トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

混乱

2006-03-20 08:51:14 | 嫁、舅
どうやってもすっきりしない。
どんなに気持ちを盛り上げても気持ちが切り替わらない

考えても考えても答えが出ない

姑が来た日の事が頭から離れない

私は姑を匿っている時からすっかりインターフォンの音に敏感になってしまった

「ピンポーン」となると飛び上がるほどビックリする
また舅が来たんじゃないか。
酔って怒りに任せて玄関に仁王立ちしてドアを蹴ったり、怒鳴ったりして
また警察を呼ばなくちゃ行けなくなったらどうしよう

そんな不安にいつも取り付かれるようになった

ドキドキしてインターフォンに出れば息子の友達だったり
集金の人だったりして心底ホッとするのだ

心臓はドキドキと自分の耳まで届くほど高鳴る
時々ぎゅっと痛くなる時もある

夢にだって何度も出てくるのだ
姑が家にいた時は舅がいきなりやってきて姑がドアを開けて入れてしまう
夢だった

いつも汗びっしょりに目が覚めたものだ
それは正夢となった。
姑は易々とドアを開け舅は夢と同じジャージを来て顔を赤くして
入ってきた

正夢となった事は私を益々恐怖へ陥れた
夢は夢じゃなかった
いつか不安は的中する。そんな確信さえ得た

姑が帰ってからは二人そろって家に来る夢にうなされる
姑が玄関の前に立ちその後ろに舅が立っていて何事もなかったように
家の中に入ってくるのだ
そして最初穏やかだった舅が豹変してあの歯のない血だらけの口で何かを喚き始めるのだ


私は混乱し「もう帰れ!」と怒鳴り目が覚めるのだ

そしてそれは現実となった
いつも気が緩んだ時にそれは起こるのだ

舅が来た時も全く無防備だった
あれ程緊張状態が続いていたのにふっと今日は大丈夫と気が抜けていた
玄関に鍵すら掛けていなかった

インターフォンに出て「あー。お義父さんだけど・・・。開けてくれ」と言われた時のあの目の前がくらくらする様な感覚今でもハッキリと覚えている

これは夢なのか?現実なのか?足元がガラガラと恐怖で崩れていくような
全ての感情が止まってしまうような感覚・・・

姑が来た時も夢と同じだった
全く無防備だった。いつものような午前中。娘とのんびりテレビを観ていた

「あー。お義母さんだけど・・」
杖をコツコツと床に置く音まで夢と同じだった
そーっとドア穴を覗くと後ろに大きな体の人が立っていた
夢同様舅と2人で来たのだ

血だらけの口をした舅が何かをわめきに来たのだ・・
恐怖が駆け上がりドアを開けてはいけないと心の中で誰かが叫んでいた

ドアノブを握り締め私は立ち尽くしていた
ドアの向こうで姑がコツコツと杖で地面を叩く
「あれ?開かないな」のんきにつぶやく声が聞こえる

娘が後ろで「誰?お母さん。誰が来たの?」と何度も何度も聞く
何でインターフォンに出ちゃったんだろう
いつもは誰が来たか確認してから出るのに今日に限って
どうして無防備にも出てしまったのだろう

自分を悔やんだ
このまま出なければ帰ってくれるだろうか
舅が大声で叫びだしたらどうしよう

頭が混乱して全ての思考が止まっていった
コツ。コツ。コツ。

秒針を刻むように姑の杖がいつまでもなり続いていた

私はドアを開けてしまった・・
姑の後ろに立っていたのは舅ではなくて家政婦だった

体から力が抜けていくようだった
今まで心臓が止まっていたんじゃないかと言うくらい
物凄い鼓動が頭の中に響いた

目の前の姑は痩せた骸骨の顔の大きな目を見開いて
「入ってもいいかい?」と聞いた

私は易々と姑達を招き入れてしまった

今私は自分の事が恐ろしくて仕方ない
私はあの時の姑のように頭の中で「止めろ!開けるな」と何かが叫んでいたのに
自分の内なる声とは逆の行動を起こしてしまった

私は自分を娘を守ることが出来なかったのだ
もし後ろにいたのが家政婦ではなくて舅だったら私はどうしたのだろう

また2人を家に残し娘を連れて逃げ出していただろうか
錯乱した舅が何をするかも想像出来た筈なのに

私の恐怖心はドアを開ける方を選んだのだ・・・
その事に私は凄く混乱している
(つづく)





家 2

2006-03-03 08:35:15 | 嫁、舅
話はどんどん進んでいった

夫は「どうするんだ?本当にあの親達と暮らせると思ってんの?
あんな父親といたらあんたなんか3日で逃げ出すよ。いいの?大変な事になるよ」とオロオロとするばかりだった

