トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

盆踊り

2006-08-10 22:34:39 | 日記
今日は夫が前の会社の同僚に誘われて飲みに出かけた

夫は行く30分前まで悩んでいた
そりゃあ前の会社の人にあれこれ聞かれるのは嫌だろうけれど
みんな夫の事を心配してくれているんだよね

私も「行っといでよ。どこで人との縁が繋がるか分からないんだからさ。
楽しんでくれば良いよ」と言った

ぎりぎりまで悩んで出かけていった

その後私は町内子供の会の盆踊りに子供と出かけた
今年は子ども会の役員長になっちゃって、いろいろ忙しい

子供とたっぷり1時間盆踊りをして来た

夜になっても昼間の暑さが抜けなくて帰りに子供にジュースを買いにスーパーによった

私は実は食玩を集めている
最近は節約の為に我慢している

ジュースを買うついでに新しい食玩を見ていたら息子が
「欲しいの?最近新しいのお母さん買ってないね」と言った

「これ!新作。可愛いよね・・」としばらく眺めて棚に戻した

「我慢するの?」と息子が聞いた
「うん。今日は我慢かな。お父さんの職が決まるまではあんまり無駄使い出来ないからさ!あーぁ。早く決まると良いね」と独り言のように言った

息子が「いつかは決まるしょ!」と明るく言った
息子のキラキラした目が大丈夫さと言っていた

そうだよね!いつかは決まるよね!

子供って本当に前向きだなー

「お母さんも注ハイ買っちゃおうかな」
「良いよ。良いよ。買いなよ。酒臭いって言わないからさ!」と息子


「良し!今日はみんなで乾杯だ!!!」
食玩我慢した意味ない気もするが今日はまぁ良いか

みなさんも暑い夏に乾杯!!(すでに酔ってます


紛失物

2006-02-24 16:33:17 | 日記
朝からずっと苛々している
だって見つからないのだ

家の中をくまなく探した
考え付くところも探した
でもないのだ

物がないと凄く不安になる
子供が「お母さんあれ知らない?」と聞かれるともう落ち着かない

子供はもう諦めてるのに「探したの?見つかったの?」気になる
見つかるまでいい続ける
そして「ちゃんとしまって置かないからでしょ」と怒る

私はとにかく整理整頓ができない子供だった
忘れ物も多い
落し物も多い

私が通った小学校はバス停五つ目にあった
忘れ物があっても取りに帰れる距離じゃなかった
だから前の日の準備は念入りにやらなければいけなかった

でも私は学校の先生の話もいつも上の空だった
だから持ち物もよく聞き忘れてしまった
図工でなにか持ってきてと言っていた様な気がするが思い出せない

母に聞いても「さあ。」しか言わない
一緒に探そうとか誰かに電話してみようとか言ってはくれなかった
忘れ物をしても家に電話もできない

たとえ忘れ物に気がついてもきっと誰も届けてはくれないだろうと分かっていた
私にはだれも助けてくれる人がいないと思うと失くし物は切実な悩みだった
なぜ忘れてしまうのか
なぜちゃんと話が聞けないのか

