トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

負けるもんか。

2007-06-25 22:02:44 | ポエム
元夫から「海に一緒に行こう」と誘われ
メールを保留にしていたら「もう良いです」と逆切れされ
それも放っておいたら悲しみいっぱいのメールに罪悪感を刺激され、
どっぷり落ち込んで。

こうして離婚しても元夫を傷つけないように、機嫌が悪くならないように
言葉を選んで、話をする事に疲れます。

自分にもう良いよって言ってあげたい気分です。
十分だよって言ってあげたいです。

子供達が泣くことも元夫が泣くことも全部私のせいです。
私が選んだ決断が家族を壊したのです。

でもそれしかなかった。
自分を守るためにはあの決断しかなかったのです。

だからこれは自分との戦いなんだと思う。
自分の罪悪感と戦って手放さない限り私は元夫とは普通に話したり出来るように
なれないんだと思う。

どんなに子供が悲しんでも、どんなに元夫が悲しんでも
揺れずに受け止める力が欲しい。

毅然と歩いていける心が欲しい。



お父さんに会いたい。

2007-06-21 19:16:28 | 子供
「どうして会っている時間はすぐ過ぎてしまうの?
お母さんと喧嘩ばかりでも良かった。また一緒に暮らしたい。
お父さんに会いたい。すぐ会いたい。来月まで待てない。」

息子の気持ちはなかなか収まらなかった。

背中をさすっても、頭をなでても。
一緒に泣いても。
息子の父への想いは強まるばかり。

離婚する1年前に元夫は失職した。
最初は退職金も入り就職活動も前向きにしていたが、上手くいかず
友達のフランチャイズを手伝うようになって、それも上手くいかなくなった頃から
元夫の息子への態度がどんどん変わっていった。

「おい!ちょっと来い!こらぁー」とヤクザ調に息子を呼び
息子が怯えたように近づくと「なんちゃって」とふざけるのだ。

息子と無邪気に遊んでやっていたかと思うと突然
「なんだぁ?その言い方は?」と怒鳴りだしたり。

何時怒り出して。何に怒り出すか分からないようになって行った。

何度も止めてと元夫に言った。
すると反省して息子に「八つ当たりしてごめん」と息子に謝るのだ。
そしてまた無邪気遊んでやる。

でも息子の機嫌が治らないとまた怒鳴り散らす
息子は元夫の気分のはけ口となっていった。

そのうち息子の元夫への口調が変わった事に気がついた
「パッパ。今良いでちゅかー?」と赤ちゃん言葉で話しかける。

元夫が「なんだ?気持ち悪いぞーーー」と笑えば安心して普通に話し始める。
元夫の機嫌を赤ちゃん言葉で試しているのだと気がついた。

機嫌が良いと思って息子が油断していると突然とばっちりが来る。
息子は混乱して元夫に話しかけるときは常に赤ちゃん言葉になっていった。

ある日「お父さんが恐いから赤ちゃん言葉で話しているの?」と聞くと
息子は大きな涙を流して
「お父さんが何に怒って。何に怒らないか分からない。どうしたら良いのか分からないんだ」と泣いた。

その頃からだろうか。もう限界が近づいていると感じたのは。

今の息子はあの短い間の出来事を覚えていないようだった。
一度「お父さんすぐ怒ったりして、お兄ちゃんも恐かったじゃない」と聞いたら
「そうでもなかった。楽しい事の方が多かった。」と言った。

息子の中に良い父親だけが残っているのなら
それで良い。

どうしてお母さんはお父さんを追い出した。と思うかもしれない。
父と子を引き離した酷い母だと思うかもしれない。

でも子供達に離婚の本当の理由は言わないと決めている。
恋しい父。
愛しい父。

そうあり続けて欲しいと願っている。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう



ただいま

2007-06-17 21:43:22 | 
頭の中の気持ちと心の中の気持ちとバラバラの気がします。

実家に帰ると相変わらず深い木々に囲まれています。裏山は夏の空に聳え立っています。

風に揺れる木々たちは「また。そんなに悩んじゃって。なるようにしかならないんだからゆっくり行こうよ」と声を掛けてくれている感じがします。

弟は風邪を引いているのに息子と約束したからとサッカーをする為に
無理して実家に来てくれました。

父は最近鬱が酷くなりつつあって震える手で会社の更新の保証人の欄に
名前を書いてくれました。

母と何年ぶりかで北海道祭りに行ってきました。
母と行ったのは中学の頃が最後だと思うのでもう30年ぶりぐらいでしょうか。

新しい屋台を沢山見て廻って、珍しい食べ物を食べたりして。

昔ながらのお化け屋敷やバイク小屋もありました。
家に着く頃にはもう足がパンパンに張っていて一歩も歩けないほど疲れていた

そんな楽しい事や身内の温かさに触れて元気を貰うのに
ふとよぎる憂鬱な気持ち。
気がつくとため息ばかりついていたり。

先週一週間は本当に目まぐるしかった。
元夫の家に泊まってきた子供達はいつもの様に帰ってから大泣きだった。

娘はすぐに機嫌が治ったのにお兄ちゃんは気持ちの切り替えがなかなか出来なくて
夜中も起きてきては
「お父さんに会いたい。お母さんと喧嘩ばかりでも良かった。一緒に暮らしたかった。」と泣いた。

