トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

前向き

2007-02-27 20:34:52 | 子供
「お父さんとお母さんはもう一緒に暮らせなくなった。お父さんが別のおうちに住んでお母さんとあーちゃんとお兄ちゃんがこの家で暮らすことになったんだ。」

そう息子に告げた
大きな目からみるみるうちに涙が溢れ、声も出さずに泣いた
夫と明るく話そうと約束していたけれど結局3人で泣いた

それから毎日息子は布団に入ると
「離婚するの?嫌だ。また再婚する?」と毎日泣きながら聞いてきた

息子が眠りにつくまで私はあらゆる言葉を尽くして説得した
「たとえ離婚してもお父さんとお母さんには変わりないからね。
大丈夫。みんなお兄ちゃんを見守っているから。困った時はみんなが助けてくれるから。おばあちゃんも叔父さんもみんなお兄ちゃんを見守っているから」

シクシクと泣く背中を何度もなでながらようやく眠りにつく

昨日も息子は「ちょっと離れるだけでしょ。また暮らせるでしょ」と同じ事を繰り返す

「お兄ちゃん、ずっと先の事は分からない。もしかしたらそういう事もあるかもしれない。でも今は無いという事しか言えないんだよ。
期待を持たせる事は言えないから。今は分からないとしか言えないんだ。」

また大粒の涙がボタボタと落ちる
2人で鼻をかんだ
何とか納得する返事が欲しくて懇願するように見つめる息子の目が痛かった

「お兄ちゃん、納得できない事は納得できなくて良いから
無理に分かったりしなくても良いんだよ。

離婚なんかしてお母さんもお父さんもバカヤロウでも良いんだよ
どんな風に思っても良いからね

少しずつ慣れて行こうよ。3人の生活にさ。
すぐは無理だよ。お母さんだって無理。
だから3人で楽しい事や嬉しい事を計画してさ3人で楽しく協力し合って
生活できるようにちょっとづつ慣れて行こうよ。」

これ以上はもう言葉にならなかった
分かって貰えなくても良い。
受け入れられるまでちょっとづつ慣れていくのを見守ろうと思った

息子の坊主頭をなでながら眠りについた

朝起きると新聞配達から戻った夫が入ってきた
夫も辛いのか朝は特に落ち込んでいる
話し合いの度に泣く

すぐ着替えて出かけようと支度を始めた

「もう行くの?」と聞くと
「俺、牛乳配達も始めたから」と言った
振り向くと目が真っ赤だった

「そう。」としか言えなかった
「牛乳配達もして家計を支えようと思ってたのに」と恨めしそうに見る

「だから。もう少し様子を見てくれても良いのにって思ったんだんね」と言った
「そうさ。まだ受け入れられないんだ」と言って泣きだした

「お父さんさ。辛いのは分かるよ。でも辛いのはお父さんだけじゃない。
毎日夜になると寝付くまでお兄ちゃんは泣いているんだよ。
お兄ちゃんと毎晩2人で泣きながら話しているんだよ

どんなに話してもあの子は「分かった」とは言わない
「また再婚する」とか聞いてなんとか自分を保とうとしているんだよ
昨日もお兄ちゃんに
「もう無理に納得しなくても良いからね。3人で少しずつ慣れようね」って言ったんだよ

お父さんも少しずつ慣れていこうよ。すぐにすっきり前向きって訳にはいかないかも知れない。当然だよ。納得できないところはそれで良いじゃない
少しずつ慣れていこうよ。」

