トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

空箱

2018-06-24 15:49:59 | ポエム
他人のガラクタばかり詰め込んでいた私の箱は
すっかり空っぽになってしまった

持っているのも忘れるくらい軽くなってしまった

たまに開けると、綺麗なバラや
可愛い鈴が入っていたりする

昔,箱の中に入っていた
ガラクタに紛れ込んでいたナイフや、ガラスの破片は
もう入っていないようだ

今、私の箱には一枚の青い羽根が残っている

家族みんなに見守られて、
旅立ったのも気づかないくらい静かな別れだった

この青い羽根もいつしか箱からなくなってしまうだろう

もう箱などいらないのかも


楽しむことも
悩むことも
苦しむことも

いつだってできる

自分の事は箱にしまう必要はもうないんだ

だって私は自由なんだから






桜咲く

2018-03-21 10:29:07 | ポエム
中学3年になり、進路相談をして、大体行く高校を決めた頃
「本当は、もうひとつ行きたい高校がある。もう先生に相談して、受ける価値はあるって言われた。
お母さん私、この高校に行きたい」

勉強が苦手なあーちゃんはランクも低く、その高校はランクが2つも上だった。

難しいんじゃないの?

でも行きたい。頑張る。

なりたい職業がある。

すごく頑張らないといけないよ。

頑張る。

塾は今の無料塾しか無理だよ。

頑張る。

頑張るを繰り返すあーちゃんに負けて、承諾した。


発表当日、ホームページに発表が載るのは午前10時。合格したらメールしてねと言って仕事に出かけた。

仕事中も気になって仕方ない。

メールが届いているのは分かったが、恐くて見れない。
お昼になって急いでトイレで見ると

「受かったよ」とメール


まだ雪がいっぱいだけど、我が家に桜が咲きました。

卒業式も、お兄ちゃんと二人で出席した。

クラスの列の後ろから誇らしげに入場してきたあーちゃん。
いつのまにこんなに大きくなっていたのだろう。

小さなあーちゃん。

小さな目でいつも私をじっと見つめて、抱き着いてきたあーちゃん。


もう、高校生になるなんて信じられない。

怖がりで坂道も降りれなかったあーちゃんは、
高校を出たら、家をでて一人暮らしをしたいんだって。

3人家族になって、あーちゃんの笑顔にどれだけ支えられたかしれない。

お母さんはこれからも、ずっとずっと応援するよ。

おめでとう。
あーちゃん。

籠の鳥

2017-08-22 21:55:29 | ポエム
この子は、もし、自然界で生きていたなら、
沢山のたまごを産み、育て、
そして早死にしていく運命の子なのでしょう。

そういう気質をもって生まれてきたのでしょう。

だけど、今、この子は自然界では生きていない。

たまごを産ませないために、
放鳥もさせず、遊ばせることも、話しかけたり、可愛がることもできない生活を
させたなら、延命は出来るでしょう。

だけど、それならこの子の生きている意味は何でしょう。

何のために飼って、ともに暮らしているのでしょう。


ぴーちゃんのお腹は、発情の為に、卵巣が腫れて、足の付け根まで腹壁が破れて
内臓が飛び出してしまっている。

どんなに発情しないように気を付けても、
ぴーちゃんの持っている、子孫を残すという本能がぴーちゃんを突き動かして、
卵を産むために頑張ってしまうのだ。

自然界で生きていたなら。

今の状態は、ぴーちゃんにとってありのままではないという事。

本当なら、肝っ玉母さんになっていたはずのぴーちゃん。

だけど、今は籠の鳥。。。

狭い籠に閉じ込められて生きている。


この小さな、いきものの運命が悲しくて、
可哀想で、

なんの為に生きているのでしょうって聞かれたら、

先生。

私はなんて答えて良いかわかりませんよ。




書けない手紙

2017-08-13 20:38:10 | ポエム
ちっこさん元気ですか。
お久しぶりです。
毎年、一回、私たち2人で同窓会を開いています。
いつも今度こそ、ちっこさんを誘おうと言いあいながら、また今年も今、2人だけの同窓会をしています。
それで、次はちっこさんもと思い、二人でハガキを書くことにしました。
2人のアドレスを書きます。
メールくださいね。

