トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

迷い

2006-03-13 17:56:13 | 
ここ数日、家政婦の事が頭の中から離れなかった

最初は凄い共依存症の人が舅にとりついたんだと思った
でも考えるとおかしな事ばかりだ

最初に舅にドロボウ扱いされて交番に届けられて調べられたりしたら
普通は、怒ってもう拘ったりしないはずだ
それなのにまた呼ばれもしないのに見に行っては世話を焼く

そして施設に入れたいから権利書をよこせという。

挙句は生活費がないからお金を貸してあげなさいと義理両親達に代わって
要求してくる
そして最後は必ず「家の権利書を全て任せてあげなさい」という

「アル症の舅に権利書を渡したらどんな事になるかわからない」と断ると
じゃあお金をあげなさいと言う

ただの共依存症者じゃないかもしれない
疑問が沸いてきた

実母に言うと「裏のお婆ちゃんが家政婦に財産全部持っていかれたんだよ。
あんた危ないよ。それおかしいって」と言った

やっぱり?
どうかんがえてもおかしい。
お金に困っているなら家政婦の給料だって払えないはずなのだ
それなのに通ってくるのはやっぱり変だ

警察に届けるべきかどうか悩んだ
義理両親達が信頼しているのなら余計なお世話だし
また拘って巻き込まれるのは嫌だ。

でも犯罪に巻き込まれているのなら放っておいていいのだろうか

もう。これからはうちに来てもカメラ付きのインターフォンを付けて
居留守を使おうと夫とは話し合った

でもあの家政婦をそのまま放置していて良いのだろうか?

勇気を出して警察に相談してみた
でも警察では義理両親達に判断能力があるようなので
本人達の希望で家政婦と契約している以上警察は介入できないと言われた

そうかもしれない。
アル症の舅も金にだらしがない
家政婦が盗んだものなのか、舅が使った物なのか判断がつかない

どっちもおかしいから私にもどこへ相談して良いのかわからない

それにあの姑の変わりようが気になった
まるで何日もお風呂に入っていないほど髪の毛は汚れ
顔にべたべたと張り付いていた

お風呂はデイサービスで入れてもらえる事になっていた
やせ細り表情も乏しく、どの程度判断能力が残っているのかも見分ける事ができなかった

1度姑のケアマネージャーに相談した方がいいのかもしれない。

ケアマネージャーさんと話をするのは舅が姑を連れて行って以来だ。(共依存症に書いてある)

あの次の日匿っていた姑がもう此処へは戻って来ないといわれ、自分の無力感に
打ちひしがれケアマネージャさんに
「姑はもう此処には居たくないと言いました。だから来週から
デイサービスはあちらの家に迎えに行ってください」と泣きながら連絡した

ケアマネージャーさんはとても親身に相談に載ってくれていた
舅のアル症を治療するためにいろいろな方法を教えてくれた

姑のケアマネージャーの仕事以上に舅を心配し力になろうとしてくれていた
でも私達はその希望に添えなかった。
あれ程迷惑をかけたのに結局振り出しに戻ってしまった事を後ろめたく
申し訳なく思っていた

電話をすると「おー。どうも。どうも」と明るく対応してくれた
そして自分も月1で様子を見に行っている事
家政婦の事も知っていると言った

姑は変わりなくお風呂にも入って帰っている。
特に痴呆などは始まっていないとの事だった

ただ舅との生活はやはり劣悪を極めている
なぜその家に帰っていったのかは判断能力の低下からかもしれない等色々話せた
そしてこれからの対応も相談することができた

前の私はただただケアマネージャさんの意見に頷くしかなかった

時に声を詰まらせ、自分がいかに困っているかを訴えることしかできなかった
でも今回私はケアマネさんの話をよく聞き、頭をフル回転させてどうすればいいかを相談できた自分に驚いた


私が家政婦の行動に混乱して母に話すと
「とにかく何とかしなければ後でとんでもない事になるよ。」と脅され
どうしようと途方に暮れた声で
「困ったな・・・」とつぶやいた

私は何か行動を起こすことでまた舅達に巻き込まれるのが恐かった
だからできれば拘らずこのまま放置したいと思っていた
それを母は見透かしたようにこう言った

「あんたは、今まで1人で問題に向かって生きてきたじゃないか。
あんたならできる。よく考えて解決できる方法を見つけられる筈だ。

あんたはいつだって1人でやって来たじゃないか。
大丈夫。あんたならできる」
そう言った

ビックリした。
母が私が1人で生きてきたと言ったのだ
その私を認めてくれたのだ

誰にも頼ることが出来ず1人で苦しみのたうちまわった私を知っていたのだ

母が私に関心を向ける事など1度もないと思っていた
私に対して励ます等1度もなかった

唯一姑を介護している時だけ
「まあ。私ほど大変じゃないけれど、介護は辛いもんだ頑張りなさい」位だった

その母が私の今までを認めてくれた
こんな事で喜ぶ私もやっぱり単純でまだまだなのかもしれない

でも素直に嬉しい。
もう悲劇の嫁は演じない。
もう迷いもない。

母の押してくれた背中の手を感じながら、またこの難問にも向かって行きたいと思っている