トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

騒ぎすぎ

2009-04-25 08:25:18 | アルコール依存症
騒ぎすぎ。

可哀相。

俺が飲み方を教えてやる。

反省してるんだから。

ほどほどにして。

気持ちは分かる。

ストレスがたまっていたんだろ。

もっと周りが気をつけてあげていれば。


『もっと、大人になって良いお酒が飲めるようになりたいです』マイクをしっかりと握り締め、まるで未来の夢を語るようにしっかりとした口調で言った。


あーー。

『もう、2度とお酒には手を出しません。私にはお酒は禁物だと自覚しました』
とはならなかったんだなと思った。

まだ飲める。
許してもらえれば。

自分は大丈夫。
ちょっと魔がさしたんだ。

誰だってある事なんだ。

誰かを傷つけたわけじゃない。
これは事故なんだ。
覚えていないんだから。

これからは気をつければ大丈夫なんだ。

そう言えば周りから、何度も『気をつけろ』って注意されてたっけ。

今度こそ気をつけるぞ。

次に飲むときは失敗しないぞ。

アルコール依存症の元舅が泥酔して寝室にやってきて、子供にオッパイを添い寝であげている私の布団に入ってきたとき、ショックと怒りで元夫と元姑に訴えた。

元夫と元姑は
『バッカだなぁ。また飲みすぎたんだな。』と言った。

『飲みすぎたからって酷い!』と言うと

『覚えていないんだから仕方ないだろ!』と怒鳴られた。

『この家は酔っていれば、覚えていなければ何でも許されるんですね』


当の元舅は私が許してくれるのをじっと物陰に隠れて待っていた。
『酔ってたんだ。今度は気をつけるから。反省してるから』


幼い子供がいたずらを咎められたように反省していた。

そんな姿を元夫と姑は

『飲まなきゃ良い人なんだ』と言った。



悲惨

2007-03-06 18:50:34 | アルコール依存症
「悲惨だよ。人が住む家じゃない。何時火事になってもおかしくないよ」

夕方夫の叔父から舅の事で電話が来た

数日前も叔父から夫に電話があった
夫は「救急車でもなんでも呼べばいい」と返事をして切った

訝しそうに見る私に夫は「なんか、腹が痛いんだとよ。それに洗濯もしていなから、家が荒れ放題なんだって。もう俺に構うなって感じだよ
早く死ねば良いのに。ババアもジジイも早く逝ってくんないかな」といつまでもブツブツと言っていた

今日は夫がいなかったので私が出た
舅はまた骨折しているのに放っているらしい
そして酔っ払ってトイレにも行けず垂れ流しの状態なのだという

家の中を這って歩いて、姑は下着のみで生活をしていて、汚れたものは
山のように積まれ、汚れたものが乾いたら着ているらしい

臭いも凄くとても人が住む家とは言えない
今日は姑を病院へ連れて行き、舅も入院させる事にしたんだそうだ

ケアマネージャーの方が親身に相談にのってくれて
舅が入院している間は施設に入れるように手配をしてくれるのだと言う

前にケアマネの方にはお金は姑の通帳に積み立ててあるので
買い物、掃除など必要だと思われるケアをつけてあげてくださいとお願いしてあった

きっと舅が断ってしまったのだろう
ケアマネの方も「ホームヘルパーはお舅さんのようなアル症の方の家には危なくて派遣できないんですよ。病院や買い物は出来るかもしれないんですが」と言っていた

姑もおむつをしていた筈なのに下着を汚したまま乾かしてはいているのだという

叔父は「もう2人で暮らすのは限界だ。姑さんは施設に預けた方が良い。その話も
夫さんとしなくちゃいけないし、今施設や病院に入るのに下着が必要だから
買ってこちらに送ってください。後は入院の手続きや施設の手続きをやりますから。」その声には静かな苛立ちが篭っていた

叔父はいつも言う
「親なんだから、放っておく事は出来ないだろう」
夫はいつも同じ返事を繰り返す
「もう、俺に出来る事はないから。やるだけやったし。もう関わりたくないから」

夫は離婚の事も舅には報告しないという
「親父の顔を見るとか声を聞くだけで虫唾が走る。絶対に嫌だ。2度と会いたくないし関わりたくない」と憎悪むき出しで言う

複雑だ。
もう離婚するから無縁となる
でも私は姑のオムツを変えて姑の世話をずっとしてきた

姑が家に帰ってしまった時姑を恨んだ事もあった
でも今は姑が帰りたかった気持ちも分かる

今、姑はどんな気持ちでいるのだろう
人の暮らしとは思えない生活
自分で選んだとはいえなぜこんな事になったのだろうと泣いているだろうか

もう、姑には施設で静かに暮らして欲しい
夫は2度と子供は会わせないと言うけれど、私は施設にならお見舞いに行っても
良いと思っている

なんだかとっても切なくて涙が止まらない

今日も聞いてくれてありがとう

酒と暴力 9

2006-08-02 11:15:55 | アルコール依存症
もうすぐお盆。あの混乱の時から2年が経とうとしています

腰に大怪我をした舅はしばらく大人しく入院していた
舅と叔父は長い間音信不通の間柄だった

その叔父に助けを求める電話を掛けたのだから舅もいよいよもって困っての事だったのだろう
この叔父も舅には随分泣かされた人だった

舅の弟である叔父は舅と歳が離れていて子供の頃から、学校の費用、結婚資金の果てまで舅が面倒を見たと言うのが舅の自慢だった
酔うたびに舅が叔父の元へ電話をかけ延々と
「お前の費用の為に俺は大学を諦めた。お前を一人前にするために俺は犠牲になったんだからこれをしろ。あれをやれ」とこき使った

