トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

新しいこと

2006-02-27 08:56:48 | 元夫婦
共依存症は簡単に生活環境を変えたりしない
なぜなら変えた後が今よりもよくなると思えないから

だから今凄く苦しくて限界を感じていてもこれよりもっと悪くなったらどうしようと不安になってその生活にとどまってしまう

結果の分からない未来より、結果が見えている苦しみのほうを選んでしまう
本当はそれが悪循環だってわかっているけれど結果に責任を取るのが恐くて堪らない

夫の転職は確実なのに何度もやり直せないか。
今の状況を維持できないかと何度も考える。
でもいくら考えを巡らしても「やっぱり無理だ」という結論に達してしまう

夫の仕事もアップアップだし、人間関係も限界を超えている
そして支える私もまた、いっぱいいっぱいなのだ

あんなに夫と相談して決めたのに夫の同僚が
「後3年勤めれば早期退職で退職金も全然違う。それまで待つかもう一度謝って次が見つかるまでいさせて貰うように頼んでみたら」と説得されたらしい

その言葉でまた揺れる
でもいくら考えてももう一度は無理なのだ
現実を見れば明らかなのに目を反らしたくなる

共依存症者は人の言葉に左右されやすい
自分というものがないからだ
人の決めたことなら責任を取らずに済むから

夫は金曜に初めてアダルトチルドレンの会に行ってきた
戸惑ったようだけれど貰ってきた手紙を読んで
「少し通ってみるよ」と言った

もう夫は歩き出した。
いつか私は必要とされなくなる
望んでいる事だったのに無性に寂しさがこみ上げる

勉強したり、人の話を聞いたり、ブログを書いていろんな事がわかっても
本質がすぐ変わるわけじゃない
共依存症はそんなに簡単に克服できない

私はこの寂しさを乗り越えなければいけないんだと思う

夫に
「私って環境の変化に慣れるのに時間がかかるんだ。だからどうにかして現状維持に出来ないかって考えちゃう。でも今回だけはどんなに考えても結論が、駄目だになってしまう。
だからきっと進むしかないんだと思う。」
と言った

夫はただ無言で大きく頷いていた
きっと夫は私以上に不安なのだろう
「無理せず行こう」それしか言えなかった

今の状況よりきっとよくなると信じたい





紛失物

2006-02-24 16:33:17 | 日記
朝からずっと苛々している
だって見つからないのだ

家の中をくまなく探した
考え付くところも探した
でもないのだ

物がないと凄く不安になる
子供が「お母さんあれ知らない?」と聞かれるともう落ち着かない

子供はもう諦めてるのに「探したの?見つかったの?」気になる
見つかるまでいい続ける
そして「ちゃんとしまって置かないからでしょ」と怒る

私はとにかく整理整頓ができない子供だった
忘れ物も多い
落し物も多い

私が通った小学校はバス停五つ目にあった
忘れ物があっても取りに帰れる距離じゃなかった
だから前の日の準備は念入りにやらなければいけなかった

でも私は学校の先生の話もいつも上の空だった
だから持ち物もよく聞き忘れてしまった
図工でなにか持ってきてと言っていた様な気がするが思い出せない

母に聞いても「さあ。」しか言わない
一緒に探そうとか誰かに電話してみようとか言ってはくれなかった
忘れ物をしても家に電話もできない

たとえ忘れ物に気がついてもきっと誰も届けてはくれないだろうと分かっていた
私にはだれも助けてくれる人がいないと思うと失くし物は切実な悩みだった
なぜ忘れてしまうのか
なぜちゃんと話が聞けないのか

自分が歯がゆい
何とかしなきゃと思うのにどうしても治らない

中学になっても治らなかった
家庭科の先生はとても恐い人だった
私になぜかいつもきつかった

何かを仕上げても「どうせ親に手伝って貰ったんでしょ」と穿き捨てるように言われた
なぜ嫌われたのか分からない
不器用だったからかもしれない

パジャマを作る事になっていた
生地を準備しなければいけなかった
何日も前に用意できた
糸も買ったし安心していた

それが前日に何処にしまったか思い出せないのだ
「ない!」
パニックになった
もうすでに寝る時間だった

こんな遅くに店は開いてないし親に言っても無駄なのは分かっていた

探した。とにかく必死に探した
忘れるわけにはいかない
何を言われるか分からない
恐い。恐い。

泣きながら探した
最後は叫びながら探した

「また、ないの?いっつもないんだね」と冷ややかに言われた
誰も一緒に探してはくれなかった

引き出しという引き出しを引っ掻き回してようやく見つけたときには
腰から力が抜けた

もう絶対失くし物はしないと誓う
でもやっぱり整理整頓も、紛失物も忘れ物も治ることはなかった

結婚して少しはマシになったかもしれない
自分の落としては困るものはいつでも確認する。
神経質すぎるほどだと思う

家の中の小物も分けて入れて自分で分かるようにしている

でも夫も整理整頓が全くできない
財布も何度落としたかしれない
忘れ物は今でもしょっちゅうだ

夫に何度言っても出したものをそのまま放置されてしまう
そうすると決まったところにないとあっという間に
見つけられなくなってしまうのだ

見つからないとパニックになる
パニックになると苛々して余計見つけられなくなる

夫の物はまだいいと思う
問題は息子の物である

学校ではいろんな物が必要になる
息子も同様に整理整頓ができない
いつも「あれがない。これがない」と言っている

先生からも「忘れ物が多いです」と叱られてしまう
忘れ物はまず親がチェックして完璧に入れる癖をつけましょうとネットで調べると書いてあってそれなりに出来るようになったと思う

