トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

自立

2006-03-29 16:29:08 | 
ある引き篭もりの青年が向かいの家の窓を覗き見するようになった
その向かいの家の奥さんが旦那に暴力を受けている事を知り助けようと
使命感に燃える

色々な機関に相談するが
「彼女本人に逃げる意志がなければ助けられない」と断られる
彼は思い余って弁護士に
「彼女は脅えて逃げられそうもない。なんとか助ける方法はないか」と相談する

すると弁護士は彼に「DVから助けようとする人はDVをする人と同じなのだ」と言われる
「DVを受けている人は自分で逃げる意志を持たなければ逃げない。
それを無理にさせようとする人は逃がした人と暮らせば後で必ずその人を殴る新しいDV加害者となる」

村上龍さんの「最後の家族」と言う本を読んだ
この文章に本当に頭から水をかけられたような衝撃を受けた
DVは助けるとか助けられるという関係では決して解決しない

私も姑は本当に家をでるという意志がないまま連れてきた
ただ雨の中外に放り出されていたのを連れてきただけだった

姑は一言も「逃げたい」とは言わなかった
ただ「帰ったら殺される」と言っただけだった

私は助けたつもりでいた

でもその本の中に「DV被害者を救いたいというのは、DVの1歩だ。
それは相手を対等に見ていないから
彼女は可哀想な人だからと始まって、自分がいなければこの人は駄目になると思い
最後は自分がいなければ生きていけないだろうという他人を支配したいという欲求が生まれる。
他人を救いたい欲求と支配したい欲求は同じである」

何度も何度も読み返す
そんな筈ないと否定したいけれど言葉が見つからなかった

最後にその弁護士は
「そういう欲求を持つ人はその人自信も傷ついている。
相手を救うことで自分も救われたいと思っている
でもその人自信が心の奥底で自分は救われるはずがないと思っている
自分が救われる事がないという思いが他人への依存に変わる」

私もいつもどこかで「誰にも私の痛みは分からない」と思っているところがある
自分はずっとこうなのだと投げやりになる時がある

それが他人への依存に変わっていったのだろうか・・・

きっと私は姑を世話をする事で自分が救われたいと思っていたのだ
病院の先生に「お姑さんの状態はとても良いです。お嫁さんの管理が良いんですね」と言われた時は本当に誇らしさでいっぱいだった

やっぱり私が見たほうが良いんだ。
舅なんかといたら姑は飢え死にさせられていたんだ
自分の存在を認められる事はなんと心地いいのだろうと思った

でも姑が「別に好きで来たわけじゃない。私が頼んで住まわせてもらっている訳じゃない」と親戚に言い出した頃から私の感情は変わって言った

「こんなにしてあげているのにどうして分かってくれないのだろう」と苛立った
疲れている時など部屋に閉じこもって無視することもあった

姑は私の顔色を見るようになっていった
私が苛立っている時はお金を持ってきて「これで子供にお菓子でも買ってあげて」と言った

私の中で姑を見下していたのだ
こんなにしてやっているのだから私に気を使うのは当たり前だと思っていたのだ
姑が帰りたくなるのも無理もなかったのかもしれない

自分の夫に暴力を受けるのと嫁に小さくなって暮らすくらいなら、
自分の家で暮らしたいに決まっていたのだ

姑はよく「どこで暮らしても同じだから」と言っていた
その意味が今ならよく分かる

本の中の彼はその言葉に打ちのめされて「僕があの人に出来る事はないんですか?」と聞く
弁護士は「親しい人の自立はその近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになる事。それだけが誰か親しい人を結果的に救うのです」と言われる

大きな岩が頭の上に降ってきたようだ
自立。1人で生きていけるようになる事

姑にとってもう和解する事がない息子夫婦が自立し幸せに暮らしているという事が支えになるのかもしれない

私が自立する事は夫の私に対する依存や嘘で身を固めるしかない
人生を救う事になるのかもしれない

私が生き生きと暮らせたなら子供達も安心してこの家から
自信を持って旅立って行けるようになるのかもしれない

私の自立とはなんだろう

自分で働いて収入を得て暮らせるようになる事だろうか

自分の好きな事を生き生きとする事だろうか?

自分の好きな事、やりたい事とは何だろうか?

誰にも依存せず自分の足で立ちたい
その欲求は変わらない
でもどの道を進むのかがまだ見えてこない

目を凝らして見極めたい


甘え

2006-03-28 18:45:30 | 
子供達が春休みになった
お兄ちゃんが朝からいるから娘も大喜び

春休みになるといつも実家に帰る
明日から行こうと予定を立てていたので母に電話した

「明日から行こうと思ってるけど」
「あー。今、予定立たないんだよね。ほら弟の所の子供が鼻水でたって電話来てたから熱が出たら見に行かなきゃいけないし・・・」

「ふーん。そうか。じゃあいいわ」そう言って電話をちょっと乱暴に切った
ムッとしていた。
予定はもうずっと前から伝えてあった。
子供達も楽しみにしていたのに・・・

弟の下の子供が生まれてから母は週に1度は手伝いに行っている
下の子ももう八ヶ月近くになるが上の子も2才と年子で生まれたため
なかなか大変なのだろう
熱が出た。ぐずって仕方がない。
そう言っては呼び出され「大変だ。大変だ」と言って出かけていく