自分が歯がゆい
何とかしなきゃと思うのにどうしても治らない

中学になっても治らなかった
家庭科の先生はとても恐い人だった
私になぜかいつもきつかった

何かを仕上げても「どうせ親に手伝って貰ったんでしょ」と穿き捨てるように言われた
なぜ嫌われたのか分からない
不器用だったからかもしれない

パジャマを作る事になっていた
生地を準備しなければいけなかった
何日も前に用意できた
糸も買ったし安心していた

それが前日に何処にしまったか思い出せないのだ
「ない!」
パニックになった
もうすでに寝る時間だった

こんな遅くに店は開いてないし親に言っても無駄なのは分かっていた

探した。とにかく必死に探した
忘れるわけにはいかない
何を言われるか分からない
恐い。恐い。

泣きながら探した
最後は叫びながら探した

「また、ないの?いっつもないんだね」と冷ややかに言われた
誰も一緒に探してはくれなかった

引き出しという引き出しを引っ掻き回してようやく見つけたときには
腰から力が抜けた

もう絶対失くし物はしないと誓う
でもやっぱり整理整頓も、紛失物も忘れ物も治ることはなかった

結婚して少しはマシになったかもしれない
自分の落としては困るものはいつでも確認する。
神経質すぎるほどだと思う

家の中の小物も分けて入れて自分で分かるようにしている

でも夫も整理整頓が全くできない
財布も何度落としたかしれない
忘れ物は今でもしょっちゅうだ

夫に何度言っても出したものをそのまま放置されてしまう
そうすると決まったところにないとあっという間に
見つけられなくなってしまうのだ

見つからないとパニックになる
パニックになると苛々して余計見つけられなくなる

夫の物はまだいいと思う
問題は息子の物である

学校ではいろんな物が必要になる
息子も同様に整理整頓ができない
いつも「あれがない。これがない」と言っている

先生からも「忘れ物が多いです」と叱られてしまう
忘れ物はまず親がチェックして完璧に入れる癖をつけましょうとネットで調べると書いてあってそれなりに出来るようになったと思う

でも失くし物はとにかく治らない
持っていった場所を覚えていないのだという

「だって今もってたじゃない」と聞くと
「気がついたらなかったんだ。探してよ。お母さん」と言う
「早くしないと時間ないよー」と半べそになると
あの生地がなかった日の事がよみがえって探さずにいられなくなる

私が鬼気迫る勢いで探し出すと息子は黙って立ち尽くしてしまう
恐いのか。お任せなのか分からない
「ボケっと立ってないで探しなさい!」とつい叫んでしまう

息子が「もう。いいよ。お母さん。誰かに見せてもらう」と言っても
落ち着かないのだ「だってなきゃ困るでしょーー!」

どうしてこんなに物がなくなる事に敏感なんだろう
どうしたら物を失くさずに済むようになるのだろう

息子の地図がないのだ
ない。気になる
学校から帰ってきて聞いても
「机にはなかった」と言った

ない。ない。
誰か一緒に探して・・・





石の話

2006-02-17 11:55:09 | 日記
パワーストーンって知っていますか?

私は最近知りました
いろいろなパワーを持った石があってそれを身に着けると
自分の足りない力を引き出してくれるという

お正月開けに新しくできた大型スーパーへ出かけた
去年の暮れ辺りから夫の上司や会社の事務の女の人との折り合いが悪化していた

毎日、毎日夫からその愚痴を聞かされていた

夫の上司はもう夫の事が嫌いで嫌いで仕方ないと言うのが
夫の言葉から推測された

嫌いなら夫に対して距離を置けばいいだろうに
夫のやる事なすこと目に付いたらしい

売上がいけば「どんな手を使ったんだ」と嫌味を言い
売上がいかなければ「これで給料もらえるのか」とまたまた嫌味

自分の仕事は押し付けるが夫が少しでもフォローを頼めば
「なんで俺がお前をフォローなくちゃいけないの?」怒鳴り散らす


聞いていて私も息苦しくなるような愚痴だった

大型スーパーをブラブラしていると
きれいなワゴンが出ていた。
ライトアップが素敵で思わず足を止めた

「パワーストーン」と看板が出ている

私は子供の頃きれいな石を集めるのが好きだった
隣の家の前には化粧石と呼ばれる砂利が敷かれていた
色とりどりの石達は本当に綺麗だった

持ってきては駄目と親に言われていたがどうしても欲しくて吟味に吟味を重ねて
五つだけ持ち帰った

緑の中に白い線が入ったやつ、薄い青に黒い縦じまの入ったやつ
水につけると鮮やかに色が浮き出て宝石のようだった
それを空き箱に綿を敷いて綺麗に飾っては眺めていた

そのパワーストーンのお店にも色とりどりの石が並べられていた

数珠のようにつなげて「パワーブレスレット」というのもあった

石はガラスの容器に入れられ一つ一つ説明が書かれていた
「疲れを癒す石」
「愛情の石」
「金運を上手によくするブレスレット」
等いろいろあった

その中に一際私の目をひく石があった
「砂漠のばら」
綺麗なバラの形をしていた
意味は「自分に悪影響を及ぼす人を遠ざけて、人間関係を円滑にしてくれる石」と書いてあった

今の夫にピッタリじゃないかと思った
夫に「面白い石があるよ。買ってあげようか」と言うと
「ふうん。効果あるの?」
「分かんないけどお守り代わりに持ってみれば」と言って
1つ買って小さな袋に入れてあげた

