トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

家族いらず

2009-01-30 23:06:09 | 
『いつ来れる?いや。悪いな。俺も調子が悪いから。そうか。』


離婚して仕事を始めて、保育園に預けたばかりのあーちゃんが
風邪ばかりを引いて、母が何度も駆けつけてくれていた頃。
『俺はもう店を閉めたいんだ。母さんが手伝ってくれなきゃ閉めれない。
俺はどうなるんだ。俺は具合が悪くて何も出来ないんだ。店を閉めたいんだ』

母が『父さんって私が誰かの為に忙しくなると必ず俺の為にもやってくれって
問題を持ってくるんだよね。店だってずっと前から閉めるって言いながら
続けてきたんだから、半年位、ちっこの生活が落ち着くまで待ってって
言ってるのに毎日、毎日、手伝え。手伝え。って言い続けて
無理やり手伝わせようとするんだよ。ノイローゼになりそうだ。』

『やきもちじゃないの?』

『違う。自分以外の事で周りが騒ぐ事が許せないんだよ。
私さえいれば良いと思っているのさ。
私はいつでも言いなりになってくれるって思いたいのさ』

子供の頃から他人よりも遠いと感じ続けた父。
誕生日おめでとうの言葉ひとつかけられた記憶がない父。

弟が大学へ行きたいと言ったとき
姉が専門学校へ行きたいと言ったとき
『なんで俺がお金をださなきゃいけないんだ』と言い放った父。

離婚して遊びに行くとムスッとして返事もしない。

帰るときは玄関まで見送りに来る父。


母が夜中にめまいの発作に襲われた。
グルグルと天井が回り、座る事も動く事も出来ない。
母は下の階に寝ている父に電話をかけた。

睡眠薬と酒を一緒に飲んで寝ている父は起きない。

母は携帯のアドレスをめちゃくちゃにかけた。
そして姪っ子の家にかかり、弟の家に連絡され実家に駆けつけた。

救急車を呼び病院へ運ぶ騒ぎの中、父は一度も起きて来なかった。

朝、電話が入り会社を休んで弟と交代して母の入院に付き添った。

父に電話すると『朝、起きてメモを見るまで寝ていた。俺は具合が悪いから
何も出来ない。悪いな。車も運転できないから見舞いにも行けないな』

タクシーを呼べば来れるでしょう。
そう言いかけて止めた。

どうせ来ても、めまいに苦しむ母の頭の上で
『俺も具合が悪いのに、大変な事になった。困ったことになった。
俺もこんな体じゃなかったら。外出ばっかりして家にいないからこんな事になったんだ』と延々と自分の心配と愚痴で責め続けるだけなのだから。


離婚して電話すらかかってきた事のない父から
引越しして半年以上経つのに未だに私の新家の電話番号すら知らなかった父が
始めて電話してきた。

『いつ来れる?買い物にも行けないし、冷蔵庫は空っぽなんだ。俺も具合が悪いから見舞いに行けそうもない。あんた悪いが頼むわ。』


ずっと。他人。
あなたは家族なんかいらないんだよね。
ずっと。これからもずっと。

原因

2009-01-24 23:59:11 | 
『離婚した原因はなんだったの?』
五年ぶりに会った友達に聞かれた。

『ご主人、暴力振るう感じじゃなかったよね。』

『暴力を振るわれなくても身の危険を感じることもある』

『会話の全てが通じなくて、私の伝えたい事は何も伝わらないと思い知らされて、
相手の言っていることもまるで宇宙人と話しているかの様に感じてしまう。
全てが空回りして。。。』


