最近、過去の日記を読み返してみました。
随分と波乱万丈な日々を送っていたのだなと自分の事ではない気がしました。
このブログを書き始めたのが2005年の11月です。
今は2011年8月。
いつのまにこんなに時間が経ったのでしょうか。
ただただ驚くばかりです。
最近街の中で杖をついた老人を見かけると、ふと元姑じゃないかと目を凝らして
見つめてしまう事があります。
お兄ちゃんが産まれる一週間前に突然『手が痺れて箸が持てない』と電話がかかってきて、元夫が迎えに行って病院に連れて行ったが為に、全てが手遅れとなって病院に連れて行った途端意識不明となってしまい、最初は99パーセント治ると言われていたのに
結局脳の3分の1がダメになって半身不随になってしまった。
あの時、元夫が迎えに行くより救急車を向かわせていたなら、何度後悔した事だろう。
まだ60歳になったばかりの姑。
初孫をあと1週間で抱ける筈だったのに。
街中をおしゃれをして行きすぎる姑に似た老人を見るたびにそんな事を思い出します。
『どうしているだろうか。』と。
あの頃、見た映画の再放送を見るたびに
『この映画こんなに面白かったっけ?』と気づいたり、
あの頃、行った筈の動物園も
『こんなに見ごたえあったっけ?』と驚いたり。
あの頃、全く余裕がなく何かを楽しむ事は何かを忘れたり、紛らわす為の道具と
なっていたんだなぁって思う。
今は全てを心から新鮮に楽しめるようになったんだと感じうれしくなります。
会社に行けば、50歳だろうと、60歳だろうとネイルにエステ。
自分磨きに余念のない仲間がいて、おしゃれをする楽しみを随分教えてもらった。
結婚して、Тシャツとジーパンにノーメイクは当たり前。
身の回りなど気にもとめなかった。
今は、服一つ探すのすら楽しい。
自分の物を自分の考えで買える自由があると言う事はなんて幸せなのだろうか。
この前、偶然、元夫とばったりあった。
しかしかなり近くに行くまで私は全く気がつかなかった。
暮らしていた頃の元夫は昨日の事のように思い出せるのに。
今はすれ違う他人と見分けがつかなかった。
どうやら私はただのおばさんになってしまったらしいと気がついた。
もうあの頃のように、どこにも行けなくて、何かに餓えていて、何をしていてもここにいないような自分を感じることができない。
2005年11月の私はどこにもいなくなっていた。
それはなんだか、寂しいような、つまらないような気もするが、これで良いんだと思えるし、あの頃の自分が恋しいとも感じない。
自分で自分をようやく認められるようになったって事なのかもしれない。
人生半分生きてようやく。
長かったねぇ。
ばいばい。2005年の私。
そうそう。前はよく小さな座布団の上で背中を丸めて泣いている姑の夢を見ていましたが、最近は『じゃあ。遊びに行ってくるから』とニコニコと笑って出かけていく夢に
変わりました。
別れた後、施設に入ったと聞きましたが、もう私達親子がいた事も覚えていないかも
しれません。
きっと、楽しく暮らしていてくれると願っています。
随分と波乱万丈な日々を送っていたのだなと自分の事ではない気がしました。
このブログを書き始めたのが2005年の11月です。
今は2011年8月。
いつのまにこんなに時間が経ったのでしょうか。
ただただ驚くばかりです。
最近街の中で杖をついた老人を見かけると、ふと元姑じゃないかと目を凝らして
見つめてしまう事があります。
お兄ちゃんが産まれる一週間前に突然『手が痺れて箸が持てない』と電話がかかってきて、元夫が迎えに行って病院に連れて行ったが為に、全てが手遅れとなって病院に連れて行った途端意識不明となってしまい、最初は99パーセント治ると言われていたのに
結局脳の3分の1がダメになって半身不随になってしまった。
あの時、元夫が迎えに行くより救急車を向かわせていたなら、何度後悔した事だろう。
まだ60歳になったばかりの姑。
初孫をあと1週間で抱ける筈だったのに。
街中をおしゃれをして行きすぎる姑に似た老人を見るたびにそんな事を思い出します。
『どうしているだろうか。』と。
あの頃、見た映画の再放送を見るたびに
『この映画こんなに面白かったっけ?』と気づいたり、
あの頃、行った筈の動物園も
『こんなに見ごたえあったっけ?』と驚いたり。
あの頃、全く余裕がなく何かを楽しむ事は何かを忘れたり、紛らわす為の道具と
なっていたんだなぁって思う。
今は全てを心から新鮮に楽しめるようになったんだと感じうれしくなります。
会社に行けば、50歳だろうと、60歳だろうとネイルにエステ。
自分磨きに余念のない仲間がいて、おしゃれをする楽しみを随分教えてもらった。
結婚して、Тシャツとジーパンにノーメイクは当たり前。
身の回りなど気にもとめなかった。
今は、服一つ探すのすら楽しい。
自分の物を自分の考えで買える自由があると言う事はなんて幸せなのだろうか。
この前、偶然、元夫とばったりあった。
しかしかなり近くに行くまで私は全く気がつかなかった。
暮らしていた頃の元夫は昨日の事のように思い出せるのに。
今はすれ違う他人と見分けがつかなかった。
どうやら私はただのおばさんになってしまったらしいと気がついた。
もうあの頃のように、どこにも行けなくて、何かに餓えていて、何をしていてもここにいないような自分を感じることができない。
2005年11月の私はどこにもいなくなっていた。
それはなんだか、寂しいような、つまらないような気もするが、これで良いんだと思えるし、あの頃の自分が恋しいとも感じない。
自分で自分をようやく認められるようになったって事なのかもしれない。
人生半分生きてようやく。
長かったねぇ。
ばいばい。2005年の私。
そうそう。前はよく小さな座布団の上で背中を丸めて泣いている姑の夢を見ていましたが、最近は『じゃあ。遊びに行ってくるから』とニコニコと笑って出かけていく夢に
変わりました。
別れた後、施設に入ったと聞きましたが、もう私達親子がいた事も覚えていないかも
しれません。
きっと、楽しく暮らしていてくれると願っています。