夫はそれを背広のポケットの内側に入れて会社に行っていたらしい

昨日家族みんなで狭いお風呂にひしめきあって入っていた
夫は落ち込んだりするとお風呂に乱入してくる

娘の体を洗いながら夫が「あの石、全然役にたたなかったなぁ」と言った
でも良く考えると
「石的には役目を果たしたんじゃないの。だって遠ざけてくれたじゃない」

「なにーー!遠ざけたんじゃない。俺が遠ざかったんじゃないか!」
「洒落になんねーよ」
と叫んだ

なんか可笑しくてゲラゲラ笑ってしまった
「役目を果たすとあの石割れるらしいよ」と言って笑いが止まらなかった

石の説明書に
「石と仲良くなってください。毎日石を出して眺め石の波動を受け取ってください。そうすればより効果が期待できます」と書いてあった

「俺、お前がそういうから毎日石に綺麗だね。可愛いねって言ってたんだぞ。で結果がこれなのかよ」
その時点でお風呂で大爆笑になってしまった

息子も娘もつられてゲラゲラ
「石はきっとこれ以上あの上司といては駄目だ」と判断したんじゃないの

夫は「石割れてたらどうしよう。役目終わってたらどうしよう」と言って
お風呂から上がって石を早速袋から出して見ていた

「割れてないな。いや。欠けてるかもしれないぞ」と真剣だった

「今度はさ仲間を集める石を買ってみよう。お父さんの良さを分かってくれる人が
少しでも集まるようにさ」

久々にお腹が痛くなるほど笑った
こんな風に笑えるんだから大丈夫かもしれない。

ねっ!お父さん




雪祭り

2006-02-11 17:44:24 | 日記
さっぽろ雪祭りに行って来た

今年は会場が一ヶ所移動した
前の所は地下鉄でいける所だったんだけど、今年の会場はちょっと車じゃないと無理って感じ。

道路も1本しかなくて、横道に抜けることもできない
大雪で除雪が出来てなくて二車線が一車線になってますます渋滞

夏なら40分位で着きそうな場所なのに1時間半たっても着かなかった
駐車場もいっぱい。
次々と前の車からお母さんと子供が降りて先に会場に向かっていく

夫も今日はやる気でスキーウエアー着込んで出かけた
でもあまりの渋滞に子供達も車の中で飽きてきちゃって・・・
仕方なく私も子供と先に会場に行ってる事にした

車の中で夫がいつ帰るって言い出すか気が気じゃなかった
夫は人ごみ嫌い、渋滞嫌い、並ぶのもっと嫌いって人で、
結婚前ドライブに行くと1時間も走って渋滞に最後尾に着いた途端引き返すなんて
ざらだった

雪祭りも息子に見せたくて行ったのに車でちょっと通り過ぎるだけで終わったりした事もあった。
お弁当も持って水族館目指して渋滞も乗り越えてやっと着いたのに
入り口に人が並んでるのをみて帰るって言い出した時なんかもう口も効きたくなかった

だんだん期待しなくなって、息子と幼稚園の帰りに友達と行くようになった

夫が「行き疲れた」「眠い」「だるい」という言葉を背に先に降りて
雪祭り会場へ

なんと言っても長い氷の滑り台が目標で息子も娘も楽しみにしていた
天気も良かった
しかーし。寒い。とにかく寒い
夫に着いたとメールするために手袋脱いだらビリビリと刺さるように手が痛くなった

とにかく滑り台だけでもと思って行ったらなんと3時間待ち状態だった
いつもはみっつはある筈なのに今年はひとつしかない

この寒さの中3時間も並ぶのは不可能と断念
仕方なくソリで遊ばせて、雪だるま作りに参加して、それだけでも1時間くらいかかった

足も手も氷のように冷たくなって娘が泣き出してしまった
夫はどうしただろうと電話してみた。
「まだ、駐車場に着きません。」と言うのでユーターンして迎えに来てもらうことにした

車に乗ると「あーぁ。もう車に乗り飽きちゃったよ。4時間ぐらい乗ったな」

「本当にご苦労様だったねー。お父さんにしたら快挙だね」
「そうだよ。これであんた帰ったら村八分にされそうだからね」

「そうそう。お父さんは本当に苦手だからね」
「今日はよくできました」だね

「ちがうよ。とってもよくできましたでしょ」

はい。そのとおり。
ご苦労さんでした。





最後までやり遂げる

2006-02-07 16:12:54 | 日記
私は物事を始める時最初から飛ばしすぎる傾向がある
そして一生懸命やりすぎて最後には息切れをして途中で投げ出してしまうことが多い

