トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

心底嫌になる

2013-12-20 23:21:52 | 
悔しい。

なんで、人のもめ事に巻き込まれなくちゃいけないんだ。

私だって遊んで暮らしているわけじゃない。

できる事以上の事をしていても、怒鳴り散らされる。

私の送ったファックスに会から文句が来たんだそうな。

会からの電話を受けたくないのに、会から電話が来たから、腹が立つから、私のファックスの送り方が悪いから。

会が嫌いだから、行事の回覧は回さない。
みんな、会が嫌いだから行く人なんていないんだから。
誰もいませんって会に連絡して。

私は、行く人はいません。って連絡したよ。

「私は、ちゃんとみんな都合がつかなくて、いつも行く人は高齢で、もう会の行事はでませんって言われているから、いきませんって伝えてくれていると思ったよ。
ただ。行きませんって送るなんて。。。
だから私に回覧をちゃんと回してないんじゃないかって電話が来たじゃない。
あなた、会にちゃんと言ってよ」

回覧を回さなかったのは事実じゃない。
皆が行くか行かないか勝手に決めて回覧を回さなかったのは事実じゃない。

私は言われていない事まで想定してする事はできないんですよ。
気がきかないって言いたいんでしょうね。


そんなに会が嫌いなら辞めればいいのに

あの会の人がいるから私は頭がいたいのよ。
あの人が嫌いだから。
それは個人的な感情でしょう。

こういうのが一番嫌。
私には関係ない。

私の方が辞めたいよ

腹が立つ

2013-12-14 18:28:15 | ポエム
会の人たちはみんな、シフト制で働いているのだから、急に用事ができて、会の行事を変わってほしいと
言われてもすぐ引き受けられないのはわかる。

だけどお願いしても断り方ってあると思う。

何も楽してお願いしているわけじゃない。
あーちゃんのダンスの発表を観に行ってあげたかったのだ。

お兄ちゃんの就職で今年は特に学校説明会が多くて、会社の有休をほとんど使って、あーちゃんの参観も一度も出られず、なけなしの有休すら会の仕事に使って。。

だから今年最後の発表会だけは行ってあげたかった。

だからお願いしたのに。

子供たちの世話は確かに大変だ。
今は気温も低く、開館の一時間前には部屋を暖めなくてはならないし、仕事だって楽じゃない。

だから3か月に一度の当番も一度も頼まずこなしてきた。

「私、仕事だからできないわ。もう一人の役の人に頼んで駄目なら他を探してもらって。」

「でもそのあとの夜の行事は出てね。会長がいないと始まらないから」

「だいたい、その子供の世話をしたって、たいして効果はないわよ」

「うちの団地の会場を頼まれて借りてるけど、はっきりいって、迷惑なんだよね。
子供が出入りして、駐車場もけっこう使われて。
団地の人も迷惑してるだろうなってわかるから、余計わたし協力したくないわ」

すごくがっかりした。
あなたのお子さんも世話になったんでしょう。
あなたのお子さんは優秀で、独立してもう立派に生活していて、あなたには残った子供たちの事なんて
関係ないのかもしれないけれど。

でもこの活動でなんとか頑張りたいって思っている子供たちがいるんだ。

あなたのいう「そんな活動」でも子供も親も必死なんだ。

協力できなくても言い方ってあるでしょう。

あなたが、病気になった時だれも助けてくれなかった理由が少しわかった気がしたよ。

なんでも思った事を口にする人って本当に損だと思う。

思春期

2013-12-11 20:45:12 | ポエム
自閉症でも知的障害であっても、子供は成長して大人になっていく。
身長も伸び、体も大人へと変化していく。
そして心もまた大人へと変化していく。

今まで、テレビアニメやカードゲーム中心だった興味から、女の子への興味も芽生えてくる。

それはホルモンによるものなのか、人間の原点だからなのか。
「彼女が欲しい」という気持ちが強くなってくる。

成長過程で誰でも大なり小なり気持ちが芽生えてくるものなのだろう。

だけど自閉症はそれに強いこだわりが出てきてしまう。
「彼女が欲しい」

その一言でこの一年が始まった。

そして「俺、彼女ができた」

この一言でお兄ちゃんのすべてがどこか遠くへ行ってしまった瞬間だった。

初恋。
初めての彼女。
小学校のころに転校した近くの普通高校に通う同級生の女の子


目はうつろ。
食欲も落ち。
独り言も増え。

その彼女の仲間とも仲良くなってつるむようになり、家にも帰ってこなくなった。

中学で特別級へ移動し、同じ障害の友達と過ごしてきたお兄ちゃんにとって、久しぶりに出会った
その友達は会話のテンポも速く、内容も刺激的なものだった。

お兄ちゃんはよく「スイッチが入ったら見えなくなる」と言うが、まさにその瞬間だった。

スイッチが入ったお兄ちゃんは、学校の授業もおろそかになり、先生の指導も耳に入らず、
学校から帰ると、仲間のところへ行く時だけ目がギラギラと光って、
名前も、住所も、どんな学校へ行っているかもわからない子たちを「親友だ」と呼び
いつものお兄ちゃんの悪いパターンへと落ちて行ってしまった。

さらに彼女の存在も加わり、「俺の人生で最高の時だ」と言い
クラスの友達を「話があわね~。なんか違いすぎ」と見下したように言い放ち、
「簡単に人を信じすぎてるよ」なんて私の言葉は全く耳に届いていないようだった。