確かに私が賛成したからこうなったのだけれど私も戸惑っていた
何か違う・・・。こんな事を期待していた訳じゃない

夫の借金の内容を相談にのって欲しかったのだ
どうしたら夫の借金を止めさせられるのか。
全部でいったい幾らあるのか
そして何で作った借金なのか

知りたいのはそれだけだった
そしてもう借金はしないと約束してほしかった。
これからの生活を安心して暮らしたい。
借金の事がなくなれば揉める事も怒鳴られる事もなくなる筈だ

全ては借金が原因なんだと思っていた
しかしたよりの姑はそんな話はすっかり忘れてしまったかのように
新しい家の事で浮かれていた
夫に聞いてみるとか。
話をしてみるとか全然なかった。

姑はその問題から逃げていた
舅にばれる方が余程大問題だと思っている事が分かった

私は落胆した
同居したところでいったい何の解決になるのだろう
疑問は膨らむばかりだった

他力本願で解決しようとした自分も馬鹿だった今更ながら気がついた

家を見た後は必ず実家で宴会だった
酒を飲みながら舅は私に
「どの家にする。いつ決める。本当に今のあんたらには随分金をかけたもんだ
年間100万はかかってるぞ。なぁ。ちっこさん。」と執拗に何度も何度も言った

夫は返事をしなかった
どの家も気に入らないと言い張った
一緒に暮らすとは絶対言わなかった

夫がトイレに立つとその隙に舅が
「あいつの意見なんか聞くことないんだ。ちっこさんが返事をするだけでいいんだ」

姑も
「そうだ。そうだ。息子の意見なんかどうでも良いんだ。ちっこさんが決めて良いんだ。一緒に住むでしょう。その方が良いでしょう。
親戚の○○ちゃんなんかもう同居したって言ってたし。隣の○○さんも同居したらすぐ孫が出来たっていうし。その方が絶対良いんだって」

なにか変だ。
どうして息子の意見はどうでも良いんだろう。
なんでこんなに息子の気持ちを無視するのだろう

とても不快だった

なかなか返事をしない夫に義理両親達は苛立った
前にも増してこの家にお前達にどれ程お金がかかるかを力説し
恩返しするべきだと強要した

家に帰れば夫がどうするんだと責め立てた
間に挟まれ疲れきってしまった
自分で返事をしたんだから。安易に解決しようとした自分が悪いんだと反省した

日に日に心の中で一緒に暮らしてはいけないと何かが叫んでいるような気がした

ある日業を煮やした舅が「おい。お前らがハッキリしないから昨日来た業者に手付金払ったからな。決まったからな。それでいいな」と電話してきた

冗談じゃない。なんで勝手に決めるんだろう
これでは横暴な夫と全然変わらないじゃないか

この人達は自分の事しか考えていないことがつくづく分かった
私は利用されたのだ。周りに自慢したいためだけに、早く孫を産ませて周りに
「良いわね」と言われたいためだけに利用されたんだと思った

同居などしたら私はこの人達に食いつぶされてしまうと恐怖感でいっぱいになった
夫が言った事は間違っていなかった
3日と持たないかもしれない

決心した。自分を守らなければ、誰も守ってくれないなら自分で守らなければ
強く思った
いつものように舅の自慢が始まった

私の心は決まっていた
「申し訳ないんですが、一緒には住みません。そんなに大変ならあの家出ますから誰かに貸して老後の蓄えにでもして下さい」と言った

舅も姑も目を丸くしてビックリしていた
「なっ。なにを・・・。喧嘩売ってんのか?」

「いえ。そんなに大変だとは気がつかず申し訳ありませんでした
一緒に暮らす自信がなくなりました。だから家をでますから老後の足しにして下さい」

夫も口をあんぐりと開けて惚けたように見ているだけだった

私は立ち上がり「帰ります」と言ってドアに向かった

後ろで舅が「なんだ!いい嫁だと思ったのに」と穿き捨てるように言った

家に返って夫に散々
「家に残るおふくろ事少しは考えろ」と叱られた
「じゃあ、一緒に暮らしたかったの?」と聞くと黙った

助かったくせにと心の中で毒づいた

結局夫の借金の事も自分が向き合ったときに解決した
別な事に摩り替えても問題は解決しないんだと随分後から学んだ

あの時本当に一緒に暮らさなくて良かったと思っている

あれからもこの家の事にはいろいろ振り回された
何度この家を出ようと思ったかしれない

舅は酔っては金を使いまくり退職金も食いつぶしてしまった
今は細々と年金で暮らしている

ローンの払いに困ったといってはお金を要求してきた
その度にまとまったお金を渡しても払いにはあてず飲んでは使ってしまった

もう舅にはローンの管理は無理と判断し私達が全てを引き継いだ

この家に住んで15年になる
15年分の想いが詰まっている
友達も沢山出来た。

近所の人とも随分仲良くなった
今では私にとってただの家ではなくなった

この家は私達家族と共に泣き、笑い、その全てを見てきてくれた

いつまでいられるかは分からない
名義は舅のままだし話し合いもできない
だから払いが怠っていると聞けば肩代わりして守れるだけ守っていくしか出来ない
それでもいいと思っている