子供の時、姉と一緒に習字を始めた
私は退屈でたった1年通っただけでやめてしまった

それから4年生の頃に絵の展覧会で入賞したのが嬉しくて、父の店の近くで開かれていた絵画教室に通うことにした
自分から母にお願いして通うこととなった

小学生ばかりの教室だったのにみんなもの凄く上手い子達ばかりだった
先生も特に何も教えてはくれなかった
好きなように書かせてくれた

でも私は他の子達とは明らかに違って下手くそだった
初めての日、教室の子供達に「こいつの絵凄い下手だ」と馬鹿にされた
絵画教室はその頃は珍しかったのだと思う

専門を目指す子供達が通っていたのかもしれない
初日にこの洗礼は本当に傷ついた

それからは全くその教室の子達とは異質の存在となってしまった
挨拶をしても返事すらして貰えなかった
もっと和やかに学校の図工のような物を想像していたので
全然楽しくなかった

でも自分から言い出したし道具も結構高価な物を買ってもらっていたので
すぐにはやめられないと覚悟していた

とにかく小学校を卒業するまでは頑張ろうと決めた
描いても描いてもそれ程上達はしなかった

絵を好きになることもできなかった
それでも中学の受験まで続けてやめた
やめる時本当にホッとした。
習わせてもらったけれど苦痛以外の何者でもなかった

OLになって実に多くの習い物をした
手話に洋裁習うからにはためになる物じゃなくっちゃと勝手に決めてやってみた
でもどれも興味がないのに欲だけで習っているのでちっとも楽しくないし上達もしない

手話も出来るようにならなかったし、洋裁もスカート一枚縫えるようにならない
最初は頑張るのにすぐ飽きて行かなくなってしまってやめてしまった

スポーツはどうだろうと始めてみた
テニスに水泳、エアロビクスにジムどれもいいところまでやったら飽きて長続きしなかった

仕事も同じ。
最初は頑張るのでそれなりに認められるところまで行くのに途中で嫌になってしまうのだ
行きたくない日もだんだん増えてくる。

でも人目が気になるので何かきっかけがないとやめられない
だらだらとやる気もなく働いてしまう。
体を壊したり、妊娠したりするとさっさとやめちゃって何の未練もなかった

みんなが「それなりに出来るのだから頑張ったら」
と応援してくれてももうやる気がなくなると体が動かないのだ

そんな私が今年度は息子の学校の役員を引き受けた
町内会の子供会も引き受けた

最初は姑が一緒に暮らしていたので娘を見てもらえるしやれるかもと思って
立候補した
でも姑は6月には帰ってしまったので長い時間話し合う役員会も娘を宥めながら必死にこなした

