トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

待ち伏せ

2008-01-29 22:19:51 | 元夫婦
『今日ね、いい事があったんだぁ。お父さんに会っちゃった。
学校の側のコンビニで会ったんだよ。その後ね。。。あっ!お父さんに内緒って言われたんだった』息子がニコニコ顔で言った。

これまでも息子の学校の側のコンビニに朝いるところを会ったりしたと聞いたことがあったけど、帰りにあってその後遊びにどこかへ出かけたらしい。

『そう、良かったね』と言ったあとちょっと不安になった。

『あのね、まさかうちで遊んだわけじゃないよね。もうお父さんはお母さんとは離婚したからお母さんのおうちには勝手に入っちゃいけないんだよ。
家に入れたらいけないんだよ」と言った。

『違うよ。お父さんも入れないんだって言ってたもん』

『お父さんにいつでも遊びに来てねって鍵とかも渡しちゃダメなんだよ』

離婚してから1番気がかりだったこと。
息子が私のいない間に元夫を家に入れてしまうんじゃないか。
鍵を渡してしまうんじゃないか。つねに心に引っかかっていた。

息子には元夫の本当の事を伝えていない。
だからお父さん会いたさにやってしまうんじゃないかと不安を感じていた。

息子の言葉で溢れた気持ちは止められず矢継ぎ早に尋問のように息子を責めてしまった。

さっきまでウキウキだった息子は『何処へ言ったかはお父さんに内緒って言われたからいえない』そういうと布団をかぶって寝てしまった。

いつでも会えるよと言いながら待ち伏せされて予告ナシに会われると
とても不快に感じる。

やっぱり本当の事を息子に伝えるべきなんだろうか。
元夫も暮らしていた家だから入りやすいんじゃないかと気になるんだろうか。
いっそ実家に帰ったら親がいつも家にいるしそんな心配もなくなるんだろうか。

誰にも相談できない。
丸抱えの状態になってしまった。

結局元夫にメールした。
『お兄ちゃんがお父さんに会ったと嬉しそうに教えてくれました。
偶然会うこともあるかと思いますが一言連絡を入れて欲しいと思っています。
その後お兄ちゃんはお父さんに内緒って言われたと気にしていました。
口止めは子供の重荷になると感じます。考慮してあげてください。』

元夫からは『すみませんでした』の短いメールが届いた。

とても後味の悪い想いだけが残った。。。。


4人家族

2008-01-25 20:48:00 | ポエム
あーちゃんが突然泣きました。

お父さんに会いたい。
お父さんと暮らしたい。
このおうちに帰ってきて欲しいと泣きました。

私はあーちゃんの目を見て言いました。
「お父さんはもう帰ってこないの。もう一緒には暮らせないの」

あーちゃんは泣きました。
「4人で暮らしたいの。4人がいいの」

「4人が良いの?じゃあ金魚を飼いましょう。小鳥にしようか。そうすれば4人だよ」

あーちゃんは喜びました
「そうだ!おばあちゃんを呼べば4人だね。叔父さんのおうちもくれば8人だね」

「うん。うん。」と私は頷きました。

あーちゃんは「それから。それから」と考えているうちに
だんだん瞳が暗くなっていきました。

「寂しいの。」そう言ってうな垂れました。

次の日私は金魚を見に行きました。
ハムスターはどうだろうと見てみました。

結局買えずに家に帰りました。

お兄ちゃんがあーちゃんの為に庭に雪だるまを作ってくれていました。
歓声をあげてあーちゃんが喜びました。

お兄ちゃんはその日ずっとあーちゃんと遊んでくれました。
私はいつまでもあーちゃんを抱いて寝ました。

あーちゃんは、「寂しいけど元気をだす!」と言いました。

3人+みんなの愛=4人

減ってしまった1人分はみんなでうめていけば良いんだね。

ダメダメな1日

2008-01-25 19:56:45 | 
今度、同じ事言われたら
『これが今できる精一杯です。後はそちらで上手くやってください。
これ以上はむりですから』って絶対言うんだ!

