ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

ファンタジアランドにおけるトット記者の文章の作り方 

2018-12-31 16:49:51 | 日記
  2018年12月31日

参考文献の気に入った部分を40文字以内の1行で文章にまとめます。
気に入った文章は、一つの本から10~100行程度作ります。
40文字以内の1行の文章を1万行ぐらいで、ひとまとめにします。
1万行の中からガラガラポンと文章を出します。
ガラガラポン数は25~100行です。
この25~100行を並べ替えながら、相反する文章や時事問題からアイデアを出します。
今まで、1000を超えるブログを書いてきたことになるようです。
最近、このブログ1000の内容の中から、2つか3つを合体して文章にすることもあります。
このようにして出てきたものが、ファンタジアランドのお話になります。

参考文献

世界の美しい色の祭り 渡部隆宏 エクスナレッジ2018.7.13
空気を読むな、本を読め 小飼 弾  イースト・プレス 2009.11.7
マキャベリは共同体のメンバーにはいい結果をもたらすことを言語化した
その靴、痛くないですか 西村泰紀 飛鳥新社 2016.9.10
スポーツシューズのひみつ 新星出版社編集部 新星出版社  2009.5.5
0歳からのボール遊びの運動 小山啓太 ベースボールマガジン社 2018.8.28
革をつくる人びと 西村祐子 解放出版社 2017.3.30
ぼくは「しんかい6500」のパイロット Yosiume Tuyosi こぶし書房2013.7.15
科学のこれまで、科学のこれから 池内 了 岩波ブックレット 2014.6.4
生物多様性入門 鷲谷いづみ 岩波ブックレット 2010.6.9
女性を活用する国、しない国  竹信三恵子 岩波ブックレット 2010.9.7
伝わる技術  風間 八宏  講談社現代新書 2018.2.20
楽しいプロパガンダ 辻田真佐憲 イースト新書Q 2015.9.20
地域の食をブランド化する 金丸弘美 岩波ブックレット 2018.10.5
稼ぐライターの仕事術 吉田典史 同文館出版  2008.1.30
色のチカラ  石井亜由美 KKベストセラーズ 2011.10.30
本音化するヨーロッパ 三好範英 幻冬舎新書 2018.9.30
ファッションの20世紀 横田一敏 集英社新書 2008.10.22
体の中の異物 毒の科学 小城勝相  ブルーバックス 2016.12.20
人類と気候の10万年史 中川 毅  ブルーバックス 2017.2.20
こころはいかにして生まれるか 櫻井 武 ブルーバックス 2018.10.20
新しい幸福論  橘木俊詔 岩波新書 2016.5.20
データサイエンス入門 竹村彰通 岩波新書 2018.4.20
幸福とは何か 長谷川宏 中公新書  2018.6.25
ウェブで伝わる文章の書き方 岡本 真 講談社現代新書 2012.12.20
発酵の科学 中島春紫 ブルーバックス 2018.1.20
沸騰インド  貫洞欣寛 白水社 2018.6.5
タンパク質とからだ 平野 久  中公新書 2017.1.25
AIに負けない教育  渡部信一  大修館書店 2018.8.1 