私の役は花壇の手入れや交通安全の旗振りなど外の仕事が多かった
去年は特に暑く、炎天下の中娘と共に草むしりをしたり水遣りに走り回った

「ちっこさん、あーちゃん可哀想だからもう帰って」と気を使って貰ったけれど
なんとか責任を果たさなくちゃと必死だった

町内会の子供会もラジオ体操や夏祭り、クリスマスパーティと大忙しだった

今年度ももう後2ヵ月も残っていない
役員会も学年レクなど行事が目白押しである
町内会も最後の行事を控えている

ここに来て悪い虫が動き出している
疲れ気味である。
学校に行くのも町内会の行事も億劫なのだ

でもこれだけは最後まで頑張ろうと決めている
いつもの尻切れトンボにはならないようにしなくちゃ

あと1つ、あと1つ、と言いながらこなして行こうと思っている
自分が納得する形でやり終えたなら
きっと自分に何かが残るような気がする









事件

2006-01-25 16:36:19 | 日記
アルコール依存症の舅と拘っていた頃、流血事件は日常茶飯事だった

大抵は転んで怪我をする
アルコールを飲んでいるから出血の量も半端じゃない

いつも電話がきて夫が病院へ連れて行く
私が次の日にその血を掃除しに行く

1番凄かったのはやはり階段から転げ落ちて
玄関のガラス扉に突っ込んで行ったときだろう

夜中に姑から電話が来て夫が駆けつけたとき
舅は割れたガラスに頭を突っ込んで血だらけで倒れていたそうだ

ギザギザに割れたガラスが今にも首に刺さりそうで舅は右にも左にも向けず
ただ天井を見つめていたそうだ

夫はそれをみて「遂に死んだか」と思うほどの血の海だったらしい

手で丁寧にガラスを避けて病院へ運んだ
以外にも手首を切っただけで他は大丈夫だった

次の日掃除しに行くと本当に凄い量の血だまりが出来ていた

私は人間の血があれ程生臭いとは知らなかった
こみ上げる吐き気を抑えて掃除をした

そんな事を繰り返しても血というものになかなかなれることは出来ないものだ

なぜかよく血を流して倒れている人に出くわす
初めて息子を連れて大きなお祭りに行った時も
フラフラ酔ってと食堂から出てきたおじいさんが
私と息子の目の前で頭から転んだ

ビックリして「大丈夫ですか?」と聞く
「あぁ」と行って振り向いたおじいさんは頭から血がダラーと流れ出した

私は慌ててティッシュを渡したが血の量が多くて追いつかなかった

夫を探したが凄く遠くでタバコを吸って見ているだけだった
なんて冷たいんだ・・・と腹が立った
息子は怖がって大声で泣き出してしまった

お祭りの係りの人が来て救急車を呼んでくれた

私が夫のところへ行って「逃げるなんて酷い」と怒った
「俺、酔っ払って血流してるやつ見ると殴ってやりたくなるんだ」と言った

私と結婚するずっと前から酔った舅は喧嘩してナイフで刺されたり、交通事故にあったりしてその度に夫は嫌々世話をし続けてきたからなのだろう

私も今はやっぱり酔った人は敬遠してしまう
酔って道端に寝転んでいる人
酔って怒鳴り声をあげてる人を見ると
体がガタガタと震えて止まらなくなってしまう


今日は息子の帰りが遅いなと思ってドアを開けて様子を見ようとした

すると道の向こうに男の人がこちらに足を向けてバタバタと暴れていた
凄く苦しそうに手をブルブルと震わせて倒れていた

ビックリして「どうしたんですか」と声を掛けて見た
返事がない。
そのうち動かなくなった
急いで走って近づくと血が流れていることに気がついた

一瞬舅が来て転んだのかと思った
どう見ても違う人だけれど舅が今にも立ち上がって私に襲い掛かって来そうに錯覚してしまった


でもとにかく気を取り直して救急車を呼んだ
救急車の人に
「意識はありますか?」
「何処から出血してますか?」
「呼吸はしてますか?」と矢継ぎ早に質問されるけれど
恐くて近づけないのだ

