トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

覚悟

2006-07-28 21:35:07 | 共依存症
大分気分が落ち着いて自分を見つめられるようになってきました

あの発覚から私は次のトラブルに向けて準備を始めた筈だった
夫名義の貯金から自分名義に変え、離婚の話し合いから折半した退職金を
子供名義に変えた

仕事探しはなかなか思うように捗らないかったけれど次のステップのための準備も考え初めていた

財布や家の大事な物は全て日替わりで入れる所を変えて盗まれないようにした

そこまでしていても私には覚悟が出来ていなかったのだ

夫の任意整理も順調に進み、夫は人が変わったように穏やかになった
仕事探しもなかなか進まないけれど我が家には笑いが溢れていた

今まで夫の目を直視する事ができなかった
それは夫の目の中の映る嘘の数々を私が見抜いてしまうからだ

これ以上傷つきたくないという想いから私はいつしか夫の顔を見ないで話すようになっていた

でもそんな夫の顔も見られるようになった
夫を信用したわけじゃないと思いながらも
どこかでいつものお気楽、極楽で
「もう大丈夫。準備は怠らないけれど、これは無用の準備になるはず」と高を括っていたのだ

覚悟が出来ていなかった
その一言に尽きる
考えが甘かったのだ

もし覚悟が出来ていたなら「質屋?そんな手もあったのか!」と驚きもしなかったに違いない

今度こそもし何かあったら夫に黙って出て行こう
そう決めていた
質屋の告白を受けて私は以前に書いた離婚届を箪笥からだした

でもそれを夫の下へ持って行く事が出来なかった
心の中では「別れるって言え!ちっこ!もう駄目だと言え!」と叫んでいた

でも喉に石が詰まったように声にならなかったのだ
夫に別れを告げられなかったその自分の心の有り様こそが私を打ちのめした

なぜ夫に別れを告げられないのだろうか
絶対今度こそと決心していたのに・・・
なぜだ?!
頭の中にグルグルと渦巻いて混乱していった

ふと心に浮かんだ言葉は「好きなんだ。離れたくない」だった
ずっと14番目だと思っていた夫は私の中で1番になっていた(14番目に好きな人に書いてある)
その事実にまた打ちのめされてしまった

結婚してから16年間夫とは本当にいろんな事があった
夫の借金で心が潰されるほど傷ついた事もあった

でも不妊で苦しむ私を救ったのは夫だった
舅のアルコール依存症と戦えたのも夫が支えてくれたから
姑が帰ってしまって鬱状態になった私をつまらない冗談で笑わせ続けてくれたのも
夫だった

子供の頃から自分の居場所を探し続けてきた
実家にいる時も姉と暮らした時も私はいつも落ち着かず此処ではないどこかを探し続けた
「自分の居場所がきっとある。」そう思ってきた

私はこの家族が好きだ
私は夫が好きなのだ
此処が私の居場所だった
やっと見つけた場所なのだ

今まで私は黒か白かしかなかった
小さい頃から夢に見ていた家族
一点の曇りもない家族
そして一点の曇りのない自分

それを作るために必死になっていたように思う
夫は真面目で優しくて子煩悩
子供は素直で明るくて優しい子
そんな家族に囲まれて暮らす私

そこに少しでもシミが付くと堪らなく自分が汚された気がして
必要以上にそのシミの原因を潰そうとしていたんだと思う

借金も本人の自覚がない限り病院へも行かないし、もしこれから仕事が見つかって
何か困った事があったらまた借金をする事もあるかもしれない

でも私に何ができるだろう
私には夫に自分の気持ちを伝える他成す術はないのだ

じゃあ私には何ができるだろう
私が今この家族と離れたくないと思っている以上私の口から別れの言葉は出ない
今の私では無理なのだ

だからといって全てが駄目になってしまったのか
夫の全てが否定されてしまうのか

夫がもし借金依存症だとしても今は子供にも被害が及んでいない
子供に及ぶ事があったならきっと私は迷わないだろう

その為に私自身もその覚悟の準備が必要なのだ
何でもすぐ結果が欲しいと思うのも共依存症の特徴らしい

すぐ自立した自分を手に入れたいと思っても無理なのだ
私自身が時間を掛けて自分が成長するのを待つ事も大切なのだと思う

その為にはいろんな事をしなければいけないんだと感じる
まだやり始めたばかりじゃないか

私は「夫の為に」を止めて「自分の為に」生き始めたばかりなのだ
だから私は決断できなかった自分をもう許してあげようと思う

自分の為にやる事が山積みだ
ひとつづつゆっくり進まなきゃ

励ましのコメントをくれた皆さん本当にありがとう








ありがとう

2006-07-23 17:38:40 | 
何があったかと言うと夫が私の財布からカードを抜き取りお金を下ろしている事が発覚しました

もうどうしようもなくショックでした

あの発覚から私は毎日財布を違う場所に隠していました
それを夫が探し当てカードを盗みお金を下ろした後また何食わぬ顔で戻していたのです

理由を聞くと3か月前の借金発覚の前月々14万利息7万の支払いに困り
夫は車の車検証を担保にお金を借りていたと言うのです

ようするに質に入れたわけです
質に入れたものは個人情報にも載りませんから分かりませんでした

その支払いを全額支払いたくて私に
「弁護士費用がちょっと余計にかかる事になった」と嘘をついてお金を私から持ち出しそれでも足りず私のお財布からカードを抜いてお金を下ろしたという事です

