トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

酒と暴力 4

2006-06-30 12:46:10 | アルコール依存症
「そんな事分かりませんよ。本人じゃないんだから」
その言葉に全ての希望を潰された様な気分に陥った

あの時はなんて思いやりのない医師なのだろう怒りすら沸いた
でもあの医師の言った事は間違ってはいなかった

今なら分かる
「本人じゃないから分からない」
そんな当たり前の事が私には納得いかなかった

私は舅の気持ちを先回りしていつも一生懸命考えてきた
本当はお酒を止めたいと思っているに違いない
本当は苦しくて助けて欲しいと思っているに違いない

私には分かる
舅の気持ちが分かる
きっと辛かったんだ。
まだ救いがあるに違いない
何か手を尽くせば舅はきっとアルコールをやめられる筈だ

病院へ入って同じ仲間と話が出来ればきっと舅のうめられない寂しさも解消されて
生活できるようになる
姑も家に帰れてまた月一回くらい通って皆で穏やかに暮らせるはずだ

アルコールをやめる事ができたなら・・・
捨てられない希望だった

警察を呼んでから、舅は来なくなったが電話が鳴り止まなくなった
切れては鳴り、鳴っては切れた

留守電に変えると苛苛したようなため息や突然切れたように
「テメーラ!出ろー!コノヤロー」と怒鳴り散らした
朝だろうと夜中だろうと鳴った

仕方なく夜は電話線を抜いた
昼間も抜きたかったが抜くと夫の会社に掛けて迷惑が掛かるので
抜く事が出来なかった

一週間が過ぎて突然実家の父と母がやってきた
父は家に来るなり
「舅さんを玄関で門前払いした上に警察まで呼ぶなんて、どういうつもりなんだ。
お姑さんの介護で疲れていただけだろう。謝ってお姑さんも帰ったほうが良い。
お前も電話を掛けて謝って許して貰え!」とまくしたてた

「でも・・・」と口ごもると
「いいか?常識で言っても身内を警察に連絡するなんて、話せば分かる事じゃないか」

「常識」父の口癖。
父の中で身内が警察に連絡する事や姑が家出をしたりする事など考えられないのだ

「みっともない。世間がどう思うか」そう言いたそうだった
父には私が大げさに騒いでいるようにしか思えなかったのだろう

父は姑に「お姑さんもこのままって訳にはいかないでしょう。帰ったほうが良い。
私がお舅さんに話してあげますから」と言った
姑は困惑したように俯いたまま返事もしなかった

父は私に「とにかく今からお舅さんに電話して警察を呼んだ事を謝れ。それからじゃないと話し合いも出来ない」

嫌だった。電話などしたくなかったし警察を呼んだ事を後悔もしていなかった

でも八方塞がりだった
病院へ入れる方法も暴力を止める方法もない。
父が説得すると言う。それも方法なら試すしかないのかもしれない

混乱に疲れ果てその辺にある藁なら何でもかんでも摑まりたい心境だった
私は舅に電話を掛けた

舅はすぐ電話に出た
「ちっこです。警察を呼んだりしてすいませんでした」と謝った

「おー。反省してくれたか。警察を呼ぶなんて本気じゃなかったんだろう」
本当に警察が来たことを知らないようだった
私は黙っていた

「いやー。反省してくれたら良いんだ。いつかあさん帰ってくるんだ」と上機嫌で聞いてきた
「今は無理です。お姑さんはお舅さんの暴力が恐くて会えないと言ってます。」

「俺、全然覚えていないんだ。何があったんだ。教えてくれ」

はらわたが煮えくりかえるようだった
覚えていない・・・いつもの口癖だ
何か問題を起こすと必ず「酔っていて覚えていないんだ」

今までそう言えば全てが許されてきた
姑もどんなに暴力を振るわれても
「飲んでて覚えていないから。」
「酔っていたから、言っても無駄」といつも許してきた

でもあの時の舅は酔ってなどいなかった
お墓参りに行くまで舅は飲んでいなかった
帰りに一本のお酒を買い一口口にして暴れだしたのだ

お酒を咎められた事が引き金だった
でも舅は泥酔はしていなかった
飲みながら暴力がエスカレートしていったが200ミリのワンカップ
を帰るまでの間に飲み干しただけだった

絶対に忘れてなどいない。
玄関に来たときもお土産を持って来るほど冷静だった
声を聞けば長い付き合いでどれ位酔っているか分かるようになっていた

あの時も泥酔などしていなかった
それなのに舅は酒のせいにして、自分のした事をうやむやにしようとしていた

許せないと思った
この数日間にどれ程恐ろしい思いをし、子供も怯え傷つけたのに
何一つ認めようとしない

全てはお酒のせい。
酔っていたから分からないと言えば全てが許され済まされると思っている
舅を絶対に許せない

初めて舅を憎いと思った
(つづく)








酒と暴力 3

2006-06-27 19:47:29 | アルコール依存症
バスで40分程乗って着いた病院は町外れの畑の中に建っていた
見渡す限りたまねぎ畑

ただただ広い畑を見回しながら病院に着いた

ひっそりと建っているように見えたのは外観だけだった
待合室の人の多さに一瞬ボーっと立ち尽くしてしまった

受付へ行って「自分じゃなくて家族の事で相談に来ました」と言うと
「家族相談は保険が効きませんがよろしいですか?」と事務的に言われ

「かなり待ちますのでこの食券で奥の喫茶室でお茶を飲んでいてください
ソーシャルワーカーが迎えに行きますから」と手作りの食券を渡された
奥の喫茶室は日当たりの良い、綺麗な庭が眺められるように作られていた
そこでコーヒーを受け取りぼんやりと座っていた

