トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

偽りの信頼

2009-12-30 07:48:20 | ポエム
偽りの土の上には

偽りの家しか建たない

偽りで得た信頼は

崩れた時に2度と戻る事はない

どんな残酷な真実でも

私は本当の事が知りたかった。

あなたがほんの少し勇気を持っていてくれたら

ほんの少しの現実を見てくれていたなら

私はこれほど傷つかなかったのに

ちょっとがっかりした事

2009-12-25 21:15:29 | 
病気療養中だった友達。

元気になって良かったよ。

滅多に電話をしないあなたが何度も私に電話をくれたのは、
○教の勧誘だったんだね。

今まで、あなたが入っていたのは知っていた。
この、教えで私は救われ、生き辛さが和らいだと言っていた。

良かったって思っていたよ。

どんなことでも支えが見つかったのなら。
ずっと大変だったんだから。

でも、私が離婚したと知った途端に、知人に会えとか、
ビデオを見に行こうとか。

あーちゃんの年齢ならもう大丈夫だから連れてきて見せようとか。。。

離婚すると勧誘がけっこうくるって聞いた事あったけど、
離婚する=不幸になった人

救ってあげないといけない人になっちゃうのかな。

私は結婚していた頃の方がずっと救って欲しかったけどね。

『ちっこに良かれと思って誘ってるんだよ。のらりくらりと交わすしかないよ』って違う友達は言うけどさ。

なんか『私は不幸じゃないし、誰の教えも支えも要らないよ』って大声で言いたいよ。

そうすると余計に必死になって救わなくちゃって思うらしいから辞めなさいって止められたけど、なんかちょっとがっかりしたんだよ。

はがきを出して近況報告したのは、私も頑張ってるよって言いたかっただけなんだけどさ。。。


それと、会社に新しく来た、パートさん。
私より10近く若い。
まだ幼いお子さんを抱えたシングルマザーだという。

『私、ここに結婚相手を探す為に勤めたんです。こちらは大手だし、収入も安定してるし、きっと幸せになれるはず。』そう言って飲み会に上司に頼み込んで
独身男性を紹介しまくってもらっているらしい。

もうすでに何人かには断られているらしいが
『ダメなら次のひと紹介してください。子供に父親が欲しいんです』とはっきり
言い切って、まだ食事に行く前から
『あの人と食事に行く事になってるんです。あの人が未来の旦那さまです!』

とまだ自己紹介もしていないのに周りに言いふらして
『勝手に私の未来の旦那さまに話しかけないでくださいね』と言われた。

いろんな人に簡単に『シングルマザーです』ってカミングアウトしちゃう彼女にもビックリしたけど、そのバイタリティーっていうか、絶対結婚相手を見つけるんだ
という意気込みにもビックリした。

でもね。。。
シングルマザーは再婚しちゃいけないとは言わないけれど、なんだかがっかりしちゃったんだよね。

友達が『ちっこさんだって恋愛したって再婚したって良いんだよ』言った。

『私は、再婚なんて100トン位重いよ』

『そう?子供を1人で育てるより重いの?』

『そうだよ。子供との生活なんてメチャメチャ気楽だよ。誰かと結婚するなんて
その人の人生も背負うんだよ。その人の親とか親戚とか、その他モロモロ。
おまけに自分じゃない子の父親になってもらうという責任も負うんだよ。
重すぎて私には無理!もっともこんなおばさんじゃ誰も声もかからないけどさ』

彼女にとっては10グラム位に軽いのかな。
結婚すれば幸せになれる。そんな想いがまだ残っているんだな。
まだ。結婚に絶望していないんだな。

私はもう結婚に夢は持てないなきっと。
もう、ファンタジーは生きられない。

そういう気持ちがまだ彼女に残っているのは羨ましいけど
なんか同じシングルマザーとして、やっぱりちょっとがっかりしたんだよね。

今年のイベント終了

2009-12-19 18:19:59 | 
い。忙しかったーー。

9月中頃から、週末全てに行事が入っていて、ずっと不休の状態だった。

お兄ちゃんの高校の学校祭見学2回、あーちゃんのダンスクラブの発表が3回、あーちゃんの学習発表会に児童クラブの懇談会。
夜は夜で母子家庭の会のイベントに学校の面談、子供達がインフルエンザンにかかったり、風邪を引いたりで夜間病院通い。