3か月前に夫と話し合い退職金を離婚用に分けました
「夫の取り分から借金を返済するのならいつでも下ろすので言ってくれ」と言ってありました

だから退職前に会社の友達や学生時代の友人から借りていた分もそこから持って行って払って来ました

夫はこれを期に全てを支払って自分は真っ白になってやり直したいと言っていたんです

弁護士の事やその後の夫の一生懸命に仕事を探す姿、家族の為にいろいろやってくれる姿などに以前の夫とは別人のように穏やかになって私自身が驚く程でした

私の頑なになった心もこれで夫が白くなりたいと心から願っているのなら
応援して行こうと思い結婚して初めて夫へ暖かい感情が湧き始めていました

それがこの裏切りでもう何を信じて良いのか分からなくなってしまいました

「友達の借金の事は話して持っていけて、車を質に入れた事は言えないとはどういう事か?貴方は白くなりたいと言っていたけれど、人を騙すようにお金を持ち出し
挙句に泥棒までしてお金を払ってそれで白くなったと言えるのか?

真実を話し正々堂々とお金を持っていって払ってこそ白く慣れるんじゃないのか」と話しているうちに全てが虚しく自分が空回りしている事に気がつきました

もう喉まで「もう駄目だ。離婚しよう」と言いたかった
なのに言えなかった

情けないと笑ってやってください
自分でもそう思う

偉そうに共依存なんて語っていた自分が恥ずかしくてたまりません

でも今はやっぱり言えないんです
子供の顔や自分自身がこの家族を捨てきれない

捨てられない自分もまた自分
情けないけれど受け入れるしかない

でもこのままじゃ自分が駄目になりそうで恐い
なにかせずにいられない

まだあり地獄の中に嵌ったみたいに気を抜くとずるずると落ちて行きそうで恐いです

自分が今出来る事は何かをとにかく探して見ます
このままじゃ駄目なんだと感じています

別れられない

2006-07-20 15:47:18 | 元夫婦
今の自分をかなづちで殴りつけてやりたいほどじれったい

なんで?なんで?この一言が口から出ないんだろう
「離婚したい」
この言葉が喉まででるのに声にならない

なんで?どうして自分の気持ちなのに思い通りにならないんだろう

くやしい。

別れたいのか?別れたくないのか?
それすらも自分の事なのに分からない人なんて
この世の中にいるんだろうか?

夫の事をもう理解するなんて無理なんだ
目に見えている夫は穏やかで根っこから腐っているようには
見えないんだけれど本当はもっと奥で腐っているのかもしれない

もう、わかんないや

わかんないのに私は別れるという言葉が口からでてこない。
愛しているから?
臆病だから?
共依存症だから?

夫を救えるとまだ思っているから?
そんなに自分は傲慢なのか?

喉まででかかった言葉がどうしても出てこない

「別れましょう」の一言なのに・・・

酒と暴力 8

2006-07-19 09:42:58 | アルコール依存症
舅はとにかくよく怪我をした
打撲に骨折、階段から転げ落ちて玄関のガラスを突き破って血だらけになった事もある

親戚の家に行って転んで呼び出されて小さな息子を抱えて夜遅くに車を走らせた事も一度や二度じゃない

ある時から私は舅の怪我に疑問を感じるようになっていった

怪我を使い分けている気がするのだ

本当に怪我をするときは突発的な物が多い
夜中とかに呼び出されるのは大抵予想外に起きる怪我である

でも舅が自ら怪我をしようと起こしている時がある気がするのだ

それは姑に暴力を振るおうとして姑のベットへ体ごと飛び込んで
壁に激突して肋骨にひびが入ったりとか

何日も経ってから実は転んで背中が痛くて息が出来ないとか言うときだ

そういう時は大抵夫や私と喧嘩したり、親戚ともめたり、私生活で問題がおきて
困り果てた時に決まって起こる

お酒が原因のトラブルで家族や周りと上手くいかなくなると、必ず酔って怪我をして周りが看病せざる終えない状況になる

そして病院だ入院だと周りが騒ぎ、本人は神妙な顔をして
「すまないなぁ」と心底反省したように言うのだ
周りはお酒で怪我をしたのだし、病人なんだからと
「いいさ。気にするな」と簡単に関係を修復させてしまう

私はいつも怪我をするたびに何日も実家に泊り込みで看病させられながら
そんなに簡単に許して良いの?あんなに揉めたのに?
問題はひとつも解決していないのに?と思っていた