それが心にズンと落ちてしまって。。。
ごめんね。と謝りたかった。でもその言葉を飲み込んだ。

謝ったら後悔しているように思えるから。
謝ることが余計に息子を傷つけてしまう気がした。

友達と飲みに行って、離婚した事を報告した。
本当に驚いていたけれど、今まで通り何も変わらない関係でいられそうでホッとした。

「何が出来るって訳じゃないけれど困った時は言ってね。」と声を掛けてくれた
とても嬉しかった。

そしてDSライト騒動。

優しい人の心に触れては元気を出さなきゃと自分を鼓舞し。
幸せ探しをしては不安を打ち消す毎日。

テレビをぼんやり見ているとき。
買い物をしている時。
このまま穴のそこに落ちて行きたい衝動に駆られる。

元夫と暮らしていた時私はよく心のシャッターを下ろして
表情を消すことがあった。

笑う顔でもなく怒っているわけでもなく。
ただ何も考えずに能面のようになって心を守っていた。
もう何も感じない自分。

今はそれが出来ない。
何処へ行っても元気に振舞わなければいけないような気がする。
離婚してもう苦悩から開放されたすっきり前向きの私。
本当にすっきりした部分もあるけれどどこか演じている自分もいる。

離婚がゴールだと思って目指していた私は離婚してその先の
目標を見失ってしまった。

これから自分は何処へ向かっていくのか。

いつも次の角まで。あそこの角までとずっと先は分からないから
小さな一歩を目指して進んできた。

今はずっと遠くを見据えて進まなきゃいけなくなった気がする。
お兄ちゃんの学校の事。進学の事。
あーちゃんの小学校の事。

仕事の事。
自分の事。

小さな一歩の積み重ねが未来に繋がるのか。
もっと計画的に進むのか。

穴になど落ちてる暇はない。
頑張らなきゃ。
私は大黒柱になったんだから。。。。

もっともっと強くて太い大黒柱にならなくちゃ。

まだまだ迷ってばかりの私の話を聞いてくれてありがとう






子供の盗み。

2007-06-15 22:45:44 | 子供
私は息子がお友達の物を盗んだり、姑の財布からお金を盗んだりした時
本当に悩んだ。

叱っても。諭しても。泣き落としても。
その時は本当に心から泣いて謝る息子。
これでもう大丈夫と胸をなでおろす私。
でもほとぼりが冷めるとまた繰り返す。

この子は物を盗む病気になってしまったんじゃないか。
自分の育て方が悪かったから、周りの環境が息子を追い詰めたんじゃないか。
原因を探して右往左往する毎日。

そのうち、原因など探しても意味がないことに気がついた。
今。どうするのか。
息子は「欲しいと止められない」と言う

じゃあ。どうすれば良いのか。
結局成す術はなかった。

姑の財布からお金を盗った後もお財布からお金を盗むまではしなかったけれど
友達のカードを盗ったりしていた。

私はその都度目を光らせた。
どういう訳か息子が物を盗ろうとしていると心の中からピンと来るのだ。

それは息子の声の調子とか、普段とは違う様子とか。
ちょっとでも違うと持ち物をさりげなくチェックした。
そして必ず見つけた。

「これは、お兄ちゃんのじゃないよね。」の一言でお兄ちゃんの顔はみるみる強張っていくのだ。

「ごめんなさい。また。。。」
「そうだね。また間違っちゃったね。お母さんは何度でも見つけてあげる。
お兄ちゃんが自分の心にもうしないと刻みこむまで何度でも見つけてあげるからね。
大丈夫。お兄ちゃんは泥棒になんかならないよ。お母さんが絶対見つけてあげるから。」

