トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

訪問者

2009-10-30 20:08:22 | 
夜遅く、突然チャイムが鳴った。

『どなたですか?』と聞くと

『私です。○○です』と女性の声がした。

そして、鍵がかかっているドアを何度も『ガチャ、ガチャ』とドアを開けようと
していた。

気持ちが悪くなって
『何ですか?何の用事ですか?』

『○○です。お父さんに用事があって来ました』

『うちにはお父さんはいませんよ。うちは子供と私だけで暮らしています』

『うーん』と唸り。
『分かりました』と帰っていった。

なんだ?
家間違い?酔っ払い?

もしかして、前夫の借金取り?
過去によく元夫の友達とか名乗って不信電話や、訪問者がいたのを思い出した。

元夫が前の家を借金から逃れる為に引越し、それを追いかけて元住所から
私の場所を突き止めたのか?

色々考えながら夜が明けて、次の日会社から帰ると
インフルエンザで学校閉鎖になって、休んでいたお兄ちゃんが

『昨日の女の人、また来たよ。居留守使ってたら何度もドアを開けようとして
恐かった。』

やっぱり!このしつこさは借金取りだ!
前夫に違いないと、元夫にメールした。

○○と名乗る女性が昨日の夜遅くから何度も来ています。
心当たりがあるなら、ここにはいないと連絡してください。
住所変更を早く済ませてください。

その次の日はポストにメモが入っていた
『これから、何かあっては遅いので、連絡をください。○○号室へ ○子』

何かって?何だよ!
恐くなって、メモを握り締めて何度も読み返した。

○○号室?これうちの番号じゃない・・

慌てて、管理人さんにメモを持っていってたずねると。
『このひと、今度あなたのところへ行ったの?』

どうやら、この女性は自分の父親と縁を切って何年もたっていて、
このマンションに住んでいることは知っていたものの、部屋までは分からなかったらしい。

その音信普通の父親が多額の借金をしてその借金取りが女性宅まで来たということだった。
慌てた女性は、マンションの中から同じ苗字の家にしつこく電話をかけたり、
似た名前の家を訪ね歩いていたらしい。

そして、うちと同じ階の同じ苗字を見つけうちもそのひとも表札をだしていないため、灯りのついているうちに来たところ似ている苗字だった為、嘘をついていると思い込んで何度も尋ねて来たらしい。

その後、同じ階のつきあたりの部屋の住人がその父親だったとわかったらしく、早朝に何度もドアを蹴ったり、開けようとしたりしている音で目が覚めた。

何日かして、管理人さんが不審にウロウロする女性を見つけ、話をしてくれたらしくそれ以来うちには来なくなった。

『自分の借金は知らないで通せば良い』とか『一回でも払ったら責任を負うことになってしまう』とか、元夫の借金で悩み、調べたりしていたから、今回の女性が
借金取りでもそれ程動揺しなかったけれど、
その女性が今まで借金と無縁だったから、突然来た借金取りに数100万円と聞いて動揺して、こんな事になったのかもしれない。