でも失くし物はとにかく治らない
持っていった場所を覚えていないのだという

「だって今もってたじゃない」と聞くと
「気がついたらなかったんだ。探してよ。お母さん」と言う
「早くしないと時間ないよー」と半べそになると
あの生地がなかった日の事がよみがえって探さずにいられなくなる

私が鬼気迫る勢いで探し出すと息子は黙って立ち尽くしてしまう
恐いのか。お任せなのか分からない
「ボケっと立ってないで探しなさい!」とつい叫んでしまう

息子が「もう。いいよ。お母さん。誰かに見せてもらう」と言っても
落ち着かないのだ「だってなきゃ困るでしょーー!」

どうしてこんなに物がなくなる事に敏感なんだろう
どうしたら物を失くさずに済むようになるのだろう

息子の地図がないのだ
ない。気になる
学校から帰ってきて聞いても
「机にはなかった」と言った

ない。ない。
誰か一緒に探して・・・





私と旦那のスタートライン

2006-02-23 17:30:28 | 元夫婦
前に夫に嘘は嫌だと夫と結婚して初めて自分という物を伝えることが出来た
(家政婦と会ってで書いてある)

やる前はあんなに怖かったのに出来たことにとても安堵感があった
これで夫は私が嘘が嫌いだという事が伝わったという気持ちだった

今まで何度も同じ事を繰り返してきた
夫のお金の問題が出てきて私が責める
夫は嘘で固める
その嘘が悲しくてなじる

でも確信をついた一言はどうしても出てこない
これを言ったらおしまいなんじゃないか。
こんな風に言ったら夫は傷つきすぎて気が変になってしまうんじゃないか

言いたい事はいっぱいあるのに言った後に起こることの責任を取れずに
言えないでいた

私は夫のことはもう何でも分かっている
夫がなぜお金の問題を起こすのかとか、現実と向き合えないとか
嘘で身を固めるしか守るすべを持たないとか
夫の事なら夫以上に分かっているかもしれない

本当は分かっていないかもしれないけれど分かる努力をしてきた
夫の事を知らなければ夫が何を考えどう行動するかを把握しなければ恐くて仕方がなかったからだ

夫を愛したことがないと言いながら夫を失う生活を想像すると恐くてたまらなかったからだ
だから離婚を避けるために、この生活を続けるためにどうしても夫をしる必要があった

でも夫はどうだ?
私の事を知っているだろうかと考えた
夫は年末に私に「あんたが何が嫌いな事なのか分からない」と言った

何が嫌いで何が好きか
私も伝えようともしなかった、夫も知ろうとしなかったと思う

何か夫が金銭トラブルを起こして、私に責められ、嘘で固める
夫は悪い事をしたと思っている
怒っている私に何とかしなきゃと思うが何も出来ない

仮病に無言。
結局私の罵詈雑言を浴びせに浴びせられ、逆切れしてお互いに
傷つけあう
私が「もう!いいよ!」と怒鳴った時点で夫の中でリセットされてしまうのだ

私の言った言葉は消され、夫のやったことも酷いこと言われたのにじっと耐えたんだから終わりなのだ
だからいつまでたっても何に私が怒り、何を嫌だと思っていたかが少しも伝わらなかったんだと思う

これから私の事を沢山知ってもらう事にした

夫は会社を辞めるにあたって色々不都合があったらしい
給料を下ろしに行くといつも使わない通帳の残高をたまたま調べたら残金が減っていた

夫が黙って下ろしたことが分かった
もう夫の理由を聞くのは止めた。理由を聞けば嘘かどうか分からない理由が出てくる。夫は言わないが会社の穴埋めをしたのはもう分かっているのだ

だから夫にメールで「○○銀行の残高が減っていました。何でですか?」とだけ送った。事実を知ったことだけ伝えた
夫はまた血相を変えて帰ってきた
私は「心当たりはありますか?」と聞くと
夫はこっくりと頷いた。

「私は勝手に黙って家のお金を下ろされるのは嫌です」と伝えた
夫は「ごめん。もうしないから」と言った

後は普通通りに接した
もう伝えたから私には十分だった

次の日また姑の通帳からお金が下ろされていたことが分かった
下ろされた日付は会社を辞める辞めないの最中の事だ
昨日と同じ理由だと思った
でも私は今伝えたいことは何かを考えた

メールで「お姑さんの通帳からもお金下ろしたんだね。私に誠実でありたいのなら
今すぐメールで良いので説明してください」と送った

これで説明するかしないかは夫の問題だと思った
また嘘で固めるのかも知れないがそれは夫の生き方なんだと思った

私がその生き方に付き合いたくなければ付き合わなくても全然良いんだ
私は私だから。
そう思うと全てが恐くなくなった

すぐメールで「工場の穴を埋めました。すいません」と来た
嘘で固めず誠実に答えたのだと私は理解した。
だから「分かりました。」とだけ送っておいた

後は帰ってきても普通どおり。
そんな風に不都合から逃げるために自分のお金を使うことしか思いつかないのは
夫の生き方なのだ
私には変えられない
でも付き合う必要もないし、その生き方が嫌だと思ったら理解する必要もないんだと思った