「うん。ごめんなさい。僕、絶対頑張るから。」ワアワアと泣く息子を
愛しく、切なく見つめ続けた。

この子はまた盗む。
きっとやる。と受け入れた。
そして何度でも見つけてやろう。

絶対に誤魔化されないと教えてやろう。
そう心に誓ってきた。

そうして、遊びに来た低学年の子のカードを盗んだのを見つけたのを最後に
息子はぱったりとしなくなった。

今じゃ、本屋でウロウロするあーちゃんを「泥棒と間違えられるから持って歩いちゃ駄目!」とかでかい声で怒っていて恥ずかしい。

我が子が盗みをしたら。きっと動揺するだろう。
どうして?どうして?って思うだろう。

でもどうしてかは子供にも分からないんだと思う。
ただ盗ってしまう。
その事に子供も驚いているんだと思う。

親が一緒に動揺して泣いていては子供は戸惑うばかりなのだと知った。
そして子供は何度でも試す。
これでもか。これでもかと言うくらいに。

今回、○○君の盗んだ物が見つかってよかったと思う。
あの時お母さんは「うちにはありませんでしたよ」と他人事のように取り合ってくれなかった。

お母さんも息子は盗みをする子供だと知る事ができて良かったんじゃないかと思う。
交番にも行って叱ってもらったという。
先生にも強く指導してもらったと言っていた。

でもそれで安心しないで最後まで見つけ続けてあげて欲しい。

だからこそ私はDSライト本体をうやむやにして良いのかと悩むのだった。

明日書くはずが実家へ帰ることになったので続けて書きました。
他の出来事はまた来週。

何だかドタバタな一週間でした。
続けて聞いてくれてありがとう。






言いたい事がいっぱい

2007-06-15 19:51:17 | 
薄皮を剥ぐように1日が過ぎていきます。
明日も仕事はあるだろうか。
明日は何をしようか。なんでこんなに仕事が少ないのに私を雇ったのだろうか?

それでも中の人達は良い人ばかり。
意地悪されるわけでもなく利不屈に怒鳴られるわけでもない
ただ仕事が少ないだけ。

こうして仕事が辛い分、家に帰るのが楽しくて仕方ありません。
保育園であーちゃんの顔を見ると顔が緩みっぱなしです。
保育園の子供達も「あーちゃんのお母さん可愛い!」とか言ってくれて
本当に楽しいです。

正負の法則っていうけれど家が楽しくなっちゃった分仕事に恵まれないのでしょうか。

ずっと私の話を聞いてくれている方は覚えているでしょうか
息子のDSライトが盗まれた事件を。。。
今週初め、あの時の○○君とお母さんが家に来ました

「息子の机を掃除していたら、ゴロゴロと友達のゲーム本体やらソフトが沢山出てきました。その中にお宅の息子さんのゲームもあったので持って来ました。すいませんでした。」と袋を渡されたのです。

当然DSライトが入っていると思っていたら、アドバンス本体とゲームボーイ本体、ソフトが二個。そしてDSライトの充電器のみが入っていたのです。

「DSライトもうちではなくなっていてお宅にお電話したのを覚えていますか?
充電器だけなんですが。。。?」

「はい。子供に聞いてもそれだけは知らないというんです。充電器だけ盗んだと。
家中探したんですがライトだけ出てこなかったんです。もし盗んでいたら弁償します」

私はもう一度○○君に聞いた
「DSライト知らないの?充電器だけ?」

○○君は泣きながら「ごめんなさい。盗んでごめんなさい。それは知りません」と泣くばかり。。。

突然のことに驚いたのと途方に暮れてその子のお母さんも突然息子の机から出てきた大量のゲーム機にソフト。動揺して学校やら交番やらに行って、友達の家を返しながら謝って歩いたのだという。

疲れきったお母さんを見るのも辛く。。。
お母さんの気持ちは痛いほど分かる。
私も同じだったから。

お母さんも涙も出ないほど憔悴していて。。。
話はうやむやのまま帰って行った。

それから先生とも話した。
○○君は発覚の少し前に先生に怒られた時にもの凄く興奮して
壁や机に頭を打ち付けて大暴れした事があったのだと言う。

先生も「戻ってこなかった本体が心配は分かりますが、本人が知らないと言い張っている以上、これ以上追い詰めない方が良いと思います。もう少し様子を見させて欲しい」と言った。