どうしても目の前に倒れているこの人が舅に見えてしまうのだ

とにかく勇気をだしてと自分に言い聞かせて
「大丈夫ですよ。今救急車が来ますからね」と言った
その時
「うーん」と返事をした

近所の人が出てきて後はいろいろやってくれた
その人は救急車に無事乗せられて行った

酔って倒れているように見えたけれどそうではなかったらしい
持病の発作だったそうだ

私は血を見ただけで酔っているんだ。恐いと思ってしまった

近所の人が来ていなかったらどうなったのだろうと考えると
私は逃げ出してしまったかもしれない

その人は途中から意識を回復して起き上がろうとしていた
近所の人が「寝ていたほうがいい」と言って側についていた

私はその人が最初に起き上がったとき本当に恐いと感じてしまったのだ

今も手が冷たくなって動きづらい

私は最後までその人の側には行けなかった

情けない。
自分はまだ舅に心を縛られたままなのだなと思った

あの人は何も悪くないのに私はどんな目で見つめていたのだろう
きっと軽蔑の目をしていたに違いない・・・

アルコール依存症の「病を憎んで人を憎まず」の教えが全く出来ていなかった
反省させられる出来事だった









レッテル

2006-01-24 15:37:51 | 日記
息子の歯茎が腫れ気味である
歯医者さんに行ったけれど歯ブラシで様子を見ましょうと言うことだった

夫の家系はシソーノーローだ
「父親譲りかな」と言いかけてやめた

私は小さい頃から体が丈夫じゃなかった

母は「栄養はお姉ちゃんに全部あげちゃったから、残ったカスで、育ったからあなたは体が弱いんだね。」とよく言われた

何かある度に「母さんの悪いところばかり貰って来ちゃったんだね。」と言われた

姉はとにかく丈夫だった。風邪1つ引かない。
そして器用だった。家庭科、図工は本当に上手だった

母が「丈夫なところも、器用な所も父さんのいいところも全部お姉ちゃんにいっちゃたんだね。あんたはカスばっかりだから、悪い所だらけだね」と言っていた

それはいつしか私のレッテルとなった

悪いところばかり受け継いだ
だから何をやっても駄目なんだ

姉はよく母の台所に立っていた
ある日柿の皮を剥いていた

柿は程よく熟れていて剥きやすそうだった
私にも出来そうな気がした
「私にも剥かせて」と頼んだ
母は「出来るの?」と言って柿とナイフを渡された

とても剥きやすい柿だった
得意げに剥いて見せた
スルスルと皮が剥けていった

母が「全部身が無くなっちゃいそうだね。」と言って大笑いした

皆も笑った。
「あんたの不器用は母さん譲りだね」と言って皆が笑った

凄く悲しかった
母さん譲りは治らないんだ
もう持って産まれてしまったんだから、弱い体も、不器用なこの手も治らないんだと絶望した

別の部屋へ行って大声で泣いた
「馬鹿じゃないの」と皆が言って笑った

それから私が台所へ立つことはなかった
図工も家庭科も興味が沸かなかった

やっても結果ばかりにこだわってしまうので上手くいかなかった

出来上がりの人の評価ばかりが気になるのだ

結婚した頃私は本当に料理が出来なかった
正直言うと市販のカレーすら作れなかった

忘れられないのが結婚して2週間位経った頃すき焼きを作った
なべに材料を入れて市販のたれをまわし掛けるだけだった

すき焼きの嫌いな夫が「初めて料理を食べた気がする」と言った
何とかしなきゃと思ってそれからいろいろ勉強した

今までのつけは大きかった
ジャガイモの皮すら剥けないのだから

なんにしてもレパートリーのなさには本当に悩んだ
パートにでてそこのおばさん達に随分教えてもらった

野菜の茹で方から、魚のさばき方まで教えてもらった
少しはましになったかなと思った頃姑が倒れた

義理両親の家へ通う日が始まって嫌でも料理を作らなければいけなくなった

酒のつまみから、煮物、義理両親達は味にうるさかった
「美味しいよ」と言いながら気に入らなければ
「ほら、ちっこさんが作ってくれたんだから爺さん食べなさい」と義理父さんにお皿を押し付ける

「お前食えばいいだろ」とまたお皿を返す

最後は「そうだ持って帰りなさい」と包むように強制された

本当に屈辱的だった

いつも「どうせ不器用だし。母譲りだから」と思っていた

娘の出産と共に、母からシャトルシェフ鍋というのをプレゼントされた
煮込み料理など、ある一定の時間火にかけると後は保温鍋に入れておけば出来上がるという優れものだった

義理両親の家を行ったり来たりして時間のなかった私には実にありがたい代物だった

それで作るシチューやおでんは味がしみてすごく美味しく出来上がった

角煮など肉が溶けるほど柔らかくなって自分で作ったとは思えないほどだった

母が自分のために買ったディナーパンというフライパンが重過ぎて使えないと言って私にくれた

これもまた良く熱がいきわたり揚げ物など半分の量でもカラっと揚がる
チャーハンなどいつもべチャべチャで夫に
「犬も食べないような飯」と言われて馬鹿にされていたが
ご飯がパラパラとほぐれて「お店のみたいに上手い」と言われた