私の仕事は請求書や明細書をお客様に通知する仕事。

多いときは30件以上ある。

パートさんは郵便物をまとめて出す仕事。
郵便物を控えに書いて郵便局に渡す。

Kさんがいた頃もの凄く多い日があった。

出そうとして封筒につめていたらパートさんが
「それって、それ専用の用紙を作っていてくれてますよね。私がするんですか?」と聞かれた。

全く知らなかった私は「え?そんな用紙あるんですか?」
するとまた隣の人に「そうですよね。多くなった時の為に用紙があるんですよね」

「そうです。あるはずです。確かこの辺に。。」と探し出した。

でも、紙はなかなか見つからなかった。
時間も迫っていた。

「じゃあ。今日は私がそちらのパートさんの紙に書きますからください」と言うと

パートさんは「だって、そっちでまとめた方が早いんだから」と探すのをやめようとしなかった。

イライラしたKさんが「私が書きますから用紙を渡してください」と手を突き出した。

パートさんはちょっとびっくりして「いえ、私がやりますから」というと
いつも穏やかなKさんが「渡してください!」と声を荒げて言った。

それから用紙が見つかり、多いときが前もって分かっている時は
その用紙にあらかじめ記入することにしていた。

でも、Kさんがいなくなって、パートさんは少しでも多いと
「これは用紙に書けなかったんですか」と言うようになった。

「16件以上もあるときついんだよね」と隣の人とヒソヒソ。
「こればっかりしているわけにいかないんだよね。」とブツブツ。

私の課の人が見かねて「16件くらいなら大丈夫じゃない」と言うと
「何か言うと言われるし」と大きなため息。

私だけが郵便物を出してるわけじゃないのに、他の人には言わないくせに。

それでも多くて大変だろうって思ってなるべく16件以上にならないように
郵便の日付をずらしたりしていつも数を気にしていた。

今日は11件だった。
微妙だけど他の23件の固まりは用紙に書いたし大丈夫だろうと出した。

すると「これはまとめられなかったんですか?こんなにあるのに一緒に用紙にかけなかったんですか?」とギロリと睨まれた。

「この固まりとは別にしておきたいんです。」

「なんでですか?」と延々と説明させられて
こうやってやれば良いのにとかこうすればできるんじゃないのとか
言うけれど出来ないものは出来ない。

すると「じゃあ!良いです!」と呆れられたように言われ。。。
隣の人にこうすれば良いのに出来るでしょ。
と必死に聞いていた。
隣の人は「無理かも」って言ってるのに
「じゃあこうすれば。ああすれば」と食い下がる」

「あー。そうすれば出来るかもね」としまいには空返事。

パートさんは「じゃあ、これからは多いときは私に聞いてください。用紙を使うかどうか決めますから」って。

いちいちこれは多いか。少ないか。聞いてそれから用紙を用意して
書いてたら間に合わないしそれじゃあ私の仕事が全く進まないよ。。

凹んだ。
良かれと思って何日も前から考えてこれで大丈夫って思って用意したのに
あれこれ文句言われて。

相手の言いようにばっかり出来ないね。
これからも私は良かれと思う最大の努力をするつもり。

でもパートさんの良い様にはできない。
どう思われても良いから「これが今できる精一杯。あとは貴方が良いように処理して」って恐いけど絶対言うんだ。

だって、出来ないものは出来ないもん。
どう思われたって仕方ないんだ。

強くなれ!私。

嫌だった事

2008-01-22 21:36:22 | 元夫婦
会社の退社時刻が近づいて来た頃

「今日はケーキでも買って帰ろうかな」とふと思った。

『わぁ。何、買って来たの?ご飯食べてから?見るだけでも良い?』
小さな目をキラキラさせて子供達が喜ぶ顔が頭に浮かんで、
思わず口元が緩んだ。

そういえば元夫もよくシュークリームとか大福とか買ってきた。
子供達が喜んで駆け寄って行くと
「お母さんに聞いてからだ」と私をチラチラ見ていたのを思い出す。

元夫もこんな風にみんなの喜ぶ顔が見たいと思っていたのだろうか。

私はいつも無理に作り笑いをしていた。
だってそのお土産のお金はその朝に元夫がなんらかの言い訳で持ち出した
お金で買ってきたと知っていたから。

元夫はそういう人だった。
私からお金を無心してはそのお金で借金を払い、余ったお金でお土産を買ってくる。

それがあまりにもあからさまでとても嫌だったのを思い出す。

初めて元夫にお金を無心されたのは
結婚する前の事だった。

婚約も決まった頃夜遅くに電話がなった。
『大変だ。会社の鞄をなくしてしまった、明日中に5万用意しなくちゃいけないんだ。用意できるだろうか?』

今までそういう金銭トラブルに巻き込まれたことのなかった私は
すっかり動転してしまい、元夫に5万を工面したのだった。

お金はすぐ返すと言っていた。
でも次の日になっても、その次の日になっても返しにはこなかった。

そして何日かたって、私の誕生日に元夫はバラの花束を私の歳の数だけ買って持ってきたのだった。
バラは用意してもお金は返してはくれなかった。

複雑な気持ちで私はその花を受け取った。

それから何日たってもお金を返してくれる様子もなく
お金の事を聞くと
『だって、バラあげたじゃん。あれは高かったんだよーー(泣くまね)」をして
話をはぐらかそうとした。