息子の気持ちを思うとまたまた複雑なのだった。
他にも盗られていた事にもビックリだし。肝心のDSライトは戻ってこないし。

おまけに盗まれたソフトのデーターはきれいに消されちゃってるし。。。。
それでも息子は泣いて謝る○○君をかわいそうだと言う。

先生が言うには今の○○君の友達は息子だけなんだそうだ。

「だから修学旅行も同じ班で同じ部屋なんです。息子さんがまだ普通に友達としていられるならこのまま旅行に行かせたいんですが。」

「それは、息子が決める事ですから。。。」と返事をした。

息子に聞いてみると
「本当は心のどこかで自分が失くしたと思っていた。やっぱり○○が盗んでいたのはショックだった。でも今は分からない」と言った。

なんか心がモヤモヤします。

今日は私のモヤモヤを聞いてくれてありがとう。

今週は他にもまだまだいろいろありました。
言いたい事があるので明日また聞いてくれたら嬉しいです。





お姑さん

2007-06-11 19:51:57 | 共依存症
久しぶりにママ友と飲む約束をした。
元夫と丁度面会の日だったので泊まりにしてもらった。

いそいそと元夫の車に乗り込んだ子供達を見送って少し経った頃
電話が鳴った。

「○○タクシーです。そちらのお姑さんを近くまで乗せてきたんですが、
ちょっと場所がハッキリしないのと足がご不自由なので迎えに出て下さいませんか」

「姑ですか?1人で乗ってるんですか?」
「そうです。お1人です。こちらも困ってます。お願いします。」

住所を告げて少しするとお姑さんを乗せたタクシーが着いた。

あまりの突然の出来事にただ驚いて見ているしかなかった。
やせ細って目だけギョロギョロしたお姑さんは私の顔を見ると
「一晩泊めてくれ」と言った。

「ど。どうしたんですか?」
「どうもしない。遊びに来たの」
「お舅さんには言ってきたんですか?逃げてきたんですか?」

「言ってきたよ。遊びに来たんだ。泊めてくれ」

杖を突いてフラフラと家に入ってきた。
「誰もいないのか?何処へ行った?」
「今、出かけていて。。。」

「息子はどうした?仕事はどうなった?」
「新しい仕事をしています」

おもむろに立ち上がると取り込んだばかりの洗濯物をたたみだした

隙を見て元夫に電話した。
元夫はすぐに子供を連れて戻ってきた。

洗濯物をたたんでいる姑に元夫は「何しに来たんだ」とぶっきらぼうに言った

「遊びに来たべさ。」

「あんな帰り方して、良く来れたもんだ。今更来ても俺らは何も出来ない。
悪いけど俺達離婚したから、今日は子供達との貴重な日なんだ。邪魔しないでくれ。帰ってくれ。」

あまりの突然の告白に姑は理解できないようだった。
「別れたのか?私は知らないから。何も知らないから。ただ遊びに来ただけだから」

「親父に連れられて帰っただろう。足で蹴るようにして帰っただろう。
あの後ちっこがどんな想いしたか知らないだろう。」

「知らない。分からない。」

「あー。そうか。とにかく、そういう事だから、もう俺を巻き込むな。
あんたはあそこが良くて帰ったんだ。タクシー代やるから帰れ!帰れ!」
元夫が頭を抱えて泣き出した。

「私は何にも知らない。分からない。そんな事言うなら帰るわ。悪かったね」

そう言うとフラフラとまた杖を突いて玄関へと向かって行った。

タクシーを呼んで外でお姑さんと並んで待っていた。
かける言葉も思いつかなかった。

お姑さんは一言「お舅さんには暫く黙ってるから」そう言った。

お姑さんの顔は能面のようで何も感じていないように見えた。

心のシャッターを閉じたのだろう。
息子を頼りに生きてきた姑だった。
息子を支配し操り舅を支え続けた姑だった。

タクシーに乗り込んだ小さな背中は怒りが詰まっているようにも
悲しみが噴出しそうにも、ゆらゆらと陽炎のようにはかなくも見えた。

真っ白い骨だけの手をひらひらと振ってタクシーは遠ざかっていった。

私は何時までも見送っていた。
見えなくなってもその場を動く事が出来なかった。

因果応報。育てたように子は育つ。
元夫を自分の物のように支配し、永遠に我が手の中に縛り付けようとした
義理両親達。

孫も息子も全てを失った義理両親達。
それは、あまりにも悲しい家族の末路だった。

今日は私のやりきれない想いを聞いてくれてありがとう








理想と現実

2007-06-08 22:48:06 | 
離婚する時強い理想があった。

仕事に生きるキャリアウーマン。
颯爽と仕事をして子供達に不自由をさせたくない。

元夫に依存していた心の穴をどうにかして埋めたかった。
いろんな事を詰め込んでおきたかった。

でも穴は大きくて次から次へとほころびのように開いていった。

現実は。
仕事は月の半分くらいは何もない。
ただ電話番と席を温めているだけ。

バリバリと働くなんて程遠い物だった。

入社した頃から何かと教えてくれるパートさんは
私以外の人には笑顔で話しかけるのに私には全く笑わず
いつも叱られてばかり。

私が社員さんや他の派遣さんに話しかけるとすごい勢いで
話に入ってきて追い出されてしまう。

その後の機嫌の悪さが恐くてもう、他の人に話しかける事もしなくなった。

これは私の望んだ現実じゃない。
こんなはずじゃない。

またパートさんに「暇なら電話ぐらい出て」と馬鹿にされるのが恐い。
Kさんは急がしそうで「何か仕事ないですか」と聞いたときに
すごく申し訳なさそうに「ないです」といわれるのが辛い。