いろいろな家族が顔を寄せ合って話をしていた
私は夫に払いのけられた手を思い出していた

自分の父親を警察に通報しようとする妻
今度は精神科に入院させようとする妻
夫の目にはどう映ったのだろう

今までどおり私が我慢し続け世話を焼き続けていたなら、こんな事には
ならなかったのだろうか

舅がお酒を飲むのは姑の世話に疲れているからだと思っていた
突然姑が倒れ半身不随となって買い物も料理もしなければならなくなったからだ

姑が倒れたとき親戚に同居しろと言われていろいろ話し合ったけれど、夫と舅との折り合いが悪くて結局舅が頑張ると言い張った
私はその後ろめたさから何とか舅が少しでも楽になってくれたらと通って手伝ってきた

でもそれはいつしか私が行く日はお酒を飲む日と決まって
私が行けば行くほど舅は泥酔していった

結局私の手伝いが舅のお酒の量を増やす手伝いになってしまった

こうするしかなかった・・・
何度も自問自答してきた
舅の手伝いを止めて手放さなければ舅のアルコールは止まらない

でも止めた結果がこれ・・・
払いのけられた手が心が痛かった
夫のあの蔑むような、軽蔑するような目が痛かった

気がつくと涙が流れていた
「ちょっと良いですか?」と声を掛けられ振り向くとソーシャルワーカーの人だった

別室へ連れて行かれた
「私はアルコールの家族や依存症の方の回復の手伝いをさせて頂いています
これからカルテを作るために詳しく経緯を教えてください」

若いとても綺麗な女性だった
私は今までの出来事を詳しく話した
最後まで口を挟まず「はい。はい。」と細かく書きとめながら聞いてくれた

「何度も夫や姑にアルコール依存症の事を言ってきたんですが取り合って貰えなくて、警察が来てようやく納得してくれました」と言うと胸が詰まった

「分かります。理解して貰えなくてお一人で戦ってこられたんですね。
辛かったでしょう。お嫁さんは間違っていません。
今までの対応は本当にマニュアル通りです。すばらしい対応でしたよ」と言ってくれた

ひとりだった。
そう思うと涙が出た
そして私の話を聞いてくれて、それで良かったんだと言って貰えた事が
私の固く閉ざした心に染み渡った

「どうしたら舅を病院に入れて治療して貰えるんでしょうか」と聞くと
「今は幻覚症状や危険な行為でもない限り強制入院はできないんです」と言われた

此処に今までアルコール依存症と戦った家族の方達の記録をまとめ、依存症者との対応の仕方等をまとめた資料があります
これを読んで見てください
きっと役に立つと思います

次は診察で先生とお話ですから、もう少し待ってくださいね
話し終わって待合室に行くとお昼も過ぎて人がまばらになっていた

それでもなかなか呼ばれなかった
もう私しか残っていない状況になってようやく名前が呼ばれた

診察室に入るとそこは書斎のような部屋だった
大きな本棚があってメガネを掛けた神経質そうな先生だった
じっと書類を見つめた後で
「お舅さんはアルコール依存症だと思いますよ。
しかし此処へ連れて来ていただかなくては治療はできません。
治療には本人がアル症と認め本人が治そうと思う意思がなければ治療はできません」

それだけ言うと時計を見て大きなため息をついた
もう話す事は終わったからと合図しているように感じた

「あの。本人に病気と認めさすにはどうしたら良いんですか?」と言うと
「そんな事は私には分かりませんよ。本人じゃないんだから」
また時計を見る医師

「舅が暴力を振るっているのに病院には入れて貰えないんですか」と聞くと
「それは無理でしょう。暴力があるなら逃げるか警察を呼ぶしかないですよ」
足がいらいらとしたように揺れた

途方にくれて私は口を閉ざした
もう何を聞いて良いのかも分からなかった

舅にアル症を認めさせる方法も暴力を止める方法もないと言うのだ
そういう事なのだ

じゃあいったい私は何の為に此処に来たのだろう?
此処に来れば全てが解決できる

解決の糸口があると信じていた私はあまりに無知だった事を思い知らされたのだった
(つづく)












酒と暴力 2

2006-06-25 20:23:03 | アルコール依存症
私が受話器を耳に当てると夫がその受話器を取った
「俺が出るから」そう言った

夫にとって舅とかかわる全ての事が苦痛以外の何者でもなかった
どんな時も舅の事では自分の存在を消し、係わろうとはしなかった

最初は夫に舅の事を何度も相談したけれど
「そんな話聞きたくない。」と突っぱねられ
「あなたの親の事なのに」と言うと
「あなたの親って言うな!」と最後は逆切れされて話にならなくなってしまう

いつしか諦めて舅の事は自分で何とかしようと思うようになっていた
この時も夫は「どうすんだ!来たのぞ!煩いからドアを開けるか?」と慌てるばかりで、最後には部屋に篭ってじっとタバコを吸っているだけだった