メールを送った元夫からは何の返信も来ず。
こっちも放っておいたら、何週間も経って返信がきた。

『全く心当たりがありません。住所変更はすませてあります。迷惑をかけてすみません』

って謝ること事態心当たりがあるんだなぁとか思った。

住所変更も済ませてあるじゃなくて、今、さっき。済ませたよって事なんだろうなとか分かってしまうところが長年の勘なんだなぁ。

あなたのずぼらさで迷惑をかけないでねという教訓もこめて
問題は解決したというメールはしないでおこうと思い返信もせずに放置している。

未だに『だれだろう?』と不安がっているかもしれないが、まあ、いいか。

過去とは比べられないけれど

2009-10-21 19:36:15 | 
公園の紅葉の中を走っていく幼い男の子を見ていたら、
数年前のあーちゃんを思い出した。

半身不随の姑を匿っていたあの頃。

あの、雨の日に突然家に連れ帰って始まった介護と同居。

夜中に姑は何度もトイレに起きた。

ズズッ。ズズッ。と絨毯に足を引きずる音がすると目が覚めた。

トイレで血糖値が急激に下がり動けなくなって救急車を呼んだ事もあったから
トイレの水が流れてトイレから出てくるまで耳をすます。

うとうととするとまたズズッと音が聞こえて目が覚める。

朝、起きると姑のベットの下にトイレに間に合わなかった汚れ物が隠してある。

それを姑に見つからないように取り出し、バケツにつける。

オムツは嫌だったのだろう、買っておいても使う事はなかった。

トイレを失敗した事を隠すために、ベットの手すりに汚れたまま干して乾いたらこっそり着ていた事もあった。

アンモニア臭が一日中部屋に染み付き、洗濯しても臭いは取れなくなっていった。

あーちゃん2人だと菓子パンやカップラーメンなど気楽だった昼食も手を抜けず、姑の介護食の為に3食しっかり作らなくてはいけない日々が始まった。

それは、専業主婦だったけどけっこう苦痛だった。
いつも『何食べよう。何作ろう』と、食べる事ばかりを考えているみたいな毎日だった。

そんな日々の中で、姑を取り返そうとする舅の鳴り止まない電話と、暴力事件。
元夫の終わらない借金問題。

心が磨り減っていくようだった。

時々、姑の用事で列車に乗って遠くの公園へあーちゃんと行く事が楽しみだった。
街で買い物をして、アイスクリームを食べながら、噴水で遊ぶあーちゃんを見ていた。

気がつけばいつも大きなため息が出た。
弱音は吐けない。自分で選んで姑を連れて来たのだから。
そう、自分に言い聞かせてはまたため息をついた。

買い物帰りにぼんやり信号待ちをしていて、また、あの家に帰るのかと思うと突然頭の中が『わーっ』と叫びたくなって、行きかう車に飛び込みたくなった事も何度もあった。

ここはどこだろうか。。。
私はどうなってしまうのだろうか。。。

そんな事をいつも思っていた。


今、私の後ろでお兄ちゃんが刺繍をしながら言った。

『お母さん、静かだね。テレビが鳴ってなかったら何の音もしないね』


そうだね。本当に静かだね。

お母さんはあの頃から随分遠くへ来たような気がするよ。



あの頃

2009-10-15 14:32:03 | 
私には幼馴染のA子ちゃんという子がいた。

A子ちゃんは足が不自由で、歩く事はできたけど、走ったり、飛んだりは苦手だった。 屈伸運動も出来なかった。

昔は学校のトイレは、全部和式だったのでA子ちゃんは小学校の1年生の時は養護
学校へ通っていた。

2年になり、私の通う小学校でも様式トイレができ、A子ちゃんは転入してきた。
幼馴染だし、A子ちゃんも心強いだろうと私と同じクラスになった。先生が『ちっこちゃん、A子ちゃんを宜しくお願いしますね』と言った。