弱みを握られた叔父はいつも優しく頷くだけだが、ある時叔父の堪忍袋が切れてから疎遠となっていた

それがまた舅の怪我であっという間に修復された
叔父は私の所へ来て「きっと兄さんを説得してみせる」と言った

夫は叔父に「あんまり関わらない方が良いよ。良い様に振り回されるから」と釘をさした
でも叔父は「このままじゃどうにもならないだろう。離婚させるわけにもいかないし、少しは優しくしてあげて気持ちを解してから説得したほうが良い」と言った
そして舅の「あれ持ってこい。これ持ってこい」の我侭を聞いてやっていた

結局叔父の努力も虚しく舅は歩けるようになると病院を抜け出し
また酒びたりの日々となった

我が家に電話をしても通じないイライラを舅は親戚へと向けるようになった
親戚から「お舅さんからの電話が鳴り止まなくて困ってる。電話に出てあげて」と掛かってくるようになった

周りを巻き込むのは舅の得意技だ
そうして私たちを追い込み電話に出させようとしているのだ

私達は親戚の人にも「今は電話には出られないんです。迷惑を掛けるようだったら
舅の電話を着信拒否にしてください。何があっても覚悟は出来ています」と言った

親戚の人も私達の決意を分かってくれて舅との電話を拒否するようになった

誰とも繋がる事が出来なくなった舅の動揺はどれ程の物だったろう
今まで何でもお金と暴力、暴言で人を思い通りに動かしてきたのが
誰も舅を相手にしなくなったのだ。

電話にも会っても貰えない
次に求めたのはどこからか見つけてきた家政婦だった

舅も藁をつかむ思いだったに違いない
でも神のいたずらかこれも必然の出会いなのかこの家政婦もまた
恐ろしいほどの共依存症だった

全く姑とそっくりだったのだ
家政婦でありながら飲んだくれる舅を罵りそして世話を焼く

舅は今までの寂しさを家政婦にありったけぶつけたらしい
ある日家政婦が
「グズグズしてないで奥さんを迎えに行って上げなさい」と言って
我が家へ舅を車に乗せて連れて来たのだと知ったのは随分後の事だ

あの時外であの家政婦が待っていたとは全然気がつかなかった

どうやって舅が迎えに来たのか(共依存症 2で書いてある)
私が逃げ出して警察を呼んでいる間に2人はあっという間にいなくなった事を
ずっと不思議だと思っていた
その理由を家政婦がお金を取りに来たときに家政婦の口から聞かされた

「私が舅さんに言ったんですよ。私が元の鞘に収めてあげたんです」と・・・
その時全身が泡立つように震えた事を今でも忘れられない

「あなたがそんな事をしたせいで私達の全ての苦労が水の泡になってしまったんですよ。そのせいで私達がどれ程恐ろしい思いをしたのか分かりますか?」
振り絞るように言うと
「そうだったんですか」と舌をぺロッと出して笑った

共依存症とはなんと迷惑な病なのか
あの家政婦の「舅の為に役に立ったんだ」と胸を張る姿が哀れだった


今、あの家政婦と自分の姿が重なる
「この家族を此処まで守ってきたのは私なんだ」と胸を張っていた自分に
吐き気がする

姑が帰ってしまってボロボロになってしまった私に断酒会の人が言った言葉がわすれられない

「山はまっすぐ登って頂上に着けば良いってもんじゃない。
グネグネと曲がったり。時に下がったり上がったりして頂上にたどり着いても
頂上には変わりない。
焦る事はない、あなたは力の限り頑張ったのだから次のチャンスを待ちましょう」

あれからいろんな事があった
舅の事、夫の事、そして自分の事

それぞれが自分の山の頂上を目指して登っている
頂上に着くのか着かないのかも本人次第だけれど、どうやって登っていくのかも
それぞれなんだと感じる

私が夫の山を登る事はできないし
舅の山も登る事はできない

私が登れるのは私だけの山

頂上には何が見えるでしょうか
私の登った後にはどんな風景が残って行くでしょうか

頂上にたどり着いたときに舅は、夫は、そして私はどんな思いで今までを
振り返る事が出来るでしょうか

半分まで登ったと思った山はまだ全然ふもとをウロウロしていただけだと
気がついた

さあ、頂上を目指して登ろう!
私だけの山を・・・
(終わり)


酒と暴力 8

2006-07-19 09:42:58 | アルコール依存症
舅はとにかくよく怪我をした
打撲に骨折、階段から転げ落ちて玄関のガラスを突き破って血だらけになった事もある

親戚の家に行って転んで呼び出されて小さな息子を抱えて夜遅くに車を走らせた事も一度や二度じゃない

ある時から私は舅の怪我に疑問を感じるようになっていった

怪我を使い分けている気がするのだ

本当に怪我をするときは突発的な物が多い
夜中とかに呼び出されるのは大抵予想外に起きる怪我である

でも舅が自ら怪我をしようと起こしている時がある気がするのだ

それは姑に暴力を振るおうとして姑のベットへ体ごと飛び込んで
壁に激突して肋骨にひびが入ったりとか

何日も経ってから実は転んで背中が痛くて息が出来ないとか言うときだ

そういう時は大抵夫や私と喧嘩したり、親戚ともめたり、私生活で問題がおきて
困り果てた時に決まって起こる

お酒が原因のトラブルで家族や周りと上手くいかなくなると、必ず酔って怪我をして周りが看病せざる終えない状況になる

そして病院だ入院だと周りが騒ぎ、本人は神妙な顔をして
「すまないなぁ」と心底反省したように言うのだ
周りはお酒で怪我をしたのだし、病人なんだからと
「いいさ。気にするな」と簡単に関係を修復させてしまう