離婚だ、絶縁だと騒ぐほどの問題だったのに舅の怪我というトラブルで
まるで何事もなかったかのように元通りになってしまうのだ

ある時から私はこれが舅の作戦なのだと思うようになった
困ると酒を飲んで暴れ、それでも解決出来ないと自ら怪我をして人の同情を買う方法。
危険で最高の方法・・・

姑が元気だった頃の事
ある朝、姑の妹から突然電話が掛かってきた
「姉さんが怪我をして動けなくなっているとお義理兄さんから電話が来た。見に行ってあげて」と言われた

なぜ直接うちに電話をしてこなかったのか?と疑問に思いながらも夫と実家へ駆けつけた

姑は居間に横になったまま痛みに耐えていた
昨日の夕方に買い物に出かけて転んだと言った
トイレも行けず舅が夜通しついて洗面器におしっこをさせていたと言うのだ

少しでも体を動かそうとすると姑は悲鳴を上げた
結局救急車で病院へ行った
背骨のひとつが潰れてしまっていた

そんな酷い怪我をしたのに救急車も呼ばず一晩中床に寝かせてただ見守っていたと言う舅に心底びっくりした
姑も自分で救急車を呼ぼうとしなかった事にも驚いた

後で叔母さんから実は姑は転んだ訳じゃなくて舅に追いかけられ2階の窓に追い詰められて飛び降りたのだと聞かされた

だから姑を救急車に乗せるときも付き添わなかったし、入院してからも一週間も見舞いに行かなかった理由が分かった

2階から追い詰められたといえ飛び降りなければならない恐怖とはいったいどんなものだったのだろうと考え心底ぞっとした


電話が繋がらなくなって舅の電話攻撃は増した
どんどん溜まる留守番電話のメッセージ
消去しなければ追いつかないほどだった

それでも私たちは鳴らなくなった電話に穏やかに暮らす事ができた
もう師走も迫った頃
突然舅の弟夫婦がやってきた

「やぁ。大変な事になっているらしいね。朝、兄さんから電話もらって、何か
怪我をして動けないから助けてくれって言うんだ。
それで今、駆けつけて救急車呼んで入院させて来たところなんだ。

入院の手続きとか荷物とかまとめるのちっこさんに手伝って欲しいんだ」と言われた

私は今までの出来事を叔父夫婦に話した
とにかく荷物をまとめて病院へ行ってアル症の事などを説明した方が言いと言われた

荷物をまとめて病院へ行き看護婦さんと話をした
病状は背骨の一部が潰れたと言うことだった

「背骨のひとつが潰れてる・・・・」そう聞いて
私は背中にプツプツと鳥肌を立つのを感じた

待合室で待っていると叔父夫婦が戻ってきて車で帰った
帰る途中、叔父が舅に「母さんに俺が怪我したと伝えてくれたか。」と何度も聞かれたそうだ

私の頭の中にはひとつの想像が渦巻いていた
舅が怪我をするために、怪我をして姑を取り戻す為に
2階から飛び降りる姿を・・・・・

そんな事までするはずがないと打ち消すが、背中や腕にざわざわと湧いた鳥肌を
とめる事が出来なかった
病院の廊下中に響き渡るように叫んだ舅の声が耳から離れなかった

「いてー!!いてー!!母さん!!かあさーん」
(つづく)


後悔

2006-07-14 14:11:30 | 子供
私は海が大好き
毎年一回は行きたい

週末の朝に「今日の最高気温は27度」とか言ったら即決行

その日を逃したらもう今年は行けないかもしれないからだ。

昨日は今年一番の暑い日だった
夫が「暑いからあーちゃんを水のある公園でも連れて行こうか」と言った
「それなら、海に行こう」と即答

お兄ちゃんは学校だから行けないけれど、娘だけでも連れて行こうと言うことになった

今日だけは夫が会社辞めて仕事探し中で良かったとか思っちゃった
(都合よすぎ)

早速おにぎり持参で出かけた
平日だから人もあんまりいなくて本当にラッキー

娘と浮き輪を持って海に入った
娘はきゃーきゃー言いながら、浮き輪に捕まって遊んだ

去年の娘はまだ2才半で水を恐がって、砂浜で遊ぶのが多かった
でも今年は娘と水に入って浮き輪を押したり引いたり、もう本当に楽しかった

帰りの車で疲れきって眠っている娘の寝顔を見て
「どうしてお兄ちゃんとも遊んであげなかったんだろう」と後悔した

前にも書いたけれど私は息子が小さい頃には他の事で一杯でほとんど息子をほったらかしにしていた(息子 息子2 息子 

息子が小さいとき一緒に遊ぶと言うことがほとんどなかった
息子と遊んでも気持ちはどこか遠くにあってちっとも楽しくなかったのだ

息子と遊ぶ時間があったら夫や舅を何とかする方法を考えなくちゃといつも
気持ちはうわの空だった

息子が小さい時も毎年必ず海には行った

でも私は日傘の下で本を読んで眺めているだけだった
息子は水を恐がった

私が「見ているから、海に入ってみなさい」と言っても
「恐いからいやだ!!」と言って絶対入ろうとしなかった

私は「せっかく連れて来たのに、本当にあんたってつまらない子供だよね」と言って傷つけた

あの頃の自分を想うとき、よく頑張っていたなって我ながら思う
次々と起こる夫や義理両親達の問題もその都度必死に悩み、良かれと思うことを
全てやりつくしていた

ただ間違っていたとしたら、その夫や義理両親によって奪われたエネルギーを
子供で取り返そうとした事だ

自分の事を考える事が出来ない性格の為に人によってエネルギーを奪われ人によってエネルギーを補充しようとする方法でしか自分を支えられなかった

父親や義理両親の為に生も根も尽き果てたような姿を息子に見せつけ、影で父親の悪口を子供に垂れ流しのように聞かせて、子供からエネルギーを奪っていったのだ

物言わぬ息子を餌食にした私は鬼だった
息子にとって一番の被害を与えたのは飲んだくれの舅でも借金まみれの夫でもなく、それに振り回され続ける私だったのだ

息子と最初に遊んだのは馬とびだった

息子が1年生の時に娘が生まれ、息子は次々と問題を起こしていった
そして目は虚ろにになり、母親としてはじめて子育てのツケを味わった

私が息子に必要な事を何も教えてあげなかった為に
妹が生まれたて起こった生活の変化についていけなかった
他にもいろいろな事が起こって息子の心は遂に悲鳴をあげたのだ

どうしたら良いのか本当に分からなかった
ただ息子に申し訳ない気持ちで一杯だった

笑顔を失った息子にどうしても笑って欲しかった

息子は体育で跳び箱をやっていた
なかなか上手く飛べないと言う

じゃあお母さんと馬とびをしてみようと言うことになった
家の中で娘が昼寝をしている時やちょっと大人しくしてくれている時を狙って
ソファーを片付けて息子とドスン。ドスンと馬とびをした

