トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

ちょっと思ったこと

2006-08-30 21:07:48 | 元夫婦
夫は子供の頃から自分を認めてもらった事がない
夫が主張する全ての事は否定され、両親達に全てを指図された

それはごはんにかける卵の醤油の量にすら指図されたという

進学はもちろん両親が決める
夫が行きたかった大学はレベルが高くて受かるはずがないと思っていた
両親は「受かるならやってみろ」と言われ夫は必死で勉強して合格した

夫は大喜びしたけれど両親は「そんな遠くへは行かせられない」と、両親の勧めた大学へ無理やり行かせられた
そうして自分の思い通りに行動するという経験をした事がないので
自分で自分の行動を決める事が全く出来ない大人となってしまった

20年勤めた会社も両親の紹介で入った会社だったので夫は就職活動というものを
した事がないのだ

結婚してからも夫は全ての行動を私に決めさせる
どこへ行くかも、何を食べるかも、全てが「どうするの?早く決めて」なのだ

私が決めた事を行動する
私も時々嫌になることがある
「今日は全部お父さんの好きなところとお父さんの好きな物を食べて良いよ」と言うと散々悩んで結局子供に「どうする?」と聞くのだ

私が「お父さんに決めて欲しいのに」と言うと
「俺にはわかんねーんだ!みんなの為を思って希望を聞いて何が悪いんだ!」と凄い逆切れをする

せっかくのお出かけなので仕方なく私が決める事となる
決まるとウキウキとそれに従うのだ

現在夫は生まれて初めての就職活動中
自分で会社を探し自分で決めてやらなければいけない事が沢山ある

でも此処でもなかなか決まらない夫は
「なかなか就職できない人のセミナー」に参加する事を決めてきた

すると夫はそのセミナーの人に自分の就職先を決めるのも
進路も全てお任せにしてしまった

その人が選んだ就職先に面接に行き、その人が選んだ事を書いた
でもそのセミナーが終わっても夫は就職が出来なかった

夫はまた途方に暮れてしまった

そして今度は友達に誘われていたフランチャイズをやると言い出した
その友達は自営でお店をしているがそれが起動に乗るまでの繋ぎにと
副業でやる筈だった仕事が本業が忙しくなって手付かずとなってしまった

夫は友達に相談すると出かけていった
帰ってきて話を聞くとその友達に「俺が出来るかどうか決めてくれ」と頼んで来たのだという

友達は「自分でも勉強してくれ。少し考えるから」と言ったそうだ

そんな重大な事を決めろといわれた友達が気の毒だった

夫自身には全く悪気がないのだ
自分の事は人に決めてもらうものと言うのが体に染み付いているのだ

その日から夫は就職活動を止めてしまった
「友達の返事を待っているから」だそうだ

何日しても返事が来ないから夫は痺れを切らして電話したらしい
友達は過労で寝込んでいた

自営の仕事が忙しく何日も休みをとれない友達はつい最近も入院したばかりだった

「お友達も自分の事で精一杯なんじゃないの?お父さんの仕事の事まで頭が回らないんじゃないの?」と言ったら

「そうらしい・・・」
「そんなのいつまでも待っていても駄目なんじゃないの」と思わず言ってしまった

夫はがっくりとうな垂れて寝てしまった
友達に決めてもらえない事が分かったからだろう

私は本当にそのフランチャイズをやりたいのなら友達から権利など買わずに
自分で申し込んでやれば良いじゃないかと思う
そこまで夫には考えが浮かばないようだ
あくまで結論は友達が出すと思っているから・・・

何でも経験だし挑戦も時には必要だろうと思う
でも子供2人抱えてハッキリ言って私は凄く不安なのだ

夫のような人を支持待ち人間と呼ぶのだと思う
支持された事をきっちりこなす
夫はそうやって40年間も生きてきたのだ

親に逆らった事もなければ自分の決めた事を成し遂げた事もない

でもって私が側にいる限り夫はきっと自分では考えないんだろうなと思ったりする
もし私がいなかったら、夫は自分でどんな風に考えて生きていくのだろう
私がいない方が良いんじゃないかとさえ思う

私も相談には乗ってあげたいとは思う
でも私は「結論は自分で決めてね」みたいな態度が取れると良いのだけれど
まだまだ共依存症の癖で相談に乗っているうちにどうしても夫に指図してしまうのだ

これじゃあいけないと思うでもどうする事も出来ない

夫も悩んでいるのだろう
自分がどうしたいかじゃなくて誰に決めてもらおうかと悩んでいるのだろう

「自分で決めるしかないよ」と言っては見るが私も不安感まるだしなので
夫にはますます重荷となっているようだ

夫も途方に暮れているようだけれど
私も布団をかぶって寝ている夫をみて途方に暮れるのだった











留守番をする子供達(嘘の鎧2)

2006-08-30 11:04:29 | 子供
ママ友の電話からその男の子は母親と二人暮しなのだと知った

そのママ友の子供とも仲良しで前は良く遊びに来ていたのだという
その時も「父親がゲーム会社に勤めていて珍しいポケモンを捕まえる事ができる」と言っていたそうだ

とにかく嘘をつく事が多くてその嘘に子供が振り回されて
ママ友の子供達はその子と絶交状態となった

そしてその子が帰った後は必ず物が無くなる事があって
本人に聞いても知らないの一点張りだし、証拠もないけれど限りなく
怪しくて子供も疑いその事も絶交のきっかけになったという事だった

「とにかくあの子には気をつけた方がいい。必要なら先生に相談しても良いと思う」と言ってくれた

こんな風にトラブルになる時私はいつも逃げ腰になる
事を荒立てるより自分が我慢した方がましだと思ってしまうのだ
だから息子に「あなたの持ち物の管理が悪いからだ」と叱って、息子の言う事を全く信用せずに友達とのゲームを禁止する事となった

