トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

動けなくなって、手放した。

2008-10-27 19:28:56 | 
すっかり、更新が滞ってしまった。

何をしていたかと言うと何もしていなかった。

息子の勉強を一緒に頑張る事も止めてしまった。
もちろん息子への勉強への働きかけも止めた。

だから、家に帰ると家事以外は自分の自由に使っている。

パソコンであるコラムを読んだ。

『子供がお財布からお金を盗む事』

子供がお金を盗むのはお金が必要だったから。お小遣いが少なすぎるとかが原因
子供がお金で欲しいものを買わないと自分を維持できないほど辛い状況にいるから。
子供と親に信頼関係がないから。

『子どもには全く悪いことはないです。確かにお金を盗んだことを親から見たら、悪いことに見えるでしょうが、子どもとしては自分の辛さをご両親から解消してもらえなかったから、子どもができそうなお金を盗んで物を買うという、子どもなりのストレス解消法をしただけです。他の方法が子どもに許されていたら、子どもはその方法をして、自分のストレスを解消したはずです。親が子どもを信頼して、子どもを守ろうとするなら、この問題は意外と簡単に解決します。』

ある心療内科医が書いたコラム。
他のコラムも読んだ。
今の子供たちの心を代弁しているように思えた。

他に子供たちが起こすさまざまな問題
不登校にひきこもり。盗みにいじめ。いじめられ。

どれも共通しているのが親が子供の辛さに気がついていないこと。
そのことが子供をどんどん辛くさせ、問題を複雑にして上手くいかなくしていること。

叱ったり、罰を与えても問題は解決されないこと。

解決策は子供の辛さを取り除いてあげること。

息子の辛さとはなんだろう。
息子との間に信頼関係は築かれているだろうか。

そう思ったら私は動けなくなった。

無理のない問題集を探してきて、無理のない勉強を探し出し
そして押し付けてはいなかったか。

お兄ちゃんがやろうとする気持ちを無視していなかったか。

お兄ちゃんが欲しがるもの、興味を持つものを疎んじてはいなかったか。

学習障害という言葉に飲み込まれ手取り足取り。
私が頑張らなくちゃ。私がいなければ。

本当にそうなのか。
息子には生きる力がないのか。

考え、進む力が失われているのか。

そう思ったら、動けなくなった。
そして、何も出来なくなった。

そして手放した。

お兄ちゃんはあーちゃんとたっぷり遊び。
友達とたっぷり遊び。
好きなカードをゆっくり眺め。

夜は10時には布団に入る。
学校の疲れをたっぷり癒して充電して、朝元気に『行ってきます』と大きな声で出かけていく。

たまに気が向くと勉強し、宿題だけは忘れずにしているようだ。

これで良いのか?と自問自答してみる。

わからない。という答えしか返ってこない。

でも私は動けなくなってしまった。
そして手放したくなってしまった。

お兄ちゃんの生きていく答えはお兄ちゃんだけが知っているような
きがする。















子育てが辛いと感じる時

2008-10-15 21:02:03 | 子供
お兄ちゃんは傍から見ても周りから浮いて見える。

本人は全く普通のことと思ってやってしまうことは
大抵は周りをビックリさせてしまう。

周りのちょっとした言葉にも過敏に反応してしまう為に
短気をおこして周りはドン引き状態に。

特に息子の異質な部分は、女子生徒には格好のターゲットとなってしまうのだろう。

『隣の子が他の女子と混じって、階段登ってただけで『きもい』とかって
何度も言われた。』

『そして隣の子が俺の机を離して座ってて、先生がそこ、離すの止めなさいって
怒ったら渋々くっつけたけど数ミリだけ離して『もうー!ほんとやだ』って言ったんだ。俺、学校楽しくない。
何やっても怒られてばっかりで嫌だ。』

数日前、家族で小さな子供は遊具で遊べて、大人はマンガやマッサージチェアが使えて、中学生位の子には卓球とか出来るという遊技場へ出かけた。

最初は私と卓球をしていたお兄ちゃんは、あーちゃんが他所の小学生くらいの女の子と遊びだすと気になって落ち着きがなくなってしまった。

そして、仲間に入りたがってちょっかいを出し始めた。

女の子は体の大きな息子が恐かったのだろう。
あーちゃんの手を引いて走って逃げ出した。

拒否される事を何より嫌がる息子は執拗にに追いかけだした。
いくら私が声をかけて止めさせようとしても、女の子とあーちゃんが隠れた
小さなテントの前から離れようとしなかった。