私はいつも怪我をするたびに何日も実家に泊り込みで看病させられながら
そんなに簡単に許して良いの?あんなに揉めたのに?
問題はひとつも解決していないのに?と思っていた

離婚だ、絶縁だと騒ぐほどの問題だったのに舅の怪我というトラブルで
まるで何事もなかったかのように元通りになってしまうのだ

ある時から私はこれが舅の作戦なのだと思うようになった
困ると酒を飲んで暴れ、それでも解決出来ないと自ら怪我をして人の同情を買う方法。
危険で最高の方法・・・

姑が元気だった頃の事
ある朝、姑の妹から突然電話が掛かってきた
「姉さんが怪我をして動けなくなっているとお義理兄さんから電話が来た。見に行ってあげて」と言われた

なぜ直接うちに電話をしてこなかったのか?と疑問に思いながらも夫と実家へ駆けつけた

姑は居間に横になったまま痛みに耐えていた
昨日の夕方に買い物に出かけて転んだと言った
トイレも行けず舅が夜通しついて洗面器におしっこをさせていたと言うのだ

少しでも体を動かそうとすると姑は悲鳴を上げた
結局救急車で病院へ行った
背骨のひとつが潰れてしまっていた

そんな酷い怪我をしたのに救急車も呼ばず一晩中床に寝かせてただ見守っていたと言う舅に心底びっくりした
姑も自分で救急車を呼ぼうとしなかった事にも驚いた

後で叔母さんから実は姑は転んだ訳じゃなくて舅に追いかけられ2階の窓に追い詰められて飛び降りたのだと聞かされた

だから姑を救急車に乗せるときも付き添わなかったし、入院してからも一週間も見舞いに行かなかった理由が分かった

2階から追い詰められたといえ飛び降りなければならない恐怖とはいったいどんなものだったのだろうと考え心底ぞっとした


電話が繋がらなくなって舅の電話攻撃は増した
どんどん溜まる留守番電話のメッセージ
消去しなければ追いつかないほどだった

それでも私たちは鳴らなくなった電話に穏やかに暮らす事ができた
もう師走も迫った頃
突然舅の弟夫婦がやってきた

「やぁ。大変な事になっているらしいね。朝、兄さんから電話もらって、何か
怪我をして動けないから助けてくれって言うんだ。
それで今、駆けつけて救急車呼んで入院させて来たところなんだ。

入院の手続きとか荷物とかまとめるのちっこさんに手伝って欲しいんだ」と言われた

私は今までの出来事を叔父夫婦に話した
とにかく荷物をまとめて病院へ行ってアル症の事などを説明した方が言いと言われた

荷物をまとめて病院へ行き看護婦さんと話をした
病状は背骨の一部が潰れたと言うことだった

「背骨のひとつが潰れてる・・・・」そう聞いて
私は背中にプツプツと鳥肌を立つのを感じた

待合室で待っていると叔父夫婦が戻ってきて車で帰った
帰る途中、叔父が舅に「母さんに俺が怪我したと伝えてくれたか。」と何度も聞かれたそうだ

私の頭の中にはひとつの想像が渦巻いていた
舅が怪我をするために、怪我をして姑を取り戻す為に
2階から飛び降りる姿を・・・・・

そんな事までするはずがないと打ち消すが、背中や腕にざわざわと湧いた鳥肌を
とめる事が出来なかった
病院の廊下中に響き渡るように叫んだ舅の声が耳から離れなかった

「いてー!!いてー!!母さん!!かあさーん」
(つづく)


酒と暴力 7

2006-07-13 07:39:19 | アルコール依存症
姑は最後まで自分が暴力を振るわれていたとは言わなかった
姑の中で暴力を振るわれていたと言う認識がなかったのだ

私が「お姑さん、殴られるだけが暴力じゃないんですよ。ご飯をくれない事も
死ねと罵られる事も暴力なんですよ」と言うと驚いたように私を見た

今までずっと姑はどんな酷い事をされても

「ちょっと叩かれただけ」
「飲みすぎで買い物に行けなかっただけ」
「ちょっと口が悪かっただけ」と舅を庇った
そして姑自身もそう思い込んでいた

全て飲んだ為に起こった出来事
飲んでいなければ穏やかだし暴力だって振るわない。
ご飯も洗濯も出来る

飲んでいるから出来ないだけ

飲んでいた上で起こったことは本人の責任じゃない
酒のせいなんだから、事故みたいな物だ
そう思っているようだった

実際私も自分が暴力を受けたのだと認識するまで時間が掛かった
電話の音やドアの物音に怯え、夜も舅が家の中に入ってくる夢に
うなされ、寝ることも食べることも出来ないほど追い詰められても

舅の電話も暴力も酒が引き起こしている事
お酒を飲まなければこんな事は起こらないはず

だからお酒を止めさせれば私の苦しみも解放される
これはお酒の問題なんだと思っていた

病院で「これを読んでください。きっと役に立つはず」と言って渡された本を
私はむさぼるようにして読んでいた

医者にも見離され途方にくれた私には同じアル症に苦しむ家族が綴った、本だけが
たよりだった

そこには暴力を回避する方法も書かれていた
「アル症者達はアルコールを飲むことを責められる事を嫌います
飲んでいるときはその場を離れ、暴力を振るわれそうになったら逃げましょう