息子は私に怒られて身の置き所がなかったのだろう
自分はちゃんと鞄に入れたはずなのに・・・
でもなぜなくなったのか?
考えれば考える程その男の子の机に入っていたゲームが自分の物のように思えたのだろう

机の中のゲームを見たときに息子は「それ、俺のじゃないの?見せて」と言ったら
その子は「これは俺のだ」と言って絶対に見せてくれなかったという
息子の疑惑は確信へと向かっていった

毎日、毎日、その子に「見つかった?探してくれた?あの机のゲームもう一度見せて」と言い続けたらしい

その子も何度も「なかったよ。また探してみるよ」と言い続けていた

ある日息子がいきよいよくドアを開けて帰ってきた
息を弾ませて「あったって!やっぱりゲームあの子の家にあったって!」と興奮状態で言った

「ほんとう?良かったね。」と言うと
「今から貰いに行ってくる」と元気に飛び出していった

良かった・・・あったのか。やっぱり息子が忘れていたんだなとホッとしたのもつかの間すぐにうなだれた息子が帰ってきた

「どうしたの?」
「何度チャイム押しても出てこないんだ・・・。今日返すって言ったんだ」
「そう。明日学校で聞いてごらん」

その日から毎日その子は学校で息子に会うと
「昨日はごめんね塾だったんだ。今日返すから取りに来てね」とか
「昨日は病院だったから今日取りに来てね」と誘っては約束を破る事を繰り返した

その度に息子はがっかりして帰ってくる
そして遂にその子は「実は嘘だったんだ。見つかったなんて・・・ごめんね」と息子に言った

息子は泣きじゃくりさすがの私も頭に血が上ってしまった
見つかりもしないのになぜそんな嘘をついて息子を振り回すのか?
思い余って学校の担任へ電話を掛けた

担任の先生は熱心に聞いてくれた
そして先生からもその子に話を聞いてくれるという

その夜その子の親から電話が掛かってきた
「事情は先生から聞きました。お宅のお子さんのゲームが無くなったそうで、
息子が家にあったと嘘をついたんだそうですね。
家の中を探しましたがお宅のお子さんのゲームはありませんでした
毎日お宅のお子さんに「ないか?ないか?」と責められて思わず嘘をついてしまったらしいです
本当にすいません」と謝った

すいませんと謝っていはいたけれど私には「お宅のお子さんの持ち物の管理が悪いせいで息子は追い詰められて言ってしまったんだ」と言っている様に聞こえた

「なかったのなら仕方がないと思っています。ただあると言っては呼び出して
約束をすっぽかす事を繰り返されて息子も本当に傷ついているんです
言っていい嘘と悪い嘘とあると思うんです」と言った

そのお母さんは納得がいかないという感じだった

私も腑に落ちなかったがゲームも結局見つからなかったし、その子が盗んだ証拠もない
息子に「これからはちゃんと管理しようね。もうこれだけ探しても見つからないのだから、もうあの子を責めちゃ駄目だよ」とごねる息子を無理やり納得させた

あの頃どうして息子を信じてやれなかったのだろうと思う
息子が「どうしてなくなったのかな」と呟く度に
「あなたがちゃんと管理しないからだよ」と叱った

私は物が無くなると言う事に異常に執着してしまうところがあった
たとえ消しゴムひとつでもなくなると落ち着かないのだ

息子はとにかく物の管理が出来なくていつも「お母さんあれはどこ?これはどこ?」と聞いてくる
その度に私は家中を探してしまうのだ
そしてイライラとし息子に「お母さんに物がないって言わないで!お母さんは物が無くなる事が一番嫌なの!一日中あなたの物を探している気がする!」と息子に当り散らした

私がイライラと物を探すとなぜか夫もイライラとした
「何がないってよ!いっつもお前は物をなくして!
もう何にも買ってやらないからな!」と夫も息子を叱り付けた

私はいつも息子と同じ土俵に立っていた
もっと違う視点から息子を見て息子が物を管理できるように見守ってあげれば良かったなと思う

この問題はまだこれで終わりではなかった
男の子は息子の鞄の中からゲームを盗み出していたのだった
(つづく)

留守番をする子供達(嘘の鎧編)

2006-08-28 14:02:59 | 子供
またまた遊ぶ友達がいなくなってしまった息子が次に連れてきた子は
同級生とは思えないほど小柄な男の子だった

笑う顔が印象的な可愛い子だった

この頃、子供の間で流行っていたゲームがある
ポケットモンスターというゲームで主人公になっていろんなポケモンを捕まえて
育てて強くするゲームだった

簡単に捕まるポケモンもいれば、難問をクリアーして何度も挑戦しないと捕まらないレアなポケモンもいた

子供達は夢中だった
集まれば自分のゲームのポケモン自慢が始まった
「俺なんかもう100レベルが3体もいるんだぞ」と言えば
「俺、裏技教えてもらって20体はいるぞ」

「俺なんかレック-ザ一発で捕まえたぞ」
「俺なんか」
「俺なんか」とそれぞれが「すっげー」と言い合いながら自慢していた

誰かに凄いと言ってもらいたい
誰かに羨ましがられたい
そんな気持ちが一番強い年齢なのかもしれない

息子もその男の子も例外じゃなかった
男の子は私にも人懐っこく
「俺ね、お父さんがゲームの会社にいるからレアのポケモンすぐ捕まえられるんだよ」

「へえ。凄いね」と息子
「今度、お前のも貰っといてやるよ」と男の子

「ほんとう?やったー。今度いつ遊べるの?」
「明日遊べるよ」と今までとは全然違う雰囲気の男の子に
私は心底ホッとした

ある日息子がその子の家に遊びに行った
帰ってくると息子が血相を変えてあちこち引き出しを開けて何かを探し始めた

「何を探しているの?」と聞くと
「ゲームのカセットがないの。お母さん知らない?」

「何のカセット?」
「レックーザの入っているファイヤーレッドだよ。」と半べそで訴えた

息子は物の管理が全く出来ない子供だった
部屋はいつもぐちゃぐちゃ
学校の先生にも机の中がめちゃくちゃです
靴とかちゃんとおうちで揃えていますか?と聞かれる程だった