早く会える事を楽しみにしています。

小学校のころ、3人で良く遊んだ友達。
中学になってそれぞれ友達が変わって、一人は転校して
高校を過ぎた頃から年賀状だけの付き合いになった。

離婚して、引っ越しして、それまで年賀状だけの付き合いの人たちには連絡をしなくなった。

離婚して、働いて、お兄ちゃんの障害がわかって、
私は誰とも連絡をしなくなった。

過去の友達も、子供が生まれてからのママ友も。。

何年もずっと連絡をしなくなった私を思い出して、
「また、会いたいね」とハガキをくれた同級生の友達。

2人は変わらず明るくて、楽しそうで、幸せそうで、
2人らしい言葉とイラストを添えてくれたハガキ

うれしいと思った。
ありがたいって思った。

離婚したあとも会いたいと言ってくれた、ママ友や友達はいた。

だけど、私はいつも会えない。

会っても私には話すことがないから。

「久しぶりどうしてた?」って聞かれたら。
「お兄ちゃん、うちの子と同じ歳だったよね。今は大学生かな?就職?」って聞かれたら

なんて言うの?

そんなことを考えてしまう。

そして、考えて、離婚の事も、お兄ちゃんの障害の事も言いたくないと思ってしまう。

前はそういう質問に、正直に答えたりした。
そのあとの皆の気まずそうな表情。

聞いてはいけない事を聞いてしまったという表情。

適当にごまかした事もあった。
だけど会うたびにごまかし続ける事への苦痛。

そして、なにより、そんな自分に突き付けられる、自分への嫌悪感。

心の中で、自分が自分に話しかける

「あんた。お兄ちゃんの事、恥じてるの?離婚した自分を恥じてるの?」

言おうか、言わないか迷う自分も嫌だし。

きっと言った後も、言わなかった後も私は嫌な気持ちになるのだ。

なんて、心が狭いんだ。
そう何日も自分を責める事になる。

いつか、返事を書ける日が来るだろうか。

まだ迷っている。
迷っているけれど、きっと私は手紙を出すことも、メールを送ることもできないだろう。

そして後悔するのだろう。














どこか

2017-03-30 21:44:02 | ポエム
時々考える。
辛いことがあったり、悔しいことがあったりすると考える。

今の私はあの頃より幸せだろうかと。

夫の借金に苦しめられた日々。
舅のアルコール依存症と暴力に悩んだ日々。
姑の介護に明け暮れた日々。

あの日々よりも今は幸せだろうかと考える。

あの日々を、めったに思い出すこともなくなった。

誰かと結婚していたころの話をすることもなくなった。

随分、月日がたったのだと実感する。

もう、夫の顔もずっと思い出していない。

あーちゃんが面会に行ったときに「お父さん、お母さんを電車で見かけることあるって言ってたよ」

離婚してしばらく、近所に住んでいる元夫を、無意識に探していたことがある。
遠くから歩いてくる姿に、慌てて横道に入って逃げたこともあった。

いまじゃ、まったく気にも止めていない。
すれ違っても分からないかもしれない。

毎日はとても忙しく、考えることも多いからだ。

結婚生活の頃、出口の見えない悩みや、辛い出来事があると
自分がどこにいるのか。どうしてこうなってしまっているのか分からなくなり
「ここはどこだろうか。自分は何をしているのだろうか」と途方にくれた。

ただ、動けず、押し寄せる出来事に流されて、もがいて、わけもわからない場所に流れていくのを
止めるすべも分からず、流れ着いた先にまた予想もつかない出来事に振り回され、へとへとになっていた。