バリバリ働かなきゃ
心の穴を埋めなきゃ。

朝、あーちゃんと保育園に重い足取りで向かった

家ばかりが密集した通り道にポッカリと開いた空き地がある。
日当たりが良いのかビックリするくらい大きなクローバーが生い茂っている。

あーちゃんが紛れ込むと見えなくなるくらいのクローバー達。
風が吹くと「ザワ。ザワ。」と音がする。

会社に行きたくなくてあーちゃんとちょっと立ち止まって見ていた。
風に揺れるクローバー達
幸せの四葉はあるだろうか。。

私の幸せはなんだろうか。
みんなと仕事の量が違っても良いんじゃないだろうか。

私は私の与えられた仕事をこなしていくだけ。
それでお金が貰えるのだからなぜそんなに卑屈にならなくちゃいけないんだろう。

パートさんはパートさんなんだから。
パートさんとは部署が違うんだから仕事の量も質も違って当たり前。

堂々としていたら良かったんだな。
列車には1本遅れてしまったけれど、今まで見えていなかった物がすっきり見えるようになった。

もうすぐ3ヵ月の更新。
続けようか迷っていたけれどやるわ。

理想とはかけ離れた現実だけど、無理な理想で心の穴を埋める事は
苦しくなるばかりなんだなって気がついた。

情けなくて、トホホな現実だけどまぁ良いよね。
来週の予定表も真っ白だった。
でも電話を完璧に出るわ。

掃除も念入りにやりましょう。
そう決意していたらKさんに「来週からちょっと仕事が増えますので宜しくお願いします」と言われた。

現実を受け入れると次のステップに進むって言うけれど
本当なんだなって思った。

私の長い一週間の葛藤を聞いてくれてありがとう









運動会2

2007-06-03 17:11:43 | 子供
先週、雨で運動会が中止になったので昨日あらためてやった。

初夏を思わせる青い空。心地よい風に吹かれながらの本当に良い運動会だった。
朝からお弁当を持って、去年までは元夫に車で荷物を運んでもらったが
旅行用のキャスターにクーラーボックスを乗せ、背中にカメラや脚立を背負い
片手であーちゃんの手を引いてグランドへと向かった。

今年は、良い席の番号を引いてきたので始めて1番前の席を陣取る事が出来た。もう会場は人でいっぱい。

グランドを見るとお兄ちゃんが役員で走り回っていた。
自分の競技が終わるとまた札持ち、機材持ちと急がしそうに働いていた。
その姿がなんとも頼もしくて思わず涙が出そうになった。

6年生になると恒例の踊りがある。
体操を織り交ぜた踊りでこの学校の名物にもなっている

息子も友達と何度も何度も練習していた
前日までグループの1人とどうしても息が合わず駄目かもしれないと弱音を吐いていた。

いよいよ始まって、息を呑むように見守った
今まで息子は踊りや集団の体操が苦手でいつもビデオに映っている姿は
周りをキョロキョロとしているかボーっとしている姿ばかりだった

その息子が一糸乱れずみんなについて踊っていた。
体操も完璧にこなしていた。
ビデオの他にカメラも構えたけれど涙で前が見えず
とる事が出来なかった。

小学校にあがってあーちゃんが生まれ、姑をかくまい、舅の暴力に怯えた日々。
そして落ち着いたと思ったら父親の失職に離婚。

落ち着いて運動会の練習を取り組む暇も余裕も息子にはなかったのかもしれない。
今年で最後の運動会。
大人に振り回され続けながらも良くここまで頑張ってくれたと思うと
もう嗚咽を抑えるだけで精一杯だった。

お昼前に仕事で来れないと言っていた元夫も来てくれた。
久しぶりに家族でお弁当を囲み、子供達も嬉しそうだった。

運動会が終わっても日が暮れるまで片づけをしていた息子
帰って来た時はぐったりとしていたが晴れ晴れとして自分の運動会を自慢していた。

真っ赤に日焼けした息子は私が気がつかないうちにずっとずっと成長していた。
もう、何もいらない。
この日をくれた事だけで十分幸せだと思えた一日だった。

今日も私の話を聞いてくれてありがとう