暴力を振るうようなきっかけを作るような話題は避けましょう」
アル症者で断酒を続けている方のコメントも載せられていた

「家族にアルコールの事や過去の失敗を罵られる事が嫌だった
とにかく放っておいて欲しかった。言われるとカッとなって自分を止められなかった。等」

もう舅は一人であの家にいるのだから誰にも咎められる事もなく飲めるじゃないか
それにいつも電話してくるときは素面だった

「家に行ってやる。首吊ってやる」と私が一番恐がる事を言うときも飲んではいないようだった

アル症者の中にはアルコールを断酒しても飲んだときのような暴力を振るう人もいる。
そうなるとそれは人格の問題でアルコールとは別と考えなければ行けません
この文章に胸を突かれた。

今まで全てアルコールのせいだと思っていたから読み飛ばしていたけれど
冷静に考えると思い当たる事が次々と沸いてくる

舅は飲んで暴れる事もあったけれど、一口位しか飲まない状態でも酔った振りをして暴れているように見えることもあった

お酒という隠れ蓑を使って、自分の気分によって暴力を振るっていたのだ

私は初めて婦人相談センターへと電話を掛けた

今までの出来事と電話に脅されて自分が追い詰められている事
舅の言うように話し合いで電話が止まるなら話し合いをさせた方が良いのかとすら
思い始めている事を相談した

その相談員は年配の穏やかな声の女性だった
「電話、出なければ良いんです。番号指定して拒否する方法がありますよ」

「でも電話に出ないとどうなるか恐ろしくて・・・」
「どうなるんです?来たら警察を呼べば良いんです」

「それに飲んでいなければ穏やかな時もあるんです」
「飲んでいるか飲んでいないか電話に出る前に分からないでしょ。
電話が恐いなら出なければ良いんです。」

「話し合いさえ出来れば良いと言うんです」
「何を話し合うんですか?」

「さあ。お金の事とか、これからの生活の事とか」

「今まで話し合いが出来た事がありますか?」

「・・・・・・・」絶句だった
話し合いなど出来たことは一度もない
いつも話し合いとなるとお酒を飲み始め、結局自分の言い分が通らないと
暴れだす

「ないです・・・」
「でしょ」
「話し合いの出来ない人と話す必要はないんです」

「でも死ぬとか、家を売るとか言うんです」
「だから電話に出なければ良いんです」

「舅さんが恐くて話ができないと切れば良いんです
相手の行為に怯えているという状況を伝えるんです」

その相談員の
「あなたが相手が恐いと思う気持ちは当然です。あなたは悪くないんですよ
脅す人間の電話に出る必要はありません。来たら警察を呼べば良いんです。」

何度も電話に出なくて良いと言い続けてくれた
脅すような人間と話す事はないと相手に伝える為にも電話に出なくて良いんです

その言葉にだんだん勇気が沸いてきた

自分は利不屈な暴力にさらされている
その事を認めなくちゃいけないんだ

もう脅されてたまるものか!
この先この戦いはいつまで続くか分からない
そして負けるわけにはいかないんだ

心の中で強くそう思った

電気屋でナンバーディスプレイの電話を買った
ナンバー指定で拒否出来る

相手に完全に電話を拒否していると思わせないために
ベルはならないけれど自動的に相手に留守を伝えメッセージを録音できるようにした

メッセージは何十件も貯まり続けたが電話の音に怯えなくて済むようになった

でも舅はそんな事じゃ諦めなかった

舅にとって姑の存在はどのような物だったのか
それを夫婦愛と呼ぶのか?
拒否されると言うことはどれほど舅にとって許されない事実であったのだろうか

私はそれから舅の恐ろしい程の執念を思い知らされる事となったのだった
(つづく)

酒と暴力 6

2006-07-09 09:35:47 | アルコール依存症
舅は本当に周りを取り込むことが上手かった

姑を匿っていた頃いろんな人が舅の説得にあたった

最初は舅の唯一の古い友人であった
その次が市の精神保健課の職員の人だった

でも必ず舅の言い分を鵜呑みにして
「あなた達の方が悪い。これだけ舅さんにしてもらっていながら
舅さんへのこの仕打ちはあまりに可哀想だ

せめて話し合いだけでもしてあげたらどうですか。
あの舅さんなら分かってくれますよ。
とても反省しています
見ていてとても辛いです。

お互いに悪いところがあると認めてお姑さんと話し合いをさせてあげて
下さい」と言われた

私はその人達に舅を説得する前にちゃんと今までの経緯を話していた
その人達もその話を「まあ。」とか「あらー」とか言いながら
納得してくれて舅の所へ出かけて行った

でも結局舅の話の上手さにみんな騙されてしまうのだ

「俺は10年も半身不随の妻の面倒を見てきたんだ。
ちょっと疲れて乱暴な言葉や飲み過ぎた事もあった。

娘を失って息子だけには幸せになって欲しいと
息子夫婦には家を買い与え俺が金を払ってやってきた
今じゃ退職金も底をつくほど息子夫婦に使い果たした
それなのに俺に話すチャンスすら与えてくれない。

もう死ぬしかない。
こんなに尽くしてきたのに家族に裏切られて俺は生きている価値がない」
こう言って相手にさめざめと泣いて見せるのだ

半身不随の妻の介護に疲れた夫。
幼い娘を亡くした悲しい父親

それを完璧に演技しつくすのだ
普通の人なら騙されてしまうのかもしれない

ミイラ取りがミイラになっちゃったような物

それでも舅の友人はとても心配してくれて
何とか私が相談に行った精神科に舅を連れて行ってくれた

夫と友人と舅の3人で出かけた
その場で舅がアルコール依存症を認め治す意思を表したら即入院の手続きをする筈だった

でも診察の時に舅は
「俺はお酒を飲みすぎて記憶がなくなった事はない。
飲むのも夜だけだし、量だってコップ一杯と決めている。
建設業だったので大工を使うのに声も大きいし、言い方も荒い方かもしれない