今の私は、こうして悩んだり苦しんだりしているけれど、ここがどこで、どうしてこうなってしまっているのか
分かっている。

自分が選んだ結果でこうなっていて、この先どうなっていってもどうにかこうにか乗り越えていくのだと分かっている。


道は見えている。

結婚していた頃と比べるなんて馬鹿げている。
日常は過ぎていくのだ。
暮らしは続いていくのだ。
生きているのだ。

道が見えていれば大丈夫。

そう思える。

私とお兄ちゃんとあーちゃんと小鳥と暮らして
明日はもう一匹家族をお迎えに行くのだ。

我が家は生きている。

ここまでずっと応援してくれたみなさん本当にありがとう。


我が家が再出発して明日で10周年です。
おかげさまで10周年。

我慢できない

2016-10-21 22:14:13 | ポエム
このイライラはどこからくるのだろうかと考えていた。

この憂鬱さはなんだろうか。

更年期なのか。

いや。

原因はわかっていた。

認めたくなかった。

許せない気持ち。

吐き出せば引き返せない。

そう思って、心にしまっていた気持ち。

不快感。
嫌悪感。

軽蔑。

大切な友達だった。

恩人と思った時もあった。

尊敬し憧れでもあった。

だけど。
変わってしまった。

平気でうそをつくようになってしまった。

家族を危険にさらしているのに、振り返ろうともしない。

「全部は嘘じゃない。言わなかっただけ」

そう言った。

それは過去に元夫がいつも使った言い訳と同じだった。

言わないことは嘘じゃないのか。

裏切りじゃないのか。

「あのことは、嘘じゃない。あの人とは関係ないのに疑われた。」

それも、元夫とがいつも言っていた。

「あれは、嘘じゃない。お前は疑うのか」

ひとつの真実はすべての嘘を隠せると思っている。

ゆるぎない真実がひとつあれば、それを蓑に隠せると思っている
相手を責める武器になると信じている。

自分の欲望だけを貪り食う人は、みんな同じ思考に変わってしまうのだろうか。

私はイライラしていたのではなかった。

残念で、残念でならない。

私は友達に失望してしまった気持ちを認めることが、辛くてたまらない。

悔しくてたまらない。

誰かを愛するということ

2016-03-30 00:10:08 | ポエム
自分には恋愛に対する大きな何かが欠落しているんだと気がついた。

誰も愛せない。

誰にも愛されない。

当然だと思う。

だって私にはないのだ。

とっても大きな何かがないのだ。

恋愛に必要な圧倒的ななにか。

何がいけなかったのだろう。

どこで失ってしまったのだろう

それとも最初から持っていなかったのか


結婚がうまくいかなかったのも当然だって思える。

だって

私は

誰も愛したくないし

誰にも愛されたくないのだから



父が死んだ

2016-01-20 18:33:14 | ポエム
今、思うと、父には悪気はなかったんだと思う。

困らせようとか、意地悪しようとか、そういう気持ちはなかったんだと思う。
私たち家族が嫌いだとか、憎いとかそういう気持ちもなかったんだと思う。

自分以外に興味が持てない。
自分以外の人の気持ちがわからない。
自分以外のルールは変えられない。

父はお兄ちゃんと同じ自閉症だったのではないかと、ここ数年思うようになっていた。

朝起きる時間から、昼ごはん、夜ごはんと食べる時間はいつもきっかり同じ。
食べる物はひとつの物を食べ始めると何カ月も何年も同じものを食べ続ける。

新しい電気製品を買う。
説明書通りに使うことができない。
自分のルールで使い、それが電気製品によかろうが悪かろうが自分の使いたいようにつかう。
使い方によっては一か月持たず壊れる。

着替えない。
風呂に入らない。

肌触りがいやだから。

気に入らないことは絶対にやらない。
好きな事しかやらない。

父は家にお金を入れない人だった。
必要以上に働かず、自分の好きな車は現金で買ってくるのに、子供には靴一足買うのも嫌がった。
母が一人で私たちの生活のすべてを支えていた。

