トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

臨機応変

2006-11-28 23:32:29 | 元夫婦
夫がぎっくり腰になった
先週末に重い物を運んだらギックリいってしまったらしい

這うようにして帰ってきた
私もギックリは何度もやっているので、家にあるシップ薬とコルセットを貸してあげた

夫は会社を辞めて半年で十キロも太った
元々痩せすぎだったのでいきなり十キロも太って腰も悲鳴をあげたのだろう

痛みに弱い夫はギックリの激痛に耐えられず
「いたーい。いたーい」と言って寝込んでいた

土曜は私は講習なので夫はなんとか自分の事はしていた
でも日曜は完全に病人と化して、トイレ以外は全く布団から出ず
あれを持って来い。これを持って来いと要求し続けていた

私はぎっくりの辛さは知り尽くしているので
夫が可哀想だなと思い何度もシップを変えてあげて、ご飯も枕元へ持って行ったりした

でも夫は痛いのと動けないのとでだんだんイライラして、
口調も荒く人に指図を繰り返した
私も夫に付きっ切りみたいになってしまって家事が進まずイライラしてきた

拭き掃除をしていたら眠っていた夫が起きて
「お茶」とぶっきらぼうに言った
私もムッとして返事をしなかった

台所に戻って雑巾を洗い、手を洗ってお茶を入れようとしたら夫が
ズダダダダと這ってきて
「もう。良いって!!よけろ。俺が自分で入れるから!!」と私を押しのけて
コップに麦茶を入れ始めた

最近の不満も堪っていた私は思わず
「なんなの!?今入れるところだったでしょ?」と
ヒステリックに叫んでしまった

夫は変な顔をしてまたズダダダダと布団に這って戻っていった

「まただ。」と思った
いつも夫は機嫌が悪いと頼まれた事をすぐしないと怒り出して
「自分でする。お前は忙しいんだろ。俺は痛いのを我慢してやれば良いんだろ」と嫌味たっぷりで責める

私はこれが一番嫌いだ
私は夫が機嫌が悪い時に、頼まれごとをされるといつもドキドキする
早くしなくちゃって。。。
怒り出すから急がなくちゃと。。。

でも今回はこれは夫の意地悪なんだと確信した
わざと忙しくて出来ない時に要求して、出来ない私を責めてうさばらしをしていたんだ
今までもずっとそうだったんだ。と目覚めた

舅とそっくりだと思った

ムカムカとハラがたってそのまま黙って子供達を連れてスーパーに出かけた
買い物をしているうちに「もう。遠慮なんかするか。ふん!!」と鼻息も荒く
家に帰った

夫の機嫌は治っていた
布団にもぐって携帯をいじっていた
私が側に来たと分かって慌てていつものように携帯を閉じた

「あら?私が来て慌てて携帯を閉じるんなんて感じ悪いわ。女?女でもいるの?」

夫はギョッとしたように見つめ返して
「違うよ。エロサイト」
「ふん!そんなのばっか見てるから2万も請求が来るんだね!!」
またまたギョッとして私を見た

その後も家計簿を目の前でつけて
「今月はもうこれくらいしか使える予定のお金がないからね。使ってない電気は豆に消してね。うちは光熱費ちょっと高すぎだよね」と言うと子供達が
「そうだね。ご飯食べられなくなったら困るもんね」と言って
点けっぱなしになっていた電気をあちこち消し始めた