週末は必ず遊びに来てご飯を食べさせ、買い物をして持たせてあげているらしい
これも「大変だ。大変だ」と私に愚痴る

私も年子は大変だから手伝えるならそれもいいと思う
お嫁さんと仲良く行かない姑が多い中
「お義母さん。お義母さん」と慕ってくれるお嫁さんはありがたいと思う

でもなぜか「また。弟なの」と心の中で思ってしまった
みるみる子供の時代に引き戻されていく

3人兄弟の1番末の弟はとにかく母に可愛がられていた
母はいつもとても忙しくて、姉にも私にも振り向く暇もない感じだったが
いつも店から帰ってくると弟を一番先に抱きしめた

姉と私は「ただいま」すら言って貰えなかった
弟は高校卒業と共に10年位引き篭もっていた
その時もいつも「弟を。」「弟を」だった

自分の中でみっともないと言う感情が渦巻く
40も過ぎて何が母だとも思う
なんとか感情を持ち直そうと過去を切ろうと努力するが
ふつふつと湧き上がる怒りは収まらない

30分もしないうちに母から電話が来た
「お母さんだけど・・・」遠慮がちに言う

「何?どうしたの」いつものいい子の私に戻る
「いや。掃除終わったから。お兄ちゃん春休みになったんだね」

「そうだよ。言ってあったでしょ。でも忙しいなら良いよ。
あっちの方が大変なんだから、気にしなくて良いよ」

「そうかい。なんだかまだあっちは小さいから放っておけなくてさ」と必死に機嫌を伺うように言い訳をする

祖母が亡くなって私との関係が変わってから母は私の顔色を見るようになった
私が乱暴に電話を切ったから気にしたのだろう

白髪の増えた母が目に浮かんだ
「いいって。いいって。また予定立ったら行くから。気にしないで」
明るく言って電話を切る

切なくて涙が出そうになる
こうやって甘える事がいつもできない

子供の頃も甘えられなかったけれど、今はもっと甘えられない

甘え方を知らずに育った大人は力以上の事をしてしまって、失敗したり引き篭もってしまったりするのだと斉藤先生のブログに書いてあった

私も甘え方を知らない。
本当は母に「子供と一緒に帰るから、その日ぐらい空けてよ」と言いたかったのだ
でも言えなかった

そして落ち込んでいるのだ

仕方がない
自分で自分を甘やかしてあげることにした
自分に何がしたい?と問う

甘いものが食べたいなと心がつぶやく

そうか甘えたい私は甘いものが食べたいんだな。
よし食べさせてあげよう。

子供達と自転車を漕いでちょっと遠いスーパーへ行った

風が気持ちよくて何を買おうかなと自分に聞き続ける

私は滅多に自分にご褒美をあげない
自分のためにチョコレート1つ買うのに戸惑ってしまうのだ

あんなに思い立って買い物に来たのにいざとなるとやっぱり
決まらない

ケーキを買おう。美味しい菓子パンを買おう。
そう思うってコーナーへ行くけれど籠の中に入れられない

子供達が「あれ食べたい。これ食べたい」と言ってくる
子供達の好きなものが籠に入ったが自分の好きな物が入らない

うーん。困ったな。
いやいや。欲しい。と心が言っている
ふっと見ると特売コーナーに串団子が売っていた

子供の頃熱がでた時だけ店の母から電話が掛かってきた
「何か食べたいものはない?」と言われ私は必ず「串団子」と答えた

これにしよう。
子供達も食べたい。食べたいとはしゃいでいる
それを買って家に帰った

これでよし!自分の中の子供さん。
甘いものですよ

さあ。元気を出して次いってみよう!







自己評価

2006-03-27 09:15:13 | 
自分の良いところ探しに沢山の方が声をかけてくださって本当に
胸がいっぱいです。
早速紙に書いて寝る前に読み始めました