その合間をぬって、元夫との面会。

不休状態は体には過酷だったらしく
顎が痛くて開かなくなってしまった。

自分の歯医者通いも加わって、曜日の感覚もなくなり、もうやっつけ仕事状態。

あと4つ。
あと2つ。

と残りのイベントを数えて、ようやく今日、あーちゃんのダンス発表会で終了。

今年も後2週間ちょっと。
去年、年越しの派遣村を見てから1年が経ったなんて。。。

後はクリスマスを残すのみ。プレゼントは購入済み。
あーちゃんの喜ぶ顔が楽しみだわ。

風邪を引いて喉の痛みがとれたら、今日は全く声が出ない状態に。

『ひーひー』と空気が抜けるような声でしか話せない。

お兄ちゃんに『あんた。だれ!』と突っ込まれる始末。

はああああ。明日は、とにかくゆっくり休みましょう。


 
あーーーーっ!
まだ年賀状が残ってた。(泣く)

報告義務

2009-12-14 18:56:27 | 
お兄ちゃんが支援クラスに移動すること。
高等養護学校を目指している事。

悩んでいる時にも決断した後も
父親でもある元夫に『相談したり、報告したりしないの?』と聞かれる。

結婚していた頃、息子の予測不可能な行動に困惑し、子育てに悩んでいた。

勉強を見ていて、なかなか言葉が伝わらず悩んで相談すると
『良いよなぁ。俺なんか勉強なんか見てもらったことない。親父が酒飲んで暴れて
殴られて。。あーたら。こーたら』と自分の不幸話が始まる。

どんな相談も
『そんなの。俺なんか妹が病気で。。。親父が酒飲んで。ババアがあーたら。コーたら』

『あのさ。お父さんの話じゃなくてお兄ちゃんの相談なんだけど』と言うと

『あー?!なんだってよ。グダグダ言いやがって。しらねーよ!先生にでもそうだんすればいいんじゃねーの?』

『いや。グダグダのグも言ってないけど。話終わってないし。』

『俺に!どうすれってよ!わかんねーよ!』
と言っていきなりお兄ちゃんを怒鳴りつけに行くか
自分の話を中断された事に腹をたてて、たばこを吸いに行ってしまうかのどっち
かだった。

結局、『お前の好きにすれば良いべや!』と吐き捨てられ
相談しなければ良かったと余計に傷ついて諦めてしまう日々だった。

今思うと、元夫は自分の事が話したりなかったんだろうなって思う。
随分聞いたんだけど。ね。

自分がいかに父親の酒乱に悩まされ、過干渉の母親に支配され続け
幼くして亡くなってしまった妹のことも全て整理しきれずにいたんだろう。

そして、自分の事を認めて欲しかった。

どんな自分も認めて欲しかった。
借金のことも、風俗遊びの事も、ギャンブルのことも。

全部全部。許して認めて欲しかった。

自分がどんないかわいそうで。自分がどんなに辛い子供時代を過ごしてきたか。
自分の話を1番に聞いて欲しいといつも切望しているのだから、他の人の話、たとえ息子の話しでも聞く余裕などなかったんだと思う。

息子の話をするたびに
『良いよなぁ。俺なんか』でいつも中断されてしまう。
聞いたんだよ。私なりに一生懸命さ。

でも、元夫が話を聞いて欲しくて認めて欲しくて、受け入れて欲しかったのは
私じゃなくてずっと元夫を否定して育て続けた両親にだったんだって思う。

もし、元夫に息子の事を相談できるとしたら、元夫が自分の話を自分で納得するまで話し尽し、どんな悲しかった出来事も過去の出来事だと
自分自身を受け入れられない限り、自分以外の話を聞けるようにはならないんだろうなって思う。