息子のその大笑いと言ったらなかった
飛べなくて私の上に乗っかって潰れちゃったり。
私の一番高くしたのを飛べて大喜びしたりした

初めて弾ける様な息子の笑顔に私も泣きながら笑った

息子にとって母親と遊ぶ事が本当に新鮮だったのだろう
その頃私はまだ息子と遊ぶことを楽しんではいなかった

ただどう息子とコミニケーションを取ったら良いのか分からなかったのだ

学級のレクリエーションで学校へ行ったとき、私がクラスに入ると息子は
「きゃー!お母さんだ!」と歓声をあげた
そして私にしがみついて来た

「今楽しいことは何ですか」と言う質問をクラスの一人一人が話す時に
息子は「毎日お母さんと馬とびをしています。凄く楽しいです」と言った後に
「お母さんが・・・」「お母さんが」と私の話で止まらなくなってしまった

私は顔から火が出るほど恥ずかしかったがどれ程息子が私を求めていたのかを
痛感したのだった

先生が「息子さんとってもいい表情になって来ました。もう大丈夫だと思いますよ。ひとつ山を越えましたね。毎日お母さんの話で止まらないんです
子供って成長するんですね。私も勉強させてもらいました。」と言われた

嬉しかった。
子供を褒めて貰えて、こんなに嬉しいことはなかった
自分の子供の為に考えてした事を子供が受け取り成長する姿をその時
初めて知ったのだ

息子が産まれてから、寝返りしたとか、立ったとか、歩いたとか沢山の成長を息子は見せてきてくれたのに私は何一つ感動もせずにいたのだ

立って当たり前。歩いて当たり前。別に嬉しくもなんともないと感じてきた

その息子が笑顔を取り戻してくれた事がとても嬉しく忘れられない成長となった

息子は5年生になった

最近じゃ全然お母さんと遊ぶこともない
たまに寝るときに息子と話をするくらいだ

それでも小さな成長を息子は見せ続けてくれている
自分から勉強を始めるようになったとか、手伝いを進んでするようになったとか
そんな些細な成長でも見逃さないようにしたい

どんなに後悔しても過ぎた時間は取り戻せないし、犯した失敗も埋められない
でも私はもう絶対に息子からエネルギーを奪ったりしない

子供たちの前ではずっと笑顔でいようって思う

酒と暴力 7

2006-07-13 07:39:19 | アルコール依存症
姑は最後まで自分が暴力を振るわれていたとは言わなかった
姑の中で暴力を振るわれていたと言う認識がなかったのだ

私が「お姑さん、殴られるだけが暴力じゃないんですよ。ご飯をくれない事も
死ねと罵られる事も暴力なんですよ」と言うと驚いたように私を見た

今までずっと姑はどんな酷い事をされても

「ちょっと叩かれただけ」
「飲みすぎで買い物に行けなかっただけ」
「ちょっと口が悪かっただけ」と舅を庇った
そして姑自身もそう思い込んでいた

全て飲んだ為に起こった出来事
飲んでいなければ穏やかだし暴力だって振るわない。
ご飯も洗濯も出来る

飲んでいるから出来ないだけ

飲んでいた上で起こったことは本人の責任じゃない
酒のせいなんだから、事故みたいな物だ
そう思っているようだった

実際私も自分が暴力を受けたのだと認識するまで時間が掛かった
電話の音やドアの物音に怯え、夜も舅が家の中に入ってくる夢に
うなされ、寝ることも食べることも出来ないほど追い詰められても

舅の電話も暴力も酒が引き起こしている事
お酒を飲まなければこんな事は起こらないはず

だからお酒を止めさせれば私の苦しみも解放される
これはお酒の問題なんだと思っていた

病院で「これを読んでください。きっと役に立つはず」と言って渡された本を
私はむさぼるようにして読んでいた

医者にも見離され途方にくれた私には同じアル症に苦しむ家族が綴った、本だけが
たよりだった

そこには暴力を回避する方法も書かれていた
「アル症者達はアルコールを飲むことを責められる事を嫌います
飲んでいるときはその場を離れ、暴力を振るわれそうになったら逃げましょう

暴力を振るうようなきっかけを作るような話題は避けましょう」
アル症者で断酒を続けている方のコメントも載せられていた

「家族にアルコールの事や過去の失敗を罵られる事が嫌だった
とにかく放っておいて欲しかった。言われるとカッとなって自分を止められなかった。等」

もう舅は一人であの家にいるのだから誰にも咎められる事もなく飲めるじゃないか
それにいつも電話してくるときは素面だった

「家に行ってやる。首吊ってやる」と私が一番恐がる事を言うときも飲んではいないようだった

アル症者の中にはアルコールを断酒しても飲んだときのような暴力を振るう人もいる。
そうなるとそれは人格の問題でアルコールとは別と考えなければ行けません
この文章に胸を突かれた。

