トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

落ちてます

2016-01-30 19:39:25 | 
まだ一月が終わったばかりなのに、もう一年が過ぎたかのように疲れがでてます。

今年のお正月、初詣に行きました。
毎年、元旦の早朝に行くのですが、楽しみにしていることがあります。

それはお守り付きおみくじ。
小さな縁起物のお守りがついています。

今年も姉一家と初詣をし、おみくじを引きました。
生まれて初めて「大吉」でした。

「おー!大吉!初めて!」と興奮していると、隣にいた姉も「私も大吉だー!」と言いました。

書いてあることも、良いことばかり、「今年は幸先が良いね」とふと姉の大吉のおみくじをみると
私と全く同じ内容が書かれています。

「あれ?私と全く同じおみくじだね」と言って合わせてみると、大吉とおみくじ番号まで同じでした。

沢山あるおみくじの中から、二人で同じ番号のおみくじを引くなんてなんて偶然。

本当にびっくりしました。
そして、ふっと「もしかしたら、今年は私たちいろいろあるけど乗り越えられるよ」という意味ではないかと
思ったのでした。

そして二週間後に突然の父の死。

人が亡くなったあとの手続きって、本当にたくさんあります。
母は父のあまりの死に興奮状態が止まりませんでした。
脈略のない話を延々としたり、突然へんな冗談を言って笑ってみたり。

役所での手続きも全然わからないみたいで、ずっと付き添ってやりました。

疲れているのに、なんだか眠れません。
父の死がショックなのかと言われれば「全然」です。

もともと私の中に存在感が全くなかったので、突然いなくなっても、生活自体も、気持ちも全く変わらないです。

それでも、もうあの家に父はいないのだと考えたりします。
変な気持です。

人は本当に死ぬんだななんて漠然と納得したりします。

友達が「人は死んだら何もなくなっちゃうんだよ。あの世なんてないし、無しかない。」そう言いました。

「わたしは、あの世はあると思わなければ、怖くて死ねない」と言うと
「どうして?だってあの世なんてどこにあるっていうの?空?どこ?それは心の中に残るっていう意味でしょ」

「私は心の底から、あの世はあるって信じているんだよ。これは考え方の違いだけど、あの世で誰かが待っていてくれる
って思わないと怖くて生きられない。あなたは生きられるの?」

「だから、今を生きるんでしょ。死んだら無!だよ」

正直、強いな。って思いました。

だって今あるものが全て無になってしまうなら、なんのために生きているのでしょうか。
死んだあと、自分の残してきたものを見守る事ができなかったなら、自分の生きる意味があるんでしょうか。

考え方の違いだし、死んだこともないので、友達とそれ以上議論する気にもなれませんでした。

今年は、いつもの役員のほかに、今日は団地の班長も頼まれました。
順番せいで去年から分かっていましたが、会費集めとか憂鬱です。

まだひと月しか過ぎていない平成28年は私には長い一年になりそうです。。。



子供を見失う時

2016-01-29 23:07:32 | 子供
我が子を見失って途方に暮れる時がある。
この子は私が思っていた子と全く違う子なのではないかと思うことがある。

私の知っているわが子はどこへ行ってしまったのか。
最初からいなかったのか。


じっと見つめた我が子は、ずっと俯いていた。
言葉がのどに詰まって声がでない。

この子はなんて言うだろうか。
どんな顔で、どんな言葉を発するだろうか。

ひょうひょうとまた嘘をつくだろうか。
酷い。私を信じないのと大げさに泣いて見せるだろうか。

神様、私の知っている子はどこでしょうか。
この子でしょうか。

「さあ。なんて言うのかな。どんな顔でお母さんに話をするんだろう。そこまで人間落ちたのか。」
のどに詰まった声は低く、呻くように絞りでた。

ずっと。俯いていた体が、崩れるように床に伏せた。
「ごめんなさい。。。。」その声もしぼり出たようにか細く力なかった。

でも、その声は私の知っているあーちゃんの声だった。

「そうだね。それがお母さんの知っているあーちゃんだね。」
そう言葉にだすと、泣くまいと思っていた涙があふれ、嗚咽となって
「お母さんの知ってるあーちゃんだね。お母さんの知っているあーちゃんはいなくなってしまったのかと思ったよう」
と二人で声をあげて泣きました。

嘘をついたあーちゃんも悲しかったのでしょう。
間違いを犯さなければいけなかったあーちゃんも辛かったのでしょう。

お母さんは、あーちゃんの話を聞いていませんでした。
あーちゃんをちっとも見ていませんでした。

あなたの暮らしが変わっていたことも、あなたが暮らしの中でもがいていたことも、
お兄ちゃんが一番で何も気づこうともしていませんでした。

あなたは小さい時から「お母さんが大好き」といつも言っていました。
今もいつも言います。

「困った時は、どうするかわかる?」と泣きながら聞くと
あーちゃんは「我慢する?」と言いました。

あーちゃんの中には大好きなお母さんに「相談する」という選択肢がなかったのです。

だってお母さんを困らせてしまうから。。
お母さんはきっとだめだというから。
お母さんに相談しても無駄だから。


いつからこんなにあーちゃんの信用を失ってしまっていたのでしょうか。

あーちゃん。困った時は「相談するんだよ」
お母さん聞くから。
ちゃんと見るから。

あーちゃんは無言のまま、ずっと泣いていました。
私もずっと泣きました。


父が死んだ

2016-01-20 18:33:14 | ポエム
今、思うと、父には悪気はなかったんだと思う。

困らせようとか、意地悪しようとか、そういう気持ちはなかったんだと思う。
私たち家族が嫌いだとか、憎いとかそういう気持ちもなかったんだと思う。

自分以外に興味が持てない。
自分以外の人の気持ちがわからない。
自分以外のルールは変えられない。

父はお兄ちゃんと同じ自閉症だったのではないかと、ここ数年思うようになっていた。

朝起きる時間から、昼ごはん、夜ごはんと食べる時間はいつもきっかり同じ。
食べる物はひとつの物を食べ始めると何カ月も何年も同じものを食べ続ける。

新しい電気製品を買う。
説明書通りに使うことができない。
自分のルールで使い、それが電気製品によかろうが悪かろうが自分の使いたいようにつかう。
使い方によっては一か月持たず壊れる。