今は自分の事をひとつずつ伝えたいと思っている

夫は不思議そうだった
何も言わない私
何も責めない私
なじったり喧嘩したりしないので夫のした事は夫の中でリセットされない

夫は苦しいらしい
前に渡したアダルトチルドレンの会に金曜に行って来ると言っていた
どうでも良いとは思ってはいないけれど私の入る余地はないと感じている

少し前に夫が
「俺たちは人という字だな長いはらいが俺でお前が小さいはらいで支えているみたいだな」と言った
私は
「ぜひ同じ長さになって欲しいよね。どっちが支えすぎるって変だもんね」と答えた

「そうだなぁ」と感慨深そうにため息をついた

そう同じ位お互いを知り、同じくらいの力で支えあう
そうなりたいと心の底から思う
それこそが相互依存に違いない

私達は15年目で初めてスタートラインに立っているような気がする


不幸になりたい願望

2006-02-21 09:56:54 | 思い出
昨日、母に電話して夫が転職する事を伝えた

言う時にどうしようか凄く悩んだ
もう年老いてきている親に心配事を増やすだけだ
でも誰かに聞いて欲しいような気持ちだった

電話を切って落ち込んだ

やっぱり言わなきゃよかったと後悔した
それからしばらく気持ちが沈んで不安定になった

じっと考えて落ち着かせようとした
そしてそれは閃くように蘇った

私は誰かにじゃなくて母に聞いて欲しかったのだ
聞いて共感して欲しかったのだ

自分はまだ母を求めていたのかと苦笑した
そしてやはり共感してもらえなかった事に落胆しているのだ

子供の頃から母に何かを相談するという事がなかった
母との間には埋められない深い溝があった
そして何より相談する時間も余裕も母にはなかった
(パンドラの箱に書いてある)

子供の頃から勉強でも宿題でも困ったことがあると
「お姉ちゃんに聞きなさい」だった
祖母は「私はおばあちゃんだから何も分からない」が口癖たった

仕方がないのでなんでも姉に聞いた
宿題から人間関係から果ては初めて初潮を迎えた時でさえ姉に聞いた
母という存在は私の中では無に等しかった

私が結婚してすぐに夫の借金で悩まされる日々が始まった
そして義理母もその頃はまだ元気でお茶にお花の師範を取るほどの腕前で
プライドも高く私に対してもきつくて怖い存在だった

義理両親は私達の生活全てを仕切りたがった

私がパートを探して行こうとすると電話が掛かってきて
「うちのお父さんは嫁をパートにだしてるなんて噂がたったら困るんだ
働きになんか行かないで子供でも産みなさい」と叱られた

親戚の法事や集まりには必ず私達を連れて行き、あれをしなさい。
これをしなさいと命令した
私は親戚の集まりのたびに胃が痛くなり具合が悪くなった

親戚の結婚式があった
結婚式にはこの着物を着なさいと命令され、朝早くから着付けに美容室に行った
美容室にいる時から背中がゾクゾク、膀胱がシクシクと病んだ

トイレを借りると茶色いおしっこがでた
残尿感があってお腹が絞るように痛んだ
迎えに来た夫に「膀胱炎になったみたい」と言ったら

「どうすんのよ!あーー?どうすんのよ!」と怒鳴られ仕方なく結婚式場に行った
どんどん具合が悪くなってトイレに座ると真っ赤な血のおしっこがでた
体が痛さで震えた

限界だと思い夫に帰りたいと告げた
夫が「嫁さん具合悪いから帰る」と姑に言うと
姑は凄い形相で睨み付け
「あんたが帰ったら私が何言われるか分からないじゃないの。我慢しなさい。我慢しなさい。我慢しなさい」と言われた

あまりの辛さに結局式には出れずに帰った
散々夫や義理両親達に嫌味を言われた
この家には具合が悪くなっても味方になってくれる人は誰もいないんだ
なんて孤独な結婚をしてしまったんだと後悔した


そんな毎日に疲れ果て私は初めて母に相談した
母はなぜか嬉しそうに私の話を聞いてくれた
「あの両親はきつそうだって思ってたのよ。うちのおばあちゃんによく似てるじゃない」と言った

そして自分がいかにこの家で苦労してきたか、祖母がどれほど酷い人間だったかを延々と私に話した
そして最後に「あんたの苦労なんて苦労にならないよ。だって一緒に暮らしていないんだから。ひと月に何回か我慢すれば良いだけでしょ。お母さんなんか・・・」といわれるのがオチだった

私の父は自営業をしている
店で母をこき使うくせにその収入を家に入れることはなかった
父は私達の学費から衣服のお金すら出し渋った

だから母は店の他にパートを掛け持ちして私達の学費とか服代とかを工面していた
祖母が見かねて年金から出してくれる事もあった
それでも父は知らん顔だったという

借金の相談を母にすれば必ずこの話になった
「父さんがお金くれないから全部お母さんがあんた達の必要なものを働いて買ったんだ。借金があってもあんた旦那から給料貰ってそれで食べていけてるんだから
いいじゃないか。お母さんなんか・・・・」とまた苦労話が繰り返された

母にいくら相談しても
「母さんに比べたらあんたなんか苦労に入らないよ」だった

子供の事で悩めば亡くなった従姉妹のお子さんの事を持ち出して
「元気で生きてるだけ良いじゃないか。妹の孫なんて学校も上がれずに亡くなったんだ。それを思えば苦労なんかじゃない」だった

