トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

最後の晩餐

2007-03-29 21:04:33 | 元夫婦
「ハアー」っと大きく息を吐いた夫は離婚届にサインをした

ムッとしたまま書いて私に印を押すように黙って紙を渡した
私も黙ったまま夫の印を押した

「もうこれで此処にいる理由がなくなったな。今日、荷物を運んであっちで
完全に寝泊りするから」私を睨みつけて恨めしそうに言った

子供達にも「お父さんは今日行く事にしたから」ちょっと上ずった声で言った

耳まで赤くなった顔は今にも爆発しそうな感じだった
そんな夫を見ても私の心は揺れなかった

夫の前に正座して
「不本意な気持ちでいっぱいだと思います。いらだつ気持ちややり場のない気持ちを必死に立て直してこうして静かに終えられた事を本当に感謝しています
お父さんが幸せになってくれる事を心から祈っています」と頭を下げた

夫の目は真っ赤に濡れて夫も正座をして「お世話になりました。子供達を宜しく」と言った

赤くなった顔がスッと白くなり。。。
「荷物を運んだらみんなで外食をしよう」そう言った

今日はお寿司を食べに行くよと子供達に言うと飛び上がらんばかりに喜んだ

いつものおすし屋さんでいつもの席に座って食べた

普通に話して笑ってなにひとつ変わらない風景
どこか冷めている自分を感じながらも子供達の笑顔を見ながら食べた

家の前で車から降りた。
お兄ちゃんが「バイバイ。またね」と言った
車を見送ると
娘が慌てて「なんで?お父さんは?どうしたの?」と聞いた

混乱しているようだった
「あーちゃん。お父さんはお仕事のお部屋に帰って行ったんだよ。」
「なんで?なんで?」

「お父さんはお仕事のお部屋で暮らすんだよ。だからあーちゃんはお父さんのお部屋にあーちゃんの好きなおもちゃを飾るんだよ。お父さんのお部屋もあーちゃんのお部屋なんだよ」