「偉いねーお兄ちゃん!!」と褒めて
「それにしてもうちは通信費も圧迫してるよね」と言うと

「すみませんね」と夫がぼそぼそと言った
「おやつも少し我慢した方が良いよね。子供は可哀想だし大人が少し抑えないとね」と次々と夫の目の前で家計をチェックしていった

夫はスゴスゴと布団に入って寝てしまった
その後携帯を開く事はなかった

私も言いたい事が言えてすっきりした。
夫がそれでどんな不満を抱えても知った凝っちゃないや。。。

たまには私メッセージを止めてみるのも良いかもしれない
臨機応変でやってみようと思った。

今日も聞いてくれてありがとう








弱音

2006-11-24 12:20:21 | 元夫婦
「だから!どうすれってよ!!。グダグダグダグダうるせーんだ!」

夫と結婚した頃、夫と話し合いなんて全然出来ない状態だった
どんな相談も夫には自分が責められているように感じるらしかった

子供が5年以上できず周りの友達が次々結婚して子供が出来た報告を聞くたびに落ち込んだ

なにもする気が起きず布団をかぶって泣いていた事もあった
夫が帰宅して私の泣き顔を見て「どうしたの?」と聞く
「○○ちゃんが子供が出来たんだって。。羨ましくって」と言うと
「俺にどうすれってよ!!俺が悪いってか!」と突然怒鳴りまくった

「そんな事言ってないよ。ただ悲しいだけ」
「グダグダ言いやがって、なんだってよ!俺にどうすれってよ!!」と全く私の話は耳に入っていないようだった

結局「ごめんね。何でもないから」と言って無理に笑っていた
どんなグチも弱音も夫の耳には
「あなたが悪いからこんなに私は辛いのよ」と聞こえるらしい

ただ分かって欲しい。ただ聞いて欲しいと思うのは至難の技だった
夫の逆切れに反対に傷ついて、もう何も言いたくないと思うのだった

今家庭はどういう状況で何が必要で私は何が不安なのかを伝えたくても
話しているうちにイライラしだして結局逆切れ。
夫には5分以上の長い話は出来ない

夫は現実を見るのが大嫌いだ
「言われなくても分かってるんだ!!」
「一緒に考えて欲しいだけなんだよ」
「何、考えれってよ!!やるだけやってんだろ!!もう出来ねーから!!」

後はドアを荒々しく閉めて退場・・・・

そんな事を何度も何度も繰り返してすっかり夫と話し合うことが面倒になってしまった

夫にはどんな風に話しても通じる気がしないのだ

話せるのは借金が発覚したり最大のピンチで離婚の話をする時だけだ
その時だけは真剣に話を聞いてどこかに抜け道はないかと探しているようだった

ピンチを回避できればもう終わり。
また元通り。

無収入になって本当に不安な毎日が続いている
夫は前の会社の携帯を家庭兼用で使っていたけれど、会社を辞めたので
自分の携帯が欲しいと言った

仕事にも必要だと思って私と同じ携帯を購入した
その日から夫は携帯を触りっぱなし、請求がきたらなんと2万も掛かっていた
ビックリして夫に言うと「えー?あー結構本社の人と電話したからな」と言う

でもウエブも結構使っていた
夫には「携帯で2万も使われたらきついよ」とだけ言った
夫は「今度は気をつけるよ」って言っただけ
それ以上言えば夫が逆切れするのは分かりきっていた。

だから「お願いね」とだけ言った
でもそれからも携帯を握り締めてばかりいるのは変わらない。。。

カタログを配るのにいちいちコンビニでコピーしていたら高くつくと言って
コピー機を欲しいと言ってきた

使うものなら仕方ないと思うけれどそれでも今月は夫の冬用の靴やら背広やら
子供の冬の物をそろえて予定よりずっとオーバーしてしまった

迷っていると夫はあれこれと「悪いんだけど」と言いながら説明していた
この「悪いんだけど」も夫の良く使う言葉

本当に申し訳ないと言いながら欲しいものを手に入れていく
「でも大変だもんね。でも買った方がコスト下げれるし。。ねぇ、どうする?」と私が「仕方ないんじゃないの」と言うまで言い続けるのだ

するとホッとしたように
「頑張るから!」というのだ
頑張る。頑張る。頑張る。もうずっと聞いてるよ。。。

いったいいつになったら結果が出るの?
いつまで頑張るの?と聞きたかった

コピー機を買いに行って注文している時も夫は私の顔ばかり見ていた
買い終わって運ぶ時になって
「お母さん。ありがとうね。頑張りますから」
無性に腹が立って
「うん。お願いね。もう不安で眠れなくなりそうだよ」と言った