『結婚したばかりの頃よくお互いの家族でごはんを食べて、ちっこさん夫妻は
本当に仲が良くて羨ましかったよ。』

『最期まで私達は仲が良かったと思う』

全く原因がみえないという顔で困惑する彼女。

離婚してもうすぐ3年を迎えようとしている。

もうあの頃の修羅場を思い出すことは滅多にない。
なぜ離婚したのか。
そんな事を考える時間もあまりなくなっていた。

最近は両親とも、近しい友達とも離婚の事は語らない。
もう全ては終わった事。

考える事はこれからの事。

久しぶりに原因はと聞かれ、考える。


離婚の原因はなんだったろうか。

それは私だ。

私は何年も螺旋階段を回りながらゆっくり下りていた。
底の見えない真っ暗な螺旋階段。

下りているのに私は信じたくなくて、
いつかこの螺旋階段は空へ抜けて行くはずだと
登っているんだと思い込んで螺旋階段を下りていた。

どこまで下りても空は見えなかった。
空は上にあったのに、私は螺旋階段の下ばかりを見続けていた。


そして、遂に螺旋階段は終わった。
そこは何もなかった。

冷たいコンクリートの床だけが広がっていた。

私は床に落ちた沢山の種を見つけた。
私が螺旋階段の上から蒔いた種だ。

冷たい床に落ちた種が芽も出さず、
花も実もつけずただ床にバラバラと落ちていた。

幸せの種は蒔けば芽がでて実をつけると信じていた
愚かな自分に気がついた。

種を拾い集め、種を暖かい土に植えたいと思った。

お日様の当たる暖かい土に自分の手で植え、
水をやり、時間がかかっても花を咲かせたいと
心から思った。

自分の手で花を育てたいと思った。

そう、私が思った事が原因だと思う。






バイオリズム

2009-01-20 20:55:29 | 
更年期の始まりなのか。
月経前症候群というものなのか。

一ヶ月の中で浮き沈みが決まった周期で起こる。

特に生理が終わって一週間過ぎた頃
気持ちがグーッと落ちていくのが分かる。

落ち込むというのとも違う。
ネガティブになってしまうのとも違う。

とにかく気持ちが沈んで、思考がまとまらない。
ちょっと気を抜くと言いようのない虚しさや
寂しさが襲ってくる。

そして生理一週間前になるとイライラが始まる
とにかく恐い夢を立て続けに見て、夜中に何度も目が覚める
自分の悲鳴で目が覚め、ぐっしょりと寝汗をかいて起きる事もある。

もう限界だー。と思う頃に生理がやってきて
いつもの自分に戻る事ができる。

そしてまた2週間がたつと同じ事が起こる。

今は、次の2週間の直前だ。
今朝から気持ちが落ち始めている。

気がつくと心が『辛い。辛い』と呟いている。

約束

2009-01-11 23:51:02 | 
離婚して再就職をしてから、週末に酎ハイを一缶飲むのが楽しみのひとつだった。

夏が終わって秋を過ぎた頃、お兄ちゃんは、私が酎ハイの缶を開けるたびに
『飲みすぎないでね。お爺ちゃんみたいにならないでね』と心配するようになった。

呑むと途端に眠くなってしまうため、食器もそのままうたた寝してしまう事が
多かった。
ある日、ウトウトとして目が覚めるとお兄ちゃんが捨てた空き缶をジッと見ていた。

その背中は、アルコール依存症の舅との戦いに巻き込まれた沢山の傷がついていた。

『もう、家でお酒を呑むのは止めよう』と思った。

ゴミ箱の缶を見つめるお兄ちゃんの背中に
『そんなにお母さんがお酒を呑むと心配なのかい?
お母さんはもう、家では呑まないって決めた』と言った。

『うん。それが良いよ。でもみんなのパーティの時は良いよ』
大きな目がなくなりそうな程細めて、ホッとしたような笑顔で振り返った。

それ以来、お酒は家で呑んでいない。
あーちゃんの誕生日の時も呑まなかった。
クリスマスのパーティも子供のシャンパンを一緒に呑んだ。

お兄ちゃんは『今日はパーティなんだから呑んでも良いよ』と上目遣いに私の顔を覗き込んだ。

『ううん。お母さんは約束したから、呑まないよ』

『・・・・俺はお母さんとの約束破って貯金箱のお金盗っちゃったんだから
お母さんもそんなに無理に守らなくても良いよ』

『お母さんはお兄ちゃんと約束していないよ。お母さんは自分と約束したの。
だから呑まない。自分との約束は破れないからね』

『うん、俺ももう自分と約束したからもうしないよ』

『そうか。偉いぞ!』

そう、自分との約束は自分だけのもの。

子供たちの面会は子供達が会いたいという限り守る。
そう約束したのだ。

どんなに相手がずるい奴だと思っても。
理不尽で納得が行かなくても、
私は子供たちの面会権は守ると約束したのだ。

だから、腹がたつ気持ちを手放して、
子供たちの笑顔をとる事にする。




腹立ち

2009-01-07 21:09:27 | 
久しぶりに元夫に怒っています。

去年の夏に1年ぶりに養育費を入れるようになった。
全額ではなかったけれど、毎月でもなかったけれど
遅れる時は『次は○月○日に振り込みます。遅くなってすみません』とメールがきて、滞ることなく振り込まれていた。

が、ある事に気がついた。

養育費が2ヶ月おきである事。
1ヵ月の中で二回に分けて入れてくること。

その日にちが舅や姑の年金の日と重なっている事。

今、舅や姑は施設に入っている。
何らかの形で通帳を管理する事となったのではないか?

