が放置されたのです。この広大な農地は、5年間で野草が伸び放題の状態になりました。山東省の人々には、伸び放題の農地に対する日本人の行動を理解できなかったようです。無駄の最たるものだったのでしょう。5年後になって、初めてこの土地に牛を飼って放牧しました。その牛の糞で土壌を改善し、無農薬の農作物の栽培を始めたのです。無農薬の農作物を乳牛に食べさせ、品質が高く安全な牛乳を生産したのです。この当時になると、中国の方の健康意識は向上していました。無農薬の農作物を飼料とした牛からとれる牛乳は、多くの人々から求められる商品になっていたのです。ある種の無駄が、品質の高さや健康意識の高まりにマッチングすることになった事例です。
 進化が起こりやすい集団は、現時点で生存にあまり役立っていない性質や不利な性質を持つようです。どの変異が有利になるかは、環境によって変わります。変化する環境の下で、ガラパゴスフィンチのように進化が起こりやすい集団が存在します。どう変化するかわからない世界では、余剰の多いシステムが有利になります。動物にとって、余剰とか無駄といわれるものは、創造性の源になる可能性があります。集団の中で今は少数派の役に立たないものの中に、未来を制するものが存在するかもしれません。進化が起こりやすい集団は、遺伝的な余剰と多様性を持つ集団であることを意味しています。
 ラテンアメリカ原産の魚のグッピーは、ペットとして人気があります。この雄の派手なオレンジ色の体色が、雌に好まれています。餌の藻類を効率よく見つける雄は、オレンジ色の基になるカロチンを多く摂取できます。カロチンを多く摂取でき、体にオレンジ色の部分が増えるわけです。グッピーの娘は、母親の性質を受け継いでオレンジ色の雄を好みます。この環境では、地味な色のグッピーの雄は子孫を残すうえで不利になります。藻類を効率的に見つけることができないために、引き付ける色を体現できないのです。でも、環境が変われば、この地味な色が有利になるのです。天敵が現れれば、逆に地味な雄が有利になるわけです。天敵の魚が現れると、オレンジ色の体色は目立って狙われやすいので不利になります。捕食者がいる環境では、地味な雄と地味な雄を好む雌で占められることになるのです。
 強すぎる選択は、変異をどんどんそぎ落とすので、多様性が失われ、進化は止まってしまいます。どんなに強い選択でも、多様な遺伝的変異がなければ、環境への新たな適応は難しくなります。変化がない、一定の方向にしか変わらない世界では、余剰が少なく多様性の小さなシステムが有利になります。一定の方向に向かっている国として、日本にたとえられるかもしれません。無菌環境にいると、人間は免疫力が低下して菌に弱くなります。丁寧に体を洗いすぎると必要な常在菌までなくなり、悪玉菌が繁殖しやすい環境になるわけです。清潔な国での問題の一つが、アトピー性皮膚炎や花粉症などのアレルギー疾患の増加です。日本は世界的に見ても清潔な国で、抗菌や除菌グッズなど様々なものが売られています。行き過ぎた清潔が、かえって様々な体調不良を引き起こす原因にもなっているのです。
 自然界の適応はイノベーションの素材を選び出し、新商品に作る過程に似ています。企業は、決った商品だけを生産しているわけでありません。刻々と変化するマーケット環境の中では、どれが有利とか不利になるかは、事前にわからないのです。開発にお金をかけても、多様な「知」がなければ、新しい商品は生まれません。変化する環境下での自然選択による適応の過程は、淘汰されない商品の制作過程に似ているわけです。今の便利さだけを追求した製品が、すぐに淘汰される事態なることももまれではありません。人と商品の関係を考えなおし、不便さも取り入れた新しいデザインの研究もあります。この研究は、便利さを追求するこれまでの開発と一線を画したと注目されています。余剰や多様性が役に立つかどうかは、後にならなければわかりません。進化の知識は、生きる上での有利不利が条件次第で変わることを教えてくれます。最近では、使い捨てのマスクよりも、洗って何度か使えるマスクに人気があります。コロナウイルス騒動により、マスクが不足しているからです。
 企業は将来に向けて新しい商品開発をし、その試作品を作ることを行っています。ある局面では装置に稼働の余裕がない状態で運用しているデメリットの方が大きくなります。製品加工だけで稼働率100%ならば、試作品を作ることができません。でも、工場の生産性は最高のレベルで稼働しています。これは、ある面で望ましい状態です。でも故障すれば、その装置が1台しか無い場合は、修理が終わるまで生産量がゼロになってしまいます。稼働率を少し下げ、時々点検をし、メンテナンスした方が長い目でみて生産性は高くなるわけです。実稼働率は、70% ~90%の範囲が適切で、このときに生産性が最大になるといわれています。工場も人間も、つねに余裕を持つことが大切だと言われる所以です。
 余談ですが、小笠原諸島には、若い人たちが移住しているそうです。地方の過疎化や少子高齢化が進む中で、この島には若い人が住み着き、生き生きと生活しています。この小笠原諸島は、進化の立場から希少価値を持った島として、世界から熱い視線を浴びているのです。ガラパゴス諸島とガラパゴスフィンチは、進化を証明した貴重な島と鳥でした。同じ環境の下では、同じ系統の種は、同じ性質と同じ群集を進化させることを示したのです。嘴のように重要な形質の進化が、人為の影響なしに自然界でリアルタイムに観察できたわけです。同じ環境の下なら、進化は適切になされた実験のように、同じ結果を再現されます。でも、残念ながらこうした適応放散の見られる島は、世界で3つしかなくなっているのです。観察される島と種は、ハワイのクモ類と西インド諸島のアノールトカゲ、そして小笠原諸島のカタマイマイ類だけなのです。同じ環境という理想的な条件は自然界にはめったにありません。適応放散は、生物の進化に見られる現象のひとつです。適応放散とは、単一の祖先から多様な形質の子孫が出現することを指します。
 貝類は石灰質の殻に覆われている種類が多いので、化石に残りやすいのです。貝類には殻だけでなく、蓋や軟体部さえ残っていることもあります。化石に残りやすいこの貝の進化をたどることが、容易になるわけです。軟体動物は海、淡水、陸のすべてに棲み、大きく異なる環境の境界に棲む種類も多いのです。貝類の化石は、一般に、海洋と湖沼の堆積物や、陸上の砂丘、洞窟等の堆積物から産出します。軟体動物を観察すると、海から陸に生物がどう進出したのかを知るためのモデルになるのです。軟体動物を観察すると新しい環境に、生物がどのように進出し、適応していくかのモデルになるわけです。貝類は、化石が豊富なことも大きなメリットです。小笠原諸島のカタマイマイ類は、動物が海から陸に上陸した時代から現在までの進化を探ることのできる唯一の動物ということができます。鳥もクモもトカゲも、動物が海から陸に上陸してから進化してきた種です。でも、貝は海から陸へという長い進化の軌跡を提供してくれる動物といえます。この進化を調べることが、温暖化や紫外線の害についての有益な情報を人類にもたらすかもしれません。