何度も「出したものは仕舞いなさい。決まったところに置きなさい」と言っても
なかなか出来るようにならなかった

「また!その辺に置きっぱなしにしてるからでしょ!」と叱った
一緒に探したけれど見つからない
これ以上探すところはないという所まで探した

「お兄ちゃん。最後にそのカセットを見たのはいつ?」
「あの子の家に行く時にかばんに入れて行ったんだけど、あの子の家で
遊ぼうと思ったらなかったの・・・・」

「あの子の家で出したの?」
「出そうと思ったらなかったから出してない」

「じゃあ。持って行ってないんだよね」
「でも鞄に入れたんだけど・・・・」となんともはっきりしない返事。

前にもその子と遊んでいてゲームのカセットがなくなる事があった
その時も公園で貸していてその子は一度返してくれたという
でも帰りに自転車のかごを見るとなかったと言った

息子の話になんとなく違和感を感じたけれど、まさかあの男の子が盗るとは
思えなかったしその子の他にも沢山子供達が遊んでいたので
その時は自転車のかごに入れっぱなしで遊んだ息子が悪いと諦めさせた

公園でゲームは禁止となった

今回も息子の話がハッキリしない
息子自身が狐に抓まれたような感じだったのかもしれない
持って行った筈のゲーム
鞄に入れたところまでは覚えているという

でも遊ぼうと思ったらなかった・・・
私は息子の思い違いじゃないかと思った
「その子の家に忘れて来ちゃったんじゃないの?明日あの子に家に忘れてないか
聞いてごらん」と言った

「うん・・・・。それがなくなった時その子の机の中に俺と同じゲームのソフトが入ってて、それ俺のじゃないの?って聞いたんだ。
だってあの子はそのゲームを持っていなかったはずなんだ。
そしたらあの子がお父さんが会社から持ってきてくれたんだって言ったんだ」

「そう。見たわけじゃないのにお友達を疑っちゃ駄目だよ。とにかく忘れていないか聞いてごらん」と言った

胸の中がザワザワと嫌な気分だった

そんな時学校の役員で仲良くなったママ友からメールが届いた

{お兄ちゃんのカセットがあの子と遊んでいてなくなったって本当ですか
 話したいことがあるので連絡ください}

すぐ電話してそのママ友から聞かされた話に私は只、只驚くばかりだった

そして私は「やっと安心して遊べる友達ができたと思ったのにどうしてこうなっちゃうのかな・・・・」と暗澹たる気持ちになったのだった

(つづく)

留守番をする子供達(小さな男の子編2)

2006-08-25 12:11:10 | 子供
息子と玄関に座って話をした
「どうして。殴ったの?」
「俺が授業終わるまで学校の外で待てって言ったのに約束守らなかったから」

「いつ終わるか分からない授業を何時間も待てってあの子に命令したの?」
「だって、公園で会えないと遊べないから」

そんな自分勝手な理由で怪我をしている顔を殴ったというのか?
「あの子の顔は怪我をしているの分かってたでしょ」
「叩いたらとっても痛いって分かるでしょ」

「うん。でも腹が立って止められなかった。」
「お兄ちゃん、今までもあの子が少しでも言う事聞かないとすぐ怒って酷い事言ってたよね。」

「言う事聞かないと嫌だから」
「でも他のお友達といる時はそんな風じゃないよね」
「うん。あの子だと腹が立つ」

きっと息子が何かで怒ったのだろう
男の子は息子の機嫌をとるために人形を差し出したのだ
一番お気に入りのひよこの人形

お祖父さんはひよこの人形がないと寝れないほど大事にしているのだと言った
息子と男の子の間には友達という空気はないように感じた

男の子の息子が怒ったときのご機嫌のとり方は普通じゃなかった
それに気分をよくした息子は傲慢になりこの結果を生んでしまった
怒鳴れば思い通りになる子。
威嚇すれば自分の思い通りになる子。

男の子も何でも言う事を聞けば遊んでもらえるお兄ちゃん
怒ったら自分が悪くなくても謝れば許してもらえるお兄ちゃん

そんな風にお互いがお互いを食い尽くしてしまうような気がした

少し男の子と離した方が良いのかもしれない
そんな風に感じた

子供の友達を選んではいけないとずっと思ってきた
どんな子供も息子が友達だと言えば受け入れてきた
でも子供同士でもお互いの裏の部分を引き出してしまう関係があるのかもしれない

息子と男の子には距離が必要なのかもしれないと感じた

ノロノロと立ち上がり居間で寝ていた娘を抱いて、玄関へ行った
目を真っ赤にして立ち尽くして泣いている息子に
「とにかく、怪我をしている子を殴ったのはあんたが悪い。これからちゃんと謝りに行こう」

息子は泣きじゃくりながら靴を履いた

男の子の家に行きチャイムを押すとお祖母さんが出てきた
「今日は怪我をしているお孫さんを息子が殴ってしまい申し訳ありませんでした。」と頭を下げた

男の子は病院へ行ってまだ帰ってきていないと言う
息子にも謝らせた
お祖母さんは「孫はお兄ちゃんの事本当に大好きなんだよね。また遊んでやってね」と言った

私は「いえ。このような事をしてしまいもう遊ばせるわけには行きません。
本当に申し訳ありませんでした。うちの子にももう遊ばないように言い聞かせますので宜しくおねがいします」と言った

