トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

波乱の幕開け

2015-01-10 22:28:40 | 
あけましておめでとうございます。

昨年の会社の年末最後の日に、インフルエンザでダウンして、なんとかまだ開業していた病院へ行き

インフルエンザ薬をなんとか飲んで、子供たちをとにかく実家へ避難させ、一人さびしく年を
越した。

熱はそれほど高くなく、ダルさと、頭痛でぐったりと、布団に横になっていたものの、
物も食べられるし、インフルエンザ薬のおかげとなんとか一週間で完治しそうだとホッとした
インフルエンザ3日目の朝、喉に焼け火鉢を押し付けたような痛みで目が覚めた。

物が飲み込めない。
水も飲めない。

今まで感じた事もないようなものすごい痛み。

とにかくもらった薬をなんとか飲むものの、水も受け付けず、寒くもないのに
体がガタガタと震えて歯が合わない。

どうしよう。と思うのに体が動かず、声も全く出ない。

病院はすべてしまっている。

一日なんとか乗り越え、近くの病院へと行った。

内科の当番病院へ行ったが、靴が玄関の外まで溢れていて、人も溢れていた。
家の近くに耳鼻咽喉科があったことを思い出し、そこへ行った。

大きな耳鼻科で待ち時間は3時間近く。
最初の問診の看護婦が私を診て「順番を早くしてもらう」と言って15分で呼ばれた。

先生が「うーん。大変な事になっているよ。」と言いものすごい沢山の薬をくれた。

なんとかそれをもらい家に帰って、急いで薬を飲んでから
水を飲めばものすごい勢いでえずいて吐いた。

吐くのにでない。
咳をすればじっとしていられないほど何度もえずく。

こんな苦しい事は初めて。
体は下痢をしていて、かろうじて食べた物も体の外へ。

それでも、たったひとり便器を抱えながら何とか乗り越えたが、全く声がでない。

水分も取れず、物も食べられない。

真冬で寒いはずなのに脂汗がにじみ、暑かったり寒かったり。

それでも熱は下がって、もうインフルエンザの心配はないと子供たちが家に帰って母もきてくれた。

次の日は会社の初日。
とりあえず、出社するも全く声がでない。
喉の痛みは少しは治まりつつも口の中も焼けるように痛い。

座っていても目がかすんで字が見えず。脂汗ばかりが出てくる。

社員さんが見かねて「ちっこさん、死にそうになってるよ。どれだけ痩せたの。人相まで変わってる。
帰って。お願いだから病院へ行って」

そう言われ、自分も限界だと思い、病院へ。
点滴を打ってもらいようやく目が見えるようになった。
結果は「インフルエンザ薬が体に合わず、喉についた粉が化学反応を起こしてやけどのように腫れあがってます。
しばらく声は出さないようにしましょう。
もしこの状態で菌に感染した時は、息苦しいなどの症状がでたら速救急車を呼んでください。
窒息しますから。」

なんだか分からないがとても悪い状態らしい。

それからなんとか菌の感染は逃れたものの、10日たっても声はもどらない。
ステロイドを飲み始めてから、えずきも取れ、物も食べられるようになったし、眠れるようにもなった。

まったくこんな酷い正月は初めてだった。
まさかインフルエンザからこんな事になるとは、、、、


そして、こんな時本当に周りの人の温かさが身にしみる

声が出せない私を、心配した社員さんが「可哀そうに」と泣かれた時は本当に申し訳なかった。

病院優先でとにかく帰れと言ってくれなかったら死んでたかもしれない。

筆談で仕事をするのはとても不便だ。
でもみんな嫌な顔ひとつせず、電話をとってくれる。

お兄ちゃんもあーちゃんもとにかく優しい。
まどろっこしい話もいちいちうなずいて、聞いてくれる。


引越ししてから「自分って大器晩成かも」なんて良い気になって、いつもはインフルエンザの時期の予防接種しただけで、飲み会だの役員の仕事だのとにかく多忙を極めていて、全身がだるくて、痛くなっていたのに気づいていたのに無視して動き続けた。

過信した。
油断した。
後悔してももう遅い。

早く治ってみんなを安心させなければ。