キャッチアップ・ゆとり教育・自己肯定感  アイデア三題噺307

2020-03-26 19:21:05 | 日記


 日本は敗戦後、世界の先進国をキャッチアップするために努力してきました。世界に注目された高度成長の時代は、工場モデルの働き方が合理的でした。生産性の高い第2次産業は、日本の宝になりました。でも、日本のGDPの4分の3以上は、サービス産業を主力とする第3次産業が占めるようになりました。サービス産業の生産性を上げることが、日本を豊かにする課題になったわけです。世界の流れは、製造業主体の工場モデルからサービス産業主体の経済に移行しているのです。でも、日本企業の働き方は、いまだに工場モデルのままです。働き方が、工場モデルの働き方、つまり長時間労働を続けているのです。サービス産業を中心とする社会においては、労働時間の長さではなく、成果が評価されます。成果をもたらす「アイデア」こそが、求められるわけです。
 日本の教育は、工場モデルを支援する形で行われてきました。日本の子供たちは、同じような教育の機会を与えられ、一定以上の学力を身につけました。この成果は、世界も驚くものでした。学力をつけるために、詰込みと思われる指導法が多用されました。この詰込みは、サービス産業の中核であるアイデアの産生には不向きだったのです。そこで、詰め込みからゆとり教育への転換がなされるようになりました。自分で課題を作り出し、それを解決していく能力の育成が求められたわけです。子供たちには、自由に、そして自立的に考える時間と場が与えられました。子どもの能力を伸ばすモデルが、試行されたわけです。でも、この試みは理念的には優れていましたが、準備不足のために挫折してしまいました。
 子どもが自立的に考え、課題を見つけ、その解決にたどり着くためには、教師の高度な指導能力なければ難しいものだったのです。課題に取り組んでいる個々の子供たちに教師から助言や支援を行うだけでは、十分とは言えないのです。子供たちの持つ課題の特徴を把握し、その解決へのヒントをスモールステップ的に与え、課題が成就するように知識やスキルを提供していく過程が必要になります。知識の伝達に長けていることと、課題の成就に関する知識やスキルを提示していくことは、別の指導能力になります。課題成就の知識やスキルを提供できないまま、子ども達の自主性にのみ任せたゆとり教育は、不消化な成果しか残せなかったのです。より興味深い課題の見つけ方や課題の発展性に関する問いかけは、工場モデルから離れて、サービス産業モデルの知見を持つ教師によってなされます。学ぶ側がどのように問いを展開していけば、課題の成就に近づくのかなどの知見とスキルの見極めが、教師に求められたわけです。その意味では、教師側にも準備不足がありました。
 ゆとり教育は、学力の低下を招くという理由で学校現場の主流から傍流に位置を変えていきます。それでは、詰込み主義の教育が社会の要請を体現しているかといえば、必ずしもそうではなかったのです。国際化が叫ばれ、国際理解の知識や英語力、そして読解リテラシーなどの向上が求められています。この課題に挑戦した子供たちは、成功者と脱落者が顕著になったのです。大学に入っても、比例の計算ができないとか、漢字が書けないとかの批判がでてきます。一般に、勉強ができなくなると学ぶ意欲が弱くなるとされてきました。自信をなくすことで、学ぶ意欲をなくしているという見方です。そして、自信をなくすと、自己肯定感が低くなり学習意欲の低下と学力の低下が起きるという見方が支配的でした。自己肯定感が低下し、自信をなくし、学習意欲が低下し、学習能力が低下するという一連の見方です。でも、ゆとり教育を受けた子供たちの中には、勉強ができなくなると学ぶ意欲は弱くなるけど、自己肯定感が高くなる子どもがいたのです。ゆとり教育の時期に、勉強を離れて自分の長所に価値を見出した子供たちもでてきました。人生は、学校の勉強だけではないという考え方です。勉強から離れることによって、自分の優れたところを見出した子供たちもいたのです。自分の優れたところを見出した子供たちの中には、勉強する意欲から遠ざかってしまう子もいます。勉強への意欲が下がり、学力が低下するのは、自己肯定感が否定的になるからではなく、肯定的になったために現れた現象だったのです。自己肯定感の現われが勉強ではなく、別の対象に興味関心が向いてしまったともいえます。別の対象に対しては、貪欲に知識やスキルを伸ばしていった子供もいたということです。
 知識もスキルもどんどん吸収できる「大きな器」を備えている子どももいれば、ほとんど吸収できない子どももいます。学ぶことを楽しめる子どもは、驚くほど多くの知識を吸収していきます。自立的に「学ぶ」「習う」姿勢を持っている子どもは、成績をぐんぐん伸ばしていきます。勉強に対して受け身の子どもは、ただそこに座っているだけで自ら考えることを放棄する姿勢が目につきます。吸収できる器の容量を決定づけるのは、「学習」に向かう姿勢になります。これは、後天的要因つまり環境に大きく左右されます。親や教師から「学ばされる」「習わされる」ことに慣れている子どもは、多様な領域で成績の向上を望むのは難しいようです。あくまでも、子ども自身が考え学習しているとか選択して行動していると確信させることが重要になります。親や教師に、「勉強させられている」という感覚を子に持たせては絶対にいけないことのようです。
 自己肯定感には、「自分には他人よりすぐれたところがある」といった意識もあります。自己肯定感を持ったうえで、算数や国語、理科、社会、英語などの多くの知識を身につければ、子どもたちの視野は広がります。多くの知識を身につけて視野は広がれば、学習はとても楽しいことになります。優れたものを読むことで、楽しさや満足の水準が上がってきます。簡略された知識ばかり取り込んでいると、複雑なところまで踏み込んだ考えができません。楽しさや満足の水準は、一定の高みを目指すことで、自己肯定感をより高い位置に引き上げます。優れたアイデアは、既存の知識をどのようにつなげるかにかかっています。もし、自己肯定感が高く、知識の水準が高く、その知識の領域が広げてあれば、アウトプットされるアイデアは、質の高いものになります。課題成就に関する知識やスキルを提供できないまま、子ども達の自主性にのみ任せたゆとり教育は、ある意味で挫折しました。でも、教師の中にはその必要性を理解し、再挑戦する人たちも現れています。現在は、アクティブラーニングという形で試行錯誤が行われています。この試みが、教育や産業界に新しい風をもたらしてほしいものです。



マスクをつけて登校する子供たち  アイデア広場 番外 

2020-03-25 17:27:34 | 日記


 4月から、全国の小中学校では始業式や入学式が行われます。現在、市場では、マスクが手に入らない状態が続いています。このままでは、マスクなしに登校をする子供たちが出てくる可能性があります。登校する子供たちに、マスクを着けさせたいと誰しも願います。でも、なかなか、学校用までは用意できない事情もあるようです。
 なければ、自分たちで作れば良いわけです。学校には、マスクを作ることのできる潜在能力があります。マスクは、ガーゼやティッシュと輪ゴムがあれば作ることが可能です。小中高の教育課程には、家庭科が設けられています。この家庭の時間で作るわけです。ネットを見れば、マスクの作り方は提示されています。できれば、花粉や微小粒子状物質(PM2.5)を通さない材質を用意していただきたいものです。この材料を使ってマスクを、子ども達が授業で作ることになります。これは、実践的な授業になります。
 今回の新型コロナウイルスウイルスは手強いという専門家が、多数占めています。このウイルスを、発病前に見つけるのは難しいのです。そして、症状が軽い人や症状が全くない人たちが、感染源になっています。国民全てが感染してもおかしくないという手ごわいウイルスという評価です。
 でも、発生から3ヶ月でおおよその対策は、分かってきました。日本では、隔離されたクルーズ船での感染状況が、疫学的に有益な情報をもたらしました。要は、3つの条件を避ければ、感染のリスクは大幅に防げるというものです。①換気の悪い密閉空間、②人が密集している空間、③近距離での会話や発声が行われる空間を避けることが重要になります。特に大切なことは、この3つが同時に重なる場を避けるということになります。大阪のライブ会場での感染が、報じられています。これは、換気の悪い会場、人が濃厚接触する会場、そして近距離での発声などの3つの条件が重なった事例になりました。また、逆にクルーズ船の支援に向かった自衛隊の対処方法は、素晴らしいものがありました。一人の感染者も出さずに、クルーズ船の任務を終えたわけです。この対処方法の中に、私たちが学ぶ感染防止の対策があると思います。随時、報道等で知ることができると楽しみにしています。
 余談ですが、このコロナウイルス騒動で、トイレットペーパーの買い占めが起こりました。一時、これが手に入らなくなりました。もっとも、団塊の世代は新聞紙を使用した時期もありました。拭いて、その紙をトイレのゴミ入れに入れれば良いことです。台湾のホテルなどでは、水圧が低いので、紙は流せないところもあります。その紙は、トイレのゴミ入れに入れていました。冷静になれば、トイレットペーパーがなくなる状況にないことは分かったことです。マスク不足もそうですが、危機に対する風評被害の対処法を、こんな非常時に考えておくことも必要なことかもしれません。