無言のまま車に乗った夫は突然
「コピー機返してくれば良いんだろ!!食費の足しにすれば良いだろ!!」と怒り出した

心底うんざりした
こうやって逆切れして私に喧嘩を売っているのだ
私が言い返して喧嘩になれば夫の中では「お前も言いたいだけ言ったんだからもう良いだろう」みたいに思えるらしい

自分を正当化するためのいつもの手口

「そうやって私がちょっとでも弱音を吐くと逆切れだよね。
だからいっつも何にも言えないんだよ。何にも。。。」

夫は目を丸くして驚いた顔をしていた
家に着いてもいつものパターンでスキンシップを求めてくる
それに応じれば夫の中の喧嘩は終わりなのだ
私の気持ちは置き去りのまま。。。

もっと良い話し方があるんだと思う
工夫すればもっと上手く出来るのかもと思ったりもする

でも考えているだけで疲れてくる
逆切れされて今よりもっと傷つくのは嫌だって思う

1回夫に気持ちを伝えようとするとその何倍も心を消耗する
ちょっと回復してもう一度トライしようとしてやっぱり傷つく

なんだかとっても疲れたな
また暫くは何も言いたくないな

今日も聞いてくれてありがとう

あれ?

2006-11-22 22:05:41 | 
トラックバックに沢山変なのが入るようになってしまいました

しばらくトラックバックは受け付けないように設定しました
トラックバックしてくださった方のも消えてしまってすみません

コメントは受け付けていますので
いつでも声をかけてくださいね。

試験が近くなってなかなか書けない日も出てきますが
ボチボチ私の話を聞いてくれたら嬉しいです

それでは今日はこの辺で。。。。おやすみなさい

秘密

2006-11-19 21:39:00 | 元夫婦
夫がタバコを吸っている部屋に荷物を取りに行くと、ドアを開けた途端
夫が慌ててメモ用紙を隠す。
慌てて携帯を閉じて「なに?」と聞いてくることもある

講習から帰ってきてドアを開けるとパソコンの前に座っていた夫が
メモをポケットに隠すように押し込んでいた事もある

その時はさすがに不信感に負けて履歴を見てみたけど
競馬の情報サイトの登録画面だった

こんな風に夫が明らかに何かを隠そうとする姿を見ても
前のように探ってやろうとか暴いてやろうという気が起きない

見つけてどうなる。
知ってどうなると真っ先に頭に浮かぶのだ

興味がなくなったというほど潔いものではない
ただいつまでもそこに拘らなくなっただけなのかもしれない

夫は私には何も聞かない
「今日は何していたの?」とか「今日は何処に行っていたの?」とか聞かれた事がない

講習を受けるようになって最初に払う金額だけは夫に報告したけれど
夫はその事を咎めたりしなかった
その後私が問題集を買ったこともこれから受ける模擬にお金がかかる事も
夫は聞かないだろうし、知ろうともしないだろう

いつも私に「じゃあ。今日も頑張ってね」と言うだけ。
私のする事を否定もしないし私の事を知ろうとも思わないらしい
私が不倫しても夫は気がつかないかもしれない

それは夫が自分に手一杯だからなのか、それ以上に私に秘密があるからなのか分からない

今日は夫の誕生日だった
プレゼントを渡して子供達といつものように乾杯してお祝いした

夫とも久しぶりに話をして楽しく夕食をする事ができた

片付けをしているといつものように夫がタバコの部屋へ入っていく
用事があって覗けばまたメモをそっと隠す姿の夫がいた

いったい何をそんなにコソコソ隠す事があるのだろうとちょっと気分が悪くなった
たとえば女?とか。たとえばテレクラ?とか?
それとも馬券情報とか?