これは私の勝手な思い込みだけど。。。

ただ言うのが面倒なだけなのかもしれないけど。

私は元夫には息子が自分で言うまで言わないと思う。。。









決心

2009-12-09 20:51:11 | 
高等養護学校の学校祭へ行って、その学校の生徒さん達の
姿に衝撃を受けた。

中に入った途端に、食券を売る子供達の声や
催し物をする呼び声。

その生き生きとした姿は頼もしく、活気に溢れていた。

即売会場は生徒の家族の他、一般の人でいっぱいだった。

木のへらを作る体験コーナーでは、へらの形の木を磨く体験をさせてくれた。

小さな子供に親切に教える生徒さんの姿は職人さんのように逞しかった。

お兄ちゃんも木のへら作りを体験して、生徒さんがやる屋台でお昼ごはんを食べて
即売会場でお土産を買って帰ってきた。

即売会場の生徒さん達の園芸品も手芸品もどれもお店で売っているのと変わらないくらい素晴しかった。

家に帰って、どんな言葉があるだろうかと考えていた。

『自信』

人は自信を持つとあんなに生き生きとできる物なのだと知った。

お兄ちゃんにもあんな風に自信を持って、胸を張って進んでもらいたい。

お兄ちゃんも『此処なら、俺も通えそうだ。楽しかったー』と出来上がった
木のへらを大切に持ち帰った。

担任の先生に『支援クラスにうつる手続きをしたい』と伝えた。

お兄ちゃんの気持ちを聞いて、お兄ちゃんの決心が固まったら
移動する事になるだろう。

また一歩前進!


1年ぶりの面会

2009-12-05 11:06:41 | 
子供達が1年ぶりの元夫との面会に出かけた。

この1年、通学路のコンビニで待ち伏せして子供たちとちょっと顔をあわせるだけの面会を繰り返していた。

養育費も1年ぶりにわずかだが振り込まれた。

子供達は久しぶりにゆっくり元夫と遊べると言って大喜びで出かけて行った。

私は面会の日にちが決まってから、ムクムクと収まっていた腹の虫が出てきた。

子供達が『お父さん。車で迎えに来るかなぁ』と言えば

『さあね。この前、偶然道路で車に乗るとこ見たけど、きったない軽自動車だったよ。』

離婚する1年前に元夫は交通事故を起こした。
車は大破。

事故は相手が8対2の負担になった。

直すのに100万かかると言われ、乗っていた車は既に10年を過ぎようとしていたので買い換える事にした。

最初、軽自動車で100万位と思っていたら元夫が大反対。
それで120万位の乗用車にしたらブツブツと文句を言い出し、
結局160万位かかってしまった。

新車が来て1週間で元夫は車のキーを落としたと言いだしスペアーキーを使うことになった。

後で分かったけど元夫は購入後すぐに車を担保にお金を借りていたのだった。

その時すでに借金は400万を超え、それを返済する為に少しでも高い車を
質に入れる必要があったのだ。

離婚する時に仕事に使うと車を持っていったが半年後には、ぼろいワゴン車になっていた。
任意整理するときに、200万戻ってくるはずのグレーゾーン金利が100万しか戻ってこなかったのはその車の借金返済だったのだとあとから気が付く。
質にいれたばかりの車の任意整理はできなかったのか、いつものそれだけは弁護士にいえず自分で処理しようとしたのだろう。

そしてその100万は惜しくなって返済せず、使ってしまったのだろう。
そして車は無事に担保に取られたのだろう。

たった2年しか乗らなかった車。

息子の積み立ての預金を崩して買った車。

今じゃ、借金の為にわざと事故を起こして、借金の為に買わされたんじゃないかとさえ思え腹ただしい。

『お父さん、あの車、借金に取られちゃったのかな?』

『知らない!かかわりたくないよ』とついつい言葉もきつくなる。

無言になるお兄ちゃんを見て『ハッ』として慌てて引きつった笑顔を作り
『お兄ちゃんは心配しないで楽しんでおいで。』

『うん。そうだね。関係ないもんね。誕生プレゼント貰ってなかった。買ってくれるかなぁ』

『お金があれば買ってくれるんじゃないの』とまたツンケンしたくなる。
あー。ダメダメと思ってもつい態度に表れる。

息子はそんな事は気にも止めずルンルンと鼻歌交じりにあーちゃんの手をひいて
出かけていった。

あーぁ。やだやだ。