ものぐさなシニア・割り切った読書・苦痛を避け快感を求める  アイデア三題噺183 

2018-12-31 16:44:25 | 日記
2018年12月31日
 書くことの楽しさを知ったシニアは、書くために工夫をします。材料がないと、書くことができません。材料を仕入れる工夫をします。資金に限度がありますので、節約をしながら材料となる情報を手に入れることになります。家の図書室に全て整っていれば良いのですが、そのスペ-スも本を買う余裕も少なくなりました。公立図書館を、自分の図書室代わりにしました。適当な文章を書くには、適当に本を読むことが必要です。加齢により目が悪くなってきました。良い本でも活字が小さく読みにくい本は、敬遠します。比較的活字の大きな本で、「はじめに」や「終わりに」の部分に要旨や結論が書いてある本を選ぶようにしています。最初と最後に結論がある文章は読みやすく、速く読めるという利点があります。本を読むというのは、自分の知らない事柄を拾っていく作業と割り切るわけです。過去にも現在にも、完全なものは存在していないという捉え方になります。1つの文章が、40字程度で主語と述語が書かれている文は読みやすいと考えています。
 書くからには、書いた文章が自分でも分かるようにしたいわけです。でも、これが難しいのです。1年くらい前に書いた文章を、たまたま読むときがあります。すると、間違いが嫌というほど出てきます。ある程度、筋の通った文章ならば、最後まで読めます。でも、筋も内容もバラバラの文章もあるのです。それでも不思議なことですが、何年か書いていると、間違いが少なくなるのです。ちょっと、嬉しい気持ちになります。自分自身が納得できる自由奔放な作り話を、書いていくわけです。作り話の中には、一定のルールがあるようです。自分でも、分からないルールなのですが。
 アイデアがひらめき、構想が具体化したら、必要な文章をかき集めます。自分が納得する材料を、探すわけです。十分な材料は、なかなか集まりません。この段階で、パーフェクトを求めないことにしています。一定の時間で集まる材料で、自分が分かるように書き進めます。すると、集中力やひらめきが途切れる時間がやってきます。その時が、運動の時間になります。外に出て、散歩や庭の草取りなどすることになります。この散歩の後の1~2時間は、心理学や生理学でいわれているように、認知能力、集中力や考察力が高まる時間になります。意外と、書きやすい状態になっていることが多いのです。書き終わったらこの文章を離れて、次に湧き出るアイデアや疑問に頭を切り換えます。湧き出るというアイデアも、いくつか材料を用意しておく中から選ぶようにしています。ゼロからアイデアつくり出し、そして、構想から文章の完成という流れが理想なのです。でも、ゼロから文章の完成までは、出来るときと出来ない時があります。出来ない時は、苦痛になります。苦痛は、避けます。文章の完成は、快感です。この快の感情を大切にしています。「苦痛を避け、快楽を求めず」という方もいます。でも、苦痛がなく、適当な努力で快感を得ていく生き方も良いのかもしれません。


世界に負けない授業のできる教員を育てる  アイデア広場 その433

2018-12-30 17:22:28 | 日記

 教員採用試験の倍率は2000年の12.6倍をピークとして下がり続けています。倍率が高けれぱ、良いというものではないのですが、多くの人が希望すれば、良い人材が多く含まれている可能性があります。最近では、小学校で4倍、中学校が7倍、高校も7倍程度まで低下しています。同じように、1990年代日本が世界から高く評価された授業研究の内容が、年々低下しています。日本の授業研究は、小学校が優位を維持し、中学校は世界平均レべルに低下し、高校では最下位のレべルになりつつあります。この2つの傾向は、東京都や大阪府などの大都市で顕著に生じており今後、地方へと広がる様相を示しています。
 そこで、日本の小中高校の授業の質を高める仕組みを考えてみました。教育の先進国と
言われるフィンランドの小中高校の教員は、すべて大学院を出てから勤務に就いています。日本の場合、新規採用教師のうち大学や大学院出の採用は3割程度です。7割は、非常勤講師を経験した後の採用になっています。日本の場合、採用されてから一定の研修が必要になります。教員は、専門家としての研修と実戦経験が求められます。生徒を教えるだけででなく、自らが学び専門家として実践と熟考をずる余裕が必要なのです。日本の教員が、課外活動につやす時間は週7.7時間になっています。ドイツやフィンランドには、学校の部活動はありません。近年、長時間の部活動が問題になっています。その問題は、教員の疲労や健康の問題に焦点を当てられています。でも、問題の核心は、日本の子ども達の知的水準の低下ということにあるのです。教員が、部活動に体力と時間が取られれば、授業の内容は低下するだけになります。事実、日本の小中高校の授業内容の評価は、部活動が盛んになる小学校、中学校、高校と進むにつれて低下しているのです。
 日本の部活動は、長く練習すれば強くなると考える風土があります。当然、子ども達の練習時間は長くなります。やり始めたら、何かを極めなければならないという義務感があるように見えます。さらに、先生と生徒の上下関係が明確な部活動は、勝利至上主義に陥りがちになります。甲子園の優勝校は、全国4000校の中で1校しか獲得できません。全てのチームが勝利至上主義だけで戦ったとすれば、獲得できないなかった3999校は挫折だけを味わうことになります。むしろ、スポーツの原点に立って、楽しむという要素を重視すれば、挫折を味わうこともなくなります。部活動の顧問が、そのような知見を持って、指導を行えば別の経験を子ども達は積み重ねることが可能になります。でも、今の学校部活動を考慮したとき、このスポーツの原点に立つ部活動は難しいようです。
 新しい流れも出てきています。学校の部活動とは違う楽しく、技能向上がスムーズに行えるクラブの存在が出現しているのです。初心者向けの楽しむクラスと、勝ちを目指す競技クラスを用意しています。一般に、総合型地域スポーツクラブといわれているものです。ドイツなどを中心に、ヨーロッパでは、クラブスポーツが充実しています。それが、1つのモデルになっていると考えれば良いようです。大人など幅広い年齢層と一緒に楽しむことのできるの総合型地域スポーツクラブもあります。指導の専門家がいる場合、小学生の時から一貫して経験のある方に指導してもらえるので、技術は確実に向上するようです。このようなクラブから、オリンピックに出場する選手も徐々に現れ始めているようです。日本の出生人口は、100万人を割り込みました。今後、学校単位で部活動の維持は難しくなります。そのような状況の中で、学校の部活動とは別に、スポーツや芸術を普及させるクラブや組織を作ることが望まれています。部活動が学校教育の外に行けば、教員が研修したり、考えたりできる時間が増えます。教育の専門家として、研修や研究授業に思いっきり取り組める時間が得られます。余裕を持って、子ども達を高見に育て上げる研修や実践をしていただきたいものです。