「いえいえ。お兄ちゃんまた遊んであげてね」と息子に話しかける
「いえ。もう遊ばせないようにしますから。申し訳ありません」
強引にそう言うと頭を下げて帰ってきた

息子が帰り道に「もう。あの子と遊んじゃ駄目なの?」と聞いた
「そうだね。お祖父さんもとっても怒っているからね。」

「僕が叩いたから?」
「友達ってね大切にしないといなくなってしまうんだよ。
自分の思い通りにならないからって叩いたり、酷い事いったりするのは友達じゃないんだよ。
どうしてあの子と遊べなくなったのか良く考えてごらん。」

「いやだー!遊びたい!あの子と遊びたい!ひとりは嫌だー!」と泣いた

ひとりは嫌だ
この言葉が胸に刺さった

なぜ息子はひとりになりたがらないのか
なぜ息子はこれほどまでにひとりを恐れるのか

息子は寂しかったのだ

その空虚感を埋めるためにあらゆる友達を連れて来たのかもしれない

それからも息子は次々と友達を連れてくるのだった
私はまだ息子の傷には気がついていなかった

ただもう面倒はごめんだと思っていたのだった


留守番をする子供達(小さな男の子編)

2006-08-23 10:21:55 | 子供
小さな女の子が我が家へ遊びに来れなくなってしまって、息子は本当にがっかりしていた

息子は放課後をひとりで過ごす事をもの凄く嫌がった
「毎日誰かと遊びたい」
「誰か遊びに来てくれないかな」と毎日公園へ出かけては
誰かを探して連れてきた

公園にいるお友達と遊べば良いのになぜかその輪の中には入れず
公園であぶれている子供を誘っては連れてきた

息子が幼稚園の頃。
公園で遊ばせているといつもどこからかヒョッコリと現れる男の子がいた

その子はニコリともしないで私達親子に話しかけてきた
「僕。お母さんは?ひとりで来たの?」
歳を聞くと4歳だという

体が大きく息子と同じくらいかと思っていたのでびっくりした
公園の向かいの家にいて母親は働いていて母親の両親と留守番をしているのだといった
祖父の事を「お父さん」と呼んでいた

息子が小学校に上がってもその子は公園でひとりで遊んでいた
息子が帰ってくるのを公園で待っていて息子と共に家に帰ってきた

正直に言うと私はその子が苦手だった
大きな目で二コリともせずに5才とは思えないような敬語で私に話しかけてくる

着ている物はとても汚れていて、入ってくるだけで汚臭が漂った

なによりも困ったのが帰らないことだった
どんなに暗くなっても帰ろうとしない

大きなお腹を抱えてその子を家の前まで送った事もあった
チャイムを鳴らしても誰も出てこない
男の子は勝手に家に入って行くのだった

息子に送らせれば何十分しても帰ってこない
心配で見に行くと息子が公園の前で「またね」と手を振れば
その後ろを「おにーちゃーん。おにーちゃーん」と泣きながら追いかけて来るのだ

それを息子がまた宥めて追い返す。追いかけてくるを繰り返していた

いい加減頭に来て
「帰る時間を守れない子はうちでは遊べないから。」とその子を叱った
男の子は泣きじゃくりながらトボトボと家に帰って行った

それからもその子は遊びに来た
息子の男の子に対する態度は威圧的で男の子が思うように行動しないと烈火のごとく怒鳴り散らした

男の子は息子が怒るとすぐに謝った
息子のご機嫌をとり仲直りをした
息子も何でも言う事を聞いてくれる男の子をとても可愛がっていた

普通に遊ぶ時もあったので子供同士だしあまり口出ししない方が良いのかなと思って放っておいた
私自身、娘を産んだばかりでてんてこ舞いな上に午前中は舅の家の事をしていて
クタクタだった

息子が友達と遊んでくれていればそれで良かった
ある日いつものように男の子がやってきた
その顔は絆創膏だらけだった

男の子が「僕、転んで顔を怪我したんです」と私に顔を突き出して見せた
「まあ。痛そうね。大丈夫?」と聞くと
「はい。大丈夫です。牛乳ならこの顔でも飲めるんです。牛乳を下さい」言った

私はこの子のこの話し方にいつまでも慣れられなかった
牛乳をさっさと渡して子供を部屋へ追いやった
私が部屋へ行くと息子が「この子がゲームをくれるって言うんだ。貰ってもいい?」と聞いた

「はあ?そんな高いものは貰えないんだよ。」と言うと
「僕の家は沢山ゲームがあるのでそれはお兄ちゃんにあげます。
僕はもう遊びませんから。あげます」

「あのね。こういう物は両親があなたに買ってくれた大切な物なんだから
勝手に人に上げちゃ駄目なんだよ。それにお兄ちゃんのおうちも物は貰えない約束になっているから」

男の子は無言のまま下から私を睨み付けていた

本当にこの目が嫌い・・・そう思った

その日の夕方、夕飯を食べているとチャイムが鳴った
男の子とお祖父さんだった
ドアを開けるといきなり
「あのなー。お宅の息子さんが俺の孫の顔を殴って大切な物を盗ったと言ってるんですわ。この通り孫は今顔を怪我してるんですわ。
子供ですから、殴りあうこともあるでしょう。喧嘩もするでしょう。
でもね顔を怪我しててそれを殴られて、今、夕飯を食べてたら痛いって言い出して病院へ行く途中なんです
その盗った物だけでも返して貰えませんか?」とゴツゴツした真っ黒い手をニュッと私の目の前に突き出した

