トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

自立

2006-03-29 16:29:08 | 
ある引き篭もりの青年が向かいの家の窓を覗き見するようになった
その向かいの家の奥さんが旦那に暴力を受けている事を知り助けようと
使命感に燃える

色々な機関に相談するが
「彼女本人に逃げる意志がなければ助けられない」と断られる
彼は思い余って弁護士に
「彼女は脅えて逃げられそうもない。なんとか助ける方法はないか」と相談する

すると弁護士は彼に「DVから助けようとする人はDVをする人と同じなのだ」と言われる
「DVを受けている人は自分で逃げる意志を持たなければ逃げない。
それを無理にさせようとする人は逃がした人と暮らせば後で必ずその人を殴る新しいDV加害者となる」

村上龍さんの「最後の家族」と言う本を読んだ
この文章に本当に頭から水をかけられたような衝撃を受けた
DVは助けるとか助けられるという関係では決して解決しない

私も姑は本当に家をでるという意志がないまま連れてきた
ただ雨の中外に放り出されていたのを連れてきただけだった

姑は一言も「逃げたい」とは言わなかった
ただ「帰ったら殺される」と言っただけだった

私は助けたつもりでいた

でもその本の中に「DV被害者を救いたいというのは、DVの1歩だ。
それは相手を対等に見ていないから
彼女は可哀想な人だからと始まって、自分がいなければこの人は駄目になると思い
最後は自分がいなければ生きていけないだろうという他人を支配したいという欲求が生まれる。
他人を救いたい欲求と支配したい欲求は同じである」

何度も何度も読み返す
そんな筈ないと否定したいけれど言葉が見つからなかった

最後にその弁護士は
「そういう欲求を持つ人はその人自信も傷ついている。
相手を救うことで自分も救われたいと思っている
でもその人自信が心の奥底で自分は救われるはずがないと思っている
自分が救われる事がないという思いが他人への依存に変わる」

私もいつもどこかで「誰にも私の痛みは分からない」と思っているところがある
自分はずっとこうなのだと投げやりになる時がある

それが他人への依存に変わっていったのだろうか・・・

きっと私は姑を世話をする事で自分が救われたいと思っていたのだ
病院の先生に「お姑さんの状態はとても良いです。お嫁さんの管理が良いんですね」と言われた時は本当に誇らしさでいっぱいだった

やっぱり私が見たほうが良いんだ。
舅なんかといたら姑は飢え死にさせられていたんだ
自分の存在を認められる事はなんと心地いいのだろうと思った

でも姑が「別に好きで来たわけじゃない。私が頼んで住まわせてもらっている訳じゃない」と親戚に言い出した頃から私の感情は変わって言った

「こんなにしてあげているのにどうして分かってくれないのだろう」と苛立った
疲れている時など部屋に閉じこもって無視することもあった

姑は私の顔色を見るようになっていった
私が苛立っている時はお金を持ってきて「これで子供にお菓子でも買ってあげて」と言った

私の中で姑を見下していたのだ
こんなにしてやっているのだから私に気を使うのは当たり前だと思っていたのだ
姑が帰りたくなるのも無理もなかったのかもしれない

自分の夫に暴力を受けるのと嫁に小さくなって暮らすくらいなら、
自分の家で暮らしたいに決まっていたのだ

姑はよく「どこで暮らしても同じだから」と言っていた
その意味が今ならよく分かる

本の中の彼はその言葉に打ちのめされて「僕があの人に出来る事はないんですか?」と聞く
弁護士は「親しい人の自立はその近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになる事。それだけが誰か親しい人を結果的に救うのです」と言われる

大きな岩が頭の上に降ってきたようだ
自立。1人で生きていけるようになる事

姑にとってもう和解する事がない息子夫婦が自立し幸せに暮らしているという事が支えになるのかもしれない

私が自立する事は夫の私に対する依存や嘘で身を固めるしかない
人生を救う事になるのかもしれない

私が生き生きと暮らせたなら子供達も安心してこの家から
自信を持って旅立って行けるようになるのかもしれない

私の自立とはなんだろう

自分で働いて収入を得て暮らせるようになる事だろうか

自分の好きな事を生き生きとする事だろうか?

自分の好きな事、やりたい事とは何だろうか?

誰にも依存せず自分の足で立ちたい
その欲求は変わらない
でもどの道を進むのかがまだ見えてこない

目を凝らして見極めたい