「あーちゃんのおもちゃを置くの?」
「そうだよ。お父さんのお部屋に置くおもちゃを買ってもらうんだよ」

「やったー!わかった!」

3人で帰ってきた家にはもう夫の臭いも残っていなかった

あーちゃんが「お父さんと電話繋がってる?」
「うん。いつでもお話できるよ」

大きな穴が開いたような気持ちになる
何かが欠けてしまった様な気持ち

でも夫が目の前にいてもやっぱり穴は開いたままだった
夫では埋まらない穴が開いたのだと思った

これから子供達と埋めていく穴。
新しいパズルのピースをこれからはめていくんだと思った。

今日も聞いてくれてありがとう




願い

2007-03-27 17:05:20 | 元夫婦
もうすぐ離婚が成立します。

新しい一歩の始まりです

お兄ちゃんも「もう、メソメソしていられないな」と言い
娘もあっちの家に帰っていく夫に「ばいばい。またね」と手を振るようになった

離婚届の保証人になってもらうために実家に帰った
父も「片親にしてしまうのは残念だが、ちっこが決めたなら仕方がないな」と納得してくれた

夫には離婚届に署名、捺印を早めに頼んだけれど
30日に荷物を運び終わった後で書くからと言われた
それが夫のケジメのつけ方なのだろう

夫は揺れる船のように気分の浮き沈みが激しい
私もその揺れの波を被らないようにするのに必死。

夫の揺れに合わせてはいけない
夫がどんなに揺れても私は私のペースを守らなくては
私が同じ気分でい続けると夫も落ち着いてくる事が分かった

ただ静かに波にあわせてユラユラとでも確実にそれぞれの港に向かって
船を漕いでいる感じです

母になぜ離婚することになったかを手紙にして夫に渡したほうが良いと言われた
夫が問題を摩り替えてしまうからだそうだ

なぜ?離婚することになったのか
何度も手紙に書いてみたけれどうまく纏まらない

なぜか?
夫は離婚話が出てから一度も私に「なぜ?」と聞かない
母の言うように聞きたくないのか、認めたくないのか、問題を摩り替えたいのか
それは私には分からない

私は「なぜか」の答えを夫自身が己を見つめて気がついて欲しいのだ。

私は夫が恐かった。

そう、夫が恐かったのだ。
優しい夫。
子供のような夫。

殴れた事はない
怒鳴られた事はあるけれど時間が経つとすぐに謝ってくれた

私が何か言うと無言になって部屋に閉じこもってご飯を食べなくなってしまう夫
悲しげな目が私をいつも私を追い詰めた

早く気分を治さなくちゃ。
早く何もなかったように生活をしなくちゃ
そうしなければ夫は自殺してしまうかもしれない
恐い。生活を壊されてしまうかもしれない

夫は何もしなかった
ただご飯を食べずに布団にもぐっていただけ
許してしまったのは私
でも私は夫が恐かった
夫の行動が恐かった。

なぜか。。。。
答えはたったひとつ
「あなたが恐かったから」

願いはひとつ
「あなたの一歩をあなたの足で歩いていって欲しい。」

私達の一歩はきっと幸せの一歩。
手紙は渡せそうもない。

私の一歩一歩が言葉と重なって夫に伝わって欲しいと願っている

今日も聞いてくれてありがとう

仕事決まりました!
四月から出社します。






家族ごっこ

2007-03-21 11:56:11 | 元夫婦
治ったはずの風邪がぶり返してしまい寝込んでました
娘は治ったけれど今度は息子に移ってしまいました

夫は昨日から鍵の引渡しが終わり、新しい部屋の荷物選びに走り回っています
同時に「もう家族ごっこは終わり、もう俺のご飯は作らなくて良いから」と言い
あまり家に帰ってこなくなりました

と言って特に関係が険悪になったわけでもなく
夫の家電選びや持ち出す家具の話し合いも普通にしています

夫と離婚協議書を作り現金のみ折半し夫に退職金の半分を渡しました

夫は社会に出ると同時に借金生活を送っていたので
けっこう纏まったお金を自分で持つのは初めてなのかもしれません

ある意味夫の病気の元の「財布に好きなようにお金を入れたい」いう生活を手に入れる事が出来た事が夫の精神安定に繋がっているのでしょうか

そのお金を有効に使えるかどうかは夫次第でしょう
夫自身は「俺の魔物は去った」んだそうです

私も夫から意味不明の金銭の要求をされなくなった事と
夫が昼間仕事に奔走しているのか、別な事に動いているのか全く気にならなくなって気分的には随分楽になった気がします

同時に突然「もう家族はなくなってしまうんだ」という焦燥感にも襲われて
涙が止まらなくなる事もあります

そんな時「やっぱりやり直せないのか」と自問自答を繰り返し
どんなに考えても「やっぱり駄目なんだな」と納得せざる終えない壁にぶつかって
しまう。

私達の離婚の原因は本当は何だったのだろう
と思うことがある

大きな問題は借金だったけれど本当はもっと別な事が問題だったんだと気がついた

私は夫に3度性病をうつされている
最初は結婚してすぐだった
今まで避妊していたのを止めた途端激しい膀胱炎に襲われるようになった

膀胱炎はなかなか良くならず病院に通っても一時的にしか治らない
いつも残尿感があってトイレから離れられない生活が続いた

泌尿器科で検査したけれど特に問題も見つからず
慢性化したのだと思い一生この不快感と暮らさなければならないのかと落ち込んでいた

この膀胱炎には5年間も苦しんだ
原因が分かったのは息子を妊娠した時だった
クラミジアに感染した尿道炎だった

妊娠中に薬を貰って飲むと5年間も苦しんでいたのが嘘のように治った
夫も同時に飲んだ。夫自身はたまに残尿感がある位で特に症状はなかったと言った
その時はどうして自分がクラミジアに感染したかは妊娠の陰に隠れてうやむやになってしまった