「お兄ちゃんがそんな事言ってたんだ・・・・」それからずっと夫は無言だった

夜に帰ってきて「新しく住むところを仮押さえしてきた。でも無収入だから審査が通るか分からないけれど、日当たりの良いところだったよ」と幾分明るく話した

夕飯を食べ終わると息子が自分の食器を台所へと運び出した
「お!お兄ちゃん凄いな。いつもは言われないとやらないのに」と夫が褒めた

「うん。お母さんと3人の暮らしに少しずつ慣れていこうって話し合ったんだ。だからその練習なんだ」と言った

「子供の方がずっと前向きだよね」と夫に言うと
「本当だな」

「負けられないよね」
「そうだな」

今日は離婚届を貰ってきた

見えない不安はいっぱいあるけれど、まっすぐに前を向いて
お互いがこれで良かったと言える日を目指して、私達家族は今日も一歩を踏みしめる


今日も聞いてくれてありがとう


決断

2007-02-23 22:25:29 | 元夫婦
親に相談した事、親も実家に帰る事を勧めてくれている事を夫に話すと
観念したかのように離婚に前向きになってくれた

「もう、後は子供達の親として良い方向に、少しでも子供の傷を増やさないように責任持って行動しようよ。罵りあったり、怒鳴りあったりじゃなくてさ
私も普通にご飯も作るし、普通に振舞う。だからお父さんも不貞腐れたり
部屋に篭ったりせずに話し合うとき意外は普通にしようよ。

お兄ちゃんには2人で揃って報告しよう
そしていつまでも親でいる事は変わらないし、離れても大丈夫だと伝えよう」
そうお互いに話し合った

それから夫は普通にしている
私も普通。息子が学校へ行った後に話し合いを進めている

夫は出来れば息子の転校を考えて、俺が出て行くから
子供達と此処に住み続けて欲しいと言う。
でも此処は舅名義の家。
ローンも姑の通帳で管理している

夫に養育費代わりに払い続けてもらえば援助を受けて暮らせない事もない
夫の言葉の中に「いつかは戻れるかもしれないし」と何度も出てくる

近くに住んでいればいつでも会えるとか
また再婚すれば良いとか。。
まだ夫も現実を受け入れられないのだと思うけれど。。。。

此処に住む限り断ち切る事が出来ないんじゃないかと思ってしまう

息子の学校の事を言われると悩む
息子は入学してから特定の友達がなかなか出来なかった
五年生になって初めて気の合う友人が出来て本当に楽しそうに通っている

やっと出来た友達と離れ離れにしてしまう事がとても辛い

母は春休みに帰ってきてその時に話し合って結論を出せば良いという
春休み中に決まればそのまま転校となる
息子の友達とお別れも出来ないまま転校となってしまうのだ

出来れば春休みまでにどうするか決めたい
実家か。此処か。

どうする?ちっこ。
子供には転校しない方が良いだろう
娘には母が側についてくれていた方が安心。。。。

自分は?
実家に帰ったとしても落ち着いたら独立したい
子供嫌いの父との生活はそうは持たないだろう

子供も母がいれば寂しさは軽減される
学校や仕事が落ち着いたら実家の近くに引越ししたいと考えている

明日、息子に話すつもりだ
親が気持ちを固めなければ子供も不安になる

しっかりしなくちゃ
いろんな選択があるのはありがたい事。

どれが良いか、明日まで寝ないでも考えようと思う
此処が正念場。

きっと上手くいく
そう自分に言い聞かせるのだった

今日も聞いてくれてありがとう





最終段階

2007-02-21 15:45:04 | 元夫婦
あーちゃんはやっぱり水疱瘡だった。
小児科の先生に「おめでとう。水疱瘡です!」とニコニコして言われちゃって
気が抜けた

面接の結果は駄目だった
経験者の方がいたからと言うのが理由だけど、夫の事がネックになったのかなと思った

娘の認可保育園の申し込み締め切りが二月末まで
仕事は決まらなかったけれどとりあえず必要な書類だけ
揃えておこうと夫と話していた

貰ってきた必要書類を見て夫が
「俺の在職証明は取れない」と言った
「何で?じゃあ自営の証明は?」
「それもない。」
夫の今の状態はフランチャイズの権利も持っていないし、友達と雇用の契約も結んでいない

ただのお手伝い。いわゆる無職
夫は自分で保健所に聞いてみると言って電話を掛けた

保健所の人に「働いているとは言えないので、申し込みは出来ない。
確定申告をして税金がゼロだったらお互いに求職活動で申し込み出来ます。それか権利を買って自営の証明をだすか、友達と雇用契約を結んでいただくかです」と言われた

