トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

私の大好きな言葉

2008-02-29 23:49:19 | 
斉藤先生が言った言葉

『死ぬまで生きろ』

辛い時、苦しい時。悲しい時。
もうダメだって全てに投げやりになりそうになるとき。

いつも心に浮かぶ言葉

『死ぬまで生きろ』


私は死ぬまで生きるよ。

きっと、きっと。

なんでもないこと

2008-02-28 19:02:06 | 
昨日は自分でもへんな事を書いてしまったと反省。

心の中で『死にたい』って呟くのは今に始まった事じゃない。
離婚する前から気持ちが疲れすぎると地下鉄の駅でとかボーっとすると
『死んでしまいたい』と声が聞こえてくることが何度もあった。

でもそれを特に気にする事もなかった。
『何をバカな事を考えてるの?』と自分を諌めてしまえば忘れてしまう事だった。

いつもの癖なんだろうか。
元姑が施設に入所したと連絡がきた。
元夫が舅に離婚の事を話し、この家に私達がしばらく住み続ける事を
了承してくれたそうだ。

そしてもうここには来る事はないという事も。

一区切りがついた安堵感があった。

元夫は施設に入った元姑はもう永くないだろうと子供達を
元姑に会わせたいと言ってきた。

息子は『おじいちゃんは嫌だけどおばあちゃんだけなら良い』と言った。

『お母さんは会わないの?』と聞かれた。

『お母さんはもう他所の人になったからね。会う事は出来ないんだよ』

会っても良いのかもしれないけれど会わないほうが良いような気がする。

ケジメ。
そんな想いがよぎった。

私は何でもない事を騒いでいるのかもしれない。
手が震える事も、へんな事を考えてしまう事も
何でもない事を大げさにして何かを隠しているのだろうか。

全てはなんでもないこと。

なんでもないこと。

ちょっと困ったこと

2008-02-27 21:16:24 | 
会社でお客様のお茶を出す時に手が震えて止まらなくたってしまった。

最近、来客が多い。
前はパートさんひとりでやっていたけれど、
最近は私も頼まれる事が多い。

いつから、こんなに震えるようになったか分からない。
先週、お盆の中でひっくり返して、慌てて入れ替えて緊張して
自分でも動揺して『ガチャ、ガチャ』音がするほど手が震えて恥ずかしかった。

あれから何回か頼まれたけど、両手で持たないとこぼれそうなくらい
手が震える。

後から偉い人に何かを言われる事はないのだけれど
きっとひやひやしていると感じている。

でも、パートさんじゃなくて頼まれるから周りはそれほど気がついていないのだろうか。。。

なんだか、腰が急に痛くなって足がつって歩けなくなったり、
眠れなくなったり、異常に暑かったり。。。

自分の体じゃないみたいにコントロールが効かない。

心も然り。
急に心の中で「死にたい」って呟いていたりしてビックリする。

私はいったいどうなっちゃったんだろう。。。

更年期っぽい気がする。。。

疲れた。

2008-02-22 21:46:13 | 
やっと金曜日。
そんな一週間だった。

あーちゃんの風邪は寝込むほど悪くないけれど
咳がいつまでも止まらず薬が手放せない。

去年の肺炎に似た症状が出始め抗生物質が投与された。

これが苦いらしくなかなか飲んでくれない。
朝の忙しい時間に飲む、飲まないの大騒ぎ。

イライラも募るし時間もなくて焦る。

夜も眠れず何度も起きる。
何度も起こされて寝てるんだか起きているんだか分からなくなった。

会社も忙しくてありがたいと思いながらも瞬きする間に帰る時間に
なっている気がする。

その後もあーちゃんの面談とかお兄ちゃんの中学の入学準備とか
目白押しで行事が襲ってくる。

家に着くと頭が真っ白になってしばらく動けない。

おなかが空いてその辺にあるものを口の中に放り込まずにいられない。
子供達もおやつを食べ始めてしまう。

ダメだ。ダメだ。と思いながら日々が過ぎていく。

そして心の中に「自分ばっかり」という言葉が浮かんでくる。

イライラするから子供もイライラ。
ダメだ。ダメだ。と日々が過ぎていく。

こんな時に限って友達とも連絡がつかず。
会社の仲良しも休暇中。

子供しか話す相手がいない。
寂しいという言葉が心にへばりつく。

ミスも多い一週間だった。
お客様にお茶を出そうとしたら、お盆の中でひっくりかえり、
慌てて入れなおして持って行ったら緊張で手がガタガタ震えて
とても恥ずかしかった。