そんな事をちょっと考えたけど、どうでも良いやと思ってしまった
それで何かが起こったとしてもそれは夫の問題だから。
私は私の事をしよう、その問題が大きければ自ずと白日の下にさらされるのだから

その時に慌てない為に私は自分の事をしようと思った
見ないことを選ぶという事はその結果が起こることも覚悟すると言う事

今ある事実を刻んでいこうと思った
「夫はメモを隠した。それがなんのメモかは分からない」

今、夫はテレビを見ている
穏やかな顔をして寝そべって娘と笑いながら娘の好きなアニメを観てる。。。

それもまた事実。

家族とはなんだろう
この四角い箱の中でお互いがお互いを知らずに秘密を隠しながら共に片寄せあって生きる

知ろうとし過ぎればお互いを食い尽くしてしまう
知らずにお互いの秘密の責任を持ちながら生きていく

家族は支えあうもの。
隠し事もなくなんでも分け合って生きていくもの

夫婦は何でも知っているもの
そんな風に思っていた

でも今はお互いがお互いの秘密を言わない
探ったり、詮索したりもしない
それが家族なのか。

これで良いのか?と自問自答を繰り返す
境界線を守るとはこういう事なのかと考える
なんて寂しいんだと感じた。

今日も聞いてくれてありがとう







夫の荷物

2006-11-16 20:09:52 | 元夫婦
いつも夫には余計な事を言ってはいけないと思ってきた
お金の事は特に心配をかけてはいけないと思っていた

「お金がない」と言ったら夫が安易に借金やギャンブルでお金を調達しようと
するんじゃないかと心配だったからだ

私がお金の事で真剣に話をする時は借金の発覚や家のお金を持ち出された時だけだった

泣いて、詰って、家出して
そのどれもが夫に届く事はなかった

どんなに詰っても私は何事もなかったようにお金を夫に渡し続けたからだ
その陰でどんなに家計が苦しく、穴の開いた靴下を何日も履き続けたり
果物ひとつも何十分も悩んで買えなかった事を夫は知らない

私が言わなかったからだ
夫は決して家の貯金の事を聞くこともしなかった
私にはわずかな貯金でも夫が
「こんなにあるなら少しくらい使っても大丈夫か」と思われるのが恐かったからあえて触れることをしなかった

「大丈夫?」と聞かれれば「大丈夫」と応えた

夫が無収入になって半年が過ぎた
自営業を始めると失業保険に申告してしまった為に無収入なのに
失業保険は4分の1に減ってしまった

夫はすぐにも売上を上げられると思っていたらしいけれど
未だに一個も売れない

ダラダラと貯金を下ろすと駄目だと思い、今までの給料日と同じ日にひと月に最低限度必要な金額を下ろして次の月まで遣り繰りする方法をとっている

それでもその他に光熱費や税金の振込み、保険の支払いなどでどんどん貯金が減ってしまった

夫が貰った任意整理の100万も夫の講習やその他の経費であっという間になくなってしまった

夫は初日に上手くいかなかっただけで
「駄目だ!今月は捨てたから。名刺配りと感覚取り戻すのに使わせてもらうわ。」と簡単に言った

私も「頑張って」とだけ言った

しかし昨日お金を下ろして見た残高に愕然としてしまった

このまま行くと退職金もいつまで持つか分からない
私も試験など受けずにすぐ働いた方が良いのだろうか
それともいける所まで行ったほうが良いだろうかと悩んでいたら
不安で昨日は眠れなくなってしまった

友達のご主人も去年リストラにあって半年ほど就職活動をしていた
友達はその時家を買ったばかりで貯金を頭金に全て使ってしまっていたのだと言う

退職金もあまり出ず頼りは失業保険のみ。
なかなか決まらない職。否応なく生活を切り詰めなくてはならなくなった

ご主人はとても高い給料を貰っていたので、失業保険だけの暮らしの落差に
本当に戸惑ったと言う

夫にも「お金がないからおかずは一品で丼物しかだせない。お昼も貰ったソーメン以外出せない」と言って食事を用意してだした
その都度今の生活状況を説明し続けたと言う

それでもご主人さんは「すぐ見つかるさー」と暢気だった

子供のおやつも今までのように買ってやれない。
ひとつの袋のポテトチップを争うように食べて袋に残った粉までなめてる
子供達を見て友達はオイオイと家族の前で泣いたのだと言う