「あのね、お金は困っているだろうと好意で用意したんだよ。
すぐに返すのが普通だと思うけど」と言うともの凄く不機嫌な顔をして
『分かったよ』と言ってお金をお財布から出した。

とても嫌な気持ちだった。

元夫にとって借りた時点でそのお金は元夫のものになってしまうのだろう。
だからどう使おうと自由だ。
そのお金でプレゼントを買ってやったんだから喜べ。そういう意味だったのだろうか。

最近、ふとした場面で元夫との出来事が鮮明に思い出される。
忘れていられるのは仕事をしている時と家で子供達と騒いでいる時だけ。

眠れば元夫が夢に出てくる。
『もう、止めない?』と家に上がりこんでなかなか帰ってくれない。

目が覚めて『もう、止めない』の意味を考える。

そして、「絶対、止めない」と声に出して起き上がる。
とても疲れる。

怒りの時も過ぎつつある。
思い出の洪水に押しつぶされそうな日々に突入している。

これも、全てを受け入れ、受け流していく為の過程なのだろうか。


ご褒美

2008-01-18 22:38:00 | 
朝、子供達を叩き起こして、
お兄ちゃんと私と娘の3人分のお弁当を作る。

私は立ちながら朝ごはんを食べて、あーちゃんとお兄ちゃんは
笑ったり、怒ったりしながら食べる。

ご飯を食べ終わる頃、私は居間にモップをかけ始める。
その後ろからお兄ちゃんが掃除機をかける。

掃除機が今でも恐いあーちゃんは人形を抱いて逃げ回る。

私が化粧を始めると学校が休みのお兄ちゃんが
あーちゃんの歯を磨いて服を着せる。

ゴミを持ってあーちゃんの手を引いて、
真っ白に積もった雪を『キュッキュッ』と踏み鳴らし
あーちゃんの話を聞きながら保育園へ向う。

保育園の横の神社に『今日も1日頑張れますように』と軽く手を合わせ
会社へ向う。

会社に着くと待ち構えていたように仕事を頼まれる。
それから、お昼まであっという間に時間が過ぎていく。

仕事が終わってあーちゃんを迎えに行き、先生と談笑し
家に帰ると座るまもなく夕飯の支度をする。

子供達の機関銃のような一日の報告を聞きながらご飯を食べる。

食べ終わるとお兄ちゃんとあーちゃんは会えなかった時間を惜しむように
喧嘩したり、泣いたり、笑ったりしながら遊びだす。

私は友達に借りた『ガリレオ』をみる。
これが滅茶苦茶面白くて家に帰ったときのお楽しみになっていた。

それともうひとつのお楽しみが
中古で買った『どうぶつの森』のゲーム。

『どうぶつの森』は主人公が村に住んできのみや魚を釣ったりして、
家や店を大きくするゲームだ。
自分の好きな家具をそろえて家を飾ったりしてとても楽しい。


会社も楽しい。
家も楽しい。

でも私はふと『こんな事していて良いのか?』と考える。

貯金がまだあるからと言っていつまでも崩しながら生活はできない。
職を増やさなくて良いのか。

他の仕事を考えなくて良いのか。

今の現状に甘んじていて良いのか。

苦しんでこそ生きている証。
そんな風に生きていたからなのか、ダラダラと幸せだと
なぜか追い立てられるような気持ちになる。

やっとここまで来たんじゃないか。
新しい職場に慣れるのに半年かかった。
針のムシロのような生活から抜け出すのは本当に辛かった。

今は、神様から束の間のご褒美を貰ったんだと思っては
いけないだろうか。

私は現実から逃げているのだろうか。

もう少しだけ、こんなゆるりとした幸せを噛み締めていたいと思うのは
贅沢だろうか。。。

養育費を請求しないわけ。

2008-01-09 19:37:16 | 元夫婦
かれこれ、養育費が滞って4,5ヶ月になる。
請求しようと思っていてもなんだか口が重く
メールする気にもなれない。