母は子供の頃に両親を亡くし物心ついたときから母親は寝たきり
「私は親がどういうものか知らない」が自慢だった
どんなに苦労して妹を養い、残された兄弟で生き延びた事が母の自信となり支えとなっているのが分かった

「私の苦労は並大抵じゃない。あんたたちは親もそろってるし、贅沢は出来ないけれど家もご飯もあるじゃないか。幸せなんだ」とよく言われた

その中に含まれた言葉
(だからグチを言うんじゃない。母さんより幸せなんだからグチなんか言うんじゃない)と母の心の声がいつも聞こえてきた

母に幸せそうな話をする時もそうだった
「良いねぇ。あんたは。お母さんなんか・・・」とまた苦労話

こっちが相談していても最後は母の苦労話に相槌をうち
「大変だったんだね。苦労したんだね。私なんてたいした事ないよね」と言わざる終えない状況になってしまう

そんな母にいつしか私は幸せでいては申し訳ないような気持ちになるようになった
苦労や不幸を背負っていれば周りの人はみな慈悲深く同情してくれた
母も私がもっと不幸で辛い目にあえば私に共感し今までの深い溝が埋まるかもしれないと無意識に思っていたのだ

今までなんとなく幸せになっちゃいけないんだと漠然と思っていたのは
こういう事だったんだと目が覚めた感じだ
なんだか滑稽な気分だ。笑いたいような、笑いたくないような・・・
何をやっているんだろう

ただ聞いて欲しいだけだった
あんたも大変だね。と言って欲しいだけだった
共感して寄り添って欲しいだけだった

もう諦めればよかったのだ
どんなに苦労しても母より苦労することはない
たとえそうなったとしても母が共感することはないだろう
分かってもらおうなど思うから辛くなるのだ
母は母で私は私だったのだ

もう止めた。
馬鹿だったな私。





盗癖2

2006-02-19 20:26:35 | 子供
途方にくれた私は専門の病院へ行ったほうがいいか悩んだ

でも私以上に息子は自分のした事にショックを受けていた
私が植えつけた舅のアルコール依存症という亡霊が息子を苦しめていた

息子は舅のようになれば自分は家族から離れて暮らさなければならなくなる
牢屋みたいなところへ入れられるかもしれない
その恐怖に脅え一生懸命物欲を抑えようとしたのだ

でも我慢には限界があった
それが爆発する気持ちに息子自信が傷ついていた事が分かった

夫と相談してとにかくやるだけ、思いつく方法をやってみよう
それで駄目なら病院もあると決めた

まず1ヶ月のお小遣いを決めて与えることにした
小学3年には少し多目の1000円にした
その代わりその1000円以内でレンタルビデオや雑誌、カードゲーム等
をするように言った

最初、息子は貰ったその日に使い果たしてしまった
私もいちいち使い道に口を出してしまって効果がなかった

少し修正して一切使い道には口出ししないことにした
その代わり無くなっても次のお小遣いが貰えるまでは我慢するしかない事を伝えた

1日で使ってしまうために残りを我慢できず泣くこともあったけれど
そういう時は自分の中で範囲を決めて
「大サービスだよ。」とか「お兄ちゃん頑張ってるからおまけね」と
少しゆるめにやってみた

相変わらず1日で使い果たすのは変わらなかったが
「もう決めたから、次まで我慢だよね」と聞くと
「自分で決めて使ったから我慢する」とねだらなくなった

ビデオなどは娘に「あーちゃん、これ観たいよね」とか自分の観たいビデオを
借りさせてる時もあったが目をつぶった

あれから1年が過ぎたけれど息子は執拗にねだる事も
物を盗むこともなくなった

最近、ちょっと始めた事がある
アメリカで出され和訳された金銭感覚を育てる本を見つけ立ち読みした
(題名は忘れちゃいました)

それはお手伝いを子供と決めてそれに対する金額も決める
それで貰ったお金をみっつの貯金箱に貯めていく
「文房具」「ゲーム、雑誌、その他」「高価な特別な物」
でそれぞれ自分で決めて入れる

これを息子に提案すると凄く喜んで一緒に仕事を決めた
「玄関靴そろえ・・・10円」
「おつかい・・・10円」
「留守番1時間ごと・・・10円」
「布団敷き1組・・・10円」等

息子は1日30円ペースでやっている

先日スキー遠足のお弁当のおかずとおやつのお使いを頼んだ
スーパーから帰ってきておつりを貰うとレシートと合わないことに気がついた

「ねぇ。お釣合わないよ。」
「え?あ・・・忘れたかも。落としちゃったかも」
「へ?レシート持ってきてお金持たなかったの?」
「・・・・」
「ねぇ?」

「ごめんなさい。ガチャポンやっちゃった」
「何回?だして。」
「3回・・・」
「うん。これで合うよね」

「でもこれは頼んだ仕事を果たしてないよね。だからお駄賃あげれないよ。いい?」と聞くと
こっくりと頷いた

私は少しも驚かなかったしハラも立たなかった
「ありゃ。やっちまったか」位だった

だって息子はこんな私を何度も何度も許してくれた
「ごめんね」と謝ればすぐに「いいよ」と言ってくれた
「お母さんが悪かった」と言えば「僕だって」と言ってくれた

舅と夫ばかりにかまけて何も教えてくれない私をずっと、ずっと息子は待っていてくれた
いつかきっとお母さんは僕を見てくれると信じてくれた

だから私だって信じられる
今はそう思える
だからこんな失敗くらい全然平気だった

いつまで経っても息子は部屋から出てこなかった
灯油が切れて寒い部屋にいつまでもいた
変だなと思って覗いてみた

薄暗がりの部屋に息子は目に涙を溜めて正座をしていた
自分に罰を科していたのだ

まだこの子の傷は少しも癒えてない事に気がついた
「ねぇ。お兄ちゃん。大丈夫だよ。お兄ちゃんは失敗しちゃたけれど
お母さんにちゃんと報告できたじゃない。誤魔化さず言ってくれたことお母さん凄く嬉しかったよ。ありがとう。
お兄ちゃんは今度は失敗しないよ。だってちゃんと何処がいけないか分かっているんだから。大丈夫。次は上手くいくってお母さん知ってるから」