息子も頻繁に「美味しい。お母さんのご飯は美味しい」とよく言ってくれるように
なった

人間とはなんと単純なものなのか
鍋が作ってくれたような物だが美味しいと言って貰えると
いろいろ試して見たくなる

料理のサイトも良く覗くようになってレパートリーも随分増えた

夫がたまに言う
「あのすき焼きから随分進歩したなぁ」って・・・

「生まれつき」なんて誰が決めたのだろう
失敗するたびにこの言葉を植えつけられたら一体何を信じて頑張ればいいと言うのだろう

親の一言で子供は左右されてしまう
1度でも自分自信に張ってしまったレッテルはなかなか剥がれない
私はこの歳まで自分は不器用だと思い込んできた

最近は料理の他にフェルトで作るケーキに凝っている
友達に器用な人がいて教えて貰っている
刺繍も始めた

やってみると自分がこういう作業が好きだったのだと気がついた

今は出来上がりにこだわる事もなくなった
失敗すればまた次に頑張ればいいのだ

不思議なのはこの感情を植えつけた母親が
この思い込みから抜け出すきっかけとなったお鍋を
プレゼントしてくれたと言うことだ

トリイへイデン

2006-01-20 09:37:09 | 日記
トリイへイデンを知っていますか

私のとても好きな作家です
「シーラという子」を初めて読んだ時の感動は忘れられません

トリイは最初情緒障害児教室の先生でした

今は児童心理学の研究などもやっているそうです

その情緒障害の子供達の記録を綴ったのがいろいろな本として出版されています

最近読んだ「霧の中の子」も
離婚して会うことを禁じられていた父親に5歳のときに誘拐され
監禁されていたカサンドラの話でした

2年間監禁されて虐待を受け続けたカサンドラの心はボロボロでした
そのカサンドラを立ち直らせるために必死に頑張るトリイとの戦いは
本当に胸に迫るお話でした

本の中で話すトリイの話はいつも私をも救ってくれます

傷ついて言葉も通じないほど壊れてしまった子供達にも
人間として語りかけ続けるトリイの言葉の重さにいつも感動してしまうのです

今回もとても素敵な言葉がありました

「あなたの心の困った部屋の壁に貼ってあるメモを取ってきてちょうだい
そして私に教えて欲しい
私がそれを手に書いて持っていってあげる

そうすればメモの紙は壁からなくなってあなたはよく眠れるはずだから」

トラウマのフラッシュバックに悩まされるカサンドラのためにトリイが言った言葉

これは凄く共感できる台詞でした

私の心の中にも掲示板がある
そこには沢山のメモが貼ってある
見ないようにしてもある時何気ない瞬間にそれは目に留まって私を苦しめる事がある

トリイは「何度も、何度も、あなたに起こった辛いことを話して欲しい
嫌というほど話したらそれはもう辛いことじゃなくて何でもない事に感じるようになる。ただ起こったことだと認識できるようになる」

この言葉に涙が止まりませんでした

私がこのブログを書いて1番感じていたことでした

誰かが聞いている
私の何でもないような話を聞いてくれている

そう思うと書いているうちになんでもないような気がしてくる

あんなに辛いと感じていた事も書いてみるとなんだそんな事と思えてくる

改めてここに来て私のブログを読んで下さっている方達に感謝です

ありがとう





飲み会

2006-01-19 09:05:54 | 日記
つい最近友達3家族で飲み会をした

最初誘われた時丁寧にお断りした

だって夫の人見知りは普通じゃないから・・・
緊張しすぎて地雷踏んじゃうし

奥さん同士は凄く仲良しだから余計尻込みしてしまう

でも友達2人に「ぜひ!ちっこさん家も参加して」と誘われた
仕方がないので正直言ってみた

「うち。お父さんすごーーーく人見知りなんだよね。
緊張しすぎて地雷いっぱい踏んじゃうし、せっかくのパーティ壊したら大変だからさ・・・」とおずおず言ってみた

すると「なんだ。うちの父さんもなんだよ。うちなんか私の実家にすら行けないほどの人見知りなんだよ。人見知り同士大丈夫だよー」と言ってくれた

一応夫に聞いてみるねと言うことになった

夫に言うと「いいよ」とあっさり承諾した

夫がそう言うならいいかと思って初めて3家族でパーティをやることになった

場所は友達の家のガレージ。
バーベキューをする事となった

当日の夫はというと正に緊張状態で石になってしまったようで動きもぎこちない
「何、話そう。」「酔っ払いすぎたらどうしよう。」と
私の後ろをまるで金魚の糞のごとくついて歩いては喋っていた

「お父さんは緊張しすぎると下ネタして受け狙うけどそれだけはやめてね。
話すことがなかったら笑って聞いてるだけでも良いんだから。」
あんまり余計な指図はしたくなかったけれど私も一緒に緊張してしまった