いつもはスムーズに電話に出られるのに、名前は聞き間違えるわ、
変な事を言って相手に絶句されるわ。
穴があったら入りたい。。。

弛んでるんだ!
ダメだ。ダメだ。と必死に背中を伸ばす日々。

昨日、友達とようやく連絡がとれて週末に遊べる事になった。

今朝、あーちゃんが突然吐き気がする言い出して
1ヵ月ぶりに母に来てもらった。

30分だけしか母とは話せなかったけどそれでも気が晴れた。

人はひとりでは生きていけない。
子供達と暮らしていても人恋しい時もある。

ハチャメチャな一週間だったけどなんとか無事に過ごせた事で良しとしよう。




逃げない

2008-02-16 19:01:45 | 
ずっと母からこの話を聞いてから、考えないように見ない様に過ごしてきた。

怒りがわく事が恐かったし、その怒りを何処へぶつけて良いのかも分からなかった。

子供の頃から父は父ではなかった。
自分から話しかけることもなかったし、父から話しかけられても返事をするのに
何十回も考えて返事をした。

物をねだる事も遊んで欲しいと望む事もなかった。

帰ってくる時間が憂鬱で商店街の会合で泊まりの時はとても嬉しかった。
「いなくても良いのに」いつもそう思っていた。

母が仕事で外に出ていたから、緊急で怪我をしたり、熱が出た時は祖母が父の店に電話をして病院へ連れて行ってくれた。

店から迎えにくる父は迷惑そうに『なんで風邪なんか引くんだ。そんな格好してるからだ。だいたいお前はいつもボサーっとしてグッチャラグッチャラと生きて。。。」病院に着く間も帰ってくるまでも延々と説教をされた。

病気になって迷惑をかけて申し訳ない。自分は悪い子なんだ。
だから父親からも母親からも愛されないんだ。そう思っていた。

とにかく父が恐かった。
知らない人だった。
知らない人には物を頼んだりしないし助けを求めたりしない。

ある日父の車の助手席に乗った。
早くしないと父に怒られる。
ちゃんとしないと怒られる。

だから慌ててドアを閉めると同時に私は自分の親指を挟んでしまった。
痛かった。ちぎれそうだった。

でもそんな事を言ったらどんなひどい目に合うだろうと思うと歯をくいしばって我慢した。
父は不恰好に座っている私に気が付き
「指でも挟んでんじゃないのか」と聞いた。

うんと小さな声で恐る恐る答えた。
小さく舌打ちをして車が止まりようやく指を抜いた。
爪が真っ黒に半分に割れていた。
父は血がにじむその指に一瞥もくれず、また車は走り出した。

その後その爪がどうなったか覚えていない。
ただ叱られなかった事に安堵したことしか覚えていない。

私の中で父への怒りはわいた事がない。
父への怒りを見つめたらきっと自分は壊れてしまうような気がしたから。
自分は父親など必要ない。

父親などいらないしはじめからいない。同居人なんだ。と言い聞かせる時もあれば
父は父なりの愛情があるんだ。と自分を無理やり納得させたりもした。

愛されていない。必要とされていない。そんな事どうって事ない。
だって私も必要としていなかったから。

父の世話にはならない。いつもそう思っていた。

でも、きっと私は父に好かれたかったのだ。
子供らしく甘えても見たかった。おねだりもしたかった。
私は自分の理想の父にいつか変わってくれると信じていたかったのだ。

でも、きっと無理なのだ。永遠に。
父は父。
私の父親はただのバカ親父。

さようなら。
私の理想のお父さん。
さようなら。
バカ親父。

深く考えたくない事

2008-02-15 21:02:03 | 
母が声を潜めて話し始めた。

「あんた、お父さんに何か話した?養育費が滞ってるとか、家のローンを払っているとか話した?」

「うん。珍しく聞かれたからね」

「この前、お父さん、親戚の人に電話してあんたが養育費もらえないとか、
パートで収入が少ないとか言いまくってたんだ。
その後親戚の人がちっこちゃんも大変だろうってお金送ってきたんだよ。

