他人を責めるということは、
ほんとうはなかなか容易ではない。
責められる方もいやなら、
責める方も気持のよいものではない。
できればお互いに
責め合わないでいたいのだけれど、
神ならぬ身、
時にはやっぱり責めたくもなるし、
また責められて気のつくこともある。
だから、責める責められるということは、
人と人とが寄り合って
暮らしていくこの世の中では、
さけることのできない一つの
人間の宿命なのかもしれない。
「続、道をひらく」 著 松下 幸之助
これまで生きてきて
責められた事は何度も思い出す。
そして、責めたことも何度もあった。
今、忘れられないのは責めたこと、
責めた結果、確実に恨みをかった。
そしてその恨みはなんとも
ねじまがった仕返しとして降りかかる
という思い出が
切なく記憶から消えない。
だから、人生後半においては、
どんなことがあっても
責めてはいけない。と思う。
叱ることさえ、
できるならさけたいものだ。
責めること、叱ることは
得てして自分の価値観を押しつけること
でも責めること、叱ることを怠ると、
秩序を維持することが
できなくなることもあるが、
そんな事はもう
僕の仕事ではなさそうである。
早起き鳥
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