熟年老人の旅行術 その1 鎌倉時代の石工を追う
熟年老人は、使い切れない余暇に囲まれています。これを、少ないお金で消化する手立てを考えました。余暇の有効利用を、菅江さんがご報告します。聞き手はトット記者です。
記者「余暇を有効に使う方法には、どんなものがありますか」
菅江「旅と読書です。古代の昔から、旅と読書が最も有効に時間を消費させてくれていました。今回は、箱根の石仏、東大寺の石獅子、般若寺層塔の石造物を巡りました。その中で、余暇の使い方をお話していきたいと思います」
記者「この三ヵ所をどんな日程で巡るのですか」
菅江「強行軍です。でも青春18切符を利用するの場合、始発が常識です。午前4時半頃、宇都宮発熱海行きに乗ります。乗り換えなしで、小田原に着きます。ここはちょっとぜいたくに、普通車のグリーンを使います。3時間ほど、読みたい本を読んで過ごします。この時間が至福の時です。小田原には8時頃到着です。箱根行きのバスに乗り、『曾我兄弟の墓』のバス停で降ります。ここで二十五菩薩磨崖仏群の代表的な石造物を見て、小田原に13時頃戻ります。大阪に21時頃着いて、ビジネスホテルに入りシャワーを浴びて、1日目が終わりです。今回は3連泊しました。2日目は、9時頃大阪駅から木津行きに乗ります。1時間程度で奈良に到着です。駅でレンタサイクルを借りて、東大寺の南大門を目指します。門の北側にひっそりたたずむ石獅子を拝観して、次に般若寺に行きます。大型の花崗岩製の十三重石塔を拝観します。国宝ハンターの方には、般若寺楼門のほうが引きつけられるかもしれません。時間があれば、頭塔や十輪院の地蔵菩薩など拝観できれば、目の保養になります。奈良と大阪の交通の便は、格段に良くなっています。そのため、奈良にはホテルや旅館が少ないのです。どうしても、京都や大阪に宿泊する人が多いようです。これだけの文化遺産を持ちながら、観光による利益が少ないのです。インバウンド湧く日本ではめずらしいことです。奈良の深刻な課題になっています。この日は大阪で、最後の時間をゆっくり過ごしました。食い倒れの町ですから、美味しいものがたくさんありましたよ。次の日は、8時頃大阪駅を出ると、20時頃、宇都宮に到着です。帰りの電車の中では、次に行きたい場所、旅の中で出てきたアイデアなどを整理しておきます」
記者「3泊4日で、交通費はいくらぐらいになるのですか」
菅江「青春18切符が11850円、普通車のグリーン券が往復2000円、箱根のバス代が往復約2000円、奈良のレンタサイクルが500~700円ですか。約16000円ぐらいですね」
記者「箱根で見るべき代表的な石造物とはどんなものですか」
菅江「二十五菩薩磨崖仏群のすべてです。でも全てを見たいという欲求を抑えて、3つに絞ります。まず曾我兄弟の墓といわれる五輪塔です。鎌倉後期を代表する名塔です。次に、箱根山ほうきょういんとう宝篋印塔になります。この塔には銘文があります。それには大和の石工である大蔵安氏が造ったとされています。次に、元箱根の石仏群を代表する六道地蔵です」
記者「大蔵安氏とはどんな人物で、何をした人なのですか
菅江「箱根山宝篋印塔には、西大寺の高僧である忍性がこの塔を開眼したと記されています。大蔵安氏は西大寺に使えていた石工の一人です。彼は、関東の地域に大和系の石造物を造った人物ということになります」
記者「東大寺の石獅子は、誰が造ったのですか」
菅江「まず東大寺復興について説明をします。1180年に平清盛の5男であるたいらのしげひら平重衡の南都攻撃で、東大寺は焼亡しました。重源は、大勧進を行い、東大寺の復興に務めたのです。大陸にコネクションを持つ勧進僧の重源が、中国の石工集団を招致しました。これらの石工集団の活躍で、鎌倉時代になると石仏造営の最盛期を迎えたのです。中国の石工集団の中に、当代随一の石工として知られていたいぎょうまつ伊行末がいました。伊行末は1196年(建久7)の東大寺大仏脇侍や石獅子を制作した石工の一人です。
記者「般若寺層塔は、誰が造ったのですか」
菅江「奈良市の般若寺境内には、大型の花崗岩製の十三重石塔があります。これは、『層塔』と呼ばれ、伊行末の作です。彼はこの時期になると、日本風の造形や意匠を完全に自分のものとしていました。般若寺層塔の造立を指揮したのは、彼の息子である壮年期の伊行吉といわれています。この頃、伊行末は80歳を超えていました。名目的に般若寺層塔を造立した伊行末は、1260年(文応元)に死去しています」
記者「伊行末の子孫や弟子達は、どうなっていたんですか 」
菅江「伊行末の子孫を、『伊派石工』と呼びます。東大寺復興で来日した伊行末は、西大寺の叡尊の配下で活躍するようになります。伊行末の子孫が、伊派石工として、西大寺のもとで活動をするわけです。西大寺の高僧である忍性が、箱根山宝篋印塔の開眼したことは、前に述べました。このとき忍性に従って関東にやってきた伊派の石工集団が『大蔵派石工』なのです。伊行末の子孫や弟子達は、西と東で石造物の造立に活躍したわけです」
