トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

無情

2007-07-30 20:51:00 | 元夫婦
『良い事ばかりは続かない。悪い事ばかりも続かない。この世は全て無情だから』

アルコール依存症から回復した人が言った。
『私達には未来はない。明日の自分がどうなっているのか自分にも分からないから。私達には過去と今しかない。今は依存していない。その今を積み重ねるしかないから』

元夫からメールがきた。
「ごめん。朝の新聞配達をまた始めました。夜中の3時から夜の9時まで働いています。なるべく早く振り込みます。」

1人でいる時間が苦しいから新聞配達を始めたのか?
振り込むお金がないから始めたのか?
私には分からない。

これから先どうなるのだろう。
元夫はこのままでは過労死してしまうんじゃなかろうか。。。

そんな不安に流されそうになる。
離婚しても安息の日々は訪れない。
依存症者が未来を夢見れないように、それにかかわる人もまた未来を夢見る事は出来ないのだろうか。

重く心に暗雲がたち込めた。

娘の保育園が後一日となった。
この保育園には本当にお世話になったと思う。

入った時はまだ仕事も決まっていなかった。
慣れない仕事に、離婚。

目まぐるしく変わる環境に親も子供も必死だった。
そんな中で疲れた足を引きずり保育園に迎えに行くと先生や
子供達が明るく迎えてくれた。
その笑顔にどれだけ励まされたか。
乗り越えられたのはあーちゃんを安心して預ける事が出来たこの保育園があったからだと思う。

園長先生は新しい保育園へ行く娘へ浴衣を縫ってくださった。

新しい保育園は今までとは規模が全然違う。
持ち物も沢山増えた。

友達が「車がないと困るでしょ」と言って友達の車で買い物に連れて行ってくれた。

大体揃ったけれど、どうしても絵本バックだけが時期はずれで売っていない。
作る時間もなく困って、ママ友のお姉ちゃんのお下がりでもないだろうかと
声をかけた。

ママ友は快く「随分前のだけど探してみるね」と言ってくれた。
会社でお昼を食べていると
「お姉ちゃんのなかったから余ってた布で作ったよー。明日持って行くね!」と
メールをくれた。

「あーちゃんに喜んで欲しくて、勝手に作るんだからお礼なんていらないからね」そう書いてあった。

胸が詰まってお弁当が食べられなくなった。

良いことばかりは続かない。
でも悪い事も続かない。
だから大丈夫。このまま養育費が振り込まれなくなったとしても、
元夫が働きすぎで倒れたとしても。

きっと乗り越えていける。
だって、この世は無情だから。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう

辛いなぁ

2007-07-25 23:10:00 | 元夫婦
想定内です。
でもちょっと早すぎませんか?

養育費。。。もう振り込まれなくなっちゃいました。

先月まで「お兄ちゃんの大学の時は俺にも手伝わせて」とか
「修学旅行の足しにして」と2万円包んでくれたりとか。。。

変わったのかな?
少しは離婚がきっかけとなったのかな?
なんて思ってました。

でもその陰で元夫が結婚してからずっと掛けていた生命保険が
解約されてた事もあった。
20年以上掛けた保険だったから解約返戻金は100万を超えているはず。

ずっと掛けていたし、何かの財産にもなるんだからと元夫に離婚と共に渡しておいた。
元夫は「死んだ時の受取人は変えずにおくよ。子供達のためにもなるだろう」などと言っていた。

離婚して4ヵ月。
たった3ヶ月養育費を入れただけでもう未納。

仕事で忙しくて振込み忘れてるのかなとか思っていた。
でもメールで「養育費遅れてごめん。なるべく早く振り込むから」ときた。

忘れていた訳じゃない。としたら、お金の工面が出来ないって事?

離婚して折半した財産はどうなったのか。
入った保険金は?

母は「とっくに使ったんでしょ。」と言っていた。

そうなのかなぁ。
「なんで?遅れてるんですか?」って聞きたい衝動に駆られる。
でもそうすると問題に巻き込まれそうで恐くて聞けない。

養育費がなければ全然生活が成り立たない。
今の仕事はパート扱いだから収入は保険もつかないくらい安い。
でも10年もブランクのあった私にはそこしか雇ってもらえなかった。

そこで経験を積んで2年位したら次の職場へステップアップしようと
思っていた。
2年くらいなら養育費も払えるだろうと思っていたし。。。

わずか3ヵ月でもう滞り始めちゃった。

やっぱり病気だから離婚しても変わらないんだよね。
分かってたけどさ。

それでもさ。
やっぱりさ。
頑張って欲しかったのさ。

今日も聞いてくれてありがとう

反抗期

2007-07-23 19:49:23 | 子供
最近のお兄ちゃんは、話しかけても返事があいまいだったり、
聞いているのか聞いていないのか分からないような感じだった。

