トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

きっついなぁ

2007-09-25 22:57:17 | ポエム
出会った人は通り雨。いつか誰かがくれたコメント。

とても温かい雨でした。

冷たく固くなった心を随分解かしてくれました。

時々あまりの温かさに意味もなく涙が出そうになりました。

会えて良かった。

あなたに会えて本当に良かった。

ありがとう。

そしてさようなら。

お元気で。

Kさんが転勤して行きました。

とても寂しくって、この別れは今の私にはとてもしんどいです。


スーパー銭湯

2007-09-24 21:31:45 | 子供
「あーちゃん、大きなお風呂に入りたい。ねえ、何時行く?今日は?明日は?」

私が休みになるたびにあーちゃんにおねだりされる。

私の家の近くに大きなスーパー銭湯がある。
あらゆる種類の湯船があり、天然温泉で軽く食事もできる。

娘はそこが大好きだ。
離婚前は結構家族で遊びに行っていた。

近くと言っても車で5分くらいはかかるため、歩いていくには遠く、
自転車なら行けるかなって感じだった。

でも私と娘が女湯に入ると息子が1人で男湯に入ることに
なる。
お兄ちゃんは「俺!ひとりで男湯なんてやだ!」と断固拒否。

あーちゃんをずっと宥めて抑えてきたけれど、遂に限界を超えて
「大きなお風呂に入りたーい。兄ちゃん1人が嫌ならお父さん呼んでーーー」大泣き。

困った。困ったと悩んでいると
フッと閃いた!