私はこの家が好きだから
この家は私の家族だから


2006-03-02 10:02:12 | 嫁、舅
先日市役所から電話があった
「固定資産税が3年近く未納になっているので払って欲しい」と言われた

今済んでいる家は舅が勝手に酔った勢いで買った家だ
私が結婚する前に舅が老後のためにとか言って家族が反対するのを聞かずに
ローンを35年も組んで買ったらしい

最初は人に貸していたらしいが夫が結婚した時にこれまた見栄で私達に
「俺が用意した家に住め、そして5年位したら同居しよう」と勝手に計画を立てて
私達に押しつけた

私は誰かが用意したものに安易に従うのが苦手だった
狭くてもボロくても良いから自分達のできる範囲の生活をしたかった
ましてや5年で同居が決まっているなんて絶対嫌だった

だから夫にもう住んでいる人もいらっしゃるしその人達を追い出してまで住まなくてもいいんじゃないのか。
別に住まいを探そうと提案したがその頃の夫は義理両親達に支配されていて

「あの親父の言うとおりにしなかったらどうなるか分からないぞ。お前責任取れるのか。暴れるトラと一緒なんだぞ。」と言われそんなに恐ろしい事が起こるのか
と不安になり此処へ住む事となった

夫は結婚した頃本当に給料が少なかった
前に住んでいた人と同じだけの家賃を義理両親に払うことは不可能だった
その事を告げると「5年位の間なんだから、家賃は3万くらいでいいよ」と言われた

本当に義理両親達は5年で一緒に暮らそうと決め付けていた
私達の意見などないに等しかった

結婚して1年の間に何度も夫の借金に悩まされた
夫は独身時代に300万位の借金があったのを隠していた

夫がはっきりと幾らあると言わないから
50万出てきてそれを払って終わったと思ったら30万出てきて
といったい幾らあるのか不安で私はパニック状態だった

夫はいつでも「親には言わないでくれ」と懇願した
親に言った時は2人の終わりの時なんだと思った
共依存症者は離婚という言葉に弱い

パートナーを失くすと言う事はなにより恐いことだった
愛情のある、なしには関係なくとにかく恐いのだ
だからなかなか離婚はしない。
共依存症であるうちは離婚はしないといったほうがいいかもしれない

私も同様に離婚はしたくなかった
愛していないのに別れる事は身を切られるように辛いことだった

それでも何度も発覚する借金について行けず夫に内緒で姑に相談した
姑は凄く驚いて
「あの子はそういう所があるかもしれない。心配かけて本当にごめんね」と言った
そしてその次に
「私が見張らなくては駄目なのかもしれないね。同居して私が見張ってあげましょう」と言ったのだ

私はその時本当に追い詰められていた
借金だけじゃなく結婚して突然豹変した夫に脅えていた
何かのきっかけで怒鳴り散らす。物に当たる

借金の事がばれる度に見つけた私が悪いかのように私を責めた
「なんで勝手に調べるんだよ!」
だって掃除したら督促状が出てきたから
「勝手に掃除なんかするからだ!ないって言ってんだろ!俺が信じられねーのか?」
と今にも殴りかかってきそうな勢いで怒鳴り散らす

「ない」と言いながら次の日には30万、20万とお金を持っていく
本当に不安だった。でも怒らすことももっと不安だった

だから姑が一緒に暮らすと言った時はどこか安心したのだった
私は「それがいいかも知れませんね」と返事をしてしまった

物事の本質から目を逸らして向き合おうとしない私と姑
共依存症同士の出した結論は結局見張って夫をコントロールする事で
物事を解決しようとする浅はかさだった

姑もまた舅を恐れていた。
息子が借金を重ねていたなんて言ったならまた深酒をして大変な事になる
だから舅には黙ってただ私が一緒に暮らしたいと言い出したと伝えたのだ

舅の喜びようといったらなかった
次の週にはいきなり「家を見に行くぞ。用意して迎えに来い」だった

夫はいきなりの話にパニックになった
「なんでいきなり同居なんだ?親父がお前が一緒に暮らしたいって言ったからって喜んでたぞ。どういうことだ?」と聞かれた

私はまさか借金の相談をしたとは言えず
「さあ。一緒に暮らせたら良いねって言われ、そうですねって返事しただけなんだけど・・・」と言葉を濁した

「馬鹿じゃないの?そんな事言ったら明日からでも住むって言うよ」と怒られた

でも舅の言うことは絶対だったので週末に皆で家を見に行くこととなった
モデルハウスを見て廻るたびに舅は上機嫌だった

「いやー。俺の買った家に住まわせてたんだけど、こいつら金払えないから大変なんだ。年間に100万位負担してやらないと駄目なんだ。
いやー。こいつらの面倒ばっかり見てられないんだ。」

