トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

1番嫌な事

2009-02-21 08:56:27 | 
何が1番嫌かっていったら、自分があんな男と結婚したという事実。
なんであんな人間を夫として選んでしまったのかって思うとき。

養育費がまた4ヶ月も滞っている。
『来月入れます。迷惑かけてすみません。今月の面会の予定をお願いします』と
言って面会の約束をさせて、面会が終わっても結局養育費はいれず。

『入れるから。返すから。本当にごめんね。』とその場限りの言葉に
翻弄されてお金を渡しては戻ってこない日々に諦めた結婚生活と
同じ構図を離婚してもまだ繰り返している事に気づかされる。

『なんで、あんな男と結婚していたんだろう。』と自分に自己嫌悪が襲ってくる。

こうして、養育費が滞っても、要求して入れられるお金は年老いた元姑達の
年金からくすねられた物だと思うと喜んで受け取る気にもなれず要求する気にもなれない。

働かない事を世の中や義理父のせいにして逃げ、
『本当にごめんなさい。迷惑かけてすみません。あなたも体に気をつけて頑張ってください』
と平気でわけの分からないメールを送りつけ、娘が小学校へ入学するって言うのに
何一つ言ってくるわけでもない。

息子の中学の入学の時には全くの音信不通状態。
入学式もすんだ1ヵ月後にこっそり待ち伏せして『制服、カッコいいね』と言っただけ。

離婚する時の『子供の進学、入学時には双方相談にて金額を分担する』なんて約束はまったく果たされず。

ムカムカと腹がたって、いつもぶち当たる感情は
『なんで、あんな男を選んだんだ』って気持ち。

付き合い出して、1年を過ぎた頃から、私は元夫と別れたいと思い続けていた。
でも、なぜか別れることができなかった。
惰性のように付き合っていた。
『明日、別れよう』『今度で別れよう』何度もそう思っていた。
この男と結婚したらきっと大変な事になるとどこかでわかっていた。

でも、私自身の打算があった。
周りへの見栄。子供の頃からの『お母さんになりたい』という夢の実現への焦り。
職場の人間関係に行詰っていて、逃げ出したいという感情もあった。

そんな時に、出会った元夫。
元夫の両親は、幼くして亡くした、生きていれば同じ年齢の娘を私に重ね、『娘が連れてきてくれたんだ』と私のことをもの凄く喜んでくれた。

小さい頃から両親に無関心に育てられ続けた私は、必要とされている事を
初めて実感し、こここそが私の居場所と思い込んだ。

好きでもないのに、打算で結婚した。
全ては自分の強欲の為だった。
だから、この結果は自業自得なのだ。

そう思い知らされる時。
自分が大嫌いになり、この状況もあまんじて受けるべき罰なのだと
思えてくる。

1番、嫌な事は元夫との関係を向き会うと
自分の嫌な部分が全て圧し掛かってくる事。

そして、そんな不毛な感情をゴミ箱に捨てては
拾い出し、持て余し、こね回して自分を汚し続けている事






がっかりした事

2009-02-11 19:28:15 | 
昨年末、新しい課長が転勤してきた。

無口な人が第一印象だった。

前の課長さん同様、私と組んで仕事をする事になっていた。
が、あまり私の仕事に興味がなさそうだった。

私が出した週の予定表もチェックされている様子もなく
私が出す書類も詳しく見てもらえていないのか、
出してからお客さんから指摘されて『あー。見逃してたね。すみませんね』と
簡単に言う。

大事になるようなチェックミスではなかったけれど
間違ってはいけないというプレッシャーが以前よりも大きくなった。

先日、娘が小学校でお世話になる児童クラブの申し込みで
勤務証明書が必要になり、課長さんにお願いした。

私の書類を見て『?』という感じだったので
『娘の保育園の時は部長さんに判をお願いしました。

『部長の判で良いの?』と聞くので
『その時は押してもらったし、ここにも上司の判と書いてあるので大丈夫だと思います。』とお願いした。


申し込み期限まであまり日にちがなく、出来れば1日入学までに書類が欲しかった。

でも放置されている様子。。。。
1日入学で休みを貰う前日に『明日、1日入学で休みます』と言うと
『あ!』と短く呟いた。

それから数分後に『ハイこれ』と書類を渡された。
良かったと思い
『ありがとうございます。』と書類をみてギョッとした。

書類にはシャチハタの判子が押してあった。

大きな社名判に小さな部長名のシャチハタ。
そのアンバランスさがとても奇妙だった。

『あの。。。これで良いんですか?』と聞くと
『だって、部長のはんこでしょ。』と何の問題もないように言った。

『はぁ。。。。』困惑気味に返事をすると
『だって、部長名の判って言ったよね』とイライラしたように言う。

これは。。部長が押したんだろうか?
もしかして自分で押してきたんだろうか?