現代人の前に立ちはだかる脳疲労に打ち勝つ方法 アイデア広場 その432

2018-12-29 21:21:40 | 日記

 厚生労働省の調査によると、60%の勤労者が現在の仕事や職業生活に関して強い不安や悩み、そしてストレスがあると報告しています。20世紀前半まで、仕事のできる条件は、身体を動かすスキルということにありました。20世紀後半になり、第三次産業の時代に突入すると「頭が働く」という条件に取って代わりました。IT革命が起こってかららは、脳が集中的に疲れる「脳疲労」が、顕在化しています。勤労者の過半数が脳疲労状態にある事態は、人類史上で経験したことのないものです。
 そこで、脳疲労について考えてみました。できれば、効果的に脳疲労を取り去る方法なども調べてみたいと考えたわけです。最近の職場は、体調が悪くても休めない環境になりつつあります。家庭において、時間も持つことができないほどの過密さです。疲れているとはわかつていても、ペースダウンすることを職場の状況が許しません。人間の行動は、五感によって行われてきました。おそらくそれが、本来の人間に好ましい動きだったのでしょう。現在主流のパソコン作業では、情報がほとんど目から脳に直接行くだけの刺激に限定されています。パソコン作業では、耳・鼻・舌・皮膚といった目以外の情報処理器官の重要性は低下します。作業が目から脳へー極集中することになり、望ましい肉体疲労から脳疲労へと変化しているのです。現代人のストレスは、脳の疲労に象徴的にあらわれているともいえます。蛇足ですが、パソコン業務が五感を使うものに工夫されれば、一つのビジネスチャンスになるかもしれません。
 脳疲労が問題になっているとすれば、それを取り去る方法を開発すれば良いことになります。肉体疲労は、ぐっすり眠ると翌日には疲れも取れます。ところが、脳疲労は、眠りにつくまでに難問があるのです。肉体疲労にくらべ、脳疲労は脳が過活動状態になっています。つまり、脳がいつも活動状態になりながら、疲労を招いているのです。矛盾したように見えますが、脳が活動状態になっている場合、眠りの状態にスムーズに移行しないのです。過活動状態の脳疲労は、疲労していても睡眠が取りにくい状態になっているということです。寝不足の結果、朝起きても体がだるく、疲労はさらに蓄積してゆくという繰り返しになります。これも蛇足ですが、この疲労を解く経験則があります。脳疲労に陥ったときには、肉体疲労を加えるのです。肉体疲労が起きれば、肉体は眠りにつきます。眠りにつけば、脳疲労は軽減するという理屈です。脳疲労は多くの勤労者が陥っています。ここでの出番は、スポーツジムということになるでしょう。いかに肉体的疲労をジムの運動を通じて起こすかということも、一つのスキルになります。先進的なジムでは、すでに実践されていることでしょう。
 スポーツジムの話はさておいて、がむしやらに働き続ける人達はうつ病に蝕まれることになります。個人にも人格があるように、所属される会社組織にも組織としての人格が存在します。組織の一人一人は人格者であるにもかかわらず、立派な人格が集まる職場がまく機能しない場合もあります。このような職場では、働き続けることが常態化します。こんな状態では、気がかりを書き出して、客観的に整理してみる勇気が必要です。生活を楽しく過ごすために行うことややりたいことリストにに書き出すのです。楽しい夢について書いてある書物やノウハウものをを見ることも必要になるかもしれません。前提として、最初に最低でも有給休暇を取れる職場に勤めることです。一定期間休みを取り、美味しいものを食べ、ゆっくりお風呂に入り、十分な睡眠をとります。ぶらりと旅に出てみたり、懐かしい場所を訪れるのもいいし、初めての場所を無心に歩いてみるのもいいでしょう。すると、10年から20年先を見る余裕が生まれます。今までの「しがらみ」は潔く断ち切って、10年後とか20年後につながる血の通った生活を設計するようになります。人間関係にも会社関係にも、「断捨離」が必要です。
 給料はそこそこでも、人間らしく生活できる環境を大切にすることです。自然や動植物に触れて、自然のエネルギーを吸い込むことです。早起きして、新鮮な空気をいっぱい吸うことです。気分転換や自分なりの発散方法を持つことです。自分が好きな人と会うことが楽しければ、それが最高の状況でしょう。時には、割り切りや諦めも必要になります。余談ですが、現在うつ病になって入院する職業の筆頭ともいえるのが、学校教師になっています。彼らは、子どもを立派に育てようという義務感にさいなまされています。教師は休日までも学校行事に追われ、自宅でゆっくり休養や勉強をする時間さえもないのです。現代の疲労は、肉体から神経の疲労に変化しました。一筋縄で打ち勝る相手ではないのですが、少し視線を変えると意外と勝てる相手かもしれません。