息子が殴った?物を取り上げた?
訳が分からなかった
息子を呼んで「あんた、この子の顔を殴っておもちゃを取り上げたの?」と聞いた
息子は首を横にブンブンと振った

「やってないと言ってますけど・・・」と言うと
「いやー。それはそちらのお子さんの言い分でうちの孫は盗られたって言ってるんですわ」

「いったいどんなおもちゃなんですか?」
「小さなひよこのおもちゃです」

息子に「ひよこのおもちゃだって。知らない?」と聞くと
息子は部屋からボロボロに汚れた小さなひよこの人形を持ってきた

「これを?うちの子が盗ったんですか?」
息子が「俺取ってない。この子が勝手にあげるからと言って置いて行ったんだ」と言った

私もカードやゲームなら分かるけれどこの小さなひよこを息子が欲しがったとは思えなかった
それにさっきまで牛乳を飲んで息子と遊んでいたじゃないか
高価なゲームを無理に息子にあげると言い張った事も気になった

「さっきまで一緒に遊んでいたよね。牛乳飲んでた時も傷痛くないって言ってたよね」と男の子に話しかけた
男の子は「盗られたのは嘘だけど、お兄ちゃんに叩かれたんだ。顔を叩いたんだ!」と必死の形相で訴えた

見る見るお祖父さんの顔色が変わった
「お前!嘘ついたのか!」と怒鳴った
男の子は「嘘じゃない!叩いたんだ!叩いたんだ!」と絶叫していた

私も混乱状態だった・・
「とにかく理由を息子から聞いてみます。殴ったんでしたら本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げて帰ってもらった

ドアが閉まって呆然と立ち尽くしていた

ゆっくりと息子の方を向いて「本当に殴ったの?」と聞くと
息子は真っ青な顔をして「殴った・・・。でもおもちゃは盗ってない」と言った

思わず息子を頬を打っていた
乾いた「パン」と言う音と手に残った痛みが胸に刺さった

私と息子はいつまでも玄関で見つめ合っていた
(つづく)








留守番をする子供達(小さな女の子編)

2006-08-19 17:47:15 | 子供
今年の夏休みも毎日息子の友達が遊びに来た

ほとんどの子供が両親共に働いていて自分の家に友達を呼べない子供ばかり
自然と我が家に集まって来てしまう

息子は家に友達を招くのが大好きだ
小学校へ上がって一人で公園へ行くようになってから、いろんな子供がやってきた

学校帰りに息子に着いてきてしまった女の子がいた
お父さんとお母さんが別居していて父親の実家に妹と暮らしているのだと言った

ランドセルを背負ったまま来てしまって何度も「ランドセル置いたらまたおいで」と帰した
女の子の家と我が家は少し距離があった、
女の子は「家に帰ったらもう遊びに出して貰えないだもん」と言った

それでも一度帰ってから遊びに来るようになった

ある日いつものように遊んでいるとその子のお祖母さんから電話が来た
「うちの孫は行ってますか」
「はい。来てますよ」

「私には別の友達の名前のところへ行くと言って出て行ったんですよ。
本当に悪い子なんです。嘘はつくし、物は盗むし」と延々と文句を言っていた

「とてもお行儀が良くて良いお嬢さんですよ。挨拶もちゃんとしてくれますよ
うちはいつ遊びに来てもかまわないので良かったら遊ばせてあげてください」とお願いしてみた

お祖母さんは「そちらのお宅は此処から少し遠いし、私も歳で迎えにも行かれないんです。預かっている立場だから責任もあるので、もう来ないように言ってください。もし来たら帰してもらえますか。宜しくお願いします」と言われてしまった

お祖母さんの事情も分かるしこれからは学校で遊ぶしかないかもしれないと思って女の子に
「お祖母さんが帰っておいでって言ってるんだ。今度からは学校のグランドで遊ぶようにするしかないかもしれないね・・・」と言った

女の子はとても寂しそうに俯いたまま黙ってしまった

「まだ小学校1年生だから、お祖母さんもとても心配なんだよ
今はまだ自分の好きな所へ行けないかもしれないけれど、5年生や6年生になったらひとりでどこでも行ける様になるから。だからもう少しの辛抱だよ」と言いながら小さな頭をなでた。

「ほんと?5年生になったら?」不意に顔を上げて真剣に私を見つめた
「うん。5年生にもなったらきっとお祖母さんも許してくれるよ」
深く黒い瞳にかすかな希望の光が宿ったように見えた

少し暗くなりかけていたので息子に公園の向こうまで送らせた
帰ってきた息子がすごく怒っていた
「途中で女の子の叔父さんが迎えに来て女の子を思いっきりゲンコツしたんだよ。
どこまで行ってんだって凄い顔で怒ったんだ!」

お祖母さんの家には叔父さんも同居していて仕事が遅いお父さんに代わって
いろいろ女の子の面倒をみているようだった

それから度々息子は「学校で女の子がまた叔父さんに殴られたって言ってた」と言うようになった

その頃の息子もまた問題児だった
友達の物を盗ってみたり、嘘をついてみたりと振り回され続けた
女の子もまた学校でさまざまな問題を起こしていたらしい

先生からも何度も女の子と息子の事で電話がくるようになった

2人でいるから駄目なのか。
お互いに引き付け合う物があるから問題が起こるのか

だんだんクラスのお母さん方にも噂が広まっていった
それは好奇心と悪意を伴うものとなっていった

息子が遅くなって女の子を送っていった日の事を
クラスのお母さんが見ていたらしく、夜遅くに息子がランドセルを背負ったまま
女の子と歩いていて知らない叔父さんに怒られていたと言いふらされた