「どうするの?」
「フランチャイズに100万払うか」とのんきに言った
「もう。そんなお金残っていないよ。もうさ。普通に就職したら?」

「だって探してもなかったじゃないか。また頭下げて探すのか?」
「もっと探せたと思うよ」

あー。はあ。とため息ばかりつく夫
「どうしたら良いんだ。。。」
「何が?」
「円満にさ。」
「お父さんの円満ってなに?」

「売上が上がって、家族仲良くさ」
「売上上がらないじゃない」

「だから待ってるんだろ!三月まで一個も売れなかったら決着つけるって言っただろ」
「注文が来るのを待つだけなの?」
「他に何が出来るんだ。だから少しでも収入にって毎日新聞配達してるんだろ」

その後もお前は分かってくれないとか
存在そのものを否定されているとか
グチグチと言い出した

「もうさ!良いよ。お父さんさ!好きなようにやりなよ。私が子供達を育てるよ
何の心配もいらない。もう1人で頑張って好きなようにやりな!」
勝手に口から言葉が溢れた

もうホトホト愛想が尽きた
「すぐそうやって言うんだからな!」と怒り出した
これは冗談ではない。本気なのだ。

今までのようなハッタリとも違う
本当にもうついて行けない

「今までずっと見てろって言うから、退職の時も、就職活動の時も
その間に借金が発覚しても、フランチャイズを始めても、見てきたよね
もう十分見てきたよ。認めて来たよね。でももうさ限界だよ
お父さんの話は全然分からない。待っていれば売れるとか
一個出れば次々出るはずだとか。そんなのわかんないよ

新聞配達を頑張っているよね
でも、それで、見守れって言われてももう出来ない。
分かり合えないよ。

お父さんも私の話を分からないでしょ
私も分からない
何度話しても同じだよ。

ほらね。また私の独演説だ。
傷つけあうだけだよ」

夫は暫く黙って見ていたが
「もう。いいや」とか細い声で呟くと出て行った

罪悪感は湧かなかった
思いっきり鍵をかけた
「もう。沢山なんだよ」心が叫んでいた

すぐ母に電話して「もう3月になったらそっちに行くわ。もう駄目だわ」と今までの話をした
母は「分かった。近いうちにそっちに行くから。それまで頑張れ」と言った

夫が出て行くか、私が出て行くかはまだ決まらないけれど
もう未練はなくなった

どっちでもいい。
もう夫とは暮らせない

子供にも話す決心がついた
私は間違ってなんかいない。

今日も聞いてくれてありがとう

なんだか疲れました

2007-02-19 22:12:25 | 元夫婦
今日は面接でした

仕事の内容を聞いてちょっと恐々状態になっています
でも時間も条件も良いので決まると良いなと思いました

面接で夫の事を随分詳しく聞かれました
もしかしたら任意整理が分かってしまったら受からないかもしれないです

それはそれで仕方ないけれど。。。ちょっと凹みました

その後すぐ娘の認可保育園の申し込みの説明に行って
いろいろ話を聞いてみた

去年の半分はサラリーマンで今回は自営。
確定申告もしなければいけないし、用意する書類も結構あって
またまた落ち込んで。。。

その後歯医者に先に行ってるお兄ちゃんを迎えに行って
待つこと1時間
外はもう真っ暗で急いで買い物を済ませて帰ると
もう夫が帰ってきていて寝巻きを来てくつろいでいました