でも暴力なんか振るったことはない。
どうして家族がそんな事を言うのか全く心あたりがない」と言い切った

医師は「そうですか。今のお話だとあなたは病気じゃありませんね。
治療する所はありません。お帰りください」と夫と舅に言った

夫は横に座っていて腸が煮えくり返った
こいつはもう駄目だと思ったと言う

舅は意気揚々と電話してきて
「医者にアルコール依存症じゃないと言われた。もう大丈夫だ。
お前らの言うとおり病院にも行ってきた。
さあ。母さんを返してくれ」と言った

私は舅が病気を認める事はきっとないだろうと確信した
これは姑を取り返す為の手段でしかなかったのだ

本気で私たちの話に耳を傾ける事などない
アルコール依存症は否認の病気をと言われることを思い知らされた

本人が本当に治りたいと思わなければ治療はできない
医師の言葉は間違っていなかった
医師は舅に治す意思がないと見たのだろう

だからあえて舅の話を鵜呑みにし門前払いしたのだ
舅自ら門を叩くまで待つしかないと覚悟を決めた

その日から今までよりもっと電話が激しくなった
「俺は約束を守って病院へ行った。医者から病気じゃないとお墨付きを貰った
それなのに母さんを返さないとはなんだ!」と言って
電話を掛け続けた

次に頼んだのが市の精神保健課の人だった
その人はアルコール依存症の人の家庭を廻って様子を見たり
病院を世話したり相談に載ってくれる仕事をする人だった

その人もまた舅の話を信じ込み
「アルコール依存症といってもまだ強制的に入院される程でもなさそうです
それよりとても反省していて見ていても辛かったです

お姑さんと話し合いをさせてあげて、和解の道を探されてはどうですか?」と言われる始末だった

話し合い・・・
電話は鳴り止まないほど掛かってきて、電話に出れば
「家を売ってお前らを住めなくさせてやる!死んでやる!今からお前らの家に行ってやる!」と脅され続け、私は電話の音だけでも体から汗が吹き出るようになっていた

玄関で音がしようものなら心臓が喉から飛び出るんじゃないかと思うほどドキドキした

毎日、毎日、買い物に行っても後ろに人が立つと飛び上がるほど驚き
息子が学校から帰ってくるまで心配で心配で先生に事情を話様子を見てもらう程だった

もう私の恐怖は限界に達していた
そしてある時閃くように気がついた

アルコールの問題と暴力の問題は別なんじゃないか・・・
アルコール依存症を治さなければ暴力からも逃れられないと思い込んでいたんじゃないか

暴力は暴力としての対処をしなければ私は頭がおかしくなってしまう
自分を守るために暴力と戦う必要がある。

アルコール依存症の問題はもう手を尽くした
だから私は暴力と闘う

もう私を脅かす事は絶対に許さないと決心したのだった
(つづく)




酒と暴力 5

2006-07-04 10:23:52 | アルコール依存症
今思えば、私は焦っていたんだと思う

何とか舅を病院へ行かせたい
病気だと認めさせたい
そう思っていた

とにかく追い詰められている感じだった

舅はどんな言葉が相手に一番ダメージを与えられるかが瞬時にわかる所があった
姑が何に一番弱くてどんな風に責められれば落ちるかも知り尽くしていた

私にも夫にも果ては孫に対してもどんな言葉が一番有効で自分の思い通りに
相手を動かせるかを計算しつくす能力があった

だから舅はとにかく話し合いをしようと執拗に迫った

話し合いにさえ持ち込めばこの苦境を打破できる
自分を悪者にせず相手に罪悪感を植え付けそれをネタにこれからも
相手を想いのままに自分の為に使いこなせると自身があったのだろう

話し合いさえできれば・・・

舅に謝った後実父の車に乗って舅の家へと向かった
本当に父に舅を説得できるのか?
お酒の入った舅を父は知らない

車の中で父が「それにしてもお姑さん痩せたなー」と言った
最後に父と姑が会ってから5年は経ってるだろう

「そりゃそうだよ。ご飯食べさせて貰えてなかったんだから。
毎日1.8リットルの焼酎を飲み干して、昼も夜も寝ては飲み、飲んでは寝てを繰り返して病院にも連れて行かないし、買い物にも行かないんだから」

「そんなに飲むのか」

「病気だからね。飲まずにいられないんだよ。お酒が切れたら辛いんだから」

「そんな状況で放っておいたのか」

「手伝ったよ。沢山。でも手伝うと余計何もせずに飲んで、最後はトイレも行けなくて布団の横の空き瓶に尿を入れたりするほどだったんだよ。
私が手伝わなかったらそこまでは酷くなれない、最低のおかずは買ってきたりしなきゃ行けなかったから。
こうするしかなかったんだ」

父は黙っていた
そして道路わきに車を止めた
「そんなにか・・・・これはもっと何か考えてやらないと駄目なのかもしれないな
今、刺激しない方が良いのかもしれないな」と呟いた

父は私に
「とにかく電話だけはなるべく出ろ。無視すれば刺激するだけだ
分かったな。同じ男として舅さんの気持ちが分かる。
だから警察呼んだりしないで、とにかく電話に出て話を聞いてやって気持ちを落ち着かせるんだ」と言って帰っていった

