自分の良いところ探しに沢山の方が声をかけてくださって本当に
胸がいっぱいです。
早速紙に書いて寝る前に読み始めました
読んでいてこれは本当に自分の良い所なのか?
と疑問を持ちつつ「いやいや、皆が探してくれたんだからこれで良いんだ」と納得させて読んでいます
自分で探さなきゃ意味がないのかも知れませんが
どうしても自分で探す作業が辛くなかなか頭の中で整理できません
なぜ自分で自分の良いところ探せないのか
この自己評価の低さは私の支えだったからだ
何か苦しいことがあると
「どうせ私なんかこの程度の人間だから」
誰かに傷つけられれば
「どうせ親にも愛されなかった人間だから」
「どうせ自分は。」「こんな自分が」とその言葉に隠れて自分を
守る事ができたからだ
どんな困難もこの言葉をつぶやけば乗り越える必要がなくなってしまう
甘んじてこの辛い状況を受け入れる事ができるのだ
こんな楽な事はなかった
辛さに向き合う事無く「どうせ・・・」とさめざめと泣いて悲劇のヒロインとなり
嵐が過ぎ去るのを待てばよかったからだ
そして傷を治す時も「泣くことないさ。こんな自分にはお似合いなんだ」と納得させて歩き出すことができた
自己評価の低さは私の逃げ道であり。甘い誘惑だった
これを手放すのは現実を全て受け入れる事へと繋がってしまう
自分がこんな目に合うに値しない人間なんだと評価を高くしたなら
1歩進むにも身のすくむ思いだ
だったらずっとこうして自己評価の低いまま「どうせ自分は」と甘ったれて暮らして行けばいいじゃないかと自分に思ってしまう
でもそれではいけないと気がついた
私には守りたいものがあるから・・・
自己評価が低いと子供を守ることが出来ない
息子が幼稚園に入園した時、息子は全く皆についていけなかった。
皆について行けないと自然と群れから離れてしまう
子供の世界は残酷だ。
自分たちについて行けないと遊んでいても楽しくないのだ
だからどんどん息子は孤立して行ってしまった
そんな時私は「どうせ私の子供だから」となって逃げてしまったのだ
小学校に入って、息子は次々と問題を起こして周りのお母さん方からも
うちの子と付き合ってはいけないみたいな雰囲気になった事があった
ある事ない事噂になってすっかり息子は要注意人物のレッテルが貼られた
私は全く気がついていなかった
息子は友達が1人もいなくなってしまった
私はここでも
「私の子供だからこんな目にあったんだ。私の悪いところが息子に移ってしまったんだ。治さなければ」と息子にきつく当たってしまったりした
この自己評価の低さが問題だったのに私はそこから目を背け続けてきた
自分の良いところなど探したくなかったのだ
私は、自分の事は棚に上げて息子が「どうせ自分は・・・」と言い訳することが許せなかった
いつものように息子が宿題が出来ないことに腹を立て
「やっぱり俺って駄目だ。どうせ俺なんか」と言って泣いた
「そんな事言うのやめなさい。お兄ちゃんは自分が好きじゃないの?」
「分かんない。俺、良いところないもん」と言った
「そんな事ないよ。いっぱいあるよ」
「どこ?」
「優しいところとか。努力するところとか」と言って見たが心の底から
此処があなたの良いところと言えていない事に自分で自分に驚いた
子供の良いところが分からないなんて・・・
本当に呆然としてしまった
もし「お母さんはこんな良いところがあってそれが貴方にもちゃんと備わっている」と励ますことが出来ていたなら
息子も自信へと繋がったことだろう
お母さんの子供なんだからこんな事も乗り越えられると背中をおして上げられたなら息子も自分を肯定できるんじゃないか
そんな事を考えているうちに自分がいかに自己評価が低いことに甘えていたかに気がついたのだ
だから私は苦しくても自分探しをしたい。
もう、逃げることは終わりにしよう
自分の良い所を紙いっぱいに書いて読めるようになろう
自分に身に着くまでには長い時間が掛かるかもしれない
でも少しづつでも積み上げていこうと思う
この課題を乗り越えることが出来た時きっとそこから何かが始まるはずだ
いや。もう始まっているのかもしれない
希望の光が遠く遠くに小さな星のように光っている
胸がいっぱいです。
早速紙に書いて寝る前に読み始めました
読んでいてこれは本当に自分の良い所なのか?