我が儘なヨーロッパの難民  スモールアイデア NO228

2018-12-28 18:27:11 | 日記

 東ヨーロッパに寒い季節がやってくると、西バルカン半島の貧困難民がドイツにやってくる風物詩があります。アルバニアやセルビアからの貧困難民は、直行バスでべルリンにやってくるのです。1998年から1999年まで続いたコソボ紛争の折には、難民を受け入れる体制をヨーロッパ各国が築きました。でも、政情が安定した今日では、アルバニアやセルビアが難民を生む条件ではない国として理解されています。それでも、ドイツにやってくるのです。彼らは難民申請をしても、「ダメだ」といわれることは分かっているのです。でも、ダメといわれるまで、少なくとも一冬を暖房のきいた施設で過ごすことができます。一方、シリア内戦などの煽りを受けて、ヨーロッパに難民申請をする人びとも増えています。さらに、北アフリカのチュニジアなどからは、経済難民としてヨーロッパをめざす人びともいます。その中には、難民を装ってテロ集団も入国しているといううわさも流れています。
 そこで、ヨーロッパにおける難民の実情について考えてみました。日本は、難民を受け入れない国として知られています。昔からそうだったかといえば、違います。大化の改新から白村江の戦いの時代、西暦646年から663年にかけて、日本は朝鮮半島から多くの難民を受け入れました。その難民が日本文化を作る原動力になったともいわれています。それ以降は、難民の受け入れには消極的になってきたようです。島国の日本とは違いヨーロッパは、多くの国が隣接しています。戦争や飢饉があれば、国を超えて移動する習慣がありました。そのために防疫や税関、そして難民の受け入れなどのルールが確立していきました。日本から見ると、手ぬるいとか、まどろっこしいとかの気持ちが入るかもしれません。でも、ヨーロッパの歴史や文化、そして政治状況などを勘案した状況が、これらのルールの下地にはあるようです。
 アルバニアやセルビアからの貧困難民は、申請をしても却下されることを知っています。
彼らには、月130ユーロの「小遣い」が支給されるのです。この金額は、母国ではほとんど月収に相当する額になります。申請がダメと数ヶ月後に決定されれば、彼らは祖国に送り返されます。そのとき、アルバニアやセルビア政府が送還を拒否をすれば、彼らは流浪の民になってしまいます。でも、西バルカン諸国は、送還される難民の引き受けに協力的なのです。これらの国々は、将来のEU加盟したいと希望しています。今のうちから協力姿勢を示すことで、将来訪れるだろうEU加盟を有利に運ぼうとする思惑があるようです。西バルカン諸国の国々が、経済的に発展すれば、貧困難民はドイツに来なくなるでしょう。蛇足ですが、ドイツが東西に分裂していた不幸な時代がありました。西ドイツと東ドイツの経済格差が顕著になったとき、社会主義圏の東ドイツから西ドイツに亡命する人びとが増えたのです。そのとき増えた人達の特徴は、生産年齢の過ぎた高齢者と言いうことでした。東ドイツは、高齢者を国外に出して、口減らしをしていたことになります。
 今EUに流入している難民は、本当に難民としての条件を持っている人と、よりよい経済条件を目指す経済難民の2つに分けられるようです。2015年には、100万人がEUに入ったとされます。これも蛇足ですが、この入国を手引きした犯罪者集団には、40~60億ユーロの資金が入ったとされています。犯罪者の取締りが、不正入国を防ぐ重要な対策になっているようです。入国希望者が全て、認められるわけではありません。強制送還をされる人びとも出てきます。西バルカン半島の国々は、送還に協力的でした。でも、北アフリカのチュニジアでは、イスラム過激派を送り返そうとするドイツの方針を拒むのです。この国では、送還者受け入れに反対する国民のデモも起きています。テロリストや犯罪者がいったんEU域内に入ると、EUのほぼ全域を自由に動き回れます。難民問題を国境管理の強化だけでは、十分な解決にならないでしょう。難民出身国の政情や経済を安定させることが、長い目でみれば解決になるようです。日本が貢献できることは、難民を送り出す国が、経済的に自立できるよう支援することになるでしょう。