あーちゃんには小さな事をいつまでも説教したり、
遊ぼうと言うあーちゃんを怒鳴りつけたり。。。。

反抗期かな。。。。と思った。

昨日は弟夫婦と久しぶりに外食をした。
近くの安いハンバーグのレストランだけど、子供達も大喜びで
本当に楽しい夕食だった。

夜、布団を敷いてあーちゃんとジャレあっていると息子もやってきて
ゴロンと横になった。

「あー。今日のハンバーグ美味しかったねぇ」と幸せそうに呟いた。

「うん。ハンバーグ美味しかったね。ケーキもついてたね」とあーちゃんも嬉しそうに頷いた。

「本当だね。お母さんもお腹いっぱいになったよ。また行こうね。今度はおばあちゃんも連れて行こうね」と言って3人でニコニコ見つめあった。

するとお兄ちゃんが突然真顔で
「お母さんさ仕事でストレス溜まってる?最近俺に八つ当たりするよね」と言った

「え?そう?全然思いつかないんだけど、八つ当たりしてた?」

「してたさ。前の父さんと入れ替わったみたいだ。父さんが優しくて、お母さんが
八つ当たり魔だ。」

ビックリした。そうだっけ?全然心当たりがない。

「いつ?」

息子は口を尖らせて黙ったまま天井を見つめていた。

必死に想いをめぐらすと喧嘩ばっかりする息子と娘にイライラして
「そんなに喧嘩するなら別々に暮らせば!」と言って家の空気が凍りついた事が
あった。
他にもポツリ、ポツリと思い当たることを思い出した。

「うーん。そういえばそうだね。お母さんはちっとも気がついていなかったよ。
イライラしていたつもりはなかったけどお兄ちゃんが八つ当たりされてるって思ったのなら、お母さんが悪かったね。もっと静かに言えば良かったね。」

大きな目でじっと見つめていた息子は
「あー。言いたい事が言えてスッキリした。」と言った。

「もう良いの?」
「もう良い。」

そう言うとさっきまでの不機嫌な顔が嘘のように明るくなって
あーちゃんと遊びだした。

反抗期の原因は私だった。

反抗期だ。と決め付けてお兄ちゃんの気持ちを見落とすところだった。

私の顔色ばかりを伺って言いたい事をいつも飲み込んでしまって
違う形で爆発を繰り返した息子が自分の気持ちをちゃんと私に伝えてくれた事が
嬉しかった。

言いたい事を言ったお兄ちゃんはまたいつもの優しいお兄ちゃんに戻った。
1番ホッとしたのはあーちゃんかもしれない。

私の八つ当たりが息子へ、息子の八つ当たりが娘へ。
弱者へと向かってしまう悪循環を断ち切れて本当に良かったと思った。

息子に言われるまで自分が八つ当たりしているなんて全く気がついていなかった。
毎日の生活に呑まれて、知らないうちに不満の種を撒き散らしていたんだなって
思った。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう

今更なんだけど。

2007-07-20 21:37:52 | 元夫婦
今更なんだけど、ずっと胸につかえている事がある。

任意整理した時、弁護士から払いすぎた利息分250万が戻ってきますと
通知をもらった。

そのうち100万はすぐ振り込まれた。

残り150万がなかなか振り込まれなかった。
元夫に「任意整理が終わりましたと言われたのにどうして残りの150万が入らないんだろうね。」と聞いた。

「さあ。100万入ったんだから良いんじゃないの?」

「え?そうかもしれないけれど、残り150万振り込むって言って入ってこないのおかしくない?」と聞いても元夫は「分からない。聞いてみる」を繰り返すばかりだった。

結局その150万は離婚する時も振り込まれていなかった。
離婚した時「財産を折半したけれど子供達の分貰ったからお父さんの方が少なくなっちゃったね。でも弁護士から150万入るから大丈夫だよね」と聞くと

「あー。あれはもう良いんだ」と言った
「もう良いって?」

「いや。良いんだ」と最後まで言葉を濁してあの150万が何処へ行ったのかは分からずじまいだった。

きっとあの150万は車の担保の借金に消えたんじゃないだろうかって思っている。
元夫は35万と言っていたけれどきっともっとあって全額返済に充てたんじゃないかなって。

そう言えば弁護士の150万の話を不思議に思って聞くようになってから急に
離婚に前向きになったっけ。


それから、元舅がアルコールを飲んで車を運転するから危険だと言って
車を処分した事があった。

父親には何一つ意見できなかった元夫が、あの時だけは「車、処分するからな」と舅に宣言すると次の日には鍵を盗み出しさっさと友達の中古車屋に持っていった。

私には「もう年数も経っている車だし、廃車同然だった」と言っていた。
確かに年数は経っていたけれど、走行距離もそれ程走っていなかったし、
買った時は500万したと舅が自慢していた。