それを見たご主人は初めて事態の深刻さを理解し一念発起し無事就職した

私は家族の前で素直にお金のない事を打ち明け、夫さんに荷物を返した友達を本当に凄いと感心した

私は夫に弱みを見せたりしない
夫に夫が仕事を辞めた事によって起こっている「現実」と言う荷物を渡そうと思った事がなかった

いつも夫に荷物など持てないと決め付けていたのだ
夫に荷物の重さを知ってもらう事すら思いつかなかった

今朝、夫に「昨日お金下ろしたら残金があまり残ってなくて凹んだよ。
このままじゃいつまで貯金がもつか分からない。
悩んで昨日は眠れなかった・・」と打ち明けた

夫は「そんなに減っちゃった?」
「うん。あと十ヶ月持てば良い方かも。生活費の他に税金も保険も引かれるから・・」

「そうか・・。」と言ったまま無言

出かけに「俺も少し気合入れて頑張るよ」と言った
「私ももっと遣り繰り頑張ってみるね」

夫が私の言葉で一攫千金を狙ってしまうかもしれないとフッと不安がよぎったが
それは夫の受け止め方なので考えない事にした

今ある現実の荷物を受け取ってもらう
夫が始めた自営で家計がどうなっているか知ってもらう

夫の荷物は夫に返さなくちゃなと感じた

言った後私の心が少し軽くなっている事が嬉しかった

今日も聞いてくれてありがとう





止められない病

2006-11-15 09:42:12 | 
私はタバコもパチンコもお酒ものめり込んだ事がある
タバコは吸っても吸ってもすっきりしなかった。

タバコを吸いながらムシャムシャと食べたいという衝動に駆られる事も
何度もあった
高校を卒業して最初は遊びで始めた。

吸っても美味しいとも感じなかった
肺に入れている訳じゃないしすぐに止められると思っていた
いつしか手元にないと不安になるようになった

夜中でもないと吸殻を漁ってでも吸いたい衝動を抑えられなくなっていた
一日に10本が20本と増えていった

喉が弱かった私はタバコを吸うたびに喉がヒリヒリと痛みいつも風邪を引くようになった
結婚して子供がなかなか出来ず不妊治療を始めて禁煙を勧められてもなかなかやめる事ができない

ある日喉に大きな膿の塊が出来、高熱と喉の焼けるような痛みに耐えられず
遂にタバコを吸うことが出来なくなった

熱は10日間も続き喉の腫れも1週間も引かず毎日点滴の日々を送った
それをきっかけにタバコを止める事ができたのだ

ずっと止めたくても止められずにいたのでこの時を逃したらまた止められない
自分に戻ってしまうと思い、それから1ヵ月後、3ヵ月後と吸いたい時期もあったけれどなんとか乗り越えた

もう止めてから10年以上経つけれど今でもタバコを吸っている夢をみて
「また1から我慢のやり直しか」とがっくりして目が覚める事がある
夢だと分かって心底ホッとするのだった

パチンコは夫と知り合ってから始めた
夫に連れられて入ったパチンコ屋で1回で当たりが出て快感となった

最初は夫としか入れなかったパチンコ屋が1人でも平気になっていった
1人の方が気楽で楽しいくらいだった
一日に持っているお金を全部使ったこともあった
何軒かはしごした事もある

結婚してもパチンコ通いは続いていた
日給払いのバイトをしていてもらった給料をそのままパチンコに使ったりしていた
寝るときに目を瞑ってもパチンコのチャラン、チャランと落ちる音と映像が頭から離れなかった

その時はさすがに恐くなった
結局最初に1回勝っただけでそれから何度やっても勝てず、プリペイド式になると
私の好きだった台がなくなり、ドラム式のパチンコは面白くなくて止めてしまった

今思えば借金するほどのめり込まなかったのが不思議なくらいだと思う

お酒もある時期毎晩飲んでいた
息子が3歳くらいの頃夫の借金や舅の問題で毎日鬱々とした気持ちから
寝酒を飲んだ

息子が寝た後電気を消した部屋でビデオを見ながら飲むお酒はとてもリラックスができた
最初はビール350m缶だったのに段々量も増えていった

冷蔵庫にビールが入っていないと不安になり
もう少し飲みたい時に我慢しなければいけない状況が恐くてつい余分に買って冷蔵庫に入れるようになった
あれば飲みたくなくても飲むようになった