パート収入じゃきつく貯金を崩しながら生活している。
今年からお兄ちゃんは中学生、この冬はスキー学習のスキーが
小さくなりすぎて買い揃えなくちゃならない。

いろいろと物入りなのだ。

友達にも「バイトだと思って減額してでも払ってもらいなよ。1万でも2万でも
もらった方が良いよ」と言ってくれる。

確かにそうだなって思う。

どうして積極的に私は請求しないのだろうと考えた。

去年2ヶ月くらい滞った後に一度振り込まれた事があった。
その時私はとても嫌な気持ちになったのを思い出した。

「なんだ、振り込まれたのか。これで相手の弱みがなくなったな」と勝ち負けのような考えに取り付かれた。

私は払えない元夫の優位に立ちたいと考えているのだと気がついた。

払えない元夫は弱みがあって私には牙を向けないだろう。

結婚している間もそうだった。
尻拭いした後の元夫は牙を抜かれた狼のように大人しくなり
家族サービスをし、私の顔色を伺い借金の事を持ち出されないように
気を使っていた。

その弱みを握ってさえいれば結婚した当初のような
暴力は防げると考えた。
結婚当初の元夫は本当に恐かった。

ちょっとした事で怒鳴り声をあげ、仕事を辞めて専業主婦になった
私をことごとくなじった。

返事の仕方ひとつに大声で威嚇し、お風呂に入っていても
元夫が帰ってくれば途中でバスタオル一枚で台所にたって食事を温めないと
機嫌が悪かった。

夜の生活も異常にしつこく、要求した。
断れば劣化のごとく怒り出し、物に当たったりして、
帰ってくるドアの音に怯えるようになった。

そんなある日元夫の借金が発覚した。
舅に報告しようとする私を恐れ、元夫は人が変わったように私に気を使うようになった。

それは私にとてつもない力となった。

何度も繰り返される借金は尻拭いするたびに元夫との力関係を
逆転させ私は元夫の神様のように崇められていった。

元夫は私を『大蔵省』と呼びなにをするにも私の意見を優先させるようになった。

尻拭いの代償に私は元夫から力を勝ちとっていたのだ。

私のこのこびりついた考えが元夫の養育費を要求する気を失わせているのだと気がついた。

尻拭いして勝ち負けに拘らなければ、続けられなかった結婚生活。
もし元夫が借金をしていなければもっと早くに破綻していたかもしれない。

今も尚、こうして元夫の首根っこを捕まえておきたいと思う自分。

私は抜け出せるのだろうか。。。



代償

2008-01-03 22:18:21 | 
誰かに何かをしてもらうとその分倍返ししないといけないんじゃないかという思いに駆られる。

だから誰かに何かをしてもらう事はとても苦手だ。
そのあとどうお返ししようかと考える事がとても大変だからだ。

「あんなにしてやったんだから」そんな風に言われて育ったからだろうか。

私の家の隣のご婦人はお兄ちゃんが生まれた頃からお付き合いが始まった。
子供が大好きでお兄ちゃんもあーちゃんもとても可愛がってもらっている。

離婚してお兄ちゃんが環境の変化に戸惑い、私に内緒で隣のご夫人に
親が離婚した事を相談していたらしい。
私は全く気がつかず離婚して随分たってから知った。

その頃から前にもまして気にかけてくれるようになり
お兄ちゃんの夏休み中も押し売りのセールスマンを追い払ってくれた事もあった。

お菓子や食材など「1人暮らしで食べきれないから」と言っては
玄関においてある事も度々あった。

その度に心苦しく、何かお礼を持っていくとご婦人は
すごい剣幕で「また!あなたは気を使って。私が好きでやっているのよ。多くて食べきれないから貰ってもらって助かっているんだから」と怒られて絶対に受け取ってもらえない。