友達の家に着くと人見知りの父さん同士、みんな緊張しているのが分かる
友達同士で「ちっこさんの旦那さん相当きてるよ。石みたいにカチンコチンだね」
と言われた

でも飲み始めるとそれなりに話が弾みだした
昼から始めて夕方家の中に移って夜まで騒いだ

夫も楽しかったらしい。
「月1でやろう」と言い出す始末だ

思えば夫は人見知り。人付き合いができないと勝手に決めていたのは私かもしれない

過去に数々失敗で夫には家族ぐるみなんて無理だと決め付けていた

だからいままでの友達とも疎遠になってしまった

私の先回りの共依存症が夫の友達づきあいを学ぶ場を奪っていたんだなと反省した

私も変わろうとして少しづつでも進んでいるように、夫もまた変わるチャンスはいくらでもあるんだよね
私はまた共依存のパワー発揮で夫の気持ちに同化してしまった
どうせ無理。
部屋の隅で硬くなってる夫を見たくないと思ってしまった

本当に部屋の隅で硬くなるかどうかは夫が決めることなのだ

この分離にいつも間違ってしまう

相手をさも思いやっているようで実は相手を駄目にしてしまう

自分はまだまだだな。

今回は3回目。始まる前まで夫は相変わらず私の後ろについて歩いて
「どうする。どうする?」といい続けていた

「下ネタ言わなきゃ大丈夫。笑顔笑顔」とだけ言い続けた

そして終わってみんなと別れる頃には
「月1でやろう。」とガッツポーズしていた

そんな夫を不覚にも
「可愛いな」と思ってしまった





共依存症の血

2006-01-11 08:26:11 | 日記

前にトラウマで夢の事を書いて以来あの夢にうなされる事がなくなった だがまた新しい夢が私を襲うようになった 。

最初はいつものベットの上に姑が胡坐をかいて私を睨み付け「じいさんを見て来い」と低い声で怒鳴るのだ

「嫌です。もう嫌なんです」と泣き叫んで汗びっしょりで目が覚めた

 その夜は何度寝ても姑と舅が出てきて「遊びに来たぞ」とか「今日は何食べる」とか形を変えて夢に出てきたその度に何度も何度も目が覚めた

私はその夢の事を夫には言わずに自分の中に収めていた

 年末も最後の頃やっぱり見た

もう苦しくてたまらなくて夫に言った

「何度も何度も夢に出てくる。私を呼んでいるのだろうか」言葉にすると涙がでた

夫は黙って聞いていた

すっと立ち上がるとタバコを吸いに奥の部屋に行ってしまった

しばらく泣いていると少し落ち着いてきた

夫が戻ってきて「気持ちの奥に心配な気持ちがあるんじゃないの」と言われた

「そうかもしれない。もう話したから大丈夫かも」と思っていた

 でも夕べも夢に出てきた親戚中が私を囲み「これでいいのか?」と聞いてくる

目が覚めてまた眠ってもまた出てきて「もう十分だろ。帰ってやれ」と皆に責められた

 最後は自分の「もうやめて」の声に目が覚めた

苦しい。

共依存症の血が騒いでいるのだろうか

共依存症の人は生活が落ち着くと物足りなくなってあの頃を懐かしく苦しかったけれど誰かのために奔走していた頃を恋しくなるという

 私もそうなのだろうか

いくら考えてもあの頃に戻りたいとは思えない

それなのにあの家の前に立っている自分を想像してしまう

私は前に進んでいないのだろうか

また迷路の入り口に向かっているのだろうか

不安だ

 私は普通の感覚になれた気がしていただけなのかもしれない

本当は何も変わってなどいなかったんじゃないか

私は自分を自分の作った世界に置く癖がある

空想の世界だ

子供の頃も辛い家庭環境を自分の中で作り変えて人には

「優しいおばあちゃんに。優しくて忙しいお母さん。そして腕が自慢の職人の父」と言って友達に自慢していた

私もなんて幸せなんだと空想の自分と現実の自分と区別がつかなくなることがあった

 そしてある時現実を見せ付けられて愕然とするのだ

本当はもう抜け出したつもりでいたのに自分では少しも抜け出してはいなかったんじゃないか今もがっちりと舅達に意識を奪われているのかもしれない

 私は今何処にいるのだろう

迷ってしまったのかどうかも分からなくなってしまった