知らない子が知らない子を呼び、リストの中の人だけを家に入れても良いなんて約束も
なしになって、家に帰れば知らない子が勝手にパソコンをいじっている。

あまりに学校の授業に影響がでて、門限を一分すぎるごとにお小遣いから10円減らすと約束させて
ようやく、門限を30分以上過ぎる事はなくなった。

休みの日も午前8時半から夜の10時近くまで遊び、「最高だー!」と言いながら、痩せて、疲れて
へとへとになっていても、自分の体に鈍感になって分からないようだった。

落ち着くまで見守るしかない。

遅くなっても家に帰ってきている。
学校へも行ってる。
そう言い聞かせて自分を平静に装うのが精いっぱいの毎日が過ぎて行った。

3か月が過ぎ、特に物を盗まれるなどのトラブルもなく時間は過ぎて、
普通の子達とも付き合えるようになったのだろうか。
私が間に入らなくても大丈夫に成長したのだろうかとちょっと安心した矢先のことだった。

今年になって引き受けた役の会議でいつものように9時過ぎて帰宅すると、まだお兄ちゃんは帰ってきていなかった。

メールをしても、電話をしてもつながらず、いつもと違う様子に気がつく。

昼間は暑かった。
何度も外に出てみるが、帰りを急ぐ列車から降りた人たちが通り過ぎるだけだった。

嫌な胸騒ぎを抑える事ができず、お兄ちゃんが帰ってくるはずの道を何度も目を凝らして見つめ続けた。

(つづく)



すべてを受け入れるまで

2013-12-09 22:19:39 | ポエム
お兄ちゃんの、特別児童扶養手当の申請をした。
最初に自閉症と診断された時、軽度の障害と思ったので、申請しても難しいだろうと思い、申請しなかった。

「軽度発達障害」
自閉症だけど軽度なんだ。
ずっとそう思っていた。
嫌。そう思いたかったんだなって今は思っている。

お兄ちゃんは私が思っているよりずっと、言葉の理解力が乏しい事がわかった。
生活能力も、コミニュケーション能力も、誰かのサポートが常に必要なのだ。

「免許が欲しい」
「お金を貯めてとれるなら頑張ったら」

「結婚してみたい」
「良い縁があればできるかも」


お兄ちゃんならできる。
だって、軽度なんだから。
訓練を積んでいけば普通の人と変わらず暮らせるようになるかもしれないんだから。

無理なんだな。
思春期、青年期となって色んな事が次々に起こって、ようやくわかった。

どうにもしてやれない事もあるんだ。
私がなんとかしてあげられるって思っていた。

でも無理なんだ。
だから私にできる事は、お兄ちゃんが一人で生きられるようにじゃなく、サポートを受けながら
生きていけるようにしてあげる事なんだって。


ある日の社員食堂でいつもの仲間と昼食をとっているとその中の一人が言った。

何かの障害児の話になり

「そういえば、年取った知的障害の人って見たことないよね。」

「みんな、長生きできないんじゃないの」

「えー!長く生きられないんだ。」

「可哀そうにね。でも親が先に死んで残していくのも可哀そうでしょ。だからその方が良いんだよ」

「そうよねー」

いつも、一緒に昼食をともにしている仕事仲間の主婦たちが口々に言い、うん。うん、と大きく
うなずいた。

私は、「あ!今日はちょっと用事があったから早くあがるね。」と言って席を立った。

しばらく、動機と震えが止まらなかった。


・・私は、私が死んだあとのお兄ちゃんが心配だから、先に死んでほしいなんて思った事ないよ・・


何度も何度も心の中でつぶやいた。

いつも、楽しく昼食をともにする仲間。


分かっている。
あの人たちは私の息子に障害がある事は知らないんだ。

でも!偏見とはなんと残酷なものだろうか。


思った事を何でも言葉にするって恐い事だ。
まさか、その隣に当事者がいるなどとは夢にも思わないのだろう。

その一瞬で、どんなに軽蔑されているかも気付かないのだろう。

「もう。二度と彼女たちと席をともにするものか」そんな気持ちになった。

怒りに震えながらも、私もお兄ちゃんに障害があると気付かなかった時、障害とは無縁だと思って
いた頃ならきっとその会話にうなずいていた一人だったであろうことに気が付いていた。

そして障害が分かった後でさえも、「軽度なんだから。私がいなくなっても大丈夫」
重い障害の子とは違うんだから。

自分自身が偏見にまみれ、何一つ現実を見ていなかった事にきがついた。


もうすぐ一年。
みなさんに挨拶できる日までと閉じていたブログ。

本当に色々ありました。
私がお兄ちゃんの障害と本当に向き合った一年だった気がします。

偏見と傲慢に満ち溢れていた私の心が粉々に砕け散った一念でした。

そして私はようやくお兄ちゃんの障害を受け入れる事ができるようになりました。

お兄ちゃんには障害がある。
私は障害児の母親なのだ。
ずっと向き合い、死ぬまで寄り添っていくのだと覚悟ができた気がします。

私がお兄ちゃんの障害を受け入れられるようになった経緯を記していこうと思います。


今年もあと少し、頑張ります。

みなさん。お久しぶりです。
お元気でしたか。