お兄ちゃんが嘔吐で夜遅くに病院に連れて行ったときも娘を預かってくれた。

いつも感謝の言葉しか受け取ってもらえない。

そんなご婦人から子供達にクリスマスプレゼントをと言って
旅行をご招待された。

正直戸惑った。
いままでだって、お返しが出来ずにいるのに旅行なんて大きな物を受け取って良いのだろうか。

どれほどのお返しが必要になるだろう。
でも彼女は受け取らないだろう。。

でも無邪気に誘ってくれるご婦人の気持ちを無下にする事は出来なかった。
「行きます」と返事をするともの凄く喜んでくれた。

しかしそれから会うたびに「本当にお誘いして良かったかしら。私が勝手にはしゃいじゃって悪かったかしら」と聞くようになった。

私の戸惑いが伝わったのだろうか。

そんなご婦人の姿を見ているうちに、どうせお返しが出来ないのなら思いっきり楽しもうそう思うようになった。

朝早く待ち合わせてバスに乗って出発した。
行く先は『旭山動物園』
一日に何千人とくる今や有名な動物園だ。

あーちゃんは舅騒動や離婚騒動で動物園すら連れて行った事がない。
いつも『きりんさんが見たい。ぞうさんが見たい』と言っていた。

今年初の開園でもの凄い混雑だった。
天気予報は大荒れと言われていたけれど、寒さも特に感じず
雪がチラチラ舞うくらいだった。

混んでいるのになぜかどうぶつ達を良いポジションで見ることが
出来て子供達も大喜びだった。

帰りはレストランで一緒に晩御飯を食べた。
「今日は遠慮してはいけませんよ。あなたは一円も使わないでって言ったでしょ。
私も好きなものを食べるんだから貴方達も好きな物を頼んでね。
今日は私に任せてね」

こうなったら、とことん甘えてありがたく頂こうと決めて
好きなものを食べさせてもらった。

何だか涙がでた。
こんな風に無償に愛を配る人がいるのだと思った。

ただお返しが面倒で誰の恩も受ける気にならなかった
自分の傲慢さが恥ずかしかった。

どんな出会いも意味がある。
受け取るだけの愛もあるのだと知った。








こだわり

2008-01-03 18:57:47 | 元夫婦
年明け早々、またまた元夫のメールにくらーくなっています。

年末に『今年1年本当にご苦労様。来年がいい年になる事を祈っています。
子供達を宜しくお願いします。』とメールがきた。

私は返事をしなかった。
元夫の労いメールは度々くるのだけど、私にはどう返事をしていいのか分からないのだ。

でも、無視される事を何よりも嫌う元夫が逆切れする事は分かりきっている。
自分の労いの暖かいメールに返信がない。
それは元夫を酷く傷つけている事だろう。

次には必ず怒りの篭ったメールとなって返ってくる。


年明けてやっぱり怒りと共に面会についてのメールが届いた。
『今月は面会、アリかナシかだけでも返事ください!』

そうして私が面会の返信をすればまたギリギリまで連絡をとれなくするつもりなのだ。

傷ついた分はそっくり返す。それが元夫のやり方なのだ。

『お正月もひとりで過ごすのかと思うと寂しい』というこの前のメールが
頭に残って、お正月をのんびり実家で過ごしたり、楽しい事をしていると
ふと頭によぎる。

あの人はひとり。
チラチラと罪悪感が湧く。
湧いては消して。消しては湧いてくる。

そのせいか、毎晩のように元夫が夢に出てくる。
時には怒って。時には悲しそうに。
亡霊は私にぴったりと張り付いている。

離婚にいたるまでの間私は元夫を怒らせないように、責めないように、あなたメッセージにならないように共依存的言葉にならないように、爆発しそうな自分の
気持ちを全て自分の中に押し込めてしまった。

それは自分で選択した事だった。
今頃になって跳ね返った想いはある日、ある時突然湧いてきて私を苦しめる

どうしたらいいだろうと考える。

私が今、1番爆発しそうにな思いに駆られるのは
離婚が決まった時の事。

結局離婚の決定的となったのは元夫のフランチャイズの仕事だった。
娘の保育園すら入れられないフランチャイズを止めて、勤めて欲しいといった時
元夫がその願いを断った事が原因だった。

私はそんなにフランチャイズをやりたいのなら私はもう応援できないから
1人で頑張れば良いよと言ったのだ。

離婚する時私は「これからは頑張ってフランチャイズを成功させてね。」と言った。

すると元夫は「お前らがいなくなってまでフランチャイズをする気になれねー」
そう言って離婚後すぐに就職活動を始めたのだ。

家族を踏み台にしてもやりたかったフランチャイズじゃなかったのか?
その為にあの人は「母子家庭になれ」と吐き捨てるように私に言葉を投げつけたのに離婚したらやる気がなくなった。
お前らがいなくなったからやりたくなくなった。

お前のせいでフランチャイズもする気がなくなったとでも言いたいのか。
離婚して気落ちしているから続けられないとでも友達への口実にでもされたのだろうか。

離婚の悲しみの時が過ぎ、今怒りの時に入っている。
私の中に積みげられたぶつけられない怒りはここに吐き出していこうと思う。

もし、不快に感じることがあったらスルーしてくださいね。

明けまして、おめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。