読んでいてこれは本当に自分の良い所なのか?
と疑問を持ちつつ「いやいや、皆が探してくれたんだからこれで良いんだ」と納得させて読んでいます

自分で探さなきゃ意味がないのかも知れませんが
どうしても自分で探す作業が辛くなかなか頭の中で整理できません

なぜ自分で自分の良いところ探せないのか
この自己評価の低さは私の支えだったからだ

何か苦しいことがあると
「どうせ私なんかこの程度の人間だから」

誰かに傷つけられれば
「どうせ親にも愛されなかった人間だから」

「どうせ自分は。」「こんな自分が」とその言葉に隠れて自分を
守る事ができたからだ

どんな困難もこの言葉をつぶやけば乗り越える必要がなくなってしまう
甘んじてこの辛い状況を受け入れる事ができるのだ

こんな楽な事はなかった
辛さに向き合う事無く「どうせ・・・」とさめざめと泣いて悲劇のヒロインとなり
嵐が過ぎ去るのを待てばよかったからだ

そして傷を治す時も「泣くことないさ。こんな自分にはお似合いなんだ」と納得させて歩き出すことができた

自己評価の低さは私の逃げ道であり。甘い誘惑だった
これを手放すのは現実を全て受け入れる事へと繋がってしまう

自分がこんな目に合うに値しない人間なんだと評価を高くしたなら
1歩進むにも身のすくむ思いだ

だったらずっとこうして自己評価の低いまま「どうせ自分は」と甘ったれて暮らして行けばいいじゃないかと自分に思ってしまう
でもそれではいけないと気がついた

私には守りたいものがあるから・・・
自己評価が低いと子供を守ることが出来ない

息子が幼稚園に入園した時、息子は全く皆についていけなかった。
皆について行けないと自然と群れから離れてしまう

子供の世界は残酷だ。
自分たちについて行けないと遊んでいても楽しくないのだ
だからどんどん息子は孤立して行ってしまった

そんな時私は「どうせ私の子供だから」となって逃げてしまったのだ

小学校に入って、息子は次々と問題を起こして周りのお母さん方からも
うちの子と付き合ってはいけないみたいな雰囲気になった事があった

ある事ない事噂になってすっかり息子は要注意人物のレッテルが貼られた
私は全く気がついていなかった
息子は友達が1人もいなくなってしまった

私はここでも
「私の子供だからこんな目にあったんだ。私の悪いところが息子に移ってしまったんだ。治さなければ」と息子にきつく当たってしまったりした

この自己評価の低さが問題だったのに私はそこから目を背け続けてきた
自分の良いところなど探したくなかったのだ

私は、自分の事は棚に上げて息子が「どうせ自分は・・・」と言い訳することが許せなかった
いつものように息子が宿題が出来ないことに腹を立て
「やっぱり俺って駄目だ。どうせ俺なんか」と言って泣いた

「そんな事言うのやめなさい。お兄ちゃんは自分が好きじゃないの?」

「分かんない。俺、良いところないもん」と言った
「そんな事ないよ。いっぱいあるよ」

「どこ?」
「優しいところとか。努力するところとか」と言って見たが心の底から
此処があなたの良いところと言えていない事に自分で自分に驚いた

子供の良いところが分からないなんて・・・
本当に呆然としてしまった

もし「お母さんはこんな良いところがあってそれが貴方にもちゃんと備わっている」と励ますことが出来ていたなら
息子も自信へと繋がったことだろう

お母さんの子供なんだからこんな事も乗り越えられると背中をおして上げられたなら息子も自分を肯定できるんじゃないか

そんな事を考えているうちに自分がいかに自己評価が低いことに甘えていたかに気がついたのだ
だから私は苦しくても自分探しをしたい。

もう、逃げることは終わりにしよう
自分の良い所を紙いっぱいに書いて読めるようになろう

自分に身に着くまでには長い時間が掛かるかもしれない
でも少しづつでも積み上げていこうと思う

この課題を乗り越えることが出来た時きっとそこから何かが始まるはずだ
いや。もう始まっているのかもしれない

希望の光が遠く遠くに小さな星のように光っている

自分探し

2006-03-24 08:58:00 | 
このブログを始めた時自分探しをしようと思っていた

でもどうやったら自分が見つかるのかさっぱり分からなかった
今まで起こったことや、子供の頃の記憶を、整理しているうちに見つかるのかと思って始めた

記憶はある程度整理された
いまでも思い出すと悲しくて感情を支配されてしまうけれど
そんなに悪いことばかりじゃなかったさと肯定的にもなれてきた

でも自分が見つかったのかと考えれば「はて?」と疑問が浮かんでくる

私はよく精神科医の斉藤学先生のブログを愛読している
先日書かれていた内容に物凄いショックを受け、何度も何度も読み返した

そこに登場する女性はまさしく私その物だった
嫁姑に悩み、夫の事もそれ程好きじゃない。
親しくなる友達も軽蔑してしまって長続きしない

本当に親しくしたい人とは自分のような人間と仲良くなってくれる筈がない思い込んでいる
どんな場所に行ってもヨーイドンで競争を始めて1番にならないと気がすまない
1番になれないと分かるとその場を軽蔑して自分から去ってしまう

最初は凄く頑張るけれど力が及ばなくなるとさっさと切り捨ててしまう

読めば読むほど自分に当てはまる

先生はその女性に自己評価の低さが原因だと言う
自分という車の性能を理解して自分を肯定していければ自分を変えて楽になれる

自分に語りかけてくれているような気がした

その前のブログで先生がある女性に
「自分の良い所を紙に書いてそれを毎日声に出して読んでみなさい」と言った後
「でも貴方はきっとやらないでしょう。貴方みたいな人はどうせ自分は駄目だという自己評価の低さが邪魔をしてやらずに終わってしまうからです」

私はこの時いつもは食い入るように読んでいるのに、
その時は読むのを途中で止めてしまった。
苦しかったのだ

自分にもいい所があるかなとちょっと考えてしまったのだ
紙に書くほどあるだろうかと・・・
全く思い浮かばなかったのだ

私には良いところなどどこにもないと思えてしまうのだ
自分の良いところ探しを仕様ものなら悪いところばかり見つかって
余計に惨めに落ち込んでしまうのが分かるから・・・

だからそれが恐くてそのブログが読めなかったのである

でも先生の話だと自己評価が上がらないと自分を見つける事も
変える事も出来ない

そしてもう1つその女性との共通点は自分を大切に思ったり
尊重してくれる人をこんな自分を好きになったり尊敬してくるなんてと
相手を馬鹿にして軽蔑して切り捨ててしまいたくなるという事だ

全くその通りだ。
夫は私をいつも評価して、認めてくれる
でも私はそんな夫をこんな私を尊敬するなんて夫は本当に馬鹿だと軽蔑していた
そして捨ててしまいたくなっているという事だ

私の自己評価が上がらないと夫の評価も上がらない
このままでは私達の関係は破綻を目指すだろう

私の自己評価は今失墜を極めている
何をやってもトラブルになってしまう。

舅達の事。夫の転職。子供の学校のこと。自分の友達関係。
こんなにいろいろ上手くいかないのは自分が駄目だからとすっかり自信がなくなってしまった
そしてどこかでこれが私のような人間にはお似合いだと思っていることだ

私は自己評価を上げることから始めないといけないのだと思った
苦しいけれどちょっと自分の良いところを探してみた

ひとつ。誰の相談も真剣に聞きすぎるほど優しい心の持ち主である
ひとつ。人を笑わすのが大好きで明るい性格である
ひとつ。お料理が下手だったがこの頃は自分でも美味しいと思えるものを作れるようになった、努力家である

先生は30くらい探しなさいと書いてあったけれど今はこれくらいしか思いつかない
良いところを探しても悪いところしか思い浮かばないから、まず悪いところを浮かべてそれを見方を変えてみると良いところにも見えそうなものを選んでみた

それも書いた後で必ず「でも此処はだめ。こうだから駄目」と否定的な感情が浮かんでくる

自分を探すにはどうすれば良いかが少し分かった
とにかく自分のいいところをこれから少しずつ探していこうと思う


職探し

2006-03-23 16:33:38 | 元夫婦
今、夫は一生懸命仕事探しをしている

前の会社で営業は向かないと言われかなり凹んでいた
私も正直にいうと夫には向かないんじゃないかと思う

お客さんにクレームをつけられて
「うちはこの商品の値段は払わないから」といわれるともう請求しないで自腹でうめる

顧客が倒産してしまい回収不能となった金額を自腹で埋めたこともある
倒産するかしないか分からなかったのかと上のものに言われるのが嫌だからだ

一言「分かりませんでした」で済む事なのに失敗した自分を認められないのだ
とにかく人からの評価が下がることが何よりも夫には我慢出来ないのだ

営業は売上の結果がもろに自分の評価へと繋がる
集金もそうである

お金を出し渋る顧客からいかに上手く強くお金を回収するかに掛かっている
それが出来なくてでも上司にも報告できなくて・・・・

だからもう営業じゃない仕事にして欲しい
確かに職種を選んでいては見つからないかも知れない
でも収入が下がっても良いからもうハラハラドキドキの営業はやめて欲しいのだ

夫も最初は配送、倉庫管理、事務関係などを探していた
今とそれ程条件の変わらない職場もあった
でも夫は申し込もうとしない

そのうちまた営業の仕事を探し出した
それも今よりずっと大手の職場だ

説明会を聞きに行った
全てがノルマ制。能力で決まる
三ヶ月達成できなければ即解雇という厳しい条件だ

もし仕事が上手く起動に乗ったなら三年後に正社員
その後は今の給料より倍くらいもらえるようになるという

でもそのノルマも実にきつそうだ
話を聞いているだけで胃が痛くなりそうだ

最初「私はあんまり賛成できない」と伝えた
でも夫は何度も何度も私に説明する
そして他の仕事を一切探そうとしなくなってしまった

もう自分でやろうと決めているのだろう
だからもう何も言うのを止めた
まだ試験も受けていないし採用されると決まってもいない

「やってみたいんでしょ」と言ったら
「俺自身これだけ引っかかるんだからやってみたいんだろうな」と曖昧に言う

「でも3年たったら見返してやれる。あの上司よりいい給料を貰って笑ってやるんだ」と言う

その言葉には引っかかった
「あんな会社あと何年持つか分からない。」
「後で潰れて悔しがるんだ。俺には関係ない」
「あいつも今に路頭に迷うんだ」
「あいつのせいでこんな風になった。あの会社の人間は誰も助けてくれなかった」

と毎日毎日前の会社を呪っている

純粋に自分の力を試したくてやるのなら応援もしようかと思う
でも相手に囚われすぎてあいつらよりいい生活をしてやろう
あいつより偉くなって見返してやろう
という気持ちではいつか自分で自分を追い詰め苦しめてしまうんじゃないかと思う

時に憎しみは原動力となり自分を奮い立たせるのに役に立つだろう
でも憎しみだけの人生なんて結局空しいだけの気がするし続かないような気がする

私はどんな職場だっていい。子供達が食べていけて、学校を出してやれて暮らしていければそれでいいと思う。

いったい誰のための人生なのか
相手が不幸だと聞いたところで自分は幸せになれるのか

夫の職探しは迷走を続けている


混乱2

2006-03-20 09:06:05 | 
そして何より驚いているのが家政婦と姑達が帰るまで夫に連絡しようと
思いつかなかった事だ
夫には随分叱られた
「何で金を渡す前に俺に電話よこさなかったんだ。主人に聞かなきゃ分からないって言って追い返せば良かったじゃないか」

確かにそうだ。
舅が来た時はいち早く夫に連絡した
なのに今回は全く夫の事が頭に浮かばなかった

この事態を1人で解決しなければとそう思っていたのだ

なぜだ?もう私の中の夫は完全に消えてしまったのだろうか

私は普段から自分の心の中を覗いたりしないように生きている
自分の内なる声に耳を澄ませばいろんな怒りが噴出してしまうからだ

だからあの時も完全に心の中の感情は何もなかった

姑とはもう会うことはないだろうと思っていた
会うときはもう私の事も区別などつかないほど衰え
全てが終わろうとしているときなのだと覚悟していた

姑が出て行ってから何度も自問自答した
なぜ帰ってしまったのか

あれ程身を削りつくし姑が暮らしやすいように、時に話し相手になり
寂しそうにすれば遊べそうなおもちゃを買い
怪我をして立てなくなればオムツを取替え、姑の排泄物にまみれながらも
なるべく笑顔を絶やさず必死に介護した

それが別れの言葉もなく、帰ってからも電話1本、手紙一通も来ないまま
その無力感を姑は想い寄せてくれた事があったのだろうか

姑が帰り息子が「お婆ちゃんが殺されるんじゃないか」と心配して泣き
「俺が意地悪したからいやになっちゃたんだ」と自分を責めて泣いた事を
少しも考えもしなかったと言うのか・・・

いきなり家に入ってきて娘を見るなり
「あーちゃん。私を忘れたのかい?」とまるで昨日も会ったかの様に話しかけ
娘とママゴトを始めた姑・・・

子供の頃祖母が良く私に言った言葉を思い出す

「人に何かする時は見返りを求めちゃ駄目だ
あんなにしたのに。こんなにしたのにと恨むくらいなら何もしない方が良いんだ
人にかかわり過ぎてはいけない」

その通りだ。
あんなに介護したのにこんなにしたのにと思うくらいなら
何もしなければ良かったのだ

でもそう思うにはあまりに姑の仕打ちは惨すぎる
せめて一言でもいいから言いたかった
「なぜ帰ったんですか?私たちがどんな思いをしたか分かりますか?」と・・・

お金を受け取って逃げるように帰っていった姑
夫はその事を「自分がされた事を俺たちにしてるんだろう」と言った

舅の両親が姑が若い頃給料日を狙って遊びに来てはお金を無心して帰って
行ったとよく愚痴を聞かされた
姑達も舅の両親とは絶縁状態となって私が結婚してからも
数えるほどしかあった事がない

ひいお婆ちゃんが入院しても見舞いに行くこともなかった

姑も自分がされた事と同じ事を息子夫婦にしていると気がついているのだろうか

それはあまりに悲しい話だ
私が夫に知らせなかったのはそんな姿の姑を夫に見せたくなかったのだろうか

条件反射のように玄関で靴を履こうとする姑に椅子を運んでいった私
憎くて憎くて溜まらなかった。
でも杖を持つのに手を貸し、出て行くドアを押さえて通りやすいようにした

そんな自分が滑稽で堪らない
誰かを憎みきる事は出来ないのだろうか
自分の理性が邪魔をしいつも通り過ぎた後でその怒りに身を焦がす私

その時に怒りをぶつけられたならどんなに楽だろう
少しでも自分の気持ちを解放できたならこれ程毒々しい感情に
身を沈めなくてもいいのに

夢の中で幾ら怒りをぶつけてもそれは現実ではないのだ
また繰り返される夢たち

その夢に平然と娘と遊び戯れる姑の姿が加わった
私はいつになったらこの苦しみから解放されるのだろう




混乱

2006-03-20 08:51:14 | 嫁、舅
どうやってもすっきりしない。
どんなに気持ちを盛り上げても気持ちが切り替わらない

考えても考えても答えが出ない

姑が来た日の事が頭から離れない

私は姑を匿っている時からすっかりインターフォンの音に敏感になってしまった

「ピンポーン」となると飛び上がるほどビックリする
また舅が来たんじゃないか。
酔って怒りに任せて玄関に仁王立ちしてドアを蹴ったり、怒鳴ったりして
また警察を呼ばなくちゃ行けなくなったらどうしよう

そんな不安にいつも取り付かれるようになった

ドキドキしてインターフォンに出れば息子の友達だったり
集金の人だったりして心底ホッとするのだ

心臓はドキドキと自分の耳まで届くほど高鳴る
時々ぎゅっと痛くなる時もある

夢にだって何度も出てくるのだ
姑が家にいた時は舅がいきなりやってきて姑がドアを開けて入れてしまう
夢だった

いつも汗びっしょりに目が覚めたものだ
それは正夢となった。
姑は易々とドアを開け舅は夢と同じジャージを来て顔を赤くして
入ってきた

正夢となった事は私を益々恐怖へ陥れた
夢は夢じゃなかった
いつか不安は的中する。そんな確信さえ得た

姑が帰ってからは二人そろって家に来る夢にうなされる
姑が玄関の前に立ちその後ろに舅が立っていて何事もなかったように
家の中に入ってくるのだ
そして最初穏やかだった舅が豹変してあの歯のない血だらけの口で何かを喚き始めるのだ


私は混乱し「もう帰れ!」と怒鳴り目が覚めるのだ

そしてそれは現実となった
いつも気が緩んだ時にそれは起こるのだ

舅が来た時も全く無防備だった
あれ程緊張状態が続いていたのにふっと今日は大丈夫と気が抜けていた
玄関に鍵すら掛けていなかった

インターフォンに出て「あー。お義父さんだけど・・・。開けてくれ」と言われた時のあの目の前がくらくらする様な感覚今でもハッキリと覚えている

これは夢なのか?現実なのか?足元がガラガラと恐怖で崩れていくような
全ての感情が止まってしまうような感覚・・・

姑が来た時も夢と同じだった
全く無防備だった。いつものような午前中。娘とのんびりテレビを観ていた

「あー。お義母さんだけど・・」
杖をコツコツと床に置く音まで夢と同じだった
そーっとドア穴を覗くと後ろに大きな体の人が立っていた
夢同様舅と2人で来たのだ

血だらけの口をした舅が何かをわめきに来たのだ・・
恐怖が駆け上がりドアを開けてはいけないと心の中で誰かが叫んでいた

ドアノブを握り締め私は立ち尽くしていた
ドアの向こうで姑がコツコツと杖で地面を叩く
「あれ?開かないな」のんきにつぶやく声が聞こえる

娘が後ろで「誰?お母さん。誰が来たの?」と何度も何度も聞く
何でインターフォンに出ちゃったんだろう
いつもは誰が来たか確認してから出るのに今日に限って
どうして無防備にも出てしまったのだろう

自分を悔やんだ
このまま出なければ帰ってくれるだろうか
舅が大声で叫びだしたらどうしよう

頭が混乱して全ての思考が止まっていった
コツ。コツ。コツ。

秒針を刻むように姑の杖がいつまでもなり続いていた

私はドアを開けてしまった・・
姑の後ろに立っていたのは舅ではなくて家政婦だった

体から力が抜けていくようだった
今まで心臓が止まっていたんじゃないかと言うくらい
物凄い鼓動が頭の中に響いた

目の前の姑は痩せた骸骨の顔の大きな目を見開いて
「入ってもいいかい?」と聞いた

私は易々と姑達を招き入れてしまった

今私は自分の事が恐ろしくて仕方ない
私はあの時の姑のように頭の中で「止めろ!開けるな」と何かが叫んでいたのに
自分の内なる声とは逆の行動を起こしてしまった

私は自分を娘を守ることが出来なかったのだ
もし後ろにいたのが家政婦ではなくて舅だったら私はどうしたのだろう

また2人を家に残し娘を連れて逃げ出していただろうか
錯乱した舅が何をするかも想像出来た筈なのに

私の恐怖心はドアを開ける方を選んだのだ・・・
その事に私は凄く混乱している
(つづく)





娘のお友達

2006-03-15 21:08:31 | 子供
ちょっと前から悩んでいることがある

娘には2人のお友達がいる
1人が女の子で1歳年下。もう1人が男の子で同じ年齢

この年下の女の子がとってもきかん坊チャンなのだ
一緒に遊ぶたびに娘をとにかくよく叩く。突き飛ばす。

娘もおちおち遊んでいられない
2、3時間経つ頃にはエスカレートしてガードしている私をよじ登ってでも
叩いてくる

物でゴツーンと叩いたかと思えば顔のど真ん中へバッチーンとビンタが入る

娘も女の子の前を通る時には顔を抑えて守っている
終いには私の膝の上から降りようともしなくなる
そしてその膝の上の娘めがけてもうダッシュで走ってきて叩く

その子のお母さんはこの事をとても悩んでいて「ごめんね。ごめんね」を繰り返し
だんだん体が小さくなっていくのが分かる

引っ越してきてそれ程日が経っていなくて友達といえば私達くらいなのだ
「もう遊ばないって言わないでね」と言われるととても可哀想になってしまう。

もう1人の友達といろいろ作戦を立ててやってみているがいまいち上手くいかない

1歳下なのでまだ二歳とちょっとと言うところで自我の芽生えとともに
叩く事で自己表現する事を身につけてしまったようだ

お母さんはとにかく叱る
「駄目でしょ!」と時にはおもっきり女の子の手を叩く
女の子も「いやーー!」と奇声を上げて娘のところへ走ってきて叩く

もう本人も止まらないという感じだ

こんな時私はつい相手の立場に立ちすぎてしまう
娘が痛さで「ぎゃーぎゃー」泣いていてもお友達に「大丈夫よ。わっはっは」と
笑って誤魔化してしまう

娘は気持ちの切り替えが早いほうで「よしよし。」と撫でて抱きしめてやると
「もう。大丈夫」と言って元気に戻っていく

でも後半はもう泣きっ放しでその子が近づいただけでも私の所へ逃げてくる

それでも私はもう遊ばないとはその親子に言えなかった
「また来週ね」と言って別れた

ある日「明日は○○君が遊びに来るからね」と言うと
娘は「○○チャンは風邪引いて熱でて遊びに来れないんだ」と言った

「○○ちゃんともう遊べなくなっちゃったの?」と聞くと
それには答えず「○○ちゃんはお熱で来れないって」と繰り返す

遊ばないとは自分の中で言えないのだろう
だから病気でこれなくなればいいと思っているのだと思った

もう1人の男の子のお母さんと話している時に
「ちっこさんがいいよいいよって笑ってあげるから○○ちゃんもあーちゃんなら叩いても怒られないと思ってるのかもよ。笑いすぎだよ。私なんてあーちゃん可哀想で涙でそうになるよ」と言われた

その言葉にはぐっさりきた。
私はお友達の申し訳ないという気持ちに同調してしまった

こんな事良くあること何でもないさと平気な振りをしてしまった
その事でそのお友達との力関係をコントロールしようとしていたのかもしれない

私はまた自分中心になってしまっていた
娘は本当によく我慢していた
叩かれても叩かれても「もう!ぺっちん駄目でしょ」と言うだけで
やり返すこともない

「一緒に遊ぼうって誘ってあげて」と声をかければ
「○○ちゃんぺっちんしないで一緒に遊ぼう」と恐る恐る近づいていく

そんな姿を誇らしく思っていたのだ
娘がもう嫌だと信号を出しているのにも気がつかなかった

その友達の一言で目が覚めた

そのお友達だって謝ってばかりでは肩身が狭くて生きた心地もしなかっただろう
私が自己満足の為に誘っていたに過ぎなかった

もし遊びたければあちらのお母さんから声が掛かった時に気持ちよく
遊びに行けばよかったのだ

娘には可哀想な事をしてしまった
私が何とかできると思い込んでしまったんだなと反省した

しばらく誘うのは止めにしよう
だって遊ぶのは娘なんだから・・・

そのお友達がもう少し大きくなって自分の言葉で自己表現できるように
なるまで見守ろうと思った

迷い

2006-03-13 17:56:13 | 
ここ数日、家政婦の事が頭の中から離れなかった

最初は凄い共依存症の人が舅にとりついたんだと思った
でも考えるとおかしな事ばかりだ

最初に舅にドロボウ扱いされて交番に届けられて調べられたりしたら
普通は、怒ってもう拘ったりしないはずだ
それなのにまた呼ばれもしないのに見に行っては世話を焼く

そして施設に入れたいから権利書をよこせという。

挙句は生活費がないからお金を貸してあげなさいと義理両親達に代わって
要求してくる
そして最後は必ず「家の権利書を全て任せてあげなさい」という

「アル症の舅に権利書を渡したらどんな事になるかわからない」と断ると
じゃあお金をあげなさいと言う

ただの共依存症者じゃないかもしれない
疑問が沸いてきた

実母に言うと「裏のお婆ちゃんが家政婦に財産全部持っていかれたんだよ。
あんた危ないよ。それおかしいって」と言った

やっぱり?
どうかんがえてもおかしい。
お金に困っているなら家政婦の給料だって払えないはずなのだ
それなのに通ってくるのはやっぱり変だ

警察に届けるべきかどうか悩んだ
義理両親達が信頼しているのなら余計なお世話だし
また拘って巻き込まれるのは嫌だ。

でも犯罪に巻き込まれているのなら放っておいていいのだろうか

もう。これからはうちに来てもカメラ付きのインターフォンを付けて
居留守を使おうと夫とは話し合った

でもあの家政婦をそのまま放置していて良いのだろうか?

勇気を出して警察に相談してみた
でも警察では義理両親達に判断能力があるようなので
本人達の希望で家政婦と契約している以上警察は介入できないと言われた

そうかもしれない。
アル症の舅も金にだらしがない
家政婦が盗んだものなのか、舅が使った物なのか判断がつかない

どっちもおかしいから私にもどこへ相談して良いのかわからない

それにあの姑の変わりようが気になった
まるで何日もお風呂に入っていないほど髪の毛は汚れ
顔にべたべたと張り付いていた

お風呂はデイサービスで入れてもらえる事になっていた
やせ細り表情も乏しく、どの程度判断能力が残っているのかも見分ける事ができなかった

1度姑のケアマネージャーに相談した方がいいのかもしれない。

ケアマネージャーさんと話をするのは舅が姑を連れて行って以来だ。(共依存症に書いてある)

あの次の日匿っていた姑がもう此処へは戻って来ないといわれ、自分の無力感に
打ちひしがれケアマネージャさんに
「姑はもう此処には居たくないと言いました。だから来週から
デイサービスはあちらの家に迎えに行ってください」と泣きながら連絡した

ケアマネージャーさんはとても親身に相談に載ってくれていた
舅のアル症を治療するためにいろいろな方法を教えてくれた

姑のケアマネージャーの仕事以上に舅を心配し力になろうとしてくれていた
でも私達はその希望に添えなかった。
あれ程迷惑をかけたのに結局振り出しに戻ってしまった事を後ろめたく
申し訳なく思っていた

電話をすると「おー。どうも。どうも」と明るく対応してくれた
そして自分も月1で様子を見に行っている事
家政婦の事も知っていると言った

姑は変わりなくお風呂にも入って帰っている。
特に痴呆などは始まっていないとの事だった

ただ舅との生活はやはり劣悪を極めている
なぜその家に帰っていったのかは判断能力の低下からかもしれない等色々話せた
そしてこれからの対応も相談することができた

前の私はただただケアマネージャさんの意見に頷くしかなかった

時に声を詰まらせ、自分がいかに困っているかを訴えることしかできなかった
でも今回私はケアマネさんの話をよく聞き、頭をフル回転させてどうすればいいかを相談できた自分に驚いた


私が家政婦の行動に混乱して母に話すと
「とにかく何とかしなければ後でとんでもない事になるよ。」と脅され
どうしようと途方に暮れた声で
「困ったな・・・」とつぶやいた

私は何か行動を起こすことでまた舅達に巻き込まれるのが恐かった
だからできれば拘らずこのまま放置したいと思っていた
それを母は見透かしたようにこう言った

「あんたは、今まで1人で問題に向かって生きてきたじゃないか。
あんたならできる。よく考えて解決できる方法を見つけられる筈だ。

あんたはいつだって1人でやって来たじゃないか。
大丈夫。あんたならできる」
そう言った

ビックリした。
母が私が1人で生きてきたと言ったのだ
その私を認めてくれたのだ

誰にも頼ることが出来ず1人で苦しみのたうちまわった私を知っていたのだ

母が私に関心を向ける事など1度もないと思っていた
私に対して励ます等1度もなかった

唯一姑を介護している時だけ
「まあ。私ほど大変じゃないけれど、介護は辛いもんだ頑張りなさい」位だった

その母が私の今までを認めてくれた
こんな事で喜ぶ私もやっぱり単純でまだまだなのかもしれない

でも素直に嬉しい。
もう悲劇の嫁は演じない。
もう迷いもない。

母の押してくれた背中の手を感じながら、またこの難問にも向かって行きたいと思っている





私がおかしいのか?