地球を寒冷化する仕掛け  スモールアイデア NO 363

2020-03-24 17:19:27 | 日記

 先日マイクロソフトの株価が、急に上がりました。その理由を探ってみると、二酸化炭素の削減の画期的プロジェクトを発表したことにありました。マイクロソフトが使う電力を、全て再生エネルギーで賄うといものです。さらに敷地内の移動などに使う車も、電気自動車に変える計画もあります。そのうえ、2050年までに1975年から出してきた二酸化炭素と同量の二酸化炭素削減を目指すというものだったのです。このプロジェクト開発に、10億ドルの基金を創設するというものでした。
 マイクロソフトのプロジェクトに、ESG投資が好感を持ったのです。ESG投資は、環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)を重視した経営を行う企業に投資します。2018年のESG投資の運用残高は、世界全体で31兆ドルの3400兆円になります。この運用額は、2014年と比べて68%増えています。世界中の企業に、環境対策などを求める動きが強まっているのです。現在の地球温暖化対策は、二酸化炭素の排出規制に比重がかかっています。たとえば、森林が二酸化炭素を吸収し、地上部および地中に貯蔵しています。この貯蔵量が、地球温暖化防止の役割を果たすと考えるわけです。でもこの貯えは、オーストラリアやアマゾンの森林火災のように、かえって二酸化炭素の排出量を増やしてしまいます。マイクロソフトが評価されたプロジェクトは、二酸化炭素の排出を減らすという点になっています。ESG投資の評価は、バランスより二酸化炭素を確実に減らす企業に目を向けられているようです。地球温暖化の反対は、地球の寒冷化です。温暖化ガスである二酸化炭素を排出しなければ、地球の温暖化は進まないという構図です。ある面で、地球温暖化を迂回方式で進めるものです。地球温暖化が急激に進んでいる現在、直接的に地球を冷やす対策を考えてみるのも面白いようです。
 人類が1年間の生活や産業活動に消費するエネルギーは、10の20乗ジュールという値になります。1ジュールは、100gの物体を1m持ち上げる力になります。または、24カロリーと言ったほうが分かりやすいかもしれません。10の20乗ジュールのエネルギーは、太陽から地球に届く1時間あたりのエネルギーの総量と同じになります。もし、地球に届く太陽エネルギーを1時間、完全に遮ればどうなるでしょうか。地球表面の温度は、地球にやってくる太陽エネルギーと、宇宙空間へ逃げていくエネルギーのバランスで決まっています。逃げていくエネルギーを、二酸化炭素や水蒸気が遮っているために、現在の地球温暖化が起きています。では、太陽のエネルギーが地球に注がれなければ、逆の意味でバランスは崩れます。太陽光を遮ることができなければ、これを反射させる方法が考えられます。太陽光のほとんどを宇宙へと反射してしまうと、地球を暖めるが熱が減ってしまいます。つまり、温暖化が阻止されることになります。
 太陽光を反射させて、地球の寒冷化になった事例はあるのでしょうか。それが、あったのです。6億年前には、地球がスノーボールアースに陥りました。この時期、大気中の酸素が急激に増え、二酸化炭素が減少したのです。水蒸気に次ぐ温室効果ガスである二酸化炭素が減少し気温が下がり始めたのです。大気中の二酸化炭素が減少すると、今度は一転して地球は寒冷化へと向かいます。この寒冷化は、北極や南極の陸地の部分から氷に覆われ始めました。地表の温度は一気にマイナス40℃まで下がり、赤道の海まで氷で覆われるのです。覆われた白い氷床の存在は、地球表面の光の反射率が格段に上げ、太陽エネルギーが逃げていく現象を生じさせています。地表が真っ白な氷床に覆われると太陽光のほとんどを宇宙へと反射してしまいます。このような現象が、ノーボールアースといわれるものです。
 地球の真ん中に「核」と呼ぶ部分は、5000~6000度という高温になっています。地球の中心が高温なのに、そこから約6400キロの距離にある地表は、平均約15度です。地球内部の高温は、マグマなどの物質を回しながら、熱を地表に向かって運んでいます。5000~6000度と15度の強烈な温度差を解消しようとしているわけです。対流が、地球内で熱を運ぶ手段になっているわけです。この対流は、地上の大気中でも行われています。地上の一部で、太陽光を宇宙に大規模に反射させる施設を作れば、太陽エネルギーは地球に留まらないことになります。つまり、地球の寒冷化に貢献することになるわけです。そんな空想を膨らませてみました。
 パキスタンの周辺部では、1日10時間以上も停電が続くような深刻な電力不足が続いています。中国は総額5兆円規模で、パキスタンへの援助を行っています。いわゆる一帯一路の構想によるこの援助の中の目玉に、巨大メガソーラーがあります。中国企業が、太陽光パネル40万枚以上を設置して発電を行っているのです。現在は、原子力発電1基分を超える100万kW以上で稼動しています。アジア太平洋地域の太陽光による発電能力は、2012年において世界全体の20%でした。2016年には48%まで急増し、欧州の34%を抜き去ってしまいました。アジアの発展途上国は、電力不足に悩まされています。太陽光発電による発電計画が、目白押しなのです。でも、心配もあります。
 現在の太陽光パネルの生産枚数を考慮すると、2030年以降には世界中に廃パネルが溢れる状況が出現します。使われなくなった太陽光パネルが、感電防止策を取らずに放置されている事例も増えています。パネルの寿命は25年から30年とされています。この危機を考慮して、太陽光発電用パネルのメーカーが寿命を迎えたパネルのリサイクルが始まっています。欧州では、初めてリサイクル工場をフランスに稼働させています。フランスの稼働状況は、2018年に1800トンを処理し数年で4000トンまで高める計画になっています。
従来は、パネルからアルミフレームの分離が難しいために、まとめて粉砕していました。パネルの有害物質の有無を確認しないままに、埋め立てをする事例もあったのです。こんな技術的問題も、「ホットナイフ」と呼ぶ機材が開発され、解決してきました。「ホットナイフ」は、廃パネルのガラスと電池部材の分離を容易にしたのです。これは、パネルからアルミフレームを1分以内で外す装置です。パネルの分離をスムーズに行えれば、分離したガラスは素材メーカーなどに販売することも可能になります。自社に精錬所があれば、ガラスや電池部材が含む銀などの金属を低コストで再資源化ができるわけです。
 このガラスの分離は、朗報になります。この廃ガラスを使って、巨大な反射板を作るのです。世界で人類が一年間に消費するエネルギーは、10の20乗ジュールです。これは、太陽エネルギーが1時間に降り注ぐ値になります。地球の面積は1億5千k㎡です。氷床に覆われた地球は、太陽光を宇宙へと反射して、地球の寒冷化を加速しました。サハラ砂漠の面積は、9百万k㎡になります。ここに150万k㎡の反射板の施設を作れば、太陽光のエネルギーを宇宙に拡散できます。地球に注ぐ1%の太陽エネルギーを宇宙に拡散するわけです。太陽光が地表に注ぐ時間を12時間とすれば0.5%で、それを365日継続して反射を続ければ、世界中が使用するエネルギーの1.5倍を宇宙に拡散することができるというものです。地球表面の温度は、太陽光と、宇宙空間へ逃げていくエネルギーのバランスで決まっています。最初から、逃げていく仕掛けをつくれば、地球の温暖化は進行しないことになります。使われなくなった太陽光パネルのガラスは、この仕掛けを作る材料になります。
 余談ですが、日本のある企業は、二酸化炭素と水素を合成し都市ガスの主成分であるメタンを作る実験を始めました。太陽光発電で水を分解して水素をつくります。太陽光発電が、効率的に行える中東やオーストラリアがその候補になります。ここには、安価な水素を大量に作る広い土地と豊かな日射量があります。中東やオーストラリアで、太陽光発電から水素を作ります。ここに、工場や発電所をつくります。ここから出る二酸化炭素を水素に結合してメタンを作るわけです。二酸化炭素と水素の合成技術を使えば、容易にメタンが作れます。中東やオーストラリアの現地で合成したメタンを、都市ガスに加工します。都市ガスに加工すれば、既存の輸送船で日本国内に受け入れることが可能になります。二酸化炭素が、排出ゼロになる都市ガスができるというものです。できれば、この太陽発電が、電気を作るのはもちろん、太陽エネルギーを反射させる機能を持つことができれば、地球にとってハッピーになるのですが。