私が離婚したとき「俺に何か迷惑かかるのか」と聞いた父。

母が具合が悪い時、「俺の食べる分はあるから買い物行かなくても良い」と言った父。

すべてが自分。自分しか見えなかったかわいそうな人。

誰ともかかわらず、誰との思い出もない父。

私たち兄弟も父との思い出は全くない。
もちろん孫たちともかかわろうとしなかった父

どんなに小さい孫だろうが、気に入らなければ怒鳴りつけて怖がらせていた。

棺の中に何か思い出の品をと言われても「何にも趣味のない人でした。大事にしていた時計もなければ、
おしゃれもしない。テレビも見なければ、本も読まない」

一日中、食卓テーブルに座って、ただ窓の外をみて、時計を見て。時間になればごはんを食べて。
椅子に座ったまま寝て。

何もしない。話もしない。笑いもしない。

一日中座っているから、足はゾウのようにむくんで腫れあがっていた。

父は体が丈夫だった。
風邪もひいたことがない。
少し傷んだ物を食べてもおなかも壊さない。

足がむくんで紫色に変色して驚いて病院へ連れて行っても、「どこも悪くありません」と言われる

突然、倒れて意識がなくなって、救急車で運ばれた時も、数日入院して全身を調べても「どこも悪いところはありません。」

一年前から、歩けば転び、座っていても椅子から落ちる。
転んでも自力で起き上がることができない。
風呂にも入れない。

外に出ることを嫌がった父だけれど、半年前からデイサービスに通うようになった。

食いボケが始まり、目につくものはなんでも食べてしまう。
母が留守の間に隣の人が届けたヨーグルトジュースを一リットル一気飲みをして、おなかがゆるくなって
トイレも、部屋も、ベットも汚物だらけになったしまっても、自分では気付かない。

立てないことを忘れ、歩けないことを忘れ、熱い物を持ったまま立とうとする。

立てないはずなのに夜中にラーメンを作って食べようとする。

お正月に帰った時も、父は一人で歩こうとして転んでしまう。
留守番していた弟の嫁さんと私に起こしてトイレに行かせてくれという。

しかし立たせようとしても足に力が入らず、ひっぱった方向にまた倒れて行く。
いくら「おむつしているから、おトイレはあきらめよう」と言っても
「立てる!立たせてくれ」と言って杖に捕まって立とうとしては転ぶ。

「ごめんね。私たち女の力じゃ無理。這ってベットまで行ってくれる?」
父は這うこともできず、ずるずると体を引きずってようやくベットに辿り着いた。

こんなに転んでも「脳が委縮して痴呆が進んでるだけ、どこも体は悪くありません」と医者に言われる。

父は医者の言うことも聞かなかった。

出された薬も飲まない。
決められた量も自分の判断で倍飲んだりする。

転ぶのにお酒も止められなった。

そして、夜中にトイレに行こうとして倒れて、朝、母に発見され、病院に運ばれたけど、
病院に着くときには心臓が持たない状態だった。

私が会社で報告を受けたのは、父が亡くなった後だった。

病院へ行って説明を聞くと、「お父様は、死亡の原因が分からない。MRで撮ったけれどどこも悪くありません。
このままでは死亡診断書が書けないので、警察が自宅を調べます」と言われ、警察が自宅を調べたけど特に
変わったこともなく、結局原因不明の不整脈の死となった。


「死んでるのにどこも悪くありませんだって」

「こんなに人を振り回して、結局わかりません」だって。

なんて父らしいんだろうって思った。

そして父が死んだ日。
次の日から私は職場で丁度冬期休暇をとっていた。
休暇前の引き継ぎも終わって、後は休みに友達とバーゲンでもと楽しみにしていた。

遠くに住む姉も、丁度娘の受験でこっちに来ていた。
姪っ子は葬式場から試験に出かけた。

姪っ子は「おじいちゃんとの思い出はないけど、この葬式だけは忘れない」と言った。

他の人もなぜか休みが丁度重なって。。。
「タイミングが良いんだか悪いんだか」とため息ともあきらめともつかない言葉となって
気付けば、誰も「全てが父らしい」と口々に言った。

天気予報は葬式の次の日から大荒れだった。

だけど、手続きを終えるまで、空は青く、冷たく、静かに過ぎて
「じいちゃんが、晴れにしてくれたのかね」と母が言うと
「じいちゃんが、そんなめんどくさいことするはずない。偶然よ。偶然」

存在感が全くなかったのに、いなくなった気がしない。
誰ともかかわりがなかったのに、父の話をすると「変わった人だった」と話題につきない。

誰の記憶にも残らないかわいそうな人と思っていたけれど、
父はちゃっかり人の心にその存在を残して逝ってしまった。

その事に私は少し安堵したのだった。
だってやっぱり父だから。



イライラする

2015-05-16 23:37:18 | ポエム
たまらない。

あーちゃんに対してイライラする自分がいる。

中学生。

いよいよ始まった。

中学生時期は本当に嫌だ。

大人と子供をいったりきたり。

このイライラに更年期が拍車をかける。

落ち着け自分。

もう、小さなあーちゃんはいない。

だけど小さいままでいたいあーちゃんがいる。

大人になろうとするあーちゃんがいる。

大人扱いと子供扱いの間でイライラする。

爆発しそう