胃腸が丈夫じゃない私はアルコールを受け付けなくなっていった
毎日下痢と腹痛に悩まされ、結局飲む事が出来なくなった

私がそれぞれにのめり込んだ原因は恐怖だった
心が空いたときにその穴をすぐに埋めなければいけないという恐怖だったのだ
我慢をする恐怖。

結局私がのめり込んだのは夫や舅達の世話だった
誰かの世話をして感謝される恍惚感

いつもどうやって舅や夫をコントロールしようと考えていれば他の事は何も考えなくても良かった
これさえやっていれば生きている価値があると思えた

「苦しい。ごめんね。こんな家に産んでごめんね」と子供に詫びれば子供はいつでも、わが身と一体化してくれて離れていかないと思える安心感

自分を神様だと信じていたあの頃

夫と私は紙一重。
背中合わせの夫婦だったんだと気がついた

今日も聞いてくれてありがとう

正念場

2006-11-14 17:35:45 | 
前にブログで書いた事があった子供だけの留守番
いよいよその時が来た。

母は風邪で来られないという

夫に相談すると「だからもうお兄ちゃんも5年生なんだから出来るって」
お兄ちゃんに聞けば「出来る」と頷く

「でも。あーちゃんが心配なんだよね。寂しがって泣いたりとか
急にお腹が痛くなったりして吐いたりとかそういう事もあるからさ」

「そんな事言ってたら何にも出来ないだろ。やってみなくちゃ分からないんだから」
夫は自分の事はあーでもないこーでもないと心配をあげつらうのに
こういう事は楽観的なのだ

「何か起こったらまた考えれば良いだろ!」とイライラしはじめる

「お兄ちゃん。もし困ったらすぐお父さんとかに電話してね。お父さん明日はこの近辺を回ってるからすぐ帰ってこられると思うから。それに火はいじらない。
鍵は開けない。友達は呼ばない。この約束を守れる?」

お兄ちゃんは真剣な目をして「大丈夫!!」と言った

「そうか。そこまでお父さんとお兄ちゃんが張り切ってるならお母さんは
もう何も言わない。頑張って!」と言った

次の日は朝から雨だった
私はモタモタしていたら電車に乗り遅れそうでバタバタと化粧をしていた

あーちゃんがそっと近づいてきて
「お母さん。今日は雨降ってるからお家にいなくちゃ駄目だよ。出かけちゃ駄目なんだよ」と言った

小さな目で覗き込むように言われると堪らず抱きしめて
「ごめんね。お母さんどうしてもお勉強に行かなくちゃいけないんだ。
あーちゃんの好きなドーナッツ買ってくるから。お兄ちゃんと待っててね」と
何度も髪をなでた

あーちゃんは顔を埋めたまま「ディーポップとエンゼルクリームにしてね」と言った
「うん。うん。」と何度も抱きしめた

お兄ちゃんに「困った時は迷わずに電話してね」と私と実家と夫の電話番号を書いて渡した

講習へ出かけて休み時間ごとに電話を掛けた
お兄ちゃんは「大丈夫。元気だよ」と言っていた

お昼も「今、あーちゃんと食べてるところ」と元気に応えていた

2時の休み時間になった頃電話すると
「うん。大丈夫」となんだか元気がない
「どうしたの?お父さんまだ帰らないの?」と聞くと
「まだ。。。」と言ったまま黙っている

「大丈夫?もうすぐ帰ってくると思うしお母さんももうすぐ終わるから、4時には着くからね」
「うん。じゃあね」と電話が切れた

寂しくなっちゃたのかな?と心配になったけれど講習に戻った

講習ももう後半に入ってさらに難しくなってきた
一緒に入った人は「1回で試験合格は諦めたわ。3回位挑戦するつもりでやるわ」
言い出した

本当に私もこんなに難しいとは思わなかった

とにかく先生の話を一言も逃さず聞かなくちゃ
メモに書き留めなくちゃと必死である

お兄ちゃんの元気のない声を気にしながらも家に着いた

「ただいま」と玄関に入ると娘が飛んできた
「お帰り!!」
お土産を娘に渡して居間に行くと息子が横になってテレビを見ていた

「お兄ちゃん。ありがとうね」と言うと「うん。お帰り」と元気がない
その後すぐ夫も帰ってきた
遅かったんだねと夫と話していると息子が黙ってトイレに入っていった

息子はそれからしばらくトイレに入ったまま出てこなかった
やっと出てきて「どうしたの?お腹痛いの?」と聞くと
「うん。お昼食べてからお腹痛いんだ。」とお腹をさすった