その様子を気にして店員の人が何人もお兄ちゃんの周りをウロウロし始めて
『お兄ちゃん、大きな体で追いかけてる姿を見て店員さんが不審がって
お兄ちゃんの後ろをついて来てるよ。
女の子は恐がっているんだよ』と説得してようやくその場を離れた。


自分はまた、変な事をしてしまったんだと言う羞恥心からしょんぼりする息子。

この、お兄ちゃんのちょっと人と違ってしまう部分はどうしたら良いのか分からない。

未だにぬいぐるみ遊びが止められない。
独り言も多い。

鼻が悪いせいか、口をあけていることが多く、よだれも出てしまうことがあって
家では注意する事が多い。

学校では気をつけてると言うけれど、大口空けて笑うと大抵よだれがたらっと垂れてしまう。

そんな姿も女子生徒の気持ちを逆撫でするのかな。

今、中学校は学校祭の準備で大忙し。居残りも多い。
朝はこれまた合唱祭の練習で早出。

学校で体中の元気を全部使い果たして帰ってくる。

一通り文句を言って、あーちゃんとちょっと遊んだお兄ちゃんは
8時前なのに眠ってしまった。

毎日、いろんな事に傷ついて帰ってくるお兄ちゃん。

お兄ちゃんの辛かった話を聞くのが日課になっている。

子育てが辛いと感じている。




とても悲しかった日

2008-10-10 23:37:37 | 
お兄ちゃんが布団を敷きながらあーちゃんに話し始めた。

『まだ、あーちゃんが生まれていなかった頃にね、お母さんと自転車に乗って
○ーカドーに行ってね、その帰りにお母さんが自転車で転んじゃったんだよ。
それでね、家に帰ったらお母さんが腫れた足をさすって泣き出したんだよ。
お父さんが帰ってきたんだけどお母さんが『行かないで』って言って
僕を抱きしめて兄ちゃんはお父さんの所へ行けなかったんだ。』