「そうだ。お兄ちゃんとあーちゃんが男湯に2人で入ったら。」

「そうだ!その手があった!」お兄ちゃんが大喜びで
「あーちゃん。兄ちゃんと男湯に2人で入れる?そしたら大きなお風呂に行けるよ」


「あーーー!そうか!入る。あーちゃん、お兄ちゃんと入る!」

3人でイソイソとスーパー銭湯へと出かけた。

チケットを買って中に入ると2人仲良く男湯に消えていった。

家ではよく2人で入って、お兄ちゃんはあーちゃんの頭も洗って
あげられるから、軽く言ったけれどやっぱりちょっと心配になった。

大勢の男ばかりのお風呂で恐がらないだろうか。
湯船が深くて溺れないだろうか。

体を洗いながら隣の風呂の様子に耳を傾ける。
特に泣き声も笑い声も聞こえない。

大丈夫かな?とちょっと安心して、自分も久々の銭湯に
のびのびとつかってくつろいだ。

そろそろ上がろうかなと思い脱衣所で着替えていると
どこからか子供の泣き声が聞こえだした。

その声はだんだん大きくなり、絶叫のような声に変わった。

最初はあーちゃんの声とは違うなと思ったけれど、ちょっと心配になり
絶叫から悲鳴のような泣き声になる頃には私の心はパニックになっていた。

きっとあーちゃんだ!
そう思ったらもう心配で体もそこそこに拭いて、頭もベシャベシャのまま
外に飛び出した。

すると男湯の暖簾をニコニコと笑いながらあーちゃんが出てきた。
私を見て「おかあさーん。あーちゃんね自分で頭洗ったんだよ!!」と
駆け寄ってきた。

「あれ。誰か泣いていたからあーちゃんかと思って慌てて出てきたんだよ」

「あれはねーー。赤ちゃんだよ」

「俺がいれてんだから、泣くわけねーじゃん」とお兄ちゃんが後ろからゆっくり
寄ってきた。

「大丈夫だったんだ。」
「当たり前!髪も洗ったし、体も洗ったよ。」と得意そうに言った。


あー良かった。本当に安心して、少し休んで家路に着いた。

家に着いてジーパンを着替えようと思ったら。。。。。

ジッパーが全開になっていた。

「ありゃーー。お母さん、あーちゃんの泣き声かと思って慌てちゃって
ジッパーあげなかったんだね。下着丸見えで帰ってきちゃったよーー」と言うと

お兄ちゃん
「あはは!かーちゃんドジだ!なんで心配すんの?俺を誰だと思ってんの?あーちゃんの兄だぞ!」と言って転げまわって笑われた。

全くね。いらぬ心配だったわね。トホホ。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう


明日があるさ

2007-09-21 23:06:38 | 
「今日はなんのお楽しみもない一日だったよー」とあーちゃんに添い寝をしながら
呟いた。

「大丈夫。明日があるよ。」そう言って私の背中をトントンと叩いてくれた。

そうだね。
今日は心が半分持っていかれちゃったように疲れた一日だったけど
もう終わったんだね。

明日があるね。

問題の先送り

2007-09-18 19:31:41 | 子供
息子の探し物をしていたら、鞄の中からずっと前に家でやっていた
宿題の提出物が出てきた。

息子に
「お兄ちゃん。これってこの前家で何時間もかけて仕上げた宿題じゃないの?
出さなかったの?」と聞くと

「うん。」

この宿題はグループで画用紙一枚ずつそれぞれに仕上げてまとめて本にするのだと言っていた。
しかし、グループの1人が息子の出した物が納得できないらしく
「これは駄目!書き直して」と言われ既に3枚も書き直していると言うのにそれでもOKが出ず遂に期限が間に合わなくて家にもって帰ってきた物だった。

家で2時間位かけて仕上げてようやく学校へ持っていった。
家に帰ってきて「やっぱりあいつに駄目だって言われた」と膨れっ面で言った。

「なんでその子が書き直せとか言うの?他の子は言わないんでしょ。先生に
これじゃあ駄目ですかって持っていって聞いてたら。先生が良いっていったら
その子も駄目って言わないよ。ねっ!」そう言って次の日に書き直さずに持っていったのだった。

でも結局息子は先生に聞いて先生に「駄目」と言われるのが恐いのと
またその子にブツブツ文句言われるのが嫌で出さなかったと言った。
そして私に見つかって怒られるのも恐くて鞄に隠していたのだった。

息子はこう言う事が多い。
何枚も漢字プリントが溜まってしまい、何時間もかけてやったのに
いっぺんに出したら怒られるからと結局出さなくて、面談の時に
先生に「提出物が出ていない」と言われてビックリした事もある。

やっていないのなら仕方ないけれど
何時間もかけてやったのに出さないのがなんとも腹立たしいのだ。

「出さなかったらやらなかったのと同じなんだよ。
何時間もかけてやってるのに勿体無いじゃない。通信簿にも未提出でバツがつくんだよ。」

出す時のちょっとの勇気が出なくて逃げてしまう息子が元夫と重なって
イライラとした。

説教しているうちになんだか元夫と話している気がして嫌になった。
結局出すか、出さないかは息子の問題なんだ。

「問題が小さいうちにちょっとの勇気で向き合って欲しい。
先延ばしにすると問題が大きくなってもっと沢山の勇気が必要になってしまうんだよ。」

それだけ言って後は任せる事にしたけれど
悶々とした気持ちはいつまでも晴れなかった。

今日も私の愚痴を聞いてくれてありがとう

ため息

2007-09-12 23:03:52 | 元夫婦
もうさぁ。本当にがっくりって感じだよ。

なんでうちに元夫のアパートの電話の契約解除通告のはがきがくるかなぁ。
自動車税の滞納通知もくるし。。。

元夫のダメップリを離婚してからも目の当たりにしなきゃいけないなんて
なんかもう、ため息しかでない。

メールで養育費の事を聞いたら
「会社から給料が遅れたり、出なかったりで転職を考えています」と返事がきた。

それと今月の面会の予定も聞いてみた。
「どうせ、俺の意見は採用されないんだから、そっちの都合にあわせた方が良いんじゃないの」と嫌味たっぷりで返信されてきた。

だから?なに?って思った。
養育費は入れられないって事?
これで納得してくださいって事?