薬を飲ませながら「2時に電話した時お腹痛かったの?」
「うん。」
「そうか。痛いのに我慢して言わなかったんだ。」

1時間もすると息子は「復活!!」とか言って娘と暴れまくっていた

息子なりに緊張していたのかもしれない
それでも息子はやり遂げてくれた

残すところ講習も後3回となった

これからは試験に向けて模擬テストの連続になる
受からなければまた延長で講習を受ける事となる

どうしても1回で受かりたい!!
私も息子の頑張りに応えねば!
いよいよ正念場だなと鼻息荒く気合を入れたのだった

今日も聞いてくれてありがとう







許していなかった

2006-11-10 17:33:36 | 
ちょっと横になって考えて、「母の反撃の陰で」で書いた一文に自分が苦しんでいる事に気がつきました

最後に書いたもう母を家族を許して受け入れたかのように書いた部分です

そこを消したら落ち着きました

私はまだ家族を受け入れていないんだ。
母を許してもいないし、母を受け入れる事も出来ていないのだと実感しました

自分の感情とちょっとかけ離れていたのでおかしくなってしまったのかもしれません

私はまだあの頃からあんまり変わっていないんだと気がつきました
そんな自分を認めてあげる事にしました

手の震えが止まりました
メープルさん。ありがとう

バタバタとしてすみませんでした。
聞いてくれてありがとう

今・・

2006-11-10 16:17:48 | 
家族の事を一気に吐き出してしまった為にもの凄く苦しくなってしまいました

罪悪感と不安に押しつぶされそうです

誰かに向かってごめんさいと言いたい気分です
もの凄く嫌な気分です

書き出したら止まらなくなって、どんどん思うままに書いてしまいました

あー。どうしちゃったんだろう?
冷や汗が止まりません

眠くてたまりません
ご飯も作らなくちゃ。

どうしよう?
なにが?

あれ?
本当にどうしちゃったんだろう?

ごめんなさい。

今の状況を吐き出さないとおかしくなりそうなので
此処に置いていきます

わけの分からない話でごめんなさい

ほんとにごめんなさい。

聞いてくれてありがとう
ちょっと寝てみます。。。。

母の反撃の陰で・・・

2006-11-10 09:40:51 | 
母の反撃は嫌だと思ったことは絶対にやらないと決めた事だった
やる事は完璧にやる
でも自分がやる必要がないと判断した事はどんなに責められても
やらなかった

父や祖母が逆切れして怒ると母は決まってこう言った
「人に言う前に自分でやれば?私はやりたくないからやらない」そして口を利かなくなるのだった

母は一抜けたのだ
みんなが父と祖母を中心に回っていた
母は自分を犠牲にする事を止めたのだ
自分を1番に考え自分がどうしたいのかを優先させるようになっていった

メソメソと悲劇のヒロインのように「私は不幸のまま死んでしまう」と泣きじゃくる母はいなくなった
母は強くなっていった

強くなった母を見て攻撃を始めたのは悲しみの母の影でじっと我慢をしていた
私達だった

最初に反撃を始めたのは姉だった
姉はご飯を食べなくなった

姉は母のグチの受け止め役だった
母の側にぴったりと寄り添いいつも母を心配していた
母と共に父を憎み祖母を嫌い、孤独の中に身を置いて幼少を過ごした姉だった

姉は母がいくらご飯を作っても口の中に入れようとしなかった
栄養失調で髪がゴソゴソと抜け始め頭皮は透けて見えるようになっていった
母が必死で貯めたお金で専門学校へ行ったのに姉は遊んでばかりで資格を取る事も
しなかった