今まで全てアルコールのせいだと思っていたから読み飛ばしていたけれど
冷静に考えると思い当たる事が次々と沸いてくる

舅は飲んで暴れる事もあったけれど、一口位しか飲まない状態でも酔った振りをして暴れているように見えることもあった

お酒という隠れ蓑を使って、自分の気分によって暴力を振るっていたのだ

私は初めて婦人相談センターへと電話を掛けた

今までの出来事と電話に脅されて自分が追い詰められている事
舅の言うように話し合いで電話が止まるなら話し合いをさせた方が良いのかとすら
思い始めている事を相談した

その相談員は年配の穏やかな声の女性だった
「電話、出なければ良いんです。番号指定して拒否する方法がありますよ」

「でも電話に出ないとどうなるか恐ろしくて・・・」
「どうなるんです?来たら警察を呼べば良いんです」

「それに飲んでいなければ穏やかな時もあるんです」
「飲んでいるか飲んでいないか電話に出る前に分からないでしょ。
電話が恐いなら出なければ良いんです。」

「話し合いさえ出来れば良いと言うんです」
「何を話し合うんですか?」

「さあ。お金の事とか、これからの生活の事とか」

「今まで話し合いが出来た事がありますか?」

「・・・・・・・」絶句だった
話し合いなど出来たことは一度もない
いつも話し合いとなるとお酒を飲み始め、結局自分の言い分が通らないと
暴れだす

「ないです・・・」
「でしょ」
「話し合いの出来ない人と話す必要はないんです」

「でも死ぬとか、家を売るとか言うんです」
「だから電話に出なければ良いんです」

「舅さんが恐くて話ができないと切れば良いんです
相手の行為に怯えているという状況を伝えるんです」

その相談員の
「あなたが相手が恐いと思う気持ちは当然です。あなたは悪くないんですよ
脅す人間の電話に出る必要はありません。来たら警察を呼べば良いんです。」

何度も電話に出なくて良いと言い続けてくれた
脅すような人間と話す事はないと相手に伝える為にも電話に出なくて良いんです

その言葉にだんだん勇気が沸いてきた

自分は利不屈な暴力にさらされている
その事を認めなくちゃいけないんだ

もう脅されてたまるものか!
この先この戦いはいつまで続くか分からない
そして負けるわけにはいかないんだ

心の中で強くそう思った

電気屋でナンバーディスプレイの電話を買った
ナンバー指定で拒否出来る

相手に完全に電話を拒否していると思わせないために
ベルはならないけれど自動的に相手に留守を伝えメッセージを録音できるようにした

メッセージは何十件も貯まり続けたが電話の音に怯えなくて済むようになった

でも舅はそんな事じゃ諦めなかった

舅にとって姑の存在はどのような物だったのか
それを夫婦愛と呼ぶのか?
拒否されると言うことはどれほど舅にとって許されない事実であったのだろうか

私はそれから舅の恐ろしい程の執念を思い知らされる事となったのだった
(つづく)

あーぁ

2006-07-11 16:29:23 | 元夫婦
私って本当に一人の時間がないと駄目なタイプ

ベランダに座って本を読んだりボーっと外を見ながら
頭の中でいろんな事を想像したり考えたりすると気分がとっても落ち着いてくる

夫が退職するまでは昼間は娘と2人でいて娘が昼寝の時とか
一人遊びをしている時にそういう時間を作って息抜きしていた

今は夫が一日中喋ってる

夫って何でもかんでも私に聞いてくる
履歴書ひとつとっても「自己紹介はこれこれで良いか?」
「職務履歴はこんな感じ?」とか・・・

「ここはどう?」
「電話する?」
「切手貼る?郵便局でだす?」

あーする?こーする?どーする?って次から次へと
それで私が「そこはこうした方が良いんじゃないかな」とか言うと

「それは駄目だって言われたんだって!!」と必ず逆切れする
だったら聞かなきゃいいじゃないかって思う

前に「するか?どうか?」って聞かれるのは嫌だ
結論を私に預けられるのは重いと伝えたら

「聞いているわけじゃない。独り言言ってるだけだ」って言われた

あっそうなんだと思って聞かれても無視してたら
「なに怒ってるの?」と不機嫌に言われてしまった

「前に独り言っていったじゃん」って言ったら
「確認してるんだから返事くらいしてよ」と喧嘩になった

ただ「うん。うん」と肯定の返事だけ欲しいなら、うなずき人形でも前に置いとけ!!

夫とは会社の休みの日の時でも一日中顔を付き合わせていると必ず喧嘩になった

夫に話しかけられ続けられるのがめちゃくちゃ苦痛。
だんだん疲れて無表情になってくる
それが夫には気に入らなくて喧嘩になってしまうのだ

だから休みは必ず出かける事にしていた

会社を退職した頃は毎日夫は出かけたがった
でも毎日掃除もそこそこに出かけるのって結構大変
お金も掛かるし、下の娘も疲れてイライラしてグズグズ言ってばかりいた

遂に私も風邪でダウンして、平日のお出かけは止めた。

それと夫の変な遊びも私の悩み

夫は子供に突然凄い怒鳴り声で「兄!!!ちょっと来い!!」と呼ぶ
息子は弾かれたようにたって恐る恐る夫の下へ走る
そうすると夫はにっこり笑って
「なーんちゃって。ハイ!お土産」とやるのだ

夫の怒り方は舅にそっくり!だから余計に息子は怯えたような顔をする

そのうち夫の顔色を見るようになった
今の呼び方は冗談かな?
怒ってるのかな?