お父さん、そのお金を自分の懐に入れてるんだよ。」

「えーー!?色々心配して聞いているんだと思ってたよ」


「あの人は自分の事だけ心配なんだよ。あんたが離婚する時だって
俺に何か迷惑がかかるのか?生活費を援助しなくちゃいけないのかって自分の心配ばかりしてたんだから。」

店を閉めてから実家の父のお金への執着はますます酷くなった。
父は銀行やATMの操作が出来ない。
お店の振込みなどは全て母がやっていた。

お店を閉める時金庫に入っていたお金や在庫を処分したお金なども
すべて父はお店の小型金庫ごと家のどこかに隠したらしい。

一緒に長年支えてきた母には一円の労いもなかった。

とても小さな店だった。
父は店の収入を家には入れなかったので母は食費や生活費を稼ぐ為に
店の片隅で洗濯の受付やはんこや印刷の仕事を請け負ってきては
店の収入の足しにしてきた。

父は母のそんな姿をいつも馬鹿にしていた「俺は手伝わないからな。そんなものやってなんになるんだ」と必ず反対した

でも母の人柄にいつも人は集まり、洗濯もはんこもそれなりの収入が出るようになった。
軌道にのると父はその仕事を奪い取り収入の全てを自分の懐にいれてしまうのだった。

母は店では仕事をせずに外で働くようになった。
外で働いて、店でも働いた。
父は母をこき使ってもお金を渡す事はなかった。

食費をくださいと手を出せば千円をポイッとなげてよこすのだった。

子供の学費も「どうして俺が出すんだ?そんなものに出す金はない」と言い張った。
見かねた祖母が年金からだしてくれた事もあった。

父は自分の事意外には絶対にお金を出したがらなかった。

今は父は母にお金を狙われていると思って、家から離れる事もできなくなったのだという。
そして親戚に墓を守るのが大変だと散々電話をかけて
お金を送らせたりしては懐に入れているのだという。

そして私の話を聞きだしては親戚中に言いまわり、お金を集めているのだ。

私は父が心配そうに「アレから元夫はどうした。養育費は入ったか。仕事だけで
食べていくのは大変だろう」とか声をかけてくれる事をどこか嬉しく思っていた。

子供の頃から父から興味を持たれたことがなかった。
いてもいなくても同じ。
振り向く事も笑い掛けられる事もなかった。

離婚してわずかでも父には愛情があったんだ。そう思えるようになった。

でもさ。
これって?なに?

私は父に利用されたのか?

これって。。。。なに?

ずっと忘れないでいたい。

2008-02-11 22:32:57 | 子供
昨日はあんなに上手くいったのに。

今日は朝から喧嘩。

ムッとして『分かったよ!』と捨て台詞を残して
お兄ちゃんは出かけていった。

ちょっと後悔した。

心配だったのだ。

でも心配。心配とお兄ちゃんを縛ってしまうのはエゴだと気がついていた。

でも不安の種が芽生えると私はそれをすくすくと育ててしまう。
その花が咲かないようにお兄ちゃんに
「あーなったらどうする。こーなったらどうする」と不安の種を
ぶつけてしまうのだ。