夫は受話器を取り「警察ですか。相談があります。私の母親に暴力を振るうので
連れて匿っています。今、酒に酔って母を迎えに来たと玄関で暴れています
保護してもらえませんか」
まるで書かれた台詞を読むように淀みなく夫は言った

短く「はい、はい」と返事をした後電話を切った

そして私を睨み付け「電話したから。今来るから」と立ち上がった
私は夫の手を握ろうと手を伸ばしたが夫は乱暴に払いのけ部屋へとまた篭った

いつしか玄関が静かになっていた
そうっとドアの方へ行ってみると舅のつぶやく声が聞こえた
「何で?警察呼ぶなんて言うんだ・・・何でなんだ」
まるで叱られた子供のように何度も何度も言っていた

私は胸が締め付けられるような気がしてドアに手をかけた
するといきなり
「おい!ちきしょー!開けろ!開けろ!」とまた暴れだした

私はそっと部屋へ戻って嵐が過ぎ去るのをじっと待った

静かになってどれ位経ったのかチャイムが激しく鳴った
恐る恐る出てみると警察官が立っていた
「呼ばれたのはこちらですか?」

ありがたい事にサイレンも鳴らさずに来てくれた
「これは何ですか?」と指を指した先にメロンと水羊羹が置いてあった
お土産に舅が置いていったのだろう。
ドアを開けて貰えてメロンと水羊羹でいつものように笑って許して貰えると
思っていたのだろう

がっくりと肩を落とした大きな舅の背中が見えるようだった


舅の姿は見当たらなかった
警察が来る前に帰ったようだった

いつの間にか夫が後ろに立っていて、2人で警察に一通りの事情を話した
警察の人は「定年を迎えた男性がお酒にのめり込んで、こういう状況になる場合が多いんですよ。ぜひアルコール専門の精神科に繋がって下さい。
いつ錯乱したり手に負えなくなったときに強制的に入院できるように
家族だけでも相談に行ってカルテを作って貰うと良いですよ

またいつでも電話してください。
この程度と思わずに電話してください。いつでも来ますから」

そう言ってくれた

今まで舅が飲みすぎて暴力や問題を起こすのは意思が弱いからだと
思っていた
飲みすぎる前に飲むのを控えて程ほどに過ごせるのなら
お酒を取り上げるのは可哀想だと思っていた

姑も夫も何度も何度も問題が起きる度に
「飲みすぎるから駄目なんだ。何で決めて飲まないんだ。
自分で量を決めて分からなく前に止めさえすれば良いのに。
本当に意思の弱い人間だ」とがっくりと肩を落としている舅に
この時とばかりに攻め立てた

舅も問題を起こした時は心底反省して
「今度こそ量を減らして、頑張る。半分って決めて飲めば大丈夫なんだ」と
気持ちを新たにするのだった

しかしそんな月日も3カ月も持たない
いつしかサイクルが3ヵ月から1ヶ月へとなりそして夜だけ飲んでいたのが
朝も昼も飲むようになり、そして1日中手放せなくなった

それでも夫や姑はただ
「意思が弱いから。量さえ減らせば。止めるなんてあいつには不可能だ。止めるときは死ぬときだ」そう言い続けていた

警察に病気だと言われて初めて夫も姑も精神科に相談に行く事を許してくれた

次の日に私は前からリストアップしていたアルコール専門病院へと出かけた
私はこれで舅のアル症を治すことができて、また穏やかに暮らせるに違いない
此処へ来れば全てが解決する物だと勝手に思い込んでいた

しかし私はそこでアル症という病を全く理解していなかった事を思い知らさせる事となったのだった
(つづく)

酒と暴力

2006-06-23 08:32:39 | アルコール依存症
姑を連れて逃げた次の日(アルコール依存症<に書いてある)私と夫は姑の着替えと薬を取りに実家に向かった

まだ娘は一才半だったので姑に頼むわけにも行かず連れて行った
舅が寝ている事を祈りながら私は鞄にナイフを忍ばせた

もし荷物を運んでいる所を見つかったらどうなってしまうのか予想がつかなかった

逆上した舅と憎悪が限界を超えている夫
「いざという時には」と言う覚悟を決めて向かった

玄関には鍵がかかりチェーンまで掛かっていた
そっと鍵を開け定規でチェーンを外した

中に入ると舅が音に気がついて叫んでいた
「かあさーん。かあさーん。ゲボッ。ゲボッ。ゴホッ。ゴホッ。」
二日酔いで吐いているのか2階から甘えるように姑を呼んだ

姑が帰ってきたと思ったのだろう

私は娘の手を握り荷物をゴミ袋に次々と詰め込んだ
薬だけは忘れないようにしっかりと手に持った

2階からは相変わらず大声で呼び続ける舅の声が家中に響き渡っていた

とりあえず取れるものだけとって転げるように車に乗り込み家へ帰った

家に帰ると息子が「おじいちゃんから電話きたよ。おじいちゃん、僕だよって言っても、お前は関係ないんだ。母さん出せ!って怒鳴り続けて恐かったんだ」と興奮したように言った

「おじいちゃん。僕だって分らなかったんだ・・・僕だよって言ったんだけど
全然話を聞いてくれなかったんだ。恐い声で恐い声で・・・」息子の興奮はなかなか収まらなかった