学校秀才から創造的エリート養成へ  アイデア広場 その 532

2020-03-21 20:15:47 | 日記

 できるだけ良い成績をとって良い学校に入り、良い企業に就職することが人生の成功とされてきました。この流れが変わりつつあります。良い大学や会社に入っても、末永く安泰という時代ではなくなってきたのです。それでも保護者もその子どもも、良い大学を目指して、努力を続けています。そして、その努力を後押しするように多くの受験産業が支援しています。受験業界では、大学入試改革が右往左往している中で、安全策を推奨する塾も増えているようです。2020年度からの大学入試改革の全貌が見えず、保護者たちの不安が高まっています。そんな中で、中学、高校、大学へエレベーター式で進学できる付属中学受験が人気を獲得しています。今までも、早慶付属中学やMARCH付属中学は人気がありましたが、さらに過熱しているようです。ちなみに、MARCHとは明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学を指しています。現在は、「大学入試改革の不明瞭さ」や「大学入試の難化」という要因が、MARCHなどの付属の中学が高まり、受験を過熱気味にしています。
 2016年度からの文科省の大学合格者数抑制策により、首都圏の私立大学の難化が進行しています。早慶の入試には、全国の優秀な生徒が集まります。数年前であれば、現役で早慶に合格できただろう受験生がどんどん不合格になっているのです。近年は、MARCHなどの上位の私立大学だけではなく、中堅大学がそのレベルを一気に上げています。文科省から、大学入試で合格者を「出しすぎてはいけない」という指示が出ています。指示に従わなければ、補助金が減額されます。この指示は、かなりの効力があるわけです。
 この大学合格者の抑制策を受けて、早稲田や法政大がそれぞれ2015年と比較して2000名の合格者を減らしています。今まで合格とされていた補欠合格者を減らしているわけです。明治、青山学院、立教、専修なども、1000名以上の一般入試合格者数を絞りこんでいます。2016年度からの文科省の定員の厳格化により、首都圏の私立大学が難化しているわけです。その流れを受けて、直接難関の大学入試に臨むより、中学からエスカレーター式の進学コースを選ぶ子供たちが増えているとも言えます。蛇足ですが、大学合格者の抑制策は、地方大学にも一定の人材を配置したいという思惑があります。首都圏に人材を集めすぎれば、地方の過疎化や人材不足が、さらに加速されるという心配があるのです。
 首都圏は、少子化に歯止めがかかっていると言われています。2018年の人口の予測によると、東京23区部の0歳から14歳の人口は7%増加するのです。2015年の101万人に対して、2025年には108万人と増加する予測となっています。「港区」に絞った人口予測は、2015年の3万人から2025年には4万人と1万人も増加を見込んでいます。実際に、港区の臨海部の小学校は近年マンモス化し、新たな小学校が建設されています。さらに、首都圏に属する川崎市の武蔵小杉駅周辺は、高層マンションの建設が目につきます。この駅周辺は、2万5000人の人口増となります。人口の増加に伴って、小学校の不足が現実化しています。武蔵小杉駅周辺の各小学校は、10クラス程度の増設が行われる予定です。でも、小学校の増設は行われていても、中学校の増設計画はないのです。私立中学への進学が、見込まれているのです。首都圏の自治体は、中学に対して小学校ほど顕著な増加傾向は見込んでいないようです。
 首都圏においては、私立専願、主に大学付属校を志望する受験者が圧倒的に多いのです。東大に180名程度入学させている開成高校があります。この学校の場合、中学入試で300名、高校入試では100名を募集しています。この400名のうち、最終的な学業成績の上位100名は、中学入学の生徒が多数を占める構図になっています。中間層の200名は、中学入学組と高校入学組が混在する状態です。下位の100名は中学の入学組となっています。東大合格者数、開成高校が一番で、2番は筑波大付属駒場120名になります。この駒場も、似たような状況になります。中学受験組がトップ層と下位層を占める構図です。高校受験で入学させる意図は、中学受験組に刺激を与えることにあります。結果として、両者は切磋琢磨して学力を伸ばします。でも、中学受験をして勝ち抜いてきた子供たちが、上位になる構図は変わらないようです。中学受験において、かなりの確率で優秀者の選抜が終わっているのかもしれません。
 この構図から見えることは、中学受験勉強を経てきた子どもたちの学力は、高いということです。中学入試で偏差値50という数値の意味は一般的な偏差値とは違い、優秀な学力力を持つ子供たちの数値になります。このレベルになれば、地方の国立大学は容易に合格できるレベルということができるわけです。首都圏においては、高い学力層内での競争が中学入試で繰り広げられているのです。この中学受験に参加できる層は、都心部に居を構える富裕層になります。わが子が中学受験に取り組む際、保護者は優秀層の中の戦いという点を理解しているようです。
 大学入試を見据えて組まれたカリキュラムで、中高の6年間を学べる進学校は魅力があります。これらの進学校である中高一貫校の大半は、先取り学習を行っています。これらの学校は高校2年までに、大学入試の必要な範囲は授業ですべて終えています。受験学年である高校3年生は、大学種別のクラスで入試への演習授業が組み込まれています。中学での高校入試に阻まれることなく、先取り学習を心置きなくできる環境にあります。これらの学校は先取り学習を要領よくこなすために、綿密な学習計画を「シラバス」という形で準備されています。「やりたい」ことが定まっている子にとって、中高一貫校はモティベーションを持って学習できる環境が整っています。
 ここで、この優れた中高一貫の進学高校に少し不安をもつことがでてきました。その不安の源は、首都圏の予備校にあります。首都圏の予備校では、一学期当初は私大クラスよりも国公立クラスの方が受講者は多いのです。夏期講習あたりを境にして、国公立クラスの在籍者が徐々に私大クラスの授業に移籍する傾向がでてきます。移籍する理由は、受験科目数の違いです。国公立大学はセンター試験のために原則主要5教科を勉強する必要があります。私大は、文系理系を問わず主要3科目受験が標準になります。
 首都圏では大学卒業後を見据えると、国公立大学と有名私大では、就職先に大きな違いがないと思われているのです。「無理して東大、一橋、東工大に行かなくても」という心理が、保護者のほうに強く働くようです。でも、3教科の知識と5教科の知識では、アイデアを出す幅が違ってきます。豊かな発想やアイデアを作り出す能力が、今の社会には求められています。3つの組み合わせから出てくるアイデアは、5つの組み合わせに勝てないものです。
受験の学力で重視されることは、記憶した知識を一定の時間で解答する能力になります。受験では、緊張と集中を継続しながら、課題可決に脳をフル回転させるわけです。この集中と継続は、キャッチアップや大量生産などの経済活動には非常に有効でした。でも第三次産業に必要な多様なサービスの開発には、別の思考が必要です。いわゆる消費者の求める商品やサービスをどのように提供すれば、最大の利益が出せるのかなどの、発想やアイデアが求められます。豊かな発想やアイデアを多産する場合、重視されるのは問いからの発散的思考です。創造括動にはぼんやり、ゆったり、ぶらぶらといった状態があります。この状態にあるとき、いわゆる自由奔放な連想が次々に出てきます。無意識の世界に格納されていた知識や経験が、課題に解決する形で出現するときが出てくるわけです。知識を、インプットすることも重要です。そして、インプットした知識をアウトプットすることも、より重要だということです。3つのインプットより5つのインプットから出てくるアイデアが量的に質的にも優れているという理屈になります。
 余談ですが、人は頭の中に膨大な知識を貯蔵しているが、活性化しているのはその一部に過ぎません。知識をたくさん仕込むことは大事であり、仕込んだ知識を使える状態にしておくことも大事だということです。例えば、倒れた30トンのモアイ石像を立てるにはどうすればよいか。テコの原理を使うことは、だれでもわかるでしょう。実際に、島の長と11人の男達でテコの原理を使い立派に立ててみせたことになっています。福島の中間貯蔵施設には、汚染土の推計量が最大約200万立方メートル運ばれることになっています。これを10トントラックで運べば、何台のトラックで、何日かかるのか、燃料の費用はどのくらいか、などの計算はすぐにできるでしょう。そして、中間貯蔵に集めた汚染土は、30年後に福島県外に搬出することが法律で決まっています。その場合、どの程度のお金がかかるかなどの計算もすぐにできます。このような知識と実際の作業を思い浮かぶようにしていくわけです。使える知識にしておいくには、検索しやすい構造化、応用が利く方法、常時使えるスキル化などの工夫が求められます。世の中おもしろいもので、この困った汚染土がポジティブに代わる場合もあるわけです。汚染土が安全となり、中間貯蔵の住民の方に最終処分に掛かるお金を配布することになれば、リスクは利益に代わります。リスクが良い方向に代わる仕組みを上手に活用する発想法も面白いものです。リスクを嫌なもの、忌避するものと考えずに、少し視野を変えれば、宝の山になるかもしれません。リスクの洗い出しをしておくことも必要になります
 世の中、自分の好きなことだけができるわけではありません。好きなことができない状況が、職場で、家庭の中で、そして人間関係の中に生じます。コロナウイルスの流行のようなリスクが起これば、計画通り行かないことがほとんどです。新たな問題にぶつかったときに自分なりに対処する力を創造力といいます。創造的であるということは、困難や苦境にただ振り回されることなく能動的に立ち向かえることです。最近の日本では、青年期の苦悩を体験させるシステムが弱体化しているようです。苦悩を楽しみに変えれば、弱体化したシステムを良い方向に変えることができます。学習を楽しくするには、それ相当の精進がなければなりません。スモールステップを重ねていけば、達成感が得られます。しっかりと腰を据えて、「短時間の積み重ね」を実践することになります。毎日、コツコツ行うことが上達の王道になります。首都圏の中学受験者は、このことを実践している子ども達が多いようです。成績優秀者のなかでの切磋琢磨は、「スキマの時間」をどのように生み出すかという工夫が大切になります。中学生のうちから、このようなことを実践していれば、創造性の基礎は養われることになります。
 切り替えを早くして、学習や運動に取り掛かると良いとされます。意外とこれが難しいわけです。切り替えて、速く学習や運動の世界に没入するには、コツがあります。朝のランニングを目指す人は、朝起きたときに、シューズを履けばすぐに走れる体制にすることです。前日の内に寝るときから、運動着を寝巻代わりに着て布団に入るのです。起きれば、すぐに運動ができます。英語の勉強も、教材をだしてからやるのではありません。教材がだしてある状態から、始められるように環境を整えることが重要です。学習や運動に入る時に、必要な道具は、全て揃えておくことがコツになります。自分のやりたいことに、空白の時間をできるだけつくらない習慣が大切になるのです。




