トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

転機

2016-06-25 21:44:31 | 
もう、大きな変化はないだろうなんて思っていたら、生きている限り転機は訪れる。

引っ越しして、父が死んで、そして今度は職場が変わることとなった。

転勤なんてないはずだったけれど、会社自体が大きく形態を変えるんだそうでたくさんの人が移動した。

行く人、残る人、職場は急な移動に毎日忙しい。

私も数人の仲間とともにもうすぐ移動する。

新しい職場はどんなところなのか。
仕事の内容はそれほど変わらないということだけど、行ってみないとわからない。

この職場にきて十年目。

入った頃は電話の受け答えすら満足にできなかった。

昨日まで専業主婦で暮らしていた私に、職場の人はとても親切に教えてくれたけど、
どこまで仕事ができるのか信用してもらえるまで、なかなか仕事がもらえず、毎日ただ座っているだけの毎日に
針のむしろのようだと、思っていた日々があったとは思えないほど、今はとても忙しい。

あのころあーちゃんはまだ4歳で、保育園に走って迎えにいき、重い荷物を抱えながらあーちゃんを抱いて帰った。

入社してすぐに、お兄ちゃんの異変に気付き、検査、相談所、病院と回って、自閉症と診断された。

それから支援クラス、高等養護学校と進み、今は働いてわずかだけど食費を家に入れてくれる。

「俺の頭は腐っているんだ」と壁に打ち付けて泣いたお兄ちゃんは、
「俺ってこだわりが。。。。強い。パソコンしないと仕事がはじめられないという習慣がやめられない。自閉症だからさーーー」

「あんたその自虐ネタやめてよね」
なんて障害のあることを笑い話にして話したりするようになった。

お兄ちゃんの中で自分の障害のことはすっかり受け入れることができたんだなって思う。

それは今の職場で、自分が認められて満足いく仕事ができていることがおおきいのだと思う。

あーちゃんも部活をやめて、新しく美術部にはいった。

やめたころは「楽器を吹くのは楽しかった。やめたくなかった」と言っていたけれど
今は楽しい仲間に囲まれて後悔はないようだ。


そうそう、うちの小鳥ちゃんが、ガラス窓に激突して、羽をけがしてしまった。

今はかごの中で絶対安静中。

父が死んで臥せっていた母も、「なかなか一人暮らしもいいね」と元気になった途端、あっちこっちと飛び回って
一人暮らしするほど実家にいない。

どこで暮らしていても元気になってくれたなら、良いと思う。

親も子供も、結局元気で笑ってくれていたら、自分は安心して暮らせるんだと実感する。

きっと子供たちも、母も同じ気持ちだと思う。

私が元気で笑っていたら、安心してくれるんだろう。

どこで、何をしていても。