私は息子の手を握って「おじいちゃんは今混乱しているから、お兄ちゃんの事分らなかったのかも知れないね。おじいちゃんは、お酒の病気になっちゃたんだよ。
お兄ちゃんが悪いんじゃないから」と冷たくなった手をさすり続けた

舅は姑の荷物がない事にパニックになっていた
いつもどんな事があっても拒否される事のなかった姑と私達の姿に酷く動揺したのだろう

それから一週間は物凄く静かだった
その日の朝に舅から初めて電話が掛かってきた

「おう!父さんだ。母さん出してくれ」と言った
私は姑に電話を渡した

姑が「はい。なに?」と出た途端受話器から物凄い怒鳴り声が聞こえた

「てめー!出て行きやがったな!どうなるか分ってんだろうな!おー!これから迎えに行くからな。待ってろ!この野郎!」後は叫び声にしか聞こえなかった

姑は受話器を握ったまま固まっていた
真っ青な顔をして私を見た
いつの間にか電話は切れていた

「今帰ったら、殺されるかもしれない。迎えに来るって、鍵掛けた方が良いかも知れない」消え入りそうな声で姑は言った

夏の暑い日だった。高校野球が準決勝を向かえていた
その年は北海道の高校が快進撃を続けて甲子園の旗が海を渡るかも知れないと
北海道全体がテレビに釘付けになって町全体が沸き上がるような夏だった

電話が来た日も準決勝があって北海道は熱戦の末、遂に勝利を手にした
私達も何もかも忘れ皆で喜んだ

まだ勝利の余韻も残ってそろそろ夕飯の買い物に出かけようと思ったその時
チャイムが鳴った
まさか本当に舅が来るなどと思ってもいなかった

「はい」と出ると「おう。父さんだ。開けてくれ」と言った

全身の血が逆流したようにカッと熱くなった
「どうしよう。来ちゃったよ」と言うと全員が固まったままジッと玄関を見つめた

ドン。ドン。とドアを叩く音が聞こえる
「おう。開けてくれ」ガチャ。ガチャと乱暴にドアノブを廻し続けた

「おう。おう!おうおうおうおうおう!!!!!」声が段々大きくなった
意を決して私はドアフォンを持って
「帰ってください・・ドアは開けられません。今日は帰ってください」と言った

「何だと?此処は俺の家だ。良いから。開けれって。開けなさいって」
「いえ。開けられません。帰ってください」

「良いから開けろ!」ドン。ドン!!ガチャガチャ!!
激しくドアを叩き続ける

どうしよう。どうしよう。
姑が這いずりながら靴を玄関から持ってきた
「私、隠れるから」そう言って押入れに入りドアをピッタリと閉めた



何とかしなければと自分に言い聞かせて
「お願いです。帰ってください。じゃないと警察呼びます」そう言った途端
舅の怒りに火がついた

「なんだとー!!おう。呼べ!呼べるものなら呼べ!開けろー!!開けろ!!!」
もっと激しくドアを叩き蹴り続けた

部屋の隅に隠れ「お願い。帰って」と祈り続けた
一向に舅が落ち着く様子はなかった

息子は娘をしっかりと抱いて「恐いよう。恐いよう」と震えていた
私の中の何かがしんと静まっていくのを感じた

私はケアマネージャーに電話をした
ケアマネージャーは「警察に電話しなさい」と言った

決断の時は来た。
そう声が聞こえた
警察を呼べば後戻りは出来ない

舅のアル症と闘うためには私も覚悟を決めなければいけないんだ
「頑張れ!頑張れ!」と
自分で自分を奮い立たせるように呟き続けた

私は震える手でダイヤルを押した・・・
(つづく)






難題バトン2

2006-06-20 19:40:40 | 
鬼の霍乱で風邪で寝込んでいました

何年ぶりかで今日は昼寝を2時間もしてしまいました
昼寝ってあんまり好きじゃない。

子供を昼寝させているうちに寝ちゃったときなんか起きた時に
泣きたくなるくらい悔しい。
時間が勿体無くて・・・

でも今日は昼寝のおかげですっかり元気になった
体が寝ろー。寝ろーって言っていたのかも
何度も子供に起こされたのに目がどうしても開かなかった

最後は娘の「お母さん、どうしちゃったの?具合悪いの」と言って
「チュッ」「チュッ」「チュッ」とキスされて可笑しくて目が覚めた

元気になった所で初めてバトンを受け取りました
ルルさんありがとう

早速やってみますね

1.今の時点で一番最後に聞いた言葉は?
(独り言、テレビ、音楽可)


「ママ。今日ドラエモンの日?」(娘から)
「今日はドラエモンじゃないよ」

2.好きな香りは、何ですか?

   
石鹸の香り
洗濯した後の香りも好きです


3.異性のどこが気になりますか?(何フェチ?)

手。手が肉厚の人が好き  
ちなみに旦那の手は私より薄い・・・


4.忘れられない人について教えて♪(恋愛に限らず) 

中学時代の友達
初恋の人。(今でも夢に出てきて朝起きてボーっとする時もある。もちろん最後にあった20年前のまま。今頃どんな風に変わっていることやら・・・会わないほうがお互いに幸せかも)  


5..自分の好きなところを3つ教えて♪

ノリが良いところ

子供と遊ぶのが好きな所

勉強好き

 

6.カラオケに行ったら必ず歌わないと気が済まない曲は?