着替えない。
風呂に入らない。

肌触りがいやだから。

気に入らないことは絶対にやらない。
好きな事しかやらない。

父は家にお金を入れない人だった。
必要以上に働かず、自分の好きな車は現金で買ってくるのに、子供には靴一足買うのも嫌がった。
母が一人で私たちの生活のすべてを支えていた。

私が離婚したとき「俺に何か迷惑かかるのか」と聞いた父。

母が具合が悪い時、「俺の食べる分はあるから買い物行かなくても良い」と言った父。

すべてが自分。自分しか見えなかったかわいそうな人。

誰ともかかわらず、誰との思い出もない父。

私たち兄弟も父との思い出は全くない。
もちろん孫たちともかかわろうとしなかった父

どんなに小さい孫だろうが、気に入らなければ怒鳴りつけて怖がらせていた。

棺の中に何か思い出の品をと言われても「何にも趣味のない人でした。大事にしていた時計もなければ、
おしゃれもしない。テレビも見なければ、本も読まない」

一日中、食卓テーブルに座って、ただ窓の外をみて、時計を見て。時間になればごはんを食べて。
椅子に座ったまま寝て。

何もしない。話もしない。笑いもしない。

一日中座っているから、足はゾウのようにむくんで腫れあがっていた。

父は体が丈夫だった。
風邪もひいたことがない。
少し傷んだ物を食べてもおなかも壊さない。

足がむくんで紫色に変色して驚いて病院へ連れて行っても、「どこも悪くありません」と言われる

突然、倒れて意識がなくなって、救急車で運ばれた時も、数日入院して全身を調べても「どこも悪いところはありません。」

一年前から、歩けば転び、座っていても椅子から落ちる。
転んでも自力で起き上がることができない。
風呂にも入れない。

外に出ることを嫌がった父だけれど、半年前からデイサービスに通うようになった。

食いボケが始まり、目につくものはなんでも食べてしまう。
母が留守の間に隣の人が届けたヨーグルトジュースを一リットル一気飲みをして、おなかがゆるくなって
トイレも、部屋も、ベットも汚物だらけになったしまっても、自分では気付かない。

立てないことを忘れ、歩けないことを忘れ、熱い物を持ったまま立とうとする。

立てないはずなのに夜中にラーメンを作って食べようとする。

お正月に帰った時も、父は一人で歩こうとして転んでしまう。
留守番していた弟の嫁さんと私に起こしてトイレに行かせてくれという。

しかし立たせようとしても足に力が入らず、ひっぱった方向にまた倒れて行く。
いくら「おむつしているから、おトイレはあきらめよう」と言っても
「立てる!立たせてくれ」と言って杖に捕まって立とうとしては転ぶ。

「ごめんね。私たち女の力じゃ無理。這ってベットまで行ってくれる?」
父は這うこともできず、ずるずると体を引きずってようやくベットに辿り着いた。

こんなに転んでも「脳が委縮して痴呆が進んでるだけ、どこも体は悪くありません」と医者に言われる。

父は医者の言うことも聞かなかった。

出された薬も飲まない。
決められた量も自分の判断で倍飲んだりする。

転ぶのにお酒も止められなった。

そして、夜中にトイレに行こうとして倒れて、朝、母に発見され、病院に運ばれたけど、
病院に着くときには心臓が持たない状態だった。

私が会社で報告を受けたのは、父が亡くなった後だった。

病院へ行って説明を聞くと、「お父様は、死亡の原因が分からない。MRで撮ったけれどどこも悪くありません。
このままでは死亡診断書が書けないので、警察が自宅を調べます」と言われ、警察が自宅を調べたけど特に
変わったこともなく、結局原因不明の不整脈の死となった。


「死んでるのにどこも悪くありませんだって」

「こんなに人を振り回して、結局わかりません」だって。

なんて父らしいんだろうって思った。

そして父が死んだ日。
次の日から私は職場で丁度冬期休暇をとっていた。
休暇前の引き継ぎも終わって、後は休みに友達とバーゲンでもと楽しみにしていた。

遠くに住む姉も、丁度娘の受験でこっちに来ていた。
姪っ子は葬式場から試験に出かけた。

姪っ子は「おじいちゃんとの思い出はないけど、この葬式だけは忘れない」と言った。

他の人もなぜか休みが丁度重なって。。。
「タイミングが良いんだか悪いんだか」とため息ともあきらめともつかない言葉となって
気付けば、誰も「全てが父らしい」と口々に言った。

天気予報は葬式の次の日から大荒れだった。

だけど、手続きを終えるまで、空は青く、冷たく、静かに過ぎて
「じいちゃんが、晴れにしてくれたのかね」と母が言うと
「じいちゃんが、そんなめんどくさいことするはずない。偶然よ。偶然」

存在感が全くなかったのに、いなくなった気がしない。
誰ともかかわりがなかったのに、父の話をすると「変わった人だった」と話題につきない。

誰の記憶にも残らないかわいそうな人と思っていたけれど、
父はちゃっかり人の心にその存在を残して逝ってしまった。

その事に私は少し安堵したのだった。
だってやっぱり父だから。