すぐ食事、風呂と済ませて娘の体を見るとポツポツと水疱が!!
水疱瘡かも。。。
保育園に入れてすぐ風邪を引いてしまった娘

ひどい鼻水と咳がようやく収まったと思ったら。。
水疱瘡だけ予防接種をしていなかった。
風邪が治ったら受けようと思っていた矢先に

あーー。まだ仕事が決まる前で良かったのか?
なんで水疱瘡だけ残して忘れてたのか。。。

夫の事で悩む事が多い中
怒涛のように押し寄せてくる日々の出来事たち

いったい私は何をやっているのでしょう
自分で自分が分からなくなりそうです

仕事。育児。離婚。借金。依存症。
神様、お願い。もう荷物は持てません。。。。

せめて一つずつにしてください。

今日も聞いてくれてありがとう

夢と現実

2007-02-18 20:03:53 | 元夫婦
「俺は家族を大切にしているかな」と言った時の事を思い出した

私が離婚の話を切り出したきっかけとなった言葉。。。

夫はあの時まだ自分が家族を大切にしているのか
粗末にしてしまったのか分からなかったんだなと今頃思う

夫は今までの生活の中でも私が友達とトラぶったり、
ご近所とちょっとしたいざこざがあったりして夫に相談したり
愚痴ったりすると
「ちっこに嫌な思いをさせる奴は許せない」と、怒り出し
私が友達と揉めているのに夫も参戦してめちゃくちゃになってしまう事が
何度もあった

「家族が1番大事だ」
「家族に何かあったら誰だろうと許せねー」とかいつも熱く語っていた

でもさ。
1番私を苦しめて家族を窮地に追いやっているのは夫自身なのだ

その事に全く気がつかず、今起こっている現実を全く見ようとしない

いつか売れれば。来月は頑張る。お金を貯めてハワイへ行きたい
そんな夢を語り続ける

夢は良いし目標も大切だと思う
でも努力あってこそじゃないだろうか

「雪が降ったとか」「腰をちょっとひねったとか」言っては
早く帰ってきたり、「この時間は何処へ行っても話を聞いてもらえないから」と
昼を食べた後いつまでもテレビを見ていたり。。

普通に土日も休んで普段は五時上がり。
自営って人が休んでいる時に働かなきゃ絶対生活なんか出来ないと思う

友達が新聞配達を始めた夫に「生活費は借りてでも仕事に打ち込むべきだ」と言ったそうな

夫は「任意整理しているから借りれないんだ」と言ってやったと胸を張って報告されたけど、もし自営で食べていくならそれくらい覚悟して打ち込まなきゃ駄目なんじゃないの?って思う

少しでも買ってもらえるように工夫するとか勉強するとか全く努力もしないで
ただ夢ばかり見ている

前の会社の時も年1回昇進試験と言うのがあった

一度実績が売上達成十ヶ月と言う事があって、上司からも今年の昇進試験は
楽しみだねとハッパを掛けられその気になっていた

でも不況と重なって見送りとなった

夫はその時の事をずっと根に持っていて
「十ヶ月達成しても受からないんだから、何やったって受かるはずがない」とその時から毎年同じレポートを出し続け、勉強もせずに受けては落ちた

夫が落ちて後から入った人はそれなりに昇進していった

夫は「俺は嫌われているから、どうせ受からないから」と言っては
受かった後輩を毒づいていた

夫はその時もいつかはと夢だけを見ていた
夢を見て現実を見ず。
努力もせず。

夫は精神科の予約をしたと言った
そして「受けたくない」と落ち込んでいる

私は明日の面接の為に心がいっぱいで夫に気持ちが向かない
今日も一日中掃除したり、子供の散髪をしたりと夫に構っている暇がなかった

背中が痛くなって横になっていると「大丈夫?」と声をかけてきた
夫と話をしたくなかった
自分の事だけ考えたかった

だから「大丈夫」と言って後は黙っていた
お兄ちゃんが背中を揉んでくれた

それを見て夫は「俺が気遣って言ってやったのに兄ちゃんに頼むのか」と訳が分からない事で怒って寝てしまった
私が思うような声をかけなかった事で拒絶されたと思ったのだろう