ZARDの「負けないで」
これを歌うと元気になれるから
  

7.これだけは!という自分のポリシーは?

嘘はつかない

自分に対しても嘘をつかないでいられたらと思っています


8.あなたのコンプレックスは??


いつも悩んでいるように見える垂れた瞼
最近さらに垂れ始めて免許の更新の写真で愕然とした(何かの犯人のようだった)
OL時代依頼初めてビューラーとマスカラを買って目じりの処理に余念がなくなりました

あんまり効果ないけれど・・(トホホ)


9.今思い出しても、穴があったら入りたくなる出来事は?


洗濯機を買って届けて貰う日、業者の人に引き換えに持って行って貰う
古い洗濯機に「何か入ってますよ」と指摘されて覗いたら洗濯して取り忘れた自分の下着が1枚残っていた事

(死ぬほど恥ずかしかった・・・)
  

10.10年後の自分、どうなっていると思う?どうなっていたい?

絶対仕事をしていたい
自分の収入で自分の好きな物を買いたい

      
11   今一番行きたいところはどこですか?

ディズニーランド。もう7回位行っているけれどまだ行きたい


12    あなたの恐怖体験教えて!

恐くないけれど祖母の葬式の帰りに息子が乗ってる車の外のガラスに向かって
「ひーおばーちゃんが窓の外について来てるよ」って言った事


13   憧れの有名人は誰?

最近憧れるほど好きな人にめぐり合えない
理想が高いのかも   


14 変える質問を3つ。

1番感動した映画は?
地元の名物は?
過去で1番焦った事は?


15 次のバトン5人へ

それではウメさんへ

良かったら受け取ってくださいね

自分の事を考える

2006-06-16 11:15:35 | 
前回の記事で中年Aさんのコメントで気がついた事がある

私の心はいつも自分以外の事で一杯だと言うこと
体は前よりも沢山動いている

趣味も忙しくて1日に4時間位没頭している
この前も午前中に急に思い立って部屋の模様替えをした

2時間位かかって午後からお友達のお子さんを預かってそのあと夕飯の買い物に
子供をお風呂に入れて1日があっという間だった

やれやれと椅子に座ったときにはもう夜の9時だった
忙しく動いていても時間が空くと他の事を考えている自分がいる

いつも自分以外の誰かを心に住まわせてしまう
夫の事もそうだけれど、それ以外に友達の事とか、子供の事
果てはテレビの今騒がせている子供を殺したお母さんの事等

掲示板で悩みを投稿しているのを読んであまりに共感できる内容だと
自分の事のように悩んでしまって何日かその事で頭が一杯になって
物事が手につかない時もある

こうやっていつも心の中に誰かを住まわせて自分の問題から逃げているのかもしれない
気持ちや体は自立を目指していた筈なのになぜか心はひとりになりたがらない
でも自分の事を考えるという事がピンと来なかった

昨日は朝から咽がひりひりと痛んでいた
夜には唾を飲み込む事も出来ず、お腹も不調でトイレに何度も行ったりしていた

あまりに辛いのでネットで何かいい方法はないかと探してみた
するとある一人の闘病日記にたどり着いた

彼女は乳がんが再発して余命3ヶ月と言われながらも治療をしながら5年目を迎えていた

亡くなる1年前から闘病記を書かれていたらしい
それをご主人が引き継いでブログを更新していた

彼女の闘病記は正に自分の生きる事で埋め尽くされていた
途中生きる為に離婚され、再婚され、開発される新しい抗がん剤を次々と
試して行く

薬が効いて少し楽になれば外出したり、編み物をしたりする
段々衰えていく体力。薬の副作用と戦いながら毎日、毎日
自分の生きるという事に向き合い続ける

その姿に私は具合が悪い事も忘れて読み続けてしまった

彼女はいつでも自分の事を考えていた
楽になれば些細な買い物や家事を出来た事を喜ぶ

再婚と病気の治療で離れている子供達の訪問の為に自分の体を優先に考える

自分の事を考え自分の体を大切にすれば夫の好きなご飯を作れて
遊びに来る子供に笑顔を向けることができる

そのために自分の事を考える
だんだん衰えていく体力の中でも「次はあの薬を、それが駄目ならこの方法を」と
自分の病気から逃げずに立ち向かっていく

その日記に悲壮感はない
口内炎で物が食べられなくなろうとも食べる事を楽しもうとする
コップ数ミリのビールが飲めた事を心から楽しむ

自分の事を考えるとは、自分が自分の与えられた情況の中でいかに幸せを
見つけていくかを常に考える事なのだと教えられた

彼女のメッセージを読んで、私も自分の与えられた状況の中で
自分が幸せになれる事を考えられるようになりたいと思う

>生きることに向かってそのまま生きて死んでいく。それで十分な気がするんだ。誰でもきっと死のその瞬間まで懸命に生きているのだと思えるし。

>前にも書いたけど私に死の準備はいらない。常に生に向かって生きてそして、いつか死んでいく。死を考えることは、私にとって死のうと思うことではなく生きようと思うことだった。そして、死を受け入れるとは生きる苦しさを受け入れることだった。(私の闘病日記 夫の日記より抜粋)
http://diary.jp.aol.com/applet/9yprwbhknk/200406/archive

もう彼女はいないけれど、ブログの中の彼女は今も生きている
彼女からメッセージを受け取れた偶然を感謝したい







そんなの絶対変だ!