息子と女の子は悪い子供のレッテルを貼られクラスから孤立するようになっていった

その頃の私は自分の事で精一杯だったからそんな噂が立っているなど想像もしていなかった
友達のお母さんから電話をもらって初めてしった

面談で先生に息子の様子がおかしい。不登校児の特徴が現れていると言われたのも
この頃だった

女の子の存在が息子にとってどう影響しているのかは分からなかった
ただあの女の子の寂しそうな顔と私に見せた笑顔を忘れられなかった

「いつかは、自分の好きな所へ行けるようになる」
あの女の子はどこへ行きたかったのだろう

それから1年程して、女の子は隣の町へと引っ越して行った
息子には「お母さんと暮らせるようになった」と言ったらしい
それが本当であって欲しい

女の子は別れの日に息子の頬にキスをした
「大好き」と言う言葉を残して・・・・


高校野球

2006-08-19 14:47:53 | 
今年も北海道は熱気に包まれている
駒大苫小牧高校が三連覇に向けて熱い戦いをしている

一昨年駒大が優勝して初めて優勝旗が海峡を越えた

北海道全体が大喜びでデパートで優勝記念写真展なんていうのもあって
初めての優勝旗を観に行ったりもした

それまでの北海道はくじ引きで対戦相手に当たると他の都道府県のチームに
「ラッキー」とか言われていた
1回戦に勝てば「良くやった」と称えられるほど優勝には程遠い甲子園だった

それが一昨年突然彗星のごとく大暴れ。
あれよあれよというまに優勝してしまった

あの一昨年の準決勝の日。
熱戦の末勝ちを決めて我が家も大喜びだった

お盆に姑を連れて逃げて来たのでその試合は姑も一緒に見ていた
その試合の後に舅がいきなり姑を迎えに来て大騒ぎをして警察を呼ぶ事になった

その後苫小牧は優勝を果たし、私もその選手のひた向きさや芯の強さに本当に感動した
私も頑張らなきゃと勇気を貰って姑の介護や舅のアル症の戦いに前向きになれたのを思い出す

去年も苫小牧はまたまた快進撃を続けた
二連覇なんて本当は期待していなかった
最初の優勝ももしかしたらまぐれだったかも・・と思っていた
その前の優勝の時も、周りの友達が
「これで最後かもしれないから、優勝旗見に行こう」と言っていた

だから二連覇を果たした時も本当に感動した
その時は姑が帰ってしまって、私はうつ状態で毎日無力感で泣いてばかりいた
1回戦、2回戦と応援していくうちにだんだん元気になって
優勝した時にはすっかり元気になっていた

もの凄いプレッシャーの中でとにかく自分を信じて、周りを信じて勝ち進んで行く
どんなにもう駄目かもと思えるような場面でも絶対に諦めないその姿に
「私も頑張んなきゃな」と力が湧いてくる

今年もまた何度も苦戦しながら此処まで来た
あと一勝すれば三連覇

周りが異常に騒ぐのを気にする様子もなく
選手たちはただ一試合、一試合を一生懸命戦っている

今年は夫がリストラされてまだ仕事が決まらない
先日最終選考まで行った職も不採用となってしまった
今までで一番期待していたから、夫も私もほんとうにがっかりだった

それからちょっと夫も私も気が抜けたようになってしまった
夫も前ほど熱心に探していない
私も短期のバイトでもしようと探していたのにすっかり気力が萎えてしまっていた

あの選手たちの頑張りを見ていたら本当に恥ずかしい

今年もまた勇気と力を貰った
明日の試合もきっと精一杯戦ってくれるだろう

私も負けないように頑張らなくちゃ!

天国からの手紙

2006-08-15 20:37:15 | 
我が家のタブーは子供の病気や家族の死だった

夫が小学1年生の時に妹さんが亡くなった

ある日突然熱が下がらなくなった
病院へ行くとすぐ大学病院を紹介され、そのまま緊急入院、
半年の闘病生活の後、成す術もなく空の星となった

病気が発覚して、義理母は付きっ切りで入院した
義理父は単身赴任中で夫は叔母と共に家で暮らす日々が始まった

その半年の間の生活を夫は思い出したくないと言う
入院する前日まで元気で2人で遊んでいた
病気が発覚して、妹が死んだ日から、夫の家族は時計が止まってしまった

毎日泣き暮れる母親
単身赴任から帰ってきても身の不運を嘆いては飲んだくれる父
毎日暗澹たる気持ちで家に帰る
少しでも母親に元気になって欲しいと夫は冗談やふざけては母を笑わそうとした

母親は「妹が死んだって言うのに何が可笑しいんだ!!」と怒鳴った
仕方なく部屋にこもって静かにしていると父親が帰ってきて
「お前まで暗い顔するな!!!」と殴られたと言う

私が結婚した時から何百回と聞かされた、義理両親の娘自慢

「うちの娘は頭が良くて、3歳でもうお兄ちゃんを歯医者に連れてったんだ」
「うちの娘は賢くて、どんな学校へ行くのか本当に楽しみだった」
「うちの娘は可愛くて、街ですれ違った人がぜひ写真を撮らせてくださいと頭をさげられた事も1度や2度じゃない」

亡き娘を思いそのまま時が止まった両親たち
そんな自慢話の後に必ず
「兄ちゃんは全然駄目だった」
「兄ちゃんは妹に面倒を見てもらっていた」
と夫の悪口へと変わっていく

何歳になっても、死んだ妹と比べ続けられ、けっして認められる事のなかった夫

夫は妹がとても可愛かったと言う
夫が妹を悪く言う事を聞いたことがない

夫は過去の経験が蘇って子供の闘病物のドキュメントやドラマを絶対に観られない
と言う
私も兄弟のように仲良く育ったいとこの子供が同じ病気で長い闘病生活の末に
わずか6歳で亡くなっているので、その時から辛くて観る事ができなくなった