イノシシやシカの増加・先人の知恵・新しいシシ垣  アイデア三題噺 182

2018-12-27 18:00:42 | 日記

 農家が大切に育てた作物を、食い荒らす野生のイノシシやシカが増えてきています。
このごろは市街地にも堂々と現れるようになり、被害は膨らむばかりです。人に体当たりするイノシシの映像を見ると、危険さえ感じるようになりました。耕作放棄地が、イノシシの住居になっています。この放棄地は、増えるばかりです。それに伴って、野生動物の行動半径が広がるという状況を加速させているようです。現在は、農林業における人の活動の低下が、野生動物の生息域が拡大しているということになります。
 そこで、来年の干支とは、イノシシというわけではないのですが、活発な活動を行っているイノシシに焦点を当ててみました。古くから獣害に悩む地域では、木や竹の柵、石積み、土塁などでシシ垣を築いてきました。シシ垣の歴史は古く、13世紀の鎌倉時代の文献には登場しています。各地の村落の山際に築かれたシシ垣の高さは、平均1~2m土塁や石垣が多いのです。昔の人は、夜通しでイノシシを見張るよりもシシ垣の方が効率的だと考えたようです。シシ垣の完成後は、そうめんや醤油の増産を伝える文献もあります。
 シシ垣には、工夫が施されています。シカやイノシシが飛び越えないように、上部を反らせるなど工夫があります。弥生時代から続く、ネズミ返しなどの工夫は、人間と動物の相克を見る思いです。時代とともにシシ垣も地方色が出てきます。東日本は土塁、西日本は石垣が多くなります。これは、戦国時代から江戸時代にかけて、城郭の建築などで土木技術が進んだことの反映でしょう。石垣は、西日本に優れたものが多いようです。土塁は、関東以北に多く見られます。小田原を本拠地にした北条氏は、土塁を効果的に使い、防御を固めています。土木技術の進歩は、長さ10kmを超えるシシ垣を作るまでになっています。それほど、イノシシやシカの害が厳しかったという証になるかもしれません。蛇足ですが、イノシシは、シシ垣に沿って行たり来たりする習性があります。この習性を利用して、この通路に落とし穴を掘って捕獲をし、貴重なタンパク源を得ていたようです。
イノンシは積雪が苦手で、寒冷地にはあまり生息していません。不思議なことに、温暖な地域である高知や鹿児島にも、ほとんど見られないのです。これには、歴史的背景があります。高知や鹿児島には、下級武士が鉄砲を所持したまま農村に郷士としてと住んでいました。農村に住む郷士は、狩猟を行い害獣をすべて駆除していったようです。明治維新の頃、日本には火縄銃が50万超あったといわれています。この銃で、イノシシやシカを獲っていたわけです。現代の人びとは、江戸時代の人が獣の肉を食べなかった思っているようです。タテマエ上は食べないのですが、イノシシは山クジラと呼び、牛肉は薬ということにして、食べていたのです。野生動物の対策は、絶滅に近いほどまで減らすと効果的だと歴史が教えています。でも、この対策はあまりにも過激なものでしょう。ニホンオオカミの悲劇に繋がりかねません。次善の防御対策は、最新の技術を駆使して、人間の生活圏に近づけない工夫をすることのようです。もちろん、この次善の策には、捕獲圧があります。
 