2006-06-13 21:40:59 | 元夫婦
昨日、夫は会社の説明を聞きに出かけて行きがっくりと肩を落として帰ってきた
「駄目だ。」と投げやりに言って私に書類を見せた

入社時の契約
自己開示の契約書

自己開示とは借金の有無を調べる為の書類に同意するという契約書の事だ

夫はブラックに載っているから調べられたらきっと入社できないだろう
でも金融関係。保険関係はその可能性が高いから転職のリストから外した方が良いと分っていた筈なのに夫は「弁護士が大丈夫と言っていた」と言って
私の話には耳を貸さなかった

そしていざ説明を聞きに言ったら案の定「借金のある人はちょっと困るかも」と言われたらしい
その時点でまだ夫は自分に借金があり任意整理する事を言わなかったという

私はてっきりこれで断ると思っていた
それなのに夫は
「このまま黙って受けてみて、いざ書類を取り寄せてばれたら断れば良いか」と言う

そんなの絶対変だと思う
最初から分っていて受けてばれたら断るなんて、面接をしてくれる人にも
わざわざ時間を割いて説明をしてくれた人にも失礼なんじゃないか

夫は「だって弁護士は大丈夫と言っていた。だから書類を取り寄せてもばれないかもしれない」

そんな綱渡りみたいな話し私には信じられない
誠意がなさ過ぎるじゃないかと思う

でも私は黙っていた。

夫の就職活動をこの2カ月口出しせずに見守ってきた
途中置きっぱなしになっていた就職雑誌を見ていたら
前と給料もあまり変わらない、転勤もなし、土日休みと好条件の会社があった

思わず夫に「此処、良いじゃない。」と差し出すと
即答で「あーそこは駄目」と全然相手にしてくれない

「なんで?年齢もまだ許容範囲じゃない」
「だってそこは前の会社の近くだし、職種も似ているから他店で前の会社の人間に会う確立高いだろう」と言った

はあ?前の会社に近くて前の会社の人に会いたくないから受けたくない
そんなのこの土地に住んでたらどこに勤めても会う確立あるじゃないか

私が納得できない顔でいると
「あー。そこ電話したけど年齢で駄目だって言われたから」と言った
明らかに嘘だと分った

もうそれからは何も言わなくなった
私の決める事じゃないから

今回の会社も夫の登録した就職サイトの情報を見て1度お話を聞かせてくださいと
相手からコンタクトを取ってきた
夫はこれを「俺の事スカウトしに来たのか?俺が必要って事?」と有頂天だった

相手の会社の人に対しても受けてやるんだ見たいな感じで
凄く横柄だった
その説明の人にも「俺にこの仕事が合うかどうか分りませんから」とか言ったらしい

もし本当にその会社に入りたいと願うなら
「是非この仕事を物にするよう努力します。是非仕事をさせてください」とお願いするものじゃないのか

全てがこんな調子で少しでも電話で断られると
「たいした事ないな。この会社は」とか悪態をついている

なぜ断られた事を糧に次に進まないのだろう

今日も夫は失業保険の認定日を1日過ぎている事に気がついた
1日過ぎたらもう認定されずこの一か月分をもらえなくなってしまうかもしれない
と言うのに・・・

「どうしよう。どうしよう」とオロオロするばかり
とにかく今日にでも行ってみたら、事情を話したら大丈夫かもしれないよ
と言うと
「今日が認定の日の振りしてちゃっかりだしてみるか」とか言い出す

思わず「どうして誤魔化そうとか、その場限りで逃げようとかするのかな。
正直に話して分ってもらえる事もあるんじゃないの?」と言ってしまった

結局夫は行ったけれど支給日がもうひと月伸びてしまった

この時期四ヵ月後に出るのか五ヵ月後に出るかは死活問題なのに
大事な日ならカレンダーに○でもつけておけばよかったのに・・・・

夫は帰ってきて「ケチの付けどおしだ!」と穿き捨てるように言った
ケチのつけどおしだ。運が悪かったは夫の口癖

会社の事も認定日の事もそこから何も学ぼうとしない
ただ周りを恨んで自分の不運を嘆くばかり

なんなんだ!
つくづく夫の人間性に疑問が沸いて今にもマグマが噴火しそうだ。
これも夫の問題だと割り切れば良いんだろうけれど納得いかない

絶対変だ!



記憶

2006-06-11 19:28:57 | 
先日姑の通っているデイケアから電話が来た
朝姑を迎えに行ったら家の中に煙が充満していて
魚焼きのグリルの火がつきっ放しになっていたらしい