謝ってから電話は一日に一回程度に減った
その度に出て「母さんと話させて」と言う要求には
「今はまだ怖くて出れないそうです」とか
「今日は病院へ行ってます」とか誤魔化した

舅もそれで納得してくれていた
やっぱり電話に出たほうが良いんだなと自分でも思った

でもそれは舅に私の隙を与えることになってしまった

ある日痺れを切らした舅が
「今日こそ母さんと話をさせてくれ」と言った

「今日は朝から気分が悪くて寝ています」といつものように言うと

「あんた。いっつもそう言って誤魔化しているが、俺には分かってんだ。
あー!?貴様いったい何様なんだ!俺はこれから首を吊るからな
死んでやるからな。良いんだな。あんたそれで良いんだな?」

私は動揺した
今まで「死んでやる」と言われた事など一度も無かったからだ

「俺は母さんがいなくちゃ駄目なんだ。今これから死んでやる。首吊って死んでやるーーーー!!!!」と興奮しまくった

「お舅さん。そんな事言わないでください。本当に気分が悪くて寝ているんです」

「あんた、何様なんだ!他人だろう!関係ねーだろ!!!引っ込んでろ!!かあさんだせ!!死んでやる!死んでやる!死んでやる!。」

私は絶句したままどうしよう、どうしようと頭をフル回転にして考えていた

しばらくの沈黙の後舅はふっと短く息を吐き

「いや。今からそっちに行ってやる。」
私が息を飲むのが分かったのだろう

勝ち誇ったように
「今から行くから。かぎ掛けとけよ」と静かに低く、そして私の心に重く響くように言った

「かぎ掛けとけよ」

背中から冷たい汗が流れて行くのが分かった

夫は出張中でしばらく帰って来ない
鍵を掛けなくちゃ・・・
とっさにそう思った

何度も何度も鍵を確かめた
チェーンも何度も何度も掛けなおした

その日一日玄関から少しでも音がすると飛び上がるほど驚いた

何度もドアスコープから外を覗き、学校まで息子を迎えに行った

舅は来なかった
でも舅の中で確かな手ごたえを掴んだのだろう

それから何度も舅の電話で
「これから行くでー!鍵掛けとけよ」と脅される事となった

私は水際に追いやられ、泥沼に足を取られ
ズブズブと引きずられていくような感覚に陥っていった

それでも私は諦められなかった
希望を・・・
たった一つの希望を・・・

(つづく)











酒と暴力 4

2006-06-30 12:46:10 | アルコール依存症
「そんな事分かりませんよ。本人じゃないんだから」
その言葉に全ての希望を潰された様な気分に陥った

あの時はなんて思いやりのない医師なのだろう怒りすら沸いた
でもあの医師の言った事は間違ってはいなかった

今なら分かる
「本人じゃないから分からない」
そんな当たり前の事が私には納得いかなかった

私は舅の気持ちを先回りしていつも一生懸命考えてきた
本当はお酒を止めたいと思っているに違いない
本当は苦しくて助けて欲しいと思っているに違いない

私には分かる
舅の気持ちが分かる
きっと辛かったんだ。
まだ救いがあるに違いない
何か手を尽くせば舅はきっとアルコールをやめられる筈だ

病院へ入って同じ仲間と話が出来ればきっと舅のうめられない寂しさも解消されて
生活できるようになる
姑も家に帰れてまた月一回くらい通って皆で穏やかに暮らせるはずだ

アルコールをやめる事ができたなら・・・
捨てられない希望だった

警察を呼んでから、舅は来なくなったが電話が鳴り止まなくなった
切れては鳴り、鳴っては切れた

留守電に変えると苛苛したようなため息や突然切れたように
「テメーラ!出ろー!コノヤロー」と怒鳴り散らした
朝だろうと夜中だろうと鳴った

仕方なく夜は電話線を抜いた
昼間も抜きたかったが抜くと夫の会社に掛けて迷惑が掛かるので
抜く事が出来なかった

一週間が過ぎて突然実家の父と母がやってきた
父は家に来るなり
「舅さんを玄関で門前払いした上に警察まで呼ぶなんて、どういうつもりなんだ。
お姑さんの介護で疲れていただけだろう。謝ってお姑さんも帰ったほうが良い。
お前も電話を掛けて謝って許して貰え!」とまくしたてた

「でも・・・」と口ごもると
「いいか?常識で言っても身内を警察に連絡するなんて、話せば分かる事じゃないか」

「常識」父の口癖。
父の中で身内が警察に連絡する事や姑が家出をしたりする事など考えられないのだ

「みっともない。世間がどう思うか」そう言いたそうだった
父には私が大げさに騒いでいるようにしか思えなかったのだろう

父は姑に「お姑さんもこのままって訳にはいかないでしょう。帰ったほうが良い。
私がお舅さんに話してあげますから」と言った
姑は困惑したように俯いたまま返事もしなかった