再生可能エネルギー・二酸化炭素排出量取引・垂涎の的   アイデア三題噺181 

2018-12-27 17:40:49 | 日記

 再生可能エネルギーも火力発電と同じように主力電源として、その一翼を担う仕組みを作る時期がきていると言われています。太陽光発電は、天候に応じて発電量が変動するという特性があります。この特性が弱点となって、なかなか主役の座につくことができません。真夏の需要が増加する時間帯が晴天であれば、電力需要のピークを抑えることには貢献しています。でも、現在では電力のピーク時が年間を御通して数日だけになっています。
 そこで、太陽光発電の今後について考えてみました。北海道では、最近経験したことのないブラックアウトが起こりました。発展途上国の旅では、良く経験することです。電力の必要な時に、発電量と需要量がうまくあわないときには停電が起きます。個人の場合の停電は、笑い話で済まされます。でも、これが精密な機械生産の工場で起これば、笑い話では済まされません。数億円の損害をもたらすこともあるのです。蛇足ですが、日本の電力供給の精度は、世界でも最高レベルを保っています。その供給があって、工作機械やロボットなどの精密機器が何の停滞もなく生産されているわけです。関東地方や北海道という広域の発電量と需要量を、調整する仕組みがあります。調整するために、火力や揚水といった調整電源が用意されています。太陽光発電を多用する場合、天候の急変や天候予測の誤差に備えて事前に発電機を温めて待機させる必要があるのです。火力発電や揚水発電は、使用するまでに一定の試験運転や温める準備時間が必要です。発電機を温めるエネルギーの待機量は、太陽光発電の導入量に応じて増大します。この待機量は、太陽光発電普及の隠れたコストとなっているのです。
 再生可能エネルギーで作られた電気を電力会社は、一定価格で買い取ることが義務付けるれています。このエネルギーの買い取りは、地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の排出を減らすことが目的です。太陽光発電の二酸化炭素の削減量1トンあたりの費用は、36,000円になります。これは、太陽光発電の売電を26円で計算したときの費用です。一方、二酸化炭素の排出量取引の市場価格は、1トン当たり2,000 円程度です。日本の太陽光発電は、世界的にみるとかなり高額になっていることがわかります。電気買い取りの費用負担は、電力需要家である家庭や企業が賦課金として払っているわけです。この賦課金の総額は、制度導入の発当初の想定を超えて増大し、現在2兆円を上回っています。
 再生可能ネルギーの弱点は、政府の補助金、助成金、固定価格買い取り制度に依存することです。補助金で支えられた再生可能エネルギーを、市場メカニズムとどのように共存させるかが課題になってきています。電力の安定供給は、大手電力が担うという慣習を変える時期にきているのかもしれません。農協のように農産物の自由化に、対応しようという姿勢が見えるようになっています。輸出を積極的に進めるために、苦しみながら試行錯誤をしています。電力会社も、電力の自由化を進めてはどうでしょうか。それも、国内の自由化だけでなく、海外の電力を輸入する会社が現れても不思議ではないようです。日本の電力の販売価格は、海外から見れば「垂涎の的」になるほど高く魅力的です。