頭の中を疑問がグルグル廻ったけど、シャチハタではダメとは
書いてないし、この書類を出すのは初めてだから不備があるのかないのかも
分からない。

だから『これじゃあ、困ります』とつき返すことも出来ず
まして、部長さんが押したものだったらケチをつける勇気もない。

『一応、これで持っていって聞いてみます。』と言って持ち帰った。

ロッカーで他のパートさんに聞いたら
『役所に提出する書類なのにシャチハタはないんじゃないの?朱肉の自分の判持ってるはずだけどね。』と不思議そうに言った。

仕方なく児童クラブに持っていって見せると
ちょっと間があって『でも、ご本人の印ですね』と確認され
『確かに間違いなく本人のシャチハタです』と答えた。

結局受け取って貰えたけれど。。。

しかし。。
あのりっぱな社名判の横の小さなシャチハタは情けなかったな。



このイライラはどこから来るのか

2009-02-06 21:40:15 | 
すごーく疲れてる。

母はメニエール病だった。
ストレスが1番関係する病らしい。

母のストレスは『父』
店を閉めてからずっと家にいる父。
趣味も友達もいない。
テレビも見ない。

ずっと居間の真ん中に座ってひたすら肩と首を揺らして
体操している。

肩を揺らすたびに口が開いたり閉じたりして歯がそのたびに『カツカツ』と音を立てる。

弟は長い間の精神安定剤の副作用だって言うけれど
毎日側で『カツカツ、ぺちゃぺちゃ』と音がするのはたまに帰る
私でもイライラする。

そして1日座ってる。
母が腰を痛めるほど雪かきをしても、全く動かない。
母が台所に立つ姿をジッと見つめ、かかってくる電話にじっと
聞き耳を立てる。

母に話しかける言葉は
『便秘が酷い。シミが濃くなった。具合が悪い。』
自分の体の心配ばかり。

母は父のご飯を大急ぎで作り、自分はどんぶりにごはんと梅干を乗せて
二階に閉じこもって食べていた。

一日部屋に篭ってテレビやゲームをし続ける時もあれば、
天気がどんなに悪くてもバスに乗って買い物に出かけ
おばの家に遊びに行き時間をつぶす時もあった。

家に帰りたくない。
でも父に懐かない老猫を家に置いていけない。
父は目を離すと母の可愛がっている猫を蹴ったりするからだ。

『煩わしい』母はベットで何度も言った。
『あのぺちゃぺちゃ、カツカツを聞いていると頭が痛くなる』
『でも、猫が心配だ。帰りたい。』

姉と話し合った。
父に居間から出て行ってもらおう。
父の寝ている部屋を模様替えして、居心地良くしたら部屋で過ごして
くれて、母も居間に降りてゆっくり食事もできるんじゃないだろうか。

しかし、父にどう話を切り出そうかと悩む。
都合の悪い事は『俺には分からない』と必ず言う。

『俺には分からない。』
何が分からないのだろう。

自分が責められるような事をいわれると必ず『わからない』と言う。
「母さんの病気は肩こりから来てるんだ。昔はずっと肩をもんでやったんだ。
今は俺も具合が悪くなって、ほら見てみろ、こんなに大きなシミができたんだ。
俺も具合が悪いからなぁ、肩をもんでやれたら治るんだ』

『そうじゃなくて、ずっと父が居間に座ってばかりだから母が落ち着かないんだって』

『俺には分からない。俺がずっと肩をもんでやってた時は調子が良かったんだ』

『何言ってんの?肩もまれるのが1番嫌だって言ってたよ。まだ働け。もっと働けって言われているように感じるって』

『俺には、分からない』


・・・・・・・・

元夫もよく『俺には分かんねーから』って言ってた。
分からないって言われると共依存の私は分からせようと頑張っちゃうって知っているから。

分からないって言っている限り離れていかないって知ってたんだよね。

『何がわかんないの?分かりたくないだけでしょ。分かったって言ったら相手は
もうかまってくれないもんね』

あの頃の元夫のやり取りと重なってイライラする。

父も『分かった』と言ったら見捨てられると思っているのだろうか。。。。