こんな言い方でお父さんは怒らないかなって探りを入れながら話しているのが
手に取るように分かる。
夫は全然気がつかないでいた

この前もショッピングへ出かける途中に図書館に寄ってもらった
待たせちゃ悪いと急いで車に戻ると息子がなかなか戻って来ない

急いで呼んで「ごめんねー」と言ったら
いきなり「帰る!!」とはき捨てるように行って家に車を向かわせた

「え?何で?怒ってるの?そんなに待った?」と息子がオドオドと聞いた
「何?本気?」と聞いていたら

「帰る」としか言わない
息子も「何で?何で?」と聞いているのに
「帰るから帰る」
と言った後で


「携帯忘れたから帰るって言ったんだー」と笑った

もの凄く腹がたった
「そういう遊びって好きじゃない。お父さんの悪い遊びだよね。
人を脅かすように言って後から冗談とか笑うのって全然面白くない

子供がいつもお父さんの顔色伺うようになっているのに気がつかないの?
人を試すような遊びやめてよ!」と怒った

すると夫は「携帯忘れたから帰るって言っただけだろ!悪いのかよ」と逆切れ

もうこれ以上言ったら最悪になるから黙っていたけど本当に趣味の悪い遊びだ

今度じっくり話してやる。

それにしても今日も我が家は人口密度高すぎ
息子は毎日友達を連れてくる

毎日常時4-5人は来る
今は面談で早く帰ってくるからもう本当に家の中が大騒ぎ・・・

夫の話と息子の話、下の娘の話も聞かなくちゃいけなくて
私って聖徳太子になったような気分・・・

もうすぐ、夏休み。。。。。
この状態が朝から晩まで続くのかと思うと地獄だ・・・(トホホ)


酒と暴力 6

2006-07-09 09:35:47 | アルコール依存症
舅は本当に周りを取り込むことが上手かった

姑を匿っていた頃いろんな人が舅の説得にあたった

最初は舅の唯一の古い友人であった
その次が市の精神保健課の職員の人だった

でも必ず舅の言い分を鵜呑みにして
「あなた達の方が悪い。これだけ舅さんにしてもらっていながら
舅さんへのこの仕打ちはあまりに可哀想だ

せめて話し合いだけでもしてあげたらどうですか。
あの舅さんなら分かってくれますよ。
とても反省しています
見ていてとても辛いです。

お互いに悪いところがあると認めてお姑さんと話し合いをさせてあげて
下さい」と言われた

私はその人達に舅を説得する前にちゃんと今までの経緯を話していた
その人達もその話を「まあ。」とか「あらー」とか言いながら
納得してくれて舅の所へ出かけて行った

でも結局舅の話の上手さにみんな騙されてしまうのだ

「俺は10年も半身不随の妻の面倒を見てきたんだ。
ちょっと疲れて乱暴な言葉や飲み過ぎた事もあった。

娘を失って息子だけには幸せになって欲しいと
息子夫婦には家を買い与え俺が金を払ってやってきた
今じゃ退職金も底をつくほど息子夫婦に使い果たした
それなのに俺に話すチャンスすら与えてくれない。

もう死ぬしかない。
こんなに尽くしてきたのに家族に裏切られて俺は生きている価値がない」
こう言って相手にさめざめと泣いて見せるのだ

半身不随の妻の介護に疲れた夫。
幼い娘を亡くした悲しい父親

それを完璧に演技しつくすのだ
普通の人なら騙されてしまうのかもしれない

ミイラ取りがミイラになっちゃったような物

それでも舅の友人はとても心配してくれて
何とか私が相談に行った精神科に舅を連れて行ってくれた

夫と友人と舅の3人で出かけた
その場で舅がアルコール依存症を認め治す意思を表したら即入院の手続きをする筈だった

でも診察の時に舅は
「俺はお酒を飲みすぎて記憶がなくなった事はない。
飲むのも夜だけだし、量だってコップ一杯と決めている。
建設業だったので大工を使うのに声も大きいし、言い方も荒い方かもしれない

でも暴力なんか振るったことはない。
どうして家族がそんな事を言うのか全く心あたりがない」と言い切った

医師は「そうですか。今のお話だとあなたは病気じゃありませんね。
治療する所はありません。お帰りください」と夫と舅に言った

夫は横に座っていて腸が煮えくり返った
こいつはもう駄目だと思ったと言う

舅は意気揚々と電話してきて
「医者にアルコール依存症じゃないと言われた。もう大丈夫だ。
お前らの言うとおり病院にも行ってきた。
さあ。母さんを返してくれ」と言った

私は舅が病気を認める事はきっとないだろうと確信した
これは姑を取り返す為の手段でしかなかったのだ

本気で私たちの話に耳を傾ける事などない
アルコール依存症は否認の病気をと言われることを思い知らされた

本人が本当に治りたいと思わなければ治療はできない
医師の言葉は間違っていなかった
医師は舅に治す意思がないと見たのだろう

だからあえて舅の話を鵜呑みにし門前払いしたのだ
舅自ら門を叩くまで待つしかないと覚悟を決めた

その日から今までよりもっと電話が激しくなった
「俺は約束を守って病院へ行った。医者から病気じゃないとお墨付きを貰った
それなのに母さんを返さないとはなんだ!」と言って
電話を掛け続けた

次に頼んだのが市の精神保健課の人だった
その人はアルコール依存症の人の家庭を廻って様子を見たり
病院を世話したり相談に載ってくれる仕事をする人だった

その人もまた舅の話を信じ込み
「アルコール依存症といってもまだ強制的に入院される程でもなさそうです
それよりとても反省していて見ていても辛かったです

お姑さんと話し合いをさせてあげて、和解の道を探されてはどうですか?」と言われる始末だった

話し合い・・・
電話は鳴り止まないほど掛かってきて、電話に出れば
「家を売ってお前らを住めなくさせてやる!死んでやる!今からお前らの家に行ってやる!」と脅され続け、私は電話の音だけでも体から汗が吹き出るようになっていた

玄関で音がしようものなら心臓が喉から飛び出るんじゃないかと思うほどドキドキした

毎日、毎日、買い物に行っても後ろに人が立つと飛び上がるほど驚き
息子が学校から帰ってくるまで心配で心配で先生に事情を話様子を見てもらう程だった

もう私の恐怖は限界に達していた
そしてある時閃くように気がついた

アルコールの問題と暴力の問題は別なんじゃないか・・・
アルコール依存症を治さなければ暴力からも逃れられないと思い込んでいたんじゃないか

暴力は暴力としての対処をしなければ私は頭がおかしくなってしまう
自分を守るために暴力と戦う必要がある。

アルコール依存症の問題はもう手を尽くした
だから私は暴力と闘う

もう私を脅かす事は絶対に許さないと決心したのだった
(つづく)




どこへ行く

2006-07-06 09:07:13 | 
夫の仕事も見つからず、見つからないどころか面接すら受けられない
やっぱり40過ぎで転職なんて無謀だったのか。

こうやって見つからないと、本当に辞めなきゃいけなかったのかなと後悔が頭をもたげてくる

夫が会社を辞めていろんな人から言われた
「何であんな良い会社辞めたの。暴挙だよね。40過ぎて見つかるわけないよ
親の財産でもあるの?良い身分だよね」なんて言われた事もある

財産なんてある訳ないじゃない。親のローンを代わりに払っているくらいなんだから。
おまけに夫は借金で任意整理中だし・・・

夫の退職は上司に夫のミスを見つけられて本社に報告され、
本社から「こういうミスを繰り返す人は今まで辞めてもらう事にしている」と言われた事が発端

それを聞いた上司が夫が辞めるものと決め付け、夫の持っている営業の仕事を全て取り上げ夫を会議に入れず「辞めるんでしょ」と言い続けた

夫は仕事もなくただ座っているだけの毎日
上司からは「いつ本社に報告するの」(辞職表をだすの?という意味)
といわれ続けた

疲れきった夫は「辞めます」と終に本社に電話をした

上司はそれを期に会社の人に言いふらし撤回できないようにした
周りの人はすごく心配してくれた

「土下座して撤回してもらえ」と言ってくれた先輩がいた
その人もちょっと前に地方に転勤を申し渡されたらしい
裏を返すとリストラ扱いだ

その先輩は本社に行って土下座して「子供が小さいしどうしてもこの会社に置いてください」と頭を下げて転勤もリストラもなくなった

夫も土下座したら撤回できたのだろうか・・・

でもあの上司と居続けたら夫は病気になっていたかもしれない
眠れない。食べれない。
頻繁に起こる下痢。
どんどん痩せていく夫を見て私もこれ以上は無理だと感じた

「もう、辞めても良いよ」
あの上司の側にいたら夫は病気にされてしまう。
本当にそう思っていた

でもあれって会社の事だけで眠れなかったわけじゃなかったんだよね
借金で首が回らなくていつもお金の事ばかり考えていたからだと思う

月に14万も払うなんて小遣い2万の夫には不可能
利息だけに免除してもらってたらしいけれど利息だけで7万もあった

小遣いで払った2万の他に残り5万を用立てるのに毎月毎月頭がいっぱいだった事だろう

最後の方は家に毎日不要の会社の品物を持ってきて
「これを売らなきゃ困るんだ」とか言って家からお金を持っていった

出張旅費もでないとかいって毎月3万は掛かった
これじゃあ給料貰っている意味ないよといつも思っていた

家計はいつも赤字。
唯一、ボーナスがあったから何とか凌いで来られた

このままじゃ会社に我が家は潰されてしまう
そう思っていた
まさか夫が借金返済の為に嘘をついてお金を持って行っているとは夢にも
思っていなかった

あれが全て嘘なら、夫の会社って凄く条件の良い会社だったことになるじゃないか

辞めるって決めてから借金の事が発覚して、任意整理する事になった
任意整理ってよく分からなかった。

弁護士に頼むと払いすぎた利息の分を整理してくれる
多い人なら100万くらい減ったりすると書いてあった

100万減ってもまだ200万以上借金があった
弁護士の費用も掛かるしもし退職金がなかったら相談に行ったりしなかったかもしれない

相談してみてビックリ
弁護士の計算でいくと夫の借金は古すぎて350万の借金はなくなっておまけに
戻ってくるかもしれないと言うのだ

相手の業者の和解が成立しないと駄目らしい
6社ある中で何社かは裁判を起こす事になったという

その裁判が終わるまでにまだまだ掛かる。
本当に借金がなくなるなんてあるんだろうか・・・
夫も私も半信半疑

でもね。私は夫に誤解しないで欲しいなって思う
だって最初に契約書にこの利息で請求しますって書いてあった筈なんだから

これは夫の契約違反だと思う
相手の会社も法律ぎりぎりの利息で貸しているんだけれど、それでも
夫は自分の意思で借りたんだから

騙されたみたいに思って欲しくないと感じる
自分が招いたという事を絶対忘れないで欲しい

夫は今でも「本当にお前に感謝してる。助けて貰った」と言うけれど
それがのど元過ぎれば見たいにならないように祈っている

まあ。私の「準備ダス」の決心は変わらないけれど。

もう過ぎてしまった事をクヨクヨ考えても仕方ないんだけれど。
母に
「夫が会社を辞めた今と会社に行っていた今とどっちが良い?」と聞かれた

もし就職できたとしても、収入はきっと半分以上減っちゃうだろうし、今まで見たいにのんびり家にもいられないけれど、借金も発覚しちゃって、会社も辞めちゃって夫は気の抜けた風船みたいになっちゃった