私は、学校へ行く時と帰る時はA子ちゃんと一緒だった。

でも、学校にいる時間は殆どA子ちゃんに話しかける事はなかった。

私は小学校2年生で、1年生からの友達と遊びたかった。
校庭や体育館で遊びたかった。

学校にいる時間A子ちゃんは何をしていたのか、今でも思い出すことができない。

行き帰りは一緒。帰ってからも良くA子ちゃんと遊んでいた。

でも学校にいる時は、全く記憶にない。

きっとA子ちゃんは一人ぼっちだったろうと思う。

そのうち、A子ちゃんは私の学校の友達の靴を隠したりするようになった。
先生や親たちが話し合っているのを聞いた。
A子ちゃんのお母さんが謝りに来た事もあった。

3年になってA子ちゃんとは別のクラスになった。

4年になって、A子ちゃんにも友達ができた。
私は心のそこから良かったと喜んだのを憶えている。

A子ちゃんは小学生から、胃潰瘍になりながらも学校へ通う子供だった。それだけ、障がいを抱えながらの学校生活は大変だったのだろうと思う。

私が一緒に帰っている途中、忘れ物を取りに学校へ戻り、急いで待っているA子ちゃんの元に戻ると、A子ちゃんのランドセルが電柱の高い柱に吊られていた。

周りの男の子がA子ちゃんになにか言いながら走って行った。

A子ちゃんは、寂しかったろうと思う。

私では守りきれなった。

私は自分の事で精一杯だった。

7歳だった私。たった7歳だったけど、A子ちゃんは私に裏切られたと思っていただろう。

A子ちゃんのお母さんは私に『宜しくね。いつもありがとうね。ずっと友達でいてね』と言っていた。

なんの事だか分からなかった。ずっと、友達なのに。

今なら、そのお母さんの気持ちが分かる。

親ではどうしてやることもできないわが子の学校生活を、私に託したかった気持ち。
7歳の女の子に、お願い。どうかお願いと願わずにはいられないもどかしさ。

見守ることしかできない親の切実な気持ちだったのだろうと。


私も、道端で時々会う、今は離れて行ってしまったお兄ちゃんの、幼馴染達に心の中でいつもつぶやく。


お願い。どうかお願い。  と。。。


私のために

2009-10-10 23:43:48 | 
これは、お兄ちゃんが作った刺繍の針刺し。
今は、中級の刺繍に挑戦している。

こういうのを見ると、お兄ちゃんは本当に手作業が好きなんだなって感じる。

こういう作業なら、何時間でも机に向っている。
時間を忘れて集中してやり続けることができる。

お兄ちゃんには、やっぱりこういうところを伸ばして行く事が、
1番あっているんだなって思う。

だけど、私は、未だにお兄ちゃんの障がいを受け入れられないでいる。

障がいだって分かっているけれど、普通高校へ行って欲しいって思う気持ちを捨てられないでいる。

高等養護学校へ行くけれど、そう決めたけれど、それでもやっぱり、どこかで
定時制や、通信はダメなのかって考えてしまう自分がいる。

受け入れられない自分に、自分が傷ついている。

今朝、あーちゃんを怒ってしまった。
算数の宿題で、足し算のやり方をなかなか理解できず、教えていてイライラして
止まらなくなって結局泣かしてしまった。

あまりに理解が悪いので『あんたまで同じなのか』と言葉をぶつけてしまった。

私は、こんなに素敵な刺繍を作り上げられるお兄ちゃんを素敵だと思っている。
誇らしく思っている。

だけど、あーちゃんには普通でいて欲しいと思っている。
あーちゃんには、みんなと同じでいて欲しいと思っている。

そうして、比べる自分をとても軽蔑し、心がふたつに分かれてしまいそうになる。

誰かにこんな気持ちを分かって欲しいって思ってしまう。
誰かに慰めて欲しいって思ってしまう。

でも、1番、分かってあげなきゃいけないのは自分だった。

認められない自分も自分。
いつだって、往生際が悪くって、いつだってだらしなかった自分。

結婚生活だって、砂の城はとっくに土台が壊れちゃっているのに