父は私に「とにかく今からお舅さんに電話して警察を呼んだ事を謝れ。それからじゃないと話し合いも出来ない」

嫌だった。電話などしたくなかったし警察を呼んだ事を後悔もしていなかった

でも八方塞がりだった
病院へ入れる方法も暴力を止める方法もない。
父が説得すると言う。それも方法なら試すしかないのかもしれない

混乱に疲れ果てその辺にある藁なら何でもかんでも摑まりたい心境だった
私は舅に電話を掛けた

舅はすぐ電話に出た
「ちっこです。警察を呼んだりしてすいませんでした」と謝った

「おー。反省してくれたか。警察を呼ぶなんて本気じゃなかったんだろう」
本当に警察が来たことを知らないようだった
私は黙っていた

「いやー。反省してくれたら良いんだ。いつかあさん帰ってくるんだ」と上機嫌で聞いてきた
「今は無理です。お姑さんはお舅さんの暴力が恐くて会えないと言ってます。」

「俺、全然覚えていないんだ。何があったんだ。教えてくれ」

はらわたが煮えくりかえるようだった
覚えていない・・・いつもの口癖だ
何か問題を起こすと必ず「酔っていて覚えていないんだ」

今までそう言えば全てが許されてきた
姑もどんなに暴力を振るわれても
「飲んでて覚えていないから。」
「酔っていたから、言っても無駄」といつも許してきた

でもあの時の舅は酔ってなどいなかった
お墓参りに行くまで舅は飲んでいなかった
帰りに一本のお酒を買い一口口にして暴れだしたのだ

お酒を咎められた事が引き金だった
でも舅は泥酔はしていなかった
飲みながら暴力がエスカレートしていったが200ミリのワンカップ
を帰るまでの間に飲み干しただけだった

絶対に忘れてなどいない。
玄関に来たときもお土産を持って来るほど冷静だった
声を聞けば長い付き合いでどれ位酔っているか分かるようになっていた

あの時も泥酔などしていなかった
それなのに舅は酒のせいにして、自分のした事をうやむやにしようとしていた

許せないと思った
この数日間にどれ程恐ろしい思いをし、子供も怯え傷つけたのに
何一つ認めようとしない

全てはお酒のせい。
酔っていたから分からないと言えば全てが許され済まされると思っている
舅を絶対に許せない

初めて舅を憎いと思った
(つづく)








酒と暴力 3

2006-06-27 19:47:29 | アルコール依存症
バスで40分程乗って着いた病院は町外れの畑の中に建っていた
見渡す限りたまねぎ畑

ただただ広い畑を見回しながら病院に着いた

ひっそりと建っているように見えたのは外観だけだった
待合室の人の多さに一瞬ボーっと立ち尽くしてしまった

受付へ行って「自分じゃなくて家族の事で相談に来ました」と言うと
「家族相談は保険が効きませんがよろしいですか?」と事務的に言われ

「かなり待ちますのでこの食券で奥の喫茶室でお茶を飲んでいてください
ソーシャルワーカーが迎えに行きますから」と手作りの食券を渡された
奥の喫茶室は日当たりの良い、綺麗な庭が眺められるように作られていた
そこでコーヒーを受け取りぼんやりと座っていた

いろいろな家族が顔を寄せ合って話をしていた
私は夫に払いのけられた手を思い出していた

自分の父親を警察に通報しようとする妻
今度は精神科に入院させようとする妻
夫の目にはどう映ったのだろう

今までどおり私が我慢し続け世話を焼き続けていたなら、こんな事には
ならなかったのだろうか

舅がお酒を飲むのは姑の世話に疲れているからだと思っていた
突然姑が倒れ半身不随となって買い物も料理もしなければならなくなったからだ

姑が倒れたとき親戚に同居しろと言われていろいろ話し合ったけれど、夫と舅との折り合いが悪くて結局舅が頑張ると言い張った
私はその後ろめたさから何とか舅が少しでも楽になってくれたらと通って手伝ってきた

でもそれはいつしか私が行く日はお酒を飲む日と決まって
私が行けば行くほど舅は泥酔していった

結局私の手伝いが舅のお酒の量を増やす手伝いになってしまった

こうするしかなかった・・・
何度も自問自答してきた
舅の手伝いを止めて手放さなければ舅のアルコールは止まらない

でも止めた結果がこれ・・・
払いのけられた手が心が痛かった
夫のあの蔑むような、軽蔑するような目が痛かった

気がつくと涙が流れていた
「ちょっと良いですか?」と声を掛けられ振り向くとソーシャルワーカーの人だった

別室へ連れて行かれた
「私はアルコールの家族や依存症の方の回復の手伝いをさせて頂いています
これからカルテを作るために詳しく経緯を教えてください」

若いとても綺麗な女性だった
私は今までの出来事を詳しく話した
最後まで口を挟まず「はい。はい。」と細かく書きとめながら聞いてくれた

「何度も夫や姑にアルコール依存症の事を言ってきたんですが取り合って貰えなくて、警察が来てようやく納得してくれました」と言うと胸が詰まった

「分かります。理解して貰えなくてお一人で戦ってこられたんですね。
辛かったでしょう。お嫁さんは間違っていません。
今までの対応は本当にマニュアル通りです。すばらしい対応でしたよ」と言ってくれた

ひとりだった。
そう思うと涙が出た
そして私の話を聞いてくれて、それで良かったんだと言って貰えた事が
私の固く閉ざした心に染み渡った

「どうしたら舅を病院に入れて治療して貰えるんでしょうか」と聞くと
「今は幻覚症状や危険な行為でもない限り強制入院はできないんです」と言われた

此処に今までアルコール依存症と戦った家族の方達の記録をまとめ、依存症者との対応の仕方等をまとめた資料があります
これを読んで見てください
きっと役に立つと思います

次は診察で先生とお話ですから、もう少し待ってくださいね
話し終わって待合室に行くとお昼も過ぎて人がまばらになっていた

それでもなかなか呼ばれなかった
もう私しか残っていない状況になってようやく名前が呼ばれた

診察室に入るとそこは書斎のような部屋だった
大きな本棚があってメガネを掛けた神経質そうな先生だった
じっと書類を見つめた後で
「お舅さんはアルコール依存症だと思いますよ。
しかし此処へ連れて来ていただかなくては治療はできません。
治療には本人がアル症と認め本人が治そうと思う意思がなければ治療はできません」