記者「宋人石工といわれていますが、具体的に中国のどの地域から来たのですか 」
菅江「東大寺復興の石材は、中国から調達されました。この軟質石材は、中国のより南方の泉州から調達されています。泉州は、台湾海峡を隔てた厦門の近くにあります。軟質石材は花崗岩などの硬質石材に比較して、細かい細工や深みのある彫刻が可能になります。彼の故郷である明州にも、優れた石造物が見られます。宋人、伊行末の故郷は、明州になります。中国の明州から、優れた石工と石材を日本に送り出したともいえます」
記者「日本の優れた文化財は、中国との関係無しに語れないということですか 」
菅江「そうなります。今回の旅で、感じたことがあります。箱根にも奈良にも以前より多くの中国人観光客がいたことです。中国人の方が増えているのは分かるのですが、その数が多すぎるように思いました。理由を考えて見ると、中国人の信仰情況がありました。現在、中国では仏教ブームなのです。ところが、文化大革命で、中国の仏教文化は衰退してしまいました。中国から日本に移入された文化が、より良い形で残っているのが本家より分家なのです。中国でなくなったものを、日本で見いだそうとする仏教徒が、多数来日しているようです。彼らの要望に応えられるガイドを養成することもインバウンドでは大切になります。会話ができなくとも、タブレットを見せることで分かるようにしておけばよいのです」
記者「観光客が増えているのに、奈良の宿泊客が少ないとは、驚きですね。何か対策はないのですか」
菅江「京都や大阪のホテルの稼働率は85%以上になっています。一般に稼働率が80%を超えるとホテルのサービスが低下するといわれています。奈良のエリアに、観光客を収容できる施設を作るべきだと思います。たとえば、木津駅の周りは、まだまだ田園風景が残っています。近くには加茂の磨崖仏群もあります。観光資源としては申し分ないエリアなのです。奈良にふさわしい観光施設を作ってほしいと願っています」
注意
ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。再度申し上げますが、現実の世界ではありません。虚偽の世界のお話の中に、有益だなと思うことがあるかもしれません。虚偽の世界のことを、現実の世界で試してみることは、推奨されることはあっても、禁止されることではありません。ただし、利益をあげても損害を受けても、自己責任ということをおわすれなく。
熟年老人は、使い切れない余暇に囲まれています。これを、少ないお金で消化する手立てを考えました。余暇の有効利用を、菅江さんがご報告します。聞き手はトット記者です。
記者「余暇を有効に使う方法には、どんなものがありますか」
菅江「旅と読書です。古代の昔から、旅と読書が最も有効に時間を消費させてくれていました。今回は、箱根の石仏、東大寺の石獅子、般若寺層塔の石造物を巡りました。その中で、余暇の使い方をお話していきたいと思います」
記者「この三ヵ所をどんな日程で巡るのですか」
菅江「強行軍です。でも青春18切符を利用するの場合、始発が常識です。午前4時半頃、宇都宮発熱海行きに乗ります。乗り換えなしで、小田原に着きます。ここはちょっとぜいたくに、普通車のグリーンを使います。3時間ほど、読みたい本を読んで過ごします。この時間が至福の時です。小田原には8時頃到着です。箱根行きのバスに乗り、『曾我兄弟の墓』のバス停で降ります。ここで二十五菩薩磨崖仏群の代表的な石造物を見て、小田原に13時頃戻ります。大阪に21時頃着いて、ビジネスホテルに入りシャワーを浴びて、1日目が終わりです。今回は3連泊しました。2日目は、9時頃大阪駅から木津行きに乗ります。1時間程度で奈良に到着です。駅でレンタサイクルを借りて、東大寺の南大門を目指します。門の北側にひっそりたたずむ石獅子を拝観して、次に般若寺に行きます。大型の花崗岩製の十三重石塔を拝観します。国宝ハンターの方には、般若寺楼門のほうが引きつけられるかもしれません。時間があれば、頭塔や十輪院の地蔵菩薩など拝観できれば、目の保養になります。奈良と大阪の交通の便は、格段に良くなっています。そのため、奈良にはホテルや旅館が少ないのです。どうしても、京都や大阪に宿泊する人が多いようです。これだけの文化遺産を持ちながら、観光による利益が少ないのです。インバウンド湧く日本ではめずらしいことです。奈良の深刻な課題になっています。この日は大阪で、最後の時間をゆっくり過ごしました。食い倒れの町ですから、美味しいものがたくさんありましたよ。次の日は、8時頃大阪駅を出ると、20時頃、宇都宮に到着です。帰りの電車の中では、次に行きたい場所、旅の中で出てきたアイデアなどを整理しておきます」
記者「3泊4日で、交通費はいくらぐらいになるのですか」
菅江「青春18切符が11850円、普通車のグリーン券が往復2000円、箱根のバス代が往復約2000円、奈良のレンタサイクルが500~700円ですか。約16000円ぐらいですね」