泥舟はとっくに沈んでいるのに、ずっとしがみついていた。

そして、そんな自分を抱えているから、ちょっとした周りの言葉にボロボロになってしまう。

弱音を吐けば『あなたが認めてあげないでどうするの?』と言われてしまう。

ダメな自分。
その烙印がずっと恐かった自分。

誰かは変えられない。
自分は変えられる。

いつの間にか、誰かに結果を委ねたくなっていた。
誰かのせいにしたくなっていた。

私は、醜い自分も受け入れて、吐き出していこうと思った。

お兄ちゃんの障がいを認められない自分の話を自分で聞いてあげるために。
認められる自分になるために。

自分のために。
自分ひとりで答えを出す為に。
しばらくコメント欄は閉じる事にしました。

これからは、独り言みたいになっていきます。

発達障がいや同じようなお子さんを持つ方には不快な文章もあるかもしれません。

どうか、これは、私の受け入れるためのプロセスを辿っているとご理解いただいて
読まずにスルーしていただけると幸いです。








ダメージ

2009-10-04 18:50:40 | 
最近、お兄ちゃんはあーちゃんの補助輪なし自転車の練習をさせている。

公園で2人で練習していると、あーちゃんのお友達が集まってきて、
お兄ちゃんと一緒に遊んでいることが多い。

今日はあーちゃんの学校の発表会だった。
朝、いつも公園で遊ぶお友達のお母さんから電話がきた。

『昨日、うちの子がお兄ちゃんとあーちゃんと遊んでいただいたんですが、
お兄ちゃんの自転車の後ろにうちの子が乗りたがり、お兄ちゃんが乗せてくれたら
車輪に足を挟まれてしまったらしく、泣いて近所のお母さんに公園から車で送られて帰ってきました。

その後、痛がるので病院へ連れて行ったところ、打撲と擦過傷という事でした。
でも、まだ痛がっているので今日の発表会はお休みさせて頂くこととなりました。
あさ、あーちゃんと行く約束をしていたらしいので、その連絡と、お兄ちゃんがもの凄く『ごめんなさい。』って謝ってくれて落ち込んで帰って行ったので、心配で電話しました。』


打撲で怪我も軽いとお母さんは仰っていたけれど、あんなに一生懸命練習した、発表会に出られないなんて。。。
大変な事をしてしまった。。

昨日からお兄ちゃんの様子が変だと思ったらそういう事だったんだ。。。
『何で、そんな大変な事があったのに言ってくれなかったの?』

『だって。言い辛かったから。。』

『あの後、病院へ行って、コルセットして、今日の発表会は出られないんだって。
言い辛かったのは分かるけど、電話をくれなかったらお母さん知らないままだったよ。お兄ちゃんはちゃんと謝ってくれたから良いですって言ってたけど、お母さんも謝りに行かなくちゃいけないんだから。
教えて欲しかったよ。』

『俺、もう、あーちゃんの友達と遊ばないようにするよ』

お兄ちゃんは、シュンとして部屋に閉じこもってしまった。

発表会が終わってから、お菓子を買って様子を見におうちに伺った。
お母さんは『そんなつもりでお伝えしたわけじゃなくて、お兄ちゃんが本当に
何度も何度も玄関で「ぼくが悪いんです」って謝ってくれて、すごく落ち込んで帰って行ってので心配で。。。うちの子はお兄ちゃんと遊んでもらえるのをとても喜んでいたので、お兄ちゃんを叱らないであげてください。』

そう言って下さって、本当にありがたかった。
足は、打撲といえどかなり痛そうだった。

学童もしばらくお休みすると言っていた。
そのお母さんも働いているのに本当にご迷惑をかけてしまったと、胸が痛んだ。

お兄ちゃんが、怪我をさせたその子を置き去りにして帰ってきたりしないで、
ちゃんと家まで謝りに行ってくれて良かった。

家に帰るとまだ落ち込んでいるお兄ちゃんに
『ちゃんと逃げずに謝りに行けた事は、すごく良かったよ。あの子が怪我をしないためにはどうすれば良かったのか。これから、またそうなった時にどうすれば良いのかがお兄ちゃんが分かったなら、もう落ち込むことはないんだよ』