デイの方が気がついて消してくださり家の窓も開けて煙を出してくれたそうだ
そして2階に寝ている舅にその事を知らせておきました
一応報告という事で連絡をしてくれた

家政婦と姑が来て2カ月程たっているのでもうそろそろ何かあるだろうと
思っていたらやっぱりって感じだった

こういう事があるとどんなに縁を切ったつもりでも必ず繋がっているという
現実にぶち当たって酷く落ち込む

しかし火事になろうと舅が泥酔して道路で寝て車に跳ねられようと
姑が飢え死にしようと私達に出来る事は待つことしかない
覚悟はできている

つもり・・・・
きっぱりとは言えない
もし火事になればその周りの方にも迷惑がかかる

市に見回ってもらう事以外今の私には何も出来ない
心配をあげればきりがないのだ

心配が不安を掻き立て私は共依存へと逆戻り・・・
電話が来てから姑の事を考える時間が増えた

床屋は行っただろうか
ご飯は食べているだろうか
孫を想い泣いてはいないだろうか

つめが伸びて片手で切る事が出来ず口で食いちぎって怪我をしてはいないだろうか

此処にいた十ヶ月間の記憶がポロリポロリとこぼれてくる

姑が帰ってから1年が経った(共依存症で書いてある)
帰ったばかりの頃は空虚感に埋め尽くされ泣いてはぼんやりとしぼんやりとしては
突然泣いたりしていた

それから何とか気持ちを建て直し1年がたった

姑と暮らした十ヶ月の記憶がすっぽりと抜け落ちたように思い出せなかった
あの頃の事が霧の中に隠れたようにハッキリと思い出せない

それが電話が来てからベットの上に座って一心不乱に子供のパズルをする姑
怪我をして立てなくなりトイレまでおぶって行って2人で途中で潰れてしまって
笑ったこと

サクラが散る公園へ車椅子を押して散歩に行ったこと
オムツをつけたら途端に歩かなくなって心配で歩行の練習をした事
夜中に足を引きずってトイレに行く音に何度も目が覚めたこと

あの頃の空虚感が襲ってきて潰されそうになる

寂しい
寂しい

何がいけなかったのかと何度も考えた
どうして私は置いていかれてしまったのか

姑に捨てられたとさえ思えてのた打ち回った日々

悲しみに暮れていた時断酒会の人がこう言ってくれた
「貴方は持てる力の限り頑張ったのだから、この辛さを受け入れましょう。
そして次のチャンスを待ちましょう」

その言葉に大声を上げて泣いた
チャンスはまだ訪れない

いつまで待てば良いのだろう
そのチャンスが訪れる事無く全てが終わったとき
私はどうなるのだろう





父と私2

2006-06-07 11:03:17 | 
正月実家に泊まっていた時父が突然私に腕を見せてこう言った
「ちっこ。見てみろ。俺の腕、油がなくなってシワだらけだ。鎖骨も飛び出て
骨だらけだ。俺ももうお陀仏かも知れないなぁ」

父の手は確かにシワだらけだった
背も小さく昔から痩せていた。だから今更痩せているといわれても特に変わったようには思えなかった

父はとても丈夫な人だった
私が知っている限り病気で寝込んだ事は1度も記憶にない
「父さんは丈夫で良いねぇ」が母の口癖だった

父はしきりに肌が老化していることを気にした
あそこにシミが出来た。こっちにシミが大きくなったと1日鏡を見ては悩みだした
母が「もう歳なんだからシミぐらいできるでしょ」と言うと

「お前の言うシミとは違うんだ!見ろ!こんなにシワが細かく入っているなんて
どこか悪いに違いないんだ。そういえばテレビでこんな症状の病気をやっていた
きっとその病気に違いない」と凄い剣幕でまくし立てた

自分の老化を受け入れられなかった父
父の不安は膨らむばかりだった
それから父の病院めぐりが始まった
大きな病院で血液検査からレントゲン、ホルモン検査までした
全て異常なし

それでも納得がいかず皮膚科に内科。あらゆる病院を回っては調べた
医者は皆口をそろえて言った
「もう、お歳ですから。シワもシミも増えますよね。内蔵に異常がないんだからよかったですね」

父は食い下がった
「どこも悪くないのになんでこんなにシミが増えるんだ」
結局精神科へと廻された

私は母から逐一報告の電話を貰ったけれど父に何も言う事はできなかった
父に「俺はもう駄目だ」といわれれば
「困ったね。心配だね」位しか言葉が出てこなかった

安定剤を飲むようになって少し落ち着いたように見えた
しかし今度は頭に円形脱毛が見つかった
父はパニックになった

「薬のせいで髪が抜けた。薬じゃないなら何かやっぱり病気にかかっているに違いない。そういえば胃も重い。吐き気もする気がする。めまいもする気がする
頭も重い気がする」

気がする。気がすると連呼し続けた
医者が「頭が痛いんですか?ガンガンとしますか。シクシクと痛みますか」と聞けば「そうじゃない。痛い気がするんだ」

結局皮膚科へ廻された
大きな病院の中をあっちへこっちへとたらい回しされた

栄養剤に病院の薬、市販の薬にサプリメント。
父の薬で食卓が一杯になってしまうほどだった

それでも髪は生えてこなかった
気にすればするほど脱毛は増えていった
すでに髪は薄くなりつつあったので、所々穴が開いていても傍からは分らない
でも父には大問題だった