息子は安心したように涙を拭いて娘と遊びだした
その背中をみてこれは勉強なんだと思った
失敗しても間違いを少しずつ調整して進んでいけばいいんだ

もう私は舅のアルコール依存症の亡霊には負けない
息子を信じられるから
自分も信じられるから


盗癖

2006-02-18 19:01:28 | 子供
私は依存症と言う言葉を舅がアル症だと気がつく前からしっていた

「買い物依存症」「パチンコ依存症」「薬物依存症」「過食、拒食」
知らないのはアル症と共依存症ぐらいだった
それを1番知るべきだったのに無意識に避けていたのかもしれない

自分はいつか何かの依存症になるんじゃないかと不安に思っていた
だからそれらの本もいろいろ読んだりしていた

だから息子への物への制限は今の息子の友達に比べると
厳しかったと思う
舅が酔いに任せて遊びに行くたびに息子に1万単位でお小遣いをくれたりするのは
本当に嫌だった

私が「子供に2万もお小遣いは要らないです」と言えば
「いんだ。いんだ。あんたにやるんじゃないんだ。
なぁ。じいちゃんがお金あげるから欲しいもの買って貰えよ」と息子の手に
握らせた

帰りの車の中ではいつも
「おじいちゃんがお金くれた。お店によってー!!!玩具買ってよー!
おじいちゃんが買いなさいって言ったんだー!!」と泣き叫んで手が付けられなかった

だんだん私は舅のお小遣いに敏感になっていった
このまま息子が物欲を我慢できない子供になってしまうようで心配だったのだ

舅の家に行く前には必ず息子に
「いいかい。お小遣い貰っちゃ駄目だからね!分かった!!」
と叱り付けてから出かけた

それでも必ず舅はお小遣いをくれようとした
息子は私の顔色を見て「だって、お母さんが貰っちゃ駄目だって・・・」言うと

「駄目なのか?出した金は引っ込められないぞ。持って行け!」と怒り出す
息子は間に挟まれ身が縮む思いだったろう
でも私はいつしか意地になっていた

舅のように物欲を我慢できない人間になったら大変だとひたすら心配していた
だから厳しくしなければ。
我慢できるように躾けなければと・・・

ゲームやガチャポンをやれば好きなものが出てくるまでやりたがる
泣いてでも欲しいと言う
ビデオを借りに行けば一週間で観きれないほど借りようとする

本屋に行けばあれが欲しい
コンビニに寄ればこれが欲しいとねだった

その度に「そんなに欲しがってばかりいると我慢できない人になるんだよ
我慢できない人になったら泥棒になるんだよ」と説教を繰り返した
その度に息子は泣いて謝った

私は舅と夫の事でいつも頭がいっぱいだったので、息子に何かを教えるとか、伝えるとか全くしなかった
言葉も麺類を「チュルチュル」と言っていたが別にラーメンでもそばでも「チュルチュル」でいいじゃないかと思っていた

言葉を理解することが遅かった息子は話すことも遅かった
でもいずれ話すだろうと簡単に考えていたし、分かりやすく言葉を変えて伝えれば通じたのであえて直そうとか考えなかった

そんな事よりまずは舅と夫だった

そのつけは幼稚園になって現れた。
言葉で人に伝えることが全く育っていなかった
伝わらないと癇癪を起こして友達とトラブルになったり、大声で泣いて訴えたりしてまるで1才か2才の子供から全く成長していなかった

子供は自分で育っていくものだと勝手に思っていた
その癖、周りの目には敏感だった
お店で欲しいと言って泣き出す息子は体も大きく人目を引いた
それは私にとってとても恥ずかしい事だった

だからこそ余計にクドクドと説教を繰り返し、分からせようと必死になった
ママ友も
「うちの子もやりたがったり、欲しがったりで大変。今の子達って物欲強すぎだよね」と話すことがあったけれど
「うちは違う舅が依存症なんだから息子にもその素質があるに違いない。
早いうちに悪い芽を摘まなければ。」という思いと
私の子供は我慢強い子なんだと自慢したい思いだった

息子が初めてお友達のカードを盗んだ時本当に動揺した
あんなに躾けたのにやっぱり舅を見てきたからそういう風になりやすいんだ
と愕然とした

もっと躾けなければ、よく言い聞かせなければと思った

舅がアル症だと分かってからは益々不安が膨らんでいった
ちょっとでも息子が「あれ、欲しい。」とか言い出すと
「なに?何が欲しいって。1つで我慢できるの?あんた1つ買ったら次も欲しいって言うじゃない・・・・」クドクド、グチグチ言い続けた
息子はいつしか「駄目ならいいけど・・・・」と言うようになった