もう夫がどう思ったとか、どうでも良くなってきた
夫が好きなように振舞ったら良い
ただ私はその気分に振り回されない

夫に精神科に通うも通わないもあなたの自由だと言ってやりたくなった
そしてそのあなたに付き合うも、付き合わないも、私の自由だと忘れないでと心の中で呟いた

今日も聞いてくれてありがとう

合わせ鏡

2007-02-16 20:36:57 | 元夫婦
家で掃除をしていると電話がなった
夫からだった

最近の夫は新聞配達の他に牛乳配達もすると言い出した

何でも昼間お客さんと会うのは午後からが多いとかで午前中の空いた時間を
他のバイトを入れようとしているらしい

今日は新聞配達のあと牛乳配達の研修みたいなのを受けると出かけて行った

「新聞配達してさー、チラシの入れ方が悪いとか、新聞の数え方が悪いとか
いろいろ言われちゃったよ。「違いますよ。こうですよ」ってさ
分かってんだよ。でも出来ないんだから仕方ないだろって思ったさ。
それに偉そうに「それじゃ、駄目だ」とか言われてさ。うるせーっての」
と散々私に愚痴っていた

「ふーん。大変だったね」と気のない返事をすると
「そして牛乳屋がさ、試しにこれを配りませんか?って言うからさ
はあ。良いですよってやってやったんだ。」これまた馬鹿にしたように愚痴る

「そう。。。。。」と返す言葉もなく黙って聞いていた
だんだんイライラして早く電話を切りたくなった

それからもずっと愚痴っているから返事もしないで黙っていたら
「じゃあ。もう少しで帰るわ」と言って電話が切れた

夫と話しているといつも見下されているような気分にさせられる
友達と話している夫の姿もいつも友達を見下しているように感じる

いつまでも友達の失敗談を引き出しては笑いものにしたり、馬鹿にしたりする

お客さんの所へ行った話も「何時間も待って説明してやったのに断りやがった」と文句ばかり
お年寄りに売る事が多い商品なのに、道行く老人に「ジジイ、タラタラ歩くな。邪魔くせー。」と毒づく

「お年寄りに冷たいよね」と言うと「嫌いなんだ」と吐き捨てるように言う
それじゃあ、売れないよなと心の中で呟く
どんなに隠しても相手に心は伝わるはず
「早く病気になって俺の商品を買ってくれ」なんて言う人から買うはずもない