『ねえ。覚えてる?お母さん』

『あー。そんな事もあったね。』


お兄ちゃんの記憶の中ではあの日は○カドーに遊びに行った帰りになっているんだね。

息子が5歳の頃、不正出血と発熱と下腹部痛に突然襲われて、自転車に乗って
産婦人科の病院へ行った。

そこで『重い淋病ですよ。ご主人も一緒に薬を飲まなくてはいけないですよ。』

そう言われた。
3度目の性病だった。

借金が発覚し打ちのめされそれでもなんとか立ち直り
元夫ともう一度やり直そう、子供も2人目を作ろうと決心した矢先の出来事だった。

ただ、屈辱と情けなさで病室を出ると幸せそうな妊婦さんと
産まれたばかりの赤ちゃんを抱いて退院の準備をするお母さん達の姿があった。

待合室でひとりで遊ぶお兄ちゃんが振り向いて走ってきた。

その手をしっかり握ってお金を払い薬を貰って逃げるように病院を後にした。

自転車をこいだ。冷たい秋風が吹く中をただひたすらこいだ。
熱が上がって目の前がフラフラしていた。

お兄ちゃんが乗りたての自転車で必死についてきていた。

振り向いたと同時に地面に叩きつけられた。

痛さは感じなかった。
周りの人の不信そうな目が哀れんでいるようで惨めだった。

とにかく家に帰りたかった。

やっとの想いで家に着いた。
這うようにして家に入った。

下腹部は絞られるように痛み、
心は痺れたように何も感じなかった。

そーっとジーパンをめくると転んだ足は真っ黒に腫れ上がっていた。

こんなに腫れているのに傷みはまるで感じない。
不思議だなと他人事のようにその足をさすった。

息子が小さな頭で覗き込んだ
『わあ。真っ黒だね。お母さん、大丈夫?』


『うん。うん。大丈夫だよ』そう言ったら頭の中がぎゅっと熱くなった。

暗い夕闇が迫る部屋で電気も点けずに息子を抱きしめて泣いた。
『おーい。おーい』と泣いた。

そこへ元夫が帰ってきた。
泣き出した私に怯えた息子は『お父さんに知らせてくる』と立ち上がった。

私は息子を膝に乗せ抱きしめて離さなかった。
何かにつかまっていないとガラガラと壊れてしまいそうだった。

あの日。

『ねえ。覚えてる?』お兄ちゃんがもう一度聞いた。

『あー。2度と思い出したくない一日だね。離婚して本当に良かったって思える1日だよ』

『そんな事言うなよ。俺は離婚して欲しくなかったんだからさ』

『そうかい。じゃあ。お母さんはあの日を忘れるよ。お兄ちゃんも忘れちゃいな。』

あの日。

今もはっきり覚えている。

先には闇しか見えなかったあの日を。

消えてしまいたいほど悲しかったあの日の事を。



住めば都

2008-10-05 22:09:40 | 
今の住まいに越してから5ヶ月が過ぎようとしている。

このマンションに決めて実家の母に報告に行った時
『あそこに決めたのかい。良かった。良かった。
実は結婚して住んでいるあんたの家はずっと嫌だったんだよね。
なんだかあの家に入るとイヤーな気持ちになって、あの家はダメだ。
引っ越したほうが良いのにってずっと思っていた。

それにちっこが決めてきたマンション。
母さんがあんたの家に行く時にいつも前を通っていて、
古いけれどなんだか感じが良いマンションだと思っていて
引っ越すなら此処にすれば良いのにってずっと思っていたんだよ。
そうかい。あそこに決めたのかい。良かった。良かった』と何度も頷いた。


母が幼い頃、母の実母はすでに病気で寝たきりで
奥の部屋で寝起きをしていたのだという。
時々顔を見に行くけれど言葉もあまり交わさず、近づくこともなかったのだと言う。

その実母がいよいよ最期を迎えてみんなで部屋に集まり看取った。
兄弟達が悲しみに暮れている姿をみて母は不安になった。

しかしその夜、死んだはずの実母が玄関から帰ってきたのを
母はハッキリと見たのだと言った。

『なんだ。やっぱり大丈夫じゃないか。死んでも側にいるじゃないか』そう思った。
兄弟はそれぞれに離散しても母はその家にひとり残って
両親の仏壇を守り続けた。

その頃から何かの気配を感じることができるようになったという。

だから私が結婚してあの家に住んだ時
母はあの家がどうしても好きになれなかったと言う。
そう言えば結婚してから離婚するまで母は一度も家に泊まりに来たことがなかったし遊びに来てもすぐに帰りたがった。

最近、ずっと会っていなかった結婚式の時に発起人をしてくれた友達が
私の新居を見に来てくれた。

玄関に入って第一声が『あらー。良い所に越したね。こじんまりしちゃったけど
温かい家だね』と言った。

母の話をすると
『便乗するわけじゃないけれど、実は私も前の家は遊びに行くたびに
この家はなんて寂しい気持ちになる家なんだって思っていたんだよ。
今、住んでる人には言えないから黙っていたけど、お母さんの話を聞いて
私と同じ気持ちになった人がいたんだってビックリしたよ。

ここは入った時に空気があったかいと思ったよ。
良い所に越せたね』と言ってくれた。

住んでる人間が荒んでいたから、家の空気も冷たかったのか
家の相性が悪くて人が荒んでいったのかは私には分からない。

ただこの家の空気はとても温かくて居心地が良いよって言ってもらえて
とても嬉しかった。

住めば都。
お兄ちゃんもあーちゃんも『このおうちが大好き』と言ってくれる。
あんなに揉めて、あんなに悩んだけれど
私も引っ越して良かったと思っている。

気がつけば

2008-10-04 00:06:49 | 
気がつけばもう!一週間が過ぎてしまっていた。

とびひが治ったはずのあーちゃんは抗生剤の副作用なのか
口の中にカビが生えてしまった。

またまた皮膚科へ通っています。

お兄ちゃんは校内合唱コンクールの為に毎日忙しそうにしている。

会社もまた人事異動が始まって、私の課も様変わり。
今日は送別会の飲み会で遅くなるので母が子供たちを連れて実家へ帰った。

だから今、私はほろ酔い気分でひとりの時間を楽しんでいる。

ちょうど去年の今頃、Kさんが転勤して行った。
あの頃から1年が過ぎたのだと思うと感慨深い。

仕事がなくて悩んだ日々も遠い昔のように感じられる。

仕事も給料面で悩んだ事もあったけれど、今は食べていける間は
ここで頑張ろうって思っている。
どうしても、やってみたい目標が出来たのだ。

小さな目標なんだけどそれを目指してここで頑張ってみようと思えるようになった。

何もかもがすっきり上手くいっているわけじゃないけれど
こうして過ぎ去っていく時間に身を任す事ができるようになった自分を
嬉しく思う。

全てはケセラセラ。
荒らしに漕ぎ出した私の船は、今、穏やかな波の上にその身を任せて浮かんでいる。

何処までも続く青い空を目指して。