その後毛じらみに感染した
夫は私が症状に気がついて病院に行くまで自分の症状がある事を隠していたのだ

夫は女性が産婦人科で性病をうつされた事を告げることがどれほど屈辱かをまるで
分かっていなかった
ただ「私にばれたら困る」それだけなのだ

じゃあ性交などしなければ良いのに夫は
「お前が子供が欲しいと言って俺を責めたから仕方なく」といい訳をしたのだった

そして最後に「もう子供は出来ないかも」と言われるほどひどい淋病をうつされた
その時も夫は自分にも症状があったのに病院にも行かず私にうつしたのだ

娘を産んでから私は夫との性交が出来なくなった
夫から求められる事に恐怖を感じるようになった

寝室は別になっても夫は何も言わなかった
夫婦であって夫婦としての形はとっくに壊れてしまっていた

夫は離婚が決まってから「普通に」と言う言葉を家族ごっこと言ったのだろう

でも本当はもうずっと前から我が家は「家族ごっこ」だったんだと思った

今日も聞いてくれてありがとう







仕切りなおし

2007-03-16 16:18:29 | 
二次面接でオオボケをしてしまった私。。。。
みごとに落ちた

なんであんな事言っちゃったんだろうと悔やんでも悔やみきれない

まだ面接を受けて3回目。
でも一次ではあんなに上手くスラスラ応えられたのに
二次では見事に墓穴を掘った。

そして39℃の高熱。
せっかく抽選で受かったパソコン教室を休みたくなくて無理したら
遂に目が廻って倒れた

娘を保育園にも送れず娘と共に家で休んだ
体がガチガチと振るえ目が開かなかった
眠くて、何時間も寝ていた

途中目が覚めると枕の周りに沢山のゴミが並んでいた
ゴミだと思ったらあーちゃんがせっせと本の切抜きを枕に並べていた
「何してるの?」
「元気になるお薬並べてるの。はい。これプリキュア!ここに挟んで、お熱下がるから」

そういうと布団の中にも沢山の切抜きを入れて部屋を出て行った

おにぎりを作っておいたのも自分で食べたらしく
おトイレも電気がつかないのに真っ暗な中でしたらしい。

私を起こす事は一度もなかった
自分がどれだけ無理していたかを実感した

夫も心配してあれこれ聞くが頼るわけにはいかないと思い「大丈夫」と返事していた
母子家庭になったら自分だけでなんとかしなくちゃいけないんだからと
片意地張って頑張って結局娘のトイレの電気もつけてやれない

情けなかった

今、頼れるのだから頼ろう。割り切ったらすっきりした
お弁当を買ってきてもらい、息子にはあーちゃんのお風呂を頼んだ

ひたすら寝た。
夜中に何度も汗をかいて着替えた
朝になったら熱は下がっていた

その後もひどい下痢と大量の鼻血が出たりと体が悲鳴をあげ続け
それでも講習も1日休んだだけで通い続けられ無事終了した

姑の服と靴を探しに街に出たけれど、講習が終わった安堵感と
病み上がりで体がだるくて喫茶店で休んだら急に泣きたくなった

どうして面接で失敗してしまったのだろう
どうしてこんな事になってしまったのだろう

離婚をしようとしている自分は正しいのか?
エゴなのか?
無謀なのか?