医療の光と影・四苦八苦・小さな氷の欠片 アイデア三題噺306

2020-03-19 18:00:28 | 日記


 2017年現在で透析療法を受けている患者数は、全国で33万人以上を数えています。透析医療関係で、年間2兆円を要しているともいわれています。1970年代から一般化したこの透析療法は、腎不全患者にとって福音でした。この画期的な医療技術が開発されたおかげで、腎不全は致死的な疾患ではなくなったのです。死の病と言われていた結核が、ストレプトマイシンの開発で普通の病になったようなものです。便利な医療技術は、長年使われ続けていくと問題も出てきます。80歳以上で障害度が高い患者の場合、透析導入後の3カ月以内に40%の方が死亡しています。重度の合併症を有する70歳の患者では、透析療法を行っても行わなくとも、生存率に改善を認めないという報告もあります。QOL(クオリティーオブライフ)が、重視される世の中になりました。「人生の質」とか「生活の質」が、人間の満足度を表す指標になってきています。高齢者には透析療法ではなく、内科的な対応のほうが本人のQOLをよりよく維持すると、いわれるようになってきたのです。透析療法を行わず内科的に対応し、あとは自然にゆだねる選択肢を取る患者も出てきています。
 透析と同じように、「胃ろう」も革新的医療技術です。誤嚥などで食べられなくなった患者が、お腹に小さな穴を作り、そこから栄養物を流し込む仕組みです。お腹に小さな穴をあける場合、内視鏡を使って手術を行います。この手術をPEG(ペグ)と言います。作られた穴を「胃ろう」と言い、取り付けられた器具が「胃ろうカテーテル」になります。現在、25万人ほどの人が、この胃ろうから栄養を補給しているのです。胃ろうも、多くのお金を使う医療技術になっています。穴をあけたり、カテーテルを使ったり、栄養剤を補給するために、多くのお金を使うことになります。この医療を受けている人たちも、1兆円程度の医療費を使っていることになります。多くのお金を使う医療方法を、厚労省は苦々しく思っていたようです。「PEG」の高額診療報酬が、多くの胃ろう造設を招く乱用ともいえる事態を引き起こしたのです。厚労省は、2014年にPEGの保険点数を一気に4割減の6070点にまで下げました。PEGの保険点数が減らされた数年間後には、PEGの施行数が半減したという報道もありました。医師の臨床実践は、通常診療報酬によって多大な影響を受けることの事例として印象に残るものでした。医療関係者と業者の癒着がなんとなく存在するような事例でもありました。
 20世紀後半以降、急速に進展した医療技術は社会に光と影をもたらしました。光は、かってよりも長く生きることが可能になったことです。一方の影は、本人が望まない状態での生存期間の延長です。医療は、患者の幸せの実現を目標にしています。人工透析や胃ろうは、本人に苦痛を与えます。世界中で、こんなに「胃ろう」を行っている国は日本くらいです。もし、あなたが重い脳卒中にかかり、食物を飲み込むこともうまく行かなくなった時どうするか。もし、あなたが重い認知症にかかり寝たきりで、自分では意見を伝えられない状態になった時どうするのか。脳血管疾患後遺症の患者が寝たきりになった場合、胃ろうから人工的水分栄養補給法を行えば、数年単位で生存が確保できます。本人の意思を尊重しているとは言い難い状態で、生存期間の延長も可能になるわけです。
 生存期間の延長可能性がある場合には、とにかく医療を行うことが当然視されていました。医学教育や臨床の場においては、救命や延命は医療の目標でもあったのです。多くの医師が患者家族から「何かしてください。せめて点滴だけでも」という要請もあります。最期の段階の点滴が、必要不可欠の医療のように捉える医療関係者も、一般市民にも多いのです。患者の家族は胃ろうを含む先端に医療技術拒むことで、冷たいと思われはしないかと、どうしても体面を気にしてしまうようです。でも、生存期間の延長は患者の幸せに貢献しないなら、その延長に意味はありません。胃ろうや経鼻チューブによる経管栄養法をしないほうが、最期の段階の苦痛は少なくて済むのです。家族と医療スタッフの心の安寧のために、胃ろうを含む末梢点滴が選択されています。患者の意思を尊重したいと考える良心的医療関係者は、事前にその意思を書き残すことを期待しています。
少数の医師は、患者は生命予後の長さがら「終末期」とは判断しないで、延命治療を継続する時があります。延命治療とは、人工呼吸・人工透析・人工栄養を指します。摂食困難患者に対しては、胃ろう栄養法などは行わず看取るのが欧米の医学会です。日本でも、臨床現場では緩和ケアの精神で診療に当たる方向に向いています。最期の段階に広く行われている末梢点滴に、医学的意味はほとんどありません。この段階では、患者にとって注射1本でさえ負担であり不快な治療になります。
 嚥下しがちであっても、好きな食べ物ならば嚥下しないということはしばしば聞かれます。嚥下による摂食が困難となったら嚥下リハビリを尽くし、また食事介助も工夫していきます。摂食可能な食べ物を探し、摂食可能な形にして食べる工夫をするわけです。患者のQOLの改善に努力する医療関係者が存在します。嚥下リハビリを尽くし、経口摂取可能なうちはそれを継続してもらう努力していくのです。でも、可能な限りの食事介助を工夫しても、いよいよ食べることができなくなる時期が来ます。人生の最終段階に到ると、胃ろうによる人工的水分・栄養補給法や内科的医療の選択肢を、家族に説明していくことになります。摂食不能の老衰死は、脱水死になります。この老衰死は、通常、苦しみは少なく、死亡までの期間も短いのです。摂食不能の老衰死は脱水死で、治療による苦痛もなくある意味で理想的な死に方といえます。
 欧米では、法制化により事前に終末期医療の希望の記録を促しています。その欧米でも、最後を記述することが一般化にまで至っていない現実があります。終末期医療に関心がある人でも、死への思考プロセスを停止したり回避したくなる人も多いようです。一般の方にとって、その思いを記述する難しさがあります。終末期医療の希望について考えが整理されたとしても、それを家族に伝えることが難しい事情があるようです。意思疎通の困難な患者が、自分の希望を記録しておかなければ、家族が苦悩を抱える恐れがあることも出てくます。治療の選択は、患者の希望が尊重されます。本人の意思が確認できていない場合、家族に物理的精神的負担をかけることになります。家族の負担を軽くする意味でも、生前における意思表示は必要のようです。
 余生を満足できるように過ごし、なおかつ家族や周りの人たちに迷惑をかけない配慮が求められる時代にようです。満足でのできる余生は、自宅で過ごすことになります。自宅以上に、快適に過ごせる場所はないようです。現在、多くの方が病院で亡くなっています。都市圏であれば、現時点でも、在宅死を支えるインフラはかなり整っています。でも、希望すれば誰でも自宅で死ねるのかというわけではありません。ある程度、条件が整わないと難しいのです。自分の人生を自分なりに生き抜く余生の想定を、家族で話し合っておくことが大切になります。俗に、現代版四苦八苦と言われる苦痛が現れています。それは、要介護、認知症、終のすみか、がん、延命治療、財産承継、葬儀、死後事務などにおいて、家族に苦痛を与えます。
 要介護や認知症になった時の希望や処置について、話し合っておくことは必要なことでしょう。がんになり延命治療が必要になった場合の希望や処置も話し合っておけば、家族の負担は少なくなります。先ほども述べましたが、欧米では法制化をして、事前に終末期医療の意思表示を促しています。その欧米でも、一般化がなかなか進まない実情があります。死を悟ることは困難なことに属するようです。でも、避けることができないことです。お葬式についても、簡略化が進んでいるようです。老後の葬儀や法事は、形にとらわれず、自分らしさを前面に出すか方が増えています。葬儀や法事は、マイスタイルを優先しているようです。家族のみの家族葬はもとより、儀式的なものを一切排除し火葬だけに絞ぼる方も増えています。
 最近、なくなった家族の方が苦労していることに、死後の事務があります。ある方は、財産をスムーズに家族に譲り渡す仕組みを考えていました。生前相続は、後期高齢者とされる75歳をひとつの目安に行うと言います。見取りの時期を迎えるまでに、相続税が非課税となるところまで預金残高を減らすそうです。自分名義の預金から、最低限必要な金額のみを年金が給付される通帳に移します。それで、予後の生活をします。デジタル資産の情報を紙に書きだして、預金通帳や実印などと一緒に保管しておきます。家族の方が、銀行に行って通帳と印鑑の有無を確認し、何度も往復する姿が見られます。ネットのデジタル契約の解除などは、IDナンバーが分からないために、苦労が絶えないという声も聞きます。残った家族のために、負担はできるだけ軽くしていくことが、去る者の務めと言っていました。
 余談ですが、摂食困難の症例の場合、米国老年医学会では適切な口腔ケアを行うことを進めています。この状態になった患者さんには、小さな氷の欠片を与えて水分補給する程度が望ましいというわけです。知人から、彼のお母さん100歳で看取るのときに、氷の欠片を与えられて、笑顔を見せていたという話を聞きました。このケアをした訪問看護師ベテランの方だったそうです。このベテランの方は、氷に昧をつけるのも良いといったそうです。だとすれば、コーヒー愛好にはコーヒーの味付けをした氷のカケラを与えることも良いということになります。そして、お酒のみには、日本酒やワインの氷のカケラが喜ばれるかもしれません。