この前「あれ?この人こんなに優しそうな顔だったっけ」とマジマジと眺めてしまった

きっとこれで良かったんだよね。

酒と暴力 5

2006-07-04 10:23:52 | アルコール依存症
今思えば、私は焦っていたんだと思う

何とか舅を病院へ行かせたい
病気だと認めさせたい
そう思っていた

とにかく追い詰められている感じだった

舅はどんな言葉が相手に一番ダメージを与えられるかが瞬時にわかる所があった
姑が何に一番弱くてどんな風に責められれば落ちるかも知り尽くしていた

私にも夫にも果ては孫に対してもどんな言葉が一番有効で自分の思い通りに
相手を動かせるかを計算しつくす能力があった

だから舅はとにかく話し合いをしようと執拗に迫った

話し合いにさえ持ち込めばこの苦境を打破できる
自分を悪者にせず相手に罪悪感を植え付けそれをネタにこれからも
相手を想いのままに自分の為に使いこなせると自身があったのだろう

話し合いさえできれば・・・

舅に謝った後実父の車に乗って舅の家へと向かった
本当に父に舅を説得できるのか?
お酒の入った舅を父は知らない

車の中で父が「それにしてもお姑さん痩せたなー」と言った
最後に父と姑が会ってから5年は経ってるだろう

「そりゃそうだよ。ご飯食べさせて貰えてなかったんだから。
毎日1.8リットルの焼酎を飲み干して、昼も夜も寝ては飲み、飲んでは寝てを繰り返して病院にも連れて行かないし、買い物にも行かないんだから」

「そんなに飲むのか」

「病気だからね。飲まずにいられないんだよ。お酒が切れたら辛いんだから」

「そんな状況で放っておいたのか」

「手伝ったよ。沢山。でも手伝うと余計何もせずに飲んで、最後はトイレも行けなくて布団の横の空き瓶に尿を入れたりするほどだったんだよ。
私が手伝わなかったらそこまでは酷くなれない、最低のおかずは買ってきたりしなきゃ行けなかったから。
こうするしかなかったんだ」

父は黙っていた
そして道路わきに車を止めた
「そんなにか・・・・これはもっと何か考えてやらないと駄目なのかもしれないな
今、刺激しない方が良いのかもしれないな」と呟いた

父は私に
「とにかく電話だけはなるべく出ろ。無視すれば刺激するだけだ
分かったな。同じ男として舅さんの気持ちが分かる。
だから警察呼んだりしないで、とにかく電話に出て話を聞いてやって気持ちを落ち着かせるんだ」と言って帰っていった

謝ってから電話は一日に一回程度に減った
その度に出て「母さんと話させて」と言う要求には
「今はまだ怖くて出れないそうです」とか
「今日は病院へ行ってます」とか誤魔化した

舅もそれで納得してくれていた
やっぱり電話に出たほうが良いんだなと自分でも思った

でもそれは舅に私の隙を与えることになってしまった

ある日痺れを切らした舅が
「今日こそ母さんと話をさせてくれ」と言った

「今日は朝から気分が悪くて寝ています」といつものように言うと

「あんた。いっつもそう言って誤魔化しているが、俺には分かってんだ。
あー!?貴様いったい何様なんだ!俺はこれから首を吊るからな
死んでやるからな。良いんだな。あんたそれで良いんだな?」

私は動揺した
今まで「死んでやる」と言われた事など一度も無かったからだ

「俺は母さんがいなくちゃ駄目なんだ。今これから死んでやる。首吊って死んでやるーーーー!!!!」と興奮しまくった

「お舅さん。そんな事言わないでください。本当に気分が悪くて寝ているんです」

「あんた、何様なんだ!他人だろう!関係ねーだろ!!!引っ込んでろ!!かあさんだせ!!死んでやる!死んでやる!死んでやる!。」

私は絶句したままどうしよう、どうしようと頭をフル回転にして考えていた

しばらくの沈黙の後舅はふっと短く息を吐き

「いや。今からそっちに行ってやる。」
私が息を飲むのが分かったのだろう

勝ち誇ったように
「今から行くから。かぎ掛けとけよ」と静かに低く、そして私の心に重く響くように言った

「かぎ掛けとけよ」

背中から冷たい汗が流れて行くのが分かった

夫は出張中でしばらく帰って来ない
鍵を掛けなくちゃ・・・
とっさにそう思った

何度も何度も鍵を確かめた
チェーンも何度も何度も掛けなおした

その日一日玄関から少しでも音がすると飛び上がるほど驚いた

何度もドアスコープから外を覗き、学校まで息子を迎えに行った

舅は来なかった
でも舅の中で確かな手ごたえを掴んだのだろう

それから何度も舅の電話で
「これから行くでー!鍵掛けとけよ」と脅される事となった

私は水際に追いやられ、泥沼に足を取られ
ズブズブと引きずられていくような感覚に陥っていった

それでも私は諦められなかった
希望を・・・
たった一つの希望を・・・

(つづく)