だから毎年「天国からの手紙」と言う番組もチャンネルを合わせることは無かった

夫が退職してから「オーラの泉」を楽しみに見ている
最初は私が見ていて夫に話しているうちに夫も見るようになった

江原さんの話が夫の心に響くものがあったのか夫は「天国の手紙」を観ると言い出した

「天国の手紙直前スペシャル」と言うのが土曜のお昼にやっていた

初めて江原さんがお子さんを亡くした後、不思議な事が起こるという家庭を訪問した時の再放送とその後の家族のエピソードなどを紹介した番組だった

その家庭のお子さんもある日突然風邪が元でこの世を去ってしまった
お母さんは悲しみに暮れ家も亡き息子の為に建て替えたと言う

あまりに辛い内容に夫が
「これって、俺は見ない方が良いかも知れない番組かも・・・」と絶句していた
私もチャンネルを変えようかどうしようか迷っていた

コマーシャルが終わって、江原さんがその悲しみのどん底にいるお母さんに最初に言った言葉が
「あなた一人が悲しみを背負っているわけじゃない。死んだ子供が迷惑だと泣いている。残された妹が可哀想だ。お母さんに変わって欲しい。」と言うメッセージだった。無表情の妹さんの顔が痛々しく映し出されていた

なおも江原さんは厳しくお母さんに言う
「お母さんは死んだ子供を中心に生きている。みんなが笑えば、何笑ってんだ!!と当り散らす。娘さんは笑うことも出来ずに部屋に死んだお兄ちゃんと机を並べられて恐いと感じている。
一日机に座って、死んだ息子に話しかけ、外出すらしようとしない。
これでは生きている人間でも参ってしまう。

死んだ息子さんもこれでは成仏できない
死んだ自分を責めかねない。
息子さんが元の明るいお母さんに変わって欲しいと言っている
これで手放せなければそれはあなたのエゴである」

息を呑むように押し黙った後、母親は一言「変わります」と言った

夫は自分の過去と重ね合わせていたのだろう
「この妹の気持ちが凄く分かる。うちと一緒だな」と言った

江原さんは「供養とは残された人が幸せに暮らすことです。
残された人が立ち直ってくれなければいつまでも苦しい思いをしてこの世に残らなければならない。いつまでも悲しみに暮れていてはいけない」そう言った

夫は「あー。妹はまだ成仏できていないかもしれないなぁ。あんな親父にあんな母親じゃ心配だろうね」と私に話しかけた

「うん。そうだね。お父さんだけでも幸せだから成仏してくれって言ってあげれば
もう俺は大丈夫だからって言ってあげれば安心するかもよ
亡くなって35年。未だにこの世に残っていたらあまりに可哀想だよね・・・」

夫は暫く黙った後
「そうだな。今年はもう成仏しろって言ってやるか。俺お盆って嫌いだったんだよね。墓参りの後、親父が飲んで暴れて、母親と喧嘩して、全然お墓のイメージ悪いんだよなぁ」

「そうかー。今年はお墓でお赤飯のおにぎりを食べて楽しく過ごしてあげようよ
きっと喜ぶと思うよ」

毎年、毎年夫の実家のお盆は盛大だった
死んだ娘に何もしてやれなかった。せめてお盆だけでもと数々のお供え物を用意して供養した

私もそのしきたりを覚えるのに必死だった
でもお盆の時は必ず舅は飲みすぎて姑と大喧嘩
夜中じゅう舅は怒鳴り散らし姑の悲鳴が響き渡った

姑を連れて逃げたのもお盆だった

今年は我が家だけでお赤飯のおにぎりと妹さんの大好きだったペコちゃんのチョコレートをお墓に供えてみんなで手を合わせた

夫と共に「安心して安らかに眠ってください」と手を合わせた

「天国からの手紙」を信じるか否かは別としても
夫にとってとても重要なメッセージをもらえたのだろうと思う

私もとても大切な事を教えてもらった気がする


「供養とは残された者が幸せに暮らすことである」
このメッセージを忘れないでいようと思う










盆踊り

2006-08-10 22:34:39 | 日記
今日は夫が前の会社の同僚に誘われて飲みに出かけた

夫は行く30分前まで悩んでいた
そりゃあ前の会社の人にあれこれ聞かれるのは嫌だろうけれど
みんな夫の事を心配してくれているんだよね

私も「行っといでよ。どこで人との縁が繋がるか分からないんだからさ。
楽しんでくれば良いよ」と言った

ぎりぎりまで悩んで出かけていった

その後私は町内子供の会の盆踊りに子供と出かけた
今年は子ども会の役員長になっちゃって、いろいろ忙しい

子供とたっぷり1時間盆踊りをして来た

夜になっても昼間の暑さが抜けなくて帰りに子供にジュースを買いにスーパーによった

私は実は食玩を集めている
最近は節約の為に我慢している

ジュースを買うついでに新しい食玩を見ていたら息子が
「欲しいの?最近新しいのお母さん買ってないね」と言った

「これ!新作。可愛いよね・・」としばらく眺めて棚に戻した

「我慢するの?」と息子が聞いた
「うん。今日は我慢かな。お父さんの職が決まるまではあんまり無駄使い出来ないからさ!あーぁ。早く決まると良いね」と独り言のように言った

息子が「いつかは決まるしょ!」と明るく言った
息子のキラキラした目が大丈夫さと言っていた

そうだよね!いつかは決まるよね!