いつもそう思っていた

もっと聞いてもらえて有難いとか
感謝とか謙虚とか夫にはないのかといつも思う

電話が切れて思わずため息と共に
「なんでそんなに偉そうなのかね。仕事をさせてもらってるとか、教えて頂けてるとか謙虚になれないのかね。」と呟いた

すると頭にふっとある言葉が浮かんだ
「今、見ている相手はあなたの合わせ鏡。相手にあなたの姿が映っているのです」

ハッとした
誰でも彼でも見下している夫の姿は
夫を見下している私の姿だった

夫が自営を始めると言い出してから一度とて成功すると思えなかった
「夫になど出来るはずない。すぐに飽きて放り出すに決まってる」
見下していたのだ

そしてなかなか諦めない夫にイライラして
心の奥底では「売れなきゃ良いのに」と思っていたのだ

どんなにグチグチ言っていたとしても、夜中の3時に吹雪の中を新聞配達に出かけた夫に私は感謝しただろうか

夫は新聞配達を馬鹿にしてるんだと毒づいたが私もどこかで
月に3万5千しか貰えないなんて焼け石に水だわと思ってはいなかっただろうか

合わせ鏡の向こうにお金の計算ばかりしている浅ましい自分が映っているようで
ぞっとした

空を見上げると青空に雲が流れていった
私は生きている事に感謝しているだろうか。

今、こうして暖かい部屋にいられる事を感謝しているだろうか

明日は夫の靴をストーブの前に置いて暖めておこうと思った

今日も聞いてくれてありがとう







ずるい

2007-02-12 15:45:56 | 
私は混乱すると紙に気持ちを書きなぐる

紙に書いているともう一人の自分が出てきていろいろ応えてくれる

昨日も私は紙に書いていた
最後に文字に現れたのは「ずるい」だった

散々話し合ってあらゆる条件の下でやってみようとなった
本当に話しあった
夫と話していない間も心の中で何度も夫との会話をシュミレーションし続けた

どうしたら夫に伝えられるだろう
上手く別れ話を進められるだろう

お互いに前向きになれるように話し合いたい
もう傷つけあいたくない
罵りあったり逆切れしたりしないように話を進めたい

夫と話し始めると必ず襲ってくる罪悪感
夫がちょっとでも「そうだなー。俺が悪いんだな」といえば
「いいえ。悪いのは私なんだ。」と言葉が喉から出てくる

そうするとまた初めから話が戻ってしまうのだった
夫に「なんで自分を責めるの?」と聞かれた
自分が悪く思えてどうしようもない

全ては自分がまいた種なんだと思えて逃げられない

ノートに書いていくと
「だって嫌われたくないから」と言葉がでた

そう嫌われたくない
誰にも。どんな人にも私は嫌われたくなかった
子供の頃から「ちっこちゃんなんか嫌い」と言われるとこの世が終わるかと思うほど落ち込んだ

どんな事をしてでも好かれたい
友達の評価を上げたい。
その衝動を止められずどんな嫌な要求も受け入れた
相手が喜ぶような嘘も平気でついた

そして次に浮かんだ言葉
「だって傷つけたくないから」
誰かを傷つける。自分の言葉で誰かが傷つく事が何より恐かった
幼馴染の友達は体が不自由だった

小学校から普通校に通った為、階段が登れない
足が遅いなどとからかわれ傷つけられていた

友達は気丈で言われたら言い返し
時には殴りかかっていく事もあった

同級生達は最初はからかっていたが、彼女の頭の良さやその都度彼女が
必死に訴えた事で、反省してからかう事はなくなった

それでも低学年の子は好奇の目で友達を見てはからかい傷つけた

私はその友達を励ましたかった
気丈にしていても傷ついている事が分かったから
ある時その友達に
「ちっこちゃんの言い方が1番傷つく」と言われた事があった

その言葉にとてつもなく傷ついた
人を傷つけると自分も傷つく
自分は駄目な人間に思えてくる

だからもう余分な事は言わずにいよう
返事をする時は良く考えて考えて話をしよう

そうして私は話すことが出来なくなった
どんな言葉も人を傷つける気がして恐くなってしまった

どんなに悲しんでいる人を見てもその悲しみを理解できない
どうやって慰め、励まして良いか分からない
私のせいでもっと悲しみを深めてしまったら。。。
そう思うとどんどん相手と距離をとってしまうようになった

嫌われたくないからとことんやってしまう
傷つきたくないから相手が傷ついている時は近づかない

夫と話しているとその状況がいっぺんにやって来る
別れ話だって言うのに「あなたには他に悪いところはない」とか
「あなたが全て悪いんじゃない」とか

普段は「あんたのせいでこうなった」と心の中で毒づいているくせに
夫が傷ついた目をすると「ギシギシ」と心が悲鳴をあげた

そして最後に浮かんだのが「ずるい」だった
最後まで嫌われず、自分は傷つかずに話し合いたいと思った事が
間違いだったのだ

私はずるい。
自分を守る事ばかり考えていた

「あなたの為に別れた方が良いと思うんだ」
そんな上っ面の言葉が夫に通じるはずもなかったのだ

嫌われる事も傷つく事も恐れず立ち向かえるようにならなければ
本当の結論にはたどり着けないのだと気がついた

今日も聞いてくれてありがとう



背中

2007-02-10 10:43:56 | 子供
娘が保育園に行った初日。
泣かずに遊べただろうか。
お弁当は食べれただろうか。
トイレは失敗しなかっただろうか
とあれこれ考えながら迎えに行った