あの車もきっと元夫の借金に消えていったんだろうな。

母が「結局、なんの借金だったの?」って良く聞く。
私にも分からない。
今も、分からない。

ギャンブルにのめり込んでいたようにも思えないし、
女を囲っていたようにも思えない。

毎日定時に帰り、週末も家族一緒だった。
いったい、いつ?どんな風に借金を重ね、何に使っていたのだろう。。。

謎だらけの元夫だった。
いったい、私達家族を壊したその根底にはいったい何があったのだろうか。

今更なんだけど、今は穏やかに暮らせているのだけれど。。
それでも、時々「なんだったんだろう」って疑問が襲ってくる。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう





また会える

2007-07-18 18:55:14 | 子供
「また会える?」
娘のこの言葉に弱い。

初めて娘の保育園に申し込みに行った時、出てきたのは化粧をした男の人だった
色白で女の人かと思ったけれど話し声で男の人だと分かってびっくりした。

最初は戸惑ったけれど数日で全く違和感を感じなくなった。
なにより子供達が大好きらしく、本当に良い先生だった。
あーちゃんもすぐに慣れる事ができた。

その先生が突然園を辞める事になった。
みんなで絵を描いてお別れ会をした。

家に帰ってきてあーちゃんは私の顔を覗き込むと
「また会える?」と聞いた。

言葉に詰まって応えられなかった。
「また会える?また会いたい」とあーちゃんが泣くのをただじっと抱きしめた。

あーちゃんは誰かと遊んで別れる時も必ず確かめる。
「また、会える?」
突然帰ってこなくなった父親と結び付けているのだろうと思う。

また会えるかと確かめずにはいられないのだ。

あーちゃんはまだ4歳。大きな別れを経験してみにつけてしまった癖。

もうすぐ、この保育園ともお別れ。
仲良くなった友達。
優しい先生。

まだあーちゃんに保育園を代わることを言えずにいる。
あーちゃんの「また会える?」の問いかけが切なくて、なんて応えて良いか思いつかない。

ごめんね。
あーちゃん。

私は元気です。

2007-07-13 19:39:53 | ポエム
6月末に突然パソコンの画面が真っ暗になってしまいました。
友達にオークションで注文してもらってやっと今日届きました。

パソコンからこんなに長く離れた事がありませんでした。
パソコンをしていた時間がポッカリと空いて、ビデオを見たり
子供達と遊んだりしていました。

苦しい時、迷った時、いつもパソコンの前に座って
同じ仲間を探したり、ブログに気持ちを吐き出して、皆さんに聞いてもらったりして乗り切っていたけれど、いつしかどっぷりと依存していたようです。

パソコンが使えなくなって気持ちの吐き出し口も整理の仕方も分からず
溺れるような気持ちで過ごしていました。

頼りはノートのみ。
毎日何ページも自分と対話し続けているうちにいろんな事が見えてきました。

まず仕事の事。
会社の更新の面接があり、上司の方に離婚の報告が出来ました。
仕事がないという悩みも周りの人に積極的に声をかけて仕事が少しずつですが
もらえるようになりました。

なかなか打ち解けられなかったパートの方とも彼女の距離を尊重する事を
忘れずに付き合い続けるうちに私にも笑いかけてくれる事が増えてきました。

子供達も落ち着いています。
先週も元夫宅にお泊りでした。

やっぱりお兄ちゃんは泣いたけれど、私自身はそれほど苦しくなりませんでした。

あーちゃんの市立保育園の入園が決まりました。
第一希望のところへ入れます。

今の保育園は小さな保育園でした。
先生方や子供たちとも本当に仲良くしてもらって、別れを考えると
とても寂しい気持ちでいっぱいです。

辛くても次のステップに行かなければいけないときがある。

私は今まで自分の卒業式にも、仲の良かった友達の転校にも涙を流した事が
ありませんでした。
何気なく出会い。何気なく別れていく。
心が震えるほど誰かと深く付き合ったこともなかったのかもしれません。

離婚していろんな人に出会いました。
保育園の先生の笑顔に仕事に疲れた心がどれほど癒された事か。
ママ友から飲み会のお誘い。今までは義理で出席しているところがありました。
でも遠慮なく大声で笑える友達がいた事になぜ気がつかなかったのか。

会社の方達との出会いも毎日がとても貴重に思えます。
こうして3人で仲良く元気で暮らせている事がとても大切に
思えます。

生きていて良かった。
生まれてきて良かった。

みなさん。お元気でしたか?
私は元気です。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう