トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

節目

2015-03-21 22:06:12 | 
『ひとつ、節目ですね』
そう同じフロアーの女性に声をかけられた。

あーちゃんが小学校を卒業した。

お兄ちゃんとあーちゃんは7歳違い。
お兄ちゃんの小学校生活が終わった途端、あーちゃんの小学校生活が始まって、12年間この小学校のお世話になった。

これでもうこの小学校の中に入る事はないだろう。
6年間あっという間だった。

お兄ちゃんがあーちゃんの卒業式にでると言った。

「え?平日だよ。仕事あるでしょ」
「もう休みもらってある」

出席すると思っていなかった。
「普通出るでしょ」と当然の事のように言った。

出なくて良いと言うのも変だし、「じゃあ。お兄ちゃんはカメラマンね」

あーちゃんの担任の先生は、まだ若く、あーちゃんのクラスが初めての担任なのだと言った。
若いけれど、熱心で、参観日に行くと今まで出会ったどの先生よりも授業の工夫がされていた。

6年の後半になると、子供たちも思春期の入り口真っ最中で、子供たちをまとめるのに本当に
苦労していた。

卒業式の時のみんなの合唱で、壇上で指揮をした先生は、途中から涙、涙で子供たちも男子も、女子も
涙でくちゃくちゃになっていた。
良いクラスに恵まれていたんだなって思ったら嬉しかった。

あーちゃんが入学した時に、放課後預かってもらうために児童会館へ通っていた。
その時、児童会館で指導員の人が、放課後の時間を有効にするために、ダンスクラブを作った。

あーちゃんはすぐに「やりたい!」と言いだし、最初は30人いた部員も100人に増え、その中で6年まで続けたのはあーちゃんとあーちゃんの友達2人だけだった。

あーちゃんは1年の時から6年間続け、結成から、ずっと成長を見てきた指導員の方が、卒業式の日に
「可愛い一年生から、6年になった最後はクラブで悩み折れそうになる私を励ましたり、慰めたり私を支えてくれました。この成長を見届ける事ができて、本当に感無量です。」そう言って涙を流して玄関まで見送ってくれた。

「あーちゃん、良い先生に出会えて、良いお友達に出会えて、本当に良かったね。卒業出来て本当に良かったね」



私は卒業式が終わっても、まだあーちゃんが中学生になるんだという実感がわかない。

お兄ちゃんが「まさか、俺が背広を着てあーちゃんの卒業式に出られるなんて、見送られる側から、見送る側になるなんて思いもしなかった」と言ったけど

私だってこんな日が来るなんて思わなかったよ。

お兄ちゃんが支援施設で働き出して1年。
気づけば今年20歳の成人になるんだよね。

私もついこの間50歳になった。

父が突然歩けなくなった。
座っていても椅子から落ち、立てば転び、座れば転ぶようになった。

一日中、椅子に座り続けている生活が、筋肉を萎縮させてしまったようだ。
お風呂に入る事もできなくなり、ついにデイサービスにお世話になることになった。

家から出る事も、他人とかかわる事も嫌う父が、毎週デイサービスに通っている。

私と父とは大きな大きな溝があって、今も全く埋まらない状況だけど。
今まで抱えてきた父への気持ちも、老いて、ボケて、何も出来なくなってしまった姿を見て、
もう何も感じなくなってしまった。

色んな意味で今年は本当に節目の年なんだなって思う。

それでも、あーちゃんを一人立ちさせるまでまだ時間がかかる。
高校受験やその後の進路だって、まだ先の事。

お兄ちゃんの今後の生活もまだ目途がついていない。

節目と言っても、次の節目への始まりにしか過ぎないんだなって思う。

まだまだ道の途中なのだ。

気を引き締めて、改めて出発だね。

がんばるぞ!