トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

引っ越しました。

2014-12-12 23:03:34 | 
どたばたと色々ありましたが、無事に引越しできました。

苦手な引越しに四苦八苦する私に、みんなが手を貸してくれました。
兄弟、親戚、友達、いつもはなかなか会えないけれど、困った時はすぐに駆けつけてくれた。


前回の離婚でマンションを追い出された時とは違って、とても前向きな気持ちで、みんな笑って新居を祝福してくれた。

とても良い引越しだったなとは思ってもやっぱり引越しはこりごり。
荷づくりも手続きもヘトヘト。

そんな引越しも、あと数日という目前に、元舅が亡くなったと連絡がきた。

元夫は両親と絶縁していて、元姑が亡くなった時も、私と子供たちでお葬式に出席した。
姑が亡くなった後も、アルコール依存症の舅の面倒を、舅の弟が最後まで世話をして看取ってくれたようだった。

ぜひ私と子供たちにもまたお葬式に出席してほしいと言われたが、
元姑のお葬式のあと、私も子供たちも精神的に不安定になってしまい、元の生活に戻るのに大変だった。

姑のお葬式で舅には最後のお別れのつもりで「お元気で」とあいさつできていたし、
子供たちと相談して、今は落ち着いて静かに暮らしたいと想い、お花と弔電で失礼することにした。

思えばこのブログを始めたきっかけも、舅とのアルコール依存症との戦いからだった。

あれから10年弱、姑も舅も逝ってしまった。

離婚してからも気になっていて、でも何も出来ない。
町中で姑に似た人を見つけると、「あー、もういないんだな」と思ったりした。
そして姑の介護の日々を思い出しては、舅はどうしているだろうか。
と思い出し、あの舅との凄まじかった戦いを思い出したりしてた。

もう、終わったんだな。
姑は会いたかった亡き娘の元へ行き、きっと好きな旅行をしている事だろう。
舅が死ぬ朝、私の実母は姑の夢を見たと言いました。

きっと姑が「仕方ないなぁ」と迎えにきて舅を連れて行ってくれたのでしょう。

もう、舅は姑に暴力をふるう事もなく、喧嘩しながらも仲良く暮らしてくれていると思う事にしよう。

これで私の結婚生活にも一区切りがついた気がする。

お花と弔電を送ったあと、元夫から
「お花をありがとう」とメールが来ました。

舅のお葬式にでたようだった。

メールには舅、姑に良くしてくれてありがとうと、最後までまるで自分が看取ったかのように書かれていました。

そして、私に何か言って欲しそうなメールでしたが、何も言う事も思いつきませんでした。

すべては過去の出来事となって、また一ページが終わりました。

次の角まで、その次の角まで、足を前へ、後ろの足をまた前へととにかく一歩、一歩と歩いてきた。

まだゴールが見えたわけではないけれど、ちょっとずつ角までの距離が長くなった気がする。

大変だった、役の仕事も2年の満期を迎えます。
2年たち、仲間たちとも仲良くなれ、また2年力を合わせてがんばろうと約束をして、
また2年務める事となった。

どんなことにも意味があるんだ。
どんな経験も自分に何かを伝えてくれるんだ。

10年前、ただ自分の人生に振り回されて、泣くばかりだった私は、ずいぶん強くなれた気がします。

みなさんのおかげです。
私にかかわってくれたすべての人に感謝です。

新しいおうちは、日当たりが良くて、暖かく、みんなが集まれるようなおうちになっていけたらと思います。

再出発です!