今日は手放せなかった。
お兄ちゃんが思うように行動するまで私はブツブツとぶつけてしまった。

最後はお兄ちゃんが嫌々折れる形となった。

出かけた後とても寂しくなった。

出かける前の喧嘩は嫌いだ。

だってそこで何かあったならずっと後悔する事になるから。

お昼を食べながらあーちゃんに「お兄ちゃんと喧嘩しちゃった」と呟いた。

「あらーーー。大丈夫だよ。お兄ちゃん怒ってないよ」

「あーぁ。お母さんが悪かったんだよね」

「あらーーー。ごめんねしたら許してくれるよ」

「そうかなぁ。ケーキでも焼こうかな。そうしたら笑うかな」

「そうだ!あーちゃんも手伝う。ビックリさせよう」


あーちゃんと粉を撒き散らしながらケーキを焼いた。

夕方には帰ると言ったのになかなか帰って来なかった。

お兄ちゃんの好きなおでんが出来上がる頃『バタン』と戸の閉まる音と共に帰ってきた。

「ワァ。おでんの匂いだー」

「お兄ちゃん!あーちゃんケーキも作ったんだよ!」

「え!すっげー!」と何にもなかったかのように入ってきた。

「お帰り」

「ただいまぁ」

「朝はごめんね。お母さんの言う通りにしてくれてありがとね」

「うん。でもお母さんの言うとおりにしなくても大丈夫だったよ」

「そうだね。心配しすぎたね」

「帰りにお土産買おうと思ったけど高すぎて買えなかったさ」

「お母さん、お兄ちゃんの好きなようにさせてあげなかったのにお土産を買ってくれようと思ったんだ。
優しいね。お兄ちゃんは。

お母さん、あんなに怒って出かけたから帰ってこないかと思ったよ」

「なんで?あれくらいで帰ってくるよ。お母さんの方が心配だよ。
遅くなったら事故にあったんじゃないかって」

お兄ちゃん。産まれた時から私達親子は試行錯誤だね。

でも、お母さんはずっと忘れないでいるよ。
こうやってお兄ちゃんがひとつづつ大人になっているんだって事を。






破壊衝動

2008-02-10 23:57:32 | 
私は息子が産まれてからずっと恐れていた事がある。

息子がグズグズいつまでも機嫌が治らなかったり、
私の思うように行動しない時
頭の中で息子を殴ったり蹴ったり、床に叩きつけたりしたくなる
衝動に襲われた。

それはいつも頭の空想の中で終わり、ただ怒鳴り声で終わる。
その怒鳴り声だけでも息子は恐かっただろうと思うが、
あの頃の私はいつか頭の空想を実行してしまうんじゃないかと恐かった。

今でも息子がダラダラとパソコンをして勉強をしなかったりすると
ノートや教科書をビリビリに破く自分を想像する。

それでも最近は「そろそろ、やったら」と声をかけると勉強をするようになったので治まっていた。

3連休。
子供達は元夫とお泊りで面会のはずが元夫の風邪で中止になった。
あーちゃんも風邪を引いたので珍しくどこへも行かず3人で家に閉じこもっていた。

外は良いお天気だった。

お兄ちゃんは友達も来ず、どこへも出かけず「退屈だ」と言っては
ゲームやパソコンをしていた。

あーちゃんも出かけられないのでイライラ、グズグズ。

2人は寄れば喧嘩。触れば喧嘩状態だった。

私もあーちゃんがいつまでも薬を嫌がったり、我がままを言いまくったりする姿に
いつものように頭の中にあーちゃんを叩いている想像が渦巻き始め
これはまずいと思い、お兄ちゃんに留守番を頼んで買い物に出かけた。