記者「箱根で見るべき代表的な石造物とはどんなものですか」
菅江「二十五菩薩磨崖仏群のすべてです。でも全てを見たいという欲求を抑えて、3つに絞ります。まず曾我兄弟の墓といわれる五輪塔です。鎌倉後期を代表する名塔です。次に、箱根山ほうきょういんとう宝篋印塔になります。この塔には銘文があります。それには大和の石工である大蔵安氏が造ったとされています。次に、元箱根の石仏群を代表する六道地蔵です」
記者「大蔵安氏とはどんな人物で、何をした人なのですか
菅江「箱根山宝篋印塔には、西大寺の高僧である忍性がこの塔を開眼したと記されています。大蔵安氏は西大寺に使えていた石工の一人です。彼は、関東の地域に大和系の石造物を造った人物ということになります」
記者「東大寺の石獅子は、誰が造ったのですか」
菅江「まず東大寺復興について説明をします。1180年に平清盛の5男であるたいらのしげひら平重衡の南都攻撃で、東大寺は焼亡しました。重源は、大勧進を行い、東大寺の復興に務めたのです。大陸にコネクションを持つ勧進僧の重源が、中国の石工集団を招致しました。これらの石工集団の活躍で、鎌倉時代になると石仏造営の最盛期を迎えたのです。中国の石工集団の中に、当代随一の石工として知られていたいぎょうまつ伊行末がいました。伊行末は1196年(建久7)の東大寺大仏脇侍や石獅子を制作した石工の一人です。
記者「般若寺層塔は、誰が造ったのですか」
菅江「奈良市の般若寺境内には、大型の花崗岩製の十三重石塔があります。これは、『層塔』と呼ばれ、伊行末の作です。彼はこの時期になると、日本風の造形や意匠を完全に自分のものとしていました。般若寺層塔の造立を指揮したのは、彼の息子である壮年期の伊行吉といわれています。この頃、伊行末は80歳を超えていました。名目的に般若寺層塔を造立した伊行末は、1260年(文応元)に死去しています」
記者「伊行末の子孫や弟子達は、どうなっていたんですか 」
菅江「伊行末の子孫を、『伊派石工』と呼びます。東大寺復興で来日した伊行末は、西大寺の叡尊の配下で活躍するようになります。伊行末の子孫が、伊派石工として、西大寺のもとで活動をするわけです。西大寺の高僧である忍性が、箱根山宝篋印塔の開眼したことは、前に述べました。このとき忍性に従って関東にやってきた伊派の石工集団が『大蔵派石工』なのです。伊行末の子孫や弟子達は、西と東で石造物の造立に活躍したわけです」
記者「宋人石工といわれていますが、具体的に中国のどの地域から来たのですか 」
菅江「東大寺復興の石材は、中国から調達されました。この軟質石材は、中国のより南方の泉州から調達されています。泉州は、台湾海峡を隔てた厦門の近くにあります。軟質石材は花崗岩などの硬質石材に比較して、細かい細工や深みのある彫刻が可能になります。彼の故郷である明州にも、優れた石造物が見られます。宋人、伊行末の故郷は、明州になります。中国の明州から、優れた石工と石材を日本に送り出したともいえます」
記者「日本の優れた文化財は、中国との関係無しに語れないということですか 」
菅江「そうなります。今回の旅で、感じたことがあります。箱根にも奈良にも以前より多くの中国人観光客がいたことです。中国人の方が増えているのは分かるのですが、その数が多すぎるように思いました。理由を考えて見ると、中国人の信仰情況がありました。現在、中国では仏教ブームなのです。ところが、文化大革命で、中国の仏教文化は衰退してしまいました。中国から日本に移入された文化が、より良い形で残っているのが本家より分家なのです。中国でなくなったものを、日本で見いだそうとする仏教徒が、多数来日しているようです。彼らの要望に応えられるガイドを養成することもインバウンドでは大切になります。会話ができなくとも、タブレットを見せることで分かるようにしておけばよいのです」
記者「観光客が増えているのに、奈良の宿泊客が少ないとは、驚きですね。何か対策はないのですか」
菅江「京都や大阪のホテルの稼働率は85%以上になっています。一般に稼働率が80%を超えるとホテルのサービスが低下するといわれています。奈良のエリアに、観光客を収容できる施設を作るべきだと思います。たとえば、木津駅の周りは、まだまだ田園風景が残っています。近くには加茂の磨崖仏群もあります。観光資源としては申し分ないエリアなのです。奈良にふさわしい観光施設を作ってほしいと願っています」
注意
ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。再度申し上げますが、現実の世界ではありません。虚偽の世界のお話の中に、有益だなと思うことがあるかもしれません。虚偽の世界のことを、現実の世界で試してみることは、推奨されることはあっても、禁止されることではありません。ただし、利益をあげても損害を受けても、自己責任ということをおわすれなく。