じゃあ、後戻りするか?
答えは「NO」これだけははっきりとしていた

進むしかない。
どんなに困難でも進むしかないのだ。

つらつらと考え事をしていたら友達からメールが来た
「来週でも遊びにおいで」と言ってくれた
気が抜けて喫茶店の中なのに涙が出た。

私は何を急いでいたのだろう
誰の為のゴールなのだろう
仕事も早く決めたい為によく求人を見もしないで応募したり、
練習もそこそこで面接を受けて失敗したり

あれもこれも手をつけて家の中はぐちゃぐちゃ。
夜も頭はフル回転で寝ても寝た気がしない

ご飯もそこそこにしか食べず体重も4Kも減ってしまった

自分には自分のペースがあるんじゃないのか
まず、離婚の手続きを済ませ。子供の戸籍を移して落ち着いてから仕事を探しも良いんじゃないのか。

「仕切りなおしだ!」心の中で呟いた

家に着くと電話がなった。
なんと最初に落ちた会社からだった

「他の支店で人を探してまして、まだお仕事探してらしたら受けてみませんか」


やっぱり、良い事と悪い事が怒涛のように押し寄せる生活は終わらない。
でも私は私のペースで進んで行こうと思った

心配してくださったみなさん。
元気になりました

今日も聞いてくれてありがとう

2007-03-13 15:08:05 | 
やっと水疱瘡が治ったと思ったあーちゃんが高熱でダウン
熱が下がり始めた昨日から私の背中がゾクゾクと寒くて
朝、熱を測ったら38.1分。

何年ぶりの熱でしょうか
昨日から応募者多数で抽選で決める無料パソコン教室に
幸運にも受かり通っています

今朝も体の節々が痛かったけれど解熱剤を飲んでなんとか行ってきました
ワードとエクセルを教えてくれて、とても楽しいです

姑は昨日施設へ入りました
姑はどの服も汚れてしまって着る物もなく、
身ひとつで入ったそうです

叔母から電話で服や靴下などを届けて欲しいと言われた
そして舅を入院させた後はあの家を片付けるのを手伝って欲しいと言われ。。。

姑の服は講習が終わった後、買おうと思ったけれど、背中が寒くて歯が「ガチガチ」と合さらなくて今、倒れるわけには行かないので暫く姑にはパジャマで
我慢して貰おうと今日は買わずに帰ってきてしまった

就職活動もようやくひとつが一次面接を受かって今日は二次面接の結果待ち

良い事と悪い事とが怒涛のように押し寄せる
見えない綱を放さないようにしっかり掴んでいなくちゃ。

とにかく今は体を治そう。
風邪には皆さん気をつけて

今日も聞いてくれてありがとう

ひとりじゃなかった

2007-03-09 21:24:22 | 
ずっと誰にも言えないと思っていた

友達に言ったら、敬遠されてしまうに違いないと思っていた

家族に言ったなら「そんな男選ぶからさ。別れなさい」と言われてしまうだろう
過去の私には別れを選ぶ事は身を切られるような苦痛だった

誰にも言えない。
誰にも分かるはずが無い

これ以上誰にも傷つけられたくない
夫の事で自分の心はヘトヘトでもう他の誰にも触れられたくない

自分がこんな結婚生活を送っているなどと知られたくない
自分自身も認めたくない

だから誰にも言えなかった
孤独に身を沈めていれば傷つかずにすむと信じていた



母に話した。
母は「帰っておいで」と言った

友達に話した
友達は黙ってビールを用意してくれて一緒に泣いてくれた

姉に話した
「大変だったね。」と言った

新しい出会いもあった
市内広報でひとり親相談の記事を見て電話を掛けた
話し始めると止まらなくなって2時間近く話し続けた

相談員の方は優しくいつまでも話を聞いてくれた
必要な手続きから公正証書の作り方、養育費の決め方まで相談にのってくれた。
私を責める事は一言も言わず「よく、頑張ってこられましたね」と言った

そこでマザーズハローワークを教えてもらい訪ねた
そこの就業相談員の方も離婚経験者で就職活動がなかなか上手くいかない私に
「私に任せてくれたら3ヵ月で就職できるように手伝ってあげる。共に歩みましょう」と力強く励まされた