コンビニが目指す近未来のモデル  アイデア広場 その 531

2020-03-17 17:06:55 | 日記

 
 セブンイレブンの本部は、過去最高の営業利益を更新続けています。一方、お店を運営するオーナーは、1店舗あたり売上は粗利益は30%前後で、ジリ貧の状態が続いています。セブンイレブンの加盟店は、利益が増えない状況にあるわけです。本部は、納品各社や自治体、そして金融のサプライヤーから代行手数料という収入源を得ています。ローソンもファミリーマートなどの本部は、専ら売上の増加を追求する志向を高めているのです。本部とオーナーの強い絆で結ぼれていた共存共栄のコンビニ業界に、ほころびが出てきているようです。
 消費者のニーズに沿った商品の開発を行ってきた積極的姿勢が、コンビの成長を支えてきたしてきた原点でした。例えば、コンビニ店を見るとわかりますが、商品の配置が合理的になされています。店の売り場は、商品カテゴリーによって4つの温度帯に分けられています。常温の棚には、日用雑貨、カップ麺などの加工品、菓子類などが置いてあります。20度の温度の棚には、おにぎりや弁当などです。次に、チルドがあり、サンドイッチ、惣菜、麺類になります。最後は、冷凍でアイスクリーム、冷凍食品という具合です。
 コンビニのサンドイッチやおにぎりの販売ピークは、朝になります。朝の時間帯は通勤や通学の途中のお客さんがコンビニに寄って、朝食やランチ用に買っていきます。この時間帯に買ったサンドイッチは、サッパリでかつシャキッとする野菜が不可欠です。コンビニができたころ、野菜は収穫後、常温で保存保管されていたために、劣化を防ぐことは困難でした。この劣化がある限り、サッパリでシャキッとするサンドイッチできませんでした。この課題を解決するために、セブンイレブンは、有志の農家に呼びかけ、産地からセンター製造工場へ、そして店舗まで野菜を運ぶシステムを構築しました。産地から店舗まで低温で野菜を運ぶシステムを独自で作ったのです。この低温輸送は、サンドイッチをはじめ、サラダや惣菜の野菜も新鮮な状態で店頭に並べることを可能にしました。ある意味で、イノベーションをしてのけたわけです。
 コンビニ創成期のころは、オーナーが小売の経験者であることを前提に店舗支援をおこなってきました。利益も当初は個人商店主の店舗運営に依存しており、右肩上がりの市場に成長していったのです。各コンビニ大手は、有望なオーナーと取り合いをめぐっての競争が繰り広げられてきました。特に、酒やタバコなど小売の免許を持つ個人商店が、有望なオーナーでした。でも、有望な個人商店の開拓余地は少なくなっていきました。次に現れたオーナーは、コンビニの成功を見ていた脱サラの人たちでした。脱サラオーナーによる新規出店が、増加していきます。コンビニ本部は、個人商店主と脱サラオーナーへの獲得により、拡大路線を突き進むことになります。
 初期において、オーナーの所有地が利用できるために、出店投資は自社開発物件に比べ安く済みました。拡大路線が順調に進むにつれて、本部は個人商店の多い住宅地や商店街からオフィスビル、郊外の幹線沿いに広げていきます。現在、コンビニは、大病院や大学、そして駅構内へと進出しています。商業地域を広げるとともに、顧客層も広げています。コンビニは、もともと比較的若い男性を標的顧客としてきました。品揃えや営業時間も、若い男性に合わせて決められてきました。10年前まで、男女の比率は8対2ぐらいだったのです。それが、女性の社会進出を背景に比較的若い女性を標的に加え始めました。現在は、コンビニ利用客の男女比は、ほぼ5対5になってきています。
 コンビニは、オーナーとパートアルバイトという非正規従業員によって運営されています。この店員の募集時給は、地域の最低賃金の水準であることが多いのです。世の中は人手不足になり、非正規従業員を確保することが難しくなりました。それに対応するために、都市部では、外人スタッフの人数も急増して1割近くを占めるようになっています。オーナーの高齢化、そして店舗従業員の慢性的不足が、コンビニをジリ貧に追い込んでいるようです。コンビニの一般的な商圏人口は、3000人とされています。全国の6万店近いコンビニの立地条件を分析では、9割で商圏人口が標準とされる3000人を下回っているという結果です。北海道や福島県、宮城県などは2000人を割る店も多いのです。東京都都心のコンビニエンスは、約5000店で1店あたり平均夜間人口1600人になります。利用客の少ない深夜帯の営業が、特に厳しい状況です。コンビニの市場は、完全に飽和しているともいえます。
 神田駅周辺の区画では、深夜一店あたりの人口は約160人です。9月上旬のある日の売上データを見ると、午前1時から6時の来店数は6人です。この時間帯の来店数は6人で売り上げは3000円程度でした。首都圏の時給は1000円とすると、この5時間の人件費は5000円です。人件費だけで、赤字になります。この他に、光熱費を加えれば、経営は苦しいと言わざるを得ないでしょう。神田駅近くのあるコンビニで、「週末の深夜営業を取りやめます」という紙が貼られていました。このコンビニから同系列のお店が、徒歩2分以内に5件もあるのです。ある意味で、飽和状態を超過している状態かもしれません。
加盟店の利益確保が、人件費の高騰により年々困難になってきています。人件費についで営業費の中で高い割合を占めるのが廃棄物の費用になります。フランチャイズの契約上、人件費をはじめとする営業費の大半はオーナー負担になるのです。この契約により、廃棄物の費用は大半がオーナー負担になります。廃棄ロスがいかに増えても、本部のロイヤリティには全く影響しません。弁当惣菜などの廃棄は、年額で数百万円にもなります。発注量を多くし、豊富な品揃えによって売り上げを高めることは、本部の利益になります。発注量を多くし豊富な品揃えは、結果として廃棄量が多くなり、オーナーにとっては利益につながらないのです。
 廃棄の迫った弁当を安く売れば、廃棄費用は浮くことになります。なぜしないのかと言えば、販売期限の迫った食品の値引き販売は、本部の意向でできないというものでした。本部がブランドイメージの低下を心配して、安売りを推奨してこなかったわけです。深夜営業の損失についても、深夜営業はコンビニが消費者の支持を得るための必要コストとされてきました。深夜営業の停止は、売上を減少させ、本部の収入は低下させるという理由が大きかったようです。利益が出ない状況の中で、食品廃棄や24時間営業への不満が噴出したのは当然だったようです。成長の続いたコンビニ産業は、拡大路線から効率化を重視する段階に入ってきました。人手不足を伴う人件費の高騰などが、コンビニのビジネスモデルに転換を迫っているとも言えます。利用消費者も、サプライヤーもコンビニの生み出す便利さについては考え直す時期のようです。オーナー店の疲弊を改善できなければ、長期的には本部の利益にも悪影響を及ぼします。
 悪い材料が出尽くしていますが、コンビニの潜在力は、まだまだ侮れないものがあります。この立て直しのヒントは、北海道の大手コンビニセイコーマートに見ることができます。セイコーマートは、ここ10年あまりで店舗数を大きく改革してきています。フランチャイズ店を減らして、直営店の比率を8割まで高めているのです。地区の要望を直接に本部が把握できる仕組みにしていっています。セイコーマートは、営業時間や人員配置を柔軟にできるようにしています。深夜5時間で6人の来店と売り上げ3000円では、採算が取れません。このような状況に、柔軟に対応できる仕組みにしていったわけです。
後期高齢者の自動車免許自主返納者は、地方においても増えています。ネット操作に不慣れな高齢者には、「近くて便利」なコンビニが、生活の命綱になっているところもあります。
 余談ですが、コンビニ発のスイーツが、爆発的に売れている状況が生まれています。たとえば、ローソンのプレミアムロールケーキの発売された当時は、おいしさが最重要でした。消費者にも、多少高くとも質のいいモノを選ぶ消費者もいました。この二つがマッチングして、爆発的な売れ行きになったわけです。発売から10年経った現在は、このケーキにもインス夕映えが求められるようになってきたのです。商品の品質だけでは、爆発的なヒットにはーつながらないのです。見た目のおもしろきや話題性がなくては、売れない時代になったともいえます。今販売元が最も工夫していることは、スイーツ販売の初動で欠かせないSNSで拡散する仕掛けになっています。コロナウイルスの流行では、感染を拡大するクラスターの存在が問題になっています。でも、ケーキの売り上げを拡大する仕掛けは、「面白い」、「美味しい」「可愛い」などのキーワードを拡散させるクラスターの存在にあるのです。
 コンビニは、立地の限界、人材の限界、そして顧客の限界を克服してきました。現在の深夜営業の課題も、コンビニ各社が加盟店への支援策として時短営業の取り組みを進め始めました。加盟店が時短営業を希望すれば、本部がそれに合わせるとしています。利用客が自ら精算するセルフレジの導入で、省力化を図ろうとしているコンビニもあります。ただ、これらの対症療法だけでは面白くありません。過疎が進む地域の中核店として、その存在意義を高めてほしいのです。
 希望だけでは、物事は実現しません。これを実現するためのヒントは、異業種間の混載にあります。関西地区にあるアサヒとキリンの両社が、同じ貨物列車にビール混載して北陸地方の駅に輸送する事例があります。JR貨物の駅で混載して、北陸地方の駅に運び、問屋や大手スーパーに届ける仕組みです。同業種間の物流にとどまらず、異業種間でも連携して、効率化やドライバー不足に対処している事例があります。これを、コンビニでも採用しては、どうでしょうか。人口763人の北海道のある町に、一軒のコンビニがあります。この来客数は、1日200~300人程度といいます。普通であれば、なかなか苦しい状況でしょう。いずれ、なくなっていくかもしれません。ここでの物流の工夫は、コンビニ専門の輸送トラックに加え、宅配便や郵便などの輸送手段を使うことになります。物流にたずさわる業者が、商品の輸送情報を共有できるシステムを構築するわけです。町民のニーズと輸送状況がわかれば、最も効率的な物流が実現します。業者の車両稼働率を平準化させることが、収入を増やすことになるわけです。
 ついでに、人手不足の解決には、コンビの店員は、数人の村人が交互に行うことも選択肢になります。集会所兼コンビニしてしまうわけです。集会所が、公的場所となれば、役場から交付金が出るかもしれません。さらに、役場を部分的に間借りすれば、出店投資は安く済みます。もっと、発想を飛躍させて、コンビニを第三セクター方式で運営するアイデアが出てくるかもしれません。コンビニは、商店街から郊外の店へ、そこから大病院や大学、そして駅構内と進出しています。その先に、過疎の地域がフロンティアになるかもしれません。効率だけでなく、地域に優しく、少しだけ儲かるビジネスも模索してほしいものです。