秋田の発酵文化を売り込む  アイデア広場 その431

2018-12-26 17:17:49 | 日記

 秋田県が、周辺の観光地と組み合わせて「あきた発酵ツーリズム」を行うという記事を読みました。この県は、以前より医療関係の目的で訪日外国人を誘致してきた実績があります。人間ドックと観光を組みあわせた先進的取り組みを続けていたのです。今回の健康に良い発酵食品にターゲットを絞った作戦は、見事だと関心しております。秋田県は、日本酒、味噌、漬物、しょっつるなど多様な発酵食文化を持っています。これらを活用することは、当然の帰結なのでしょう。発酵文化は世界に広がっており、その違いや共通点を埋解し合うことは有意義です。
 そこで、秋田県内の発酵食品の生産現場の見学、飲食、製造体験を新たな観光資源に磨き上げる工夫にせまってみました。記事の中には、酒造りの歴史や酒造りに対する考え方、酒造りの様子を5分程度の映像にまとめるとありました。そこで、勝手に、映像を想像してみました。清酒は古くから寒造りといって、厳冬期に醸造されてきました。発酵槽である樽のもろみの温度が上がらないように、雪の積もる厳寒の気温が必要だったのです。温度が上がりすぎると、清酒発酵よりも先に乳酸菌が繁殖してもろみが台無しになります。冷凍機のなかった時代は、人為的に温度を下げることができませんでした。杜氏といわれる職人が、この温度管理をしながら、美味しい日本酒を創り上げていたのです。秋田の気候は、最適だったわけです。こんな映像をイメージしてしまいました。
 お酒には、麹菌が不可欠です。米、麦、大豆などの穀物にカビなどの微生物を生育させたものを、「こうじ麹」といいます。麹菌は、清酒、醤油、味噌、焼酎の醸造に欠かせない微生物です。西暦1300年の室町時代ごろ、酒造りのための麹を専門に造る技能集団(種麹屋)が現れ、酒造家に麹菌を供給するようになったのです。室町時代には、種麹屋の出現しました。種麹屋の組合である麹座が、酒屋に麹を供給する仕組みができたのです。種麹屋は、味噌や醤油の製這業者にも専用の麹を供給するようになります。世界から賞讃される和食は、新鮮な食材と一汁三菜を基本にしたバランスの良い組み合わから成り立ちます。ここには、漬け物や納豆などの発酵食品が添えられています。発酵食品は、微生物の作用で分解することの難しいタンパク質を分解して、栄養価を向上させる働きがあります。例えば、生大豆と大豆を発酵させた納豆は、タンパク質や脂肪の化学成分がほぼ同じです。でも、消化器系に入って吸収される割合は、はるかに納豆のほうが優れているのです。加えて、発酵菌の働きで、各種のビタミンが豊富になるという利点もあります。種麹屋は、和食の根幹を支える清酒・醤油・味噌製造の元締めとなって発展していく過程を取ります。こんな説明も加えてほしいものです。
 蛇足ですが、発酵菌などの微生物の純粋培養は、ドイツの細菌学者コッホが1870年代に寒天培地を用いたものが元祖とされるています。でも日本においては、14世紀の種麹屋が事実上の純粋培養と商業化を実現していたのです。現代でも秘伝の技の種麹が全国の酒造家に出荷され、吟醸酒などの醸造に用いられているということです。こんな内容が、5分のビデオに入りきるだろうかなどと思いながら、書いてみました。
 話は、観光に戻ります。秋田県は、大量の外国人を運ぶクルーズ船の寄港誘致に力を入れています。クルーズ船が、スムーズに寄港できる施設を着々と整えているところです。外国人の受け入れの対応能力も、スキルアップしています。訪日外国人客のために、英語や他の外国語の言語対応を推し進めています。ちょっと困ったことは、秋田県の人口が減少していることです。この言語対応ができる人材確保が、難しい環境にあるようです。そこで、提案になるわけです。外国人労働者の方に、ガイド役として協力してもらってはどうでしょうか。秋田県で働く外国人労働者の方も、現れてくることでしょう。中国やベトナムの方が、ホテルで働く機会も出てきます。農業に進出した企業で働く、外国人労働者の方もでてくるでしょう。彼らは、ある程度の日本を話せます。パーフェクトでなくとも良いのです。秋田の良さを、ベトナムの方がベトナムからきた旅行者に説明してもらうわけです。同国人で話し合い、説明するほうが効果的です。この仕組みは、個々のホテルや企業だけではつくれません。民間と行政、そして観光協会が協力しながら形作っていくものになるでしょう。
 ちょっと昔のお話です。清酒醸造の職人である杜氏と蔵人の人達は、季節労働者であり、夏は農業に従事していました。農作業を行う人々は逞しく日焼けした手をしていました。
ところが、清酒造りに携わる人々の手は不思議と白く、綺麗なことが知られていたのです。
麹菌は発酵の過程で、コウジ酸とよばれる有機酸を生産します。皮膚が黒くなるのは、メラニンという色素が沈着するためです。コウジ酸が、メラニン合成酵素であるチロシナーゼの働きを抑えることが分かったのです。この仕組みを利用して、美白剤が開発されました。今これが、化粧品として販売されています。秋田に色白の女性が多い理由を聞かれたら、こんなお話をしてみてはどうでしょうか。帰国の際に、化粧品を購入する動機になるかもしれません。


感情をコントールしてハッピーになる  スモールアイデア NO227

2018-12-25 16:17:57 | 日記

 人間が持つ感情には、喜び、高揚、幸感、快感、悲しみ、落胆、鬱、恐怖、不安、怒りなどがあります。感情を客観的に評価して記載するための概念が、「情動」と言われています。感情は日常的な場面で見られ、情動はちょっと学術的な場面で使われるようですが、同じようなものとして考えていきます。感情や情動は、生得的な反応です。でも、生活環境における経験や学習により書き換えられていく要素もあります。嫌いだったものが好きになったり、あるいは、好きだったものが嫌いになることは、人間なら誰しもあることです。もちろん、好きでも嫌いでもなかった中立のものが、好きになったり嫌いになったりする場合もあります。とすれば、トラウマの消去も可能と考えても良さそうです。
 そこで、感情の複雑さについて少し考えてみました。この感情には、喜びという単体で存在することもありますが、複合して現れることもあります。喜び、悲しみ、恐怖などがいろいろ入り混じった複雑な心理的状態になることもあるのです。悲しみの中に、喜びが同居することもありうるわけです。余談ですが、笑いが、精神的ストレスを無化したり軽減する働きのあることが研究のすえ分かってきました。喜びとか笑いという快の感情が、ストレスを軽減するというのです。そして最近の研究では、笑うより泣く方がストレスの発散には効果的だという報告まで出てきています。もし、笑って泣く状況に投げ込まれた場合、人間はどうなるのでしょうか。ストレス発散が、より効果的になる状況を生み出すかもしれません。それを具現化しているものが、落語なのです、落語には、人を笑いに誘い込み、泣かせるものもあります。複雑な感情を解明する武器に、落語が貢献するかもしれません。
 喜びと悲しみの複合は、ストレス拡散に非常に効果があることがこれからも明らかにされていくでしょう。お笑い番組やそれを支える芸人が、増加傾向にあります。テレビの主要番組は、彼らによって占められるようになってきています。テレビが報道と娯楽の役割を担っているとされています。娯楽は、ストレス発散を一つの狙いにしています。笑いと泣くという喜びと悲しみを取り入れることにより、世の中の人びとのストレスを軽減することも可能になります。この可能性をより高めることも、芸人の方の役割となっていくのかもしれません。
 心理学の方面からも、いろいろな知見が提示されるでしょう。例えば、異性とデートをする際に、お化け屋敷が選ばれるとしまう。この場所では、高揚と恐怖の感情が複合する状況が生まれます。高揚という情動が「上・中・下」の状態にコントロールできるとします。そして、恐怖も、「上・中・下」にコントロールできるとします。このとき2人の心理的距離を接近させるには、高揚が「上」で恐怖が「下」にすれば効果的と分かれば楽しいことになります。心理距離が接近すると言うことは、親しみが深まるとことを意味します。感情をコントロールできるお化け屋敷は、婚活の場所として活躍するかもしれません。