ひとつひとつの出会いが暖かく、なにかに導かれるように次々と背中を押されていく

私は一人などではなかった
「助けて」と声に出して手を伸ばした先に沢山の出会いと
握り返してくれた暖かい手があった

嬉しくて泣いた。
有難くて泣けた。

自分ひとりで立ってみせる等とどれほど傲慢であったかを知った
たった一歩。
わずか半歩先に私の道に沢山の人がいた事に私は全く気がついていなかったのだ

今、ようやく見えた

私は一人じゃなかった
今までも、そしてこれからも。。。。

いつも私の話を聞いてくれて本当にありがとう
みなさんとの出会いに心から感謝しています。

今日も聞いてくれてありがとう


悲惨

2007-03-06 18:50:34 | アルコール依存症
「悲惨だよ。人が住む家じゃない。何時火事になってもおかしくないよ」

夕方夫の叔父から舅の事で電話が来た

数日前も叔父から夫に電話があった
夫は「救急車でもなんでも呼べばいい」と返事をして切った

訝しそうに見る私に夫は「なんか、腹が痛いんだとよ。それに洗濯もしていなから、家が荒れ放題なんだって。もう俺に構うなって感じだよ
早く死ねば良いのに。ババアもジジイも早く逝ってくんないかな」といつまでもブツブツと言っていた

今日は夫がいなかったので私が出た
舅はまた骨折しているのに放っているらしい
そして酔っ払ってトイレにも行けず垂れ流しの状態なのだという

家の中を這って歩いて、姑は下着のみで生活をしていて、汚れたものは
山のように積まれ、汚れたものが乾いたら着ているらしい

臭いも凄くとても人が住む家とは言えない
今日は姑を病院へ連れて行き、舅も入院させる事にしたんだそうだ

ケアマネージャーの方が親身に相談にのってくれて
舅が入院している間は施設に入れるように手配をしてくれるのだと言う

前にケアマネの方にはお金は姑の通帳に積み立ててあるので
買い物、掃除など必要だと思われるケアをつけてあげてくださいとお願いしてあった

きっと舅が断ってしまったのだろう
ケアマネの方も「ホームヘルパーはお舅さんのようなアル症の方の家には危なくて派遣できないんですよ。病院や買い物は出来るかもしれないんですが」と言っていた

姑もおむつをしていた筈なのに下着を汚したまま乾かしてはいているのだという

叔父は「もう2人で暮らすのは限界だ。姑さんは施設に預けた方が良い。その話も
夫さんとしなくちゃいけないし、今施設や病院に入るのに下着が必要だから
買ってこちらに送ってください。後は入院の手続きや施設の手続きをやりますから。」その声には静かな苛立ちが篭っていた

叔父はいつも言う
「親なんだから、放っておく事は出来ないだろう」
夫はいつも同じ返事を繰り返す
「もう、俺に出来る事はないから。やるだけやったし。もう関わりたくないから」

夫は離婚の事も舅には報告しないという
「親父の顔を見るとか声を聞くだけで虫唾が走る。絶対に嫌だ。2度と会いたくないし関わりたくない」と憎悪むき出しで言う

複雑だ。
もう離婚するから無縁となる
でも私は姑のオムツを変えて姑の世話をずっとしてきた

姑が家に帰ってしまった時姑を恨んだ事もあった
でも今は姑が帰りたかった気持ちも分かる

今、姑はどんな気持ちでいるのだろう
人の暮らしとは思えない生活
自分で選んだとはいえなぜこんな事になったのだろうと泣いているだろうか

もう、姑には施設で静かに暮らして欲しい
夫は2度と子供は会わせないと言うけれど、私は施設にならお見舞いに行っても
良いと思っている

なんだかとっても切なくて涙が止まらない

今日も聞いてくれてありがとう

合鍵

2007-03-04 17:56:37 | 元夫婦
「俺とはもう関わりたくないって事なんだろう!」
それまで穏やかに話していた夫が突然怒り出した

私が合鍵を置いていって欲しいと言ったからだ

「俺が鍵を持っていると気分が悪いって事なんだろう?
此処は俺の家になるんだぞ。それに住まわせてやるんだから、
俺は大家だろう?大家は鍵を持っているもんだろう?」と段々声が大きくなっていく