「それで一緒に住むことになったんだけど、こいつら金ないから俺が全部してやらなきゃ駄目なんだ。いやー。参ったよ」とボロクソに言い
いかに自分が素晴らしい父親なのかを店員に言いまわっていた

何軒も何軒も見た。そして同じ台詞を何度も何度も言って歩いた
いかに息子夫婦が不甲斐なくゴクつぶしのごとく金を食いつぶすかを力説した

本当に肩身が狭かった
なぜ此処まで言われなくてはいけないのか
舅の今まで見えてなかった陰湿な部分を初めて知って私は戸惑っていた

どんなに馬鹿にされても言い返さない夫にも不思議な気分だった
家でのあの横暴さに比べて、この存在が全く消えてしまうのは何なんだろう
本当にこの家族と一緒に暮らすことなどできるのだろうかと
私は胸が鷲づかみされたような息苦しさを感じたのだった

(つづく)


結婚生活 嫁と舅

2005-11-11 09:16:25 | 嫁、舅
姑が脳梗塞で倒れて右半身不随の後遺症が残ってしまいました

それまで、あまり付き合わないようにしていましたがそうもいかなくなってしまいました
姑はリハビリによって右手は完全に動かない状態、かろうじて杖をついて歩くことはできたので、トイレなど自分の事はできました

まだ若かったし、ショックも大きかったようですが、5年待っての孫が産まれたのでそれが支えとなったようした。そして私も2週間に1回は通う様になりました
舅も会社に通いながら買い物などをして姑も左手で魚を煮たり焼いたりしながら生活をしていました

そんな生活が壊れ始めたのは舅が定年してからでした
お盆や年末に泊まりに行くと舅は酷く酔って姑に暴言を吐いたり、しつこく人に絡んだりするようになりました

ある時親戚の法事に泊まりで出かけたとき、まだ小さかった息子が夜泣きをしました。すると酔った舅が部屋に入ってきて、私と息子の寝ている布団の中に入って来たのです

私は寝ながら母乳を与えている所でした
びっくりしてその場から逃げ出しました
夫は隣で寝ていました

次の日その事を姑、夫に話すと「仕方ない人だ。酔ってたんだからしょうがないでしょ」と言ったのでした
私は「この家は、いい家だね。酔えば何してもいいんだ」と思わず言ってしまいました。夫は何も言いませんでした。舅が酔って事件を起こしてばかりいたので、そんな事は別になんでもないことだと思っていたのかもしれません

その時はまだ舅がアルコール依存症だとは思いもしませんでした
ただ、ただ今度は何が起きるだろうとそればかり恐れていました

夜遅くに親戚の家で酔って階段から落ちたりして呼び出されて小さい息子を抱えて高速に乗って迎えにいった事もありました

ある時は家の階段からまた落ちてガラス戸を突き破り血だらけになって姑が電話をかけて来た事もありました。
次の日にガラスと血だらけの玄関を吐き気をこらえながら掃除したりもしました

一番悲惨だったのは酔った舅に追いかけられて階段から姑が落ちて大怪我をした事でした
腰の骨が砕けていたのに救急車も呼ばず一晩家で洗面器で排尿をしながらすごしていたのです

とにかく何か事件が起きても自分たちで解決する能力が全くないのです
救急車一台呼ぶことすらできなのです
そして「兄ちゃん、なんとかしてくれ」です
そして夫も「またかよ」と言いながら急いで駆けつけて処理するのでした

私もまた「大丈夫ですか。」といい嫁ぶってその日から泊り込みで世話をしたりしていました
それでも誰も舅を攻めることもなく、ひたすら皆で舅の尻拭いをし続けたのです

なにか事件がおこすと舅は酷く反省して「もう、酒はやめる」とか言って1週間位おとなしくしているのです
そうすると夫も姑も上機嫌で姑が「お父さんにお酒買ってきてあげて」とか言い出すのです
夫もそんな神妙にしている舅を「かわいい」とか言っていました

そして義理両親たちは私にも「ありがとう。ありがとう」と感謝するのです
共依存症の私にはもうこれ以上のご褒美はないので、ますます役に立たなくちゃと
ひたすら舅の尻拭いをし続けたのでした