ジャガイモの害虫を有効利用する スモールアイデア NO362

2020-03-14 19:00:25 | 日記


 ジャガイモは、太陽エネルギーの効率が高く一定面積から取れるカロリーは穀物より高いのです。南アメリカのアンデスの高地に自生していたジャガイモは、世界中で栽培されています。今でこそ、人々の人気メニューとして使われていますが、ヨーロッパに渡ったころは、迫害された作物だったのです。理由は、聖書にない食べ物だったからです。でも、徐々にその素晴らしさが理解され、今ではジャガイモのない料理は考えられないでしょう。その食卓を彩る日本のジャガイモ出荷量は、約190万トンになります。日本人一人当たり、16㎏のジャガイモを食べていることになります。北海道のジャガイモ生産量は、国内生産量の約77%を占めています。このジャガイモにも、弱点があります。この作物は、病気に弱い作物であり、特に連作をすると病気の発生率は高くなるのです。北海道のジャガイモ農家は、ジャガイモ、小麦、豆類、テンサイを毎年順番に輪作をしていました。病気を避ける栽培方法になっていたわけです。農民の方は、輪作をさらに利益の上げる仕組みに変えようとしています。
 近年は、小麦やテンサイが、採算が取れない作物になってきました。そこで、換金性のあるカボチャ、ニンジンに代える農家が増えています。現在は、ジャガイモ、豆類、カボチャ、ニンジンを組み合わせた4年輪作で行うことで、利益を追究する姿も見えるようです。当たり前のことですが、土壌は肥えていたほうが作物の実りは豊かになります。光合成の条件も大切になります。窒素が欠乏すると、生物の反応を制御する酵素をつくるタンパク質が不足し、光合成が抑制されます。豆類を組み合わせて、土地の窒素濃度を維持することも重要になります。農家は、毎年畑ごとに土壌診断をして、土の情報を集め、作物に必要な肥料成分を配合しているのです。ある農家は、新しく手に入れた5 haの畑に2~3年間は毎年300トンの堆肥を入れて、土壌の管理を行っています。利益を上げるために土壌や肥料の配分を考え、稼げる農作物を作ることに挑戦しているわけです。その中でも、中心はジャガイモになります。
 このジャガイモ栽培に、ちょっとした危機が訪れています。ジャガイモの害虫が、現れたのです。当然、害虫に対する対抗策を生産者は考えます。今回は、この害虫と人間の戦いの中からいくつかのアイデアを出していこうと考えました。ジャガイモシストセンチュウは、世界的にもっとも恐れられているジャガイモの害虫です。公式には1972年に北海道で最初の発生が確認され、徐々に汚染地域が拡大してきました。この線虫は、ジャガイモの根に寄生し、悪影響を与えるのです。ジャガイモシストセンチュウが増えすぎると、収量が半滅する事態になります。害虫が出てくれば、対策を講じるのが農業関係者です。ジャガイモシストセンチュウにも負けない、いわゆる抵抗品種を作り出していきます。これらの抵抗品種には、キタアカリやコナヒメなどがあります。これらの品種改良により、ジャガイモの生産は維持されていたわけです。この線虫に対して、抵抗性品種を作る農業関係者の勝利は動かないという楽観論が流れていました。
 ところが、2015年に網走市で、新たな害虫が発見されたのです。それは、ジャガイモシロシストセンチユウという新種の害虫でした。このジャガイモシロシストセンチュウは、シストセンチュウの抵抗性品種にも寄生できてしまう新たな強敵になります。主要品種の後継候補にすら、この新しい線虫に抵抗性を持つ有望系統は存在しないのです。日本国内の主要品種には、抵抗性品種が存在しないという現実が突き付けられたのです。ここから、また新たな害虫と人間の戦いが始まるわけです。植物は食害を受けたときだけ、防御物質を作ります。葉を食べられた時、その危機を遺伝子に伝え防御物質を作ります。葉を食べる害虫は蝶や蛾の幼虫ですが、これらの天敵は寄生蜂になります。寄生蜂がいてくれると、毛虫などによる葉の食害が免れることができます。植物は葉を食べられた時、寄生蜂を引き寄せる物質を放出します。寄生蜂は、放出された香りに誘われて、たくさんいる毛虫に寄生することになります。植物には、防御システムがあり、それを働かせることにより成長を確実にしています。でも、植物がいつも防御物質を作っていると、養分を余計に使うため十分な成長ができない不都合が生じます。人間は、植物の持つ防御システムを使いながら、作物を生産してきたという歴史があります。
 余談ですが、16世紀以後、スペインスはインカの先住民の迫害を行っていました。その迫害に耐え抜いて、生き延びたケチュア民族がいます。彼らは、インカ時代の伝統的色彩の濃い農業生活を送っていました。いわゆる高地農業を行っていたのです。高地には、スペイン人が来なかったのです。高地では、スペイン人の生殖能力が衰えたと言われています。いわゆる精子が、高地順化できなかったのです。ある面でインカの先住民は、高地において安住できたわけです。そこでは、ジャガイモ栽培もおこなわれていました。アンデス高地のジャガイモ栽培は、高い生産性よりも安定的収穫を求めていました。この地方の農業は高度差を利用し、厳しい環境の中でも生き残る仕組みを作り出していたのです。高度差を利用の農業は、収穫の危険を分散する方法として機能していたわけです。ジャガイモの栽培には、常にリスクがあったことが分かります。原産地の野生のイモ類は、多量の有毒成分を含んでいます。アンデスの野生のジャガイモは、ソラニンやチャコニンなどのアルカロイド性の有毒物質を多量に含んでします。これは、タバコのニコチンが昆虫に食べられたり病気にかかるのを防ぐ植物の化学兵器と、考えればわかりやすくなります。アンデス高地で野生のジャガイモを食料として利用するとき、毒抜きの技術が開発されたことはよく知られていることです。
 ここからが、ジャガイモの害虫に対する反撃のお話になります。ジャガイモは、潜在的に毒を持っており、害虫を排除する術を持っているわけです。でも、ジャガイモシストセンチュウなどは、ジャガイモに寄生して、その成長を止める働きをします。この線虫の働きを防止する仕組みを作り出すことになります。人間とジャガイモの共同作業になるかもしれません。
 バチルス属の細菌は、昆虫の消化管を壊すタンパク質をつくることが知られています。昆虫寄生菌の中で最も有名なものが、冬虫夏草オフィオコルディセプス・シネンシスです。この冬虫夏草の菌の感染を受けてキノコを生じた蛾の幼虫は、漢方の生薬として珍重されています。菌が生きている虫に寄生し続けることで獲得されてきた仕組みは、ジャガイモの防御の参考になります。ジャガイモシロシストセンチュウのいる畑にある種の菌を蒔くと、線虫が逃げるとか、死んでしまうということになれば、ハッピーです。例えば、シロアリの糞や唾液には抗菌活性があります。この糞や唾液を巣の入口にまいておくと、有害な微生物が巣の中に入ることを阻止できるのです。線虫が嫌がる菌を利用することも、一つの選択肢になります。微生物を使った防除剤は「微生物農薬」と呼ばれています。生きた菌類を有効成分とする微生物農薬は、すでに多数製品化されています。
 インシュリンの成分を含んだジャガイモを、開発中する人達がいます。インシュリンの含んだジャガイモができれば、糖尿病の方には福音でしょう。食べても、血糖値が上がらない食べ物になるわけです。このようなジャガイモの栽培が作られれば、医食同源の理想に近づくことになります。この手法を利用して、線虫を防除したり、殺したりするジャガイモを作ることができれば、画期的なイノベーションになります。地球上には、150万を超える生物種がすむと推定されています。これらの種の中には、線虫が嫌う生物種や生物が分泌する物質があるかもしれません。できれば、線虫が死滅して、その死骸の窒素分を栄養にしてしまうジャガイモを作ってほしいものです。土壌中の窒素の分解と循環が活性化され生産が増加し、大きく美味しいジャガイモができれば、ジャガイモ農家は豊かになるでしょう。