離婚する前、匿っていた姑の通帳を勝手に持ち出し
お金を下ろしていた事を思い出し嫌な気持ちになった。

だが、それを確かめる術はなく様子を見ていた。

11月の面会の時、息子が帰ってきて
『今朝、お爺ちゃんから電話が来て、お父さんに30万よこせ!って言ったんだよ。めちゃくちゃお父さん困って腹立った!』と言った。

その話を聞いて、しばらく養育費はまた滞るかもと思ったら案の定
12月から入っていない。

1月のお正月の面会も『体調が悪いので延期してください』とメール。

子供たちはとてもがっかりしていた。

そして昨日『1月の面会が出来なくてすみません。子供たちに謝ってください。
2月の始めの週あたりに次の面会の予定を立てて欲しいです。
でも、最近、父親からの電話攻撃が酷いので、また精神的に参ってしまって
鬱っぽくなったらまた延期してもらうかも知れませんが。。。』

なんだ?この自分勝手なメールは。
久々に腹がたった。

『会えるか、会えないか分からない約束をして、また子供達をがっかりさせては
可哀相なので、状況、心身共に落ち着いたら改めて連絡してください』と面会を
拒否した。

すると慌てたように
『その通りですね。子供達をがっかりさせては可哀相ですね。
心身共に万全を期しますのでぜひ面会の日にちを入れてください。』


だから!父親の電話が鳴り止むんですか?
状況が変わらないのに心身を万全に保てるんですか?

そんな、精神不安定な人と会わせられないんですよ!

悶々とした気持ちで家に着くと
あーちゃんが『お父さんにね。会いたいの。こうね。。胸にわいて来るの』
と目に涙をためて言った。

このセリフに本当に弱い。
あーちゃんは12月の面会も嘔吐で会えなかった。

『お母さん、すぐ会えるようになるよって言ったのに。。。』

あーぁ。
父親からの電話で精神不安定で欝っぽいなんて
結局いつもの養育費を入れていない事を父親の話に摩り替えようと
しているだけなんだろうな。

しばらくメールは放置しておこう。

あけましておめでとうございます。

2009-01-06 22:07:32 | 
すっかり、挨拶が遅れてしまいました。

みなさん。
あけましておめでとうございます。

会社の休みと娘の保育園の年始休暇が合わず、実家から会社に通ってました。

今日から本格的に始動です。

今日は会社の帰りに14年ぶりに偶然街で友人に会った。

私がOLの時の先輩。
結婚を期に私は会社を退職し、特に親しくしていた先輩でもなかったので疎遠になっていた。
私は会社を辞めてしばらく家にいたが子供もなかなか恵まれず、元夫の借金に苦しむ毎日を送っていた。

悶々とした現実から離れたく仕事を探し出したもののなかなか見つからない。

そんな時、ひょっこりと何の前触れもなく
先輩が『近くに来たから』と家に遊びに来た。

『なんだか、ちっこちゃん痩せたわねーー』と言い
自分は今、ある会社にパートで働いていて、人が足りないみたいだから
仕事を探しているなら紹介してあげるから電話してと言って帰って行った。

元夫の了解を取り付けその先輩に相談してそこの会社にパートで
先輩と共に3年勤めた。

その後、息子が産まれパートを辞めて子育てに専念した。
離婚して、仕事が見つからず奔走していた頃、履歴にこの会社の
名前を書いた事がきっかけになり今の仕事に就くことができた。

あの時、先輩が尋ねて来てくれなかったら、仕事を紹介してくれていなかったら
私の離婚も、再就職ももっと困難になっていただろうと思うと
恩人のような先輩なのだ。

しかし、また年賀状だけのやり取りで日々が過ぎていった。
今年も『もう、私にも孫が生まれました』とメッセージを書いた年賀状が
届いた。

道端で『ちっこちゃん!』と懐かしい呼び名で呼ばれ
振り向くと14年経っても一目で分かるほど変わらない先輩の笑顔があった。

しばらく立ち話で近況を話し、OL時代の上司や課の男性達がみんな定年してしまった事、もう亡くなっている人もいる事。

OL時代からはもう20年も経っている事に時の流れを感じた。

先輩も長男、次男に孫が生まれた事。
末娘さんは大学生になった事。

みんな、いろんな事があった20年なのだろう。

私が離婚したことは、会えた喜びに水をさす気になれず伝えなかった。

家に帰って娘が『お母さんにはサンタさんもお年玉もなかったね。可哀相』と
言った。

『お母さんは1番欲しいものを二つ貰ったから、もうサンタさんは来ないんだよ。
それに今日は大きなお年玉も貰ったよ。』

『ふーん。良かったね』

今年のお正月は本当に穏やかに過ごせました。
皆さんのお正月はいかがでしたか?

今年も宜しくお願いいたします。