その言葉を聞いて初めて「仕方ない、1つって分かっているんなら買ってあげる」といって買い与えてやった
そんな風に買ってもらってもきっと少しも息子の心は満たされなかったに違いない

でも私はとにかく物欲は悪い事だと分からせるのに必死だった

息子は「我慢ができないとおじいちゃんみたいになって、家族に捨てられちゃうんでしょ」と言うようになった

「そうだよ。おじいちゃんはお酒が我慢できない人になっちゃったんだよ」と脅かした

息子はその頃から物を欲しがらなくなった
その様子にもう大丈夫コントロールできたと大満足だった

でも息子は我慢に我慢を重ねていきなり爆発を繰り返した
スーパーにおつかいを頼めば持って行ったお金以上の物を買おうとして
スーパーから電話が掛かってきたりした事もあった

「どうして?頼んだものだけ籠に入れないの?」と聞くと
「だって欲しかったんだ」と言う

頭にカーッと血が上って「頼んだもの意外買っていいってお母さん言った?
そんなの泥棒と一緒だよ!」と怒鳴りつけた
「あんた、ちっともお母さんの話分かってないんでしょ!そこに座りなさい」
と何時間でも説教をした

「もうしない。ごめんなさい」と泣いて謝っても許さなかった
たとえ許しても事ある事に「物を我慢できないと・・」と脅かすようになった

息子はどんどん追い詰められていった
私は息子を叱っていながら実は自分の中にいる舅に怒りをぶつけていたのだ

お酒を我慢できないために私はこんなに傷つけられた、今度は息子の依存症に傷つけられたくないと自分の不安を息子に全てぶつけてしまったのだ

そして叱っても叱っても息子の盗癖は悪化していった
そして最後に息子は義理母の財布を盗み、
散々怒られた次の日に今度は私の母のゲームソフトを盗んだのだ
(息子に書いてある)

本当にこの子は依存症になってしまったのだと絶望した
でも息子がその時「俺、じいちゃんみたいになるのかな。依存症になったのかな」と言った時私は初めて自分の間違いに気がついたのだった

(つづく)










石の話

2006-02-17 11:55:09 | 日記
パワーストーンって知っていますか?

私は最近知りました
いろいろなパワーを持った石があってそれを身に着けると
自分の足りない力を引き出してくれるという

お正月開けに新しくできた大型スーパーへ出かけた
去年の暮れ辺りから夫の上司や会社の事務の女の人との折り合いが悪化していた

毎日、毎日夫からその愚痴を聞かされていた

夫の上司はもう夫の事が嫌いで嫌いで仕方ないと言うのが
夫の言葉から推測された

嫌いなら夫に対して距離を置けばいいだろうに
夫のやる事なすこと目に付いたらしい

売上がいけば「どんな手を使ったんだ」と嫌味を言い
売上がいかなければ「これで給料もらえるのか」とまたまた嫌味

自分の仕事は押し付けるが夫が少しでもフォローを頼めば
「なんで俺がお前をフォローなくちゃいけないの?」怒鳴り散らす


聞いていて私も息苦しくなるような愚痴だった

大型スーパーをブラブラしていると
きれいなワゴンが出ていた。
ライトアップが素敵で思わず足を止めた

「パワーストーン」と看板が出ている

私は子供の頃きれいな石を集めるのが好きだった
隣の家の前には化粧石と呼ばれる砂利が敷かれていた
色とりどりの石達は本当に綺麗だった

持ってきては駄目と親に言われていたがどうしても欲しくて吟味に吟味を重ねて
五つだけ持ち帰った

緑の中に白い線が入ったやつ、薄い青に黒い縦じまの入ったやつ
水につけると鮮やかに色が浮き出て宝石のようだった
それを空き箱に綿を敷いて綺麗に飾っては眺めていた

そのパワーストーンのお店にも色とりどりの石が並べられていた

数珠のようにつなげて「パワーブレスレット」というのもあった

石はガラスの容器に入れられ一つ一つ説明が書かれていた
「疲れを癒す石」
「愛情の石」
「金運を上手によくするブレスレット」
等いろいろあった

その中に一際私の目をひく石があった
「砂漠のばら」
綺麗なバラの形をしていた
意味は「自分に悪影響を及ぼす人を遠ざけて、人間関係を円滑にしてくれる石」と書いてあった

今の夫にピッタリじゃないかと思った
夫に「面白い石があるよ。買ってあげようか」と言うと
「ふうん。効果あるの?」
「分かんないけどお守り代わりに持ってみれば」と言って
1つ買って小さな袋に入れてあげた