2006-03-09 16:59:01 | アルコール依存症
本当に次々といろんな事が起こる物だと感心してしまった
今、私は三輪明宏さんの本を読んでいて
その中に人は生まれて来るときに天国で自分の守護霊達と相談して
人生の設計図を作るのだという

その設計図に沿って人生を送る
だから今苦しいのは自分で決めた人生なんだと思いなさい
そしてそれは設計図だから変えることも可能なんだそうだ

もし私がこの人生を決めたのだとしたら
私はいったい何を学びたかったのだろう

昨日いきなり姑と家政婦がやってきた
姑の変わりように私はしばらく動けなかった

姑はおしゃれな人だった
それがいつ風呂に入ったかも分からないほど汚れ
髪の毛は伸び放題になりべたべたと顔に張り付いていた

家政婦が言うには舅がお金を使いすぎて食べるためのお金すらなくなった

今日は朝から飲み始め、また年金を担保に金を借りると騒いだらしい
姑がそれだけは駄目だと言うと、今すぐ息子の所へ行って金を貰って来いと
怒鳴り散らして暴れているという

家政婦は「私の名義で借りろとも言われ困ってしまって、それでこちらに来たんです」と言った
「ね。そうですよね。お義母さん。」と姑に話しかけた

姑はいつもの私は関係ないと言わんばかりに
「さあ。私はなんの事かわからないよ」ととぼけた

前に来た時のように家政婦は散々どんなに今の状況が大変かを
声を大きくして喋った

「お金がないといいますが、年金貰ってる筈ですよね」
「でもそれを担保に物を買ってしまって2年位ローンで引かれちゃうんですよ」

「それは本人が悪いからですよね。私たちには関係ないです。
家のローンを私達は負担するだけで精一杯です」

「家の権利書渡してお舅さんに好きなようにやらせたらどうですか」

「私達はかまいませんけど、そうなると今ですら別のローンで困ってるのに
ますますお金に困るんじゃないんですか?」

「うんと困らせないとあの舅は分からないかも知れませんよ」

私がおかしいのだろうか?
家の権利書を渡してローンが残ったまま売ったとして
ただでさえお金の管理の出来ない舅がそのお金をローンの返済に充てるとは思えない

新たな借金を作り出すような気がする
それは本人の問題なんだからもう知らない振りをすればいいと家政婦はいう

確かに本人の財産なんだから放っておけばいいのかもしれない
でも新たに借金が膨らんで家も抵当に取られ路頭に迷ったら
結局私達に跳ね返って来るんじゃないだろうか

世間は甘くない
何かあれば絶対家族の所へ来るだろう

それこそ夜逃げでもして姿を隠すより親と縁を切る事はできない

家政婦は私に「結局、あなただっていずれこの家が自分たちの物に
なるから手放せないんでしょ」と言う

「そんな事分かりませんよ。あの舅がもしまた何かやって大借金でもしたら
こんな家あっというまに取られちゃうでしょう。」
「じゃあ名義を変えたらどうですか?」

「名義を変えるには舅と話し合ったりしないと駄目でしょう。勝手には出来ないんですから」

「話し合いをなさったらどうですか?私立ち会って進めてあげますよ」

「ハア?話し合いなんてアルコール依存症の舅とできるわけないじゃないですか
話し合える相手ならこんな事になってませんよ」

「そんな事より今生活できないほどお金に困っているほうが問題なんじゃないんですか?」

「そうですねー。ひと月暮らす分だけでも貰えれば大人しくなるでしょう。
ねえ。お義母さん。20万もあればいいですよね」

「そんなお金うちだってありませんよ。お婆ちゃんがうちを出るときに持たせたお金はどうしたんですか?」

「さあ。それが分からないんだよね」何でもかんでも分からない
それしか言わない

姑の生活が困って来た筈なのに家政婦がまるで家族のように次々と説明する

この家政婦と話していると本当に生気の全てを吸い尽くされるようだ

頭がずきずきと病んで気持ち悪くて吐きそうだった

結局家にあるお金を渡して帰ってもらった
「うちから貰ったと舅に言わないでください。言えばまた貰えると思われると迷惑ですから」と渡した

姑は「ありがとう」でもなければ「すまないね」でもなかった
あくまで自分は関係ない。というスタンスを貫いた

傍から見ると痴呆が始まっているように見えるのかもしれない
でも私はそうじゃないと思っている

あれが姑の防御方法なのだ
自分は何も分からない振りをすれば許されてきたからだ

疲れた。本当に疲れた
家政婦との会話は私を混乱させる

結局舅は何一つ困らず酒を飲みながら金を手にすることが出来たわけだ
共依存症の家政婦と姑に守られて
その場限りの解決が出来ればそれでいいと思っているのだ

体の悪い姑が杖をつきボロボロのカッコをして私の前に現れればドアを開け
お金を渡すと計算しつくしているのだ
飢え死にするならすれば良いと追い返せばよかった
姑は「お金に困ってます。貸してください」とは言わなかったのだから・・・

自分の共依存症を利用されたことが悔しい

夫は帰ってきて物凄く怒った
すぐ家政婦に電話して「2度と来るな」と言った

夫は「本当に引っ越すか?」と聞いた
引っ越すと・・・・さっきと同じ疑問が頭の中をグルグル廻る

私は此処を守ろうとする事は間違っているのだろうか
もう分からなくなった