面会の事も嫌味たっぷりでそっちの都合をって言ったのに
今日になって自分の日程をメールしてくる身勝手さ。

自分は何を言っても、何をしても許されると思ってるんだよね。きっと。

この、はがきで養育費はあてに出来ないと決定的になった。
親の責任として養育費はどんなに少なくても払い続けて欲しいって思ったけど。。。

こんな状態でも面会はしなくちゃいけないんだよね。
本当に子供を連れて離婚するって大変だね。

どうやっても元夫との縁が切れないんだから。

別れた男と繋がり続けるってこんなにシンドイとは思わなかった。

自分に問う。
子供を会わせたいか。

「会わせたくない」

自分に問う。
これからの養育費の事で話し合いたいか。

「話し合ったほうが良いと思うが、会いたくないし話もしたくない」

なんとか自分ひとりで育てられるくらい働けるようにならなくちゃ。
やっぱり、まだまだぼんやりしていられそうもない。

自分に問う。
「転職したいか」

「したくない」

やりたくないのにやらなきゃいけない事ばかり。
どうするかなぁ

今日は私の愚痴を聞いてくれてありがとう。




好きな事

2007-09-10 22:18:23 | 
今日は会社から帰ってから、あーちゃんとクッキーを焼いた。

甘い香りが部屋中に広がって凄く幸せな気持ちになった。

元夫と暮らしていたときも嫌な事があると気を紛らわす為に
お菓子やパンを焼いた。

出来上がったお菓子を息子やあーちゃんが嬉しそうに食べるのを
見ていると嫌なことを忘れる事が出来た。


離婚してからずっと忘れていた。
もう気を紛らわせる必要もないと思っていた。

でも私はお菓子作りやパン作りが好きだったんだと思い出した。

実は私はずっとパン屋さんで働きたいという夢があった。

だから仕事を探す時もずっとパン屋さんを探していた。
近所のパン屋さんで募集していて随分悩んだ。
時間が遅かったからだ。

そうしているうちになぜか事務の仕事になってしまった。
いつも事務じゃない仕事を探すのになぜか事務になってしまう。

これも何か意味があるのかなとか思う。

仕事も鎧をひとつ、ふたつ脱いでみた。
仕事中に笑ったりするなんてとか、Kさんとは距離を置かなくちゃとか思っていた。

でも少しずつ、あうんの呼吸が出てきて、Kさんのミスを未然で防ぐ事が出来た。
Kさんとようやく仕事を共有して処理できるようになって、任せてもらえる事も増えた。

そうやって自信がついてくると事務も好きなんだなとか思う。

こうやって好きな事を少しずつ思い出していこう。
私にも好きな事があったんだと思えてとても嬉しくなった。

ちょっとトンネルから抜け出せそうな気がします。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう

笹舟

2007-09-09 09:59:46 | 子供
あーちゃんが神経性頻尿になってしまった。
オムツが取れてから一度もおねしょをした事もないのに
保育園のお昼寝でおねしょをするようになった。

すがる様な目をして
「お母さん。大好き。お母さん。大好き」と繰り返えす。
「お母さんもあーちゃんが大好きだよ」と言うと

「抱っこが足りないの。おんぶも減っちゃったの」と言って
首にしがみ付く。

お気に入りのタオルにくるんで抱っこをして、おんぶをしながら
家の中を歩く。

相変わらず元夫の養育費が入らない。
連絡もない。

友達の家に遊びに行ったら、旦那さんが早めに帰ってきてしまった。
友達の子がお父さんにしがみついて甘えていた。

帰り道「あーちゃんもお父さんに会いたい」そう呟いた。

お兄ちゃんもイライラしていて、あーちゃんに「あれして。こうやって」と命令して、言う事を聞かないあーちゃんに逆切れして叱ってばかり。

小さなあーちゃんの心はぺしゃんこになりそうだったのだ。

私は自分の渇望感に振り回されて、あーちゃんの痛みに気がついてやれなかった。

ある物をあるがままに受け入れられる自分になりたい。


夫という泥舟に繋がれた鎖を解いて、私は笹舟で漕ぎ出した。

子供達は流れのままに揺れる私の笹舟に必死にしがみついてきてくれた。

灯台も見えず、帆も立てず、
ただ流れるままの笹舟は、いつ沈むかもしれないのに。。。

子供達は私を信じてしがみついてきてくれた。
私はその事を忘れてはいけないのだと思った。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう


刺激

2007-09-02 19:14:22 | 
私は刺激を求めて彷徨い歩く。

子供の頃から、全てが無だった気がする。
誰も私に刺激を与えない。

楽しい事も悲しい事もない。
寂しいという感情だけがいつも渦巻いていた。

誰も私に気がつかない。
大声で泣いても誰も振り向かない。

地団駄を踏んで怒っても誰も相手にしない。

まるで生活に色がなかった。

誕生日も誰も祝わない。
姉の誕生日も知らない。
弟の誕生日も知らない。
誕生日を祝う事を知ったのは小学校に上がってから。

友達が誕生日の次の日に自慢げにプレゼントを見せた。
その時初めて誕生日を祝うのだと知った。

私は自分の誕生日も知らなかった。
毎年自分の誕生日に母に「今日は何の日か知ってる?」と聞くと
「さぁ?何の日だっけ」と言われた。

誰も私におめでとうとは言わなかった。
私も誰の誕生日にもおめでとうとは言わなかった。

クリスマスもない。
サンタクロースはうちには来ない。
サンタクロースと言う存在すら小学校に上がるまで知らなかった。

お雛様もなかった。
友達の家の五段飾りのお雛様が綺麗で、可愛くて何度も何度も見に行った。

楽しい刺激など何もなかった。

毎日恐怖に怯えるわけでもなかった。
父は恐い存在だった。
何時怒り出すか分からなかった。

でもその殆どは無視だった。
私達兄弟は部屋の片隅でジッと静かにしている限り
怒られる事はなかった。

父が帰ってきたら布団にもぐって寝るだけだった。

どんなに学校や友達の悩みを抱えても相談する人はいなかった。
相談しても母の背中が振り向く事はなかった。

自分で解決しなきゃ。
頼れるのは自分だけ。

泣いたところで誰も気がつかない。
遠くで「ちっこは何を泣いてるの?」と聞こえる時はまだマシ。
様子を見に来て「どうしたの?」と聞いてくれる事は一度もなかった。

ただ、虚しく、自分は無用の存在に思えた。
刺激が欲しい。
自分が活躍する場所が欲しい。

生きている意味が知りたい。
親にすら誕生日を覚えてもらえない自分。
抱かれた記憶も、膝に乗った記憶もない。

なぜ生まれた?
どうして自分はこの世に生まれたのだ?

ずっと、ずっと想っていた。
「神様、なぜですか?なぜ私はここにいるのですか?」
何度も真っ暗な空に聞いた。

悲しくもない。
苦しくもない。
楽しくもない。

だから私の感情は飢えていた。

心のそこから怒りたい。
心のそこから泣いてみたい。
心のそこから喜んでみたい。

そうして、私は夫と出会った。
夫との生活はジェットコースターのようだった。

苦しいと言いながら満足していたのだ。

今、夫を失って私は新たな刺激を求めだした。
だから、毎日がこんなに苦しいのだと知った。

穏やかな毎日は私に恐怖を呼び起こさせる。
駆り立てられる渇望感は私を蝕んでいくだろう。

心の奥底に深く深く沈んでいた扉が今開いた。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう








気づき

2007-09-01 09:14:28 | 
依存症者気づかない。

「前の私はこうだったけど今は違う。私は治ったんだ。変われたんだ」って変わったところ探しをする。

依存症者は気づかない。
自分で自分を隠しているから、変わらない部分には目を向けない。

依存対象が変わったから行動が変わっただけなのに、回復したんだと思い込む。

依存症者は気づかない。
だって否認の病気だから。

現実に目を向けられない。
的外れな回復へ向かっていく。

私は何も変わっていない。
ただ、対象が変わっただけ。
違うものに依存しているだけ。

治ったなんて思い込みだよ。
夢の中を泳いでいるだけ。

心の奥底を見つめてごらん。

沸々湧き上がる恐怖が見えるでしょう。
ほら。見えるでしょう。