ついでに図書館へより神社へ寄って気分も大分落ち着いて家に着いた。

子供達はトランプをしていた。
お兄ちゃんが「はやく!ふざけないで!はやく!」とあーちゃんに怒っていた。

あーちゃんがきゃはは。きゃははと笑い声が聞こえたと思った途端
『ぎゃー!』と泣き出した。

慌てて居間に行くとあーちゃんが泣きながら走ってきた。
お兄ちゃんが顔を真っ赤にして俯いていた。

「どうしたの?」とお兄ちゃんの手元を見てギョッとした。
お兄ちゃんの手にはあーちゃんの髪の毛がゴッソリついて
床にも髪の毛が固まって落ちていた。

「痛いよー」とあーちゃんはしがみついて来た。
慌てて頭を見たけれどちょっと赤くなっているだけだった。

それでも20本以上は抜けただろう。
どんなに痛かっただろうと思うと猛烈に腹がたった。

「なに!?これ!?あーちゃんの髪を引っ張ったの?」

「俺。。。何もしてない」

「その手は何?この落ちた髪の毛は何?思い通りにあーちゃんが動かないからって
こんな酷いことして良いの?」

頭の中でお兄ちゃんの髪の毛を掴んで引きずり回す自分の姿が映し出されていた。

心の中で『ダメだ!ダメだ!』と声がした。

お兄ちゃんは何か言いたそうに唇を噛んでいた。
きっとあーちゃんが我がままを言ったに違いない。

カッとなったのだろう。
そう思っても落ちた髪の束を見て怒りは治まらない。

「お母さん、今日はお兄ちゃんの言い分は聞かないよ。
どんな理由があってもこんな風に小さな子の髪を掴んで引きずって良いはずがない。お兄ちゃんが悪いと思う。
どんなに腹がたっても別の方法があったはずだよ。
仲良くトランプできる方法があったはずだ。
良く考えなさい。」

お兄ちゃんのポロポロと流れる涙を必死であーちゃんがティッシュで拭いていた。
その姿を見て、後は何も言わずにその場を離れた。

お兄ちゃんはあーちゃんを膝に乗せてパソコンの動画を見始めた。
後はただ無言の時間が流れ、固くなった空気はほぐれていった。

私の怒りもいつしか消えていた。

お兄ちゃんのした事にはビックリしたけれど
私はちょっと嬉しかった。

自分が冷静にお兄ちゃんを叱って、その場を離れられた事を。
いつまでもお兄ちゃんを説教せず後はその空気に手放せた事を。

これからもきっと私はいっぱい空想の中で子供達を叩いたりしてしまうだろう。

でもきっと私はそれを実行しないと思える。
また、ひとつ自分を知ることができた。

そのことがとても嬉しい一日だった。





悪かったなって思うこと

2008-02-04 20:33:19 | 元夫婦
離婚する時、私は元夫に
「別に憎みあって別れるわけじゃない。それぞれがお互いに自立する為に
別々に生活していこう。
子供達のお父さんでいる事は変わりないし、子供達の事は相談していこう」なんて
言っていた。

あの時は本当にそう思っていた。

ご飯だってたまになら食べにいけるんじゃないか。

芸能人が「円満離婚です。今でもご飯も旅行もいきます」なんてコメントを
本気で信じていて、自分もそうなれるなんて思っていた。

でも、時間が立つにつれ、いろんな人と離婚の話をしたり、
結婚生活を改めて振り返ったりしているうちに、自分のダメージは思ったより
大きかった事に気がついた。

元夫の声を聞くことも苦痛になり
メールの返事にすら何日も気持ちが落ち着かなくなることがある。

事務的なこと意外は返信や連絡をしないようになってから
元夫からも感情的なメールが来ることもなくなった。

家に帰ると留守電がチカチカとなっていた。
元夫の叔父からだった。

元舅からの電話は繋がらないようにしているので、元舅の家で
何かがあると叔父の家に連絡が入り叔父から連絡がくる。

叔父には離婚した事を伝えていないので未だに元夫がここに住んでいると思っているのだろう
「○○(元夫の名前)が帰ったら連絡をください」

家に着いたときまだベルはなっていた。
でも名前を見て私は出るのをやめた。

元舅達の事を聞いたところでもう私には何も出来る事などないんだ
それにその事でまた元夫と話をする事も今の私にはとても辛い事だった。

元夫に叔父から連絡が欲しいと留守電が入った事をメールした。

『叔父さんには俺の携帯の電話番号を知らせたのでもうそちらにはかからないと思います』と返事がきた。

離婚する時まだまだ元舅と姑の問題は山積みだった。

今までこの事だけは元夫と必死で乗り越えた出来事だった
介護をした姑の事はとくに気がかりだった。

だから元夫にも「姑さんの事はこれからも相談にのるから」などと言っていた。

共依存自分がべったりと張り付いているような状態だったと思う。

元夫もその気だったろう。
いつでも助けてくれるんだって思ったに違いない。

だけど、私は変わった。
どんどん元夫との間に境界線は引かれ、元夫は裏切られた。騙されたと思ったんじゃないだろうか。

その気にさせて、気が変わりましたと私は鉈のごとく切り捨てたのだ。

元夫からのメールをみて、少しだけ寂しくなった。
でも元夫も境界線を引き始めたんだなって思った。

私も傷ついたけれど、私だっていっぱい傷つけちゃったんだなって思った。