予想を裏切って娘は元気に遊んでいた
先生も泣いたのは最初だけでしたよと言った

外へ出てすぐに娘は「おんぶ」と言った
ずっしりと感じる背中の重みが暖かくなんだか泣きたくなった

「あーちゃん、楽しく遊べた?」
「うん。楽しかった」
「あーちゃんは凄いね。お母さんびっくりしたよ。あーちゃんは強いね」

「あーちゃん、強い?」
「うん。強い強い。お母さん凄く嬉しい。お母さんも強くなりたいな」

「お母さんも頑張って強くなってね」

誰も知っているお友達もいない保育園にいきなり6時間も置いてかれたのに
娘はその時間を目いっぱい楽しんでいた

与えられた情況をすばやく受け入れ、その中で楽しむ事を忘れなかった娘の
心の強さに感動した

強いとは耐え忍ぶ事ではなくて与えられた情況を受け入れ、楽しむ事ができる心なのだと教えられた。

孤独と孤立

孤立とは1人の時間を心配や不安で埋め尽くし心を一人ぼっちにしてしまう事
孤独とは1人の時間を楽しみ、生きる活力を養う事が出来ること

最近読んだ本の一説。

あーちゃんのいない時間を私は孤立していた
1人の時間を持て余し不安と心配で埋め尽くしていた

昨日、私はあーちゃんを置いた後婦人科検診に行った
懐かしいあーちゃんを産んだ病院
エコーを受けながらあーちゃんが入った袋を見つけて涙した時の事が思い出された

家に帰って久しぶりにフェルトを作成した
ずっと心が重くてやる気が起きないでいた
いろんな事が重なって、作品が作れず4月のショップも断った。

チクチクと縫っていると心が落ち着いた
散々悩んで迷って結局同じ位置に戻ってしまった自分に
自己嫌悪に陥ったけれど、これも自分なんだ。まあ良いかと思えた

私はまだまだなんだなと受け入れられた
このじたばたも無駄じゃなかった
薄皮一枚かもしれないけれどきっと強くなれた。そう思える

ずっと資格に拘った仕事を探していたけれど、どんな仕事でも良いと思えるようになった

夕方前の務めていた会社の事務所から面接の連絡が来た
条件が合うようなら採用しても良いみたいに言われた

雇ってもらえたところが縁があるところ
また一歩。

行ったり、戻ったり、立ち止まったり、
落ちたり、上がったり、忙しい私の一歩

晴れたり、曇ったり。。。。それでもこれが私の一歩

今日も聞いてくれてありがとう













風船

2007-02-08 15:00:05 | 
あーちゃんはすっかり保育園にも慣れ先生に「本当に嬉しそうに遊びますね」と言われた
娘の順応性に本当に感心してしまった
あんなに泣いてたのに。。。とちょっとやきもち。

この数日間夫と話した
とにかく話し合った

もう頭痛がしてもう辟易してどうでもよくなりそうだったけど
とにかく話した

夫も離婚や別居。とにかく離れた方がお互いの為になると意見が一致した

じゃあこれからの住む所は?
子供達の事は?
この家の事は?
いろいろ決めていくとまたやっぱりどうする?って話が戻ってしまう

お互いがお互いを干渉しすぎて駄目にしてしまっているんだよね
こんな時舅のアルコール依存症の話が本当に役に立つ

舅のアルコール依存症の症状とあわせて行くと
夫の病気の事も私達の関係も紐解くように見えてくる

だから離れた方が良いんだよねと2人で納得する
でも何度話し合っても他に方法はないのだろうかと逆戻り

お互いが切れる事もなくまるで旅行の計画のように話し合いを進めた

夫が遂に痺れを切らして
「もう順番にやってみない?」と言った

まずあらゆる条件を出して同居して。
それで駄目なら別居して。
それで駄目なら離婚。

じゃあどんな条件なら同居?

私は「とにかく夫に病気と向き合って欲しい
新聞配達してるから大丈夫とか、悪い気持ちが湧かない様にいろいろするからとかじゃなくてカウンセリングなり自助グループに通うなり自分と向き合って欲しい」

夫は「とにかく経費をもう少しスムーズに出して欲しい。金額を多めにして
明細とかハッキリさせるし残ったら戻すように努力するから」

「何に使われているかわからない事が辛いからそこをはっきりさせてくれるなら
金額を多めにしても良い。」

じゃあとにかくこれでやってみてどうしてもお互いに息苦しくて駄目だったら
別居を考えようと言うことになった

その間に私は仕事を探して基盤を作っていく
夫もこれからの新聞配達の事やフランチャイズの事をはっきりさせていく

これで今回は一応終わりになった

強く望んだ離婚とは違う結果になってしまったがこれだけ夫と話し合ったので
後悔はない

自分の中で「もう尻拭いはしない。次があったらGO」という柱も揺らいでいない

夫が本当にカウンセリングに通うかどうかは分からない
私に調べるように言っていたけれど調べた紙を渡したら後は放って置こうと思う

私は私の回復をしたくなった
こんな風に夫の行動に振り回されている自分がつくづくおかしいんだと気がついた
夫がどうしようと関係ないさ!
私は私で生きていくんだって思えたらどんなに楽だろう

次の準備の為に心の回復も必要なんだと感じた
夫ががっくりと肩を落とした姿に自分の罪悪感が押し寄せて気が狂いそうになった

自分を責めてしまう癖は結局夫から責任を取り上げてしまうのだ
私は悪くないのにどうして自分を責めてしまうのだろう

そこを回復したい
「話して」「聞いて」「歩いて」共依存は回復を目指すと聞いた

私の安全な場所を探そうと思った

今日は気の抜けた風船のようになっている
疲れてなんだかバイト情報も見る気がしない

息子を生む前にずっと務めていた会社の求人情報が載っていた
思わず履歴書を送った

そこは時間も良いし、前の仕事も知っているし。。。。
資格とは関係ないけれどそこに入れたら良いなぁ

他にもいろいろあるんだけど35歳までって書いてあるとどうしても引いてしまう
もっとどんどん履歴書とか電話とか掛けると良いんだろうな

ハア。今日はちょっと力がでない
あーちゃんがいない時間は随分ゆっくりと流れていく

少し疲れたよ。
ちょっと休んでも良いかな

みんなに聞いてもらえて本当に救われました
もう頑張り過ぎないようにします

「もう、お互いに我慢は終わりにしよう」と夫と言いました

私も誰かの為の我慢は辞めます
自分の為に生きられるように模索してみます

本当にありがとう

今日も聞いてくれてありがとう




ごめんね

2007-02-06 21:35:32 | 元夫婦
夫にもう一度離婚の事を切り出した

「新聞配達をしたり、他のバイトをしたりして頑張っていたけど伝わらなかったんだね。俺の存在自体が苦しめているんだね」と言われた

「新聞配達頑張っているのは分かっている。でももう辛いんだ。
お金の事で振り回されるのが辛いんだ」

「何をしても疑っちゃうよね。何度も裏切ったんだから当然だよ
俺が悪いんだから、俺が出て行くよ。解放してあげるよ」

「お父さんの事嫌いじゃないんだよ。でももう疲れちゃったんだ。出来れば
別々になったとしても近くに住んで仲良くしていきたいんだ。
だってお金のやり取りだけが辛いんだから」

「別れるのに無理でしょ。側では暮らせない。仲良くなんておかしいよ。
無理だよ。」

「他に方法がないんだろうか。。。」
「困ったね」

「お前は俺を信じれないし。俺も自分が病気だと思うし。
一緒にいれば苦しいし。別れるしかないのかもしれないなぁ」

「困ったね。どうしたら良いんだろう。道は一つしかないのかな
○か×しかないのかな」

「もう少し時間をくれないか」
そう言って話は終わった

夫はそれからパソコンで賃貸住宅を探していた

その背中を見て
「ごめんね。もう大丈夫。もう良いよ」といつもの様に言いたくなった

でも言えなかった
夫のがっくり落ちが肩が辛い

静かに部屋に入って寝る姿が辛い

ごめんね
ごめんねと何度も謝りたくなった

今辛くてお返事掛けません
ごめんなさい
今日も聞いてくれてありがとう