子供って本当に前向きだなー

「お母さんも注ハイ買っちゃおうかな」
「良いよ。良いよ。買いなよ。酒臭いって言わないからさ!」と息子


「良し!今日はみんなで乾杯だ!!!」
食玩我慢した意味ない気もするが今日はまぁ良いか

みなさんも暑い夏に乾杯!!(すでに酔ってます


怒りの問題 3

2006-08-08 14:31:05 | 共依存症
私はこんな嘘ばっかりつく父親やアルコールで問題ばかり起こす舅を見ていたら
子供にも影響が出るんじゃないかと心配していた
でも、自分を振り返って感じる事は
依存症の家族の連鎖は夫の依存症から子供へ連鎖するんじゃなくて
夫から妻へ、妻から子供へと連鎖していくんじゃないだろうか

息子が心に深い傷を負っていると知って凄く悩んだ(盗癖で書いてある)
悩んでいたけれど私は自分の怒りが間違って息子に向かっているとは思っていなかった

息子へのしつけが厳しすぎた事が原因だと感じていた
八つ当たりしている事に気がついていなかったのだ

「夫のような大人になって欲しくない」
「舅のような大人になったらどうしよう」と言う不安からつい厳しくしてしまった

自分が共依存症だと気がつき初めた頃だったので、息子をコントロールしようとする所もいけないんだと反省した

優しく、褒めて、大きなマスクをしてガミガミ指図せず、子供の声に耳を傾ける
そんな育児をしようと頑張った

息子は砂に水を染み込ませるように、元気になっていった
その事がとても嬉しかった反面、私の中の怒りは増大していった

いかに今まで心に溜め込み息子へその怒りを吐き出していたかを思い知らされた

でももう息子を傷つけたくない。その決心だけは揺らぎなかった
ブログを開設し自分の中に溜まっている怒りを文字にするようになっていった

相変わらず女の子は怒ってはロープでぶら下がる事を繰り返していた

夫の借金が発覚して私は強くなりたいと思った
ただ泣いて身の不運を嘆く自分を捨てたかった

夫の借金や今までの嘘を知ってもの凄く傷ついたけれど、怒りよりも自分を強くしたい思いでいっぱいだった

借金の整理もしてめどが立ち始めた先日の事

電話が鳴って出ると退職金が振り込まれた銀行からだった
「住宅ローンのお支払いを見直しませんか」といきなり言われた

「はあ?うちは住宅ローンはしてませんけど」と言うと
「失礼致しました」と切れた

私が「住宅ローンだって。変なの。うちは住宅ローンなんてしてないのにね」と言うと
夫が「住宅金融公庫の事じゃないの」と言った

私の頭の中にはローンという言葉でパニックになっていた

・・・なぜ借りてもいないのにそんな電話が来るんだろう・・・
今夫は金融公庫って言った?まさか金融公庫を借りているんじゃ・・・
頭に疑惑が湧くと止められなかった

急に黙りこくった私に夫は
「なによ!なんかあんのかよ!」と怒った

「納得いかない。何で銀行から住宅ローンの電話なんか掛かってくるの?」
「しらねーよ。退職金入ったから電話してきたんだろ!」
「だってうちは住宅ローンなんてしてないじゃない」

「しらねー!!!!電話でも何でも掛けて聞いてみろ!!!!」

私の中の女の子がゆっくりと起き上がり何かを叫ぼうとした瞬間

「納得いかないから聞いたんだよ。これからはあやふやにしないって言ったはずだよ」女の子が言う前に自分の口から言葉があふれた

「私はあなたを信用しない。そう言った筈だ。誤解なら誤解なりの説明をすればいいじゃないか。そうやって私が疑ってばかりいる卑しい人間みたいに
私の事を2度と見るな!
あなただって覚悟の上の筈だ。」

夫はいきなり隣の部屋へ行き自分の荷物をまとめ始めた
「お前はずっと我慢してきたって言いたいんだろ!俺が出て行けば収まるんだろ!」

「それが、あなたの結論なの?ちょっと時間が経ったからってすぐ信用を取り戻せるとか思っていたの?我慢してきたさ。どれだけ私に嘘ついて私を傷つけて来たのか分かる?私は止めない。あなたを疑う事を止めない。私だって疑い続けて暮らすのは辛い。
でもやり直すって決めたから私はそういう事も受け入れる覚悟だったさ。
あなただってそれくらい覚悟を決めていると思っていたよ!
出て行く気もない癖に人を試すような事するな!!!」


夫は静かに部屋を出て行った

後は涙が止まらなかった
夫の借金が発覚してから涙は流さないと決めていた
でも後から後からあふれて止まらなかった

十分くらいして夫が戻ってきて
「ごめん。住宅ローンなんて本当に知らないんだ。退職金で大きい額が入ったからきっと銀行のセールスみたいなものなんだと思う
電話して聞いてみても良いから。疑われて悲しかったんだ。
お前を卑しいなんて思っていないから・・」そう言った

「分かってくれれば良いよ。私はもう変わらないから。
疑問が湧けば何度でも説明を求めるつもりだから。」

「わかった・・。ちゃんと説明するから」

夫はちょっと頭冷やすと言ってタバコを買いに出て行った
気が抜けたようにそこから動けなかった

私はずっとこうやって怒りたかったんだそう思った
自分で自分の気持ちを伝える事ができた
たとえそれで夫婦が駄目になったとしても、たとえそれで夫がやけを起こしたとしても、それでも良いと思った
それで夫が出て行くことになっても後悔しない

だって言いたかった思いを伝える事が出来たのだから

いつもの様に心の中からギシギシという音が聞こえてきた
私はゆっくりと女の子の首からロープを解いた

もう良いよ。自分の怒りは自分で責任を持つから
だからもう良いよと女の子に呟いた
(終わり)