テレワーク・子供の学力向上・シェアとブランク アイデア三題噺 305

2020-03-12 18:22:38 | 日記


 キャンピングカーで常にあちこち移動しながら暮らすというモデルが、日本にも増えています。加えて、全国どこでも住み放題のサービスが、サブスクリプションとして提供されるようになりました。ある意味で、多拠点地における生活モデルが可能になりつつあるわけです。冬は暖かい九州の宮崎で過ごし、夏は涼しい北海道を周遊しながら過ごす生活が可能になっているのです。月額4万円で、登録されている全国の家を自分の家のように住むことができるサービスが現れました。一般的には、家を所有した時点で、身軽さを失っていました。でも、自分の家を所有せず、常に旅をしながら民泊を渡り歩いて暮らすこともできるようになったのです。
 このような生活は、退職後にできるものだと考えがちです。でも、ご夫婦で、子どもを育てながらでも可能になりつつあるのです。テレワークの仕事を確保し、常に旅をしながらゲストハウス、コミュニティの中の家などを渡り歩いて暮らす生活は、一つの憧れです。人類が森から草原に出るときにも、そのような心境になったのかもしれません。芭蕉が奥の細道をめざしたときも、同じような気持ちになったかもしれません。この場合、最大の問題点は子育てが同時にできないことでした。今、家庭をもっている人であれば「子どもの学校をどうするか」という問題が浮上してきます。徳島県では、地方と都市の2つの学校の行き来し、双方で義務教育が受けられる制度も始まっています。複数の地域で子どもを育てることができれば、多様な価値観に触れ複眼的な思考が養えることになります。
 週に1回しか学校に行っていない7歳の少女がいます。自宅学習とオルタナティブスクールに通うことで、日々学んでいます。オルタナティブスクールは、一般的な学校とは異なり、各家庭の保護者が主導的責任をもって教育するシステムです。この少女の保護者は高い学歴を持ち、家庭の学習環境が整っています。この家庭を訪れる人々は外国人や芸術家が多く、彼らから語学や芸術的素養を自然に吸収しています。彼女は世界子どもサミットにおいて、英語のスピーチをし、絵や音楽を自作して発表をしています。自宅から学校に通うのではなく、旅行をしながら学校に通う仕組みも、整い始めています。オンライン教育の発展は、目覚ましいものがあります。
 これまでは「教える人」と「教えられる人」をマッチングする手段は、学校という場所だけでした。でも、現在はインターネットの利便性が進み、世界のどこにいても教育を受ける環境が整っています。教える人と教えられる人のマッチングが、多様になっているわけです。シェアのプラットフオームが整っていくことによって、誰もが教える側にも教わる側にも回れるのです。「ストリートアカデミー」というウェブサービスがあります。このアカデミーでは、「教えたい人と学びたい人」をつなぐ学びのマーケットが成立しています。学校教育の代わりに、自宅で教育を受ける「ホームスクーリング」の教育形式を取り入れています。教育に関するシェアのプラットフォームが登場したことにより、いつでもだれでも学ぶ機会が得られるようになっているわけです。しかも、低コストで系統的な知識を獲得できるようになっているのです。
 シェアを地域に導入し、地域課題の解決を目指す自治体を、「シェアリングシティ」と呼びます。シェアを浸透させることで、町に眠る公共資源、人、モノといった遊休資産を活用していくことができます。シェアを有効に活用することで、人口や観光客の減少、交通手段の不足、子育て、そして介護などの課題が解決できるかもしれません。この意識を地域のインフラとして浸透させることで、遊休資産を活用することができます。土地の活用だけでなく、住民の持っている資産や培ってきた経験を活かし、収入を得ることができるのです。今あるモノや眠っている資産の有効活用を行いながら、持続可能な地域社会のモデルにしようとするわけです。
 シェアという概念は、それほど新しいものではありません。日本には、昔の隣組や五人組の中に日常的にみられていた光景です。お米やお醤油の貸し借りは、近所の信頼関係の中で行われてきました。子供のお守りなども、近所同士で気軽に行われてきました。現在は、お金を支払って保育園や学童保育が運営されています。でも、戦前や戦後のころには、お互いの信頼関係で子供の面倒をお互いに行ってきた歴史があります。今のシェアにおけるやり取りを行うには、「信頼する、信頼される」スキルが欠かせません。フランスには、学生と高齢者が同じシェアハウスに住むためのマッチングサービスがあります。アメリカでも、一人暮らしのシニア同士でルームメイトを探せるサービスが登場しています。1人で老後を迎えたシニアの女性が、数人集まって一緒に拡張家族として暮らしているのです。これらは一見、部屋のシェアをしているように見えますが、本当の目的は「見守りや話し相手」のシェア機能ということができます。
 日本の人口は約1億2千万人であるのに対し、労働人ロは約6千万人と言われています。
子どもや学生を除く非労働人口、専業主婦やシニアの方などが全人口の半数近くいます。この主婦やシニアの方は、フルタイムで勤めるのは難しいけれども、ちょっとなら働ける方も多いのです。あらゆるモノが、シェアプラットフオーム上でやり取りできる時代です。個人と個人が直接つながり、全世界で需要と供給をマッチングできるようになったともいえます。この少しだけ働ける人たちに1日2時間の働ける職場を提供できれば、1千5百万人の労働力が増えることになります。1日4時間でも働ける職場を提供できれば、3千万人の労働力が増えることになります。これをマッチング技術で適正配置をすれば、日本の人手不足は解消することになります。シェアは、数多くの企業を悩ませる「人手不足問題」の解消にもつながるわけです。
 もう一つの課題が、ブランクの解消です。「ブランク」と言われてきた子育てや介護の期間がネックとなり、知識や技能が衰え実社会で活躍できなくなる人たちがいます。この技能の衰えを軽減できれば、子育て後に即戦力として直ぐに活躍できるわけです。子育ての期間中に、少しでも働く機会があれば、スキルを落とさずに済みます。子育てと仕事を両立させる仕組みが、求められていたわけです。その両立が、シェアとプラットフォームの出現で可能になるかもしれないのです。子育て中の時期に、クラウドワークス上で働いた実績を元に、地元の企業に就職をする方もでてきました。ブランクをつくらず、どこでも通用する評価と信頼を得ることも容易になってきているのです。
 例えば、資格を持ちながら働いていない潜在看護師は、70万人と言われています。看護師資格をもちながら、時間的制約があり働けない人がいるわけです。この方たちに単発や非常勤などの案件に特化した仕事を、シェアする発想は当然考えられることです。子育てや親の介護の中でも、単発や非常勤などをシェアで行える仕組みをつくるわけです。看護の業務を続けていれば、看護の知識やスキルのブランクの問題も軽減されていきます。日本全体の医療という立場からみれば、継続的に医療体制が維持されることを意味します。働くことのハードルか下がれば、子育てや介護を優先しつつも、空いている時間に仕事を引き受けることが可能になります。日本全体が、人手不足の世の中になっています。そんな中では、潜在的に働ける人たちが働ける環境を作り出して、仕事をする機会を提供することが求められます。それが、シェアのビジネスによるマッチングによって可能になるようです。
 シェアのビジネスモデルには、マッチングによって課金されるという性質があります。シェアのププラットフォームの発展にともなって、利便性が増しています。このプラットフォームは、企業主体の経済行為という側面を持っています。賃金の不払いや契約の不履行などの問題が出る場合があります。その問題を解決するヒントが、ベルギーにあります。フリーランスやシェアワーカーの社会保障は、会社に務める正社員と比べると十分ではありません。ベルギーのフリーランスやシェアワーカーは、仕事を終えるとプラットフォームから給料をすぐに支払う仕組みになっています。彼らは給料の6%をプラットフォームに払うことでこのサービスを受けられるのです。プラットフォームは会社からの集金を肩代わりしてくれます。シェアの制度を作り、その制度を働く人が便利に利用しやすい仕組みにしていくことが、これから求められていくことになるでしょう。