それだけ言うと時計を見て大きなため息をついた
もう話す事は終わったからと合図しているように感じた

「あの。本人に病気と認めさすにはどうしたら良いんですか?」と言うと
「そんな事は私には分かりませんよ。本人じゃないんだから」
また時計を見る医師

「舅が暴力を振るっているのに病院には入れて貰えないんですか」と聞くと
「それは無理でしょう。暴力があるなら逃げるか警察を呼ぶしかないですよ」
足がいらいらとしたように揺れた

途方にくれて私は口を閉ざした
もう何を聞いて良いのかも分からなかった

舅にアル症を認めさせる方法も暴力を止める方法もないと言うのだ
そういう事なのだ

じゃあいったい私は何の為に此処に来たのだろう?
此処に来れば全てが解決できる

解決の糸口があると信じていた私はあまりに無知だった事を思い知らされたのだった
(つづく)












酒と暴力 2

2006-06-25 20:23:03 | アルコール依存症
私が受話器を耳に当てると夫がその受話器を取った
「俺が出るから」そう言った

夫にとって舅とかかわる全ての事が苦痛以外の何者でもなかった
どんな時も舅の事では自分の存在を消し、係わろうとはしなかった

最初は夫に舅の事を何度も相談したけれど
「そんな話聞きたくない。」と突っぱねられ
「あなたの親の事なのに」と言うと
「あなたの親って言うな!」と最後は逆切れされて話にならなくなってしまう

いつしか諦めて舅の事は自分で何とかしようと思うようになっていた
この時も夫は「どうすんだ!来たのぞ!煩いからドアを開けるか?」と慌てるばかりで、最後には部屋に篭ってじっとタバコを吸っているだけだった

夫は受話器を取り「警察ですか。相談があります。私の母親に暴力を振るうので
連れて匿っています。今、酒に酔って母を迎えに来たと玄関で暴れています
保護してもらえませんか」
まるで書かれた台詞を読むように淀みなく夫は言った

短く「はい、はい」と返事をした後電話を切った

そして私を睨み付け「電話したから。今来るから」と立ち上がった
私は夫の手を握ろうと手を伸ばしたが夫は乱暴に払いのけ部屋へとまた篭った

いつしか玄関が静かになっていた
そうっとドアの方へ行ってみると舅のつぶやく声が聞こえた
「何で?警察呼ぶなんて言うんだ・・・何でなんだ」
まるで叱られた子供のように何度も何度も言っていた

私は胸が締め付けられるような気がしてドアに手をかけた
するといきなり
「おい!ちきしょー!開けろ!開けろ!」とまた暴れだした

私はそっと部屋へ戻って嵐が過ぎ去るのをじっと待った

静かになってどれ位経ったのかチャイムが激しく鳴った
恐る恐る出てみると警察官が立っていた
「呼ばれたのはこちらですか?」

ありがたい事にサイレンも鳴らさずに来てくれた
「これは何ですか?」と指を指した先にメロンと水羊羹が置いてあった
お土産に舅が置いていったのだろう。
ドアを開けて貰えてメロンと水羊羹でいつものように笑って許して貰えると
思っていたのだろう

がっくりと肩を落とした大きな舅の背中が見えるようだった


舅の姿は見当たらなかった
警察が来る前に帰ったようだった

いつの間にか夫が後ろに立っていて、2人で警察に一通りの事情を話した
警察の人は「定年を迎えた男性がお酒にのめり込んで、こういう状況になる場合が多いんですよ。ぜひアルコール専門の精神科に繋がって下さい。
いつ錯乱したり手に負えなくなったときに強制的に入院できるように
家族だけでも相談に行ってカルテを作って貰うと良いですよ

またいつでも電話してください。
この程度と思わずに電話してください。いつでも来ますから」

そう言ってくれた

今まで舅が飲みすぎて暴力や問題を起こすのは意思が弱いからだと
思っていた
飲みすぎる前に飲むのを控えて程ほどに過ごせるのなら
お酒を取り上げるのは可哀想だと思っていた

姑も夫も何度も何度も問題が起きる度に
「飲みすぎるから駄目なんだ。何で決めて飲まないんだ。
自分で量を決めて分からなく前に止めさえすれば良いのに。
本当に意思の弱い人間だ」とがっくりと肩を落としている舅に
この時とばかりに攻め立てた

舅も問題を起こした時は心底反省して
「今度こそ量を減らして、頑張る。半分って決めて飲めば大丈夫なんだ」と
気持ちを新たにするのだった

しかしそんな月日も3カ月も持たない
いつしかサイクルが3ヵ月から1ヶ月へとなりそして夜だけ飲んでいたのが
朝も昼も飲むようになり、そして1日中手放せなくなった

それでも夫や姑はただ
「意思が弱いから。量さえ減らせば。止めるなんてあいつには不可能だ。止めるときは死ぬときだ」そう言い続けていた

警察に病気だと言われて初めて夫も姑も精神科に相談に行く事を許してくれた

次の日に私は前からリストアップしていたアルコール専門病院へと出かけた
私はこれで舅のアル症を治すことができて、また穏やかに暮らせるに違いない
此処へ来れば全てが解決する物だと勝手に思い込んでいた

しかし私はそこでアル症という病を全く理解していなかった事を思い知らさせる事となったのだった
(つづく)