と疑問を持ちつつ「いやいや、皆が探してくれたんだからこれで良いんだ」と納得させて読んでいます
自分で探さなきゃ意味がないのかも知れませんが
どうしても自分で探す作業が辛くなかなか頭の中で整理できません
なぜ自分で自分の良いところ探せないのか
この自己評価の低さは私の支えだったからだ
何か苦しいことがあると
「どうせ私なんかこの程度の人間だから」
誰かに傷つけられれば
「どうせ親にも愛されなかった人間だから」
「どうせ自分は。」「こんな自分が」とその言葉に隠れて自分を
守る事ができたからだ
どんな困難もこの言葉をつぶやけば乗り越える必要がなくなってしまう
甘んじてこの辛い状況を受け入れる事ができるのだ
こんな楽な事はなかった
辛さに向き合う事無く「どうせ・・・」とさめざめと泣いて悲劇のヒロインとなり
嵐が過ぎ去るのを待てばよかったからだ
そして傷を治す時も「泣くことないさ。こんな自分にはお似合いなんだ」と納得させて歩き出すことができた
自己評価の低さは私の逃げ道であり。甘い誘惑だった
これを手放すのは現実を全て受け入れる事へと繋がってしまう
自分がこんな目に合うに値しない人間なんだと評価を高くしたなら
1歩進むにも身のすくむ思いだ
だったらずっとこうして自己評価の低いまま「どうせ自分は」と甘ったれて暮らして行けばいいじゃないかと自分に思ってしまう
でもそれではいけないと気がついた
私には守りたいものがあるから・・・
自己評価が低いと子供を守ることが出来ない
息子が幼稚園に入園した時、息子は全く皆についていけなかった。
皆について行けないと自然と群れから離れてしまう
子供の世界は残酷だ。
自分たちについて行けないと遊んでいても楽しくないのだ
だからどんどん息子は孤立して行ってしまった
そんな時私は「どうせ私の子供だから」となって逃げてしまったのだ
小学校に入って、息子は次々と問題を起こして周りのお母さん方からも
うちの子と付き合ってはいけないみたいな雰囲気になった事があった
ある事ない事噂になってすっかり息子は要注意人物のレッテルが貼られた
私は全く気がついていなかった
息子は友達が1人もいなくなってしまった
私はここでも
「私の子供だからこんな目にあったんだ。私の悪いところが息子に移ってしまったんだ。治さなければ」と息子にきつく当たってしまったりした
この自己評価の低さが問題だったのに私はそこから目を背け続けてきた
自分の良いところなど探したくなかったのだ
私は、自分の事は棚に上げて息子が「どうせ自分は・・・」と言い訳することが許せなかった
いつものように息子が宿題が出来ないことに腹を立て
「やっぱり俺って駄目だ。どうせ俺なんか」と言って泣いた
「そんな事言うのやめなさい。お兄ちゃんは自分が好きじゃないの?」
「分かんない。俺、良いところないもん」と言った
「そんな事ないよ。いっぱいあるよ」
「どこ?」
「優しいところとか。努力するところとか」と言って見たが心の底から
此処があなたの良いところと言えていない事に自分で自分に驚いた
子供の良いところが分からないなんて・・・
本当に呆然としてしまった
もし「お母さんはこんな良いところがあってそれが貴方にもちゃんと備わっている」と励ますことが出来ていたなら
息子も自信へと繋がったことだろう
お母さんの子供なんだからこんな事も乗り越えられると背中をおして上げられたなら息子も自分を肯定できるんじゃないか
そんな事を考えているうちに自分がいかに自己評価が低いことに甘えていたかに気がついたのだ
だから私は苦しくても自分探しをしたい。
もう、逃げることは終わりにしよう
自分の良い所を紙いっぱいに書いて読めるようになろう
自分に身に着くまでには長い時間が掛かるかもしれない
でも少しづつでも積み上げていこうと思う
この課題を乗り越えることが出来た時きっとそこから何かが始まるはずだ
いや。もう始まっているのかもしれない
希望の光が遠く遠くに小さな星のように光っている