『うん』神妙な顔で頷いた。

『お母さんが、また遊んでやってね』って言ってたよ。

『うん』ちょっとホッとしたように頷いた。

なんだか、立て続けに色々あって、本当に疲れたな。













カミングアウト失敗

2009-10-03 14:16:35 | 
先生からの電話でみんなへのカミングアウトは待って欲しいと言われた。

今の子供達に言ったとしても理解される雰囲気ではないらしい。

「ふーん。あっそう」で終わってしまって欲しくないし、それでは意味がないから。

先生もお兄ちゃんには『みんなとダメだからではなく前向きな気持ちで行って欲しい。そうなるようにやりたい』と熱く語っていただいたけど。

『いかんせん、お母さん!言葉選びが難しいです。男子にならちょっとずつ言えそうな感じなんですが』

先生自身が女子との関係に悩んでいるのだと感じた。

お兄ちゃんを特に嫌っているのが女子で、
机をつけてくれないとか。
事あるごとに遠目に『きもい』『うざい』を連発しているらしい。

とりあえず、指揮者の子は責任感が強く、話せば絶対分かってくれる賢いお子さんなので、個人的に呼んで『あいつは、みんなと同じようにできるところもあるけれど、とても苦手な部分があって、フォローしてあげないといけない部分もあるんだよ』みたいな感じで言うと頷いて分かったと言ってくれました。

本人に帰ってきて聞いてみたら、もう指揮者の子に執拗に合唱の事を注意されなくなったと、またいつもの明るいお兄ちゃんに戻っていた。

『今の子供達はとても幼いです。自分の行動や言葉で誰かが傷つくとか、どんな風に思うとか考えられないって言うか。
ひとりひとりはそんなに悪い子達じゃないんですが。。
難しいです』

そうでしょうね。。
今の中学生ってみんないっぱいいっぱいで生きているんだなって感じることが多い。

お兄ちゃんの幼馴染の同級生は、とても明るく活発な男の子だったのに
中学に入ってから酷い時は2時間近く大声で泣きながら暴れていると友達から聞いた。

部活が終わって塾へ行き、夜の11時に帰ってくる。
テストが近くなると、日曜に朝の9時から12時まで塾で缶詰。
帰ってきて部活。その後6時からまた11時まで塾で缶詰。

お風呂に入ってまた塾の宿題で1時。
朝の7時に部活の朝連。

そんな生活を送っていて、周りの塾の子達も似たような生活を送っているのだそうだ。

その割には成績は上がらず。95点で『なんで1問間違っちゃったの?』と思わず聞いてしまったら『×ばっかり見やがって』と暴れだしたんだそうな。。。

そりゃ。暴れるよとちょっと思ってしまったが。受験生を持つお母さんの気持ちは
誰もが一緒なのかな。

子供も焦って。親も焦って。

そういう私も焦っていて。

中学ってどうしてこうも子供たちを追い込むようなシステムなんだろうって思う。

いっそ。受験なんてなくなっちゃえば良いのに。
受験がなくなって誰でも高校はいれたなら、もう少し周りを見る余裕も出ないかね。

パートの友達が『うちの子、定時制の学校へ行ってたけど、そこにも発達障害のお子さんが来てて、学校のスピーチで自分の事をカミングアウトしたんだって。
でもうちの子も周りの人も全然普通にその子に接していて、卒業しても仲良しだって言ってたよ。高校へ行くとまた子供達の心も落ち着いて、いろんな子がいるんだって受け止めやすくなるし、モラルも育ってくるんじゃないかな。中学生は、やっぱり子供だと思うよ』

中学の間は、こうやって目の前の小石をどかしながら、なんとか乗り越えていくしかないって事なのかもしれない。

会社の帰りにいつもスーパーの入り口で話し込んでいる2人の男子高校生がいる。

ひとりはダウン症と思われるお子さんで、もうひとりはお兄ちゃんに雰囲気が似ているお子さん。

お兄ちゃんに似た子が、いつも一方的に話しているんだけど、もうひとりの男の子は必死に頷きながら聞いていて、いつもふたりで大きな声で笑っている。

本当に楽しそうにしている。


中学ではダメかも知れないけど、お兄ちゃんだってきっとあんな風にお友達と楽しく過ごせる日がきっとくると信じている。

諦めないぞ。