夫はそれを背広のポケットの内側に入れて会社に行っていたらしい

昨日家族みんなで狭いお風呂にひしめきあって入っていた
夫は落ち込んだりするとお風呂に乱入してくる

娘の体を洗いながら夫が「あの石、全然役にたたなかったなぁ」と言った
でも良く考えると
「石的には役目を果たしたんじゃないの。だって遠ざけてくれたじゃない」

「なにーー!遠ざけたんじゃない。俺が遠ざかったんじゃないか!」
「洒落になんねーよ」
と叫んだ

なんか可笑しくてゲラゲラ笑ってしまった
「役目を果たすとあの石割れるらしいよ」と言って笑いが止まらなかった

石の説明書に
「石と仲良くなってください。毎日石を出して眺め石の波動を受け取ってください。そうすればより効果が期待できます」と書いてあった

「俺、お前がそういうから毎日石に綺麗だね。可愛いねって言ってたんだぞ。で結果がこれなのかよ」
その時点でお風呂で大爆笑になってしまった

息子も娘もつられてゲラゲラ
「石はきっとこれ以上あの上司といては駄目だ」と判断したんじゃないの

夫は「石割れてたらどうしよう。役目終わってたらどうしよう」と言って
お風呂から上がって石を早速袋から出して見ていた

「割れてないな。いや。欠けてるかもしれないぞ」と真剣だった

「今度はさ仲間を集める石を買ってみよう。お父さんの良さを分かってくれる人が
少しでも集まるようにさ」

久々にお腹が痛くなるほど笑った
こんな風に笑えるんだから大丈夫かもしれない。

ねっ!お父さん




とうとう

2006-02-16 08:37:13 | 元夫婦
審判は下された

退職決定。
「解雇通告」一応自主退社となるみたい・・・・

こんなにあっけなく終わってしまうなんて・・・
本当にショックで混乱状態

40過ぎの特にスキルも持っていない夫の再就職
どうなるんだろうと不安でよく眠れず夜中の3時頃に目が覚めた

居間の電気が点いている事に気がついた
覗いてみると夫が起きて転職情報を見ていた

この20年本当に何度も何度も辞める辞めないを繰り返してきた
夫と出会って夫には愛情というものを感じたことがなかった

初めて会ったときも何とも暗い雰囲気の夫が近寄りがたく感じた
でも友達がせっかく紹介してくれたし、ちょっと付き合って後でお断りしようと
思っていた

夫からも愛情らしいアプローチもなかった
でもなんとなく断るに断れず、夫の両親から凄いアプローチがあり
私をそんなに必要としてくれている人達なんだと共依存症どっぷりに
嵌って結婚となった

夫自身も私の事をそんなに好きじゃないと言っていた
だから14番目同士(14番目に好きな人で書いてある)
丁度いいじゃないかと思っていた

だから何かトラブルがある度に
「離婚」すれば良いやとかどうせ別れれば問題解決だとか
あれこれと夫に指図する割には他人事のように思っていた

今回もどうやったら自分のダメージが少なくて済むかそればかり考えていた
なるべくたいした事じゃないんだと思おうとしていた

でも良く考えれば一大事なんだ
夫は芯から傷つき、ボロボロになってしまった
夫婦なら、家族ならそれから目をそらす事などどうして出来よう

夫は会社にとってタブーを犯したかもしれない
でもとにかく一生懸命やってくれたじゃないか
家族のために、愛していないと言いながら妻のために頑張ってくれたじゃないか

だから私も精一杯励ますよ
元気がでるように前を向いていけるように、
私のパワーを全部注ぐよ

そして私も沢山の不安をさらけ出して見せるよ
平気な振りなどもうしない

だって家族なんだ。
駆け引きなんて家の中ですることじゃない

もう逃げ出すことは考えない。
なんとか乗り越えなくちゃ。
今は心から応援できるような気がする

ただ惰性で続けているような気がするときがあったけれど
私達の関係にも14番目じゃない何かが生まれてきているのかな


15年前、上の空で言っていた言葉

誓いの言葉

>喜びも苦しみも分かち合い、幸せな家庭を築いていきます。
 
 どんな困難も、二人の力を一つにしてで乗り越えていきます。

 いつも夫婦の会話を大切にし、思いやりの心を持ち続けます。

 誰からも目標とされるような、幸せな家庭を築きます


今は心に胸響いてくるよ






パワーゲーム

2006-02-14 14:47:28 | 元夫婦
昨日も死にそうな顔で帰ってきた

なるべく夫がいない時は自分の力を貯めようと勤めている
夫は自分で自分の気持ちを回復することができない

何かで落ち込むとひたすら私や子供からパワーを奪おうとする
子供なら必要以上にベタベタしたりそれを子供が嫌がると逆切れしたりして
奪おうとする

私からはひたすら愚痴をこぼし私の慰めや励ましから奪おうとする
それでも駄目な時は喧嘩を売って発散しようとする

私はそのパターンによく飲み込まれていた
朝から喧嘩をさせられる日は1日中悶々と過ごさなければいけない
その悶々を息子にぶつけて私もパワーを貯めようとしていた

パワーを取られっぱなしの息子も抵抗して余計にグズッったり泣いたりして
私からパワーを奪い取ろうとする

子供が親からパワーを受け取るのは当たり前だけれど
家族の中でパワーを取ったり取られたり結局誰かがいつもパワー不足に陥ってしまうのだ

だから私はもう誰からもパワーを取るのをやめた
その代わり夫にもパワーは最小限しか渡さない事に決めた
夫がいないときはひたすら楽しい事をする

ビデオを観たり友達とお茶したり子供と遊んだり読書をしたりする
そうやって貯めても夫はあっという間に吸い取っていく

どうしたら夫にパワーを取られすぎないで済むか
夫は今会社を辞めるか辞めないかの窮地に立たされている

もしかしたら退職金ももらえないかも知れないと上司に言われたらしい
20年勤めて積んだものが何もなくなってしまうかもしれない
こんな風に状況を悪く悪く伝えてくる

私が深刻そうに頷くことで夫は安心するらしい
そして私の慰めの言葉を待つ

私は
「どんな風にお父さんが働いて来たとしてもお父さんが20年働いて私達はそれでご飯を食べさせて貰ってきた。私は感謝している。本当だよ」と言った
この気持ちに嘘はない