「鍵を持っていたって別に何かするつもりはなかったよ。
大切に保管しておくつもりだったんだ!此処まで譲渡してやってるのに
全部ぶち壊しているのはあんただ!」

「あわよくば。なんて考えていた俺が甘かったんだな?
あー、分かった。あんたは自分主体で話を進めなきゃ納得できないんだろう?
分かった。俺が出る時に鍵をポストに入れて行けば良いんだろう?」

鍵の事を言えば怒るだろう
ショックを受けるだろうと分かっていた

でも夫は話し合いの中でも「ちょっと修行に出ると思ってやってみるよ」とか
「1年に一回は家族で旅行でもどう?」とか
離婚という現実を全く分かっていないように思える発言を繰り返す

挙句は「まあ。養育費が払えなくなったら此処に下宿に戻ってくるかな?」とか言い出す

夫は今まで借金が発覚して、もめる度に私の言うとおりにしてきた
バイトに行けといえばバイトに行き。
病院に行ったらと言えば病院を探す

「許して貰えるなら何でもするよ」と言う姿勢だ
「ほら。やったよ。次は何をすれば許してくれるの?」
「ほら。次は?」と自分からどうすれば良いかは全く考えない

言いなりになる事で相手をコントロールする事しか思いつかないのだった
私も「こんなに私の言うとおりにしてくれて反省しているんだから、今度こそ大丈夫に違いない」と信じてしまってそのコントロールを受け入れてしまうのだった

今回も夫は「仕方ない。少しの間離婚をしておけば、気が済むだろう」と思っていたのだ
だから鍵を預けてという事は夫の思惑とは全く外れてしまったのだ

こんなに条件を受け入れているのに。。。。
言うとおりにしてあげているのに。。。。

拒否される事が何よりも嫌いな夫にとって決定的となる言葉だったろう

それから、話し合いはストップしてしまった
今日は娘もようやく外へ出られるようになったので、大型スーパーへ行く予定だった。
息子も「お父さんと思い出作りするよ」と楽しみにしていた

でも夫は無言のままゲームをやり続けていた
背中から怒りがピリピリと伝わってくる

昼を過ぎて突然「今日は行かないんだろう?」とイライラしたように言う
「もう、行く準備は出来てるんだけど・・・」

またムッとしたままゲームを始める
「行かないの?」と息子が寂しそうに聞く

この状態で出かけてもきっと楽しくないだろうなと考えたら
私も行きたくなくなった

「あのさ。今日は気分も悪そうだから、休んだら。来週で良いよ。
私はちょっと百円ショップに出かけるから」と言うと
凄い勢いで睨み返して
「それなら、俺も買い物で出かけるよ。色々揃えなくちゃいけないし」そう言って
荒々しく出かけていった

息子に「百円ショップの後に本屋さんに行くけど、一緒に行く?」と聞くと
「カードゲームして良い?」
「うん。良いよ」
「やった!」明るく笑った

3人で手をつないで出かけた
いつもの光景だった

家族で本屋に出かけても夫はすぐ自分の好きな本を見に行って
いつも子供達は私に預けたままだった
私は子供の本を一緒に見るだけで自分の本は見ることが出来なかった

大型スーパーに行っても夫はすぐ自分の好きなお店に行ってしまう
私は子供のおもちゃ売り場にずっと待たされたまま
お昼の時にようやく会えるだけ

4人で行ってもいつもお店を廻る時は3人だった
何も変わらないのかもしれないと思った

息子が「大型スーパーって地下鉄でも行けるんだよ。1日切符だと子供250円なんだよ。だからお父さんがいなくても行けるよね」と言った

「本当だね。3人でも行けるね」

そう。3人でも大丈夫だね

今日も聞いてくれてありがとう