そして遂に片方の眉毛が消えた
父はますますパニックになっていった
店に出るのにこんなみっともない姿では出られないと母に毎日訴えた

最初は病院通いや愚痴に付き合っていた母も疲れ果て寝込むほどになった
ある日お嫁さんが「お義理父さん、眉毛書いたらどうですか」と眉墨をプレゼントしてくれた

父は大喜びだった
父は真っ黒い太い眉毛を書いては満足した
青白い顔に眉毛だけが黒々と目立った

姉は口出ししない
父に関しては全く無関係を貫いている

弟は結婚してから父とは衝突しなくなった
でも父に声を自ら掛ける事はない

私も同じ
父の固い背中を見ると何も言う気がしなくなってしまう

どんな言葉も父に通じる気がしない

私の中の父親像は母のたった一言に支えられている
「産まれてすぐあんた達3人を風呂に入れたのは父さんだ。
母さんは落としそうで恐くて風呂に入れられなかったから毎日父さんが入れたんだよ」

産まれてすぐの記憶などない
父に風呂に入れられていた記憶ももちろんない

物心ついた時には父は恐ろしい存在となり、近づくことも話すこともなかった
父の愛情を考えたことすらない
父親という存在すら私には無用の物だった

父が何もしてくれなくても
父が話しかけてくれなくても私は困らなかった

ただそこに居る人だった
その存在を父として位置づけていられたのは母のこの言葉だと思う
何度も何度も聞かされた

母の嘘なのか。誠なのか分らないが私はその言葉にすがってきたように思う

もう父を憎んでも嫌ってもいない
父は老いを受け入れられずただ苦悩する人となった

父は他人よりも遠い存在だった
今は遠くから見つめる存在となった

鏡を見て必死に眉を書く父の背中を見つめながら
私達をお風呂に入れてくれたのだと何度も思うようになった

父との距離はほんの少し縮まりつつあるのかもしれない



父と私

2006-06-05 12:55:43 | 
昨日は息子の運動会だった
私の実母が応援に来てくれた
実父が息子の運動会に来てくれたのは幼稚園の時に1度だけだった

その時もとても苦痛そうだった
それでも来てくれた事に私はすごく驚いた
父が孫の為に何かをする事はないからだ

母に言われてしぶしぶでも来てくれた事は凄く意外だった
それ1回以来父は2度と来るとは言わない

私と父の距離は遠い
他人よりも遠い存在のように感じてきた

子供の頃から父が私達に話しかける事はない
用事を言いつけることもない
何か言う時は怒鳴るか叱るか嫌味を言う時だった

父はいつも無表情だった
今日は機嫌が良いのか悪いのか全く表情からは読み取れなかった
凄く無口でその存在すら怒るられるとき以外は感じられなかった

存在すら感じず油断する時に突然背後から怒鳴られた
その時の目は子供の頃には物凄く恐ろしかった
声も低く怒鳴っているというよりは唸っているような怒り方だった

笑うこともない。
笑っているように見えても突然表情が曇り怒り出した
いつ怒るのか。何に怒られるのかも全く予想がつかなかった

父は音が嫌いだった
子供の笑い声を特に嫌った
私達がふざけて大笑いをしていると
「うるさい!寝ろ!」と怒鳴られ7時だろうと8時だろうと寝かされた

日曜日は特に苦痛だった
家の中で決して騒いではいけない
父は交通事故の後遺症で酷い肩こりに悩まされていた
その肩踏みが私達兄弟が近づく唯一の時だった
昼だろうと夜だろうと呼ばれれば何度も何度も踏まされた

従姉妹の子が3歳くらいの時
母とその従姉妹の両親が山菜取りに出かけた
私達兄弟と従姉妹と父とで留守番をしていた

突然従姉妹が泣き出してしまった
私達は慌てた
早く泣き止ませなければ父が怒り出す
必死に宥めるものの従姉妹は一向に泣き止まない
どんどん泣き声は大きくなっていった

オロオロとする私達
そっと後ろを振り返ると父が無表情で立って見ていた
私達兄弟は恐ろしさのあまり従姉妹を置いて外へ逃げ出した

従姉妹はどうなってしまうのか
心配で心配でベランダの窓からそっと中を覗いた
その光景に私は目が大きく見開くのを感じた
私は驚きのあまり窓に釘付けになって動けなくなった
なんと父は従姉妹の為にお茶漬けを作り食べさせていたのだ

従姉妹はクスンクスンと鼻を鳴らしながらも食べていた
父が従姉妹にスプーンを1さじ1さじすくいながら口の中に入れていた

私達にはありえない姿だった
ショックで体が固まったように動かなかった
私達にはしなくても他の子供にはするんだ
そう思った
父にとって私達は何者なのだろう
私にとって父は益々遠い存在となった

私が高卒で働いて家にお金を入れるようになると
父は途端に怒らなくなった
冬に私の車の雪を降ろしてくれる事もあった

父とも会社や経済の事等を話すようになった
いつしか父は恐い存在ではなくなっていった

子供が生まれ、息子が小学生になった頃から父はまた昔の父に戻っていった
息子が遊んでいると父は事ある事に陰で息子を呼びつけ叱ったりしていたらしい
私は気がつかず息子が父を脅えるようになって初めて知った

恐い存在ではなくなった筈なのに私は父にこの事について何も言えなかった
父は変わっていたわけじゃなかった
うるさい子供が大きな大人となり父のイライラする者がなくなっただけだったのだ

それが私の子供が小学生となりまた父の嫌いな子供が目ざわりとなって私達に接したように孫に接しているのだ

父の顔からまた表情が消えた
私は実家に帰っても父が店から戻る頃には2階に上がるようにし
子供達にもあまり合わせないように気を使うようになった

父は私にとってまた遠い存在となっていった
(続く)