でも夫はこの言葉が不満だったようだ
「なんで責めないんだ。責められたほうがずっと楽だ」と言った
責めてそれで喧嘩して自分の思いをぶつけたいのかもしれない

「責めるもなにも言葉が思いつかないよ」と言った

一人でパソコンを見て転職情報を探し出す
その度に「これはどうだ。俺に向いているかな」と聞く
夫に向いているかどうかなんて私には分からない

「あなたが興味があってやってみたいと思うなら申し込んでみれば」と言った

今までの私とあまりに違うので夫は戸惑っているようだ
私は夫が私に全ての決断をさせようとするのが嫌なのだ

辞めるか辞めないかは私の問題なのだろうか?
どうしても辞めたいもうこれ以上続けたら殺されるという夫にもっとやれと言えるだろうか?

でも夫は私がやれと言ったらやるかもしれない
でもこれから何か起きるたびに「お前がやれと言ったからこんなに苦しい」と責任転嫁されるのは真っ平なのだ
そうやってパワーを奪われたくない

だから「いろんな生き方ができる。私も働けるし」とだけ言う
私も卑怯なのか?
夫との距離感が分からない

どんな状況でも家族でかんばろうとしか思えない
夫が辞めても辞めなくても私は私の出来る事をしようと思うしかない

もっと真剣に聞いてあげるべきなのだろうか
でも夫の話はこのミスを収めるより退職して解決しようとしているように思える

過去にも重大なミスを犯したとき結局退職願いをだしてその時の上司の方が
「そこまでするなら、何とか私が納めるから」と変わりに処理してくれた

いつも自分で責任を取らずに別な事で物事を解決しようとする

それが本当に本当に私の心を乱す
これは共依存症の感情だと思う
夫に自分の理想どおりに動いて欲しいのだ

だからそれをやめなくちゃと必死に言い聞かせている
どんな形でも夫が解決しようとしていると認めようと言い聞かせる

あーー苦しい。私の共依存症よどっか行っちゃえ!

転職

2006-02-13 10:18:15 | 元夫婦
「もう駄目だ。あの会社にいたら殺される」
「もう潮時だ」
「もう十分頑張った。もう辞めてもいいよな」

今年で勤続20周年になる夫はこの台詞を何度言った事だろう

いつもトラブルや人間関係に追い詰められると
「辞める。絶対やめる」と言って辞表を書いて会社に持って行った事も1度や2度じゃない

今の夫の上司は後から入社した同年代の人だ
その人とは入社した時から気が合わなかった
その人が入ってくるまで夫は会社の仲間とよく飲みにも行っていた

その人は会社に入ってすぐ仲間の中心となり夫はあっという間に居場所を失った
仲の良かった人達はみんな辞めてしまい夫は忘年会と新年会以外は飲みに行くこともない

夫のトラブルは行き当たりばったりの嘘が引き金になる事が多い
後は誰かのミスをかぶってしまう時だ
そしてそれを会社に報告しなかったり、嘘でごまかしたりしてしまって事態が大きくなってしまう

あとお客さんからの頼まれた書類とかも忘れてしまう事だ
忘れた事に気がついてすぐ出せば済むのに遅れて出して何か言われるのが嫌だから
ずっと忘れた振りをしてしまう

この辺の行動が本当に理解できない

夫はミスがばれたりした時に絶対に説明と言う事をしない
工場のミスを自分がかぶっている時ですら一切口を開こうとしないのだ

会社はどうしてこのようなミスになったのか聞いているのに
夫は「すいません」以外は一言も話さないので、ますます誤解され
なにか他に隠しているんじゃないかと思われてますます立場を悪くしてしまうのだ

そしてそのミスを指摘してくる嫌いな上司を益々憎み、普段でも睨み付けているらしい
本人に自覚はないらしいが上司に「なんだ。そんなに睨み付けるな」と
言いがかりをつけられたといつも怒っている

夫が説明をせずに黙っていると
「卑怯だ!黙っていればなんとかなると思っているんだろう!」
と怒鳴られるらしい

私も「少しは事情を説明して自分の潔白を証明したら。悪くないのに怒られたり責任取らされたり変じゃない?」と言うのだが

「俺はそういう時なんて言っていいか分からないの。言い分けしたくないの」と言う
その割には「こんな事に巻き込まれて俺って本当についてない」と身の不運を嘆くのだ

そして「他の上司も俺を庇ってくれてもいいのに」
「誰も俺の味方になってくれない」とか愚痴る

「だって自分を守ろうとしない人に誰が力を貸してくれるの?」と言っても
それは出来ないの一点張り
自分は人のミスを庇ってやっているのだから俺のミスも庇ってくれる筈だと思っている

おかしい・・・。
そう思うのは私だけか・・・
でも嫌な上司に毎日会っているのは夫なのだしこうやってお給料を貰ってきてくれているのだから私まで相手側に立ってはいけない
だから腑に落ちないが味方になり続ける

でも言いたい
その行き当たりばったりの嘘をやめないかぎり転職しても同じ間違いを繰り返すだろう
誰かが守ってくれる
誰かが何とかしてくれる
と他力本願をやめて自己責任を持てるようにならない限り
夫の苦悩は続くのだ

失敗をしても身の不運を嘆いていては先に進めないと気がついて欲しい