幸福の相対仮説・近代社会・幸福な状態  アイデア三題噺 180

2018-12-24 17:59:27 | 日記
  
 近代社会は、市民革命と産業革命、そして国民国家という3つの出来事から形成されてきました。進歩を良しとし、進歩のうちに生の充実を求める近代社会の感性は、現在でも社会の全体に浸透しているようです。このような進歩主義は、効率や迅速を求めます。時間単位で働くようになった社会は、経済的発展をもたらしました。でも、経済的には豊かさを増したにもかかわらず、幸福ではないという人びとも増えているのです。幸福は、必ずしも財産がたくさんあるとか、地位が高いとかに属するのではないようです。
 そこで、幸福とはどんな状態なのかというとことを考えてみました。相対仮説といものがあります。相対仮説によると、他人と自分を比較して他人より優位な状況にあれば幸福を感じます。自分が劣位にあれば、不幸を感じます。他人との比較をするから、自分の劣位が気になる心理状態です。この状態に留まる人と打ち破ろうとする人達がでてきます。格差の存在を容認し、自分が努力して上の位置に自分で上る人もいます。この上昇速度を助長する要因が、外からやってくる政治・経済・文化の波になります。これらの要因は、身近な幸福や不幸に大きく関与していきます。
 例えば、インドでは宗教的な価値観によって、上位カーストにバラモンが位置しています。でもバラモンの中にも、もたくさんのバラモンのサブカーストがあるのです。バラモン以外のカーストにも、たくさんのサブカーストがあります。このカーストの中で、少しでも上のカーストに這い上がろうとする努力をする歴史がありました。この上昇志向は、個人のレベルでも、あるいはサブカーストが集団で行うこともあったのです。イギリスの植民地時代に自集団の地位を向上させる運動をし、低位隷属民がバラモンと認めさせた事例があります。植民地時代は、戦争が絶えない社会でした。ヒンズー教徒は、牛の皮を扱うことを忌避していました。しかし、革製品は、軍事物資として不可欠のものです。この生産にたずさわる低位隷属民を、イギリス軍は必要としたのです。結果として、カーストの上昇という果実を得たわけです。蛇足ですが、日本においても、戦国時代には、革職人たちに対する卑賤観や差別観などが薄れていった事実があります。
 進歩主義は、平穏さを乱し、安らかさを壊す可能性を持っています。農村を基盤とした共同体の秩序が衰退し、個人の自由な生きかたが認められるようになりました。ひとたび自立した個人は、もはや自己を失って共同体に埋没することはなくなりました。競争や効率、そして迅速を求める風潮は、共同体において享受していた幸福とはうまく折り合うことはなくなります。
 でも、現代になり、進歩主義による経済発展が、人間の求める幸福を実現していないことに気づく人びとが現れました。安息や静穏を求める気持ちが、近代社会を経て、現代社会に至ってかえって強まってきたわけです。働くことに特化するよりも、心豊かな生活を送ることのほうが、価値があると考えるのです。幸福は、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然の摂理にかなった状態のようだと考える人が出てきたのです。幸福は華々しいものでも晴れがましいちのでもなく,必死になって求めるものでもない。他人と比較しなければ超然と生きていけるのではないか。そんな人達が、現れ始めているようです。