バイトをしながら姉はスポーツにのめり込み、仲間と共に遊んで家に帰らなくなった
父は毎晩朝まで姉を待ち、姉に何か言おうとするが姉は一瞥するだけで返事もしない状態となった

弟は高校を卒業と共に部屋に閉じこもったまま出てこなくなった
父が何かを言おう物なら部屋の壁に穴が開くほど暴れた
祖母に1番優しかった弟が「くそばばー!!うるせー!黙ってろ!!」と暴言を吐くようになっていった

祖母は震え上がりどんどん老け込んでいった
私の顔を見れば「お前も私が死んだらきっと後悔する。こんな年寄りを苛めて
きっと罰が当たる」と責めた

私は祖母を哀れに思い祖母の要求はなるべく応えるように努力した
掃除に洗濯。畑仕事に祖母を風呂にも入れた
祖母の要求は留まるところがなくいくらやっても満足する事がなかった

私は祖母との関係に追い詰められていった
殺伐とした家。暴れる弟。痩せて落ち武者の様に髪のなくなった姉・・・

母も荒れ狂っていく家の中で必死で自分を保っているようだった
私は姉を連れて家を出たいと言った
父も祖母も猛反対だったが母はもう姉に疲れきっていた
「母さんが上手く言うから出て行きなさい」と賛成してくれた

私は今まで貯めたお金で姉と共に小さなアパートに住んだ
私と姉が出て行くと父と祖母の母への攻撃は激しくなった
しかし強くなった母は怯む事はなかった

姉と暮らすようになってから姉の拒食は納まった。
姉と毎日修学旅行のように笑って暮らした

好きな時に好きな物を食べ、姉は今の義理兄と会い好きなだけスポーツを楽しんでいた

たまに実家に帰ると相変わらず部屋に閉じこもったままの弟と弱りきった祖母がいた

私は現実を見たくなくてアパートの生活を楽しんだ。
そんな私達を見て母は
「弟も1人暮らしさせてやりたい。この家を出してやりたい。東京の学校へ行かせてやりたい」と言い出した

これも父も祖母も大反対だった
私も弟はもう家を出たほうが良いと思えた
母と2人でお金を出し合い弟を東京へと逃がしたのだった

弟は1人暮らしを始めると別人のように落ち着いた
たまに祖母に優しい電話をかけるほどになった

孫が誰もいなくなった家で祖母は生気を失い、寝たきりとなった
家にいたくないと祖母の娘の家に行ったまま布団から出てこなくなった

見舞いに行った私は祖母の変わり様に愕然とし、罪悪感に打ちのめされ
姉の結婚が決まったと同時に家に帰ったのだった

家に帰ってから祖母も元気になり、姉も結婚して私だけがあの家で暮らすようになったある日母が父と祖母を相手に大暴れしたのだった

地下鉄の中で散々笑った私は家に帰り母への反撃を始めたのだった
毎日、毎日母に
「あんたは私に何もしてくれなかった。母親らしい事はなにひとつ
私の存在すら知らん顔で過ごした。都合のいい時だけ私を利用した」
もっともっと酷い事を母に言って責めた

母は決して私に詫びなかった
私は母に「ごめんなさい。悪い母だった」と言わせたくて必死に責めた
そしてパンドラの箱を開けたとき私は母を責める事を止めた

もう母に言い尽くす言葉も思いつかなかった
母に詫びて欲しいとも思わなくなった

もう良いや。そう思ったのだった

母は自分が強くなる事で子供の反撃の全ても受け止めることとなってしまった
あのまま母が自己犠牲でいたなら、弟も良い子でいようと頑張り。姉も母のグチの
吐きだめとなり、私も無感情のまま日々を過ぎていったかもしれない

弟も好きなだけ膿を出し切り、姉も好きなだけ母を苦しめ、振り回し、私も
ぶつけるだけぶつけた。

今、私達家族の関係はずっと遠い存在となった
密接に依存しあった関係ではなくなった
母は母。父は父。姉は姉。弟は弟。そして私は私・・・

今日も聞いてくれてありがとう